家族の仇は、娘でした 作:樫鳥
幾つかエンパス教の拠点を抑えた後、クーラは建物の屋上にて監視の体制に入っていた。組み立て式のテーブルが並べられ、野菜が沢山入ったスープと小麦でできた甘いパンが運ばれている。件の炊き出しが始まるまであと少し。
成程、離れていてもこの臭い。昔食べた時の教団の炊き出しもまずくない、むしろ味がついていることに喜ぶべきものだったが、これはもう料理としては格が違うのが食べなくても分かる。
なにより柔らかく甘い小麦のパン。いくら帝国の台所事情が豊だとしてもあのようなものをポンポンと出されたら、惹かれない理由がない。むしろあの浮浪者はよく我慢できているものだ、聖人かなにかか。
炊き出しに並ぶ者達も、暴動だとは言わないがなかなかに殺気立っている。それはそうだ、いくらなんでも全員分に行き渡るだけの食料を毎日のように用意ができる訳がない。
炊き出しが開始され、スープと小麦のパンが配られる。失う物が何もない人間は、どうにでも暴走できる。スープを飲み、小麦のパンにありつく者達は皆笑顔や感謝を浮かべていた。これを手放すとなると、もう迂闊なことはできないだろう。これはこれで、社会保障として成立している。
それから二時間程様子を監視し続ける。パンがなくなってもスープが提供されていき、それが全て無くなった時エンパス教の人間が動いた。それに続く者達の中には、炊き出しにありつけなかった者も多い。
あの集団には紛れず、屋根から屋根を飛び移る。向かった先は目星をつけていた拠点の一つ、昼間外から除いた時には椅子と祭壇があったため仮設の神殿扱いなのだろうか。二階建ての建物であり、屋上から内部に潜入し、一階の梁にて身を潜める。
浮浪者達が集まり、椅子に座っていく。隣人愛と家族愛、エンパスへの感謝を説く言葉が紡がれ、退屈な話が長々と続いていた。数時間は続いたか、欠伸をする者や居眠りしてしまう者。退屈そうに腕を組み合わせる者。イライラと片足を動かしている者などおりまともに聞いている者はほとんどいないだろう。
だがしかし、そんな話が終え全員に菓子と酒が振舞われ始める。あれは確か、マドレーヌといった菓子だっただろうか。帝国西部にある地方が産み出した菓子で、あの差別主義者であるライフル使いのカリナが好んで食べていたのを覚えている。生憎、自分は食べたことはないので味が分からないが、あのお嬢様育ちが気に入る味ならさぞ美味いのだろう。
葡萄酒もそうだが、マドレーヌの甘味に涙を流す者までいた。あっという間に配られた食料が平らげられ、同じ器から飲料と食料を食べた兄弟として、互いの平穏とエンパスへの感謝を捧げる為の祈りが始まる。
さて、本心で祈る者がいったい何割いるであろうと意地悪なことを考えていたが、奇妙なことに気づく。
祈りを捧げる者達が、身じろぎもしない。肩が僅かに動いているから、呼吸などの生体反応を示しているのが分かるが信心深くない者達がここまで祈りを捧げるであろうか。
異様な光景に、背筋に寒気を覚えた。まるで意思をもつ人間が、意思を持たない群体になったかのような。
静寂のなか、音が響く。入口から入ってきたのは、三人の男と一人の女だった。
一番屈強な初老の男が、なにやら麻袋のような物を抱えていた。あれは、外から見ただけ分かる。成人男性、それに近い物が中に入っている。
だがそんなことより注目したのは、女の方だ。レガリアが発行している非公式の手配書に、あの顔が乗っていた。
黒髪を後ろに縛り上げ、細い蛇のような独特の印象がある美形。口には長煙管を加え、その服装はテンが着込んでいたのと同じ極東の民族衣装。
通称蛇女。レジーナと名乗る女が、何故こんなところに現れる。
「地下へ向かう。お前はもういい」
「……お嬢」
「贖罪をしたいという意思を汲み、手伝わせてやったのだ。だがここから先は、裏切者……いや、いざという時逃げ出した臆病者に見せられる領域ではない。下がれ」
他の護衛の二人が、レジーナの前に立つ。初老の男がなにかを言いかけたが、諦めたように肩を落としながら頷き肩に担いだ布袋を渡した。男二人がそれを受け取ると、レジーナが司祭に合図を送る。
