家族の仇は、娘でした 作:樫鳥
日差しが強い。喉が渇きを訴え、視界が片眼の視界が霞むような感覚すら覚えた。背中の背嚢には大量の重り。
「リハビリの難易度、高くない?」
森での一戦から、数ヵ月の治療を経てこうして訛ってしまった身体をほぐし、あの絶壁対策をしているのだがやり方が戦闘民族並みだ。まあ、フルークはその戦闘民族だったんだけど。
ただの崖昇りならば、こう見えて元々諜報畑だ。国境線を越える為に谷越えや崖越えを何度もこなしてきた。だがあの高さの霊峰となると、頂上付近は酸素が薄いし装備の重量を考えて昇らなければならないということだ。気温があがってきた現在の気候だが、高い場所では寒さも体力を削るという。
「しかも……道具禁止ときたもんだ」
ピックやロープの類は禁止。岩肌にある僅かな窪みや出っ張りを見つけて指をかける。目の前だけではなく先々まで目を向け、ルートを脳内で構築していく。道順を誤れば、この危険地帯を戻るはめになる。色んな意味でキツすぎる。
焦らず、少しずつ少しずつ進んでいく。このまま順調に進めれば、もう数分後には登攀が成功
「イ゛ッ!?」
左手をかけた岩が崩れて落ちた。ついでに足もずり落ち、右手のみで全体重と荷重を支えるはめになった。パラパラと落ちていく砕けた小石の後を追うのだけは避けたいところだが、このままでは時間の問題だ。
「こん…にゃろ!」
影が伸び、岩肌に突き刺さる。人体と重りを支えられれる程力強い訳ではないが、速攻で岩を削り落とし新たな溝を作る。左手と左足を溝に突き刺して体重を支えることができた。暑さとは別の冷や汗が、額から流れ落ちる。
これ以上時間をかけてはいられない。これ以上時間をかければ集中力が途切れ、今のような対応ができないかもしれない。影術を使い登攀しやすいルートを構築し、ペースを速めて昇っていく。
「ズルをしたな」
もう少しで登攀完了、というところでフルークが腕組をしながら立っていた。実はこの男、自分と同じタイミングで別の場所から登攀を開始していたのだが昇りきるのが早すぎる。実は、即引き返して普通に道を歩いたのではないかと疑いたくなる程だ。
元々趣味で傭兵活動をしていたような戦闘狂共の一員だ。時にはセオリーを外して道なき道を進み、意表をつくように攻め込むこともあったのだろう。フルークの登攀能力は、それなりに訓練を積んだ自分と比べてもとてつもない差であった。
「道具は使っていないけど?」
「素の持久力と進行方向を見極める状況把握力を鍛えるのがこの訓練の目的だ。影術の応用という判断能力は良いが、便利な能力や使い勝手の良い道具で楽をすれば前提が崩れるので無しだ。なんの為に道具を禁止したと思っているんだ」
フルークが鉄製の水筒を開ける。真上で逆さにされ、ジョボジョボと零れた水が顔面にかかった。貴重な水分を文字通り浴びるように飲まされる。わざわざ登攀する前から水分補給を促されるということは、そういうことなのだろう。この戦闘民族め。
「スパルタすぎない?」
「これがウォーリアバニー流だ。それで良いと言ったのは、お前だろ?」
「決めた。これあがったら近接戦闘訓練しようよ。ぶっ飛ばす」
「昇ってこれたらな」
足裏が迫る。スタンピングを腕を交差させることで防ぐ為、崖の岩から指を離さずえなかった。重力に従い落ち、崖上が遠のいていく。怒りは後でぶつけるとして、まずは何処かに捕まることが先だ。鞘をつけたまま固定した直刀を岩肌に突き刺す。腕力で重力に抵抗し、壁を削りながらようやく停止した。
空が更に遠のいたが、腕が伸びる範囲で進まなければならない。
「早朝からマラソン、各種筋トレ、武器在りの模擬戦闘、崖昇り、格闘術。ウォーリアバニーの毎日って地獄だね。流石全滅寸前まで戦闘狂の絶滅危惧種だよ」
