家族の仇は、娘でした 作:樫鳥
村の中央から山側に向かい走る。後方で響く争いの音も聞こえなくなるくらいには走ってきた。
ふと気づけば、サグレとベレーザのアトリエが見えて来た。鍵の隠し場所は知っていた為、住居の方に滑り込んだ。ハーブティーをいれる為に壺に溜められた水の中に顔を突っ込み急いで飲む。
酔いなどとうにとんでいた。ただ猛烈な喉の渇きを癒やすのに、必死だった。
壺から顔をあげて、大きく息をつく。台所の上に上着を置き、手で水をすくい灰猫に、クーラに近づけてやる。舌先を伸ばしでなんとか水を飲む様子に、まだ命は繋がっているんだと安堵のため息をつく。
これからどうすれば良いのか。ここが、この世界が違うということは分かった。だがだからといって、どこに行きなにをすれば良いのか。なによりも気になることが。
「……テンは」
彼女が今、なにをしているのだろうか。
外から音。先程まで晴れていたというのに急激に雨が降り始めていた。雨雲が近くにあった様子はないようだったのに、まるで俺の心情か世界の不安定に呼応するように雷まで鳴り始めている。
その雷鳴のすぐ後、耳に重い足音が聞こえた。窓から確認すると、巨大な山椒魚が山の中から這って現れるのが見えた。ベレーザが基礎を整えて育て、アリアやテンも手を入れていたハーブが踏みつぶされていく。支え木が折れて、花瓶が割れた音も響く。
空をなにかが飛ぶ音。そちらの方を見ると、色鮮やかな巨大な羽が見えた。なにやら歌のような旋律を奏でている。
家の奥に引っこもうとしたとき、反対側の窓からも見えた。海辺の教会方面から、巨大なキラービーの大群とそれを上回る大きさのクイーンービーが飛んできていた。
「なんで」
クーラを抱えて、後ずさる。なんでこんなところにと言いたかったが、それより先に後ろから声をかけられた。
「えらいことになっとりますよ、若さん」
振り向くと、そこには工房の元若衆の一人がいた。新しい職場で過酷な環境に揉まれ、筋骨が逞しく育ち立派な青年となったフェルがいた。だが記憶が戻った俺には、目の前の青年を以前工房で面倒を見ていた人物として見ることができない。本能が、最大限の警戒を向けても切り抜けることは不可能だと告げている。
「どうにも夢の提供者はアンタにここで天寿をまっとうしてほしいらしい。俺等みたいな存在まで、背景として組み込んでいざという時のセーフティーにしているんだからよ。もーなりふり構わないらしいですよ。どでかい秘密抱えていたもんですねぇ若さんも」
「はぁ……よくもまあ。お前が俺の下で働いたもんだよな。俺が知る中で、一番のウォーモンガーだった奴がよ」
フェル=デルラド。こいつは当然ながら、ここではともかく元の世界ではしがない家具職人見習いなんぞでは決してない。
辺境警備隊斬首事件。クーラと出会うよりも前、警備隊の組織が文字通り全員首を斬られ殺される事件がおきた。
下手人は、原型となる戦闘狂種族であるウォーリアバニーの人妖に成り果てたとある傭兵だった。
そしてこいつは、人狐と化したテンを除けば過去最強と思えるような存在であった。
ウォーリアバニーじたいが種族としては、能力のほとんどを戦闘と闘争に向けているような戦闘種族だ。少数の部族ごとに分かれて傭兵としてあちこちの火種や火薬庫に首を突っ込んでは戦闘行動を行う集団だ。
エルフのように人類と完全に敵対している訳ではなく、雇い主と交渉をするくらいの社交性はあるが異種族間の交流はほとんどない。
こんな話がある。戦場において誰が誰やら分からないような悲惨な状況の現場があっても、仲間を庇いながら死んでいるのは豚鬼、四肢が千切れても敵に向かい這いながら前進しているのはウォーリアバニーと言われている。
とまあここまでは話で聞いていただけだ。希少種族で数を減らしているうえに、紛争がおこれば嬉々としてその場に向かう種族なだけに出会ったことはない。
問題は、だが。人妖は基本的に原型になっている種族よりも能力が高い。
つまるところ、元々戦闘能力が高い種族なうえに、本人も戦闘経験豊富な傭兵。他の人妖のように能力でごり押しをしてくる訳ではない。対人経験に基づいた殺し合いのプロが、その場その場で最適手をとばしてくるような危険性があった。
ジークリンデの力を借りてなお、なにか一つが間違っていればこの首も落ちていただろう。