司祭が壁に手をつきなにやら唱えると、怪しげな光が祭壇に浮かび上がり、薄れるように壁が消え階段が現れた。レジーナと護衛二人がその階段を降りて行く。
レジーナが降りて行ってから数分後、消えていた壁がまた色を帯び始めた。このままでは、通れなくなってしまうだろうか。
行くべきか、いや戻るべきか。隠すということは、あの奥にはなにか知られたくない秘密がある。それを暴くことができれば、エンパス教には致命傷を負わせることができるかもしれない。
だが同時に、リスクがある。ランザの秘密を握る物がエンパス教に所属している可能性が高く、レントというランザを敵視している存在がこの先どう立ち回ってくるかは分からない。その敵の実体を知る為に、エンパス教を調べていたという前提がある。
つまり、九十の確率で敵対する可能性があっても、十の確率で衝突しない可能性だってあるのだ。ランザも言っていたが、あの中性的な刺客がレントの手によるものだと断言できた訳ではない。現に、レントはまだ致命的なランザの秘密を災害対策室なりにぶちまけてはいない。
悪竜の一部が身体の中に組み込まれたなどと言う秘密を知れば、かの組織は総力を挙げてランザを叩き潰しに来るだろうが、未だ監視に留めているのが良い証拠だ。
無理をする必要はないかもしれない、だがチャンスはこのタイミングしかない。どうする、自分はどうすれば良い。
「身隠れは一流。だがまだ若いな」
初老の男が、こちらを向いた。
バレた、と思った瞬間スイッチを切り替える。一度宿に戻り着替えた為、装備は万全だ。投げナイフが入ったホルダーから二本取り出し、投擲。
初老の男は、軽いステップで二本の刃を回避する。慌てる司祭をよそに、跳躍。丸太のような足が自分がいた梁を粉砕。木の破片と埃が舞い、床に着地せざるをえなくなった。
着地した男と対峙した瞬間、全身の毛が逆立った。なにも装備していない徒手空拳、だが相手はまるで長物を持っているかのような圧力を放っていた。手に構えた直刀が、頼りない小枝に思えるほどだ。達人、という言葉が頭に浮かんだ。そしてその構えは…。
「……何故、そんな構えを」
「ほう、ただの鼠かと思ったが、この型を知っているお嬢ちゃんとはな。ということは」
白髪交じりの眉を人差し指でかきながら、男は構えをとく。腕を組み合わせ、口の端に笑みを浮かばせながら身体を横にずらした。
「行け」
「え?」
「貴様、なにを言って!」
司祭が近づいてきて文句を言うが、唐突な裏拳で吹き飛ばされた。こんな状況になっても、身動きしない浮浪者達は不気味だがそれ以上に目の前の男の真意が分からない。
「かつておこした一度の不義を、一度の義理で返した。もうこれ以上、老いぼれは必要ないようだし、あとはどちらの味方でもない。だから、お嬢ちゃんがここを通ろうとするのを止めはしない、行きたいならば、行けば良い」
目の前でおこった裏切り行為であるが、男はまるでどこ吹く風だ。こちらに近寄り、傍らを抜けて通り過ぎていく。
「なんで」
「さあて、まあ縁というのは奇妙なものだったと言うておこうか。行くも行かぬも自由であるが、行かねば後悔することになるかもな。爺の繰り言だと思うのなら、それでも良い。では、生きていたらまた会おうか」
初老が扉から外に出る。壁の色合いが増して来ており、もうほとんど元通りに戻りかけていた。
意を決して、体当たりするように壁に飛び込む。身体がすり抜け中の階段に足を踏み入れたと同時に、退路が塞がった。蝋燭の明かりすらない完全な暗闇となるが、瞳孔が広がり暗視に視界が切り替わる。
あの男の言葉を聞いてから、胸騒ぎが止まらない。ここまで来たら、もう進むしかない。
夜の中流階層における神殿は、人の気配がしなかった。人払いが行われたのだろうか、まるで誘うように正門も開け放たれている。
『確実に罠だな。きな臭すぎる、本当に行くのかよ』
「……ああ」
『おい、おいおいおいおい。なんかおかしいぞお前。いつも通りじゃねえ、せめてクーラと合流するまで待つとかの心の余裕はどこに置いてきた』
