家族の仇は、娘でした   作:樫鳥

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 火竜を狩る。それがどれだけ困難な話か分からない訳ではないだろう。

 

 コボルト共を退け、神殿まで向かい、その上で天使や悪魔共が現役で活躍している修羅場みたいな世界で君臨し続けてきている本物の化物だ。混ざりものの化物であるランザと、火を司る竜ならばまず確実に生物としての格が違う。

 

 そのうえ爆発の影響で全身傷だらけで火傷まみれ、ついでに言えば耳孔からは今も血が垂れ流れているし、歩く度にボタボタと少なくない血を垂れ流している。今すぐ、適切な治療を施さなければならないっていうのにこいつは目の前しか見ていない。

 

 必死で、歯を食いしばって、諦めない。今まで何度も見て来た横顔だ。

 

 「なあ」

 

 しかしまあ、一つ変わったことがある。いや、元に戻ったことがあるか。

 

 相も変わらねえ濁った眼をしているが、その目元はいつの間にやら昔に戻っていた。番を見つけてガキを作って、短いながら雌狐と共に生活していた頃のものだ。まあ、その時は狐じゃなかったか。ガキのクセに年の割には重いもん背負っているようだったが。

 

 ともかく目が血走っていたり、眉間に皺をよせまくったり、目の下にクマを作っていたり。なによりも憎い相手を常に殺意を込めて考えていた。まあ動機はなんにせよ、生きていく目的があるなら行動力や活力にはなる。良かれ悪かれ、人でも竜でも神でも、それは必要だ。

 

 それがいつの間にか、真っ直ぐ前向くようになりやがって。まるで、テンを初めて受け入れ生きる目的が改めて生まれた時みたいだ。

 

 「喋るな」

 

 「うるせー喋るぞ。てか……オレだって、仇じゃねえか。必死になるなよ、お前も死ぬぞ」

 

 こいつの仲間であった冒険者達を殺したのはオレだ。こいつがオレをずっと信用していなかったのは、悪竜に対する嫌悪と同時にその憎悪も根底にあったからだろう。ここでオレが死んだら、ランザは戦力という意味では困るだろうがそれ以上のことはない。

 

 以前のこいつなら、むしろ喜んでいたのかもしれない。あの憎悪は、もういいのだろうか。オレを助けるのに、打算抜きでこんなにまっすぐな目をしていて良いのだろうか。

 

 「そうだな。お前は俺の恩人を殺した仇だよ。でも、あの人達も俺も、仕掛けたのはこちらだしそもそも何時死んでもおかしくない、割の合わない博打に身を投じていたんだ。それに……俺はもうテンを怨むことはできない。お前ともずっといた。そのうえで、お前に対する怨みや警戒に身を投じ続ける程俺は強くはないみたいだ」

 

 「クーラから、ちょいとばかし聞いたぜ。悪夢とやら…だったか。なあ、夢の中でオレはどうしていたんだ?」

 

 「ずっと、見守っていてくれた。そして最後は、助けてくれた」

 

 「詰まんねえ奴だな、オレも」

 

 詰まらないやつか。

 

 ただ退屈を潰すだけであちこちちょっかいだし、生きる目的もなかったから年代記作家と対話をしやるべきことを定め、それが叶わずに心が折れてからはなにもやる気がおこらず怠惰に生きて来た。長い間、詰まらない退屈な生を謳歌していた。無駄に長生きしていても、長く生きすぎれば惰性で時間を浪費するばかりだ。

 

 だがしかし、こいつと会ってからは違う。なあ、悪夢のオレよ。番を見つけ、ガキを作り、人並みの人生を過ごすランザはどうだったよ。きっと、見ているだけで楽しかったんだろうよ。オレにはない、しっかりした生き様と信念を持っていたんだろうからな。

 

 だからこそ、こいつと相棒になって世界を回ったらどれだけ楽しかったか。いや、今はもうあの言葉だけで充分か。

 

 しかし、クーラもずっとそれを見続けていたということか。オレはともかく、ガチで番を狙っているこいつにはただその光景だけで拷問にも等しかったんだろうな。まったく、大した奴だよほんと。

