家族の仇は、娘でした   作:樫鳥

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 剛健であれ、勇猛であれ、勤勉であれ。大陸最大の国家、帝国。初代帝王が残した三つの指針が礎となり拡大と発展を繰り返してきた。

 

 元を辿れば帝国は、群雄割拠をしていた大陸においては小国、それも比較的群雄の中で大きな力を持つ隣国マズガリーの実質属国のような扱いを受けていたという。

 

 初代帝王となるギルバートは、若者の頃は奔放に遊び呆けており家臣にも王にも、器としても領主というより狭としての性格が前面に出ており、こいつを跡継ぎにさせては国が亡ぶと思わせていた。

 

 しかし、若さに似合わぬ老獪さをギルバートは持ち合わせていた。地方の豪族や自国と同じ小国の有力者、国民の若者世代に軍部の若手将校と接触し抱き込み、彼は着々と、下剋上の準備を進めていたという。

 

 反乱により、現国王を処刑台に送ったギルバートは、徹底した独立主義、小国同士の経済協力法案、脱マズガリー政策を次々と打ち出した。

 

 当然マズガリーは激怒、ギルバートを名指しで批判をし制圧の号令をかける。戦帝、ギルバートの半生を越える戦いの歴史のなか、本格的な戦争はこれが初めてであった。

 

 マズガリーとの死闘、群雄を飲み込む快進撃、騎馬民族の襲来と敗北、そして逆転。その人生ほとんどを戦場に費やし、初代帝王となったギルバートは現在でも国父として民衆に慕われている。

 

 「なんてこった」

 

 帝王ギルバートの彫刻がたつ広場。その向こう側に見える絢爛で巨大な城は、大陸二番目に力を持つ筈の連合王国のそれよりも立派であった。

 

 帝都。ある意味では、世界で一番安全な都市。

 

 人妖等の話を聞くことはなく、仮にいたとしても皇帝のお膝元、軍事国家として名高い帝国だ。多少力を持つ化物くらいなど、瞬く間に蹴散らされるだろう。

 

 そのような理由で帝都には訪れたことはなかったが、自分がつくづく田舎者だと思い知らされるはめになった。人も、物も、領土も、なにもかもが他国とはスケールが違う。

 

 「観光でもする?」

 

 体調が回復したクーラは、ニヤニヤとした顔を浮かべていた。巨大な城に圧倒される様子を見ていて面白いのだろう。こいつめ、とも思うがそれくらいで楽しい思いをしてくれるなら怒ることもない。軽く側頭部を小突いておく。

 

 「宿の確保は終わっているし、まずエンパス教を調べることから始めるか。この手のことについては、お前の方が得意だろう。やり方は、任せて良いか」

 

 「諜報と暗殺が専業だったからね。大丈夫、成果は持ち帰るよ」

 

 「優先事項はエンパス教で良いが、レッドアイ流通経路についても、ついで程度で良いから調べておいてくれ。こちらは成果が無くても構わない。俺はこの都市のエンパス教に対しての教団の動き、そして災害対策室や竜狩りについて過剰にならない程度に探ってみようと思う。まあ、まだ病み上がりだし無理するなよ」

 

 手のひらを出すと、それにパチンと叩きクーラは人混みの中に消えていった。

 

 帝都にて活動経験があるクーラの案内で、主要な街区は一通り案内してもらった。あとは、足を引っぱらないように気をつけて情報を集めれば良い。

 

 広場から離れ、旧街区に向かう。この帝都において古くからあるこの地区では、なにもかもが先鋭的な帝都において一昔前の、ある意味では見慣れた環境で少しだけホッとする。

 

 大衆食堂にて軽食を購入する。小麦を薄く引き伸ばした生地に薄く焼いたベーコンと葉野菜を巻いて辛めのタレがかかったものを購入する。少し早めの昼食であるが、慣れない街を歩くことで少し早めに腹が減ってしまった。

 

 この地区にも教団の教会が存在する。別の地区に行くと、上流階級ご用達のようなこれ以上ない程大きな教会が存在したが、距離の問題で当たるのは少し後回しにする。

 

 「初めまして。この辺りでは見ない顔ですね」

 

 教会に入ろうとした瞬間、声をかけられた。振り向くと若い男女の二人組がニコニコしながらこちらに声をかけてきた。顔立ちは違うのに、貼り付けたような似たような笑顔を浮かべており不気味さを感じる。

