家族の仇は、娘でした   作:樫鳥

62 / 149


 地下施設に施した要塞化の仕掛け。外部への対策であったが、内部の問題で使うとは思わなかった。

 

 内部の仕掛けは外部が突破された際の迎撃装置。足止めに重点をおいたものであったが、最初からそれを目当てに起動するなんて、人生なにがあるか分からないとも言うが予想外のことなんて、生きていて一度か二度くらいで充分なのだが。

 

 「ふざけた話だよね、本当に」

 

 杖を地面に叩きつける。ドーム状に広がる天井に幾つか淡い紫色の光が漏れ出し、鉄鎖を模した光紐が伸び狼の身体に巻き付いていく。狼が動く度に鎖が擦れ揺れる音が響き、限界まで伸ばされた鎖に阻まれ身動きがとれなくなっている。遠吠えをあげようにも、その長いお口はさぞ鎖がまきやすい。唸り声がせいぜいだ。

 

 背中から生える刃も鎖に束ねられ、抵抗により火花をあげるのみ。鎖はしばらくはもちそうではある。頑強な鎖を褒めるべきか、それとも時間をかければそれを破壊できる威力をもつあの刃を褒めるべきか。

 

 「外敵の備えを内部の異変に使うか。それは、二百年前くらい放浪人が伝え聞いた知識から復元した備えだよ。テスト以外で使うのは初めてだけど、どうだい?てそのお口じゃ喋れないかぁ、残念」

 

 呑気なことをと言いたげな視線を向けられたが、減らず口一つ叩けないようでは危機に直面しても冷静に対応することなど不可能だ。

 

 さてこれはこれで良いとして、すぐにここから逃げなくてはならない。地上の異変は当然隠しようもなく、この鎖だって長くもつものではない。早急にここから離脱をする必要がある。

 

 持ち出せる貴重な物は持ちだしたいが、大して時間はないだろう。取捨選択を素早くこなし、さっさと隠し通路から退散するにかぎる。後の始末は、他の連中がやればいい。

 

 「カビの生えた古文書とか魔術書とかは捨て置いても良いよ、全部頭の中に入っているから落ち着いたら復元を作っちゃる。夢魔の肉片もいらね、レッドアイのサンプルはまだリスムのハーウェイにあるしそこからいかようにもなるしね。各々必要だと思うもの鞄に詰め込みなよー」

 

 研究資料だとか、仲間の形見だとか、嵩張る物以外は個人の判断で回収させる。鎖が持つまでの時間は十数分が限度かな?この要塞は外部、ここに近づいた人間から活力を奪いエネルギーに変えている為起動命令にしか魔力を使わない。命令をださなくても自給自足できる良い子なのだ。

 

 要塞管理者であるボクは、要塞の状況を逐一把握できる。鎖の耐久力もそれで把握することができるし、外部に問題がおきればすぐに分かる。

 

 鎖はそのうち破壊されても構わない。あれが暴れてくれれば、首都に混乱がおきるしその分雲隠れもしやすいというものだ。なるべく長く軍やエンパス教、竜狩り相手に暴走してほしいから今攻撃をすることもない。

 

 「ボクも集めたコレクションとか持ちださないとねぇ。まったく、赤字もいいところだよほんっ」

 

 個室に向かおうとした瞬間、ズルッと左足首を紐のようななにかに縛られて引っぱられる。

 

 仰向けに転倒してしまい、凄まじいスピードで引きずられる。散乱した机に杖をひっかけ、床の上に転がった。

 

 引きずられながら仰向けになる。なにがおこっているのかを確認した瞬間、危機的状況にも拘わらず「ひへっ」と変な笑いがでてきた。ランザ=ランテ、君はいったいなにになったというんだい。

 

 巨大な狼になって出現した彼の胸元が、パックリと開いていた。赤い筋肉が露出しており、脈打っている。おいおい、そこには心臓とか必要な臓器とかがある場所じゃないのかい?人妖だとしても、生きている以上内臓なんてどっかにお引っ越し出来るもんじゃないだろう。

 

 「当代!」

 

 「射って!なんかこれーヤバいから!」

 

 生き残りの部下達からの援護射撃が飛ぶが、効いているのかいないのか。傷がついているからには効果はあるかもしれないが身動ぎすらしない。ただその瞳が、偽物とはいえ魔眼と類することができるあの眼がただまっすぐこちらを見ていた。

