家族の仇は、娘でした 作:樫鳥
地底に広がる空間といえば、リスムにある地下迷宮が有名だ。
港湾都市リスムの地下に広がる迷宮は、蜘蛛の巣か蟻の巣のように空間が広がっており、古い遺跡から古い遺物や魔術具が発掘されることがあるのは有名な話だ。
「帝都の地下に迷宮があるなんて、聞いたことないけど…」
構造的には下り階段が多く、脇道がほとんどない状態だ。横にも延々と広がるリスムの地下迷宮とは真逆の造りであり、もしかしたら近年人工的に作られた地下空間かとも思ったが、所々にどんな意味があるのか分からない彫刻や彫像が存在している。
それに加え、所々破損し近年補修をかけられたのであろう道を見るとやはり相当古い年代からあるのではないかと推測できる。
まあその辺りは、調査員や趣味人の領域だ。自分が今気にすることではない。
罠の類がないか、待ち伏せや不意の遭遇戦が待っていないか。なにより、この先になにが待ち構えているのかだ。隠しているということは、知られたくはないものがあるということだ。まさに、エンパス教の暗部といって差し支えないだろう。
ここでなにか、致命傷になるであろう秘密を握れば交渉材料になるだろう。炊き出しからうかがえる金回りの良さや、あの浮浪者達の尋常じゃない様子から普通ではないことだけは確かなのだから。
「でも、どこまで降りるんだろう」
ひたすら慎重に地下へと降りていく。十数分はひたすら地下へと下っただろうか、突然開けた空間が目の前に現れた。
この帝都において、城の前の広場のように広大な空間が広がっていた。ドーム状になっており、天井も高く照明用の炎水晶がぶら下げられ、梁のように交錯された木材から吊るされている。モスコーでは祭りの為カラフルな照明であったが、ここでは白色の物のみ明かりが灯されている。
梁の上に昇り、下の様子をうかがう。テーブルがあちこちに置かれ、その上には羊皮紙や紙が乱雑に広げられ、水晶や書物等もおかれていた。なにかの記録をとっていたのか、羽ペンやインク壺が用意されている。
この場にいるのは、ざっと十五人以上。空間の真ん中を歩くように、レジーナとズタ袋を担いだ男二人が歩いていた。
空間の奥に、ズタ袋を降ろす。縛られていた口紐を開き、男二人が中に入っていた何かを乱暴に取り出し床に転がした。
「っ!」
思わず声をあげるところだった。ズタ袋の中から出されたのは、ランザだ。瞼は開いてはいるが目が虚ろで、どこを見つめているでもない。散弾銃やジークリンデの剣も手元になく、半開きの口からは唾液が垂れた後が見えた。
「竜狩りの若大将との協定通り、最後の素体を手に入れてきた。本当は解体でもして、この特異性のある身体を調べたいところだけど……目玉の一つくらいは。魔力のない偽物とはいえ、このレベルとなると触媒にするもよし観賞用に保存するもよしだし…」
「当代、自重してくださっ!」
「全員動くな!動いたら、こいつの首を跳ねる!」
梁から飛び降り、近場にいた男の腕を背に回し、首筋に短剣を添えて拘束する。レジーナは少し驚いたような顔をし、周囲の空気が緊張に包まれるのを感じる。
「やあやあやあクーラちゃん、久しぶりだねぇ。リスム遠征時には会えなかったけど、元気にしていたっていうのは聞いていたよ。新しい依存先は、随分と居心地が良いみたいだねぇ」
「久しぶり?なにを言って…」
「え?忘れちゃった?忘れられるような空気感の薄いキャラなのかな、ボクって」
そらとぼけた様子で肩をすくめるレジーナだが、誰かが投げたのか手鏡が宙を飛ぶ。レジーナの前で鏡が停止、移された東方系の顔立ちを確認し、うっかりしていたなぁと彼女はため息をついた。
「実験場兼資金稼ぎの場として利用していたけど、もうハーウェンを使うこともないか」
触手のように指を動かし、首筋に爪を突き立てる。顎から唇、鼻の上から額まで指を動かしていき頭頂部まで動かした後、両の手で顔の中央から表面の皮を這い出いく。綺麗に剥かれた皮が床の上に落ち、皮の下から別の表情が出てきた。
骨や筋肉が変形する音が響き、衣服の下で肉体が蠢く。黄緑色の髪が頭部から除き、人を小馬鹿にした笑みを浮かべた。
「やあ、クーラちゃん。改めて久しぶり、この顔なら分かるかな」
「ウェンディ=アルザス」
