家族の仇は、娘でした   作:樫鳥

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 起き上がり、しばし呆然と海を眺める。

 

 いや、顔だけは呆然自失としていたが脳内では記憶の濁流が凄まじい勢いで流れていた。

 

 猟銃、斧、人妖、吸血鬼。そしてテン。

 

 「お前は」

 

 口から出ようとした言葉を拒絶するように、胃袋の中から飲み食いしたものが先に反吐になって出て来た。灰猫にかからないように四つん這いになって、白い砂浜にまだ形の残る中身がぶちまけられた。

 

 「そんな馬鹿な話があるか!」

 

 この記憶が真実だとしたら、俺の今までの人生はなんだったんだ。ありえない、こんなことはありえない。悪竜と手を組み、サグレとベレーザは悲劇のなかで亡くなり、なによりもあの頼りになるテンが、最愛の妻と娘を斧で惨殺していた。

 

 ありえない、と鮮明に思い浮かぶ記憶を否定しようと頭を振るがそんな時に出て来たのはあの時の出来事だ。すれ違い始めたテンとの和解、それの発端。俺が見た悪夢の話。

 

 あれが悪夢ではなく現実であり、こちらが夢の世界だとしたら。いややはりそんなことがあるものか。

 

 これを肯定するにしても、否定するにしてもなにか証明がほしい。なにかてっとり早い証明の方法はあるのだろうか。いやそれよりも、先にやるべきことが一つだけある。

 

 胃の内容物を吐瀉する時に慌てて脇に灰猫を退かしたが、成人している猫を抱きかかえた時にまるで子猫を抱えたような軽さだった。酒でフワフワしていた気分であり気づかなかったが、よく見ると灰猫はボロボロのうえにさらに栄養が足りていないのかほぼ皮と骨しかないようなゲッソリと痩せこけていた。

 

 衰弱しきっていてほとんど動く様子がない。まずはこの子を……この灰猫をなんとかすることが優先だ。

 

 心中でも、この子の名前を呟くことが出来なかった。例え心の中でも名前を言ってしまえば、今までの十数年を全て台無しにしてしまうような気がしたからだ。

 

 ボロボロの灰猫を抱えて立ち上がる。ひとまず家に連れて帰り、なにか滋養があるものをなんとか食べさせてやるべきだ。このままでは食べられないだろうが、お湯に煮溶かして柔らかくすれば食べられるだろうか?今まで猫を飼ったことがないから、こういう時どうすれば良いのか分からない。

 

 上着で猫をくるみ、走り出す。怖い、見慣れた道を走っている筈が混濁した記憶のせいでこの風景全てが欺瞞と怪しさに満ちている。いやこの世界が嘘なんてそれこそありえない、だとしたら俺はいったいここでなにをしていたんだ。分からない、分からないことが恐ろしい。

 

 子供の頃童話で見た怪物のように恐ろしい。もっとも、俺はそんな童話を見た覚えはないのだが。

 

 家の中に飛び込む。先にアリアとテンが帰っている筈であったが二人がいない。

 

 すぐに湯を適温まで沸かそうかと台所に向かおうとしたが、ふと俺はそれより先にある方向に視線を向けた。

 

 家の一室に、個人用の工具を集め作業台を置いた作業スペースだ。最近はサグレにアドバイスを聞きながら購入した練習用の彫刻刀のセットも置かれている。雑多な木材や工具に道具類の下、こっそりと床板の一枚を加工しとある物を隠した場所。

 

 家族のスペースに置きたくはなく、しかし目の届くところに置いておかなければ不安でしょうがないと考え妥協した場所。工具類や危険物があるから掃除にも入らないで良いと、アリアやテン、ミーナに釘を刺しておいた場所。

 

 上着に包まれた灰猫を作業机の上に寝かせ、重い工具類を退かし、床板の一枚を剥がす。そこに包まれたのは布に包まれた一本の古い剣。

 

 慎重に布を剥がし、剥き出しの刀剣しかなく鞘だけ新調した古い剣。これを見たのは、隠した後には初めてであった。

 

 剣だ。忌まわしい、禍々しい悪竜を封じた剣。記憶の中では、俺は忌避しながらも彼女の力を借りなければいけなかった。そして、今だからこそ言えるかもしれないが、脳内に流れた記憶では心のとこかで悪竜に心を許していた部分があった。

 

 苛烈な物言い、容赦のない行いは、それを非難することで自己を正当化し、時になにも考えずにすむことができた。悪竜がそれを理解していたのか素の言動だったかは知らない。だが、少なくとも過酷な状況で心が壊れないための一助になったのは確かなのだ。