 

 「この辺りでは見ない顔というのは、その通りだが帝都の人口は確か六十万人程。この地区だけでも何万人いるか分からないんじゃないか?」

 

 「それはおっしゃる通りで。しかし、この教団に入ろうとする方はほぼ全員把握しているので分かりますよ」

 

 「それはまた、随分と面倒なことをしているな。それで、何の用だ」

 

 予感というか、ほぼ確信に近いものを感じた。探りを入れようとしたら、いきなり本命が近づいて来た訳だ。

 

 「新たな啓蒙活動への、勧誘を行っております。エンパス教というのを、ご存知でしょうか」

 

 「いや、知らないな。どういう宗教なんだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ランザは旧市街の方へ向かった。ならば自分は、どこから当たっていくか。

 

 まず注意しなければならないのは、自分はランザ以上にエンパス教の者に顔が知られているであろうことだ。レントの元で活動していた頃は、宗教絡みの活動はまだ動きを見せていなかったがその下地作りのようなことはしていたようには思える。

 

 最初からエンパス教を探るのは、リスクが高い。思い切ってここは、エンパス教はランザに任せ、自分は副次的な目的から調査を開始することにする。後で調査結果を互いにすり合わせ、その状況に合わせて方針を変えることにしよう。

 

 レッドアイ。液体状であり、注射器で身体に打ち込むタイプの薬物。大抵の精神と身体に影響がある薬物は、テンションが上がり興奮しやすくなるハイと気分がどこまでも落ち込んでいきその中での陶酔感を味わうロウに、大まかには分類される。

 

 レッドアイは珍しく、最初はロウになり時間が経つにつれハイになる珍しい特性を持っていたが、それも二年ほど前の話だ。それから改良が加えられたという情報もあるし今はどのように変化しているのかも分からない。

 

 大抵の薬物は、こういう下層から流行るものだ。明日がない極度の貧困層は、貯蓄したところで大した財もたまらなければ、運が悪ければその貯蓄ごと全てを強盗に奪われることもある。刹那的な快楽に身を浸しやすい者達がいる場所は、リスムだろうが帝国だろうが、連合王国だろうが変わらない…と思ったのだが。

 

 「読み違えた?」

 

 調査を開始して、はや二時間程が経過していたが、それらしい話を掴むことができない。スラムに居を構えるマフィアやその周辺も監視していたが、流通している違法薬物は以前からある既存のものという印象だ。

 

 考えられる原因としては、二つ。一つはこの薬物が、頭一つか二つ分飛びぬけて高価であるという可能性。それならば、売買を行うターゲットとしては貧困層よりも中流階級辺りを探る必要がある。それでも、噂すら聞かずまったくそれらしいものが見つからないのは不自然ではあるが。

 

 もう一つは、リスムでは違法薬物として扱われていたものが、この帝国では合法として取引されているということ。例えば、帝国ではレッドアイに手を加えることにより何らかの医療品として流通することに成功させたとか。

 

 医療といえば、医療教会と国境をまたいだ民間組織である医術組合という二つの大きな組織があるが当然帝国じたいにも国家主導の組織は存在するだろう。そこでなんらかの新薬が開発されその原料に…という流れだ。

 

 そうであるならば、民間にレッドアイが流れてくることはほとんどなくなる。だがそうであるならば、疑問点が浮かび上がる。政府が主導しているような組織にレッドアイが流されているのなら、レガリアも当然それは掴むことができるだろう。

 

 レガリアですらも探り切れない、裏側への流通。いったい誰が、ハーウェンからレッドアイを買い付けているのか。

 

 いっそ、可燃性であるということを考えて燃料として買い付けられているのかもしれない。そうであるならな、お笑いだなと思ったところで腹の音が鳴った。今からだと、遅めの昼食だ。

 

 別行動で食事はしっかりとるようにと、ランザに金銭は多めにももらっている。テンを追うという目的を共にしてから、財産は共通管理をするようになった。今のところ、財布の紐は年長者ということでランザが握っているが、不自由しないだけの金銭は渡してくれるので困ることはない。

 