「あ、ちゃんと覚えていてくれたみたいだね。安心安心、それでもって関心関心」
ウェンディ。魔法使いがおとぎ話の中にしか存在しないと言われているなか、彼女は杖一本で様々な超常現象を引き起こしていた。性格的には目立つ方ではなかったが、その力の特異性は与えられた加護によらぬ特殊なもの。一団の中でも、周囲から一目置かれていた。
特筆すべきは魔法を駆使した殲滅能力と即席で疑似生命体を作り出す創造術。しかし、一団のなかでは気紛れな方であり姿を見せることも稀だった。その理由が、明らかになったという訳か。
「ボクの加護は、詰まらない能力でねぇ。他人になりすまし、変装するだけの能力。まあ、お小遣い稼ぎには丁度いいものだったけどねぇ。蛇女と呼ばれたレジーナ、彼女の築いた基盤には随分と儲けさせてもらったものだよ」
どのタイミングかは分からないが、レジーナという女はウェンディが被る仮面の一枚であった訳だ。本物がどうしているかは分からない。もしかしたら、この世にはもう存在しないのかもしれない。
「ボロが出ないように、化けた相手はきっと殺してきたんでしょう?胸糞悪いね」
「他人の為に、自分で納得のいかない殺しを続けてきた君がそう言うかね。レントの為、ランザの為、君は自分というものがない。そんな中身がスカスカな存在から罵られてたところで…ねぇ。馬耳東風さ」
「中身が無いのは認めるよ。それよりも、手を上にあげてランザから離れて。こいつ、殺すのに躊躇があると思う?」
ウェンディがクスリと笑い、両手をあげた。意外と素直だなといぶかしむが、相手はゆっくりとランザから離れていく。
「少しだけ話をしないかい?いやなに、そのままランザに近づきながらでも良いよ」
「……ゆっくり、歩け。妙なことをしたら殺す」
男を拘束したまま、歩かせる。肌に刃が少し食い込み血を流すが、脅しとして機能する為それでよしだ。
「レッドアイ。初期のものは、被験者は目が充血し幻覚症状が出た為にそう名付けられた。君たちやレガリアは、経済特別区のハーウェンで製造、調合され帝国に密輸入していると考えているみたいだけど、逆さ」
「逆…まさか」
「レッドアイは、ここで製造された代物なんだよ。リスムには必要最低限の実験用と資金稼ぎの売買用にしか送っていない。リスム自治州は、大国二つに命運を握られた脆弱性を持つ都市だ。リスムから帝国に渡す分には厳しいが、帝国からリスムに運ぶ分には意外と監視が緩いんだよねぇ。だから、密輸ルートを暴こうとしても無駄だし、もうリスムにレッドアイを送る必要性はない」
「なにが、言いたい。ベラベラと、時間稼ぎのつもり?」
分かっていないなぁ…と言いたげな顔でウェンディが首を左右に振った。
「もう、ボク達の目的は詰めの段階なんだよ。クーラちゃん」
ランザの元まで近づき、ウェンディや他の部下達と対峙をする。背を壁に向けた瞬間、背後から大きな物が引きずられ動くような音が響く。そちらの方に視線を向け、思わず硬直してしまった、
「なっ…あ…ああ」
「レッドアイという違法薬物の出所さ。これの血が、人類すべての福音となる」
複雑怪奇な文様が刻まれた壁が左右に開くように動いたその先には、一面に肉壁が広がっていた。大小様々な複数の眼球が蠢き、ピンク色の肉が脈動をしている。口のような機関がみられないが、身体のあちこちが裂けて開き内部から蒸気をあげていた。生臭さが、鼻につく。
「なに…これ」
「狭義の意味では違うが、広義のうえでは悪魔といっても差し支えはないだろう。そうだね、分類するならば夢魔、とでも言っておこうか。君たちは知らないだろうけど、魔法使いは悪魔ときっては切れない関係にあってだねぇ。残念ながら、長い時の間で悪魔を出現させる方法は失伝しているようだけど…現代の知識を駆使すれば人工的に再現できない訳じゃない。完成まではあと一歩というところかな……本当はデザインにもこだわりたかったけど、効率優先したら悪趣味になっちゃった」
鳥肌が立つ。これを悪魔と言ったならば、本当の悪魔は激怒するのではないだろうか。生物と言ってしまうのも、なにかを冒涜しているように感じる。相容れないもの、そう形容するしかない。
「こんな…こんなの作って、なにをするつもり」
