家族の仇は、娘でした   作:樫鳥

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 何故自分がと思わないこともない。どうしてかと疑うこともない。

 

 これが運命だというのであれば、それを受け入れても良いだろう。その為の準備は延々と続けてきたし、実行することに今更躊躇はない。

 

 いや嘘だ、躊躇はある。この最後の時間を待たずに終わらせてしまえば、誰に迷惑をかけることなく終わったであろう。言ってしまえば、あれがこれがとごちゃごちゃと用意をするよりも、縄一本使えば良いだけなのだ。共同墓地の無援塚に葬られそれで終わり。世は事もなし。

 

 街の人間にはあまり良い顔で見られていない。当然だ、昼間外に出ようともせずに夜な夜な暗闇の中で活動し、なおかつその成果物が彫刻なんて言われれば薄気味悪いに決まっている。首をくくった死体が出てきたところで、悲しむ者も少ない。

 

 いや一人くらいは、いてくれるかな?

 

 その一人の為に、この最後の時が迫るなか無様にも生き延びてしまっている。せめて思い人と過ごしたいと、欲がでてしまった。おかしいな、未練を残さないようにと周囲と距離をとっていたのに、彼はその垣根を飛び越えてきてしまった。迷惑だけど、嬉しかった。世界に楽しいことはちゃんとあるんだと、教えてくれた。

 

 せめて最後は、この祭りの間は。ベレーザ、貴方と共に過ごしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ランザとクーラは、ベレーザの案内により祭りの喧騒から少し離れた住居通りを進んでいた。ほとんどの町民は祭りの催し物や見物に忙しく家を出ているが、すでに出来上がった酔っ払いが歩き騎士と騎馬民族の衣装を着こんだ子供達が駆けていった。

 

 「そういえば、この街では敵である騎馬民族達もあまり忌避されていないんだな」

 

 モスコーについて早々見た騎士と騎馬民族の対決を催したものでも、騎士が勝割合が多いとはいえ騎馬民族側も勝利を得れば報酬が得られていた。この手の祭りは、全て網羅している訳ではないが大抵は敵対側は惨めなやられ役になるものであるのだが。

 

 「あー、当時モスコーの領主は他の国とも色々揉めてたみたいでな、騎馬民族襲来のお陰でそれが色々どさくさに紛れたりしてだいぶラッキーなこともあったらしい。だがなによりも、敵だって異国の地で死にたくはなかった筈だろう。そんな連中の鎮魂でもあるんだと。お人好しというか国民性かねぇ」

 

 「国民性?」

 

 「モスコーに残る伝説では、未練を残して死んだ魂は甦り悪いもんになると言われている。死んでしまえば敵も味方も関係ない仏さんだ。いかに憎くても、その墓くらいは祀ってやりゃにゃならんのさ」

 

 そういえば、一時旅を共にしていた剣士に聞いた事がある。彼の故郷では、祟りを鎮める為の悪霊の鎮魂が長く続けられており今でもその祭壇でなにか粗相をしたり故意に汚すと祟られてしまうという。それと似たような話であるだろうか。伝承というのは、根を辿ればどこも同じようなものに行きつくのかもしれない。

 

 狭い路地の先には細い石造りの階段と滑らかに削られた丸い手すりが続いていた。正面から誰かが来れば、身体を横にしあいなんとか通れるような狭さだ。ベレーザの正面に男が通りかかり、お互い短く笑いながら挨拶を交わし通りすがる。狭いからこそ、こういったコミュニケーションもあるのかもしれない。

 

 階段を登り切り、石畳みで舗装された道を歩く。だいぶ丘の上まで昇って来たため、祭りで賑やかな街を見下ろすことができた。

 

 噴水広場にて、沢山の櫓が立っておりその上では一つ一つが巨大な松明であるかのように篝火が焚かれている。魔道技師と思われる男が、装着型魔具と思われるアームを嵌めて篝火に手を入れ炎をすくい腕を振るうと、街中にある松明や街灯に向け炎がひとりでに散り街を照らしていった。木材や鯨油を燃料に火は燃え、夜が近づく街を照らしていく。

 