 

 背中がゾクゾクと震えるのを感じた。この状況で呑気なことを言うが、あれは刺さる者には刺さる。時間があればじっくりと分析をしてみたいものだと思ったのは、現実逃避からの考えだろうか。

 

 「当代!受け取ってください!」

 

 誰かが衝撃魔法で飛ばしたか、引きずられていく進行方向に触媒となる杖が回転しながら転がり込んだ。左手を伸ばしてそれを掴み、至近距離まで近づいた狼の巨体に向けて最大火力の一撃をぶち込むべく先端を向ける。

 

 サラマンダー。火蜥蜴を模した、人間数人程度なら丸呑みにして瞬時に黒焦げにする魔法。暴力的な炎による奔流はボクのお気に入りだ。物語に出てくるような魔法を扱う者は、詠唱というわざわざこれから放つ技を宣言するような無意味な行動をよくしているが、子供の頃はこの魔法にあうカッコいい詠唱を空想したものでもある。

 

 初めて覚えた、小手先ではない大火力魔法。これを近距離から連射してわざわざ見せつけた内部の肉を消し炭にしてやろう。いろいろ台無しにされたので、それくらいの権利がボクにはあるだろう。

 

 「っ!」

 

 なにか言おうとした、その瞬間思考が霧散する。視界の端で捉えたのは、針がついた管のようなものが首筋に向け伸びていること。針が刺された痛みと共に感じるのは圧倒的多幸感。

 

 口が、金魚のようにパクパクと動いたがそれ以上なにもできない。中身のない幸福、意味のない快感。僅かに残った思考する能力がギリギリのなかでこれがなんなのかを過去の記憶から全力で検索をしていた。

 

 レッドアイだ。好奇心からボク自身も試したことがあった。勿論、廃人とならないように一摘を最適濃度に希釈したものだったがその日一日意味もなくウキウキしながら過ごしていたことを思い出した。効果が切れてからは、心の中に穴が開いたような気分になりしばらく自分を律するのに苦労したものである。

 

 おいおい、夢魔じゃないだろうに。なんでまた君にそんな能力が備わっているんだい?

 

 夢魔を殺害してそれを養分にしたせいか?それとも原液を注射二本分君に打ち込んだせいなのかい?ああ、興味深いね。いやどうでも良いね。あれ、どっちだろ。どっちかな。どっちでもいいか。

 

 手に持っていた棒きれがなんなのか分からない。邪魔だったから捨てる。誰かがなにかを叫んでいたけど、なにを言っているんだろう。

 

 足先になにかが巻き付いた。生暖かいぬとりとした感触がブーツとハーフパンツの間にある露出した足に巻き付いている。暖かい空気が身体全体にかかるが、不思議と嫌な気分ではない。

 

 「んっ」

 

 ブーツの隙間に細い紐が入り込み、なにかが刺さる感覚が皮膚のうえで快感として襲う。ハーフパンツの中にも長い物が入り込み太腿にも幾つかの小さな痛みを感じた。刺された場所から液体が送り込まれる度に、無図痒いながらも心地よい、けどなにか物足りない。

 

 そもそも足だけなのが悪いのだ、けち臭いことしてないで一気に全身に注入してくれれば良いのにねぇ。それにレッドアイは経口接種でもかなりの効果があるよ。ああでも、触手状の器官から口に注入するって絵面があれすぎるかな?どうでもいいけど。

 

 「んにぃああああああ!」

 

 フワフワしていた脳髄が、急激な刺激に悲鳴をあげた。下半身より下が、肉の中に呑み込まれパクリと閉じてしまっている。肉の塊にサンドされている状態であるだけなのに、露出している素肌からまるで神経が剥き出しになっているように刺激を伝えてきた。

 

 不快感ではない、むしろ逆だ。性的快楽とも似たようで違う、言語化することが難しい。ただここにいたいと思わせるなにかがあった。

 

 上半身がビクビクと痙攣していた。筋肉が緩んだせいで失禁をしたかもしれないが、もはや下半身がどうなっているかも分からない。

 

 誰かが手を掴んだ。引きずりだそうとしているように引っぱるが、それを振り払う。ふざけるな、どこの馬鹿垂れだ。耳元で喧しいよほんと。

 

 「ひへ?」

 

