家族の仇は、娘でした 作:樫鳥
棒。打ち所が悪ければ、危険ではあるが可能な限りは非殺傷能力の高い信頼のある武器だ。それが今は、文字通り頼りない棒きれに見える。
だがしかし、こんな物にでも縋らなければ足腰から力が抜け座り込んでしまいそうになる。だからこそ、その棒を手放した。
腰が抜けそうになってでも、醜態を晒そうとも。目の前の相手にはありのままで対峙しなければならない。そう感じたからだ。
「サグレ」
「もう、来てしまったんだねベレーザ。いろいろ話したいこともあるけど、取りあえず」
「取りあえずもクソもあるか!」
羽織っていた上着を脱いで、投げ渡す。サグレは平然としているが、身に纏う衣服は切断され、穴だらけにされ、破れて千切れ、ほぼ全裸に布の残骸が僅かに残っているのみとなっていた。
クソ程場違いな考えかもしれないが、今の惨劇や状況を差し引いても意中の相手が全裸で平然としている様子に対する対応がなによりも優先すべきだと考えてしまった。衣服の様子を見れば、幾度も攻撃にあったのだろうが、傷一つ残っていない肌に乳房、下腹部の茂みまで見えてしまっている。
「さっさと身体を隠せ!積もる話も積もらん話もそれからじゃなきゃできやしねぇだろうがぁ!」
サグレは、顔に覆い被さった上着を取りキョトンとした顔をしていた。そんな顔をしないでくれ、こちとら娼婦すら抱いたことがないというのに。そんなことをしている場合じゃないと思いつつも、これではなに一つじたいが進まない。
「は…ははは。まったく予想外だよ、ベレーザ。一言めがそれ?」
「俺にとっちゃ重要だ」
サグレは苦笑いを浮かべながら、上着に袖を通す。成長した身体に合わせ購入したそれは、サグレの下腹部まで隠すのに十分な長さだった。
「分かってはいたけど、改めて成長したんだね。昔は私の方が大きかったのに」
「何年前の話をしているんだよ。もうとっくに追い越してんだ、身長くらい」
「そうだね。でも何故か、私には昔のベレーザも今でも強く覚えているんだよ。ほらこの古城も、昔忍び込んだりして遊んだりね」
孤児院には子供を育てるだけで精一杯で、ほんの一年に一度あるかないかの行事以外は外部に出て金がかかる遊びをすることなんてほとんどない。古い古城だけあって、抜け道も子供が入れる穴もあちこちにあったこの古城は、そんな自分達の遊び場だった。
こっそりと忍び込み。立ち入り禁止の場所に入り見学をしたり尖塔の上まで昇り街の景色を眺めたり。鍵を盗みだして地下を探索したら牢獄や、器具は既に撤去されていたが古い血の跡残る拷問場に迷い込んでしまったりし半泣きになりながら上への階段を探したこともあった。
その頃は、サグレの身長は女の子としては高く俺よりも頭半分は高かっただろうか。成長し思春期を迎えるころには越えてしまっていたが、その頃はサグレが荒れていた時期になってしまい他者を拒絶していた為印象が残っていないのかもしれない。
「地下の拷問場。上がりの階段が分からなくなって暗闇の中で泣きべそかいてた俺に、お前は母親が焼いてくれたって包みに入れられた焼き菓子をくれたな。よく覚えているよ。そんな状態でも、お前を必ず護るとかいってたっけ」
「真っ暗なのにランプの明かりが切れちゃったからね。私はまだ目が見えていて、夜目が異常に効いていたから問題なかったけど、ベレーザはなにも見えなくて怖いってね。落ち着かせる為に、お菓子をあげた。本当は、独り占めしたかったんだけどね。あまり裕福じゃなかったし、甘味は貴重だったからさ。そしたら約束してくれたよね、半べそかきながらも護ってくれるって。ちょっと頼もしさがなくて可愛らしさが勝っちゃってたけど」
「そうだな。頼りない男の子だと思われたと感じて、少しばかり気にしていたよ。だけど…こんな惨劇を引き起こさなければならない程追い詰められていたのに、何故相談の一つしてくれなかった。俺は今でも、そこまで頼りないか」
サグレは、複雑そうな顔をし、小さくため息をついた。そして首を左右に振る。
「迷惑をかけたくなかった…てのはあるかもね」
サグレは、自分の首筋に爪を這わす。止める間もなく爪が皮膚を斬り裂き太い血管を破き、大量の血液が宙にあふれ出た。だがその血は空中で止まり固定され、みるみるうちに傷口に戻っていく。傷口が泡を吹きながら元に戻り、何事もなかったかのように閉じた。
