家族の仇は、娘でした 作:樫鳥
家の裏側にあった小さな工房。様々な種類の彫刻刀がキチンと整理されしまわれており、作業台の上には小さな木板が幾つか残っていた。作業途中の作品なのか板よりも少し小さい薄く短い布がかけられており、表面になにが彫られているのかは分からない。
作品展示をしているのか、壁にはこれまで造られた作品がケースに入り飾られていた。四季の花、大空を飛ぶ鳥、銃火器と剣が交差された盾のように大きな吊るし看板、犬の頭に乗る子猫、交差するように絡み合う蛇。販売用のお守りを造る傍ら、最近は武器屋の看板等様々な依頼が来ているようであり様々な彫刻作品が並んでいる。
「売買先が決まっているのは、明日ベレーザが持って依頼人に届けに行くんだ。選べないからほしいのがあったら特徴を教えてね。判断するよ」
サグレの一声に、クーラは壁を端から端まで目を通す。どれも素晴らしい出来であるが、一通り考えてから口を開く。大きさといい、お守りの祈願内容といい、昨日の作品が思い当たる。
「馬が良い。昨日見せてもらった、小さいやつ」
「あれかい?旅人のお守りだね。苦をせず労もなく旅先に辿り着けるようにって願いを込めて。確かに君達二人には良いかもしれない、荷物にならないし、なんなら首飾りにでも加工しようか?」
「それは良いかも。お願いしていい?サグレ」
「大した手間じゃないしささっと今日中に仕上げるよ。明日渡すから、楽しみにしていてね」
手先が器用なのだろう、サグレは提案に甘えさせてもらう。苦もなく労もなくとはいえないだろうけど、隣を歩いていきたいというちょっとした意思の自己表示。意味が通じるかどうかは分からないけど、通じてくれたら嬉しいなと思う。
ランザは、一人旅に戻りたがっているように見える。脈絡もなく投げ捨てるような扱いはしないつもりであるようだが、それでも何時ふらりといなくなってもおかしくはない。人妖を追うと、彼は言うが、何故人妖を追うのか。目的は話してくれても理由を聞けてはいない。
その理由は、タブーに触れそうな気がして未だ聞けずにいた。なにかの弾みで捨てられてしまいそうな、気がするからだ。
「良い人だよね」
「え?」
「ランザさん、彼は良い人だ。昨日会ったばかりだけどそれは、分かるよ。でも脆い人のようにも感じた」
サグレは手探りで腕を伸ばし、腕に触り、肩にポンと手を置いた。そして綺麗な笑みを浮かべ、何度か肩を叩く。
「でも男なんて勝手なんだから、なにを言われても折れたらダメだよ。支えてあげな、クーラがね」
「ぅ…ん」
サグレ自身、今まで様々な障害に立ち向かい乗り越えてきた強い女性なのだろう。言われたことはストンと心に落ちてきたが、同時にまだまだ支えられる程の力がないため強くならなければいけない。そしてなにやら、ちょっと照れくさい。
「さ、男連中二人にして残していたら、悪巧みくらいしか考えないんだ。二人のところに行こうかな」
作品を鑑賞してから工房から出る。家の裏口は小さな庭になっており、雨避けの屋根が張られた通路を通じて家と繋がっていた。家には入らず隣家との間にできた狭い道を通り玄関側に戻る。ベレーザとランザがそれぞれなにか話をしながら待機をしており二人がこちらに気づいたのか顔を向けてきた。
ベレーザがランザに少しだけ話した後こちらに近づき、遮光の効果が強い黒色の日傘を差し出す。受け取るサグレは傘を開き、曇天のなか躍り出た。
彫刻家らしく作業用エプロン姿が多いらしいサグレも、今日のような町娘の姿をするのは珍しい。帝都で今流行りのロングスカートは、白を基調にした上着もあいまり清楚なお嬢さんといったところだ。