「覚醒のあかつきには、まず帝都を掌握する。エンパス教の連中に服用させたレッドアイを通じ、意のままに行動を操るのさ。まるで人形のように動かなくなった者たちを、クーラちゃんも見た筈だよ。祈りをささげたまま動かなくなった者たちは幸福な白昼夢のなかで微睡、溶け、自我を手放す。幸せを感じさせながら思考力をそぎ落とし、生きた人形とし、傀儡として帝都全域に手を広げていく」
祈りを捧げたまま動かなくなった者を思い出す。白昼夢?夢を見ていたとでも言うのだろうか。口ぶりから、あの状態になったものは自我がどんどんと溶けていくのだろう。おぞましい話だ。
「具体的には、井戸水にレッドアイを混入させたり、酒場の酒に混ぜたりしてね。そうして少しづつ、傀儡を増やしていく。ボクの意思をこの悪魔を通じ伝え行動させる。それを、夢見心地のまま考えることを放棄し汚染された人間は従っていくという訳さ。衆愚をそうして掌握していく」
「そんなことができる訳」
「できるのさ。この策を実行させる為に、ほんの僅かな数まで追い詰められた異能持ち、所謂魔法使い達は長年の研鑽と研究を続けていた。モスコーの巨人みたいな、即席手抜きの木偶とは物が違う。そしてその完成は、彼の生命力を取り込むことで完成する」
開いた穴から、肉の手のようなものが伸びてきた。ランザの足と腕を掴み、引きずり込もうとしている。
「ランザ!」
男を放り出し、直刀を肉に切りつける。出血こそするが煙をあげながら肉は再生をした、そうしている間にも手は増え続けている。
「ランザ=ランテ。悪竜が魅入り、吸血鬼の血を取り込み、最強の人狐からの試練を耐え続けた存在。夢魔の中核たる魂の完成を飾るには、素晴らしい贄だよ。これで完全覚醒した夢魔を使い、ボク等魔法使いは躍進する。内情を調べる為接触してきたけど、ここまできたらもうエンパス教やレントも問題ない。ランザ君は、我等魔法使い達の中で語り継がれるべき最高の人柱となるだろうさ」
ウェンディがなにかを語っているが、聞いている暇もない。ズルズルと引きずられるのを止める術がない。身体を反対側に引っぱろうが、腕を斬ろうが勢いを止めることができない。
「起きて!起きてよランザ!お願い、このままじゃ取り込まれるよ!」
「無理だと思うよ、起きない起きない。普通は百分の一以下に希釈するレッドアイの原液を直接注入したんだから。でも、注射一本打ち込んでも意識を保っているのは驚愕したよ。でもね、二本も打ち込んだんだ。もう彼の頭はなにも考えていない、廃人さ。二度と元に戻ることも、目覚めることもないんだよ」
「うるさい!ランザ!ランザ!お願いだから、ランザ!」
もう肉の壁が目の前まで迫っていた。止めることが、できない。このままじゃ、ランザはこの肉壁の中に。ジークリンデは、なにをしているんだ。何故この状況なのに力を貸さない!
「君も取り込まれるよ~」
ウェンディの声が、今更ながら耳に届いた。そうだ、そうだね。
ここが、終わりであるのなら。一人では、行かせない。
身体にしがみつき、足を絡める。このまま、地獄に向かうというなら、自分の行き先もそこで良い。これはこれで、テンもジークリンデも出し抜いたことになるかな。
生臭い肉の中に引きずり込まれ、入口がしまる。天井と床が徐々に迫ってくるような、圧迫感が増してきているような気がした。
いや、気のせいじゃなかった。暗闇でもよく見える目が、迫りくる肉の塊をよく見ることができた。
「ね…ランザ。今日は、隣で寝ても良いよね」
返事をしない口に、自らの唇をつける。舌を入れてだの、絡め合わせてだのそんな妄想を何度もしたことはあるが、こんな色気のないところでそんなことをするのは流石に躊躇われた。
目を閉じようとした瞬間、暗闇の中に蒼白い光が輝く。閉じかけた瞼が開くと、自分の臀部から狐の尾が生えているのが見えた。これは、テンに植え込まれた、モスコーにて力を貸したあの尻尾だった。
『諦めるには、まだ早いですよ』
「……むかつく貴女の助言だけど、今だけは最高に嬉しいよ」
テンのおぞましさは、ランザから何度も聞いていた。実際、あの占い師としてのテンと対峙した時でさえ、自分はなにもできなかったうえに良いように弄ばれた。実力を知っているからこそ、今だけは心強い。
本心で言うなれば、ここで終わりにして良い訳がないのだ。こんなところ、理想の終着点からは遠すぎる。