戦闘力の高さで言えば吸血鬼と化したサグレが最強であろうが、モスコーでの彼女は俺やクーラを殺してしまわないように手加減をしていた。殺し合いでの本気度でいう話なら、フェルとの戦闘が文字通りの死闘だった。
『仲間を殺してしまった』『何度も自殺しようかと思った』『でも死ねなかった』『誰か俺を殺してくれ』
初対面の時から、最後の殺し合いの時まで今でも一文字一句思い出すことができる。まあ、忘れていた訳ではあるが、状況が状況だ。
「僕も、記憶が飛んでいたみたいです。朧気ながらもいろいろ思い出していますよ。若さんとの殺し合いもね、あれは楽しかったなぁ」
「ざけんな。こちとら何度死にかけたと思っているんだ」
カウンターに背を預けているが、手元に置かれているのは、今までどこにあったかすら分からない分厚い戦闘鉈。切れ味等あまりこだわりのない、ただの鉄の塊である鈍器と変わりないがそれだけにガードの上からでも骨を折られるような衝撃が襲い来る。
まして今の俺は、ガードどころか散弾銃もジークリンデもいない。格闘術だって、十数年職人仕事をしていたせいですっかり錆びついているだろう。そもそも、この世界では俺はそんな技すら学んでいないのだ。知識としては分かるが、身体に必要な筋肉がついていない。
どこに、どうやって逃げる?外は異形の人妖が集まりつつあり、目の前には最強格の人妖がいるのに?
万事休す。その言葉のみが頭をよぎった。
「まあ、そう警戒せんでくださいよ。俺がどっちにつくかは、まだ決めていないもんで」
「なに?」
「袋の鼠を処理するのは簡単ですが、貴方に敬意があるのは確かなんですよね。だから、まずは様子見をしてみようかと思いまして。どうぞ、こちらへ」
鉈を肩にかけて親指をある扉に向ける。上着とクーラを抱えて向かう扉の先は、サグレのアトリエに向けて増築された屋根と壁つきの渡り廊下だ。持て余した時間で造ったもので比較的新しく、雨戸も締め切っているので静かに進む分にはバレないだろう。
どうせ逃げても無駄だ。詰みに近い状況なのだから、ここは大人しく従っておこう。これ以上に悪い目はそうそうにない。
静かに渡り廊下を進む俺の背後をフェルがついてくる。殺気のようなものは感じないが、それでもあのウォーリアバニーが後ろにいると思うと背筋が凍り付く。
まだ頭にウサギの耳がついている訳ではないが、あの重そうな鉈を片手で持っている以上、見た目よりは人妖に近づいている筈だ。気分を変えて襲いかかってきたら、どうしようもない。
そんな不安を感じながらも、外から入る以外に増設したアトリエに入る扉に手をかける。暗闇に目が慣れてきており、サグレの作業場に置かれた椅子には一人の女性が腰をかけていた。
雷の光が、彼女を照らす。それは物憂げな顔でこちらを見ていたテンだった。
身体が強張るような感覚。元いた世界での、妻と娘を殺したテンを知っているがゆえの緊張感。理性より前に、本能が反応してしまった。そしてそれを見透かすように、テンは悲し気に微笑んだ。
「朧気ながら、予感はしていました。何時かこんな日が来てしまうのではないかと」
「どういう意味だ?」
「お父様の今見せた顔で確信しました。やはり、この世界は普通ではない。村人の様子や異形化したサグレさん、ここに集まりつつある化物達よりも今のお父様の顔が雄弁にそれを語っています」
思わず、口元を手で隠してしまった。無意味な行為ではあるが、やはりこの子は聡い。悲しいほどに、恐ろしくなってしまうほどに。
「覚えていますか?お父様がまだ赤ん坊だったミーナをあやす私から、彼女を凄まじい剣幕で取り上げたことを。そして、その後お父様と話して謝罪を受け入れた時のことを」
覚えている。あれがきっかけでテンは家を飛び出し、水が湧き出る山道で二人並んで座りながら謝罪と会話をしたことに。あの時話した言葉は、もう思い出せない。矛盾するようであるが、忘れた訳ではない。
クーラに噛みつかれ、記憶が戻った後、まるで用は終わったとばかりに昔の記憶が急激に朧気になっていくのを感じていた。あの日ああいう事件があった、しかしその内容までは、なにを話したのかが思い出せない。昨日までは、つい最近の出来事であったかのように思い出せたというのに。
「違和感はその時からありました。急に態度が変化したお父様と、そのきっかけになった夢の話を聞いた時。私はあの時、気持ちは分かるが許されることではないと言いました。ですが、こうも思ったのです」
