家族の仇は、娘でした   作:樫鳥

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 「では、娘さんをお預かりしますね」

 

 「よろしくお願いします、神父様」

 

 村の教会。テンを引き取ることを断られてからロクに足を運んだことはなく、妻との出会いは街の教会だったので輪にかけてこちらに足を運ぶことはほとんどなかった。

 

 しかし、アリアはこちらに越してきてからは毎週必ず足を運んでおり、そんな彼女から教会で週に一度読み書きや算数を教える勉強会を始めるという話を聞いていた。

 

 テンは言語の壁を乗り越え、こちらでの日常会話を覚えてからはあっと言う間に初歩的な勉学を飛び越えて様々な蔵書を読むようになったため不必要であったが、そろそろ六歳を越えたミーナは違う。

 

 人売りか、それに準ずるなにかか。過酷な半生を送ったと思われるテンとは違いミーナは年相応に成長している普通の子だ。勉強を覚えると同時に、同年代の子達と揉まれるのは良い成長の糧になるだろう。

 

 「とーちゃん、かーちゃん。帰るの?」

 

 まだ親から離れるのが不安な年ごろ。だがしかし、そろそろ家族という枠組みから外に出て社会を知るタイミングでもある。女の子ながら鋭い目元は、母親に似てきている気がするが泣きそうにうるんだ瞳は年相応のものだ。親視点の補正が入るだろうが、たいへん可愛らしい。

 

 「大丈夫ですよ。お父様とお母様は行きますが、お姉さんが残りますからね」

 

 今日は、テンがミーナの様子を見てくれる。この教会で勉強を教えるボランティア活動をしたあと、家に戻ってからもしばらくは面倒をみてくれる手筈になっていた。

 

 偶には夫婦の水入らずを。そう提案してくれたのはテンであり、記念日など無頓着な一家ではあったが偶々俺が告白をした日が近かったこともあり、久しぶりに夫婦でのんびりと街歩きをする計画をたてた。

 

 計画といってもそこまでかっちりとしたものではなく、大まかに行くところだけを決めて後はノープランである。

 

 サグレとベレーザのアトリエに顔をだし、街まで出向き昼食を食べ、市を覗いてテン達へのお土産を見繕う。

 

 夜には二人の下に戻り、家族で団欒を過ごして共に眠りにつく。ありふれた、そんな休日を過ごすつもりだ。

 

 「じゃあテン、よろしくお願い」

 

 「ええ、偶にはゆっくりと過ごしてください。お父様も、ちゃんとお母様をエスコートしなければダメですよ?」

 

 「精々退屈させないように頑張るさ」

 

 教会の神父と挨拶をかわし、縁の欠けた古い銅貨を寄付皿に投げてから外にでる。しかし、あの時テンの受け入れを拒否したのはこの教会であり、あまり良い思い出はなかったのだが今となっては過去のことだと水に流すことができた。

 

 そもそも、テンを家族に迎え入れなければ自分の家庭なんてものを持つこともできずダラダラと惰性で生きていくしかなかっただろう。そう考えると、テンとの出会いはガラにもなく神の思し召しなのではと考えてしまう。

 

 冒険者仲間達が憧れた、底辺から抜け出せた生活。神様とやらに感謝をしても良いのかもしれない。

 

 だができうることならば慈悲の力でみんなを助けてやってほしかった。そんなことを言っても、詮のない話ではある。だが、そのせいで未だ妻のように信心深くなることはできない。

 

 アリアは、宗教は受け取り方次第でありそれもある意味では信心の一つだと言っていたが、俺にはよく分からない。

 

 教会を出てしばらく歩き、村の外れに見える帝国様式の石造りの建物と、その隣にある木造のアトリエが見える。

 

 石造りの建物は、二階部分を二人の住居にして一階を店舗として改装していた。

 

 「おう、いらっしゃい」

 

 「こんにちは、ベレーザさん」

 

 石壁には、様々な魔よけの意味を持つ彫刻作品が並び、机の上には犬や鹿、蜘蛛や猫等の小さな木彫り人形が並んでいる。他にも手作りの木のコップやジョッキ、皿等の日用品が棚に並べられていた。

 

 カウンターには椅子が複数並べられており、時間がある時だけベレーザがここで軽食を出したりハーブを利用したお茶を提供していた。

 

 神経を使い集中力がいるうえ、それなりに重労働にもなる彫刻彫りを行うサグレの為、ベレーザはこちらに来てからは疲労回復やリラックス効果がある薬草を勉強している。裏庭には彼が手入れしているハーブや薬草が畑となっており、不定期ながら彼のいれたお茶と軽食を楽しむこの場は村のちょっとした癒しスポットとなっていた。

