家族の仇は、娘でした   作:樫鳥

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 大きく息を吸って、吐く。腹の中にある空気と共に、弱気を全て吐き出す。

 

 「楽に死のうなんて、思ったことないよ」

 

 磨り潰された顔の側面に触る。ヌトリと血液が付着しており、激痛がはしる。ジークリンデの言う通り、見れた顔ではないだろう。これでも、被害が軽い方だと思うと何故か笑えて来る。悪竜が本気なら、顔が削げるどころか頭が半分以上磨り潰されているだろう。

 

 もう二度と、鏡で顔を見れないかもしれない。そう思えるくらいには、酷いものだろう。

 

 「あ?」

 

 想像していたものと違う返答が来たせいか、ジークリンデの眉間に皺が寄る。なにを言っているのか、分からないといったところだろうか。

 

 「分かるように話しやがれ」

 

 「聞く気あるの?意外だね」

 

 立ち上がれはしたものの、用意しておいた策は尽きた。時間を稼いだところで特に意味はないだろう。偶々通りかかったコボルトやその他程度に止めることなんでできないだろうし、ランザは軍議に出ている為にここに来ることはない。

 

 先に進もうにも、後に引こうにも、助かる見込みがない。後ろを向いて走って神殿に向かい逃げたところで、この身体で走れる速さなら大して距離も稼げず追いつかれるだろう。

 

 「大した話じゃないよ。詰まらないし、そして長い」

 

 レント=キリュウイン。別れは最悪なものであったが、それでも奴隷市場から救ってもらった時の事は忘れることはできない。恩返しをしたいと言う自分に、彼はテイムの加護を授けた。与えられた役目は、最初は諜報だった。

 

 小動物や昆虫、中型までの生物手足のように扱え、その視界や聴覚で手に入れた情報をレントに提供する。最初は勝手が分からなかったが、どうやらこの方面には向いていたらしい。地下遺跡探索の手伝いから帝都の政治的動向の観察、時には街の噂程度のことまで役に立つ情報はなんでも提供していった。

 

 あれは、助けてもらってから数か月くらいが過ぎようとしていたところだったか。レントの閨に誘われたことがあった。意味するところは、まあそういうことだろう。

 

 当時は彼の挙動にイチイチ反応し、頭を撫でてもらうだけで幸せでたまらないといった今思い返せば不自然な程に好意を抱いていたものだ。だがその誘いに自分は首を縦に振るうことができなかった。

 

 自分がいた奴隷市場は、まあ非合法的組織が運営するものだった。年端もいかぬ半獣の同性達、時には顔立ちの良い男性までもが何人嬲り殺されていったか。それがフラッシュバックしたせいで、頭が割れるように痛みを感じることもあり、とてもじゃないが誘いを受け入れることはできなかった。

 

 それから、彼の自分に対する興味が薄れて行くのが分かった。後悔したものだ、何故あの時誘いを受け入れなかったのだろうと。今思い返せば、結果としては受けなくてやはり正解だった訳なのだが。

 

 彼の周りには、魅了された一芸に秀でる美女が大勢いた。そんな者達に埋もれないように、自分は徐々に過激なことにも手を染め始めることになる。恐喝、闇討ち、果ては殺しまでだ。

 

 その全てが無駄だったとは、言えない。死ぬ気で身に着けた技能があってこその今があり、非力なままではランザについていくことなどとてもできなかったからだ。罪悪感に苛まれたのは、最初の一回だけだった。手を汚すのは、もう慣れた。

 

 「自分はね、ジークリンデ。アンタ程じゃないにしてもそれなりに誰かを私利私欲の為に殺したよ。御大層な理念もなく、信念もなく、ただそれでしか自分を魅せることができなかった。その道しか、見えていなかった。半獣という独立した生物ですらない。ただの替えが効く、レントの道具だった」

 

