家族の仇は、娘でした 作:樫鳥
廃墟といっても、疫病や戦乱で住民が避難していった訳ではない。僅かながら治療の為に必要な道具や食料は家屋に残っている筈である。物盗りとさして変わらない行動であるが、幸いなことに目撃者はいない、みな逃げたか殺されている。原型が残る家屋に入り、手近な棚に近づき中を引っ繰り返す。
この家は村落の中では比較的大きく裕福に見えた、手持ちの治療道具よりもしっかりとした医療道具等が中にあるかもしれない。本当は村の診療所でもあれば良かったのだが、この周囲に見つからず重症で動き回るのは命取りであるため妥協をした。
あとは食料があれば、拝借したいところだ。手持ちの携帯食はあるが、身体のことを考えればしっかりとした料理を食べたいところだ。あの食堂は、ダメだった。調理場の壁が破壊されたさい、食料の類は後に崩れた屋根のせいで瓦礫の下だ。
食料の置き場所は目星がついているので先に怪我を治療できるものを探し、見つける。身体に身に着ける道具類や装備を投げ捨て戦闘用の外套を脱ぎ捨てる。誰かに見られている気がしてふと顔をあげるが、それは巨大な姿見に映る自分だった。
血の気が引いて色白な肌に顔色の悪い顔。瞳は赤いがまるで幽鬼のように生命力がなく、疲労でクマが浮き出ている。血を浴びすぎた水色の髪は、ほぼ赤に染まっていた。
激痛が思考を遮る。落としてしまった救急箱が衝撃で開き中に入った道具が床の上を転がっていく。慌てて拾おうと床を這い、ハサミや消毒薬が入った便を回収していく。最後に遠くまで転がった包帯を回収しようとした時、褐色の足がその包帯を軽くつま先で止めていた。
極大の危機感。痛みを無視して、事実無視はできないが気にしていられない。床に落ちた散弾銃を拾い銃撃。散弾は窓ガラスに当たり木片とガラス片を散らすのみにとどまった。
「何時までそんな玩具に頼るんだ?相棒」
右から声、銃口を向けようとしたが肩を踏みつぶされる。銃弾で抉られテンに押し広げられた傷口を直接踏みやがる。この野郎!
「ざまあねえな。最初から俺を使えばあんな雑魚にも雌狐にも後れをとることはなかった。なにを遠慮しているんだ?なあ俺と、お前の仲じゃないかよ」
「ふつー相棒っつ…てのはな!開かれた傷口に踵を差し込んで踏みにじりは…しねえ!」
「それは、よりにもよって俺に向けてそんな玩具をぶっぱなしたお仕置きだな。でも嬉しいだろう?只人が死なない程度に俺に踏まれるなんて例え人生が七度あっても訪れるものじゃねえさ」
足の先には細いように見えて頑強な胴体と形の良い胸。金色の瞳が愉悦の色が浮かび、舌なめずりをしている。身体中には背中から生えた血菅のような紐に連結された幾本もの刃。それが身体の女性が見せてはいけないものを隠してはいたが、見えていたとして大して変わらない。
こいつが、この悪竜が、この姿で現れたことはとんでもなくよろしくない。連結刃を覗けば、申し訳程度に自分は竜ですよと言わんばかりに身体の一部に鱗を覆っているだけの痛い小娘だが、本質は最悪で災厄だ。身体をさらす相手に再度銃撃、しかし弾丸は折り重なる刃に防がれ火花をあげるのみに留まった。
「だからこんな玩具に頼るなよ相棒。俺だって女の子なんだぜ?嫉妬しちまいそうでしょうがねえよ」
「常識論で考えて、相棒と言われる存在に向けて銃撃はしない」
「つまりそういうことか?」
悪竜は楽し気に笑みを見せた。相棒などとのたまうが、こちらが気を許した瞬間こいつはこちらの身体を貪り食うことになんら躊躇いもないだろう。その程度の関係、危うい綱渡りだ。正直実力に釣り合わない武装であることは自覚しているが、好むとも好まざることこれを使わざるえない自分の天運には唾を吐きたくなる。いややはり、できるなら使いたくない、どこかに山の中にでも穴を掘って投棄してしまいたいくらいだ。
「分かってんだろ?今日だってお前は俺に泣きついてきた、俺はそれに応じてやった。そんな玩具であの狼娘を殺せると思ったなら、そいつは初見で聖職者が変じた獣を殴り倒すくらいの実力がほしいな。まあ、あの話は多分ほら吹きだがよ」
「あれ程の獲物を前に銃だけで事足りてしまえば、お前は確実に邪魔をしに来ただろう。適当な理由をつけてな」