 魔道技師が再度炎に巻かれたアームを振るう。街中に吊るされるモスコーの職人が作った炎水晶に火が灯り、様々な色をした水晶が内部から照らされ煌びやかに街を彩った。異次元のような光景に、クーラは思わず歓喜の声をあげる。

 

 「良い眺めだろ。モスコー名物の炎水晶、今は専用の職人や魔道技師も少ないから、数も少ないがそれでも名産品だ。クッッソみてぇに制作というか調整みたいなのが難しいらしいのに、一回こっきりの使い捨てなんだぜあれ。まあだが、あれ目当てでモスコーに来る観光客もいるくらいだ。」

 

 「綺麗…」

 

 「あれ見ると、一年過ぎたんだなぁって気分になるよ。統一された暦のうえで年末は決まっているが、俺にとっての年末は今日この日だね。ああ、でも綺麗だからって点灯直後を近くで見るなよ?目が潰れる程眩しいからな」

 

 名物なだけはある。だがそれでも職人の後継ぎがいなければ何れ廃れ無くなるものだ。好景気に沸く都会に憧れを抱くのは分からないではないが、こういう風景こそ残していくべきものなのではないかと思うのは、些か年をくったせいであるか。

 

 田舎でくすぶりながら、伝統はあるが地味な作業を続けるならば都会に出て一攫千金を狙いたい。気持ちは分かるが、辛くとも平凡な生活も振り返れば良いものだと分かる日が来ることもある。家具職人として腕を磨いていた期間は、俺にとっては無意味や退屈とは程遠いものだった。初めて作った椅子が座った瞬間バラバラに砕けた時は流石に苦い笑みが溢れたものだった、今となってはそれも良い思い出だ。

 

 少なくとも、人妖を追いかけているよりは、よほどに。

 

 石畳みの道をしばらく歩き、道が途切れ一番端の家まで到着した。白い塗装を施された石造りの家屋であり、煙突から煙が昇っている。入口の脇には小さく色も鈍いがほんのりとオレンジ色の明かりを放つ炎水晶。

 

 「炎水晶には来客を歓迎する明かりという意味もある。アンタ等二人のことは、もう話してあるよ」

 

 「そいつはどうも、ありがたい」

 

 「サグレ。俺だ、ベレーザだ。昼間話した客人を連れて来た、開けるぞ」

 

 扉を開けると、建物内は暗かった。外は日暮れ時であるが、食器棚や収納棚に窓が阻まれており明かりが入ってきていない。玄関脇に置かれたカンテラにベレーザは火を入れ。中に入っていく。扉から入ってすぐのところは台所になっており、部屋の中央にはテーブルが置かれていた。黒パンやスライスされた鶏肉の香草焼き、牛乳が入った瓶、色とりどりの生野菜に自家製のドレッシングのようなものがかけてある。

 

 奥は住居人の寝室に繋がっているのだろうが、カーテンで覆われていた。少し手前の部屋よりは狭まっているようであり、左側に裏口に繋がる扉が暗闇の中にぼんやり浮かんで見えた。

 

 「いらっしゃい、お客人」

 

 暗闇の中でカーテンをめくる音。明かりをつけずに、背の高い女性が現れた。まるで脱色したかのような白いロングの髪と青白い病気を疑いたくなるような皮膚。目は閉じており、手には杖を握っている。床をコンコンと叩きながら前に進み、玄関の方へ歩いてきた。

 

 「暗くてすまない。火や明かりは、私には不要なものでね」

 

 「あなた、目が」

 

 「うん、盲目なんだ。こんな杖を持ち、不躾ですまないと思っているよ」

 

 ベレーザが部屋に入り、照明台に火を灯していく。大して使われていない照明台は、よく磨かれているのもあってまるで新品の同然だった。使いもしないものをよく手入れしていたということは、この女性は来客を、多分それよりベレーザを、心待ちにしていたように思える。

 

 「ランザ=ランテさんにクーラ=ネレイスさん。初めまして、私はサグレ=イグロス。しがない彫刻職人なんかをやっているものだよ」

 

 サグレは優雅な所作で頭を下げて見せる。まるで貴族のそれを思い浮かばせる動作に、クーラは慌てて頭を下げた。こちらも目礼で返答をする。目が見えない相手とはいえ、なにもリアクションをしない訳にはいかなかった。

 