「俺がかたをつける案件だからだ。人妖もテンも関係ない、余計な危険に首を突っ込むのは俺達だけで充分だろう。場合によってはお前も使う、そうなればもう言い逃れできないしな。指名手配は一人で良い」
『……オレは構わねえよ。だが、やっぱりらしくねえんじゃねえか。なにをそんな憤ってやがるんだ』
最後の言葉は無視して、神殿の中に侵入する。中を進むと同時に、暗闇に蝋燭が自動で灯されていく。
「ようこそ、ランザ=ランテさん。初めまして、自己紹介をしても良いかな?」
祭壇に腰をかけ足を組むのは、黄緑色の短髪でローブを着こむ女性であった。クーラよりも年齢は上であろうが、肉付きの少ない華奢な身体つきであり、童顔っぽい顔立ちから年齢が分かりづらい。杖を片手で弄び、嗜虐的かつ悪意のある視線を向けて来る。
「レントの手下か。なにが目的だ」
あえて、相手の会話を噛み合わせない。少しでもペースを崩し、その余裕面を引っぺがしてやりたかった。苛立ちが、激しく内情を揺さぶっている。昼間からずっと暗い怒りが消えない。それだけのものを、見せられた。なのにそれがなんだったか思い出せないのが、余計に余裕を奪ってしまう。
「表向きはね。でもわた…いや、この場はボクで行こうかな。改めて、ボクは違う。彼やエンパスとは別の目的意識があって動いている。エンパス教やレントは、踏み台さ、ボクの目的を遂げる為の近道になるから、力を貸しているにすぎない」
女性が祭壇から飛び降りたと同時に、目の前に現れた。こちらの瞳をマジマジと覗き、アハッと嘲笑を含んだ歪んだ笑みを見せる。
「成程、なるほどなるほど。これが、クーラを堕としめいた眼か。確かにこれは、魔力を持たない偽物なれど、天然ものの邪眼としては悪くはないね。くりぬいて飾っておきたいくらいだよ。おっとごめんね、自己紹介、しようか」
こちらに背を向け二歩程離れ、こちらに振り替える。両手を大きく広げ、天井を仰ぎ見た。
「ボクは、真なる魔術使い、魔法使いの長たる者。ウェンディ=アルザスさ。会えて嬉しいよ、ランザ君」
「昼間のアレはなんだ、お前の仕込みか」
「ああ、あれ。一から十までがボクの仕込みじゃないけどね、仕組の土台を構築したのはボクさ。そうだね…葡萄酒、あれは赤くて良いねぇ。なにを入れても気づかれやしない色素だよ。おっとこれは冗談だよ、冗談さぁ…フフ」
散弾銃を引き抜き目の前に向ける。一発の銃声が響き渡る前に、ウェンディが石畳の床を杖の先で叩いた。目の前に巨大な石人形が現れ、散弾銃はその腹部を破壊するに留まった。
「おやおや、民間人に発砲しても良いのかい?君は、無益な殺しはしないと聞いていたけれど」
「癪に障るんだよ、その余裕ぶった態度がな。それになにが民間人だ、ふざけやがって」
「はあ…しょうがないねぇ」
ウェンディが指を弾いた瞬間、あちこちでいっせいに気配が動いた。深紅の軽装鎧を着た一団が躍り出て、退路を断ち包囲を完了させる。
巨大な突撃槍と独特の形状である銃器の先端がこちらに向けられた。
「こいつらは」
「竜狩り隊。帝国最強の特殊部隊さ、気配すら感じ取れなかったのは、流石といったところかなぁ」
ウェンディの傍らから、若い精悍な顔立ちをした男が現れる。憎悪を込めた視線を向け、射殺さんばかりの敵意を向けられた。
「ランザ=ランテ!帝国内での無許可による発砲は認められていない!ただちに拘束させてもらう!」
「帝国最強さんが、ちんけな事件待ちで待機していたってか、暇な連中だなおい」
「五月蠅い!貴様にはモスコーやリスム事件との関りや、悪竜との関係性が疑われている!舐めたことをぬかすなよランザ=ランテ、疫病神が!」
左右から突撃槍が迫る。身を低くして回避し、腰の袋から煙球を取り出し足元に叩きつける。
「ただのめくらましだ!よく見ろ!」
冷静な号令が飛ぶ中、ジークリンデが声をかけてきた。
『どうする?蹴散らすか?』
「竜狩り隊の前でお前を使いたくはないが…」
『だからといって、玩具と小手先の技術で包囲を崩せる相手かよ。もう向こうさん、お前を捕まえる気満々じゃねえか。腹、くくれや』