正解と、言わんばかりに踵がもう一ひねりされる。傷口が大きく広げられ今日何度めかも分からない悲鳴をあげる。強敵相手に使わなければ気を害し、使おうとしたらすぐには反応せずに焦らし、使ったら使ったでこの仕打ちだ。悪竜云々はもとより人格的に最低のドSが、呪われろ。
「なあなあなあ、今はよ、俺の出自のことはすべて忘れてくれねえか?お前は俺を扱いこなし、隅々まで理解し屍の山を築くことことそがあの雌狐を屠る為の唯一の方法だ。近道とかそんなんじゃねえ、もう一度強調して言うぜ?『唯一』の方法なんだぜ。あの雌狐の格はどこをどう違ったのかまともじゃねえのは確かだ。只人ごときになんとかできると思ったら大間違いよ」
ようやく傷口から踵を離す。四つん這いになり覆いかぶさり、喜色満面の笑みを浮かべてこちらの顔を覗き込んだ。
傷口に舌を這わせ血をなめすすり、艶っぽい吐息を漏らす。
「まったく手間がかかるガキだぜ。俺が最初から手の内にあったならこんな傷だってつかずにすんだのによ。まあいい、サービスしてやるよ。今度はもっと俺に頼れるように魂に立場ってのを刻んでやる」
「クソ…やめ!」
停止を求めた声は無駄に終わった。悪竜の顎が裂け鰐のように大きく開き傷口よりも更に大きく肉と骨を抉り取った。さぞ美味そうに目を細めながら咀嚼をし、喉をゴクリと動かし体内に肉と骨をまるごと咀嚼する。大量の出血が部屋中に飛び散り脳内に危険信号が鳴り響く。
「なんだ相棒、あばらの骨も数本やられてやがるなぁ。それじゃこれも」
ゴキリという音と共に肉と皮と共に骨が持っていかれる。こちらは死にそうで仕方ないほどの激痛だというのに、目が潤んでやがる。恍惚に表情を染め、息を荒げ、まるで激しい性行為の最中であるかのように肉を咀嚼し骨を砕き血を飲み干す。
只人の肉でここまで喜べるなら、そりゃあ悪竜には生贄を捧げるという儀式が肯定される訳だ。なんて適当なことを考えていなければ発狂してしまいそうだ。いっそ狂えば、なんて考えてしまったがすぐにあの雌狐が、テンの顔が頭に浮かぶ。それだけで意思に力が戻る。こんなところで狂ってしまえば、いったい誰が報われる。
「ああ、その目だよ。あの日と同じその目が俺は好きなんだ。濁り腐り、そんな瞳でも光を失わず前を向こうとしている。それでこそ俺の相棒に相応しい」
悪竜は、傷口に手をかざす。贄と引き換えの治癒による術式。手をかざした瞬間、抉られた傷口から骨が整形され肉が盛り上がり血が溢れる。皮膚が肉の上を覆っていき、傷口を塞いていく。
「あっがあああああああ!」
激痛に身をよじり悲鳴をあげるが、傷口が塞がるにつれ痛みが消え失せ、急激に眠気が襲い来る。実体化しているこの悪竜の前で意識を失うなんて、屈辱もいいところだ。
「今は寝ておけ、俺が見ててやるからよ」
人の口に戻った顔で血をぬぐい、悪竜はほほ笑む。抵抗をしようと試みるが、疲弊を重ねた身体はあっさりと眠りにいざなわれ、意識を手放した。だが最後までその瞳は、濁った目で相手を睨みつけていた。
悪竜は考える。世は既に人の時代、神も悪魔も竜も衰退して久しい。
投石で巨人を殺した英雄がいたように、技術に医療、ペンと印刷機は神をも殺す投石器へと昇華した。知識の共有の容易さと人類の緩いが広い連帯。そしてその数の暴力。超常の奇跡よりも華美な神殿と中身の無い像に信仰は集まり、悪魔の知恵よりも書物の知識が頼られ、竜の甲殻は装飾品や珍品に成り下がる。
悪竜などともてはやされたのは当の昔、死に場所を得られず時代に取り残された竜の力は、全盛期に比べると良くても三割に満たぬ程衰退していた。竜狩りと呼ばれる存在に幾度も追い回され、消耗を繰り返し、せめて霊脈残る古き地へと落ち延びようとした。
殺されるのは仕方ない、今日まで自分は悪名を馳せ楽しみすぎた自覚はある。だがせめて最後は力を蓄え、一矢報いてやろうと。せめて暴れに暴れ、神話の最後を飾る一ページになってやろうと。俺を倒した英雄を万年先まで語られるような素晴らしい英雄譚、その悪役に!だがしかし、未開の蛮地まで人は押し寄せてくることはなかった。時代遅れの竜一匹、高い金銭を払い探検隊を組織して追うまでもない、その程度の価値もないと無視をされたのだ!かつて複数の国から毎年のように千人単位で生贄を捧げられていたこの俺が!