 「招いていただいて感謝する。手土産も用意させてもらった、台所を借りても?」

 

 「お客人には仕事をさせないさ。目は見えなくても、この家の中のことなら問題はない。台所ということは、包丁を使うようなものかな?ありがたくいただこ…ん?」

 

 イボイボした果物受け取りサグレは自信に満ちた笑みから困惑気味の顔になる。ベレーザが苦笑いでそれを眺め、クーラは少しだけ肩をすくめ笑ってみせた。物珍しさを求めたが、物珍しすぎたかもしれない。

 

 「海竜リヴァイアサンが倒れ、新規に開拓された交易路から流れて来た新しい果実らしい。パインという果物だ、味は保証する」

 

 「そ…そうか。保証…うん」

 

 このイボイボをどう処理したものかと、サグレは困惑していた。結局ベレーザやクーラ含め、四人で台所に押しかけ屋台の店主に教わった切りかたをあーだこーだ言いながら実践をした。

 

 

 

 

 

 

 

 「それでベレーザったら、ワイン樽を破壊してしまってワインをもろに顔面に受けてね。逃げ出そうにもそれを呑んでしまいぐでんぐでんに酔っ払っちゃったんだよ。本当にあの時は参ったよ」

 

 「けっこーなクソ餓鬼だったんだなお前。まあでも、男子故悪いことはしたくなるのはしょうがない」

 

 「だよなぁ!流石はランザ、野郎の子供時代なんてそんなもんよそんなもん!」

 

 「えぇ…そこはランザもそんなんだったの」

 

 「故意に蒸留酒樽を破壊して飲んで、バレた」

 

 「お前は心の友だ。てことでもう一度乾杯!」

 

 男同士木の杯が打ち合わされ、酒を煽る。この男どもはとでも言いたげな顔でクーラはミルクを呑み、サグレは微笑みを浮かべている。

 

 クーラがミルクの入った杯を置いたところで、なにかに気づいたようにテーブルのフチに指を当てる。滑からな触り心地の植物の葉と蔦の彫刻がテーブルのフチに彫られていた。

 

 「凄い」

 

 「ん?テーブルに彫り込んだ模様のことかい?気に入ってもらえたならなによりだよ」

 

 「目が見えないのに、どうやって彫っているの?」

 

 サグレは立ち上がり、奥の部屋に入って行く。そして戻ってきた手の中には、木製の手の十センチ程の木彫りが幾つか握られていた。テーブルに広げると、木彫りは旅の安全を祈願する走る馬のお守りや家内に害が入るのを防ぐ足の大きな蜘蛛。災い避けで知られた教会で祀られている聖印が彫られた木彫りが並べられた。

 

 そのどれもが、小さいながらもレベルが高い。よく鑢をかけ表面にニスを塗っているのか、一つ手にとってみると触り心地も滑らかだった。そういえば彫刻で生計を立てているふうなことを言っていたが、盲目でこのような品ができるものなのかと興味は湧く。

 

 「手触りさ。頭の中で大まかな完成形を形作り、ある程度それに近づけたら何度も何度も触りながら調整を繰り返していく。人様より時間はかかるけど、出来栄えはそこらの芸術家なんかには負けていないと自負できるよ。自分の作品を見たことは、ないけどね。商人の評判を聞くとそうらしい」

 

 「それでも見たこともないものを、彫れるものなのか?」

 

 「私の盲目は後天性なんだ。記憶が残っているから、そこから彫っているよ。ランザにクーラも旅人ならば、良ければお守りにどうだい?ベレーザが無理矢理引っぱって来たお礼に、サービスで一つタダにするよ」

 

 お守り。なにかを護り安心感を与えてくれるもの。そういったものとランザは、縁なく生きてきた。願をかけてもロクなことなど起こらない。未開の地に赴いた時も、人妖との戦いの時も、なにかに祈ったり物品を心の拠り所にしたことついぞなかった。

 

 家具職人をしていた頃は、教会に祈りを捧げに行ったりもしたこともあったが、妻となる女性を初めて見かけた日からはロクに祈りも捧げずどう口説こうか手を組みながら悶々としていたこともある。平時でも異常な場でも、なにかに祈るというのは向いていないのだろうか。

 