ランザの元に近づくと、彼は難しい顔をしていた。なにかを堪えるような、抑え込むような複雑な顔をしながら腕を組んでいる。
「ランザ、今日は」
「朝伝えた通り別行動だ。用事を片付けなければいけないからな」
ベレーザが非難の目を向けてきたが、ランザは気づかないふりをする。懐から革袋を取り出しクーラに渡す。金属がこすれる音とそれなりの重み、要するに貨幣が入っていた。
「子供が来るところじゃない、これで今日は一日祭りを楽しめ」
「一人で祭りを…ううん。分かった」
口から出そうとした言葉を、呑みこむ。一人で祭りを楽しむことなどできない、それよりも役に立ちたい。だがしかし、ランザの重く苦しい雰囲気がそんな言葉を放つことを許さない。
「じゃあ、俺等と来るか?」
見かねたベレーザが助け舟をだすが、首を左右に振る。この二人のせっかくの楽しみを邪魔をする気にはなれない。それに、一人ででも動いて情報を集め、人妖に繋がる話を掴めばランザに貢献したことになる。
「子供は子供で楽しんで来るよ。じゃあねベレーザ、サグレ、ランザ」
石の手すりに飛び乗り、飛び降りる。着地してから上を見ると、ベレーザが慌てたように覗き込んでいたが、なんでもないと軽く手を振ってから賑やかな通りに向け歩きだした。
向かう先としての候補は、昨日巡らなかったところ。例えば職人街や低地通りの住宅街。職人街では昨日見た炎水晶や彫刻等様々な商品が観光客向けに並べられており、土産物や仕入れを行う外から来た人間が多く集まる。低地通りも露店が存在しているのが、昨日尖塔から街を一望した時確認できたためその二つを中心に巡ってみても良いだろう。
職人通りまでまっすぐ歩き、中に入る。普段ならば親方と工房の徒弟達が働く場も、この祭りの期間に限ってはまるで市場のようである。様々な色の炎水晶や神や動物をかたどった彫刻を眺めながら歩き、時折年若い地元住民と思われる店番を押し付けられた見習いを見つけては声をかける。
商品の質問から入り、上手く糸口を見つけだして世間話から街の様子で変わったことはないか聞く。まあこの祭りじたいが日常である普段とは違うことであるため、上手いこと目当ての情報にありつけず小さな欠片のような炎水晶を礼儀として購入し店を出る。炎水晶の欠片を荷物袋にしまうと、袋がシャリシャリと音をたてた。まったく買いすぎたか。
奥で目を光らせている親方に、散々無駄話をした挙句売り上げ無しで逃げられるなんてなにをしていやがると、ぶん殴られるのを防ぐためだ。店番の坊主に話しかけるなら、情けと思いなにかを買ってやらなければいけない。まったくどこの世界も、見習いは辛い。まあこれも、昨日の酒の席でベレーザに聞いた話ではるのだが。
そんな調子で職人通りを歩いて行くと、銃のショップを発見した。工房と一体化している店であるらしく、祭りらしく『期間限定特別価格!』などといった触れ込みがあちこちに書かれていた。
リザードマン討伐の報酬や、小遣いをもらっていたとしても、銃は自分には手が出せない程高い。そりゃあ使い捨てのような安物なら買えないこともないが、そういったものは精度が悪かったり暴発の危険がありロクなものではないというのは、銃素人の自分でも知っている。
だけどまあ見るくらいなら、そう思い扉を開く。狩猟用ライフル、速射用短銃、大型の散弾銃、店の中を所せましと壁や木でできたショーケースに銃が飾られていた。馴染みが深いのはランザが持っている散弾銃だが、この店に置いてあるのは軽量化と取り回しを重視したものより安定性を高めたストックがしっかり付いたものばかりだった。
