家族の仇は、娘でした   作:樫鳥

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市場の活気あるざわめきと心地の良いそよ風が入る一室。ベッドと丸テーブル、椅子が二つと本棚のみが置いてある部屋にてランザは横になっていた。本棚には低俗な娯楽小説からサバイバル技術のマニュアル書、資格取得の専門書に古今東西の娼館を行脚した男の回顧録など節操なく様々なジャンルの書物が並んでいた。

 

 掲げる大盾支部の仮眠室にある本棚は、団員達が不要になった本を持ち寄り押し込んでいき、興味を惹かれた人物がそれを拝借し持ち帰るというある種リサイクルの場になっていた。それを知らないランザは頭に疑問符を浮かべていたが、こう手持無沙汰ではやることも限られる。サバイバルの技術マニュアルでも目を通しておこうかと考えていると、扉をノックする音が聞こえた。

 

 「俺だ、入るぞ」

 

 グローが無遠慮に入室をしてくる。まだどうぞとは言っていないが、この支部における主の入室なだけに止めるだけの権限はない。

 

 「どうだ、最新の呪符治療は。それ一枚だけで港湾労働者の三か月程の給料が医療費としてむしられる」

 

 「医療費がそちら持ちじゃなかったら、医者が来る前に窓から逃げていたところだ」

 

 左腕や足に貼られた呪符は、包帯越しにも分かる程緑色に発光をしていた。毒ごと肉を抉りとった左腕の自己治癒能力を助け、自然治癒のスピードを加速度的にあげている。まだ治療途中ではあるが、体感としてほとんど日常生活には問題を感じられない程度に回復していた。

 

 「こんな便利なものが増えたら、また医療管轄でもめそうだな。新技術は何時も、既存の職人の仕事を奪っていく」

 

 「だがまだ高価すぎる代物だ、加速度的な普及はおこらない。対立は医術組合と宗教組織の医療協会との間でしばらく続いていくだろう」

 

 解毒や製薬、精神医療に悪魔憑きの分野は宗教組織お抱えの、杖に巻き付く蛇を紋章に掲げた医療協会が強いが、骨接ぎや縫合、切断治療に家畜の治療分野などにおいては、民間における医術組合が長けている。

 

 お互い専門分野での強みがあるものの、医療という分野を独占できれば利権が強いため日夜相手組織のノウハウや利権を吸収し、独占しようと暗闘が繰り広げられているというのはよく聞く噂話だ。

 

 古くからある話にこんなものがある。壊死した腕を切断するのに、教会医療者は斧を使い、骨が砕け肉が潰れ、治りが致命的に遅くなり患者は衰弱して間もなく死亡してしまう。民間医術者はそれを嘲笑った。治療に斧を使うなど、意外と宗教関係者も野蛮でガサツなのであるなと。

 

 一方民間の医術者は、怪我をしたものに薬を塗布をした。だがその薬というのはガマ油や由来も知れぬ薬草に、馬糞を煮たてたものをスライムで軟膏状にしたものであった。当然傷は悪化し、昔からの占星術にて素材を選んだ伝統の薬が何故効かぬと頭を悩ませる。教会医療者達は呆れはてた、あんな不潔なもの、人体に塗るくらいならその人体を傷をつけた武器にでも塗っておけと。あれなら自己治癒に頼った方が幾分もマシだと。

 

 この二つの話は昔から語られている例え話であり、今はお互い知恵と知識を得て無茶な治療をすることはなくなった。だがそんな遥か昔から二つの組織は互いを理解できぬものととして対立してきたようである。

 

 近頃は、船による外洋航海の機会が増え二つの組織のそれぞれの力と知識が入用となり、長年の謎であった船乗り達を苦しめる歯茎からの出血や壊死を引き起こし、最悪死を招く壊血病の原因と対策を共同で編み出したりと協力できるところではしているが、やはり仲は悪い。

 