 

 胸が張り裂けそうなくらい高鳴る。額から脂汗が滲み、凄まじい喉の渇きを覚えた。

 

 手が震えてしまい、今すぐにでも床板を戻し灰猫を抱えて外に出て、この子の最後にだけ付き合い何事もなく元の生活に戻りたくなった。そうすれば、良いじゃないか。分かっているのか?もう少しでミーナの祝言なんだぞ。サグレとベレーザの結婚式だって時間の問題なんだ。

 

 忘れろ、忘れろ、忘れろ。忘れろ。こんな記憶なんて消してしまえ、無くしてしまえ。知ったことか、こんなあり得ない記憶なんて知ったことか。

 

 工房で汗水流し、すれ違いをしつつも家族と幸せに暮らし、火事と言う苦難を乗り越えて仲間達と充実した毎日を送る。これこそが俺の人生なんだ。

 

 だが、感情と身体が別の行動をした。震えた手がゆっくりと近づき、剣の柄に人差し指と中指が触れてしまう。

 

 『よう』

 

 脳内に声が響いた。よく知った声、よく知っていたらおかしい筈の声。

 

 『たく、悪竜封印をしたオレの好敵手にしちゃ平々凡々とした毎日だったな。いやくだらねぇとは言わないぜ?そんな姿でもオレが見届けたいと思った光景ではあったからな。だがまあ、なんだこりゃあ。無茶苦茶だな、ふざけてやがる。これじゃオレが見たかったもんじゃねえじゃねえか。反吐がでる』

 

 「どういう…意味だ」

 

 震える声で問いかける。あっけらかんとした様子で軽い世間話でもするように、ジークリンデは問いに応じた。

 

 『お前に触られて理解した。この奇妙な空間はお前が中心だ、あり得たかもしれない、だが道筋が途切れありえなかった世界線に都合の良い展開と砂糖水みてぇな幸福を付与した味気のねぇ物語だよ。不幸も苦労も今まであっただろう?だが当然のように素早く問題は片付いた、あとはもう適度に刺激がある生活がハッピーエンドに向けて路線が敷かれているだけだ。努力と絆の力で幸せに満ちた生活をおくれました、めでたしめでたしってな』

 

 「やめろ!」

 

 『否定したけりゃしろよ。どのみちこの世界においてオレは都合が悪すぎる存在、封印されている以上になにもできやしねぇ。お前がなにもかも見て見ぬふりしてこのまま腐っていくならそれでも良い、それがオレを倒した男の物語だと見届けてやるよ。そうしたいなら、その灰猫を見捨てれば』

 

 扉が開く音が聞こえた。反射的に柄から手を引っこめたと同時に、ジークリンデの声が途切れる。ゆっくりと振り向くと、そこには何時ものすました顔をしたアリアがいた。その表情に、かつてない悪寒を感じてしまう。

 

 「お帰り、もう少し呑んで来るかと思っていたよ」

 

 「ああ…まあ」

 

 歯切れ悪く返事を返す。それ以上になにを言えば良いのか分からなかったからだ。偽物?ありえなかった世界線?そもそも世界線ってなんだよ。グシャグシャになりそうな思考が明確な答えをなにか別に求めていた。そして、壊れてしまうのを防ぐための理性による安全帯のような思考が、思ってもないことを口から紡ぎ平和を演出しようとする。

 

 「眠たくなって、先に寝ていたんじゃなかったのか?テンはどうした?」

 

 「ふと目が覚めてしまってね。テンは、ちょっと貴方達の様子を見て来ると出かけて行ったわよ。入れ違いになったかしら…あら?」

 

 アリアが、作業台に置かれた上着に目を向ける。上着からはみ出る灰色の猫の足を視界にとらえ、そちらに歩を進めた。

 

 「その子、どうしたの?」

 

 反射的に作業台とアリアの前に身体を挟んだ。彼女の澄んだ目が、黒く濁っているように見えてしまったからだ。

 

 「猫を…拾ったんだ。海岸で、死にかけていてな」

 

 ジークリンデの最後の言葉が、脳内を反芻した。

 

 「スープを、作ってくれないか?薄味で、ちょっと魚を煮溶かすようにして。遅くで悪いけど、この猫に飲ませてやりたいんだ。勿論冷ましてからな」

 

 俺は顔面の筋肉を総動員させて、精一杯の笑顔を作ったと思う。何時もの通り笑えたと思う。夜遅くで悪いけど、栄養不測である猫の為にひと肌脱いでほしいと。

 

