家族の仇は、娘でした   作:樫鳥

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烏合の衆


 『やあ、また来るとは暇なのかい?』

 

 湯気をあげるコーヒーの杯を片手に、長椅子にふんぞり返るのはウェンディ=アルザス。片手には異国の言語が描かれた本を持ちページをめくっていた。

 

 彼女が居座るのは研究室でも、地下でも、まして見知らぬところでもない。アリアと、ミーナと、テンと過ごしたあの村にある我が家だ。少し様子が違うとすれば、見覚えのない本棚が大量に詰められており台所にはコーヒーを淹れる為の道具と豆が並んでいる。床には紙切れや本が散らばり、まるで覚えのない蔵書で埋め尽くされていた。

 

 彼女がくつろぐ椅子さえも、ふんだんに綿が詰められた高級品だ。とてもじゃないが我が家におけるものではない。

 

 『ここは俺の家だ。なんでお前が好きに模様替えをしていやがるんだ』

 

 『こう言って正しいかは分からないけどねぇ、今はボクの家でもある。もうボク個人という人格と能力は解けて、砕けて、君に混ざった。ここにいるボクは、その表層でしかないのだよ。まあ、ペルソナみたいなものだとでも思っていれば良いさぁ。思いのほかぁここは気に入っているし、人格を乗っ取ろうなんて野心もない無害で可愛い同居人だよぉ』

 

 怨み言を吐くでもなく、ツラツラと語っているがそれを無視。ウェンディが積み上げた蔵書のなか、テーブルの端には、上着が無造作に置かれておりその内側では子猫程の大きさである灰猫、クーラが静かに寝息をたてていた。

 

 頭を撫でると、ピスピスと鼻を動かす。小さな額を手に押し付けるように姿勢を少し変えるが、起きる様子はない。時間間隔というものが、今の俺からはすっぽりと抜けてはいるがもう長い間眠り続けているような気がする。

 

 『話でも、あるんじゃないかい?コーヒーでもいれようか?ここは断片的に残った夢魔の世界、望めば大抵のものは出現する都合の良い夢だからねぇ』

 

 こちららがなにも言わずにいると、肩をすくめながら立ち上がる。台所にて、竈の中で小さな火蜥蜴が踊り薬缶に注がれた水を沸かし始めた。豆が挽かれる音が、静寂の中響いている。外は月明かりすらない暗闇であり、星どころかまるで墨で塗りつぶしたかのような深淵が広がっていた。

 

 『解せないな』

 

 『んぁ?』

 

 『怨み言の一つでも、あるんじゃないかと思っていたが』

 

 あー、となにやら得心がいった顔を浮かべ、少しだけ間を空けた。『今からでも考えようか?』なんてふざけた返事が返ってきたが無視をする。

 

 『ボクは所詮、受け継いできただけの人間だからねぇ。魔力も、能力も、目的も、信念もさ。まあ別にそれが苦痛だとか退屈だとかは思っていなかったけど、君に夢魔を殺された時、自分でも意外だったけどたいして怨む心はなかったかなぁ。あ~あ、くらいには思ったけどねぇ』

 

 『一族の悲願、みたいなもんじゃなかったのか』

 

 『妄執とも言えるかもなぁ。ただまあ、うん……疲れてたのかもねぇ。魔法の習熟や魔力量の増強訓練。魔書や古文書の解読と暗記。エンパスの懐に入って、レントに近寄り加護を得て、経済特別区で活動して、帝都地下で夢魔の製造。他にやることもなかったから、取り合えず一族の使命を果たさんとしてきたよ。でも、計画が破綻して初めて分かった。魔法使い達の執着は、ボクの執着じゃなかった。こうして時間も気にせずコーヒー片手に本を読む、そんな生活がたまらなく心地いいのさ』

 

 ウェンディの笑みと言えば、人を小馬鹿にしたようなヘラヘラしたものという印象があった。だがそのコーヒーを淹れる横顔は、そのようなものではない。

 

 追い求めていたものを失い、解放感と安堵。そして、どこか心に穴が開いてしまったかのような空虚な笑み。とても、帝都洗脳を企てていた魔法使いの長とは思えない。

 

 『君だって同じようなものじゃあないのかい?』

 

 湯気が立つ杯が目の前に置かれる。掲げる大盾で出された、帝都から仕入れた豆や砂糖、モスコーから運んだミルクを大量に投入した、金がかかっているがグロー好みにより過ぎた泥水とは違い芳醇な香りが漂ってきた。