 最終的には、名前すら憶えてもらっていなかったからね。それでも多少は近くにいてある程度存在を認識されているだけ、まだマシだったと言うべきか。レントに心酔し、そしてあぶれていった二軍三軍のハーレムなんぞいくらでもいた。

 

 「そんな自分を、ランザは半獣という存在に戻してくれたんだよ。裏社会ですらそうそう見ないような、人間性が死んだような死んだ目をしている癖に、殺しに来た相手を庇うなんて意味が分からなかった。真意を確かめようとしたら、今度は本当に殺されかけた。ランザは、うなされていた。夢を見たんじゃないのかな、恐らくテンのね。そうしてそのまま、夢の延長線のように殺されかけた。あの時の衝撃は……人生二度目のぶっ飛びだったかな」

 

 思い返すだけでも首が甘く、淫らに疼く感覚が蘇る。

 

 あの時のランザは、まだ殺人を忌避していた。それでも、殺さずにはいられない。テンという娘を、義理とはいえ家族を殺したいほど憎しみぬいていた。あの首を絞められていた瞬間、自分はランザにとってのテンだったんだ。ああ、憎悪と愛情は表裏一体だなんてどこの詩人の言葉だったんだろうな。

 

 殺したくない、でも殺したい。こんなに丈夫な身体なのに、今にも壊れてしまいそうな矛盾を抱えた人。道具だった自分よりも、危うい雰囲気がある人。

 

 「あの夜、あの会話で、自分はランザに道具から半獣に戻してくれた。ついて来た厄介の種を気にかけ、モスコーでは自分の為に色々動いてくれた。誰かに思われるって、暖かいことなんだなって思ったものだよ。奴隷市場でも、レントの元でも、感じなかったことだからさ。テンの介入のお陰でランザと旅をすることになったけど、本当に楽しかった。ジークリンデ、アンタのことは嫌いだったけどね」

 

 「お互い様だぜ、クソ猫が」

 

 ジークリンデが、軽く笑う。悪意の笑みではなく、共感の笑いだった。自分も笑っていた、今の顔で笑顔がつくれていたかは知らないが。

 

 「ジークリンデ、自分はアンタの知らないランザを知っている。結婚し、子供を産み、決して実現しなかったその後のランザを知っている。夢魔の作り出した微睡の世界。虚構の世界だけど、それが一から十まで嘘の世界な訳がないんだよ」

 

 アリアさんのドジをフォローしつつ家事に勤しみ、慣れない子育てに悪戦苦闘し、時に機転の利くテンに手玉をとられながらも仲睦まじい幸せな家庭を築いていた。

 

 家庭菜園。家族でピクニック。手作りの玩具。家の修繕と改築。家具造り。豊漁祭の手伝い。

 

 家族で作った野菜と、みんなで釣りをして手に入れた魚の入った暖かいスープを囲み。家族三人で談話をしながらその日その日を過ごしていく。本当にランザが欲しくてたまらなかった日常が、確実にあそこにはあったのだ。

 

 残酷な現実よりも、幸せな夢があった。

 

 仕事に責任と誇りを持ち、友人関係にも恵まれ、充実した日々を過ごしていた。見たこともない、自分が知りようもなかったランザの顔を、猫の姿で遠くから見ていた。悶えて、苦しくて、身体以上に心が引き裂けそうだった。

 

 それでもランザのことを思うなら、幻でも良いからあの中で終わらせてあげた方が良かったのだろうと今でも自分は思っている。ランザ=ランテという人間は、復讐に全てを捧げるには優しすぎるんだ。少なくとも、自分は彼をそういう人間だと思っている。

 

 だから、あの幸せそうな顔は、本当なんだ。嘘でも、幻でもない、本物の……悔しいけど、自分が見たことがない本物で、本当に幸せな顔なんだ。

 