 

 あーあ、やっぱオレは、こいつらが好きなんだなぁ。よう、年代記作家のおっさん。あの時考えていたよりも、もっとマシな死に場所見つけたぜ。

 

 力を振り絞り、ランザとクーラを目の前に放るように突き飛ばす。半死半生で、こんな力が残っているなんて思っていないだろう、軽いクーラと突然の行動に虚をつかれたランザは目の前に転がった。

 

 パシュシュ、と銃声とは違う軽い射撃音が響く。何度か聞いたそれは、帝都にて竜狩り隊が使っていた対竜用の射撃針。リヴァイアサンの血が先端に塗り込まれた、あの針が背中と首に複数突き刺さる。

 

 ランザの顔が驚愕に歪む。なにがおきたのか、分からないクーラは困惑しながらもまるで信じられないような表情でこちらを見ていた。

 

 「逃がす訳がなかろう、最悪の竜と人妖があああ!」

 

 上空、気配をギリギリまで消す為にあえて単騎にて出現したガルシアがニードルガンを構えていた。

 

 こいつは、戦士であると同時に策士だ。撤退だと口に出して敵を含めた周囲に情報共有をした時点で、この可能性は考えていた。人目につかないところまで兵と共に退き、大きく迂回をして確実に弱り、戦いが終わったと油断した標的を消す為にだ。

 

 可能性としては五分五分、だが本当に来るとは悪い意味で期待を裏切らない野郎だぜ。

 

 「帝国の、人類の為にここで死ねぇええええええええ!」

 

 「させると思うか!?このオレがよおおおおおおおお!」

 

 ニードルガンの射撃と連結刃が交差する。弾ききれない巨大な針が心臓に直撃、こちらが放った反撃の連結刃は奴の左腕を斬り落とした。着弾の衝撃で、狙いがそれたか…畜生が。

 

 「グッ…流石にもう無理か。貴様等全員必ず殺す!必ずだ!」

 

 自身の魔力を恒常的に消費する鉄馬。常時展開しているだけで消耗するうえ、先程までハボックで消耗戦を仕掛けてきたのだ。流石に疲労してきたのか、引き際を弁え、それ以上の攻撃は行わず退避をしていく。

 

 「「ジークリンデ!」」

 

 二人の声が、重なる。視界がゆっくりと動き、身体が地面に倒れ込む。ランザが受け止めたからか、衝撃はないが、どのみちもう痛みもほとんど感じなくなってきていた。

 

 「馬鹿野郎!なんで俺達を庇った、なんで…すぐに針を引き抜く!クーラ、応急処置の用意を!」

 

 「ランザ、でもこれ以上」

 

 「喧しい!早く準備を!」

 

 クーラの言うことは正しいぜ、ランザ。情けねえ顔で喚くんじゃねえ。話をする時間すらロクに残っていないのに、仲裁させるつもりかよ。

 

 「あー……うるせぇ。……もう…手遅れだ。どのみち……助かりゃしねえんだから」

 

 長年のツケでガタがきていた身体で、傷をもらい血を流し過ぎたし、急所射ちの針もある。小賢しいうえに大した度胸と技量だ、ガルシアは間違いなく今の時代における英雄だろう。

 

 あー…華々しく英雄に討たれ、物語を飾る。昔の目標はこれで果たせたが、なんだか達成感がないもんだな。華々しさが足りないのが、原因かねぇ。

 

 「お前がそんなこと言うな!何時も何時も、腹が立つほど大胆不敵なお前はどうしたジークリンデ!諦めないでくれ、俺はまだお前になんの恩返しもできちゃいないんだ!」

 

 「恩返し…か」

 

 殊勝なことを考えていやがったもんだ。良いんだよ、オレはあの日からずっと、お前に助けられてきたからな。楽しかったから、問題ない。それだけで、半分死んでいたオレには充分だったんだよ。

 

 ああ、でもな。今から返してくれるんだったら、あれが良いかな。

 

 「じゃあ…もう一度言ってくれ。お前は、なんだ?……ランザ……ランテ」

 

