家族の仇は、娘でした 作:樫鳥
暖炉で薪が燃え、炎が躍っている。壁にかけられたロウソク立ての周囲には何処からか入り込んだ蛾が飛びまわっていた。光源が限られている室内は暗い。
全ての話を聞き終えたフルークは、静かにため息をついた。彼は自分がここに来た経緯について尋ねて来たこともなければ、出自について探るりを入れたこともない。こちらとしても敢えて話すべきではないと思っていたが、彼の生活圏内にも忌まわしいエンパスの使い走りが来るとなると事情が変わってくる。
話しは長くなった。今まで接触してこなかった得体のしれない相手に対し、可能な限り詳細が聞きたいと思うのは荒事に身を置くプロにとっての性だ。両腕を切断し引き千切ったのに、粘土細工のようにくっつけただけで回復する様子に尋常ではないと感じたのだろう。
話の始まりは、何処からだろうと考えたがやはり重要になってくるのは連中が表舞台に出始めてからだろう。リスムにおける巨人事件とその顛末は、あの娼館主であるエレミヤに聞いていた。その後におきた帝都事変、北部の乱、規格外の大砲により火竜ランドルフが倒れたこと。そして、ここに辿り着いたところまで話した。
勿論必要なことのみ話すことになったが。特に、悪夢の世界における話やテンについては、エンパス教から反れる為に伏せている。人妖については、巨人事件に関係ある為かいつまんで伝えている。ランザがそれを探して旅をしていたことは話してはいないが。
「聞きたいことは幾つかある」
「だろうね。こんな空想に薬物ぶち込んだような妄想にしか思えない話に、よく質問も無しに黙って聞いていたものだよ」
「色々気になるところではあるが、にわかに信じ難いのは火竜ランドルフが倒れたということだ。こう見えて竜神信仰をする信者の端くれではある。数少ないとはいえ、伝承に伝えられていた竜達の名は知っていた。あの天竜に連なる存在が倒れる等、俄かには信じ難い」
ランドルフの認識は、当然のものだろう。特に、時折訪れるという天竜を空に仰ぎ見ながらそれを信仰することを生活の一部としている存在には。だがしかし、そんな話はとっくの昔に、特に帝都ではカビの生えた認識であると言えた。
「驚く程じゃないよ。既に海竜リヴァイアサンが、帝国を中心にした連合艦隊と竜狩り隊により討伐されているんだ。そのおかげで、今まで開拓が進まなかった南方大陸が開かれたし、モスコーでは南部から届いた果実が屋台に出回るくらいには船が行きかっている。ついでに言えば、ダイヤモンドや鉱石が安価になって、それが原因で国が一つ消滅したよ。悪竜ジークリンデだって、自分達を庇って倒れた。ホラ話ではないのは、この眼帯の下を見て分かっている筈」
リヴァイアサンもジークリンデも倒れた。悪魔が入れ知恵した兵器が関与すれば、ランドルフだって倒れるだろうというものだ。
「海竜も倒されたし…悪竜だって殺された。火竜も、倒れてしまうのは時代の流れってやつかもしれないね」
「だが火竜は、倒されるべきではなかった」
フルークは立ち上がり、棚の中からなにやら取り出してきた。薪割りの時に使う薪割りの斧や野生動物を追い払う時に使う槍が壁にかけられており、棚の周辺には狩りに使う道具や毒薬が小瓶に入り並んでいる。彼が明けた棚にはすりこぎ等調合に使う道具がしまわれている。
上から二番目の棚は開けたことがなかったが、その中にも多様な瓶が詰められており、その中の一本を持ち出してくる。茶色い瓶は中身がなにかは分からないが、中からうっすらと嗅いだ覚えのある臭いがした。
「それ、鯨油?」
「ああ。リスムの特産品ではあるが、時折この国の市にも流れることがある。これは鯨油を利用した軟膏だ。元々珍しいものではあったが、最近は目に見えて市に流れることが無くなっていた。他の帝国製品もそうだし、連合王国は一部資源や商品に輸出禁止や関税上昇がおきている。商売人からは、戦争が向こうで始まったからだと言っていたが」
「リスムに駐屯していた掲げる大盾が尖兵にされたなら、エンパス教はリスムを乗っ取ったと考えれるし、話にだしたガスパルだってなにか動機や目的があって災害をおこした。自分は、天変地異をあの地でみたよ。それが帝国方面まで広がっていたとしたら、貿易が死んでしまった理由の裏どりにはなるよね」