「……っ!なるべく殺すなよ!」
煙から飛び出し、散弾銃をリーダー格の男に向ける。二発の銃声が響くが、男の手には小さな円形の魔術具が握られていた。深紅の盾が空間に浮かび上がり、散弾が防がれる。あれがほとんどすべての防護が意を為さない、竜相手に対する防衛策である紅盾か。人妖の装甲を貫く散弾銃が、役に立たない。
『その余裕があったらな!』
腰から引き抜いた剣が、連結刃へと姿を変える。紅盾に刃がぶつかり、激しい火花をたてて暗闇を照らした。
刃の勢いに膝をつき、紅盾は砕けずとも持ち手が怯んだ。急にここまで圧のある攻撃が来ることは予想していなかったのだろう。
「なんという圧力!そしてこの禍々しさ、やはりこれは悪竜の!」
「気のせいだ!」
四方から銃声が響くが、ジークリンデが蠢きそれを防御する。こちらはただ前に出て、布袋から袋を取り出し投擲した。
とっさに防御を固めるが、内容物は火薬に反応して音を立てるだけの偽爆薬。痛みなどはない為、守りを固めた隙に跳躍し包囲を抜ける。
出口とは反対側の扉を蹴り開け、通路に侵入する。いつの間にかウェンディの姿は消えていたが、今は気にしている余裕はない。
幾つかの部屋が見えるが、一番奥は勝手口のようで開け放たれていた。だがしかし、赤い異形の面を被る男が無手のまま立ちふさがっていた。魔術具を持つ様子もない、ジークリンデを使えば、殺してしまう。
「怪我をしたくなければ、退け!」
散弾銃を空中で回転させ、銃口を掴む。ストックで相手を昏倒させようと振り上げた。
間合いは、充分に離れている筈だった。
にじりよりからの、高速接近。半歩分勝っていた間合いが瞬間移動のような速さで詰められ、手首と腰を掴まれる。足払いで身体が空中に浮き、壁に叩き付けられた、重力に従い落下をする前に鋭い蹴りが腹部にのめり込む。
「格下ばかりを相手にしていたか?鈍る訳だな若造」
「アッ…グッ…アンタ、その声は」
床に落ちてから、後ろに転がり間合いをとる。この赤面の男、今の投げ技の鮮やかさ、何時詰められたかも分からない歩法。いずれも、身に覚えがある。
だとしたら、なりふりは構えない。ジークリンデを握る力が強くなる。だがしかし、振るおうとした前に赤面の男がまた手品のように間合いを詰めた。
「異形の蛇腹剣か。確かに化物相手には有用だろうが、その攻略法は簡単だ」
『ランザ!下がれ!』
ジークリンデの警告に従うまでもなく危険なことは分かっていたが、もう遅かった。
「間合いを詰めてしまえば、その遠大な長距離攻撃は逆に小回りが利かぬ仇となる。もっと、足さばきを鍛えておくんだったな」
顎、心臓、腎臓、股間。正拳が急所に四連撃で叩きこまれた。この速さは、エイラよりもよほど…打撃術もこの水準だったのか、この野郎は。
視界がぐらつき、意思と無関係に膝が崩れる。
「クソボケ!おいランザ、寝てる場合っ!」
ジークリンデが実体となり、背中の連結刃を動かした。しかし、その身体にも巨大な裁縫針のようなものが背中から無数に貫通して突き破る。
「竜狩り隊特製銃。装甲を貫通し竜の毒たる、他竜の血を塗り込んだ弾丸を撃ち出すニードルガンか。怖いねぇ、まるで針串刺しの刑だ」
赤面の男は、肩をすくめた。もう、ジークリンデに脅威を感じていないからだ。
「我々人類は、貴様らを狩る為に日進月歩を続けてきた。悪竜、貴様の時代などとっくに終わっている」
「……分かっちゃ…いんだよ…んなことよォ。なあ…相棒……寝ている場合か…起きろ…ぶちかまそうぜ」
声をかけたジークリンデの喉と額にも、ニードルガンが放たれる。ダメ押しとばかりに、突撃槍が股間部と胸部を貫通させた。
「リ……ンデ」
意識が薄れゆく前で、ジークリンデは串刺しにされたまま顔を下にダランと降ろした。背後からは、「やった」だの「悪竜をこんな簡単に」だのといった声が響く。
「作戦通りですわね」
赤面の男、いや、クダ=カンゼンの隣に黒髪の女が現れる。テンに似た、極東の民族衣装は黒を基調とした色鮮やかな彼岸花で彩られていた。
「竜狩り隊の皆様が追い込み、私の手駒が捕まえる。計画に狂い無く、首尾は上場といったところでしょうか?」