 鬼気迫る顔が、悲し気に歪む。頭の中ではもう分かっているのだろう、手遅れであると。ランザは顔を反らし、歯ぎしりをしながらうつむく。だがしかし、すぐにこちらを見て、不敵に笑いながら口を開いた。

 

 「俺は、悪竜の同胞、お前の相棒だ。これから先も、ずっと…ずっとな」

 

 「ああ、相棒……ありがとうよ」

 

 敵意をもたれ続けてきた。それで良いと考えていたし、それくらいの関係の方が復讐という旅の目的でオレという存在がノイズにならなくて良いであろうと思っていた。

 

 だがしかし、復讐が終わった後はこいつと相棒としてずっと共に過ごしていく。そんな新しい夢を、何度考えていたか分からない。最近では、番という言葉にも引かれたがやはり大原則はそっちだ。その夢は、今叶った。

 

 オレも、仲間が欲しかったんだな。そんな単純なことに、今までずっと気づかなかった。ランザと旅をするまでは、クーラが全てをさらけ出すまでは。

 

 「クーラ」

 

 「なに?」

 

 「ツラ……悪かったな」

 

 冷静さを保とうとしていた、クーラが表情を隠すようにそっぽを向く。肩が、わなわなと震えていた。

 

 「なんで謝るの。殺しに来たのは自分だよ、なんで」

 

 「クソ猫のじゃれつき……なんざ…屁でもねえ。ただ……躾は匙加減が…大事だからな。ツラ潰すのは…まあやりすぎたか」

 

 「なに…それ。らしくないじゃん、顧みるなんてさ」

 

 「……ちょい…頭貸せや」

 

 クーラが、言われた通り頭部を近づけてきた。震える手でその後頭部を掴み、胸元にうずめてやる。ランザに今まで使っていたこの技術、残った生命力で最後の最後に施してやるのがこの猫になるとはな。

 

 なんだかんだ言って、前からクーラのことも嫌いではなかった。ランザのこととなれば、悪竜に対しても物言いをするし対等であろうと背伸びをしていた。そしてお気に入りになったのは、やはりあの時だ。

 

 こんな小さな身体で、全身全霊でランザに尽くしている。その根底が腐りきったものであるとはいえ、それだけに汚泥にまみれても意にもしない。そして、なによりも歪みきった自分に肯定と共に罪悪感を持っていた。

 

 正直、クーラの将来には破滅する未来しかみえない。だけど、あの神殿前でこいつが放った言葉はオレ好みの悪だった。だから、最初で最後のオレからお前に送る、悪竜としてプレゼントだ。

 

 「これって!」

 

 処置が終わり、手が後頭部から滑り落ちる。クーラは驚いたように顔を触り、すぐに顔の包帯をまさぐりほどき始めた。皮膚が完全に剥がれ落ち、脂肪と表情筋がグズグズになっていた顔の半分が完全に元の綺麗なものに戻っている。

 

 身体中の骨にはいっていたヒビも痛みはもうないだろう。最後に残された力で、完治させてやった。

 

 「瞼…開けてみろ」

 

 「え?でもこの瞳は」

 

 「良いから…さっさとしろボケ」

 

 潰された瞳が入った瞼。瞼の上から斬り傷が深く刻み込まれており、完全に癒着していたがその痕も無くなり、開くようになっていたことを確認し驚いた顔をしていた。そして、恐る恐る目を開く。

 

 「え?」

 

 「クーラ、お前その目」

 

 クーラの瞳は、自信のものとは違う金色の細長い瞳となっていた。まだ見える感覚になれないのか、何度も瞬きをして自分の変化を信じられないような反応をしている。

 

 「竜の…瞳?」

 

 「そんな…嘘?なんで?」

 

 「タダじゃねえぞ…クーラ」

 

 代償としての贄は、オレ自身の瞳だ。自分自身を贄として治療してやったせいで、身体全身の骨が軋み顔半分がズタズタになっていく。まあ、もう使い物にならない身体と、無用の長物となる瞳だ。条件付きだが、くれてやる。