 ジークリンデは、黙って聞いている。まるで懺悔でも聞き取っているようだ。その顔には飽きも、嘲笑する様子もない。ただ、罪を聞き入れる悪竜としてそこに立っていた。だからこそ、自分は神ではなく悪たる竜に己の悪意を打ち明ける。どうせ最後だ、その決心はついた。

 

 「自分が、壊したんだよ」

 

 ランザ=ランテという人間の幸せを、踏みにじった。ただ、自分が彼の傍にいたいが為だけに。

 

 あの笑顔は、自分にだけ向けてほしい。あの大きな手が撫でるのは、自分の頭だけにしてほしい。それだけの為に、あの世界を崩壊させた。

 

 恩を感じる大好きな相手に、これ以上ない仇で返した。自分の行いは、間違っている。例えランザ自身が肯定してくれたとしても、それは変わらない。

 

 「クッ…はは。アリアさんも、ミーナちゃんも、悪夢の中にいた偽物であるテンでさえも憎たらしかったよ。どうしようもなく、壊れているのをあの時以上に感じたことはないね。自分はさ、もう彼に依存しきっているんだ。ランザの幸せや人生を壊し尽くしても、寄り添っていたいんだ。ぶっ壊れているよね、狂っているよねぇ。あはははははははははははは!でも自覚はあるんだよ、ジークリンデ!自分の夢はさ、何時かこのことを深い仲になったランザに全部ぜーんぶ打ち明けるんだ。アリアさん達に向けた愛も、テンに向けた憎も、全部自分にほしい。本当に自分はどうしようもなくっ!惨めでっ!厄介者でっ!自分のことしか考えられなくてっ!それでいて好きな人の人生までも台無しにすることに躊躇ももてなくてっ!ランザのいろんな全部を見たくて見たくて……たまらなくてっ!」

 

 笑える。心の底から笑えて来る。ああ、なんで自分はこうなんだろうな。なんで、好きな人の幸せを、純粋に願えないんだろうな。

 

 「アンタの言う通りどうしようもない、クソ猫なんだよ。ジークリンデ、自分には、楽に死ぬ資格なんてないんだよ。ランザの幸せを奪いとった、自分にはね。楽に終わるのは、申し訳ない」

 

 手に握る、ルーガルーのナイフが零れ落ちる。乾いた音が響き、その刃の上に透明な液体が落ちていた。

 

 吐き出したからこそ、分かった。本当は、自分が自分のことを一番嫌いだったのかもしれない。レントよりも、ジークリンデよりも。

 

 「泣くな。クーラ=ネレイス」

 

 「え?」

 

 嘲笑も欠片もない、重厚な声が響く。ジークリンデの口から、自分の名前が語られた。それは、多分初めてのことだった。まだ残る、隻眼から涙が溢れていたことに言われてから気づく。決して、痛みによるものではない

 

 「良いんだよ。そうしたいなら、無い胸張ってそうしろや。テメェでテメェ騙してもどうしようもねぇ。悪竜ジークリンデが認めてやる。テメェは、なにも間違っちゃいねぇよ。その在り方、誰が否定しようがオレが認めてやる。お前の物語をオレだけは肯定する。許しが欲しいなら、オレが許してやるよ。だから、その自分自身のクソ具合を卑下するんじゃねえ」

 

 厳格な、まるで信託のような力強い言葉。想像もしていなかった返答が、彼女の口から届いた。それと同時に、どこか心が軽くなったのを感じる。本当は、誰かに伝えたかったのかな。認めてほしかったのかな。この罪悪感と、それに対しての許しを。

 

 足元に転がっていた直刀を蹴り上げ、こちらに投げ渡してくる。空中で回転するそれを受け止めたのを見て、彼女は大きく両手を広げた。まるで、翼を広げた威風堂々とした竜のように。

 

 「来やがれ。まだこの喧嘩、終わっちゃいねえだろう」

 