「近接格闘術に関しては、お前が言い出したことだろうが。だが、どうやら武器無しでの戦いに関しての技術はそちらに一日の長があるようだ。武器術なら負けるつもりはないが、格闘戦で戦い辛いのは良い刺激となる。これでも、戦闘行為から遠のいていたからな」
「涼しい顔してよく言うよ」
草に覆われた地面に寝ころび、肩で息をしているこちらに比べフルークは井戸から水を汲んで来る程の余裕を見せている。再度ベッドでしばらくを過ごしたというのもあるが、体力と身体の基礎構造の違いを感じた。ついでに言えば、この訓練を毎日した後平然と狩り用の仕掛けた罠の確認に出かけ仕事もこなしていた。
億劫な身体をおこし、汲んできてもらった水をもらう。よく冷えた水が喉元を通る度に、生き返るような気がした。
「しばらく休憩していろ。罠の様子を見て来る」
格闘術に関しては此方の方が上と言いながら、恵まれた体躯と長い手足に天然と努力による膂力。格闘術に関してもまったくの素人という訳ではない。むしろ、本人の言だが首折りや心臓抜きに目潰し、重装備相手の関節技等、大味だが一撃必殺になりえる技ばかり習得しており組手では使い辛いという話だ。
「向こうはこちらを立てるけど、四六時中殺し合いばかり考えている戦闘民族が格闘術未修得な訳がないんだよねぇ」
再度空を見上げる。青空が広がり、気温も高くなってきた。身体も前より動けるようになってきた。体重は増加したようだけど、筋肉が増えただけだし余計な筋肉は付けないように考えて身体を鍛えてきた。そろそろあの絶壁に挑戦する頃合いだろう。
しばらく休憩した後、起き上がる。フルークが戻ってきた時の昼食の準備をしておく為だ。
野外の調理場に立つ。火をおこしながらなにを作ろうかと考えを巡らせるが、肉を焼くくらいしか出てこない。といっても、ここに来てから塩味以外の味付けも多くなってきた。そもそも、この山間部では海が遠いせいか塩が高い。その代わりに重宝されているのは辛みのある香辛料やトウガラシなのだ。
リスムや帝国では香辛料は高価で貴重品であったが、この国では種類は限定されてしまうがさして貴重なものではない。標高が高い故に、それに適応した種類が育つ。輸送する為の加工や人足代を考え無くても良い故に低価格なのだろうか。
「肉をパンで挟むだけで良いかな?洗い物の少なくなるし。でも、野菜いれないと怒るんだよなぁ」
少し考えた後、まな板を引っぱりだす。火がおこり始め、厚切りの肉を焼いている間によく砥がれた包丁でトマトを輪切りにした。葉野菜も適当に千切っておく。兎は草食性である為かフルークは量がどうだの煩いからわりと多めに用意をした。
ついでにフライパンでニンジンでも焼いておこうと思ったが、やめる。崖上から靴裏で踏みつけにされたことが脳裏をよぎったからだ。洗い物の増えて面倒くさいし。とはいえ、せっかく火をおこしたのだからなにかついでに焼こうかなとも思う。
しばらく考えて、だったらフライパンじゃなくても良いかと思い直す。ニンジンを串に刺して皮ごと焼いてやろうかとも思ったが、あの根菜は火の通りが思いのほか悪いから面倒くさい。代わりに玉ねぎを焚火のすぐ傍に放り込んでおいた。
因みに本物の猫に玉ねぎを食べさせてはいけない。半獣ならば大丈夫であるが。まあ、自分から好き好んで玉ねぎ食べる猫なんている訳はないか。
肉が焼きあがる頃合いで、フルークが戻ってきた。兎の耳を持ちながら三羽の獲物を持ち帰る。共食い、と一瞬考えてしまえば自分だって食べるものがなければ猫くらい普通に食べるだろう。味はあまりよくはなさそうではあるけれど。
「お前が作る物は、何時もそれだな。後肉の筋を切らないで焼いただろう?何時もきっていないからな」