 「解毒も縫合も術後の容態観察も、札一枚ではい終了か。帝国の研究機関とやらは、どうやら利権争いに一石どころか大砲で炸裂弾でもぶちこみたいようだな」

 

 「俺達にはありがたい。これが一般的な治癒方式として広まれば、現場で即座に治療ができる。殉職者や戦闘離脱者を減らすことができれば、ありがたい話だ」

 

 もっともそれは、敵に対しても言えることではあるが。

 

 「……医療費については気にするな。事前情報と大きく違う仕事に行かせた落ち度がある。だがランザ、お前も随分と人が悪いな。俺達の間に隠し事はないと思っていたが」

 

 紙束が、丸テーブルに投げられる。クイーンビー、性格には人妖になったクイーンビーに似たなにかの事後調査による報告書であった。

 

 「本物のクイーンビーは森の奥地にて引き裂かれた死体となっていた。人妖はその巣をのっとり、家族としてキラービー達を従えていたようである…ということだ、概要はな。そしてこの中にある調書では、生息域を広げようとしたキラービーと遭遇、森の幸をとりにきていた民間人の保護のため戦闘、人妖出現により討伐と書かれている。マリアベルがお前からとった調書だ。だがお前の散弾銃では、この成果を望める訳がない。いくら卓越した達人であろうとな」

 

 明らかに嘘しか話さないこちらに対して、聞き取り調査を繰り返し行っていたマリアベル、という名のグローの秘書兼護衛が何度も苦々しく表情を歪める様子が頭に浮かんだ。かたくなに口を割らないが、尋問をする訳にもいかないと、渋々このまま報告書として提出するしかなかったのだろう。

 

 「キラービーの討伐は、本来であれば専用の毒粉をガス状にして噴出し生息域全体を根絶やしにするというものだ。クイーンビーは生き残るが、毒で弱っている為トドメを刺すのは楽な仕事と言える。だがお前は単独にて、繁殖しきったキラービーを鋭い刃物のようなもので大多数を斬殺。満身創痍ながら人妖まで討伐、事実は事実だが重要な過程が抜けている。ついでに言えば民間人の保護というのも怪しすぎるが、そこはまあ置いておこう。なあ、お前にいったいなにがあった、お前は本当に俺が知るランザ=ランテなのか」

 

 「男子三日会わざれば刮目して見よというだろう。俺はどうやら成長期らしい」

 

 「人払いはしてある、適当に受け流さないでくれ」

 

 腕を組み合わせ深く座り、動く様子が見られない。誤魔化しきれるものではないのかもしれないと、小さくため息をついた。

 

 「悪竜ジークリンデは知っているよな」

 

 「ああ、お前の最後の探索だ。太古の遺跡で弱り切った竜であったが、交戦により死者十六名。生き残り一名、編成が別れた俺が所属していた探索隊が異変に気付き急行、到着した時にはすべてが終わっていた、凄惨な様子だったがな。遺跡に残されていた情報を元に封印したと聞いたが」

 

 「封印が緩んでいる」

 

 グローの目が見開かれる。しばらく言葉をなくし、額に掌を打ち付け、忌々し気に頭を振った。伝説の竜との対峙、その栄光に目がくらんだ者達は全て原型をとどめないほどの肉塊となりまともな形で残ってはいなかった。

 

 竜など過去の遺物、とは言いつつもやはり竜は竜だ。記憶に新しい海竜リヴァイアサンの討伐も、地の利が向こう側にあるとはいえかき集められた軍艦六十隻のうち四十二隻が轟沈、討伐後ですらいくらかの船が破損が酷く操船不能となり、無事に港に戻れたのは僅か十一隻であったという。

 

 充分な頭数と潤沢な資金による準備があれば、竜狩りというのは可能であるが、逆に言えばそれだけの準備が無ければ決して手をだしていい存在ではない。ランザはそれを身に染みて思い知らされ、グローも戦闘の残滓からそれを感じとっていた。