 

 「今日の商談は?」

 

 「午後からだ。今日の午前は空けておけと、テンちゃんが念押してきたからな」

 

 「たく、迷惑かけちまったか?」

 

 「かまやしねえさ、元々今日の午前は予定を入れてなかったからな。注文はあるか?」

 

 任せることを伝えると、ベレーザは奥の台所に入っていった。

 

 客がくる度に、湯を沸かす手間を考えると薪や手間から利益を期待どころか大赤字も良いところであるが、最近大金叩いて魔術具を導入したらしい。少し時間をかけて水を沸かすくらいの効果しかないようだが、普段使いするならこれくらいがちょうどいいとベレーザは肩をすくめていたのを覚えている。

 

 「蜘蛛の彫刻?」

 

 アリアが、壁にかけられた大きな蜘蛛の彫刻を見上げていた。嘘か本当か人類の半数近くは蜘蛛に対して嫌悪感を抱くらしいが、それが商品として売られていることが不思議なのだろう。

 

 「モスコーでは、蜘蛛は家の内部に来た外敵を退ける存在ともいわれているんだ。巣を張らないタイプのバカでかい蜘蛛がいるんだが、そいつは黒蟲を見つけては狩り続け食料品を汚染から護っている。獲物を狩りつくし後は家から出ていくことから猟兵なんてあだ名もあってな。まあ、それにあやかって家に害がある存在が来た時追い払ってくれるとようにってやつだ」

 

 「それは、凄いね。蜘蛛は嫌いじゃないけど、好きな人は少ないし疑問だったの」

 

 「ほかにも、馬は目的地に無事にたどり着けるようにだとか、鳥は困難から飛び立つように抜け出せる為にとかいろいろな独自の文化と考えがあるみたいだな」

 

 ベレーザが村の人間にも買ってもらえるように時折店に来た客に解説しているのだが、普段使いする食器の類はともかく異なる文化の商品を説明するのに苦戦している様子を時折見かけている。まあ出来が良い為、お守りや厄除けというより、よくできた調度品として購入されていくのがほとんどのようだができれば文化的な下地も知ってほしいとぼやいていた。

 

 「じゃあランザ、繋ぎ止めておく意味を持つような彫刻はあるのかな?」

 

 「繋ぎとめる?」

 

 アリアの言葉に、記憶を探る。幾つかの由来や謂れは前に聞いたことがあるのだが、流石に全てを把握している訳ではないのですぐには出てこなかった。

 

 カウンターの方から音が聞こえ、ベレーザが二つの手彫りの杯に注がれたお茶をカウンターにおく。

 

 「なあベレーザ、繋ぎと」

 

 「いえ、いいのいいの、ちょっとした興味本位だから。それよりもサグレさんは?」

 

 ベレーザに尋ねようとした言葉を遮られ、アリアがカウンターに向かった。俺よりも専門家に聞いた方が良いのではと思ったのだが質問者がいいと言ってしまえば追及することもできなくなってしまった。

 

 暖かい杯を持ち、一口飲む。砂糖を使っていはいないが、ほんのりと甘い液体が喉奥に滑り込んでいく。

 

 「サグレは、今大口の依頼が来ていて集中したいからってことでアトリエにこもりきりでな。そうなると、俺もあまり邪魔できないし今日も缶詰めだよ」

 

 「なら、邪魔できないわね」

 

 「なに、来たことは後で伝えておくよ。それよりも、大事なデートの日に、家を選んでくれて恐悦至極だ」

 

 ベレーザの笑顔が眩しい。この店の常連の六割強はこの顔を拝みに来る為だとも言われている。まあ、あの二人の隙に割って入ることは難しいだろうが。

 

 「最近売れ行きはどうだよ」

 

 「それなりかな、食器や雑貨の類はよく売れているけどな。外注もまあ好調で、リスムからの注文と連合王国側のクスコってところから半々ってところか。景気よく値をつけて買ってくれるのは、リスムの商人だがクスコの奴等は数を多めに仕入れてくれる。どちらも末永く付き合っていきたいもんだね」

 

 食事と娯楽。その二つに手間と暇、そして金をかけられるようならば世は平和なものだ。紛争地帯では食事に工夫をすることも娯楽として絵画や彫刻、調度品を楽しむこともできないだろう。

 

 連合王国と帝国がリスムを挟んで仮想敵国として睨みあいを続けているのは良いが、なにかの拍子で本格的に開戦となるまではこんな片田舎の村には影響等ほとんどない。平和、万歳といったところか。

 

 他愛のない世間話から、話しはサグレが掘る彫刻についての話題となる。

 