「細かくない?」
「好きな人にも同じものをだすつもりか?」
言葉に詰まる。それこそ、なにか口論しようとしても「うっ」としか出てこなかった。
これでも幼少期の頃やレントの手駒時代、食事なんて喉を通り栄養になれば味なんてどうでも良いから随分と進歩はしたとは思うけど、時間がある時でも効率と手際を優先してしまう。フルークのように、わざわざ巨大な骨を窯焼きして内部の骨髄に味付けをしソースにするなんて試したこともなかった。
そういえば、前にフルークがその骨髄を調味料にする際に岩塩を使っていたのを思い出した。岩塩の鉱床はまだこの国では見つかっていないので、他国から取り寄せて保管していたのだろう。言わば貴重品とは言わずともちょっとした贅沢品の類だ、わざわざ回復祝いに使ってくれたのか今更ながら気がついた。恩着せがましくないところが憎いね。
多少の苦言を呈されつつもなにはともあれ、昼食だ。味は不味くないと思う。
この後は何時もならばフルークが本職の皮なめしを行い自分がそれを手伝う。日が暮れたら夕食の時間まで自主訓練で身体を酷使して、彼が作る夕食を食べる。早い段階で眠りにつき、陽が昇り始める前から起きて訓練を開始する。回復してから、それが毎日の習慣となっていた。
朝から晩まで訓練という訳にはいかない。フルークにだって生活費を稼ぐ必要もあるし、最近はいつも以上に多くの革なめしを行い加工品をストックしている。自分だってごく潰しでいる訳にはいかない為助手のようなことをしている。生産スピードはあげているが、在庫をこれまで以上に溜め込んでいるように思えた。
備えているのだ。自分になにかがあった時、商品を滞りなく卸す為に。それだけ、進む時は近いということが語らずとも分かってくる。ともすれば、ある意味では急がないことが一つある。こちらから、フルークに提供する約束のものだ。
「そういえば、女の子の口説き方だけど」
「お前の言うことは当てにならんことが分かった」
「申し訳ありませんでした」
あの時は冗談半分ではあったし、フルークもそれを分かり大して期待していなかっただろう。それでも口にした以上、なにかないかと考えてはみた。
まずは自分の体験談を考えてみたが、ダメだった。繰り返しになるようだが、やはり殺しに行ったり首を絞められたりするのは普通に考えても常識から外れすぎている。特殊ケースにすぎる。
後は自分から見た他の人の恋愛。レントにお熱な加護持ち連中。イドが好きな騎乗体験のお姉さん。うわぁ、まったく参考にならない。一般的には清潔感とか頼りがいに男気なんてワードが出て来るが、そんな毒にも薬にもならないものを語るところでアドバイスといえるだろうか。
第一清潔感とか。正直自分の価値観での清潔感は大分ハードルが低い。髭を剃れ?髭に誇りをもっている男性もいるし、そもそも顔と身体中毛で覆われたフルークにそれを言う?汗臭さとかも気にならない。むしろ兎は汗をかかずにデカい耳を通る血液が外気に触れて冷やしているらしい。となれば、自分の方が汗臭い方になる。
「えーと…あのあれ、村にいたリスの半獣さんとか。デートにさ、誘うとか」
「無理するな。ある意味お前はそちらの分類では私より不器用であるのが分かっただけだ」
「はい、すいませんでした」
世話になったが、フルークにはなにも返せそうにない。それだけは心残りすぎる。
「それよりも、待ちに待ったタイミングだ。天候も良い、緊急時の即応もできるようになった。身体付きもだいぶ仕上がってきたしな」
「即応って足蹴にしたあれ?瞬間的には殺す気かって思ったよ」