 ズルズルと吸われるかのように身体が呑み込まれていくが、そんな感覚を楽しんでいたら耳になにかが突き入れられた。バリッという音と共に世界から音が消える。喧しいと思った直後にサービスがいいなぁ。

 

 でもなんだかパリパリだかバリバリだか、クチャクチャだかメチャメチャだか、よく分からないなにかが頭の中に響いていた。そんな音と言って良いのかも分からないものを脳内で反響させながら、呑まれるごとに幸福感に満ちていく感覚を楽しむ。

 

 全てが肉の中に入り込んで、初めてボクは心を落ち着かせることができた。すぐ近くでドクンドクンという生命の鼓動が脈打つのを感じる。もう長らく感じることもなかったが、春の日差しを浴びながら微睡んでいるような気分だ。

 

 頭の中でトロトロと水が流れるような音が響く。耳から届くことがない音を音といっていいのやら。とにかくそれはまるでなにかを、いや魂でも探しているように這いまわっていた。

 

 それでもなお安心感がある。外との感覚を絶ち、この緩やかな肉の牢で腐り果てるのも悪くはないと本気で思えてしまう。まるでゆりかごのようであり、思考を放棄してしまいそうだ。

 

 不眠の魔法を習得して魔法使いとして一人前と認められた思い出も、古文書を解析し脳内に刻み付けた記憶も、夢魔製造の過程において試行錯誤を繰り返した苦労の記憶も全てが緩やかに流されていく。それがたまらなく心地好い。恐怖心すら感じないのが、恐怖だ。

 

 『魂の重さは、21gと言われている』

 

 師であり親である、先代の言葉が脳裏をよぎった。崩壊しかけている思考が緊急事態として過去を強制的に思い起こさせることで自己防衛を働かせているのかもしれない。

 

 なにがきっかけの話だったか、書庫にて勉学の最中始まってしまった講義にやや面倒に思いながらも聞いていたことを覚えている。

 

 『死後人体はそれだけ軽くなり、それが魂の重さと言う学者がいた。だが人間というのは心臓が動いていることで生きている。その心臓は鼓動をし血液を循環させることで各種必要臓器を機能させ生物は生存しているが、魂などという器官は当然ながら存在しない。ならば古より語り継がれる魂とはなんなのか。ウェンディ、お前は分かるか?』

 

 『存在しないが正解だとボクは思うけどなぁ。だいたい21gとかいうけどさぁ、何人の死体で試した訳その人。怖いねぇ、そんなどうでもいいことの為に死体を弄ぶなんてさぁ』

 

 『心にもないことを言うな。魂というのは存在しえる。私が思うにそれは思考能力。信念、哲学、知識、理性だ。それを侵されることこそ、魂が侵されるということ。我等、知恵と魔力を力とする魔法使い達にとってそれだけはなんとしても避けねばならない。我等魔法使いが、洗脳という手法を廃止しつつその対抗策を身に着けるのはその為だ。思考のすり替え、強制は魂の汚染、すなわち自我の崩壊に他ならない。よく覚えておけ』

 

 師である父の言葉が記憶を巡った瞬間、突如身震いするような感覚が脳内の覚醒を促す。

 

 思考が、幾分かクリアになる。そうだ、これがレッドアイによる多幸感によるものならば今頃ボクは夢の世界に堕ちている筈だ。それは何人もの実験体を通じて証明した疑いようのない効用である。

 

 ならば何故、ボクはまだ夢の世界に堕ちてはいない?

 

 そう考えた瞬間、一つの思考が頭によぎった。それはランザの声ではなく、女性の声。彼の記憶のどこかから響く音。

 

 『かしずき捧げるか、屍になるか』

 

 自分の心臓がドクンと大きく跳ね上がる。だが、その問いに応える暇もなく、ボクは外界に排出された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「そう、ただの狼では、ハティではないのですよ。その存在を生み出すだけなら、ここまでの苦労はかけませんよ」

 

 「人妖でもない吸血鬼と相争わせたのはそのせいか」

 

 「サグレ=イグロス。現代に蘇った始祖たる吸血鬼の直系。その血は僅かでも影響を色濃く残し、吸血鬼としての本能と性質を血に宿します。あくまで仮初の為お父様の自覚症状はせいぜい夜眼が効くようになった程度でしょうが、その本質は別にある。吸血鬼最大の特徴、眷属作りの能力。その片鱗を無意識にでもお父様は宿しているのです」