 

 「封印は封じた者が近くに置き、封印を保つ必要があるという。だから俺がずっと管理していたが、ここ最近はその効果が薄れているようにも感じる。あのキラービーの大群を退け、人妖を討伐できたのもこの剣の力だ。血と戦闘を求め、気に食わなければ自ら封印から這い出ようと動きまわっている」

 

 「なんということだ」

 

 部屋の片隅、荷物と共にたてかけられた錆びた剣。それが災厄を呼び込む呪物のように見え、グローは思わず後ろを振り返った。見られているような気がしたのだ。いや、気ではないのかもしれない。言葉を信じるならば、あの剣の中にいる悪竜は今もこちらを見ているのだろう。

 

 「本当なら帝都の特級災害対策室の竜狩り達に申し送らなければならない、特級危険事項としてな。隠し通すにも限度がある…が」

 

 「そんなことをされたら、関係者として拘束され俺の自由は二度と訪れない」

 

 「……最悪二度と、陽の光はおがめんだろうよ」

 

 ことあるごとにこの竜は姿を現し、自分が引き離されればどうなるかの脅しをかけてきている。人型になり出現し、物理的に接触してくるなど言えばグローは友人の自由より万人の平和の為にすぐさま報告するだろう。そしてそんな状態をジークリンデが座して見ているなどありえない。最悪このリスム自治州が、血みどろの戦場となる。当然俺は、この悪竜ジークリンデを振るい人類の敵とならなければならない、テンを殺害するまで、なにを敵に回してでも留まる訳にはいかない。

 

 自分が大人しく拘束されてくれるだろうと考えているであろうグローに、それは口が裂けても言えない。グローが平和と住民の為に、いざという時俺を差し出すのをいとわないように、こちらとしてもいざという時は帝国とこの友人を相手に刃を振るいあがく腹積もりだ。

 

 「今はまだお前を売るような真似はしない、今はまだな。だがしかし…」

 

 苦渋の表情を浮かべる。お前はいざという時、平和と友情を天秤にかけることができる、そういう奴だ。そういう奴だからこそ、俺は信頼している。

 

 「テンを殺したら、出頭でもなんでもしてやる。だから今少し、時間をくれ…戦友」

 

 昼時を伝える鐘が鳴り響く。マリアベルが入室し、仕事の話があると退室をうながした。グローは最後まで、苦虫をかみつぶした顔をして、退室していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クーラ。奴隷商人から便宜的につけられた名前。リスム自治州法において、奴隷の名前を縛るのは数ある禁止事項の一つとして最低限の尊厳を守る為の法律として存在していた。

 

 名前も分からないような存在を売ることは禁止されている。あくまで奴隷とは、借金で首が回らないものが自分を売り出す為の最後の手段であり、名も分からない孤児に少数民族や被差別階級、どこから拉致してきたかもわからない、言語も通じない異国民など犯罪が絡みそうな存在を売りにだしてはいけないという意味を持つ法であった。

 

 だが奴隷商人達は、自分達が名付けることで、架空の戸籍まで作り出し、拉致してきた存在ですら合法的に売りさばいていた。穴の開いた法律であるが、奴隷商人と懇意にしていた当時の議会によって制定されたものであり、現在は反発運動もおこっている。しかし法改正がおこるのは現野党が次の選挙で議席をしめてからだ。道のりは果てしなく長い。

 

 だがしかし、クーラは気にしなかった。名前なんてつけてもらったことがなかったし、やはり名前という存在があるのは便利なためさして抵抗もせずにそのまま名乗り続けていた。

 

 半獣ということで、誰に買われどんな扱いをされても不思議ではない境遇のクーラは、自分を救ってくれたレント=キリュウインに感謝をし、その武器であらんと生きてきた。今までは盲目的にそう考えいた、それが正しく自身の道だと思っていた。しかし、今はその内心に黒く大きな痣が植え付けられていた。