「私はこんな生物になった。今、身体の中に変なの複数打ち込まれて痺れるし気持ち悪し、なんか痛いしでわりと普通じゃないけど、それでもこんな芸当ができる身体にね。さっきだって、ベレーザが止めに来たけど身体が半分痺れてなければ棒ごと二つに裂いてしまうところだったんだよ。人だった私は、こうなることを忌んだ。だからこそ、ベレーザには何一つ伝えず全てを自分で終わらそうとした。
ランザさんに介錯を頼んだのもその一環。私の身体が人じゃないなにかになろうとしているのを察した彼に、自殺の手伝いをお願いした。万が一の保険としてね。もっとも、その保険も有効にはならなかったけれども」
「俺だって、お前がそんな状況だと知れば!」
「自死を手伝ってくれたとでも?それとも、モスコーから逃げる?ダメなんだな、私は変異をした瞬間、理性が解けていた。君だって、ランザさんが割り込まなければうっかり吸い殺す一歩手前だったんだよ」
サグレの言葉とどこか投げやりな微笑みに、言葉が詰まる。異質ななにかに変異を遂げたサグレ。そうなりたくなかった、だが時間もなかった。全てを諦め命を絶つ覚悟を決めた彼女にその話をされて、自分はどうしただろうか。
まず間違いなく、モスコーに辿り着いてからの短い期間でもサグレがなんとか助かる手段を探すだろう。それがどんな無為でも、諦めることはできなかったと容易に予想ができる。もしくは、サグレを連れて街を出てどこかに隠れ住むだろうか。
そうなれば、サグレの言う通り。彼女が殺した、一番最初の死体に地面に転がる死体は俺だろう。
「私はそんなことで無為な努力に振り回されたり、死んでしまったりする君を見ることなんて嫌だった。最後くらい、一緒に楽しく街巡りをしたかった。恋人のような関係を、ただの数日でも築きたかった。でもね、そんなことは今どうでも良いんだよ」
サグレが両手を広げる。夜空を見上げ、笑い声をあげた。
「ベレーザ。私は力を手に入れた。自由に人生を謳歌する為の、迫害や無理解をねじ伏せる為の力をね。私は貴方のプロポーズを断ったけど、本当は凄く、物凄く嬉しかったの。だからね、ベレーザ、今度は私から言わせて。
共に歩んでほしい、近くにいてほしい、永遠に添い遂げてほしい。ベレーザも分かる、こちら側にくれば不安も恐怖もなにもない。私の眷属。ううん、眷属なんて立場じゃなくて伴侶として共に夜を生きていける。今は少し、体調も悪いけどこんなものほんの少しすればすぐによくなる。もう痺れも、痛みも引いて来ているんだ。
全部が終わったら、貴方の手でもう一度指輪が欲しい。銀製はちょっと無理だけど、木製でも鉄製でもなんでも良いの。二人で永遠に、生きていこう」
両想い…か。想いは報われた。良かったじゃ、ないか。これからサグレと、永遠に生きて行ければ。
俺は、泣いていた。泣きながら、足元の棒を蹴り上げ手のひらに収めサグレに向ける。
「ベレーザ?」
「なあ、サグレ。ウラヌスの古城って、モスコーの一番高い場所にあるよな。俺はさ、階段や坂を頑張って上がったんだ。お前がここに、来ているような気がしてさ。どんな状態でも、お前を護ってやりたかった、約束通り。
でもさ、見たんだ。高いところから見えた、俺が育った孤児院は燃えてたし、院長先生の死体っぽいのが食われてたよ。家の前で子供がまとめて死んでいて布がかけられていて、その前に自害した父親の死体があった。バラバラに裂かれた、男の子を女の子が食べていた。
市場も、広場も、井戸端も、どこもかしこもこの世の地獄だ。お前の仕業だと、思いたくなかったけど、そうじゃねえんだよ。悪いサグレ、気付いてやれなくて。本当に悪い。全部俺の責任だよ」
棒のひと突きが、サグレの腹部に吸い込まれる。衝撃にサグレの軽い身体がよろめき、畳みかけるような攻撃を受けながら、サグレは不思議そうな顔をしている。
「だが、それでもなにも思わないのか、この状況に!景色に!人々に!本当になにも思わないままそんなこと口から出すほど変わっちまったのかお前は!」
なんだかんだ言いつつ、モスコーの街を好いていた。ここは古い伝統を今に残しつつ、暗部や問題を抱えながらも穏やかに人達が生きていけるところだ。奴隷問題だってリスム程酷くはないし、過疎という緩やかに訪れる難題を抱えつつも魅力がある自慢の故郷だった。