『クーラ、貴女が連れて戻りなさい。お父様を取り戻す役目は、譲ってあげますから。覚悟を決めてくださいね』
「誰にものを、言っているの」
肉がほぼ、真上まで迫ってきていた。狐の尾がランザの腹部に埋まり、繋がる。首筋を選んで唇を近づけ、噛みつき羽交い絞めにして密着する。
肉が完全に閉じ、柔らかく密着した。酸素の供給がなくなり、意識が遠のいていく。
方法があるなら、ここからでも助けだすことができるなら、自分はなんでもする。狐ごときに覚悟を問われるまでもない。
深淵に落ちる意識のなか、最後にそれだけを誓った。なにがあろうが、自分がランザを救う。彼が、自分を救ってくれたように。
殴打の音。
それなりの重さがある陶器が割れる音が響き、成人男性が椅子から床に崩れ落ちた。頭部から広がる血が床板の上を流れ、円形に広がっていく。
酒瓶が机を転がり、落ちた。倒れている男の頭に直撃し、床にさらに酒の水たまりが広がる。透明な安酒が血に混ざり、朱の色となりさらに広がった。
頬を腫らした女性が、泣きながら唇を血が出るまでかみしめていた。眼球付近が青黒く腫れ、髪の毛も乱れている。
男をつま先で軽く蹴り、動きがないことを確認した。幽鬼のような目を、こちらに向け腕を伸ばしてくる。
『アンタさえ、いなければ。産まれなければ』
憎悪のこもる視線で、首を絞めあげられる。アンタって俺か、俺はアンタになにをしたんだ。
覚えていない。父の顔、母の性格、この悲劇のきっかけ。
今となっては探りようもない。
産まれなければ良かった、というだけか。
視界が、暗くなり、それと同時に意識が飛んだ。
『よう、クソガキ。なんで何時もアタイ等に喧嘩売るんだ?』
路地裏。ゴミ置き場に背中から突っ込み、背中で割れた瓶の破片が突き刺さるのを感じた。
数人の男性がいたが、相手をしていたのは一人のみ。腕に茨の墨を入れ、頬に火傷の痕を持つ眼帯をした女性だった。
『メンバーにも、アタイにも幾度となく痛めつけられている。ガキ相手に本気になる奴はいねぇけど、そろそろ懲りるタイミングだろう』
『イラつくんだよ。なにが冒険者だ、所詮底辺の使い捨ての集まりだってみんな言ってる。なのにでかい面しやがって、偉そうなんだよお前ら』
立ち上がり、瓶の一本をとり壁に叩きつける。先端が割れ、鋭利な先端を相手に向けた。
『底辺が底辺に、嫉妬でもしたかい?』
『うるせえ!』
走り寄り瓶を振るうが、半身を少し動かされるだけで避けられる。二度三度、それを繰り返したところで足をかけられ地面に転がった。起き上がる前に、背中を踏みつけられる。
『確かにアンタの言う通り、アタイ等は底辺だよ。個人事務所を持てるような金や名声、コネもない。傭兵団を組織できるような実力もない。だが、だからって現状をメソメソ泣きながら八つ当たりする屑は一人もいない。アンタと違ってな』
蹴り飛ばされ、転がる。胸倉を掴まれ、無理矢理立たされた。壁に叩き付けられ、隻眼を向けられる。
『底辺から這い上がることを諦めたら、人生は終わりだよ。冒険者?使い捨て?上等じゃないかい。こちとら産まれてこのかた、武術でもなんでもない暴力くらいしか技能のない阿呆の集まりなんだ。その阿呆でも、成功すれば底辺を抜け出せる。それがどんなか細い可能性でもね。諦めて、妬んで、自暴自棄になるんじゃないよクソガキ。お前が今していることは、いったいなんの益があるってんだい』
拳をあげようとしたが、力なくぶら下がる。同じ人種のはずなのに、何故こいつらの目はこんなにも前を向いていられるんだと妬ましかった。それを正面から指摘され、ぐうの音もでなくなる。
もう安心だと判断されたのか、胸倉から手を離された。
『行くよ、飲みなおしだ』
『待て!』
離れようとした女頭領が、こちらに振り向く。呆れたように肩をすくめ、こちらを見た。
『なんだい、まだ殴られ足りないかい?』
『なんでお前、そんなに前を向いてられるんだ…現状を嘆くことがないんだ』
おかしそうに、頭領は笑った。
『ここが最底辺なんだろう?だったら、後は上しかないんじゃないか?アタイ等は馬鹿なんだから、分かりやすい方が良い。昇っていくだけ、それ以外考えなくてすむだろう?やることは単純なんだ、諦めて嘆く必要がどこにある。クソガキ、アンタも諦めない生き方ができるようになれば、分かるんじゃねぇの?』