テンは、口角を僅かにあげた。非常に薄い、薄い、しかし悪意が滲み出るような、愉悦を感じているようなそんな笑いかたで微笑みかける。
「ああ、私ならやりかねないと」
緊張感が増した。身体全体が強張る。元の世界での人狐が持っていた狂気を、彼女も持ち合わせていた。同一人物と言える存在かもしれないので、その可能性は否定できなかったが目の前でそれを突き付けられると息が詰まるような思いを抱いてしまう。
クーラを抱える力が増す。嫌な汗が流れた。
「お父様の注目を取り戻すためなら、なんでもやると。私は貴方に父子の情以上の、言うなれば執着のようなものを抱いていました。追い詰められた私は、赤子や妻子すら殺すかもしれません。いえ、殺したのでしょうね、本物は。分かるのですよ、殺意でも敵意でも良いから、貴方の注目を独占したい。思われていたいと思う私が。愚かなことですよね、本当に」
テンの肩が小刻みに震える。顔を下に向け、水滴がアトリエの床を汚した。
「ここではないどこか別の話を幾度か失言として漏らすお父様を見て、疑念が募りました。私は、懸命に貴方を連れ戻そうとあがき、不自然に村中から非難や虐待を受けていた灰猫さんにも会い、確信に近い感情を抱きました。お母様を、ミーナを殺してしまった私は存在する。そしてその私は本物で、今ここにいる私は偽物。なにもかもが都合よく進む、願望の世界の私だと。優しい嘘で塗られた鍍金に包まれた、私……だと!」
吐き捨てるように、テンが最後に叫んだ。顔をあげた彼女は、涙をとめどなく流していた。テンが泣いているのを見たのは、あの時以来。酒瓶で殴られると、顔を覆った彼女を抱きしめてやった時以来だった。
「愚かですよ。そんなことをせずとも、話し合い、本音を知ってもらえれば、こんな素晴らしい生活が待っていたというに。愚かでした、浅はかでした。何故私はっ!」
「もうやめてくれ!」
聞けなかった。聞いていられなかった。テンが抱いた子供らしい嫉妬。俺は日々の忙しさと育児の手伝いでそれを放置していた。だがテンは、普通の子供ではない。過去になにがあったかは知らない、だがろくでもない物だというのを想像できるのは簡単じゃないか。
見捨てられれば、愛想を尽かされれば、興味を失ってしまえばどうなるか分からない。やっと出会えた家族の縁が、本当の両親と離れてしまった時のようにまた失ってしまうかもしれないと思い詰めてしまったのだろう。
その時テンを支えて、愛してやれるのは実の両親を除いた最初の家族だった俺だけだった。賢い子だから、分かってくれるとテンを放置していたのは俺自身なのだから。
賢い子だ?知能はどうあれ年相応の女の子だというのを言い訳にしながら脇に置いていたのは俺自身だ。馬鹿野郎は、俺なんだ。
「お父様」
テンが立ち上がる。その背後から、蒼白い狐の尾が浮かんでいた。髪の毛が徐々に脱色し銀色に変色していき、変化をしていく。
「お母様とミーナを殺したのは、私なんですよね」
「お前じゃない!お前な訳がない!テン、俺がやったようなものだ!俺が」
「やめてください!」
テンが歩み寄り、抱きしめてきた。優しい抱擁、抱えるクーラにも気を遣っているのが分かる。泣いて赤く充血した、だが人狐として蒼く輝く目がこちらを真っ直ぐ見つめる。
「謝るのはやめてください。お父様を、この素晴らしい生活が待ち受けている貴方の人生を壊してしまったのは私なんです。もう一人の私だなどと言い訳なんてできません。気持ちは分かるから、そうしてしまってもおかしくないと思うから。ですが、私は本当に幸せでした。出来うることなら伴侶として共にいたいと願う程に。家族の幸せというものを、産まれて初めて体験することができました。それだけで、私は満たされました」
鋭い音が響き、アトリエの壁に巨大な針が貫通した。ここにいるのがバレたのだろう、気づかなかったが周囲に異形が集まり始めている。
開いた穴から侵入してきた、キラービーをフェルが鉈の一振りで叩き切る。手近な棚を穴に向けて蹴り飛ばし塞ぎ、両断した蜂を踏みつぶした。
「野暮なことは言いたくねえが、時間はなさそうですよ」
その様子を見てから、テンは静かに離れた。名残惜しさすらも感じることができない程に、冷徹に自分の感情を切り捨てようとしているように見えてしまった。
「元の世界に帰りたいですか?」
「……ああ。誓っちまったんだ。この子だけは絶対に護るってな。護ることができなかった、アリアやミーナの代わりがほしかっただけの、エゴかもしれない。だが、復讐以外で俺が見出した生きる意味だったんだ」