 

  瞳だ。濁り、腐り、だが爛々と鈍い輝きを放ち、憎悪を糧に邁進せんと目の前を睨みつける瞳。おぞましい、恐ろしい、自分に向けられたのではないとしても、ランザ=ランテの殺害を半ば衝動的に提案する程に、怯えていた。何時か自分とレントになによりの災厄をもたらす、そんな不吉さを感じる存在だ。

 

 だがしかし今はどうだ。その瞳に殺意を込めて睨まれ、殺される恐怖を味わい、そしてそんな目を持つ人物に二度助けられてしまう。そして子供の人妖相手に見せた、絶望とそれを踏みにじりながら顕現させた殺意と憎悪。そしてそれは、ともすれば少しの衝撃で砕けて壊れてしまいそうな危うい脆さを伴っているように感じた。

 

 クーラの心に根付いたその染みは、その視線は、徐々に心を蝕んでいった。文字通り寝ても覚めて、夢の中まで現れてしまう。夜中に飛び起き、寝汗で激しく濡れた身体を首筋をぬぐい、紅潮した身体は再度の安眠を拒否する。自分で処理をし鎮めなければならないほどだった。正直に回顧しよう、身体が雌として興奮していた。

 

 あの瞳で睨まれ、ねじ伏せられ、殺されかける。そんな悪夢なのに。おかしいおかしいおかしい。自分はおかしくなってしまった。

 

 だから今、こんなことをやっている。掲げる大盾、職員用の仮眠室に忍び込み、寝息をたてるランザ=ランテの前に立つ。顔を覗き込むと、苦し気に唸っているのが分かった。この男も悪夢でうなされるのだなとそんなことを考えていた。

 

 瞼で閉じられたその瞳の裏側には、あの瞳がある。もう一度だけ、見てみたい。そう思ったら、我ながら馬鹿なことを思いながらも寝所を抜け出しこんなところまできてしまった。

 

 人は怖い。異端に対しての嫌悪と拒絶の強さ、あるいはその逆、物珍しさからの好奇心と加虐欲。その怖い人のなか、目の前の男は抜きんでた恐怖を叩きこんできた。なのにこれほどまでに、興味を抱く。

 

 自身の疑念に没頭をしすぎたのか、ランザの瞳が見開かれた瞬間身体の反応が遅れてしまう。かけ布団を頭に被せられ視界を封じられ、腕をとられベッドの上に押し倒される。突然のことに呆気にとられ、鋭敏な聴覚で荒い呼吸を聞いた瞬間、思考はまったく呑気な、しかし危機が訪れたと考えていた。

 

 貞操の危機。それはまあ、自分は女としては背は低く胸は発達途上どころか成長の兆しが見えない。尻も腰もおおよそ男受けとは程遠い位置にあるだろう。だがしかし、こうして押し倒されてべッドに引き込まれて、これからのことに抵抗できるだろうかと、自分を慰めてもまだ足りない熱に思考が浮かされた。

 

 だがしかし、ランザの狙いは違った。馬乗りになり腰を抑え逃れられなくした状態で。白い細首に親指を二本押し込む。ググゥ、と肌と肉に指がうまり爪が皮膚を傷つけ血を流し、クーラの呼吸を遮断した。

 

 「がっ…あっ……ぎ…いぃ」

 

 浮かされた熱も急速に冷める命の危機、身をよじり足をばたつかせ、腕に爪を突き立てる。だが相手は微動だにしない。眉一つ動かさず、こちらをまっすぐ見下ろしてくる。

 

 クーラはその時、出会ったことのないランザの仇、テンと似たような思考を抱いた。濁る目の中に見える、爛々とした光。まるで毒沼のごとき泥中に誰も見つけたことがない色鮮やかな禍々しく輝く宝石を見つけたような。

 