考えてみれば、普通に射撃すれば両手でなお凄まじい反動が来る筈なのに、軽量化し衝撃がモロに襲う散弾銃を片手で振り回し射撃をし、あまつさえリザードマン相手に鈍器のように殴りつけていた。ああ見えて、意外とかなりの筋肉質らしい。それだけで片付けて良い疑問なのか半ば疑問だが、考えも仕方ないのでそれで良しとしておいた。
「やはり帝都の品質に比べるとダメね。田舎の玩具じゃ興味が惹かれないわ」
フードの中、耳がかすかに動く。店の奥川、試射室と書かれた看板がぶら下がった木製の扉が開き、栗毛の女性が現れる。肩に背負われたのは、オーデン技術連合の最新式軽量化ライフル『射殺すレグザス』に腰にぶら下がっているのは同連合所属の鍛冶職人が叩いた見事な彫刻が鞘に施されたロングソード。
オーデン技術連合の銃職人達は、なにやら大仰な名前をつけたがる。型番だと味気ないのだが、たかだが飛び道具にそんな珍妙な名前は必要なのかと疑問に思わずにはいられない。
と、数日前、レントの元にいた頃はそんなことを考えていたものだが、今は違う。なんでこの女がこの街にいる、腰巾着がここにいるということは、この街にレントも来ているのか。
「あら、獣臭いと思ったら。どら猫が迷い込んでいたのね」
「ご挨拶だね」
見下す視線と、冷たい視線が交差する。帝都大物議員の一人娘にして、手に負えない放蕩娘。少しカールした栗毛と仕立ての良い洋服に身を包んだカリナ=イコライが侮蔑と敵意を含んだ眼差しを向けてきた。
このカリナという女、自分がレントの元にいた頃から悪意を持つ視線を投げかけ度々口論をしかけてきたものだ。レントの目があるところでは抑えめではあったが、よく悪意ある罵倒や差別をぶつけ嫌がらせをしてきたことを覚えている。
もっともこちらとしては、気にしている余裕もなかった。レントの敵を暗殺することや周辺の情報を集める役目を担い、相手をしている暇もあまりなかったからだ。
かろうじて同じ男を慕う仲間といった間柄、かろうじて大きな衝突はなかったが…あの視線は典型的な差別の視線。半獣である自分を憎らしく、今は裏切者として汚らわしく見てくる。
「こんなところで裏切者に会うなんて厄日かしら?まあここには暴発しやすい安物が沢山ある、不慮の事故でもおこってしまうかもしれないわね。不運な事故がおきれば、それを見て僥倖だと笑えるかもね」
「その不運な事故の当事者になりたいのか。祭りの最中、普段よりもトラブルに敏感だろう。それが例え偶然の事故であっても、立会人のお前は自由に動けないよ。レントの傍にいれないね」
「なっ!」
顔がこわばり、みるみる赤くなる。なにやら何時もより沸点が低い?
「ああ、もしかしてレントはいないのかな。腰巾着の君が傍にいられないなんて、用済み判定でもされたい?あ、カリナはレントに名前を呼ばれたことがある?名前呼ばわりは最初だけで、もしかして今は『君』としか呼ばれていなかったりして」
レントの周囲には、続々と新しい女性の取り巻きが増えていった。帝都の大物議員の娘といっても、父が立派なだけで彼女自身に目立つ能力は自分が見る限りはない、もっとも彼女も加護は受けている。自分が持っていたテイム同様、なにかしら異様な力を秘めている筈だ。
揉め事はまずい、だが以前から続く犬猿の仲、滑り出した口は最後まで止まらない。
「ああ、ごめん。図星かな?」
「この…ケダモノォ!」
カリナが叫び声をあげ掴みががってくる。フードを掴もうとしたのか、ギルドの時と同じ轍を踏む訳にはいかない。一歩後ろに下がり手を回避する。やはり余裕がない、こんなにキレやすかった記憶はないのだが。
「レントに救ってもらった癖に、この恩知らず!薄汚い半獣、先祖が獣姦した結果できた存在の癖してこのあたしにこれ以上喋りかけるな!」