 しかしスラムで飯を食おうなど、得体のしれないものを口に含むのと同義だ。自分はそれでもかまわないといったらそれまでだが、ランザにそれが知られたらなんの為に金を回したと怒られそうだ。病み上がりなんだし、ちゃんと栄養がとれとも追加で小言が飛んできそうでもある。

 

 一度スラムから離れ、食事を食べに行くがてら中流階級が多く住まう地域を調べることに方針を変えてみるか。

 

 そう考えた瞬間、鼻が美味しそうな香りを嗅ぎつける。スラムには、似つかわしくない香りだ。

 

 角を曲がり臭いの方向を見てみると、得心がいった。教団による炊き出しだ。

 

 薄味ではあるが暖かいスープと、安くはあるが腹を満たす平パン。この手の慈善事業は、単なる善意の施しで終わるものではない。食事を満足に食べることもできずに、犯罪にはしる者達を抑制する役割がある、一種の社会保障ともいえるのだ。

 

 現に、帝国のみではなくある程度の先進国は炊き出しに対して助成金を出している。半分は寄付や運営資金からの捻出だが、もう半分は国の財布という訳だ。

 

 徴収した税金をこんな無駄に使うなと腹を立てる者もいるが、この供給が絶たれてしまえばその分だけ腹をすかした暴徒が出来上がることを分かってはいないからこその文句だろう。善意を止めた時、脅かされるのは生活なのかもしれないのに。

 

 腹の音は、鳴った。

 

 「お嬢ちゃん。炊き出し、もう終わっちまったよ」

 

 ボロの服を着た男が声をかけてきた。腹の音が聞こえたか、炊き出しを食べに来たみなしごかと勘違いされたのだろう。経済特別区で購入した装備品は宿におき、今は中古で安売りされていた古着を身にまといスラムで活動しても目立たないようにしていたので無理はない。そう見えるように、したのだから。

 

 「みたいね。教団の炊き出し?」

 

 「ああ、神の慈悲だかよく分からねえけど、なんにしてもありがてえ…」

 

 「はッ!なんだこの残飯みてェな飯は!俺達を浮浪者だと思って舐めやがって!教団の神様とやらの慈悲は、大したことねぇなぁ!」

 

 男が話を続けようとした瞬間、これ見よがしに周囲に聞こえるように粗暴の悪そうな男が吠える。教団のシスターは困り顔を浮かべており、周囲の者達は不機嫌そうに眉をひそめたり注意をしているようだったが何人かは男の言うことに頷いていた。

 

 「チッ…若造め」

 

 「なにあれ」

 

 「ああ…まあ…あんまり関わらない方が良い。飯が食えることじたい、幸せだというのを分かっちゃいねえんだ」

 

 自分が帝都にいたころは、少なくともあの手の輩はいなかったように思える。

 

 「なにがあったの?」

 

 「最近、教団の他にもエンパス教が炊き出しを始めたんだ。それが、スープの具も多いし味付けも濃い、パンは小麦を使った白いパンを用意してくれている。炊き出しにしては豪勢なもんだが、それで舌が肥えちまった連中が教団の炊き出しに不満をぶつけるようになったんだ」

 

 「炊き出しにでしょう?スープはともかく、ライ麦じゃなくて小麦のパンなんて…どこからそんな金が」

 

 「さあな。だがエンパスの連中がだす炊き出しに参加すると、半ば強制的に奴らの神殿で説法を聞かされる。参加した奴に話を聞くと、菓子と葡萄酒を振舞われたっつーが…」

 

 「菓子に葡萄酒を?嘘でしょ?」

 

 いくらなんでも羽振りが良すぎる。信者数をかさましする為の工作か、それにしたって金のかけどころが極端すぎやしないか。そういえば、このおじさんの言い方も、誰かに聞いたことを話しているような感じだ。

 

 「おじさんは、行ったことがないの?」

 

 「豪華な飯や酒は憧れるがよ、こんな生活をしているんだ。万が一舌が肥えちまったら、日々を生きるだけでも辛くなっちまう。それに、別段神様を信じてなくてもこれまで継続して炊き出しをしてくれた教団相手に喧嘩を売る、エンパスの連中はいまいち信用できねえよ。それに…」

 

 「それに?」

 

 「みんな気にしちゃいねえが、俺の気のせいでなければ説法を聞きに行った連中の中から、何回かに一回は一人か二人消えちまう。それなのに、一度参加した連中は周囲を誘ってまた向かおうとする。美味い飯に誘われても、不気味なところには近寄りたくはねえからな。お嬢ちゃんも、炊き出しもらうだけならともかくついていくのはやめておきな」