 造形の素晴しさはあるが、小さいものでも荷物になりかねない不用品というのはどうだろうか。少し考えていたら、クーラが手をあげた。

 

 「よければ、他にどんなものがあるのか見てみたい」

 

 「そう?なら明日にでも裏の工房に来てみるかい?」

 

 幸いクーラが興味を示したため、こちらからはそれ以上は言わない。人の荷物にケチをつけたくはないし、なによりもできればクーラにはこの街で新しい人生を見つけてほしいと考えている。炎水晶もそうだが、街の文化や芸術に興味を持ってくれるなら願ったりだ。

 

 「でもその前に…そろそろ冷えたかな?」

 

 サグレが立ち上がり、杖をついて台所に向かう。慌ててクーラが立ち上がり、サグレとなにやら話しながら作業に勤しんでいた。その後ろ姿を見ると、母親の手伝いをする年頃の子供のように見えなくもない。

 

 「良い子だよな、クーラちゃん。半獣ってだけで色々言われる立場なのに、すれずによ」

 

 ベレーザが小さい声で話しかけてきた。ベレーザにとってサグレは、昔からいる少しだけ年が上の幼馴染であり、よく遊びに顔をだしに行く仲だったらしい。

 

 しかしサグレは、小さな頃から家から出ずに暗闇の中引きこもりがちだった子のようで、何度冷たくあしらわれたか覚えていないようだ。両親も早死にしているようであり、その病的なまでの肌色と鋭い目つき、やさぐれたような言動。そしてなによりも、陽の光に浴びると急激に体調が悪くなる体質のせいで周囲から冷たい目で見られていたらしい。

 

 ベレーザにとって、それはなんら忌避されるものではなかった。だが、周囲の人間は気味悪がり、親に影響され石を投げるような悪ガキすらいたという。誰にでもある体質という個性で、何故そこまで他者を攻撃できる。ベレーザには、分からなかった。

 

 「先祖がなにかやらかしたからって、その子孫がなにをやらかした訳でもねぇ。誰にだって、石を投げる資格なんてない筈だ。サグレだってそうだ、人と違うことで随分苦労しているうえ今は目も不自由だ。偏見は未だに、消えない。俺は冒険者組合の仕事をこなしつつ、アイツの品物を他所にアピールするまでモスコーの土産物屋は置いてすらくれなかった」

 

 ベレーザのフォークが、ほとんど無くなった鶏肉の香草焼きの残りをまとめて突き刺し、口の中に放り込む。苦い物を飲み干すように酒を煽り、空になった杯をテーブルにそっと置いた。

 

 「被差別階級、奴隷、異端。どこでも聞く話だ。モスコーだって例外ではないか」

 

 「そうだな、むしろモスコーの外はさらに輪をかけてひでぇ。リスムでの人身売買と奴隷の扱いを見て、俺は正直ビビったねぇ…それでも非合法の奴隷オークションよりなんぼかマシなんて話もある」

 

 掲げる大盾で主張したレント=キリュウインの話もある一面では正しい。法改正や法曹にメスが入るまで、消費されていく人命は確かに存在する。ただその道を走りたいのなら、掲げる大盾を抜けて迷惑がかからなくなってから個人でやるべきであるのだが。

 

 「ベレーザこの話の流れから察してほしいことがある。クーラは、強い子だが訳アリだ。出来ればどこか安住の地を見つけてやりたいと思っている。ここは問題は無い訳でもなさそうだが、大抵の土地よりもこのモスコーまだ良い方だと思う。お前みたいな理解者もいてくれているという意味でもな」

 

 「どういうこと…いやそうか、成程」

 

 ベレーザが難しい顔をした。半獣という生い立ちに、親子ではない年の離れた男女の二人旅。薄々ながらなにか事情があるということは前々から思っていたのだろう。理解は、早かった。

 

 「クーラをこの地で根付かせたい。面倒をかけるが、しばらくはベレーザに助けてほしいと思っている。報酬や生活費は、俺の方から前金を用意するし自立するまで定期的に支援をしたいと思っている。お前の生活スタイル、冒険者組合に顔を出したり商人に会ったりしながらモスコーに戻っているんだろ?それに付き合わせ、モスコーに戻る度に少しづつこの地に愛着をもってほしいと思っているんだ」