 

 ガスパルはここで、背筋が寒くなる覚えをした。悪魔として長らく生活をしており、それなりに様々な人間を見て来た。だが、テンが考えていることを理解できてしまい、類似するような思考回路を持つ存在は今まで見て来たことがなかった。おぞましさ、と言える類の考えだ。

 

 「まさか、お前」

 

 「その先、今は口にしないでください。今私は、抑えて抑えて、必死なのですから。我慢できなってしまいます。フ……フフ。レッドアイ、吸血鬼の血、贄を吸収する力。その三つが混ざり合う効果は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ハッ……ハハハ」

 

 乾いた笑みが漏れる。気づいたら、ボクはランザ=ランテの、狼の前で膝をついて放出されていた。まるで夢のようなひと時であったが、身体中にこびりついた血臭のせいで先程までの時間がそうではないことが証明されていた。

 

 「便利使い出来ると、思ったのかい?それは復讐に体よく利用する為かな?それとも、この場を切り抜ける為だけに?」

 

 成程、あの視線に込められた意志は、悪意でも敵意でもなかったか。

 

 利用価値、この急場をしのぐための最善手。違和感があるのも当然だ、レッドアイを二本打ち込むという暴挙をした相手に敵意がないのだから。こうなって気づくとは、ボクの思考能力も案外稚拙なものだ。

 

 傍目から見れば、ただ呆けているだけに見えたボクの肩に誰かが手を触れた。なにかを喚いているようであるが、よく分からない。ああもう、五月蠅いなぁ本当に。

 

 どうでも良い。

 

 今まで積み上げたものも、夢魔も、魔法使いの復権も帝都掌握もレントもエンパス教もどれもこれもなにもかもあれもそれも全てが邪魔だ!

 

 何故出したのですか。何故選択肢を与えたのですか。あの暖かな揺り籠の中で、庇護の元で、護られる感覚を味わいながら腐りはて溶けていく感覚を味合わせておいて今更こんな世界に放り出すなんて鬼畜もいいところだ。

 

 肩の手の感覚が不愉快、外気ですら肌ささくれ立つように煩わしい。呼吸をする空気に不快な味がある。着ている衣服すら鈍重な枷の如く感じた。

 

 「……がい……す」

 

 口から言葉が漏れた。

 

 「お願いします」

 

 もうこんな世界、心の底からどうでも良い。ボクの今までの人生は、この終着点に辿り着く為に存在した。

 

 これからおこることを想像し、まっ先に呑まれていた下半身が切なく疼く。指先に至るまで神経が張りつめており、早くあの庇護の元役割を放棄してただの肉塊になりたいと切なく訴えていた。

 

 「ボクは……ウェンディ=アルザスは。貴方に隷属します。非礼を詫びます、どうかしていました。どうか、お詫びとしてボクの魔力、いえ魂の一片まで使い潰してください。代わりにボクを、また庇護してください。溶かし、堕として、ください。」

 

 膝をついたまま、地に額をこすりつける。ああ、早く、早く、早く。あの暖かな微睡の中で溶けていきたい。レッドアイに侵された者のこんな気持ちだったのだろうか。こんな世界にはもう、一秒だっていたくない。

 

 ああ、貴方様は何故戻ってこれたのでしょうか。この艱難辛苦しかない世界にと。

 

 狼は、ランザはそれでも動かない。それだけで涙腺に涙が溜まり、泣きじゃくりたくなったがまだするべきことをしていなかった。ボクがこの世界において行う、最後の仕事。

 

 「喧しいよぅ」

 

 足元に転がる杖を拾い、背後に、喚くなにかがいる方向に向ける。近距離から飛び出たサラマンダーが背後の存在を消し炭にする。

 

 背後の存在。ああ、思い出した。ここにいるのはみんな魔法使いの生き残りか。どうでも良い些事だったから、忘れかけていたよ。

 

 杖先に込めた魔力を開放。狼に巻き付いていた鎖が砕けて落ちていく。喚き声と共に、周囲から炎弾や水刃がボクの方向に向けて飛んできたが、二対の連結刃が盾のように降り注ぎそれを防いだ。

 