 

 思いがけず、収穫があった。連中は金に糸目もつけずに浮浪者相手に対して施しを続けている。そして、連中の施設である神殿に入った者達の中には戻ってきたいないものがいるという。

 

 話しかけてきた男に礼を言い、その場を離れる。レッドアイの情報収集は一度置いておこう。今日の夜にはランザと宿で集合するが、炊き出しというものは比較的明るい時間から始まることが多い。先にランザにこのことを話しに行くか。いや、ランザ自身もう旧市街から出ている可能性もある。

 

 ならばまず、炊き出しには参加せず張り込んで、潜入後内情だけ調査をしておこう。内部でなにがおこっているのかを確認してそれをランザに報告するのがいいだろう。

 

 そうだ、別の浮浪者や近隣の住民からも裏どりをしなくては。情報の精度をあげることも大切だ。

 

 「慈善事業で終わっているのならば、良いんだけどねぇ」

 

 夕暮れ近くまで時間がある、あとは…やることをやったら、時間まで一度この都市にあるエンパス教の拠点と思わしき場所を、調べられるかぎり調べていこう。

 

 あとは竜狩りの動きを見極めたいが、仮にも相手は帝国最強を謡う特殊部隊だ。専用の装備と協力者に、事前の情報収集や準備を確りしないと上手いこといかないだろう。

 

 「やるか」

 

 風邪でダウンした分、取り戻さなければならない。エンパス教の動きから、レントの動きを予想しこちらに被害が及ばないように立ち回る方策を探る。災害対策室にも目をつけられている以上、不安要素は出来る限り減らさなければならない。

 

 人妖相手にする方が楽、なんて言ったらランザに怒られるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人組の男女に案内されたのは、中流の階級が住む区画に建つ石造りの建物の前だった。

 

 元はなにかの施設だったのか、宗教施設というよりは潰れたを商館を改装したという趣だ。荷を入れた馬車を入れる為、玄関口が広く複数ある造り等まさにそのような趣である。

 

 「では、本日は見学ということで」

 

 「知見を広める為にな。誘われて来たのだが、問題はないか?」

 

 「ええ、どうぞ。正しい啓蒙を得る為の糧としてください。我々の門戸は何時でも開いておりますゆえ。ようこそ、神殿へ」

 

 入ってすぐ助祭のような男に声をかけられる。あくまで誘われて興味本位で訪れたという体を保っている為、あくまで今の俺の立場は懐疑的ではあるが頭から否定をするのは良くは無いと考える教団側の信者という立場だ。

 

 誘いをかけてきた二人組も、信者の引き抜きをする為教会に入ろうとするこちらに声をかけたのだろう。矛盾はない。

 

 ちなみにエンパス教では、教団でいう教会のことを神殿といっているようだ。意味や由来はあるのだろうが、今はややこしくなくていいと要素とだけ考えておこう。

 

 まだ商会として運用していた頃と違い、馬車を止めるスペースから商品を取り扱うスペースまで、柱などの建造物を支える大切な部分を除き全ての壁が取り払われていた。

 

 代わりにあちこちにはまだ真新しい木製の長椅子が複数並べられており、一番奥には女神の彫像が安置されていた。先端がリング状の杖のような持ちを、差し伸べたように伸ばされる手には杯のようなものが乗せられていた。

 

 長椅子に座り、周囲の様子を観察する。俺の後ろからも何人かの人間が続々と入り込んでおり、これから集会でもするのだろうか人々が椅子に着席し始めていた。

 

 目の前には前の席の背もたれからでっぱるように板が差し込まれており、その上には木の杯が乗せられている簡易なテーブルのようになっていた。

 

 両隣に、俺に声をかけてきた男女が座った。本来俺は無宗教に近く、ふりとはいえ教団の宗教を信仰している体なので、エンパス教の信者二人に挟まれるのは逃げ道を塞がれたようであり圧迫感がある。

 

 「なあ」

 

 「はい、なんでしょう」

 

 「ざっくりとした知識として知っておきたいんだが、エンパスとはどういう存在なんだ。神様と一言で言っても、いろんな役目を持った神がいるだろう。エンパスはなんの神様なんだ?」