 

 『復讐、やめるんだよねぇ』

 

 『なんで知っている』

 

 『ほら、ボクはもう君だし。まあ飲みなよ、南大陸から仕入れた、ボクが飲んできたなかで一番美味しいコーヒーだよ。記憶の共有、ここなら味わえる筈さ』

 

 コーヒーを一口すすると、心地好い苦みと適度な酸味を感じた。少なくとも今まで飲んだことがあるどんなコーヒーよりも美味い。成程、これが記憶の共有か。ウェンディがかつて飲んだことがある豆を、夢魔の夢で再現し、こうして味を感じることができる。革新的な出来事ではあるのだが、今の興味は別にあった。

 

 『約束かい?』

 

 あの世界でのテンに、最後に言われた言葉。それは、現実世界にいるテンに関するものだった。崩壊していく世界で、身体や顔に硝子のようなヒビを浮かべながらも安堵をし、送り出してくれた顔。

 

 『ボクから言わせてもらえば、それも呪縛だねぇ。結局は、どちらに転んでも君自身は娘に縛られているだけじゃあないかい?親離れできない向こうもアレだけど、子離れできないのも考えものだよねぇ。ま、婚姻も子育てもしたことがないボクが言えた義理じゃないけどさぁ』

 

 一族の目的と言う、ある意味では呪縛に近い物に縛られていたウェンディの感性だからこそ言える言葉でもあるのだろうか。彼女は、もう俺の中に混ざり込んだただの一面といっていた。自問自答のようなものなのだろうか。ならば、応じる必要があるだろう。

 

 『いっそこのまま姿をくらましても良いんじゃないかい?もはやテンに対する殺意はなく、約束したといっても所詮実在しない虚像との約束さぁ。帝都であれだけ暴れたんだ、もう周囲の人間は敵だらけだろうにまだ重みを背負い込むのかい?いっそ、ボクを見習ってクーラと隠居するのはどう?この子はその選択でも、拒否しないだろう。悪竜の方は、ボクは知らんけどにぇ』

 

 『俺自身が、疲れて投げ出したいと思っていると?』

 

 『自覚はなくても、内心を蝕む。復讐も、死者との約束もね。それは呪いだよ、不思議な力でも魔力でも神や悪魔の力でもないけれど、人類にとっては古来から人を蝕む呪いさ』

 

 ウェンディが、テーブルの肘を立てて上で手を組んだ。手の甲に顎を乗せ、顔はニタニタとしていたが笑っていない瞳で口を開く。

 

 『自分から呪われようなんて、健全じゃあないなぁ。いばらの道にも、破滅にも進むことはないんだよ?ランザ=ランテ』

 

 『お気遣いどうも、とでも言えば良いのか?それともここから先のことを無意識にでも想像して、防衛本能辺りがストップでもかけにきたか?』

 

 コーヒーの杯を置く。それが俺の本心だとしても、それをねじ伏せるように言葉を紡ぐ。

 

 『テンを海で救い上げた時から、彼女との関りはもう断ち切れない。中途半端に見捨てるくらいなら、最初から助けなければ良いだけの話だからだ。良くも悪くも、なにがあろうと俺はあの約束を果たす為に進み続ける。一族の執念に縛られたアンタとは違い、俺は自分がら業を背負う。それがあの子の父としての役目だからだ』

 

 『その為に、なにもかも犠牲にする?帝国人、エンパス教をただ信じるだけの信者とも殺し合いになるかもしれない。この先はきっと血が流れるよ。流れる血は、人妖ではなく人間の血だ。君は大勢の人間に怨まれる、殺意を抱かれる、復讐をされる側にまわる。ミイラ取りがミイラにとは言うけど、健全じゃあないよねぇ。良いのかい?』

 

 『悪いだろうな。以前の俺であれば、いささか以上に躊躇しただろう。そのうえで悩み、このまま姿をくらます決断をしたかもしれん。だがしかし、俺ももう化物だ。少しは自分の本心にでも従っておくさ』

 

 帝都の街中であれだけ暴れてしまったんだ。気づいていなかったし気にしている余裕もなかったが、魔法使い共や竜狩り隊以外にも戦闘の余波で巻き込まれ命を落とした市民も当然いるだろう。既にこの手は、取り返しのつかない程に汚れてしまっている。

 

 開き直りかもしれないが、ならばもうそれを気にすることがはないだろう。現に、自分自身の内心はかつてない程落ち着いていた。無益に殺しをしたいとは思わないが、これからは殺人と言う行為に対する敷居が一段と低くなる。そして、その罪悪感も。