 壁にかける大型のものや、特注品となる看板等はともかくやはり目を引くのは小物の類だ。

 

 様々な動物や魔獣の彫刻品は、基本的には魔よけや厄払い、願いの成就の助けとなる呪いとしての念や意味が込められているのはさっき少し話した後だ。

 

 綺麗に彫刻刀がいれられ、鑢で滑らかに仕上げニスを塗った小物は見ているだけでも和むものがある。

 

 同じ木材を扱う関係の仕事上、多少畑違いなところはあるだろうがその出来栄えには思わず頷いてしまうほどだ。

 

 だが、逆に言えばモスコーの環境ではいくら実力があろうと若手職人が独立して商売をするのがいかに厳しいかを物語っているようにも思えた。職人の層が厚いのもあるだろうが、伝統を重視するあまり若手の台頭が気に入らない者はどこにでもいるだろう。

 

 「一つ買っていくか?」

 

 「ええ、せっかくだしね。どれがいいかな?」

 

 一通り由来や技術面での話で盛り上がった後、次の場所に向かう前になにか購入していこうという話になった。荷物にはなるが、小物ではあるし街に移動する前に家に寄って置いてくれば良いだろう。

 

 「二割引きにしておいてやるよ」

 

 ベレーザの言葉を背中に受けながら、店内を見て回る。棚におくくらいの小さなものが良いだろうと話し合いで決めて、比較的小さな彫刻を二人で眺めた。

 

 「これは」

 

 目に留まったのは、猫の置物。前足で耳の後ろをかいており顔を少し下に向けながら気持ちよさそうに目を細めているものだった。確か、幸運と商売の繁盛を祈願する意味が込められている。

 

 今は充分に幸運ではあるが、その造形がなんとなく気に入った。手に持ち軽く、眺めているとアリアから声がかかる。

 

 「良いのが、あった?」

 

 「ああ、これなんてどう思う?猫の置物だが」

 

 手のひらに乗せられた猫を見せると、あまり気が進まないのか少し難しい顔をする。猫が好きだっと思ったが、なにやら手ごたえがないというか思わしくない。

 

 「今は、こっちの気分かな」

 

 大型犬の木彫り人形が、アリアの手の上に乗せられていた。安全、外敵からの護り、何時までも平和な日々を送れるように願いがこめられたものだ。確かに金はあるにこしたことはないが、今の稼ぎで毎日は満たされている。例えまじないの類とはいえ、必要以上に望みすぎるものではないかもしれない。

 

 「二つ買っていっても良いんだぞ」

 

 「へいへい、商魂たくましいこった」

 

 猫を棚に戻し、犬を手にとった。犬じたい嫌いではないし、どちらかと言えば好きな方だ。今日はアリアの為に時間を使うと決めていた。両方購入しても良いのだが、ここは彼女の意見を聞こう。

 

 棚に戻された猫と、目が合ったような気がした。そういえば、あの灰色の猫はどうしているのだろうか。虐められたのか、それとも他の動物に襲われたのか身体に傷が多くついていた。野良だし、もう生きてはいないかもしれない。

 

 「なあ、ベレーザ」

 

 「あん?」

 

 「……いや、なんでもない」

 

 わざわざベレーザに尋ねるまでもない。俺自身、確認しなくても知っていることだ。馬の木彫り、込められたまじないは目的地へとたどり着くこと。

 

 モスコーから離れたこの村で、偶々木彫りを見ただけだ。だがしかし、こうも思ってしまう。

 

 あの猫は、いったいどこに向かいたいのだろうか。向かいたい場所に、行けているのだろうか。

 

 ふとした拍子、こんなちょっとしたきっかけで気になってしまう。三年前のあの暑い夏の日から、あの子のことは見ていないのに。

 

 「この犬の木彫りを買おう。会計頼む」

 

 会計をしている最中、俺は何故か後ろを振り向けなかった。この一瞬だけ、俺はアリアと顔を合わすことができなかった。理由は、分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 犬の木彫りを家に置いた後、街まで移動する。

 

 畑が広がる田舎道を散歩しながら歩き、街までついたら新鮮な海鮮を使ったランチを食べ、図書館にてテンの好きそうな本を集め、古着市にて使えそうな子供服を探す。

 

 折よく大道芸人等が通路で公演をしており、魔獣使いが使役する大鳥に乗せてもらい空も飛んだ。

 

 日が傾きはじめ、空が朱色に染まり始めるまで街で楽しんだ。あとは、日が完全に暮れてしまうまえに家に戻り夕食の支度をするだけだと思ったが、アリアが寄りたいところがあると言い出した。