 テンはその宝石を、自分だけのものにしようとしていた。殺意という色彩を全て自分に向けさせ、自分もそれに応じることで研磨と加工を繰り返し、その宝石を愛することに意義をみいだした。そしてクーラは、泥中で鈍く輝く宝石そのものに魅了された。汚れと腐れにまみれた美しさ。何故こんなにも冷たいものが愛おしい。

 

 頭の中の酸欠による警告を無視し、身体は抵抗をやめていた。足はべッドに固定されたように力を失い、身体はなすがままを受け入れ、両の手をランザの頬にあてる。ああ、その輝きをもっと見せてほしい。その何時壊れても不思議ではない色を、一秒でも長く、一瞬でも長く。

 

 頬に手を当て愛おし気に撫でた瞬間、ランザの目が大きく見開かれる。慌てて身体をどかしベッドの端まで弾かれたように後退し、表情がみるみるうちに土気色に染まっていった。大きくえづき手を口にあて、慌てたように窓を開き外に顔を突き出す。解放されせき込みながら呼吸を貪るクーラの生理現象と、ランザの反吐をだす音が、夜の闇のなか響いた。

 

 十数分は、そうしていたか。クーラはおずおずと、丸テーブルの上に置いてある陶器製の水差しを手に持った。

 

 「水…」

 

 ランザは声に振り向き、奪い取るように水差しを手に取ると口の中に大量に含み呑みこんで、残りを頭の上にぶちまける。顔色は多少よくなったようだが、困惑の色は未だ隠せていない。

 

 「俺は…」

 

 それでもランザは、口を開いた。

 

 「俺は殺そうとしていたか?」

 

 子供を殺すことに、強い拒絶をもっている。それなのに、子供といえる年齢である対象を殺そうとした、そんな自分を苛むようにその瞳は陰りと濁りを増す。

 

 その問いにかろうじて頷くしかできない自分とランザを挟み、静かな沈黙が夜の闇のなか流れていった。

 

 喋るでもなく、立ち去るでもなく。月が雲から覗き部屋の中に明かりがさしこまれる。そうしてまた幾分か時間が過ぎ、ランザは少し落ち着きを取り戻したのか、ベッドから足を降ろし腰をかけてクーラと真っ直ぐ対峙した。

 

 「俺は首を絞め続けるべきだったか、やめて良かったのか。殺しに来たなら、さっきの続きをするが、どうする?」

 

 わざわざ聞いてくるあたり、やせ我慢だ。そんな気はもうないだろうし、殺意というものはすっかり抜けているようだった。瞳を見に来た、なんてことは言えない。その代わり、一つの疑問をぶつけることにした。

 

 「何故黙っていた」

 

 純粋な疑問。殺意をもち罠を仕掛け待ち構えていた刺客を、子供だからと助けた。それはまだいい、だがグロー達の事情聴取において彼は、自分のことを山菜取りだか薬草取に森に訪れ、迷子になり巻き込まれただけだといささか苦しい嘘をつき、それを無理矢理つきとおした。

 

 グローはこちらのレントとの関係に勘づいていたが、その件にマリアベルやグローが積極介入できなかったのは、あの場の異常を優先させたのとレントが裏からこちらに害が及ばないように工作をしたせいではあるが、司法の罰に問う姿勢すら見せないその嘘は疑問だった。

 

 「あの時、自分はお前を殺そうとした。なのに何故それを隠し庇いだてしたんだ。自分どころか、背後関係すら聞いてこないのは些か以上に奇妙に感じる」

 

 「気になりゃ藪蛇つつくタイプかお前さん。害がこないなら放っておけば良いだろうに」

 

 「教えてくれなきゃお前を殺す。再度首絞めの続きをするか?」

 

 血が流れ、痣が残る首筋に親指を差す。それを見て、ランザの顔は曇る。そして観念したようにため息をはき、頭を軽く抱えた。

 

 「俺に似ていた」

 