 

 「オレに…変わって……こいつを見ていてくれ。ずっと…ずっとな……もう頼めるのは…お前しかいないからな…悪い猫なんだろ。……頼まれてくれや」

 

 「性悪竜に…頼まれなくてもそうするよ。お礼は…言わないからね。ジーク…リンデ」

 

 「いらねえよ…ド阿呆が」

 

 そう、いらねえ。悪夢の世界とやらからこいつを引っぱりだしてきた。それは、オレにはできなかったことだ。こいつの代わりにオレがその世界とやらに入り込んだとしても、出来るかどうと言われたら可能性は低いだろう。

 

 「それより……テメェは…テメェを貫け。気持ち悪くて、罪悪感まみれで…色ボケで……腐ってて……その生き方…背負いながら進んでみせろや……遠慮をするな……気持ちには…嘘をつくな。そんで、絶対誤魔化すな………今まで以上にマジに…なって、狂ってみろや。どんな手も使え、どんな障害も……蹴散らせ。理性、常識、くだらねえもんに縛られるな……その資格が…あるんだからよ」

 

 「言われるまでもないよ、悪竜。ライバルが減って………せいせいするよ」

 

 クーラは、瞳から涙を流していた。だがその顔は、悪い笑みを浮かべていた。それでいい、その顔が良い。オレにとって、こいつも大事な玩具で…恩人なのだから。そういうツラ浮かべている間は、安心して後を任せることができるってもんだ。

 

 さて、やるべきことはあと一つか。

 

 「ランザ……お前にも…頼みがある」

 

 「……なんだ?」

 

 「オレが…くたばったら……喰ってくれ。埋葬なんか…されたくねえ……火山にも…放り込んでくれるなよ……お前が…次代の悪竜だ。頼む……オレの全てを……継いでくれ。思い出なんかに…なってたまるかよ。オレは…お前と……ずっと一緒だ。それだけが…最後の希望で…オレからの……願いだ」

 

 地中で蟲についばまれるくらいなら、焼かれてただの滓になるくらいなら、オレはそうしたい。オレの中にある悪竜としての全てを、こいつに託す。

 

 だがその選択は、もう二度とこいつを人の元に戻さない道だ。人妖、それだけでも大きく人間としては踏み外しちゃいるがそれでもまだ人の派生形。進化か、それとも変化か。人間をベースにしたなにかと言えた。

 

 だが竜を継ぐというのであれば、それはもう人とはかけ離れた別のなにかになるということだ。変化は、人妖の時とは比べ物にならない。生まれ変わることと同義だ。肉体を含むこれまでの全てが、今までと同じとは言えないだろう。

 

 食事も、生態も、寿命も、生き方さえも。人間としてのランザ=ランテは大きな変貌をとげる。今度はテンによる強制ではなく、自分の意志でだ。

 

 「お前も、オレの中に宿ってくれるのか?」

 

 「ああ…まあ、アドバイスは…期待するんじゃねえぞ。もう、くたばるからな」

 

 肩に手をそえられ、上半身をおこされる。強く抱きしめられる。最初で最後の、こいつからの抱擁。

 

 ここはキスの一つでもかわすべきか、なんて思ったがそいつはオレの柄じゃあねえ。オレは、悪竜ジークリンデ。この場にて、更なる悪になる人間に全てを継がせてやるだけだ。これで、後悔も悔いもなに一つない。

 

 「なあ…楽しかったか?」

 

 無言でランザは、強く抱きしめる。その両目からは、涙が頬をつたっていた。こんな竜の為に、泣くんじゃねえよ。無駄な涙、流しやがって。

 

 だがまあ、悪い気分じゃない。オレの、長い竜としての生命は、無駄ではなかった。なにより…

 

 「オレは……楽しかったぜ。ありがとうよ…ランザ」

 

 こいつの腕で、死ねるなら。どんな物語に名を残すよりも、それで……良い………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ランザの身体が、大きく変異する。

 

 人妖、狼をベースとした混血獣。最後の力で人並外れた巨体となったランザは、ジークリンデの頬に鼻を寄せその死を悼んでいた。

 