 全身の力を足に集め、走り出す。人生最高とも言える速さと、太刀筋を繰り出すことができた。そして、そう思うと同時に頭部に衝撃が走り。すんなりと、意識が闇に落ちていった。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 尻尾による一撃を頭部に受け、昏倒したクーラが地面に潰れるように落ちる。

 

 見誤っていた。

 

 どうしようもない、依存体質で一人で歩けもしないクソ猫。恩だのなんだの言いながら、テメェのことしか頭に無いような奴。浅い評価で考えれば、そこまでは間違ってはいない。

 

 だがその深度は、想像を超えていた。こいつは罪悪感を抱きつつも、徹頭徹尾で手前自身のことしか考えていねぇ。その為ならば、どんな修羅場だろうが汚泥の道だろうが素足で突き進んでいく。曲がりきった性根でも、曲がったなりに折れないものをもっていた。

 

 こいつは、悪だ。それもオレ好みのな。他人の不幸もランザの不幸も、自信の欲求の前じゃなんの障害にもなりゃしない。それが、善からぬことと理解していてもだ。その為ならば、苦しみながらもなにもかもを犠牲にできる。

 

 「最悪のクソ猫だ。だが、それが良い」

 

 背と足の下に腕を入れ、クーラを抱き上げる。今日からは、こいつもオレの玩具に格上げだ、こんなところで再起不能になられても困る。

 

 「クーラ!」

 

 「おっと。遅い到着だな」

 

 ランザが駆け寄ってきて、理解不能な光景に目を細めていた。そりゃそうだ、全身血塗れのオレとボロ雑巾のようなクーラ。なにをしているかと言えば、抱き上げて抱えているんだから。まあ溶岩の中に放り込もうとしていると思われても不思議でもなんでもない。

 

 「なにがあった」

 

 問い詰める訳でもなく、淡々と聞いてきやがる。前ならもっと慌てふためいても良い筈だが、可愛げのない方向に変わっちまったもんだ。

 

 「クソ猫がじゃれついてきたもんだから、軽く撫でてやったまでよ」

 

 「じゃれつき方も、撫でかたも、どうやら普通じゃないようだが」

 

 「飼い猫の腹に顔をうずめて、思いきり匂いを吸うアレがあるだろ。アレのレベル百みてーなもんだ。まあその分、ひっかかれもしたがな」

 

 困惑しているのがよく分かる。ズタボロ程度ですませちゃいたが、殺すつもりだった。気が変わった結果がこれなのだが、ランザからしたら訳が分からないだろう。オレの言葉を信じるならば襲いかかったのはクーラの方だと理解する筈だ。こちらの性格を考えれば、有無を言わさず殺害するのが普通だと考えるだろう。

 

 クーラを抱えながらランザに近づく。疑問は色々あるだろうが重傷なのは変わらない、早く手当しなければ後遺症もいろいろ残るだろう。

 

 「面倒くせぇから任せた。精々よくしてやれや」

 

 「あ……ああ。とにかくすぐに手当てを」

 

 「そうだな、それと……歯ァ喰いしばれや!」

 

 腑抜けた面に一発拳を叩きこむ。クーラを受け取ろうとしたランザの反応は遅れ、後ろに数歩よろけ、なにをしやがると言わんばかりにこちらを睨みつけてきた。だが関係ねえ。

 

 「帝都でなにがあったのか、離れていた間にどうしたのか、かいつまんで聞いたぜ。夢だのなんだの訳が分からねえことにはなってたようだが、んなもんはどうでも良いんだよ。ランザァ!人妖になった時、テメェとクーラの魂が少量ずつ癒着し、離れても相手に混ざり合ってるのはオレにも分かっている!なら大なり小なりクーラの気持ちも分かっちゃいるんだろうが!問題を理解しているなら、後回しにすんじゃねえ!テメェがテンにいろんな意味で熱をあげてるのは充分に理解しているがな、テメェを慕ってついていくる奴の、目の前の問題を後回しにして良いことなんざ一つもねぇんだよ!尻ぬぐいするオレの身にもなれってんだド阿呆が!」