 

 『あ~あ、ご立派ご立派。君が生きている限り、ボクの健全ニートライフが続くんだから精々長生きしてほしいんだけどねぇ。ああ、後だけどさぁ……どうすんの、その娘。もう分かっちゃったんだろう』

 

 呆れたように肩をすくめるが、それでももう止めることはしないらしい。自分の本心に、理性が納得したということだろうか。

 

 と、行動方針を決めてひと段落という訳にもいかず、ウェンディはもう一つの話題を続けてだした。この娘とは、上着に包まれてスヤスヤと眠る灰猫、クーラのことだ。

 

 あの逃走劇のなか、クーラを包んでいた上着はまるで自分の布団だと言うように中に潜って眠りこけている。その姿は、子猫の姿であったがそれに関しては心当たりがあった。

 

 夢魔の中で俺は、衰弱するまで過ごしていた。贄として、その命を夢魔に捧げる為に。その中に、異物としてクーラも共に取り込まれる。魂に容量のようなものがあるのかどうかは分からないが、少なくともクーラはあの環境で俺よりも衰弱し瀕死に近い状態だった。それだけ、夢魔に生命だか魂だかを吸われていたのだ。

 

 人妖となった俺が、ジークリンデの刃を使いその夢魔の魂を贄として吸い上げた。つまり、まだ夢魔の中で完全に吸収し消化していなかったクーラの一部も俺の中に吸い上げてしまったこととなる。そして、クーラ自身の身体に残留した分とも、人妖と化した俺と一度混ざり合ってしまった。

 

 可能な限り分離するように努めたが、一度混ざり合ったものは完全には元には戻らない。特殊な繋がりのようなものが、できてしまった。そして、クーラ自身の感情を理解したくなくても、記憶してしまう。

 

 『クーラがレントを裏切ったと知った時、いささか以上にボクは驚いたけどさぁ。まーさーかー、首絞めこそが裏切りの理由を多くしめていたとはねぇ。君、女の子の扱い、酷いの多くない?』

 

 ウェンディの視線に熱がこもる。テーブルの上にあがり、雌豹のように近づいた。耳元に口を寄せ、粘着質な声色で言葉を流し込んでくる。

 

 『ボクのことも、あんなにしてくれちゃってさぁ。ヌチャヌチャ、グチュグチュ、まるで頭の中で粘液にたっぷり濡れた無数の異物がのたうち回る感覚。おぞましい筈なのに、何故か心地好い。尊厳とか生存本能とか、頭の中にあるものを侵食して汚染し、ぶち壊していく感触。たまらなく気持ち良かったよぅ?それに、その後一度外に放りだして、あえて選択させるなんてねぇ。君の趣味の悪さが前面に出ているようで、とっても興奮したよ』

 

 『乗るな、俺が作ったテーブルの上に』

 

 『おろろ』

 

 ウェンディを捕まえて、テーブルから降ろす。やれやれと言いたげに、立ちあがり俺の飲みかけであるコーヒーを横から奪い取り口をつけた。

 

 『ありゃ夢魔の能力だ。致死性というか、依存性のある幸福感の強制介入。文句は開発者であるお前自身に言え』

 

 『夢魔は取り込めば、後は幸せな夢で抵抗を無くした獲物を食べるだけさ。選択権をわざわざ与えた意地と悪さと悪辣さは、君自身の中にあったものだよ。さてじゃあそれを踏まえて、クーラちゃんはどうするのさ。呼びかけて、頭を撫でてあげる代わりに首をしめてやるかい?泣いて喜びそうだけどにぇ』

 

 『……やめないか』

 

 本人が知られたくないであろうことを知ってしまったことと、そのうえにあの夜の首絞めにてこの子のなにかを徹底的に狂わせてしまったこと。最初は命を助けてもらったことに対する恩返し、そしてモスコーでテンから受けた呪いをなんとかする為に共に旅をしてきたと思っていたのだが。

 

 『罪悪感?』

 

 『こればかりはな。どうすれば良いか、見当がつかん。好意はともかく、気持ちを受ける訳にはいかないのは確かだが』

 

 『いやあ愉快愉快。一応ボクは君である、即ちボクの問題ではあるのだけど端から見る分にはとても面白いよう。レントは興味を失った対象には確かに冷たかった。でもにぇ、まさかあの夜の出来事でここまで堕ちるなんて、この子も充分狂っているよ。おぞましい程にねぇ』