惨めだった、悔しかった、悲しかった。自分は既に過去の遺物なのだと、討伐隊に追い立てられた時よりも感じたのだ。あれからまた幾年の年月が過ぎたか、荒れ地や蛮地と言われた土地は開拓されていき、さらなる土地を求めて人の子が探索をしてきた。
そのころのにはかつての力は失せ、一割に満たぬ力しか残されていなかったが。とある探索団の一団がそんな悪竜と対峙する。伝承にかろうじて残る、神話の存在。
亡骸を持ち帰れば一儲けできると考えたのか、探索団の団長は襲撃をしてきた。だがしかし腐りきっても竜、たかだか十数人程度造作もなく返り討ちにできる。襲撃を指導してきた団長の女を瞬時に引き裂き挽肉に変え、指揮能力が消えた一団を半壊に追い込む。
恐怖と怒りの悲鳴と命が途切れる感覚は、長い余生のほんの慰みとなった。と本来ならばこれだけで話は終わるところではあったが、竜は自分の物語がまだ終わっていないことを確信した。
若い男がいた。目立たない存在だと思ったが、男は諦めない。手持ちの道具と生き残りをまとめ、最後の最後まで抵抗をやめない。戯れに放つ一撃も、人一人楽に絶命できるものであるが、恐怖を乗り越えこちらに一矢を報い、一人でも生きて帰そうとあがくその男の行動。
ああ、英雄だ、待ち望んだ英雄だ。竜は内心歓喜をした、涙を流した、だが悲しいかな、男は若すぎる。自分を殺すにはいたらないだろう。だが今はこんなものでも、きっとこの先は…自分が追い求めてやまなかった、歴史書に書かれない物語を魅せてくれるはずだ。かつて自分が刻もうとして、失敗してしまったものを!
悪竜は追い詰められた、ふりをした。最後の抵抗の演技をした、その演技で男の仲間は全滅した。血にまみれた男の一撃を受けた、ふりをした。力を失い身体を崩し、どこかの誰かが妄想した竜を封じる為の神剣という、骨董品なガラクタに封印されたことにした。
悪竜は決めたのだ。もはや自分は埋もれた存在、歴史的には過去の遺物であり現在の自分になんの価値もなどない。だからこの英雄が血を流し、苦しみ、最後には万人に認められる栄光か、誰にも顧みることもないが知る人ぞ知る栄達を掴むのを見届けてやろうと。
目論見が外れ例えこの先、平々凡々な日々であろうと人の寿命なんて自分には刹那。軍でも専門家でもないのに自分に最後まで諦めず挑みかかった英雄を看取ってから自分も長い眠りにつこうと考えた。
問題はこの男から離れないこと。男から離されようとしたら、封じられた竜らしく封印が解けかけたと暴れよう。それだけで問題はおこらなかった。お前が持っている間は、大人しい骨董品だよ。
そして男は今、悲劇と悲運の中にあり、濁った瞳をしながらも暗い熱を蓄え血と臓物が溢れる道をかき分け進んでいる。空虚と平凡とは正反対の道を進む男の道に悪竜はすっかり魅了されていた。
「俺が近くにいてやる。お前を護り、刃となり、血を恵み、肉を捧げてやる」
悪竜の身体に激痛。本来他者を癒す治癒の儀式は同等以上の血肉と命を代価に行われるものだ。死にたくないと喚く凡愚と呼ばれた重篤の王の為に、何十人もの生贄を捧げさせその身体を治癒させたこともある。
だが今は、足りない代償でほどこした儀式のせいで。人を模した身体に同等以上の痛みや苦痛を受けていた。こんな痛み、普通の人間ならば苦しみのたうち回っているんじゃないかなと思う。だが男は、ランザは泣き言一つ漏らさない。そしてそんな状態にも関わらず、悪竜たる俺に油断もなく武器を向けて来る精神力の強さ。
ああもう、何故こんなに愛おしい。俺の英雄、俺だけの英雄。苦しんでくれ、苦難にぶち辺りのたうちまわってくれ、千の夜を嘆きで満たし、そのうえで諦めず進んでくれ。俺にその物語を魅せてくれ。
「なあ相棒…いや、俺の英雄様よ」
恋に火照る乙女の顔で、悪竜は首筋をひと舐めした。どこかでまだ見ている化け狐に見せつけるように。
悪竜ジークリンデは、今この瞬間を心の底から楽しんだ。独占欲というのだろうか、こんな感情は長年生きてきて初めてだ。初めての感情に高揚するように、ジークリンデは長い時間男の汗と血の味を堪能し続けた。
「雌狐、お前の『お父様』はもう俺の物なんだよ」
ジークリンデは、宙に向けてつぶやいた。その爬虫類を思わせる瞳は、爛々と輝いて見えたが、彼女の英雄同様濁った輝きを放っていた。
聖職者の獣を初見で素手で倒した人。Bloodborneプレイヤーの間で、知っている人は知っている、偉大なるレビュアーたる上位者栗本のことです。
初見で武器を取らずに死なずにボスまで倒した功績を追う行動は、一部界隈にて栗本チャレンジというやりこみとして語り継がれています。
なお、この栗本という人物のレビューにおける真偽の程は…非常に怪しかったりします。