 

 クーラを押し付けるように渡してやる。反射的にランザが手をだして支える為、空いたこちらの手で奴の襟元を掴んで引き寄せる。まったく、これだから惚れた腫れたは面倒くせぇ。オレ自身にも言えたことだから、仕方ねえのかもしれねえが。

 

 「テンとケリつける前に、白黒はっきりさせてやるんだな。甘い言葉を囁いて傀儡にして利用し尽くすのでも、きっぱり断りを入れて切り捨ててやるでもな。その上でなにかを決断するのは、クーラ=ネレイスだ。その選択を、精々尊重してやれ」

 

 襟首を離してやると、奴は咳き込んだ。軽い酸欠のようになっていたのかもしれないが、どうでも良い。

 

 このまま火竜の元に向かうことにする。今のランザと共に、仲良く戻ることなんて御免こうむるからだ。

 

 「ジークリンデ」

 

 背中に、声が投げかけられた。

 

 「確かに、目の前の大事でクーラの問題から目を背けたのは俺だった。喝を入れてくれて、ありがとう。ようやく俺も、俺自身のしりぬぐいをすることができそうだ。そして、クーラを殺さないでくれて、ありがとう」

 

 「さっさと行け、馬鹿野郎」

 

 走り去る音が聞こえる。火竜の神殿内に入ると、そのまま大の字に寝転がる。寝れば、これくらいの傷は治るだろう。

 

 「変わりましたね、悪竜ジークリンデともあろうものが」

 

 「ああ?うるせーよとっつぁん坊や。寝るから邪魔すんな」

 

 神殿内に入ったので、火竜が声をかけてきた。変わったのなんて、オレ自身が一番理解しているよ。誰かと長年、共にいた経験なんぞなかったからその悪影響だな。悪竜なんて異名も、返上どきかねぇ。このオレが、殺しに来た奴と人間……今は人妖だが、まあそんな連中のケツ拭き役になるなんざな。

 

 「良い方向に、という意味ですから誉め言葉ですよ。嬉しいでしょう?」

 

 「うるせーっつってんだよぶっ殺すぞ。てか寝かせろ」

 

 「でも、弱くなった、竜としては身体だけではなく心も。本当に、大丈夫なのですか?お互い嫌いどうしかもしれせんが、貴女が意図せずに死んでしまうことなど望んでいませんよ」

 

 嫌なところ、ついてきやがるもんだ。

 

 「ああ、分かっているぜ。散々無茶したツケ、そろそろ清算時だろうよ。まあアホ程長生きしたところで、エンパスとやらとかみたいに馬鹿な事考えるのがオチだ。俺も天竜みたいに、なんも考えねーでボケッと生きてりゃ楽なんだろうけどな」

 

 だが、楽しく生きるのと楽に生きるのは違う。少なくともオレは、オレの計算違いを歓迎した。あのアホな色ボケ猫も、いっぱしの悪を心の中で育てていたのだからな。それを見れて、満足している。

 

 ああ、たく。火竜がなんかごちゃごちゃ言ってるけどクソ程眠くなってきやがった。気を抜くとすぐ、これとはな。ランザもクーラも、後は適当にやってくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミルフが、荒くなった息を整える。打ち身や大小ある裂傷、顔面の半分を抉られたような傷痕。そして、骨のあちこちにヒビや所によっては折れているところもあった。疲労もしたようであり、クーラは深い眠りについている。

 

 クーラの個室には、香が焚かれていた。エルフに生き残りの薬師がいたようで、安眠と自然治癒の力を高めるものが焚かれていた。他の怪我人達の治療にも使われているそうだ。

 

 本格的な治療については、ミルフの方が長けていた為俺自身はその補助にまわっていた。安堵したような顔をした為、一応は一安心をといったところか。

 

 「助かった、ミルフ」

 