 

 『お前人の記憶を……いや、記憶の共有か。魂が混ざるだか、面倒な話だ。知りたくないことも知ってしまい、知ってほしくないことを教えてしまうか』

 

 この件に関しては、こんなつもりではなかったと言い訳の一つでも並べたくなる。

 

 『ウェンディ』

 

 『いやボクの記憶に頼られても困るねぇこればかりは。知らないよ、矯正方法なんて。だいたいボクも、君に酷いことされた一人な訳だし』

 

 あの夜、首を絞めたこちらは襲撃者を殺すこと。そして、その相手を見て子供の首を絞めて殺そうとしていたことに嫌悪感が頭の中にいっぱいだった。あの時冷静だったなら、こんなことにはならなかっただろうか。

 

 自分の撒いた種ではあるが、処理の方法が分からない。この場合収穫方法といった方がある意味正しいのかもしれないが、それはそれで別の意味となってしまいそうで嫌なものである。

 

 『ま、しばらく見守れば良いんじゃないの?君には首を絞めることに興奮を覚える趣味もないことだし、完全に一体化しているボクと君ならともかく、百パーセントとは言えなくてもちゃんと別れることができたんだ。向こうは恐らく、このことには気づいていないし、気づかないふりをしてあげれば問題ないでしょ、多分ね』

 

 『アリア達にも、絶対に知られたくないな』

 

 飲みかけだったコーヒーを全てウェンディに飲まれてしまう。テーブルに腰を寄りかけながら杯を戻し、家の天井を見上げるように顔をあげる。

 

 『そろそろ、時間じゃないかな。休憩はもう充分とったからにぇ。行動方針を定めることができたなら、そろそろ動かないとね、はてさてどれだけの時間が残っていることやら』

 

 『どういうことだ?』

 

 『その記憶、共有はもう少し先にとっておこうか。いずれは思い出すという形で頭に浮かぶかもしれないが、今はボクの僅かに残る権限で秘匿事項とするよ。今色々話しても、ややこしくなるばかりさ。目の前の問題を片づけたら、またこの夢に来ると良い。ボクはここで、本でも読みながら見守らせてもらうよー。まあ、ガンバレ』

 

 ウェンディが指を弾く。なにを隠しているのか問いただそうとする前に、急に意識に現実味のようなものが帯びてきた。

 

 気づくと、視界に暗闇が広がり、準じて明かりが広がる。天井に、不格好な形で吊るされた炎水晶と黒い岩肌が目に飛び込んだ。

 

 「っ!」

 

 起き上がると、右手に重み。全身に包帯を巻かれ、眼帯で片目を覆うクーラが静かに寝息をたてている。なにがおこっているのか分からないが、警戒心がある彼女が安心して寝ているようならばすぐにでも危機が訪れる訳でもないだろう。

 

 左手を、確認する。人間の腕、まるで帝都でおこした暴走が夢か幻のようであった。テンはどうなった、ジークリンデは?そもそもここはどこなんだ。様々な疑問が頭をよぎるが明確な答えは出てこない。

 

 「クーラちゃん!貴女もまだ絶対安静なんだから勝手に抜け出しちゃ…」

 

 出口と思わしき、布で覆っただけの仕切りから二足歩行の犬が顔をだした。

 

 「あ?」

 

 「へ?」

 

 白く長い毛並み。犬の半獣とは過去数回だけで会ったことがあったが、目の前の存在は『半』で言い表せるものではなかった。大型犬のような長い口に、垂れた耳。口の先には黒い鼻がついている。腕から足まで全てが柔毛で覆われており、雑多な道具が詰まった籠をぶら下げていた。

 

 「どうも?」

 

 「い…ひぇ……やああああああああああああああああ!」

 

 獣人が四足歩行になり全力で逃げていく。狭い洞窟と思わしき空間に、声が反響し響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ええ、目を覚ましたそうです。二か月前帝都の五分の一程荒らしてまわった人妖。どうやら、戦力に組み込むつもりのようで」

 

 帝都最北の街。帝国の領土は広いが、ここから先に見える山脈地帯は、その寒冷な天候と痩せた土地から開発は不要と見放されていた。

 

 普段通りであるならば、帝国でも中規模程度の規模であるテシアの街は軍属が入り込み前線基地として改修が施されていた。

 

 様々な資材が摘まれた広場の死角にて、凛々しい女性にも細めの男性にも見える人物が一人呟いている。それだけ特徴がある顔立ちをしておいて、その気配はまるで街中ですれ違っても誰も気にしない幽霊のように薄いものだった。