周囲から注目が集まる。まずい、いくらなんでも何時もと比べ沸点が低すぎる。レントが近くにいない時でさえもう少し嫌味の応酬が続いたものなのだ。もしかして、図星かなとは言ったものの話した内容全て本当に的を射ていたとでもいうのか。
「店主!店主!あの娘半獣よ!まったく汚らしい、この店の評判を落としに送られて来たに決まっている!袋にしてつまみ出してよ…早く!」
口五月蠅いお嬢様育ちに、作品である銃を暴発しやすい安物と言われ、祭りの賑やかな日に無駄ないさかいをおこさぬよう我慢していた店の者達。そのストレスのはけ口である半獣という、誰も文句を言わない暴力の対象を目の前に腕を鳴らしながら前に出る。
前から二人、横から一人。威圧はもとより、またあの目だ。ギルドの連中達と同じ、汚らしい物を見る視線。今は傍らにランザやベレーザがいない。屈強な男三人相手に勝てる訳がない。
掴みかかる腕をかわし店を飛び出す、後ろから何時までも嫌悪の視線が追いかけてきているような気がしたが、今はそれに構わず走り続ける。
たった一人で、沢山の嫌悪の視線にさらされる。だだ一人でそれを受けるのは、自分が考えている以上に堪えてしまう。職人街を抜けしばらく走った後、もうこれ以上誰も追いかけてこないことを確認してから動揺を抑えようと胸に手を当てる。
半獣。我がことながら何故こんな存在が世に産まれ落ちたのか分からない。両親の記憶はない、いった自分はなにから産まれ落ちてしまったというのだろうか。
もしランザから見捨てられてしまったら、自分はこの悪意による重圧に耐えることができるのだろうか。分からない、分からない、怖い。動悸が止まらない、何故。怖い怖い怖い。離れたくない、今すぐ走り出してランザの元に向かいたい。怖い。なんでこんなに落ち着かない。何時もならもう、怖い、クソッダメだ、まずは息を。
「もし」
声をかけられ、慌てて顔をあげる。声をかけてきたのは女性のようだった。見慣れないどこかのゆったりとした民族衣装に身を包み、綺麗な銀髪とまるで彫刻のような白い肌と整った顔をしていた。
「大丈夫ですか?」
「はっ…はっ…あっ…はっ」
大丈夫、と言おうとしたが乱れた呼吸が留まらない。なんとかジェスチャーをしたが、自分を客観視しても大丈夫には見えないだろう。
「無理はしてはいけません。私、今この街で祭りの期間占いをしています。冷たいものをだしますから、少し休憩していってください。大丈夫、無理矢理占ってお金なんてとりませんよ」
手の甲を柔らかく掴まれる。振りほどくのは簡単に思えたが、何故か反発する気が湧いてこない。青いテントに案内され、中に通される。月夜を模した天幕のなか、占い師らしく水晶やタロットといったいかにもなアイテムが置かれたテーブル、その対面の椅子に案内された。
「祭りなのにお客様が少ないのです。みなさん、占いには興味がないのかしら?だから気にしないで休んでくださいね」
銀色の水差しから、透明な杯に水が注がれる。渡された杯を見ると、驚くことにガラス製だ。壊れやすいガラス製品の杯は、職人が一つ一つを手作りする為高価なものである。庶民でも無理すれば買えないことはないが贅沢品の分類だ。一般家庭の普及率は低い。
水を一口飲む。まるでつい先ほど井戸から組んできたばかりのような、もしくは魔術具で冷やしていたかのような冷たい水だ。一口飲んでからはとまらない、貪るように水を飲み走ったせいで身体から立ち昇る熱を冷ます。
「ぷっは…美味しい。」
「それは良かった。さあ、もう一杯いかがですか?」
空になった杯に水がさらに注がれる。それを飲む度、冷たさが身体に染みこんでいく。味のない水の筈なのに、冷たさ以上に美味しく感じられた。
「ごちそうさま、ありがとう占い師さん」