 

 「いやまあおまっ…そりゃ俺は別にいいがよぉ…クーラちゃんの意思ってのがあんだろ」

 

 「俺のそばにいるよりは幸せだよ。些か以上に訳アリの旅をしていてな、子供を巻き込むようなもんじゃない」

 

 ベレーザは、腕を組み合わせ眉間に皺を寄せる。腕の上をトントンと指で叩き、しばらく考えた後大きくため息をついて首を左右に振った。

 

 「いやダメだ。俺にゃその役目はおえねぇよ」

 

 「報酬はこれから話していくが、俺からできる限りは」

 

 「バッカおまえバッカちげぇよちげぇ」

 

 呆れ果てた目でベレーザはこちらを見てきた。大きく一つため息をつき腕組みをとる。

 

 「事情は知らねぇが、クーラちゃんはお前と離れてたくないように見えるぜ。短い道中でも今日の会話でもそれを感じた。俺の見当違いならすまねぇが、どの道俺は預かれねぇよ。怨まれるのはごめんだぜ」

 

 首の後ろをかき、ベレーザは語る。クーラは感じなくても良い恩を感じついてきているだけだ。すがるものもなく、それでもなにかにすがりたいと。離れたくないというのは、そう見えるからであろう。平和で穏やかな毎日を送ることができれば、ハンデを背負いつつ今まで生き延びてきた賢い彼女ならばどちらの生活に価値があるのか分かる筈だ。

 

 「おや、男二人でコソコソなにを話しているんだい?」

 

 クーラが盆を持ち、サグレと共に戻ってくる。盆から木の杯をテーブルに置くと、内部の白い固形物が振動でプルンと震えた。その中には切り分けられたパインと絞った果汁。緑色のハーブを添えた料理が目の前に運ばれてきた。

 

 「知っているかもしれないが、モスコーは酪農が盛んでもあってね。牛乳から作るヨーグルトに、パインを添えて絞った果汁を混ぜてみたよ。まずくはならない筈さ」

 

 「ヨーグルト、聞いたことはあるが食べるのは初めてだな」

 

 「保存がきかずにダメになるのが早いからね。デザートとして召し上がれ」

 

 サグレに指示を受け、クーラが手伝ったのだろう。平凡な家庭でよくある光景。俺が欲しくても手に入れられなかったもの。この暖かい光景にこそ、クーラはいるべきだとなおさら思ってしまう。

 

 だがベレーザは乗り気ではないようで、出会ったばかりのサグレにいきなりする話でもない。ここは大人しく、引き下がった方が良いだろうか。

 

 「てあれ、杯三つしかねーぞ」

 

 ベレーザが指摘をした。パイン入りのヨーグルトは、クーラの前とベレーザの前、自分の前に置かれているがサグレの分はなかった。

 

 「食が細くてこれ以上はね…なに。いくらヨーグルトの足が速いといっても、明日の朝までは大丈夫さ。折を見て食べさせてもらうよ」

 

 そういえば、サグレはほとんど話してばかりで食事にもロクに手をつけていなかった。それなのにこれすら食べることができないとなると、肌の色と言いなにか病を疑ってしまう。

 

 ベレーザもそれが分かっているのが、なにか言いたげな顔をしているが、客人を招いての食事の場でこれ以上追及したくなかったのか、口をつぐんだ。

 

 「ごめんね、久しぶりの楽しい夕食で、少しはしゃいで疲れてしまったかな。悪いけどベレーザ、それ食べたら客人と共にお引き取り願っていいかい?」

 

 「あ…ああ、まあ。疲れてならしょうがねえよなぁ、何時もより長くは話していた方だし」

 

 「明日に備えて体力を温存させておきたいのさ。ほら、明日は厚く曇り空が貼りそうだろ?偶には私も祭りではしゃぎたいからね。ランザさん、クーラちゃん。今日は本当にありがとう、楽しかったよ」

 

 丁寧にお礼を言い頭を下げる。こうなれば長居をするのは、よろしくはないだろう。ヨーグルトを食べながら、目を細める。舌先が甘みを感じながらも内心は、酸味と甘味の楽しさよりも、何故、気づいてしまったと、気づかなければ良かったと後悔の念が押し寄せてきた。ベレーザに街の異変を尋ねるまでもない。