遠い異国の出来事であるが、フルークは元々傭兵生活を営んでいたものだ。帝国の広大さを知らない訳ではないのだろう。少なくとも、貿易の上でも地政学的にも重要地点であるリスムが占拠されれば黙ってはいないし、現に先の大戦だってリスム絡みで開戦したと言える。
「推測するに、エンパス教とやらはリスムに狡猾に根を張って地盤を築き、そして大戦と災害の隙を狙い占拠したと考えられる訳か。帝国は災害で動けず、連合王国は様子見をしている隙に体制を整えたと。解せないのは、連合王国が見に回っていたということだが超常的な現象が影響しているとしたら合点がいかなくもない」
目を閉じて考え込んでいる。隙間風にロウソクの炎が揺れる、しばしの時間が流れた。
「ランザ=ランテとは何者なんだ。お前の体験と経験は、彼についていったことで得たものなのだろう。敢えて詳しくは聞いていなかったが、悪竜ジークリンデの後継といい…疑う訳ではないが、かなり数奇な人物すぎないか」
フルークがそう思うのも無理ないだろう。誰だって空想上の人物だと考えてしまう。だが、だからこそ、自分はこう言う。彼については、こう伝える。
「普通の人だよ」
今までの旅路を思い出す。始まりこそは最悪であり、まあこれは自分の行いのせいな為今でも顔から変な汗が出るくらいには嫌な思い出である。しかし、あの夜に彼を知りたいが故についていった自分がいた。その時は、魅せられたと言っても良い。それだけ衝撃的かつ取返しのつかえない体験が魂の奥まで刻まれてしまったからだ。
そして、モスコーで悲しい別れがあり、彼の過去を聞いた。養子とはいえ実の家族を殺す為に、家族の仇を討つ為に修羅場を渡り歩いていること。それを聞いた時、自分はランザの全てを分かったつもりになっていた。
この汚泥めいた瞳、そして奥に見える暗い輝きはそうして出来たものなのだと。そして、それを独占することこそが目的と化していた。自分は酔っていたんだと、思う。あの時は、先行きの不安さはあれど楽しかった。テンにモスコーでなにかをされたことを盾にして、ただ無邪気についていけていた。
そしてあの悪夢の世界で、自分の価値観は壊れた。テンを拾い育て、結婚し、叱られながらも仕事に打ち込み職人となり、実の子供にも恵まれる。あの穏やかな顔に、自分が彼に見出した汚泥の輝きは何処にもない。誰にでも居場所というものものがあるならば、あそここそが彼の居場所であった。
なら、自分は何処が居場所なんだ?レントに背を向け、自分がいない世界で幸せそうに暮らすランザの傍にもいられない。ただの一人ぼっちの半獣。例え自分だけあの悪夢から追い出されたとしても、行くところも無ければ戻るあてもない。
結局自分は、彼を微睡と幻覚、悪夢から起こすしかなかった。全ては自分の我儘であり願望であり、歪んだ精神性故だ。彼が幻の世界に耽溺しているのが正しくないと思ったからではない。このままでは死んでしまうと考えたからでもない。ただ、居場所が無くなるのが怖くて、怖くて、仕方なかったから彼の幸せを壊しただけだ。
怨まれていないだけで、自分はただの、テンの同類だ。
「あの人は、普通の人。働いて、子育てして、家族と話して、畑も耕して、時には釣りをして。村の祭りにも参加して酒を呑みながら友人と話したり、家族水入らずで仲良く過ごしたり。そんな生活が似合う、ただの男の人。そしてそんな生活を、壊してしまったのは自分」
一度めはテンのせいで、普通の世界から追い出されたランザ。だけど二度目は、自分が我慢できなかったせいで辛い現実を思い出させてしまった。ジークリンデに肯定されて、後ろ向きに前を向いたと言えどその咎が消えるとは到底思えない。
「だから自分は、彼に会いに行く。そして彼と共に、リスムの自治州に向かう。フルーク、ランザは英雄でもないし化物でもない、まあ竜にはなっちゃったけどね。自分には彼に対する責任があるし、責任が無くてもついていく。エンパスの手先がオリシスの元に行くとなると、そこにランザがいるとなれば何事もなく終わる訳がないよ……っと」
「何処に行く、クーラ」
椅子から立ち上がり、壁にかけられた壁昇りの為にしつらえた衣服て手をかける。
「フルーク。エンパス教が絡んで来たとなれば、ただの崖昇りでは終わらない可能性が高くなる。自分はエンパス教とは敵対しているし、無論遭遇したら殺し合いになる。貴方のお陰で、この身体も怪我を負う前より動けるようになった。これ以上は巻き込めない」
「だからといって今から向かうつもりか。夜目は慣れているだろうが、危険すぎるぞ」