 

 俺の疑問に、男も女も眉をひそめ困り顔を浮かべた。そこまで変な質問をしただろうか。

 

 例えば、連合王国にも教団の宗教は根強く信仰されているがそれと同時に東方から流れてきた宗教観も同時に息づいている。

 

 一言で神といっても、宗教の世界を護る武門の神であったり、増長したものに罰を下す荒神であったり、農耕の神、海の神、太陽の神と様々な存在がいるものだ。

 

 エンパスはなにを守護し、または司る神なのか。それを聞いただけであったが、怪訝な顔をされるとは思わなかった。

 

 「なんの神、ですか。まずはエンパス教を知るうえで、その概念を一時的にでも良いのでお捨てください」

 

 「どういう意味だ?」

 

 「文字通りの意味です。既存の宗教とは全て人が、人の為に作られた架空のもの。その概念をエンパス様に当てはめるのは不敬というものです。それでも乱暴ながら、その概念に乗っ取るのであれば、全ての神というべきでしょうか…難しいですね」

 

 「……欲張りなもんだな」

 

 そうだ、エンパス教は一神教であったか。それが良いか悪いかは置いておき、排他的にになるのは無理はないというべきか。信仰を縛る法律はどこの国にもないが、だからこそ他の宗教を全て批判するような宗教観には違和感を覚える。

 

 しかし、リスムでは奇跡と呼ばれる現象がおきたことを知っている。巨人を消滅させた円形状の光の柱。あれがこの世に顕現した奇跡であるならば、成程、他宗教が全て嘘だというだけの自信が湧くだろう。

 

 だがそんな奇跡も、遠くでおきた現象の一つにすぎない。直接見たリスムの者達ならばともかく、熱心な信者を大量に作り出すにはやはりまだなにかピースが足りない。現実味がないのだ。あの時リスム自治州にいた俺ですら、奇跡を直接見ていないためまだピンとこないほどだ。

 

 しばらくした後に、司祭と思われる男が現れた。語る内容に耳を傾けるが、そこまで突拍子な内容だとは思えなかった。崖に砦がある集落にて、教団の神父に聞いた話とさして違いはない。隣人愛に兄弟愛、人と人とのつながりを大切にしましょう。それをエンパスは大切にします云々。

 

 過激な面があるとしたら、発展しすぎた人類への警告。主だっては魔術具に対する使用を取りやめるように広めるものである。あれは、悪魔の知恵から派生した物品であるらしい。

 

 確かに、地下迷宮から発見された古い魔術具は悪魔の手による代物と言えるようなものが出土することはある。しかし、魔術具を使用することによりそれを仕事としている者もいるのだ。

 

 発展を忌避するような言動は、人の行いを否定することにも繋がる。それだけで、拒否感を浮かべる者もいるだろう。現実、クーラの話では村に来た信仰を広げようとする若者達の話をまともに聞くものはいなかった。まだ、なにかがある。

 

 司祭の話が終わり、先頭の列から一人ずつ前に出て司祭の前に並ぶ。用意された木の杯を持っており、用意された器から司祭手ずから一人一人に葡萄酒を注いでいた。

 

 促されて、前に出る。持っていった杯に葡萄酒を注がれ、傍らのシスターから二口程で食べれそうな茶色い焼き菓子を渡される。

 

 「我等はみな、兄弟であり姉妹です。同じ器から満たされた葡萄酒を呑み、食事を食べましょう。そして隣人を支えあい、兄弟を愛し合うのです。それこそが、人類のあるべき姿なのですから」

 

 酒の臭いは、葡萄酒以外妙なものは感じない。焼き菓子も二つに割ってみたが、中身におかしなことはなかった。バターの香り漂う、甘い焼き菓子だ。

 

 なかなか口をつけずにいると、怪訝そうな顔で見られた。

 

 「酒は苦手なもので」

 

 「そうですか、でも一口だけでも良いのですよ。同じ器から注がれたものを体内に取り入れる、それこそが肝心なのですから」

 

 いつの間にか、周囲の人間の視線が注がれていた。目立つのは、あまりよろしくないか。まあ、舐めるだけに留めるなら問題はないと思われるが…。

 

 意を決して、舌先を葡萄酒につける。半分に割った焼き菓子を一口だけ少量かじり、目の前の板をおいた。時間を見計らい、司祭が声をあげる。

 