「……良かったです。お父様に、帰りたい意志があって。私は、それだけでなんの憂いもなく貴方の意思を後押しできます」
テンがクーラに向けて半ば幻のような蒼く輝く尻尾を伸ばす。するとクーラの身体も蒼く光りを放ち、光の粒子のようなものが溢れはじめた。
「おい」
「大丈夫です。出る方法は、この子の中にいるもう一人の私が知っている。今それを聞いているだけです。認めたくはありませんが、同一の存在として教えてもらうことができる筈です」
周囲の音が激しくなる。壁が崩され飾られていた作品が床に落ち、道具入れが倒れ整理されていた彫刻刀が床に落ちる。
倒れた棚に視線を向けた瞬間、テンが弾かれるようにクーラから離れる。「どうした」と尋ねるまでもなく、ひどく動揺しており顔色が蒼白となっていた。
「これは……まるで悪意。こんな選択を……そんな」
「テン!おいテン!どうしたんだ、なにをすれば良いんだ!」
「おいおいおい!揉めているとこ悪いけど時間もないですよ!なにチンタラしているんですかい!」
フェルの叫び声が響く。頭を突っ込んできた山椒魚の人妖を相手に額を蹴りつけて追い返していた。半壊しつつあるアトリエ。もうどこから敵が乗り込んできてもおかしくない。
だがテンは、口を開きかけては閉じる。なにかを言おうとしているが、それを本当に話して良いのかどうかが分からない。残酷な宣告を告げなければならないことに、躊躇をしている。
「やめましょう……お父様」
顔に両手を当てる。動揺している自分を落ち着かせようと首を垂らすが、肩を揺らし薄く笑いながら、無理矢理顔面の筋肉を笑みの形に強制しているひきつった笑顔を向けて来た。
「やはりやめましょう。その方が良い、外の世界になにが待っているというんですか、今ならまだやり直せます。そうしましょう、今の私ならこの始末の後始末だってできます、だから」
「テン」
「そうだ!ミーナの祝言を早めましょう!段取りは私が組ませてもらいます!このアトリエだって、修理しなくちゃいけませんね。街の工房に依頼して……色々伝手も増えたし安値で直してもらいましょうか。そうそう、修理の間はみんなで旅行に行きませんか?今度はリスムをゆっくり回るか、連合王国側の城を見に行くかしましょうよ。足を延ばして帝都というのも捨てがたいですが」
「テン!」
俺の一喝に、テンは硬直した。滑らかに言葉を紡いでいた口が止まり、開いたと同時にまた閉じてなにも言い出せなくなる。その両目から、大粒の涙が頬に線を引いて落ちていった。
「教えてくれ」
貼り付けた笑みを浮かせたまま涙を流すテンが、悔しそうにうつむいた。
「お父様が……紡いできた生活、積み上げた幸せ、それは幻でした。このありえたかもしれない世界と苦難が待ち受ける世界。なにがきっかけで運命が分岐をしたのか、その最大の要因を、お父様なら教えずとも察するでしょう。全ては、長い夜の夢でした。夢から覚めたいのならば、そのきっかけをお父様自身が崩さねばなりません」
「そうか」
テンの頭に手を置いて、クシャクシャと撫でてやる。何故テンがここまで言いよどむのか、全てを理解できてしまった。
「お父様、貴方の、家族の仇は娘でした。ですがこの世界において、家族を殺すのは貴方でなければなりません。ここは淀んだ幸福による微睡の世界。お父様自身がその世界を、幸福を、家族の絆を壊さなければならない。世界の主に否定された幸福と幻想は、音を立てて崩れるでしょう。それこそが、この世界から出る唯一の方法です」
「ああ……そうか。よく話してくれたな」
俺の為だけの世界は、俺自身が否定しなければ崩れることはないらしい。現実世界でテンがやったことを、この世界では俺がしなければならないのか。
「別の方法を、探しませんか?私が力添えします。本物の私がどうだかは知らないですが、私自身も今は人狐として覚醒しつつあるのを感じます。どんな難題だろうと解き明かしてみせます、だから」
「クーラには、時間がない。この子はもう虫の息だ、この世界で俺が死ぬまで過ごすことが目的のゆりかごだとしたら、クーラが死んでしまえば現実世界でも助かる見込みはないだろう。俺は、選んだ。死者の為ではなく、生きている者の為に、この子を護ることにしたんだ。辛いことを話させてしまったな」