故郷を、家である孤児院を、人々踏みにじられてしまい、それに対して悪びれもせずにサグレは共に生きようと手を差し伸べてくる。多数の命を踏みにじりながら自分と生きる未来を語るサグレは、もう俺の知っている幼馴染ではなくなっていた。
感情では、サグレの手をとり言葉を呑みこみ受け入れ、眷属とやらになって愛する人と過ごすことを選びたい。だがしかし、別の側面ではこの地獄を産み出したサグレを許してやることができない自分がいた。
確かにサグレは、辛い毎日を送り腫物のように扱われたり偏見や、嫌がらせを受け差別までされていた。だがしかし、街全体の人間がそれをしていた訳ではない。無理解ややっかみに引きずられた人達に囲まれたまま盲目の女性がただ一人で生活をしていけるものか。
例えば、サグレが生活用品や食料を買っていた市場の店主。彼女に対して、盲目だからと値段を偽らずに安売りやお得な商品が並んでいればおススメしたり、分け隔てなく接していた。
伝手のない俺に外部の商人を紹介してくれた彫刻家の男は、芸術家同士の狭い界隈では表立って庇ったり助けたりはできないが、あの腕を腐らせたり埋もれさせるのは惜しいと内緒で紹介や商人相手に交渉をするノウハウを俺に教えてくれた。
みんながみんな、サグレの敵ではなかった。だがしかし、そんな彼らが今生きている保証はない。その彼等の家族や友人達も、この惨禍の中で苦しみ今この時にも息絶えているだろう。
そんなことに、気付いていない程サグレは頭が悪い訳じゃない。だがしかし、本当に人以外の者に成り果てた時から考慮に値しないと考える程どうでも良くなったのか。それが悲しくて、悔しくて仕方がない。
「どうして?」
サグレが、肩をわなわなと震わせ口を開く。
「どうしてベレーザは、他人のことを気にするの。私の味方をしてくれないの」
「人は一人じゃ生きていけないからだ!それは綺麗ごとでも道徳でもなんでもねぇ!分担し得意分野を活かし補い支えあい、それでも衝突しながら生きていかなきゃいけないからだ!街全部滅ぼして罪悪感の一つ感じねえか?ふざけんじゃねえ!お前の為に骨を折ってくれた人達まで殺しておいて、なにが味方をしてくれないのだ!いたんだよ!お前の味方だってここには、この街にはな!」
こちらの叫びと共に、突き出された棒の先端をサグレが掴む。先端が握りつぶされ破損し、払うように腕を振るった。細腕には似合わない膂力で今度はこちらの体制が崩される。間合いを詰められ、首筋の襟を掴まれた。
「なにが味方だ!私が辛い時直接助けてくれた人が何人いた!そんなものは、いない!ただ敵意の他には同情と哀れみの視線を向けていただけだ!ねえベレーザ、貴方はモスコーから離れることが多かったけど、私が貴方がいない間なにをされたと思う?ベレーザ、私の容姿ってどうなの?優れている?少なくとも醜くはないでしょうね。性的興奮を向けられるくらいには」
「なに…を」
「分からない?分かるように言おうか。ベレーザ、残念だけどこの身体は綺麗じゃないの、汚されているの。ある日男が数人夜中に押し寄せて来てね、抵抗しようとしたけど組み伏せられて」
「やめろ!」
怒りに満ちた、サグレの表情。聞いたこともない、必死に隠していただろう話。それが何時頃の話しかは分からなかったが、モスコーに寄る度にサグレは何もないふうに歓迎して旅先の話や彫刻の話を共にしていた。そんな裏で、そんなことがあったなんて知る由もなかった。
「やめてくれ、頼む…やめてくれ」
「……私だって、姦された話しなんてしたくなかったよ。でもねベレーザ、その時から私は街の住民なんてどうでも良いんだ。全員が悪人ではないと分かっていても、どうでも良い。ただ、こんな姿に、吸血鬼になれば確実にベレーザに迷惑をかけると思っていたの。
私に直接味方をしてくれた人はいなかったよ。復讐心なんて今更ないし、犯人はどうしているかなんて分からない。もしかしたら外部の人間かもしれないけど、まあ多分街の人間だしこの騒動でまとめて死んでくれていたらラッキーかなってね。無関心な人も、同情で優しくしている自分に酔う人もみんな死んで構わない。ベレーザ、私に本当に味方をしてくれた貴方ただ一人を除いてね。
後は、まあ。ランザさんにクーラちゃんもかな。二人とも頑固だからちょっと手を焼いているけどね。でもベレーザの友人も、私の友人。彼等も助けてはあげる」
全身から力が抜けるようようだった。怒りもなにも湧かず、ただ悲しさだけが心の中に占める。涙が滂沱のようにあふれ出し、棒を取り落とした。