 「野生で生きて来た子に、中途半端に関わるのはよくないわよ。拾った手前、貴方からは手放し辛いかもしれない、私が元いた場所に戻してきてあげるから……」

 

 アリアが、笑顔で両手をこちらに差し出した。

 

 

 

 「上着とその子を、渡して?」

 

 

 

 まっとうな、物言いかもしれない。野生に中途半端に手を貸すな。だがしかし、俺の知っているアリアの言動とは違った。

 

 「なあアリア、覚えているか?何時か猫を飼いたいと話したことを」

 

 彼女の笑顔は、動かない。手を差し出したまま微動だにしない。まるで、この姿のままで生まれた石像のようだ。

 

 「子供達に手がかからなくなったらと、話しがついたよな。テンは自立しミーナも結婚をするんだ。良いころ合いじゃないか?なあ」

 

 「だとしても、そんな死にかけの老猫よりも新しい子の方が良いじゃない。そんなボロボロで死にかけた全身灰色の、不吉で、工房が火事の時にいたような縁起の悪い猫よりも、エデモンドさん宅で子猫が五匹産まれたそうだから一匹里子にだしてもらいましょうよ。猫が飼いたいなら明日にでも」

 

 「なんでそこからは足しか見えていないのに、全身灰色の不吉な猫なんて分かったんだ」

 

 灰猫は上着に包まれたように寝ている。足だけ灰色であったり、白かった毛並みが汚れ四肢が灰色に見える野良なんて、他にもいる。だがしかし、当然のようにアリアは灰色の猫だといって遠ざけようとしていた。

 

 ダメだ、ここでアリアにこの子を渡すことは絶体に許されない。

 

 「ねえ」

 

 上着を抱え込み猫をかばう。アリアの手が肩に置かれたが反射的に振り払ってしまった。体幹の悪いアリアがそのまましりもちをつき、床に手をついたままこちらを見上げている。

 

 やってしまったと、アリアが怪我をしていないかどうか心配する言葉を口から出そうとした。だがその前に、床に座り込んだままのアリアが無表情で言葉を放つ。

 

 「その子を、渡して?」

 

 今まで最愛の妻だと思っていた女性が、得体のしれないなにかに見えてしまった。後ずさりして、家を飛び出す。外には、一人の狩人が猟銃を持ち立っていた。

 

 「お前は」

 

 知っていた。俺はこの狩人を知っていたんだ。村に来るずっと前から。いや、別世界の記憶でだ。

 

 流行りであった、やや古いロングスカートと革の上着を着ながら、恋をしていた店主を貪り食っていた人妖、ルーガルー。

 

 「『行かせはしない。行く資格は、貴方にはない』」

 

 二重の声が響き、端正な顔が崩れ、狼の顔にと変貌していく。まるで悪夢の世界だ。狩人の人妖、あの皆殺しにされた村にいた猟師。

 

 そういえば、あの酒場の間取り。今思えばあれはあの村にあったものだった。店主の顔は、もしかしてあの時食われていた?

 

 胃袋が再度暴れだしたが、もう吐くものが残っていないうえに吐いている余裕もない。

 

 「クソッ!」

 

 玄関先にぶら下げていた、まだ明かりがついていたカンテラを投げつける。中に入った油が周囲に広がり火が道に広がる。少しだけ怯んだすきを見て俺は集落の中央に走り出した。本当は外に向けて走りたかったが、それを遮るようにあの猟師が立っていたのだから仕方がない。

 

 だがしかし、その炎を乗り越えて人狼はこちらに襲い掛かろうとしてきた。しかし、それを塞ぐように連結された刃が進行方向に降り注ぐ。

 

 家から出て来たのは、褐色の女性。半分透けてはいるが、恥ずかし気もなくその裸体を晒す痴女ぶりは間違いなくあの悪竜だった。

 

 「さっさと行け。今のオレじゃ、時間すらロクに稼げねーぞ」

 

 礼を言おうかどうか悩んだが、そのまま走り去る。空耳かもしれないが、俺の耳にかすかに声が届いた。

 

 「それがお前の道なら、オレは力添えてやるだけだ。達者でな、オレの英雄様よ」

 

 村中央の井戸まで逃げる。このまま海岸線か、それとも山の方まで逃げるべきか。少しだけ悩むが、海岸線なら漁師の船があることを思い出す。その一隻を拝借し海に出れば、少なくともあの人妖は追ってこれないだろう。