 

 たどり着いた先は、二人の出会いの場所となった街の教会。長椅子に座りアリアが両手を組んで祈りを捧げる。それにならい、形だけでも真似をして教会の神に祈りを捧げた。

 

 しばらくの沈黙。どれくらい祈りを捧げていればいいのか分からないが、いつの間にか祈りをやめたアリアが口を開く。

 

 「私は、ここで祈る時はただ毎日の生活を無事に過ごせていることに、感謝だけを伝えているの。ミーナがいて、テンがいて、貴方がいて。家族全員が病や事故もなく過ごせていることにお礼を言っている。それでも、今日は別のことをお願いした」

 

 「別のことだって?」

 

 視線を真っ直ぐ祭壇の方へ向けていたが、こちらに顔を向ける。その表情は、先程まで共に街歩きをしていた楽し気な顔からなにやら思いつめたような、影のある表情を浮かべていた。

 

 「ねえ、ランザ」

 

 慎重に、言葉を選んでいるようにも見える。

 

 「どこにも行かないわよね」

 

 「なんだって?」

 

 単語の意味は分かるが、言葉の真意が分からず思わず訪ねてしまった。反射的に聞き返してしまったが、まだ状況を把握しきれていない思考とは裏腹に背中に冷たい汗が流れるのを感じてしまう。

 

 「貴方は時折、ここではないどこかを見ているような気がする。まるで心ここにあらずというか、上手く言えないけれど、現実を現実として噛みしめきれていないというか。ねえ、ランザ。貴方は今幸せ?」

 

 「そりゃそうだ。疑う余地もないくらい、幸せだよ」

 

 アリアがいて、ミーナがいて、テンがいる。張り合いのある職につき、親方が担当していた仕事を任せられるようになり後輩となる職人に仕事を教える機会も増えた。サグレやベレーザ、時折しか会えないがグローといった交友関係にも恵まれている。

 

 疑いようもなく、微塵の曇りもなく、幸福といえた。底辺だった頃、喉から手が出る程狂おしく焦がれた生活を今おくれているのだ。

 

 「多分、その言葉に嘘はないと思う。でも貴方は、心のどこかで、もしかしたら無意識にでもこの幸福を信じ切れていないようにも思えるの。これまでの生活のなか、貴方はふとしたきっかけでとても遠い目をすることがある。そんな時のランザは、まるで幽霊のよう。目を離したら、いなくなってしまいそう」

 

 「そんなことは」

 

 「ないと、本心から言える?」

 

 ……言えなかった。

 

 サグレとベレーザを迎える準備をする時、庭の手入れを口実によく一人になっていた。他にも、心当たりがないと言えば嘘になる。

 

 普段は忘れている、不安に似た焦燥。本当にここにいて良いのかと脈絡なく考えてしまう。

 

 家族は大事だ、仕事も順調、なのに何故か地に足がついていないような、自分でも訳が分からない感覚が付きまとう。そして、そういう時に頭に浮かぶのがあの猫だ。どこか不安定なその様に、どこか共感性をもってしまっているのだろうか。

 

 「不安にさせたか?」

 

 「だいぶね。嘘でも否定をしないところとかも、特に」

 

 「嘘か。どうせすぐバレるだろ」

 

 頭に手をおいてわしゃわしゃと撫でる。そのまま肩を引き寄せくっつくと、彼女の体温を感じることができた。

 

 「どこにもいかねえよ。むしろ、どこに行けっていうんだ」

 

 路地裏で寝泊まりしていた頃とも違う、冒険者ギルドで未開地に踏み込んでいた時とも違う。俺はもう護る者ができたし、地に根を張り足をつけて生きているんだ。

 

 戦場帰りの歴戦兵は、平穏な生活に馴染むことができず戦地に戻っていくなんていう話を聞いたことがあるが、俺はその類ではないしそうはならない。

 

 そして、今ある幸せにイマイチ信用がおけなくなる感情は傲慢だ。幸福を信じ切れていないなんて、そう見えるということはまだ俺には一家の長として無意識にでも自覚が足りていなかった証拠だろう。

 

 幸せになると決めた。幸せにすると決めたのだ。

 

 記憶にかすかに残る、俺の首を絞めた誰かよ。

 

 いや、嘘だ。あの言葉を覚えている。お前の言葉を覚えている。

 

 『産まなきゃ良かった』

 

 まるで呪いのような言葉だ。望まれない生。だがそれでも、産まれたからには幸福を追求する生き方をしても良い筈だ。

 

 妻は自己肯定感が低いと思っていたが、俺も人のことは言えないではないか。今まで何度も死にそうになりながらも、死なずにここまで生きて来た意味がきっと俺にもあるはずなんだ。