「ふふ、占い師さんですか。ふむ…そうですね。占い師らしく名前をあてて見せましょうか?……んん、クーラさん。でもこれは本当の名前ではなさそうですね。貴女の本当の名前は…自分でも分からない?」
思わず椅子から立ち上がる。だがしかし、占い師は小首を傾げながら純朴そうな笑顔を向けてきた。なんだか毒気を抜かれ、座り込んでしまう。
「正解だけど、占いなんてものは残念ながら信じていない。自分を知っていて、声をかけてきた?」
「さてどうでしょうか。ですが一つ言うのであれば、実のところ私自身占いなんてものは、あまり好んでいないのですよ。当たるも八卦当たらぬも八卦なんて、無責任な言い回しだと思いませんか?」
「さあ、それは知らないけど、占い師が占いを嫌いなんてそんな…」
頭が、揺れる。なんだ、と考えるまでもなく視界がなにやらトロンとふやけるように歪んできた。疲労?いや違う、まさか毒でも盛られたか。揺れる頭を手で押さえながらテンを見ると、瞳がなにやら怪しくピンク光っているように見える。先程まで、水色だったと思ったのに。
思考までふやけ、考えがまとまらない。身体に力が入らずただ座ったまま、目の前の女性と対峙することしかできない。
「占いではありませんが、私はあなたを知っています。羨ましい、妬ましい、私ですらまだされたことがないのに」
異装から覗く陶器のように白い腕、細く滑らかな腕を占い師は掲げる。そして、少しの力でへし折れてしまいそうな自分の細い首元に指をかけキュッと絞める。悪意のある半月の笑み、苦しくない筈なのにその姿を見ているだけで何故かまた息がまた乱れてくる。
「なっ…にを言って」
「ケダモノ」
占い師が微笑み、首に手をかける腕とは反対の手を軽く振るう。どこから出したのか、夜空と月の扇が宙を舞い落下。それにほんの僅かな間視線を向け、すぐに相手の方を向いた瞬間対面から相手は消えていた。
首に回る冷たい感覚、背後から伸びた人差し指から小指までの八本が、ナメクジのように首にまとわりつく。何時背後に回られたと、ショートソードを掴もうとするが、力が抜けた身体は意思による命令に反して遅く、逆にしっかりと身につけられていた筈の武装の類が音を立てて落下した。
指に力は込められていないのに、酸欠のような感覚が身体を襲う。苦しいが何故か分かる、これは続けたところで死ぬようなものではない。だがしかし、抜け出せない。身体が言うことを聞いてくれない。耳元に生暖かい息がかかる。フードも外され、獣の耳が露出をしていた。
「華奢な身体を力づくで抑えられ、キュウッと首を絞められる。あら大変、命の危機だというのに何故貴女はあんなにも興奮したのでしょうか。普通は違いますよね?怖いですよね?苦しいですよね?辛いですよね?しかしながら、どういったことでしょう」
背後からの感覚が消える。椅子とテーブルが消滅したと思ったらどこかも知れぬ森林の中にいた。いやこれは違う、見覚えがある。リスムから近いキラービーやクイーンビーの縄張り近く。ランザと戦闘を行ったあの森の中にあった広場だ。雑草の上にはキラービーの死体が散乱している。
衝撃、首になにかがフワフワとしたなにかが巻き付き締め上げられる。身体が宙に浮かび、見下ろせばテンが扇で口元を隠しながら臀部から生える尻尾で締め上げてきた。あの夜にはなかった満月と月明が幻想的にテンとクーラを照らし出す。
「貴女はお父様に助けていただいた。キラービーから庇ってもらい、背中に隠してもらいながらお父様が戦っているのを見た。ああ、本当に羨ましいです、妬ましいです。お父様の愛憎を一身に受けた幸福な身であれど、届かぬ果実を見てしまえば、無理だと思いつつ何故こうまでも手を伸ばしたくなるというものか。私はもうその役を担えないのです」