 

 「ランザさんとクーラちゃんはベレーザのところに泊まるんだろう?クーラちゃん、明日工房に案内してあげる。そこでお守り、一つ貰って行ってね」

 

 「ありがとう、サグレ。」

 

 「それじゃ俺達は行くか。食事、本当に美味しかったよ」

 

 ランザとクーラ、ベレーザは建物から出た。ランザは扉がしまる刹那、色の悪い顔がさらに青ざめるのを見逃してはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰もいなくなった部屋の中、夕食会から数時間は経っただろうか。サグレは何度めかも分からない嗚咽を漏らす。なるべく心配かけないように、それでいて身体の負担にならないように少量ずつをよく噛んで食べた鶏肉や黒パンは既に体外に排出されていたが、それ以上に胃液が拒否反応をおこしなにもでないにも関わらず桶に向け嘔吐の動作を繰り返していた。

 

 「は…はは。もう食事すら間々ならないのか」

 

 暗闇の中で自虐的な笑みを浮かべる。否、暗闇の中ではなかった。明かりを灯し、わざと聞かせるようにつま先を床に叩く。

 

 「誰!?」

 

 「すまんな、忘れ物を取りに来た」

 

 「その声は…ランザさん」

 

 サグレは察した。ランザの声色が忘れ物などという平穏な目的できたことでないことを。サグレは知る。ホルスターから散弾銃を引き抜き、その頭に銃口を向けていた。引き金を引けば、何時でもサグレの脳漿を吹き飛ばすことができる。

 

 「忘れ物は…あったかな?」

 

 「まあな。とんでもなくデカイ忘れ物だったが」

 

 サグレの口からは、二本の鋭い八重歯が覗いていた。上半身の服を脱いでおり、背中がなにか渦巻くように肉が蠢いている。白髪はうっすら金糸が混ざっており、それはまさに人が人ならざるなにかになろうとしている変異の途中であった。

 

 日に弱く色白、食が細く人の食べ物を食べても身体が受け付けず嘔吐してしまう。陽を入れない家具の配置に、曇りの空だからこそ出掛けたりという訴え。

 

 人妖。そう称される前の遥か昔。元人でありながら人外に変異し、伝説の厄災とまで言われた人類史上最悪の敵対種における一角。伝説の怪人、吸血鬼のなりかけを目の前にしていた。

 

 腰の剣、興奮するように震えている。吸血鬼の人妖なのか、テンが介在していない、天然の吸血鬼になろうとしている人間なのかは判断つかない。だが、伝承が正しければ、並みの人妖とは比べ物にならない程遥かに強力な敵対種となる。ここで頭を吹き飛ばしておかなければ、とんでもないことになる。

 

 「殺す?」

 

 「まあな。残念だが」

 

 「残念だと思ってくれる余地があるなら、命乞いをしても良いかな?ランザさんはその為に、わざと足音を鳴らしてくれたんだろう?」

 

 言われて、怯んでしまう。あの台所に並ぶクーラとサグレを見て、見たこともない幻影を心の中に抱いてしまった。成長した自分の娘と妻が台所に並ぶ姿。出来ればそこにテンも加わり、三人で料理を作りなにか手伝おうと声をかけ邪魔だと追い払われる自分。

 

 そんな存在しない過去を幻想してしまい、躊躇なく引き金を引くことができなかった。サグレは手探りでなにかを探し銃口に触れると柔らかく掴み、自分の額に押し付けゆっくりと立ち上がる。何時でも引き金を引いて良いと言わんばかりに急所から離さずにこちらに対峙をした。

 

 「ランザさんの仕事は、私のような存在を狩る仕事だと推測させてもらうよ。そのうえで聞くけど、私は今どんな状況に見える?もう化物みたいな存在なのかな」

 

 「なりかけだ。卵の殻にヒビが入り、これから中からなにかが出てくるだろう、といったところまで変異が進んでいるのが分かる」

 

 「ならもう少しだけ時間が残されている訳だろう?私はね、自殺をするつもりだったんだ。血筋か体質か分からないが、特異な血がこの身体には流れている。両親ですら知らないが、血が頭に教えてくれた。これは遥か昔から流れる血脈の、先祖帰りのようなものであろうとな」