『何故諦めない』
巨大な悪竜が、鰐のような口を開き人語を話した。
仲間はもういない、手には本当に使い物になるかも分からない封印の神剣…という名前のボロ剣。
『お前のお仲間は、まるで塵芥のごとくこの世を去った。なのに、お前は何故絶望もしなければ諦めることもない。本当にそんなボロと落書きみたいな伝承に効力があるとでも思っているのか?』
『俺は学がない馬鹿だからな、あんな伝承にこのボロが本物かどうかなんて考えても分かる訳がねえ。だが悪竜様よ、アンタと対峙してきた昔の軍や英雄はどうだか知らんが、最底辺から這い上がろうとしている人間は、諦めるって言葉を知らないんだよ……受け売りだけどな。可能性がわずかでもあるならば、ぶち込むだけぶち込んでから死んでやるさ。それこそ、姐さんやみんなに向こうで合わす顔がない』
悪竜がニタリとほほ笑んだ。愚かなことだと、内心では嘲笑しているのだろう。
このボロを悪竜に叩き付ける為に、策を張り巡らせるだけ張り巡らせたが、上手くいく可能性はよく見積もっても二割以下だと思う。だがしかし、逃げることもかなわぬ状況だ、精々あがかせてもらう。
それこそが、俺が学んだ最大の経験だからだ。
『俺の人生の大一番だ。詰まらん出し物だが、精々付き合えや悪竜よ』
『良いぜ、付き合おう。オレを楽しませることができたらなら、生存という対価を与えてやろうじゃねえか』
悪竜が、翼を広げた。それが俺の計画開始の合図となった。
海岸で、子供を拾った。拾った子供は、俺の家族となった。
お父様、お父様と背中に何時もついてくる子供だが、俺にはどう接して良いのかイマイチ測りきれないところがあった。
俺の幼少期の思い出は、ほとんどない。父の顔も母の顔も覚えていない、ただ倒れ伏した父と、首を絞めてきた感触だけは記憶に残っていた。俺と、両親との思いではそれだけだった。
生活が、安定してきて思ったことは、俺の手が何時あの時のようにこの子に伸びないか。あの両親の血をひいている俺は、何時かああなるんじゃないかと不安になる毎日だった。
姐さんや仲間に教育され、多少は矯正されたとは思うがまともな状況で育った訳ではないことは確かだ。弾み、という言葉がこれ程怖いとは思わなかった。なつかれる分だけ、それだけ責任という言葉がのしかかる。
決意を固めて、養子にしたつもりだったが、遠慮がちで頭は回るがふと見せる子供ならではの行動や失敗を見るごとに微笑ましさを覚えると同時に影が増えていくような気がする。
こんなんじゃ、保護者失格だ。
今日は、街まで出向き図書館にテンを置いてきた。街で仕事に関する打ち合わせがあると、嘘をついてまでだ。
彼女は本が好きであり、放っておけば一日中でも本と睨みあう毎日だ。もう頭の出来じたいは、今の俺よりも完成している可能性すらある。
俺は、街の教会を訪れていた。神に祈ることじたいはさしてないが、静寂な雰囲気は考えごとをするのに丁度いい。
考えてしまうのは、何故父と母はああなってしまったのだろうということだ。俺は、お互い愛し合ったから産まれた子供ではなかったのだろうか。一夜の過ちのような、そんな過失でできた結果なのか。
堂々巡りが、続く。
しばらく考えていたら、座っていた椅子になにかが当たった衝撃と、隣で大きな音が響いた。
思考が中断され、そちらを見ると女性が一人倒れていた。まるで万歳をしているかのように手を前に突き出し、顔面を殴打している。あれでは、受け身もとれなかっただろうに。
「失礼」
背中まで伸びた、白金のような髪の毛と白い肌、緑色の瞳。すました顔をした美形であったが、無表情ながらその鼻から血が流れていた。
それに気づかないのか、そのままこちらに頭を下げ通りすぎようとする。
「あの」
「なんでしょうか」
「鼻」
女性は首を傾げ、堅い表情のまま鼻に手をあてる。手についた血を見て、自分の顔がどうなっているのかようやく理解したようであった。
「なにか、血を止めるような物を持ってはいませんでしょうか」
護るべき者が、増えた。支えてくれる人が、いた。多くの別れと出会いがあり、俺はようやく最底辺から抜け出すことができた。
あの、斧の惨劇がおこるまでは。