 「どこが?」

 

 自分にあんな、狂気の目はできない。なにをもって似ていたというのか。そこはやや不思議で少し不本意だ。

 

 「自分にとっての恩人、その為ならば命も厭わない。俺にも昔そういう人がいた、時に意見が食い違うことがあっても、自分が間違いでその人が正しいと考えることを放棄していた。そんな時の顔だ」

 

 レント=キリュウイン、彼の顔が脳裏によぎる。彼に威圧をし、そして危険な目をした異常人物だとランザを殺す決意をし進言した。だがどうかしていた、それだけの理由で人を殺すなど、本来ならば考えるべきではない。だが、レントはそれを承諾し、そしてあの夜を迎えた。

 

 「その果ての結果が、最後にして最悪の決断を頭の中では反対しつつも肯定してしまい、その人は死に十六名の仲間が残酷な肉塊に成り果てた。なにがあっても、嫌われても、止めていればと今でも後悔しているし、彼らのことを忘れたことはない」

 

 掲げる大盾支部長、グロー。その戦友で古い友となれば、ランザがいた環境は開拓地の調査のため未開地に生贄同然に放り込まれていた、初期冒険者ギルドの探索者のことだろう。死亡率の圧倒的高さは、開拓において美談にはできず闇に葬り去られている。その悪辣な探索にて、死んでいった者達を忘れることはできないのだろう。

 

 「お前はまだ後悔する前に引き返せるように見えた。その道を盲目的に進むか、矯正しつつ妥当な線で折り合うを見つけながら進むか、それとも引き返すことができるのか選択をするチャンスを与えたかった。人は剣でも槍でもない、きっかけ次第で曲がったり折れたり、凹んだりを選べるし、誰にでもその権利がある。こんな話をさせるな、こういうのは黙っているのが華なんだよ」

 

 自分語りに、吐き気とは違う気持ち悪いものを吐いたと言わんばかりに顔を背ける。頬が少し赤いのは、先程の興奮だけではないのだろう。クーラはクスリと、思わず笑ってしまった。そしてその時、一つ心に決めることにした。進むべき道を、選んだ。

 

 「お前の背後関係なんて知らんし興味はない。お前がどう思い、どう行動し、その結果に対して再度対応していくだけだ」

 

 「そうか…夜分遅くにすまなかった…いや…うん…言い直す。夜遅くに、本当にごめんなさい。今日はもう帰る」

 

 この人なら、自分を見せてもいいかもしれない。危なくて暴走気味で怖い危険人物。でも、この人にならば自分を見せたいと、思えた。だから、壁を一枚壊し素の自分を見せる。

 

 「今日は?」

 

 ランザの声を無視し、影に溶け込み夜闇に消える。剣として使われることが恩返しかと思っていたが、ここは曲がって折れてみようか。当然剣として自分は曲がり折れれば不良品で破損品だ、役には立たない。だがそれでもいいのであれば、それを選べるのであれば。

 

 「貴方を護る、矜持も恥も忘れた恩知らずになろう。曲がり、折れ、それでも良いと言ってくれるならば。そして…」

 

 クーラの、熱に浮かされたような、恩人に対する羨望で曇った目はなくなっていた。その代わり、薄く透明な、静かな、さりとて見え辛い狂気の色が目を覆う。

 

 月が陰る瞬間、気配を感じた。街の中央部たる時計塔の足元、役所が管理している倉庫の屋根で足を止める。跳躍、時計塔の彫刻や針を掴み頂上まで昇っていく。頂上で待ち受けていた人物は、何時ものように優し気な微笑みを浮かべていた。

 

 「レント様」

 

 「ボクがいるとすぐ分かったかい。流石はボクの剣だ…と言いたいところだが。何故君はアレの元へ向かったんだい?もう関わるなと命じた筈だ」

 