 

 それが、アリアであり、ミーナであり、テンであるならばそれ以上の理由はない。三人を、不安にさせる等言語道断だ。

 

 「どこにもいかない。俺にとって、お前達の傍が居場所だからな」

 

 今ならば、こんな臭いセリフだって臆面なく吐くことができた。でも今は、周囲に人があまりいなくて良かった。

 

 アリアが安心したように頷いた。それからしばらくは、二人で教会で過ごす。

 

 すっかり暗くなった夜道を歩き、家に帰るとテンがミーナを膝に抱えながら頭を撫でていた。妻に似た色の髪の毛を撫でなられながら、静かに寝息をたてている。

 

 「久しぶりに水入らずだったからって、遅いじゃないですか。嫉妬してしまいますよ?」

 

 「はは、悪かった悪かった」

 

 「ミーナを見ていてくれてありがとう、テン」

 

 寝息をたてるミーナを撫でる。静かに寝息をたてており、恐らく初めての学び舎で疲れがでたのだろう。

 

 「ん?」

 

 「どうしました?」

 

 「袖、どうした?」

 

 テンの服の袖に、小さな赤い染み。今気づいたのか、テンも少し驚いた顔をしていた。

 

 「転んだ子供を助けたのですが、その時についたのでしょうか。すいません、服を汚してしまって」

 

 「謝る程じゃない。テンもミーナも怪我がないならそれにこしたことはないからな。それよりも腹がすいただろう、今なにか作るからな」

 

 家族と食卓を囲う、そんな幸せの為にアリアと共に台所に立つ。豪華ではないが腹を満たすに充分な料理と、それを共に食べる家族達。俺には、これ以上に望むものはない。

 


 

  「あら」

 

 「貴方が数年前から噂になっている灰猫かしら。また随分と痛めつけられて…半死半生ながらよく生きていたものですね」

 

 「威嚇、ですか。無理もないことでしょう。でも、貴女そのままじゃ死にますよ」

 

 「悪いことは言いません。今なら近くに誰もいないし、ミーナやみなさんは教会の中です。手当てくらいは、してあげます」

 

 「………」

 

 「私は不思議なのです。貴女になにをされた訳でもないのに、何故か心の奥底から貴女に嫌悪感を抱く私がいる。この感情は、奇妙としか言いようがありません」

 

 「自己分析が完了していない感情で貴女を害することは、私にはできません」

 

 「それに貴女を見ていると、お父様に会った頃の私を思い出します。お父様がそうしてくれたように、私も一度だけ貴方を助けてあげることもやぶさかではないでしょう」

 

 「……しかし」

 

 「何故貴女は、お父様の近くに可能な限り近づこうとしているのですか?驚いた顔をして、私が気づかないとでも?」

 

 「そこも含めて奇妙ですが、貴女はお父様を害するような存在ではない。目を見れば、分かります。たかが猫相手になにを、と人は言うでしょうけどね」

 

 「でも、灰猫さん」

 

 「きっと貴女は特別ななにかなのでしょう」

 

 「貴女は、どこかこの現実味のない空虚な世界のなにかを知っているのでしょう」

 

 「……お父様の言動を見ていれば、分かります。お父様は、時折どこか矛盾を含むような、統合性がとれない発言をすることがある。まるでこことは違うなにかを現実として見ているような。今目の前におこる事柄について信用しきれていないような」

 

 「意識的にも、無意識的にも」

 

 「だけど、私にとってこの世界が。例え都合の良い仮初の色で塗られたベニヤ板のような世界であってもここが全てなのです」

 

 「……ここまで言ってしまえば、ついでに白状しましょうか。最初の発言は嘘です」

 

 「貴女はきっと、仮初でない世界から来た存在。だからこそ、私達は貴方に敵意と嫌悪を向け排除に動かざるをえないのでしょう」

 

 「元の世界ではきっと親しい間柄だったのでしょう?羨ましい、妬ましい、殺してやりたいとすら一瞬でも思う」

 

 「ですが、この世界を護る意味でも私はそれをやりません。例え猫とは言えど、家族の手が血で汚れるのをお父様はよしとしないでしょうから」

 

 「私は、お父様の幸せを第一に望み動きます。だから灰猫さん、それを邪魔しないでください」

 

 「行きなさい。子供たちがでてきます。そしてよく覚えておいてください」

 

 「どうか、この幻想を。私たちの幸せを壊さないでください。私の願いは、それだけなのです。それを邪魔するならば、次からは私も貴女の敵になりますので、どうか悪しからず」

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