 

 「吸血鬼の子孫…という訳なのか。そんな伝説は」

 

 「まあ聞いたことないだろうね。私も調べてみたが見つけることはできなかった。でも、何故かそういう知識がさらりと頭に入り刻まれていく。これも先祖返りの現象なのだろうかね」

 

 トントンと、自分の頭に指をさし軽くつつく。銃口が未だ額にピッタリとついているのに、どこか達観している様子は、自殺するという宣言通り本当に命を絶つ予定があるものの諦めと余裕に思えた。

 

 「私はね、人を吸い殺してまで生きたくはないよ。でもギリギリ、この祭りまでギリギリ我慢をし間に合わせたんだ。ベレーザと最後に過ごすこの日を迎えたくて、耐えて耐えて耐え抜いてきた。私はね、ベレーザが好きなんだ、なによりも、掛け値なしに。そんな彼と最後の時を過ごしたいというのは、化物の我儘かな?」

 

 人妖であれば、こんな戯言はと無視をして引き金を引いていただろう。だが目の前の存在は、あやふやなものの未だ人間、少なくとも理性は人の域にいるように思える。そんな存在からの、愛する人と最後を過ごしたいという願い。

 

 「人の血を…吸ったことは?」

 

 「あったら私は、とっくに名実ともに吸血鬼だろうね」

 

 それでも殺せ。殺さなければならない。悲劇を否応なく呼び寄せる人妖を何度見てきた。吸血鬼が伝承通りの怪物であるならば、それよりもさらに上の惨劇が巻き起こるだろう。引け、引き金を引いてしまえ。人間性など捨てろ。今まで何度痛い目をみてきた!

 

 「祭りの最終日の夜、ベレーザはモスコーから離れることになっている。その後私は自殺するし、もし良ければ介錯に付き合ってほしい。いざという時、万が一にでも怯んで失敗したらいけないからね。だからどうか、聞き入れてくれないか?多分生まれて初めての、我儘なんだ」

 

 懇願するような、潤んだ瞳。思い出せ、今まで何度あった。人外の言葉を聞いて痛い目にあったことが何度あった。サグレの発言を信用し、後におこる悲劇の種を摘み取らず後悔するのはどこの誰だ。いや後悔できればまだ良い、伝説に語られるような化物と対峙して生きている保証はあるのか。

 

 引いてしまえ、引き金を。まだ人間であるうちに引き金を引いて脳をぶちまけてしまえば、世は事もなし。ベレーザには申し訳ないが、リスクを天秤にかければここで殺してしまった方が、後に怨まれてしまうが、それで良い。さあ、引けっ引けっ!殺せ!

 

 グッ…と息が詰まる。ランザは力なく後ろによろめき、床に座り込んだ。銃口から指は離れていないが、銃口は当然額から離れ無意味な方向に向いていた。殺せない、今は殺せない。彼女は、人間だ。こんななりでも、まだ人間なのだ。死ぬ覚悟を固め、それでもベレーザとの時間の為に耐え忍ぶ人なんだ。非情に、なりきれない。

 

 「ありがとう」

 

 サグレは微笑みを浮かべ、しゃがみこむ。こちらの手を両手で掴み、頬に当てて少し撫でた。冷たい感触、そしてサグレの手が震えているのが分かる。

 

 「暖かい手、貴方はやっぱり人間ね。それも暖かい人」

 

 「暖かい手の人間は、心が冷たいなんて話を聞いたことがあるけどな」

 

 「それ、初耳だよ。でも貴方は違う、本当にありがとう」

 

 ありがとう、という言葉には確かに暖かな感情と感謝の気持ちが籠っていた。引き金を、引けなかった。それは人間性という意味では褒められたことかもしれないが、まだ自分が甘いのではないかと不安に苛まれる。

 

 それでも、愛する人と最後を過ごしたいと願う気持ちに、なにか意義というか、意味をみいだしたかったのかもしれない。今まで散々情に流され裏目に出てしまったのに、何故まだ俺は、非情に徹し切れていないのか。乾いた笑みが自然と顔に張り付いた。

 

 我ながら、学習しない奴だ。

 

  

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