「だろうね。散々言われてきたから分かるし、少しでも登りやすくするように暖かい季節を待ったのも分かる。でもこうなったら、時間がない。こうして説明に時間を割いたのだって、黙って出ていくのは不義理だったからというだけだよ」
衣服を整え、装備を身に着ける。当然登攀に必要な者のみではなく二振りの短刀に投げナイフ身に着けた。ふと指先が目に入る。以前から使い込んでいた指ではあるが、一回りは太くなり厚みを増した。指の皮も厚くなりささくれ、逞しくなっている。今の自分には、それが誇りに思える。
「待て」
「いや、だからフルーク、これ以上」
フルークも、厚い登攀用の外套に手をかけていた。大きく広げながら豪快に羽織り、壁にかけられていた大鉈に手をかけた。動物の腱を加工した丈夫な紐であるハーケンと呼ばれる道具や、ボルトにハンマー等を付けることができるベルトを巻いていた。
「お前に授けた登攀技術はあくまでも二人一組前提のものだ。お前だけがいっても、途中で滑落するか昇りきれずに力尽きるのが落ちだ。これは侮りではなく、事実であるのが分からない訳ではないだろう」
「……ほんと、お人好しだね」
「ただし、進むのは本格的に登攀するポジションの手前までだ。あの絶壁に手をかけるのは、夜明けと同時に行う。それだけは、絶対守れ……いや、守らせるからな」
灯りをつけず、麓の森を歩く。エンパス教の連中を最大限警戒しながらの行進。自分は元々夜目は良いし、フルークも昔とった杵柄で夜間行軍の心得があった。この森は彼の狩場であり、土地勘も優れている為案内役もしてくれている。
この森で戦ってから随分とたった。不思議なものだ、以前は止めようとしていた者が案内役をかってでてくれているのだから。
「今のところ、奴らの気配はないな。森の気配も穏やかなものだ」
何時もと同じ気配の森。だが本番はこの先だ、警戒は僅かも緩めることができない。
「もう先に進んでいるのかも。まだ来ていないと考えるのは、流石に楽観視し過ぎだからね」
「そうだな。こっちだ」
フルークが指し示す方角は、当初一人で登ろうとしていたところとは別方向だった。当初昇るルートとして教えられていた場所とも違う。森と山を熟知した彼だ、自分が想定しているよりも良いルートを知っているのだろうか。
「これは?」
森の中に現れた人工物。それは古いが手入れはされている木造建築の建物であった。フルークが余裕で通れそうな木の扉を押し開くと、中には供え物を置く為の祭壇と木で彫られた、恐らくは竜を象った木像であった。
「言っただろう。私は一応、竜神信仰の祭祀だ。信者は五十人もいないが、それでもこの社を任され管理している。そして、先代から継いだ話がある」
フルークは竜の木像に一礼してから、台座をずらして手をかける。
「横にずらす、手伝ってくれ」
二人がかりで木像をずらすと、平な底面の下に暗い地下へ通じる通路が現れる。土と石を固めて作ったような黄土色の怪談が暗闇に続いていた。外はまだ月明かりがあったが、イルドガルの地下通路のような暗闇が広がっている。
「なにこれ、隠し通路?」
「どうやらこの地下通路から、かつて神殿を築く際に使われていた道へ進んでいるそうだ」
「こんな便利な隠し通路があるなら何故黙っていたの。怒るよ」
「話してしまえばお前は行くだろうが。それにここは、古い通路すぎて所々崩れていたり危険極まりない。それに結局のところ最後は、自力で昇りきるしかないんだ。一度ここを進んだからこそ言える。なによりここは、代々祭祀にしか伝えられない隠し道だ。おいそれと、伝えられないだろう。だが、時間がないんだろう?」
中に入り込み、ランプに火を灯す。フルークと共に入った後、底面に手のひらをあて元に戻す。
「山頂への道は崩れているって話だったっけ?なんだ、禁忌だなんだ言っておいて興味はあったんだねぇ」
階段を降りながら声をかける。フルークは、バツが悪そうに顔をしかめ後頭部をかいた。
階段を降りきった時、急に広い空間に繋がった。地下にいるとは思えない程に天井が高く、そして広大だ。ランプの火を木の枝に移し、壁に近づける。壁にかけられていたのは松明であり、松脂を布につけて巻いたそれは古い遺跡には似つかわしくない新しいものだった。
「もしかしたら、ここを使うかもしれないと思い用意をしておいた」
新たな光源が、地下空間を照らし出す。自分の想像以上に、この空間は奇怪なものだった。