 

 人妖、クソ、人妖だ。なんで俺はこんな単語を理解しているんだ。いや、なんでじゃない、分かり切っている。あれこそ俺が目的の為に狩り続けていた存在じゃないか。

 

 海の方に足を向けた瞬間、あちこちの家から明かりがつきバタバタと扉が開いた。松明や鍬や鋤を持った村民達が現れる。あっという間に、取り囲まれた。その中には、見知った顔すらある。村長や師である元親方までがその中に混じっていた。

 

 「村長!?親方……これはなんですか!?急に…なんで」

 

 「破綻がおきたことを知った。誰もが心の奥底で恐れ、だが劇に影響がおきないように隠されていた記憶が開示されたのだ。お前の目覚めで、この世界が終わる。だがここは、我等が暮らす終の住処なのだ、壊される訳にはいかん」

 

 「そういうこったランザ。悪いことは言わねぇから、とっととその猫を渡せ。お前にゃ護るものがいんだから、そっちを優先させたらどうだ」

 

 進行方向を塞ぐ二人が声をあげる。農夫が、漁師が、村民達がじりじりと近づいてきた。

 

 「できません」

 

 「何故だ、ランザ=ランテ」

 

 「なぜって…そりゃあ」

 

 何故、何故だろう。何故俺はこんなにもこの子を見捨てられないんだ。

 

 いや、馬鹿を言うな。俺は決めたんだろうが、誓いを立てたんだろうが。サグレとベレーザの墓の前で全てを語った時に、決めた筈だ。

 

 なにがあっても、この子を、この灰猫を……クーラだけは助けてみせると。

 

 「護るものがあるからです!なにもかもを無くした俺にも、今度こそ護り通さなければいけない子ができたからです!クーラだけは、なにがなんでも幸せにしてやらなければならないんです!」

 

 村長が険しい目つきとなった、親方はどこかやるせない表情を浮かべ顔を下に向ける。

 

 「なあ村長よ、やめにしねえか?」

 

 「なに?」

 

 親方がだした言葉に、村長が鬼の形相でそちらを見た。周囲の動きも、止まり親方を凝視している。

 

 「ランザはもう、ぬるま湯から出る決意を固めてんだ。つまりそいつはこいつの為にあるこの世界の否定だ、だとしたらもうここはお役御免。一人の男が決意したことに何時までも水を差すなんざできねぇよ。所詮、やり直すことなんざ俺にもお前にも」

 

 「親方!後ろ!」

 

 鋤が、銛が、親方の背中や心臓を貫通した。血のしぶきを口から吐き出し、なにかを言おうとしたまま絶命してしまう。

 

 「今更まかり通るかそんなことが!もう御託はいらん!あの猫を引きはがせ!」

 

 老若男女問わず、凶器を持つ村人達が襲いかかってくる。俺は灰猫を、クーラを抱えてうずくまることしかできない。なんとか、なんとかしてここを抜けださないといけないのに。

 

 「まかり通るね!」

 

 空から声。どこからか飛んできたベレーザの棍がせまる凶器を一掃し、背後を護るように俺の後ろに現れた。

 

 「手に馴染むねぇ、ブランク何年振りだよって話なのに」

 

 「きっとここが現実じゃないからでしょうよ。ほら、私だってこんなのだし」

 

 空から聞こえる涼やかな声。血の色をした紐のようなものが降り注ぎ前方や側面から迫る凶器を粉砕させた。そのまま村民の腕に紐が巻き付き、放り投げる。

 

 「ん。吸血鬼って便利」

 

 「サグレ!?ベレーザ!?」

 

 空の、いや夜の支配者と化したサグレが俺の前に舞い降りる。湧いてでた力に覚えはないが馴染みがあるように、平然と吸血鬼と言っていた。

 

 「クーラはどうだ?まだ生きているようでなにより」

 

 「クーラって、お前達も記憶が!?」

 

 「いんや、ぜんぜん知らん」

 

 問いかけに、ベレーザが肩をすくめる。

 

 「ただ俺達にも状況をなんとかしろっていう命令っぽいのが頭の中に来てなぁ。話をちょいと聞いて、その灰猫がクーラとやらだって推測しただけだ」

 

 「急にこんな覚えのない力まで身に沸いてきちゃってさ。でも、アトリエの長として従業員がピンチなんだから、助けるのは当然。……ううん、やっぱり今のは忘れて、少しかっこつけた」

 

 「じゃあなんて俺を助けるんだ。お前等にとって元の世界は……」

 