 一歩前に歩み出た狼が、躍り出る。自由に解き放たれた狼の躍動は、後はもう虐殺といえるようなものであった。全てが、人生が台無しになっている光景を目の当たりにし、ボクの頬は緩んでいた。

 

 性的興奮等の類などともまた違う、なんといえば良いのだろうか。

 

 裏切者、死にたくない、様々な悲鳴が耳に届く。あれ、そういえば鼓膜は破れたものだと思っていたけれどちゃんと聞こえるものなのだなとぼんやりと考えていた。以前なら興味深いくらいは考えたかもしれないが、今は来るべき瞬間を待ち続けるのみとなっている。

 

 逃げ回る者が多い中、時折やぶれかぶれにこちらに向けて攻撃をしてくる者もいたが、その度に連結刃が伸び攻撃を防ぎ、かき消した。ただ立ち尽くしているだけなのに、安心感がすごい。

 

 ああ、分かった。安心感なのか。

 

 もうボク自身がなにをするべきことはない。他者との会話も、魔法の研鑽も、魔法使いとしての矜持としがらみも必要ない。全てを放棄してもなお得ることができる安堵。心のなかで抱えていた重たいなにもかもを切り捨てていく感覚。

 

 もうなにもしなくても良いのだ。この身と魂を捧げるだけで良い。

 

 杖を、取り落とす。片手を動かし、止め紐を解き着ていたローブが床に落ちた。ブーツを脱ぎ捨て、床のうえに足を降ろす。肌着を脱いで、小ぶりで成長が止まってしまった胸が外気にさらされた。もはや、不要な衣服はいらないだろう。心身共に全てを放棄することで、捧げる準備を整える。

 

 「……ああ」

 

 巨体の前で、かしずく。水色のふさふさした獣の体毛が開き、内部の赤い空間が再度露わになった。口端から唾液を垂らしてしまい、待ち焦がれた瞬間が訪れたことに歓喜が身体を震わせた。

 

 「捧げます」

 

 最後に見たのは、内部から延びる触手の奔流。身体に巻き付いていくそれを感じながら、目を閉じた。あるべきところに帰るのだ、もう視界も必要ない。

 

 引きずり込まれた胎内で、肉が閉じる。暗闇の中で水音と共に、心地好い心音が聞こえた。生命の胎動が、まるで子守唄のようだ。

 

 そのまま眠りについてしまえるかとも思ったが、少し違った。気づいたのは違和感からだ。

 

 暖かい感触を肌越しに感じていたと思ったが、いつの間にかその境界線が曖昧になっていた。どこからが自分でどこからが相手なのか分からない。まるで臓器の一つにでもなってしまったかのようだ。

 

 指一本動かせない。いや指という感覚がない。なにもない、ボクにはなにもなくなった。骨や筋肉すらも存在しない、呼吸器や排泄器のようなものなど必要としなくなる。

 

 ……っあ

 

 思考になにかが介入してきた。それに合わせて、魔力が放出され捧げられ、どこかに吸収されていく。身体から力が抜けていく、もう存在するかどうかすら定かではないが、背筋が歓喜に打ち震えた。体内ではまた魔力が製造されており、早く吸いあげてくれと切なくその時を待っている。

 

 狼は、ランザは、ボクのこれが欲しかったんだ。ボク自身の性格や存在、個体としての価値などそれ以外なに一つ不要なのだろう。でも捧げる選択肢を選んだボクはそれでいい。酷使してほしい、使い潰してほしい、この魔力を生み出す魂を染めあげてほしい。

 

 もう嫌だといっても、抵抗できない。吸い上げられる度にボクは、興奮と快感に打ち震えるのだろう。ただそれだけの存在として、利用されながらも安心感に身を任せ、あとはもうなにもせずに微睡んでいられるのだ。

 

 本当に、今まで生きてきて良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天井が開いていく。大量の瓦礫が崩れ落ち、裂け目からまるで天井に向けて花を開くように稼働し夜空が見えた。

 

 天に輝く月に向けて、四肢に力を入れて飛び上がる。地下から這い上がり、空を目指す。

 

 地上に降り立った瞬間、夜の空が優しい月明かりから寒気のする蒼光に変化した。建物の上、目の前に現れた妖狐は半月のような笑みを浮かべ恭しく頭を下げる。

 

 「お待ちしておりました、お父様」

 

 二体の人妖が、帝都にて向かいあった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。