尻尾が緩み、離れる。落下し柔らかいものに尻を打ち付けそのまま仰向けに転がった。酸素を求め大きく呼吸をしようとした瞬間、正面から首を抑えられ体重をかけられる。掲げる大盾、職員用仮眠室は窓から入る月明かりに照らされた。
異装を着崩し、胸の上半分と肩が露出している。紅潮した頬、愉悦と悪意が入り混じる瞳でこちらを見下ろし締め上げる。
「そして、興奮したでしょう?あの瞳で射竦められれば命の危機等些細なこと。ああなるように私が丹念に丁寧に育てたのですよ?数ある惨劇、悲劇、嗚咽。本来存在しなかった筈のありとあらゆる不運は、自分の娘が巻き起こしたもの!そして今の力ではそんな娘を討ち果たすことなどできはしない!無力と諦観、でも絶望は決してしない。汚れ腐れても輝く黒宝こそあの瞳!ねえ、最高だったでしょう?甘美でしょう?幼子を殺してしまい悪意と悪夢に苛まれた直後の余裕がないお父様に見られながら首を締め上げ、締め上げ、締め上げ、絞め殺されるのは!私は本当に妬ましい!あと少しで貴女は、幸せの中で逝けたのです!」
ははは、狂っている。この女は。この女こそが、ランザが話したがらない旅の、人妖を狩る理由なんだ。あんな目を、瞳を育てるなんて。ランザは少なくとも、子供を殺したがらない理性が残っている。そんな人間らしい感覚を残しつつ、亡者のような瞳にするなんて。
狂っている、自分は。焼き印を押され、暴行を受け、侮蔑の視線を向けられ生きてきた。だが、あれ程強烈な感情をぶつけられたことはない。痛みに耐性はできたと思っていた。敵意にも。だがそれを軽く超える程の衝撃。薄いベールで護られた心の中に突き刺さる心地の良い視線に乗せられた殺意。
多分、自分は笑った。それを見て、テンが微笑み返す。視界が暗転し、あのテントの中に戻る。テーブルを挟み向かい合う二人の顔には、笑みが張り付いていた。あの目は、貴女が作ったのか。
「いらっしゃい」
占い師が、手招きをした。なにも考えられないが、とにかく従わなければならないと思った。何故?知らない。
膝上にまぬかれ、その上に腰を降ろす。視界の端に数本の銀色の尻尾が揺らめいているのが見えた。
「許します」
後ろから抱きすくめられ、ピクンと身体が跳ねた。許された、嬉しい。二つの単語だけが頭の中をグルグルと巡り続ける。
「クーラ、貴女はもうお父様のぺットです。そうであるならば、私の愛玩動物でもあります。家族なのですから。その代わり役に立ってもらいます。お父様に、捨てられてしまわないようにおまじないもかけておきましょう」
「役…に?」
「ええ、ご褒美もあげますよ。想像してみて」
指先が下腹部に伸びる。黒いシャツに一枚隔て、優しく淫靡に指先を立てて撫でまわされた。
「貴女の前には傷だらけのお父様。何時死んでもおかしくないような重症だけど、それでもまだ生きて両の足で立っている。向けられているのは、殺意。受け入れましょう?受け入れて。ほら来た、分厚い皮膚に覆われたゴツゴツした指が拳の形を作り、ここに叩きこまれる」
人差し指、中指、薬指が押し込まれる。子猫のような悲鳴をあげ身をよじるが、柔らかく幾本にも増えた尻尾が四肢を拘束しているため動けない。尻尾の一本が首に巻き付きながら登り、耳に近づく。耳の中に生えた短い柔毛を押しのけ中に、ありえない話の筈だが、まるで尻尾は半規管や蝸牛を貫通し脳内を直接まさぐられているような感覚がした。
「やめてって身体が叫びますよね。そこは女の子にとって大事な場所があるところですから。でもおかしいですね、クーラの心は喜んでいる。何故でしょうね?自分が一番良く知っている。役に立てない自分は、こうされるべきだ、こうされて嬉しい、存在している意味があると実感が湧いてくる」