 そう、元の世界でのサグレとベレーザは死んでいる。俺が、殺した。この二人はこの世界が崩れたら、今まで積み上げた全ての物が崩壊してしまうだろう。

 

 「言うな。まあーその面から想像がつく。どうせろくでもない感じなんだろ」

 

 「元いた場所で私達は、死んでいる。そうじゃない?多分」

 

 表情から全てを分かってしまったようだ。俺は、かすかに頷くしかできなかった。

 

 「じゃあ俺は感謝しかないね。楽しかった、本当に楽しかったよ。サグレと暮らして、お前達家族と交流して、成り上がりの金持ち共をテンと言いくるめて次々契約をとってくるのは最高だったね。いーや見せてやりたかったぜ俺とテンの快進撃」

 

 「家具への彫刻は想像以上に難しかった。でもランザが最高の品を作るものだからそれに釣り合うようにって心血注いだ日々は本当に楽しかったよ。アトリエは私だけの戦場だと思っていたけど、戦友がいることがどんなに支えになってくれたと思う?それに」

 

 サグレが煙をあげる薬指を手をあげて見せて来た。そこには、ベレーザが贈る予定だった銀の指輪がはめられていた。

 

 「私はもう充分。未練はあるけど、充分に幸せだった。ランザが今度は幸せにしてやるのは、誰かな?それは死者相手じゃない筈だよ」

 

 「もうみんな死んでんだよ、多分ここにいる連中みんなはな。生者は生者の為に気を使えや、お前が次幸せにしてやるのは、誰だ」

 

 「裏切り者がこれ以上御託を並べるなぁ!」

 

 村長の檄で、村人達が立ち上がり再び包囲網を組みなおした。

 

 「ふむ、よくないね」

 

 サグレが俺の襟首を掴む。細腕とは思えない程の力で持ち上げられ、山側の方向に思いきり投げ飛ばされた。

 

 木々の枝を折りながら勢いを殺し、なんとか着地する。幸いにもクーラに傷はついていないようだが、サグレとベレーザが中央に取り残された。

 

 「サグレ!ベレーザ!」

 

 声をかけた瞬間、血の紐がドームのように井戸を中心に展開し壁となる。誰もここから出さないように、自分らと村人達を封じ込めた。

 

 「じゃあなランザ!向こうの俺によろしく!年一で墓参りくらい行ってやれ!」

 

 「墓があるならね。元気で、そしてありがとうランザ!私は幸せだったよ!」

 

 そんな、そんなことを言うな。俺がお前達を殺したのに、引き裂いたのに。

 

 そんな風に感謝の言葉をかけてもらう資格なんて、ないんだ。ないんだよ。

 

 「クソッ!」

 

 山道に向かい、俺は走る。何度も足を止めそうになったが、背後を振り返らないことこそが、彼等に向けた手向けだと思ったからだ。

 


 

 「行ったなぁ」

 

 「まあね、後悔した?」

 

 「いや、実はそんなに。エロいことはしたかったけど」

 

 「実に青年らしくて結構。営業の時くらい、娼館に行っても良かったんだよ」

 

 「おお、許可がでるならそれでも良かったな」

 

 「ただしバレないように気をつけること前提でね。……はぁ…ごめんね、ベレーザ。私の我儘に付き合わせて」

 

 「良いって。かっこつけたのは俺の方だ。俺は、本当はどんなに怨まれたとしてもランザを半殺しにしてでも止めたかったからな」

 

 「あのクーラという灰猫が、私の……もう一人の私の作品を持っていたなら仕方ないじゃない。必ず目的地にたどり着くことができる願いが込められたお守り。念を込めた人と同一の私がそれを邪魔しちゃいけないよ。私自身に顔向けできなくなるからね」

 

 「惚れた弱みだ。良いよ良いよ、そこまるごと含めて俺はサグレが好きなんだ。まあランザの前で良い姿は見せられたし、メンツの問題と照らし合わせても、問題ねぇ。それよりも、夫婦初となる共同作業としゃれこみますか」 

 

 「ケーキがあれば、そっちを優先してからにしたかったけどね」

 

 「違いねぇ。さあて、あの男が振り返らなくてもすむように派手にやりますか!今の俺は無敵モード、どっからでもかかってこい!」

 

 「吸血鬼の力か。ふって湧いた力だけど、まあ村民くらいに後れはとらないでしょう。痛い目みたくないなら、お下がりなさいな。もっとも、私を倒さなければランザは追えないけどね」

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