「その男も渡せ、報酬は後日金銭で送る」
「あらあら、異なことを。報酬に関しては、山分け。私はそこのランザ=ランテをもらい受けます、悪竜という手柄を手に入れたのですから、そちらはもう引き下がってもらわないと」
「その男は、悪竜とかかわりを持つ重罪人だ。我等を怒らせるな蛇女、たかだか田舎マフィアの頭の分際で」
「この不正規行動をおこす為に、こちらがどれほど骨を折ったと?貴方のお父様を含め、非合法の手段をぶちまければいかに手柄があろうと貴方はもう竜狩りではいられなくなる。それは忘れてはいませんか?ふふ…脅しには使いません。ランザ=ランテさえ受け渡してもらえれば、その全てを破棄すると約束いたしましょう」
レジーナと呼ばれた女と、竜狩りの若き騎士がにらみ合う。
「引け」
「しかし!」
「ここで無理を通せば、こいつの組織は暴発するだろう。証拠等、我等の手で後でいくらでも消せる。ここは我慢するんだ」
「賢明な判断ですわね、大将」
レジーナの後ろから、護衛の男が二人新たに現れる。手にはズタ袋を持ち、こちらの足を掴もうとしていた。
まだ脳がぐらつくような感覚があるが、ここであがかねば何時あがく。起き上がりの蹴り技で護衛二人の胸と胴を打ち付け、立ち上がろうとしたがその前にクダに押さえつけられ。うつ伏せに拘束された。無駄あがき、ここまでなのか。いや、ダメだ、ここで諦めるのはダメだ、なんとか拘束を解かねばならない。
「呆れたものね、まだ抵抗の意思があるなんて。……おい」
レジーナの一声に、護衛が起き上がり懐から袋を取り出す。中に入っていたのは、レッドアイと注射器。
「久しぶりに見るんじゃないかしら?レッドアイ、本来ならば薄めて使う麻薬だけどね…。特別に原液でプレゼントしてあげる。高価なのよ?こぉれ、頭が馬鹿になって戻ってこれなくなるかもだけどねぇ」
腕をまくられ、注射針を刺される。液体が注入された瞬間、ドクンと身体全体が跳ね上がった。鼻血が止まらず、脳内に霞がかかる。強制的に奇妙な幸福感に駆り立てられ、それと同時に身体から力が急激に抜けていった。まるで、骨と筋肉がなくなっていくかのようだ。
「あら、まだ動くのね。ならばもう一本追加してあげる。私から、貴方に贈るプレゼントよ、感謝しなさいね」
針の感覚はもう感じないが、注入された場所から急激に身体が冷えていった。意識が、保てない。このままでは……なにも……。
完全に動きを止めたランザを、護衛の二人がズタ袋に包みこちらに手渡した。持つのは俺の役目と言うことか。
竜たるジークリンデも、竜狩りがその遺体を針が刺さったままな布に来るんでいる。下腹部と胸部に開いた空洞が、痛々しかった。
「まさか、ランザの小僧がここで出てくるとはな。だが、すまぬとは言えまい」
蛇女レジーナ。いや、我が主君だった者の姫君、漣姫は変わり果てていた。
故郷の東西有力者の大決戦に敗れた俺は、命を捨てがまることができずに異国に逃走した。かつて仲間から目を背けるように、エレミヤの元で余生を食いつぶしていたが、死病に侵されたと分かってからは故郷を目指し、叶うならばかつての仲間を弔いたいと考えた。
しかしながら、それが叶うことはなかった。エレミヤの娼館から出てすぐに、レジーナ本人から直接コンタクトがあった。成長し、いかに風貌が変わろうと忘れる訳がない、皮肉なことに我が主家の姫、漣様もこの経済特別区に逃れていたのだ。
漣様は情も慈悲も捨て、蛇と呼ばれる悪鬼に成り果てていた。その事実に、この年齢にして俺は絶望に似た気分を味わった。
俺が逃げたから、そうではないと内心言いつつも、目の前の変わり果てた姫に顔向けができない。老い先短い命ではあるが、死んで償おうとしたら止められた。
償いをしたいならば、仕事を一つだけ手伝えと。
俺は、俺の意思でランザという短い間師事した弟子を裏切った。罪悪感はあれど、謝罪はしまい。あの世で俺を責めるが良い。
「行くところがある、ついてこい」
ランザを抱え、漣様…レジーナの後を続く。彼女の足取りは、迷いなきものであった。