「だが死んでいない。瞬間的に危機対応が早くなったというよりは、状況対応の幅が広がったことによるものだろう。緊急時に即応できるのは、どんな状況でも頼もしいのは分かるだろう……特に生死が関わる状況ではな」
食事を終えて口元を拭う。特に汚れているようには見えなかったが。
「私は誰かに指導するには向いていない。自分が受けた訓練を、そのまま伝えることしかできなかったからだ。相手に合わせてアレンジするのも不得手だと、今回のことで痛感している。だがしかし、折れずに難題をこなしてくれた。よくやったな」
フルークは、こと訓練に関しては相手を褒めない。罵倒や怒声をあげることもないが、口数少なく、もう『限界なのか?』『出来ないか?』と聞くだけだ。こちらが頼んだ手前、もう無理です、勘弁してくださいとは言えない。時折死に物狂いになるしかないお題があったが、それをこなしてもさも当然だろうと言う態度しかなかった。
今思うとランザは、褒めて伸ばす方針だったんだなと思う。課題が上手くいかなくても、繰り返していこうと声をかけてくる。甘い悪夢の中でランザが後輩を育てる時も、それが指導者としての基本方針なのだろう。
自分の方が上だという格闘術以外で、今まで一度たりとも聞いたことのないフルークの褒め言葉に、少し目頭が熱くなるのを感じる。泣いている場合ではないが。
「今日の作業で、しばらく卸す分の革を蓄えることができる。明日は休息をし、準備期間にあてろ。崖昇りの為に必要な道具類の整備もな。私は村に赴き製品の納入と少し挨拶回りをしてくる。万が一には備えないといけないからな」
「フルーク。前にも少し言ったけど、わざわざ自分に付いて来ることはないんだよ?危険なのは分かりきっているんだから」
「だからこそだ。ウォーリアバニーの間でも、崖昇りや崖下りをする時はバディを組む。それだけ危険な上に、年中吹雪が吹き荒れているような標高での登攀なら尚更だ。それにアクシデントは、どれだけ準備をし備えてもおこることは良く分かるだろう」
「そりゃあ、そうだけど…」
「ここまで付き合った相手が、そんなことで命を落とされたら目覚めが悪いだろう」
お人好し、という言葉が頭をよぎる。本当に、自分は人との縁には恵まれたものだよ。なんだかんだ、レントだって下心アリとはいえあの境遇から一度は助けてもらったのだから。自分以下の境遇の存在等、幾らでもいることも知っている。
「ありがとう、フルーク」
「礼は上手くいった後だ。それよりも仕事にかかるぞ。明日は休息当てる分、今日は何時もより時間をかけるからな。洗い物が終わったら、作業場に来い」
フルークが作業場に向かって行く。食事に使った皿や調理器具を洗いながら考える。自分からフルークに、なにか返せるものはないだろうか。やはり恋愛相手?でも、言っても彼が誰かを好きな様子は見えない。
そういえば、フルークって何歳なんだろう。落ち着きようから恐らくは中年くらいではないかと思うけど、見た目だけならなんとなく若く見えてしまうこともある。
趣味の面もよく分からない。狩り道具や昔の武具を、時折引っぱりだして整備していることもあるけど趣味とはいえないだろう。実は無趣味なんじゃないかとも、思えて来る。これだけ共に暮らしているのに、フルークの人となりが見えてこない。厳しいもう一人の師であるという認識しかない。
「これは、隠密時代の自分が必要かもしれない」
万が一上手くいかなかったとしても、なにかしら、フルークに恩返しはしたい。幸い明日は休息をもらえることとなり、彼の行動も改めて把握している。そういえば、レントの下にいた時を除けばランザ以外にこのスキルを使うのは初めてだ。イルガルドでイドの為に動いたのだって、ランザが助けることを決めたからだし。
なんだか、純粋に、少しだけ楽しみだった。