 言葉は優しく、しかし有無を言わせない言外の圧力。取り巻きは近くにいないものの、単独での強さは言えば自分を幼児程度にあしらうことなど簡単だろう。個人の武力で言えば、一騎当千。西方を長年荒らして回った人喰いの悪鬼や、地下迷宮にて屍術士率いるグールの大群や蟻人の巣窟の単独制圧。帝国における反政府勢力の掃討。卓越した身体能力と、桁外れの魔力、そして多彩な技を駆使する。なによりも奇怪で、恐ろしいのは。

 

 「困ったなぁ。君がそういう勝手な行動ばかりとるならば、ボクは君に対してなんらかの処罰を下さなければならない。加護の剥奪、取りあえずはそんなところかなぁ」

 

 加護。レントが扱える技術を他者に分け与える異能の術。素人を瞬時に一流の剣士にし、魔術の素養がない者を大魔術師に変え、獣に人の言葉を理解させる。女神の力と語ってはいるが、それは現在広く信仰されている宗教とはまた別のものであるらしい。

 

 キラービーの支配権をのっとり、使役したテイムの技、これも加護の力により授けられた超常の業だ。インスタントとはいえ、一流の獣使いの業を余すことなく扱えたのはこの為である。この力が失われるということは、現在の戦闘力は半分以下になるだろう。

 

 「いかようにも」

 

 「本気かい?」

 

 「歩むべき道を見つけたので。貴方から受けた恩はありますが、もうそれに縛られるのはやめようと思います。その証明として、これもお返しします」

 

 下賜された直刀を腰から抜き床に置く。この剣で、彼の命令で、いったい何人闇討ちしてきたことだろうか。彼の命令なら絶対だと考え、思考停止をしていた。殺すという行為を、いとも軽い行いと考えていた。殺さずにすむ命もあったというのに。ランザの言う通りだ、彼の言うことは正しいのだと、自分を正当化していた。

 

 「解せないね。君がそこまで恥知らずとは思わなかったよ」

 

 よく言う。ツラの皮が厚いとはこのことか。

 

 内心歯噛みをする。あの時、人妖が訪れる前に襲い来た二匹のキラービーには、自分が仕掛けたよりさらに強力なテイムによる支配がかけられていた。レントは、あの戦闘を観察していた。そして子供を相手に殺すことを忌避するランザの特性を見切り、自分に向けキラービーをけしかけたのだ。必ず庇い、代わりに負傷するだろうと読んだのだろう。

 

 テイムの業を仮初とはいえ行使していた。その支配権の移り変わりは、人妖が支配を取り返したように偽装されてはいたが、違和感を覚えることはできた。そして後に、密かに行った死体を見聞で違和感と疑問は確信へと変わる。

 

 気づかない、とは思わない筈だ。だがしかし、それでも自分についてくると思っているのだろうか。

 

 いや、昔の自分であればそれでも盲信しついて行っただろう。しかし今はもう違う。

 

 「いやすまない、恥知らずは言いすぎたな。ボクは君のことを真の仲間だと思っている。みんなはボクに対して理想を押し付けるばかりだけど、陰から支えてくれる君は真の理解者だと考えているんだ。確かに奴隷として縛っていないが、離れることはお互い大きな損失だとは思うんだ」

 

 大きく手を広げる。何時ものように抱きかかえ、頭を撫でようとしてくるためか、そのまま近づいてきた。

 

 「近づくなという命令は取り消そう。その代わり君にはランザに張り付いて調査をしてもらいたいんだ。そして彼の周囲を逐一報告をしてほしい。今回は暗殺を頼む訳じゃない簡単な仕事だろう?またボクの為にはたら「名前」」

 

 一つだけ、言いたいことがあった。後ろに下がり、壁を一枚作る。

 

 「自分の名前、憶えていますか?君としか、呼んでもらった覚えがないのです。一度呼んでみてください。お願いします」

 

 レントは笑顔を張り付けたまま、固まった。笑顔のまま目が吊り上がっていき、友好的な雰囲気が消えていく。

 