クーラを強く抱える。やるべきことが分かった。それがどんなに辛く、残酷なことであっても行わなければならない。全てを忘れて幸せな幻想に浸っていた分のツケが、まわってきたということだ。
「私は、私自身が憎い。もう一人の私は、分かっていた。全てはこの時の為に向けて準備をしてきた。この世界から抜け出せた時、お父様はもうお父様ではなくなる。築いてきた全てが崩壊する絶望を二度も、それも一度めより苛烈に叩きつける。そうまでして、いったいなにを望むのか。分かってしまう私が嫌いだ!本物の私も、偽物の私も、今すぐ引き裂いて消えてしまいたい。私が本物なら、偽物があちらなら!こんな……こんな悪意に満ちた企みなんて!」
「テン」
テンの震える両肩に手をおく。精一杯の笑顔を作り、頷いてみせた。
「お前は本物だよ、自分を偽物だなんて言わないでくれ。例えここが俺の苦痛の逃げ道でできた世界だとして、お前自身の否定を誰ができる。俺が主だというなら、それを許さない。お前は、俺の大事で自慢の娘だ」
テンがなにかを言おうとした瞬間、壁が大きく砕けた。右腕を失い全身切傷だらけの巨大なルーガルーが出現した。
『ミツケタ』
腕の切断面が変形する。傷口から覗くささくれた骨が伸び、ライフルの形となりこちらに銃口を向ける。能力に制限がかかっていたジークリンデは、それでも善戦したようであるがそれでも限界であったようだ。
「フェル!」
「おうさ!」
テンが前に出る。雨の代わりに蒼白い月光が差し込み、骨の弾丸を防ぐように障壁が展開された。
ルーガルーの脇腹にフェルが突撃し、大鉈の側面を全力で叩きつける。ウォーリアバニーの膂力と遠心力で加速した鉄の塊が、ルーガルーの巨体を飛ばして転がした。
「ここでの話は終わりですお父様!完全に囲まれる前に、行ってください!殿は私と彼で勤めます!」
「おいおい俺も勘定にいれてるのか?お前等の敵に回る可能性だってまだあると言うのによう」
「だとしたら、とっくにそうしているでしょう。そもそも最初から、貴方はお父様の側につく腹積もりだった、違いますか?」
「やれやれ」
起き上がったルーガルーの鈎爪を鉈で受け止める。火花が暗闇の中で散り、不敵に笑う顔が映った。
「若さんよ!アンタはあっちの世界で俺を殺してくれた!死にたくても死ねなかった俺をな!その借り、返させてもらうのと……娘さんな!ありゃ本当に良い女だ!アンタの娘は二人とも良い女だよなぁ!できれば、家族になりたかったぜ!」
テンの障壁と、フェルの大鉈が道を開いた。目指す先は、分かりきっていた。
この世界において、立ち寄る必要がない場所。だが、元の世界において特別な意味がある場所。行かなければ、ならない。
「テン、フェル!……すまない!」
包囲を抜けて、走り出す。目指す先は山道の先。この村を、見渡すことができる場所だ。そこで、全てのケリをつけなければならない。
護らなければならない者の為に、護りたかった者を殺める。この子の為に、俺が俺自身の幸せに、引導を渡す。
「山椒魚、歌鳥、狼人、銀蝶、女王蜂、その他にその他。どんだけ修羅場くぐってやがったんだ?どんどん集まってきやがって」
「ここにいない面子を合わせると、吸血鬼に植物の人妖と化したエルフも加わるようですね」
「んでそんなことを知ってんだ?」
「先程、ここから出る方法を灰猫の中にいる者から探った時に、色々知りました。外の世界でお父様がどれだけ苦労されたか。そして、あの猫……クーラ自身の気持ちも」
「ほう。だがアンタ、若さんの幸せを第一に考えるとか言っていたよな。そんな修羅場だらけの世界に送り出すことが、彼の為になるんかい」
「そうですね、ならないと思います。本当は、止めたいですよ。でも、私は一つ別の思いと願いを抱くことになりました。それができるのは、託すことができるのはやはりお父様しかいないと思ったので。少し、我儘になっちゃいました」
「娘の我儘だ、聞いてくれるだろうぜ。だがまあ、こいつらを黙らせないとその我儘を伝えることもできないだろうよ。やれるか?」
「愚問。お父様の邪魔をする奴は、みな塵芥にしてしまいましょう。ぼやぼやしている時間はありませんよ、フェル。こちらについたというのならば、精々役に立ってください」
「ああやだやだ、愛しのお父様がいなくなった瞬間これだよ、やれやれ。まあいい、んじゃいくか化物ども。化物同士、遊ぼうぜ」
「退きなさい、有象無象ども。本物の人狐、化物の力を見せる前に」