 「では、祈りましょう。偉大なるエンパスの加護を信じて」

 

 全員が目を閉じ始める。祈りを捧げているのだろう。

 

 祈りはしないが、俺も目を閉じる。これで終わりだとしたら、結局この帝都において爆発的に広がるらしい信者増大の原因が分からない。何故だろう。

 

 疑問点を頭の中で整理しようとした瞬間。頭の中で奇妙な光景が浮かび上がる。暖かい暖炉、並べられた質素だが腹を満たすことができる量のパンと料理。それを囲む者達。何故こんな、そう思った瞬間胃袋が激しく蠢く。

 

 「ウッ!」

 

 立ち上がり、隣の男を乗り越え長椅子の間にある通路に出る。胃袋が激しく蠢き、内容物を激しく床にぶちまけた。

 

 胃袋の中身を全てだしても、まだ身体の中から異物が吐き出される。まるで、授けられた祝福を身体が拒否するように。

 

 「え…あっ……クソ…なんだ今のは。ふざけるな…なんで…クソが」

 

 内容物を出し終え、少し冷静になってきた瞬間ミスをしたと舌打ちをする。これは、いくらなんでも目立ちすぎる。

 

 顔を上げ周囲を見渡す。しかし、床に這いつくばり嘔吐をするこちらに注意を向ける者は一人もいなかった。目を閉じて微動だにしない。もしかしたら、死んでいるのではないかと疑問に思うほどだ。

 

 シスターや助祭でさえ、立ち尽くしたまま目を閉じている。彼等も葡萄酒と菓子を手渡され、祈りを捧げていた者達だ。静寂だけが、満ちていた。まるでこの中で生きているのは俺一人だけのようだ。

 

 「なにがおこっているか分かるか」

 

 『さあな。どいつもこいつもまともじゃなさそうなのは確かだが』

 

 脳内でジークリンデの返答が返ってくる。もしやなにかしら、新しい遺跡からの魔術具の仕業かと勘繰るものの悪竜がなにも感じないのならそれは違うだろう。

 

 なんにせよ、身体に力が入らない。すぐにでもここから出た方が良い。

 

 「おや」

 

 背後から声が聞こえた。振り向くと、司祭が後ろに立っていた。

 

 「ご気分が優れませんか?でも、祈りの最中に立ち上がってはいけませんよ」

 

 「見りゃ分かるだろう。それに、祈りどころじゃないのは確かな体調だ、悪いが帰らせてもらう」

 

 「祝福を受け入れられませんか、致し方ありませんね。分かりました、一度帰られ安静にした方が良いでしょう。その代わり、夜にもう一度おこしください。貴方にも、祝福を受け入れられる機会をもう一与えたいのです」

 

 司祭の言葉を無視して、出口に向かう。今は少しでも早くこの異様な空間から逃れたかった。

 

 「何時でもよろしいです。必ずおこしください、ランザ=ランテ様」

 

 「お前」

 

 足を止めて振り向く。穏やかな顔を浮かべたまま、司祭はこちらを見た。こちらの素性が、バレていた。

 

 「貴方のような方にも、祝福は訪れます。我々にそのチャンスをいただきたい。お待ちしておりますよ」

 

 「そんな言い方をして、来ない可能性の方が高いとは思わないか」

 

 「その時は、お連れ様を先に招待させていただくのみです。それが嫌ならば、まずはお一人で訪れて様子を見ることがよろしいのではないでしょうか。余計な危機に、巻き込みたくはないでしょう」

 

 司祭としばらく視線が交錯するが、俺は踵を返し神殿から出ていく。

 

 恐らくはあれが、あの酒か菓子に混じるなにかが信者が増える理由だ。それにより、帝都の人民を篭絡していった。

 

 「上等だよ」

 

 湧き上がるのは、怒り。脳裏に浮かんだ光景は、衝撃からもうほとんど消えかけていたがそれがとてつもなく気に食わないことだけは覚えている。心の底から、沸々と嫌悪感のようなものが煮えているような感覚だ。あれは、俺の中のなにかを踏みにじった。

 

 罠かもしれないが、このまま放置はできない。なにを企んでいるか、この際直接聞きだしてやろう。なにもかもが気に入らない、そんな感情が久しく湧き上がっていた。

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