 殺しをした。何人も暗殺を繰り返してきた。慣れないうちは吐き気もしたし、夜も眠れないし、悪夢にうなされることもあった。そして今は、そんなまともな感情は摩耗していた。ランザと違い、人間性という意味では自分の方が汚れていると思えた。だがそこまで尽くしても、自分は彼にとってその他大勢の便利な『君』に過ぎなかったのだ。

 

 「『君』が多すぎて、言えない?」

 

 クーラは笑っていた。恩義があったとはいえ、何故こんな存在に忠義を尽くしていたのだろう。敬語を使う気も、失せた。ただ笑った、笑えた、レントに対しても、自分に対しても。名前も覚えてくれない相手の為に手を血に染めてきたのだろうか。

 

 「さようなら、クソ野郎」

 

 時計塔から飛び降り、夜闇に紛れ消え失せる。この技術は、必死に身に着けた自分だけの技。決して与えられたものではない。誰にも奪うこともない、まして返すこともない、培われた能力だ。これはもう二度と、レントの為に使われることはないだろう。

 

 旅の支度をしなきゃ、代わりの武器を手に入れなきゃ、人妖について調査報告書を盗み見て勉強し、少しでもランザの力になる努力をしなければ。

 

 例え断られても、迷惑がられても、しつこく食い下がりついていく。それが今の自分の、新しい人生で生き甲斐になるだろう。

 

 時計塔から充分離れたところで立ち止まり、血が止まりつつあった首筋に触る。食い込んだ爪跡の傷をなぞり、熱く甘い吐息を漏らす。首絞めと命の危機、そしてそれに対しての興奮を思い出し、身体が熱くなり思わず自分を抱きしめ倒れないように壁に背を押し当てた。

 

 仲良くなったら、お願いしよう。無理だろうけど、もし仲良くなって、なにか功績をたてて、万が一でもお願いに頷いてくれるならば、またしてくれるだろうか、あの『ご褒美』を。

 

 夜の闇の中、猫は、酷く歪んだ笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 立ち尽くすレントは、ゆっくりと手を降ろした。返された直刀まで近づき。足で踏みつぶし、踏みにじり、鞘ごと粉砕をする。直刀は、名のある業物として数えられる程のものではなかったが、良品質な玉鋼から職人が作り出した、市販品として充分に高品質な代物だった。

 

 単純な筋力操作にて、南国の未開地に生息する、彼の知識から言えば像に似た生物が踏んでも壊れない鞘と刀身を砕いたが、気分はいささかも晴れない。たかが裏切り者一人、今の自分には痛くもかゆくもない、暗殺についても奴隷あがりの半獣の言葉を信じる奇特な人間はいないだろう。捨て置いても問題はないが…気持ち的には問題がでかかった。

 

 帝国の大物政治家に溺愛された娘を零落させ、希少種族のエルフを侍らせ、小国ながら精強な騎士の団長を務める女武芸者を堕とし、難敵と言われた敵たちもスキルとチートで前世界にて捨てられた子猫を蹴飛ばすように蹴散らしてきた。今まで、順風満帆だった筈なのに!

 

 「ランザ=ランテ」

 

 便利な暗剣を無くした時点で、今下手に動き評判を落とす訳にはいかない。リスム自治州にて、掲げる大盾にて多彩な人脈を持ち剛腕を振るうグローの友人を襲うのは、今はまだリスクが高いしなにより、あの狐の姿が混ざる人妖テンの行動を把握するのに殺す訳にはいかない。

 

 もどかしい、殺すのは楽なのに殺せないとは。理性が押しとどめるだけで、腸が煮えくり返ってしかたない。

 

 「ボクの邪魔者は、必ず殺してやる」

 

 今一度、決意を新たにする。今は煮え湯を飲んでも、大団円とはボクの為にある言葉なのだから。

 

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