 

 「もう何人か、草が捕まっていますよ?ここからは、下手に人員を送り込んでも足手まといになるだけの可能性が高い。ええまあ、私はなんとでもなりますが?……え?エンパス?レント?あーそれについてはお待ちくださいっと」

 

 人影の腕の中で、引き金指をかけたボウガンが回る。しばらく弄んだあと、矢を頭上に向け射出。頭部を貫いて、影はバタリと倒れた。

 

 しばらくした後、身体がビクンと反応した。飛び散る肉片が集まり、身体が再構築されていく。それはまるで、はじけ飛んだ肉片一つ一つが意思を持っているような動きだった。

 

 「あっ……すいません代わりました。ええと、レント=キリュウインですが……あ、はい。取り巻きが多いし姿をくらますこともあって……ええ無理ですよぅほんと無理。何度か試したけど上手くいきませんでしたぁ、前みたいにはいきませんてぇ。ええ、神様が釘さしているみたいでぇ……はぁ。まあ、死なない程度には。あーもう代わりますよ、すいません無理ですからぁ。あー、はい」

 

 左手で短剣を持ちだし、自分の首筋に突き立てる。夜空に血が飛び散り、バタリと声色まで変わった女性が倒れ伏した。その後、寝そべった姿勢のまま男の声が暗闇に響く。

 

 「帝都の連中。まずは先遣隊で様子見するつもりですね。これでさらりと潰されるようなら、力を貸すのはむしろリスクと損だと思いますが。ええまあ、せめて竜狩り隊がでても持ちこたえられるくらいじゃないと帝国の後ろ側を引っかくには足らんかと。いずれにせよ、開戦準備はともかく宣戦や大々的な協力についてはもう少し様子見する方が良いんじゃないかと愚考しますね。ええ、こちらはお任せを……では、失礼します室長」

 

 夜の空に、なにかが飛んでいく。男はそれを眺めながら、物思いにふけていた。

 

 『ノックで出会った、ランザ=ランテ。あれがどれだけ戦力になるかだよねぇ。少なくとも、素の戦闘力ではミハエルに苦戦するくらいだけど。まあ、あれも化物ではあるんだけどさ』

 

 「ああ、まあ有象無象よりは働くんじゃねえの?こちらとしちゃ、先遣隊程度に潰されるような脆い勢力じゃ困るんだが」

 

 『そんなことよりレントやエンパス教なんか放っておいて、こっちに集中しましょうよ~。無理ですって一人と三か所の見張りなんて。死んじゃいますってぇ』

 

 『ウェンディ=アルザスはリスムでマフィアの頭と、帝都で魔法使いの長、加護持ちとしてレントの私兵と三足草鞋だったんだぜ』

 

 「まあ、そう思うならお前から上役に伝えてくれ。あちらさんは、新しい外来者に興味津々なんだから。今度はどんなおぞましい実験だか解剖だかをするのかは知らんがよ」

 

 『みんな酷い。泣きたい』

 

 自問自答というには、賑やかな三者の声が一人から響いた。晴れていた夜空から雪がチラつき、寝そべっていた男は「サムッ」と呟き起き上がる。

 

 「まずはどうする?個人的には、この街に運ばれつつある大量の火薬について気になるが」

 

 『普通に発破ようじゃないかな?しばらく、様子見で良いんじゃない?近いうちには、帝国軍がランザ討伐の名目で動くだろうしね。それをどうかいくぐるか、まずはお手並み拝見ということで』

 

 『つまりしばらくはやることないってことですよね。温泉行きましょうよ温泉、最近ポコポコあちこちでお湯がでてるみたいですから。もうそれだけが楽しみでぇ』

 

 人影が呟きながら歩く。資材置き場から出て見上げる先は、空高くまで連なる山脈地帯。

 

 『室長に連合王国の騎士団長、研究棟は、土地も外来者も、人妖とやらも欲しい、とにもかくにも、なにもかもがほしいらしい。精々、祖国の役に立つ連中かどうか、見守ろうじゃないか』

 

 「そして、次の覇権を掴むのは我等が王国ってか。できるのかねぇそんなこと」

 

 『どうでも良いです!温泉!温泉!』

 

 「『はいはい』」

 

 ただ一人の人影は、山脈に向け踏み出す。見張りの兵士がいた筈であるのに、それをとがめる者はだれ一人としていなかった。

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