脳内をまさぐられているような感覚とは別に、反対側からは生暖かい吐息まじりの解説。頭が白く染まり、背筋がまっすぐ伸びる。いやいやと首を振ろうにも、それが本心からの行動かとちぐはぐな感情が問いをなげかけてきた。そんな葛藤とは無関係に語り掛けは続く。
「ほら、人差し指と中指に手がかけられました。利き手の指、武器を握るには欠かせない。それを破壊して優位を崩さないようにしようとしていますね。キュウッと握られ、可動域の限界まで力込められる。やめてって言ってみた?言ってないですよね、嬉しいんですから。ほらもう少し、後少しで…バキッ」
存在しない痛みが指先から身体中に駆け巡る。頭がのけぞり天井を向き、だらしなく口が半開きとなった。これじゃ役に立てない。でも嬉しい、彼にそうされることが嬉しくて仕方ない。
「ほかにも色々してもらいたいけど時間が来ちゃう。名残惜しいけど、終わりは来るもの。最初のご褒美なんてそんなもの。お父様はクーラ、貴女の肢体を壁に押し付けた。憎悪の視線。心地いいですね。さあ、二本の腕が首に近づき、親指が喉に食い込む。身体が浮き上がる。足をバタバタさせるも床に届かない。二人だけの世界で、誰に見られることなく存分に絞められ、甘美な感触のなか…殺される」
身体が痙攣、力なくうなだれ全ての体重をテンに預ける。それを優しく受け止め、頭を撫で、テンはささやいた。
「ああもうハッハッハッとだらしなく口を開けて、喜んで。でも良いのですよ、貴女はそれで。畜生となりなさい、ケダモノで良いのです、半獣のなにが悪いのですか。その力を振るい、お父様の助になる。そして私の役に立つ。それが貴女の産まれた理由なんですから」
「りゆう…りゆう」
「そう、理由です。そうすれば、この光景を見せてあげます。私からの偶にのご褒美として。そうですね、じゃあ今夜聞き分けよくお利巧にお話を聞いてくれた褒に、仮想の世界で見せてあげます。楽しんでくださいね。だから役に立つのですよ」
「うん」
「良い子ですよ、クーラ。私の家族。今は全て忘れましょう。大丈夫、もう貴女の魂には刻みましたから、安心してください。人格を弄ることもしないでおいてあげましょう。その代わり…」
頭の中に直接衝撃のようなものを感じ、クーラの意識はそこで飛ぶ。耳から尻尾が引き抜かれ、四肢を拘束していた尻尾も離れ、クッタリとした幼い身体は疲労困憊といった様子で寝息をたてていた。
「未だ私の知らないお父様。たっぷりと引き出し私に見せてください。それだけが、貴女が存在して良い理由なのですから」
「はえ!?」
起き上がる。ここはどこ?すぐに理解できた、公園のベンチだ。慌てて身体をまさぐる。フードはとれていない、尻尾の露出もない。頭が少し重いくらいだ。時間を確かめるまでもない、日は既に暮れかかっていた。工房から飛び出してから記憶がない、なんでこんなところでグースカしていたんだ?
「え…あれ…今日はなにを、私はどこに」
私、あれ、いや自分だ、うん。まいった、まるで自分なのに自分じゃないような。自分が誰かになっていたかのような錯覚まであるなんて。どうかしている、しっかりしないといけないのに。
「成果ゼロ…か。まさか寝過ごして情報をあげられずなんて、口が裂けても言えないな」
ため息をつき、立ち上がる。夕飯もどこかで食べてくるように託られているので、どこか適当な屋台ですますことにしよう。幸い祭り期間は、食う場所に困らない。
食事と摂ったら、もう一回り情報を集めてみることにしよう。自分は役に立つとアピールすると決めたんだ。それなのに一日中寝ていたんだから、自分で自分をぶん殴りたくなるが、それでも取り返すだけの行動をしなければ。