 「ああいえ……その、はいどうも。後は、深い眠りにつかせて、おこさないであげてください。怪我もそうですが、相当疲労も溜まっていたように……思えます。ランザさん、貴方が最初ここに来た時、彼女はほとんど寝ずの番をしていました。貴方に悪意あるエルフが、何時来てもおかしくないと。それを、悟られないように……ふるっ…振舞っていたようです、そのはい。ようです。あと」

 

 ミルフは少し悲し気な顔をしながら。クーラの額をそっと撫でた、視線はズタズタに引き潰された、包帯で撒かれたクーラの顔に注がれている。

 

 「申し訳ないですが、私ではこの顔だけはどうにもできません。女の子なのに、可愛そうなことですが」

 

 「そうか……すまない。少し二人きりにさせてくれ」

 

 ミルフは軽く頭を下げて、洞窟から出て行った。

 

 壁に、拳を打ち付ける。頑強になった骨格はビクともしないが、多少なりとも皮膚が破れ少しだけ血が滲んだ。

 

 「クソ」

 

 帝国、エンパス、テン。様々な問題を前に、クーラのことを棚上げしていたのは指摘されればそうとしか言えない。彼女の気持ちを分かってしまったのに、それに対してなんのアクションも起こさいでいた。状況が状況だなんて、言い訳はできないだろう。

 

 白黒はっきりつけなければ、クーラもジークリンデを狙うだなんて無茶をしなかったのかもしれない。人間を辞めて人妖になったとしても、後悔だらけとは情けない話だ。

 

 「ランザの旦那!ここに……うおクーラ、どうしたんだこれ!」

 

 後悔を嘆く間もなく、ガランがノックもなしに入ってきた。ボロボロのクーラに目を丸くしたが、驚いていたが、疑問に思いつつもこちらに向き直る。

 

 「旦那、軍議がまとまったぜ。報告しても良いか?」

 

 「……頼む」

 

 「奪われた前線基地に、攻勢をかける。俺達半獣やエルフ衆はともかく、山の中に入ったということでロウザとコボルト軍団もようやく重い腰あげたぜ。元々コボルトに腹案があったようで数日間その準備にあてていたらしい。攻め込むなら早い方が良いという話になった。明朝、仕掛ける。悪いけど、旦那にも参加してもらいてえ」

 

 拙速を重んじるのは、この閉塞した状況では良いことだとは思うが今は間が悪かった。だが目と鼻の先に帝国がいてここが安全ではない以上、クーラの傍にいてやりたいのに、状況は許してはくれないようだ。

 

 「なにがあったか知らねえが、クーラは参加できそうにないみたいだな」

 

 「すまん、ガラン。半獣の腕利きを、二人程この子につけてやってくれないか。万が一を考えると、心配でな。人手が足りないなか、苦しいかもしれないがその分俺が働かせてもらう」

 

 攻勢で手薄になった洞窟を帝国軍に裏をかかれ攻撃されたり、居残りのエルフがクーラを狙わないとは限らない。ここを離れなければならない以上、保険は残しておきたかった

 

 「おお、それは構わねえが旦那。本当に、クーラになにがあったんだ。偵察で捕まってって訳じゃあねえんだろ。ここにまた敵が忍び込んだなんて話も聞いてねえし」

 

 「こちらの事情なんだ。詮索は、やめておいてくれ。この子の名誉にも関わることなんだ」

 

 「おお、まあ良いけどよ。作戦の詳細も煮詰めてあるから、一度会議室に来てくれや。それと、今からでも誰か扉の前に立たせておくよ」

 

 「世話になる」

 

 後ろ髪をひかれる思いであるが、危機は取り除かなければならない。ジークリンデに後回しにするなと言われたばかりではあるのにな。帝国を排斥したら、クーラとの関係に答えを出す必要があるだろう。覚悟を、決めておかなければならない。この娘の為にも。

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