サグレが、そんな俺の背中に手を回し抱きしめる。優しい抱擁、頬をすりよせポンポンと優しく背を撫でた。
「ごめんね、こんな話ベレーザが傷つくのは分かってた。本当は一生隠していくつもりだったのに。そのことだけは、許してほしい。綺麗な身体のままでいられなかったことで、嫌わないでほしい。ごめんなさい。ほんとうにごめんなさいベレーザ」
サグレが綺麗な身体じゃなかったことなどどうでも良かった。むしろ、サグレの一番の理解者だと信じていた自分のとんだ間抜けぶりが許せなくなった。
サグレの中身は、様々な苦痛や業火がくすぶっていた。冷静で落ち着いて、過去を乗り越えた天才彫刻師。それは表向きだけの話であり、何故そんな心の傷に俺は気づいてやれなかった。
サグレを、責める気持ちはもう湧いてこなかった。理性は彼女がおこした災厄に対する嫌悪が声を荒げていたが、それよりも大きく感情がサグレに対して同情し許してあげなければならないと必死に訴えていた。
そうだ、例えサグレがどんなになろうと、俺だけは彼女の味方になるべきなんじゃないのか。
護ると誓いながらも、何一つサグレを護ることができなかった罪滅ぼしか。それとも、どんな状況になっても愛する人に受けいれられ生きていけるという欲望と嬉しさか。もう、サグレを責める気も止めてやる気持ちも湧いてこない。これからは、ただ彼女に寄り添い生きていってやろう。
視界の端、サグレは大きく口を開けていた。身体の不調を話していたが、それでもだいぶ回復したのだろうか。これから彼女が俺の血を吸い、眷属とやらにするのだろう。それが彼女の望みなら、選び抜いた方針ならば、今度は俺がすぐ近くで彼女を支えよう。今度は世界が敵だとしても。
だが、吸血はおきなかった。サグレの盲目の瞼が開き、まるで見えているかのように瞳が驚愕に見開かれ、首筋に噛みつこうとした身体から口を離し抱きしめたまま俺と自分自身の位置を踊るように入れ替え突き飛ばす。
思わず尻もちをついてしまい、サグレの方を見る。その瞬間、大量の血液が顔に降りそそいだ。
「あっ」
間抜けな声を、あげてしまう。腹部から飛び出た刃はまるで生きた蠢く血菅に繋がったような造形をしており飛び出た腹部の先端から触手生物のように蠢いている。サグレがその刃から身体を抜きだそうとするが、先端が枝分かれをし無数の刃と管を精製し四肢や胴体に巻き付くように縛り上げていく。
縛られた端から細腕や白い足に刃が食い込み、無数の斬り傷が身体中を覆った。
「ベレ…ザ」
「サグレ、お前」
「怪我…は?」
首を左右に振ると、サグレは安堵したように微笑んだ。
「心配しないで…こんな拘束、すぐに…」
サグレが力を込めようとした瞬間、身体が浮き上がり高速でサグレが刃の伸縮が戻るのに合わせ引きずられていく。
その刃の先には、連結した刃を持つ奇妙な形状の剣の柄を持つランザがおり、逆手に銀色のナイフを持っていた。
引き寄せられたサグレが、なにかを言おうとしたがそれより前にランザの腕が動き。サグレの頭部にナイフが刺しこまれる。甲高い悲鳴をあげ、サグレが今まで聞いたことがないような苦痛の声をあげていた。
ナイフを引き抜き、今度は背中から、身体の陰になって見えないが恐らく心臓と思わしき場所にナイフを突き立てる。身体を引き裂きながらナイフを引き抜き、最後に首の骨を両断せんとする勢いでナイフが首筋に叩きこまれた。
連結した刃が蠢き、サグレの四肢や胴を激しく斬り付けながら切断して離れる。先程見せたような再生がされる様子はない。両足と両腕が切断され、べちゃりとサグレの身体が地面に落ちる。サグレはかろうじて繋がっているような首を動かし、ランザの方に顔を向けた
「な…ぜ…ベレーザを」
サグレの苦し気な言葉が、口から洩れる。端から血を流していた。その表情は、信じられないといったような、顔をしていた。
「お前は必ず、庇うと思ったからだ」
「……そん…な」
サグレがこちらに顔を向ける。
「ベレーザ…たすっ」
ランザの足がナイフの柄を踏みつけ、貫通した刃が首筋と地面を刃で縫い付ける、半ば以上に首が千切れかけほとんど繋がっていないような状態になる。ランザは、そんなサグレの頭部に散弾銃を向けた。
一発の銃声が、響く。サグレの頭は、粉々に潰れたままもう二度と再生をしなかった。