 胸元が大きく開き、触手が這い出る。夢魔のものであったそれは、肉体の持ち主に忠実に従い優しく悪竜を巻き取り、身体の内側に運んでいった。

 

 自分には、ジークリンデの存在が邪魔だった。ランザの手に握られる連結した刃として、長い間彼に寄り添い力を重ねてきた存在が眩しかった。

 

 それでも同時に、羨ましくて、妬ましくて、力強さに憧れていた。そして、自分の中に矜持というものをもっていることに羨望した。

 

 「分かったよ」

 

 貴女からもらった、この瞳と、受け継いだ生き様。そしてなによりも、背を押してくれたこの自分自身に根付く浅ましい感情。全身全霊で受け止め、遂行させてもらう。

 

 仲間とも、親とも、兄弟とも、友とも、恋敵とも違うような微妙な関係。それでも、なお貴女から受け取ったものは多いのだから。

 

 「だから…任せて。おやすみなさい、誇り高き悪竜よ」

 

 無駄には、しない。ランザが貴女の能力と竜としての力を受け継ぐなら、自分は貴女の瞳と生きざまを受け継いだ。もう何物も、レントさえも怖くはない。

 

 自分はクーラ=ネレイス。あの悪竜が認めてくれた、悪い猫なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハボックに、コボルトの巣穴に残っていたエルフや半獣達が集まってきた。瓦礫を片付け即席の防壁として並べなおし、原型を残していた家屋を占拠したり、まだ使えそうな装備や食料を掘り起こしている。

 

 ハボックよりもさらに南側、砲兵陣地の近くにあった物資集積所から得た食料が炊き出しのように配られ、空いた土地には天幕が張られていた。

 

 ここに来て初めて得られた勝利に半獣達は湧き、半数以上が散ったエルフ達もエルバンネという指導者が目を覚ましたことに僅かな安堵を得ていた。

 

 寒さはあるが、久しぶりに空が見える環境で眠れることを喜んでいる者達もいる。洞窟内での生活は、想像以上に辛いものがあるのだろう。

 

 だが、その代償は大きなものだった。

 

 爆発の中心部から外れ、原型を残していた家屋で休息をとる。疲労していた筈だが、眠くはない。身体中の痛みも気にならず、むしろ体内から力が漲っているようだった。皮膚の内側が変異を続けている感覚、鱗でも精製しているのか黒ずんで堅い肌触りになっている。

 

 身体が、内側からも外側からも変異していく感覚。悪竜という存在を身の内に取り込んだのだ、人として、人妖としての器では溢れてしまうからこその変貌なのかもしれない。

 

 「ランザ」

 

 扉が開き、パンをもったクーラが入ってきた。金色の竜眼は、今は眼帯で隠している。クーラ曰くだが、ジークリンデの瞳は見えすぎているらしい。ともすれば、脳の負担となる程に。慣れるまで辛く、これから少しづつ様子見しながら慣らしていくようだ。

 

 「夕ご飯だけど、食べれる?」

 

 「いや…今はいい…と言いたいが、食べておかなければならないだろうな」

 

 食欲は沸かないが、血を流し過ぎたし現在進行形でおこっている変貌に身体は体力を使っているだろう。無理にでも詰め込んで、少しでも負担を軽くしておかなければならない。

 

 クーラからパンを受け取り、彼女は寝台に腰を降ろした。小さな口でパンを食べながら、それでも食べにくそうにゆっくりと咀嚼していく。

 

 会話はない。あの、傲岸不遜ですぐに暴言混じりで口を挟む悪竜の声ももう聞こえない。ウェンディ=アルザスのような存在になってくれることを少しは期待したが、アドバイスはできないという本人の言葉と違わず悪竜としての人格が宿ってくれるようなことはなかった。

 

 魔女曰く、ウェンディは自らの意思でこちらにとりこまれた。散々脳内弄って薬漬けにしてからの意思ではあるが、まだ生きているうちに取り込んだからというのが大きいらしい。そして、なによりも悪竜としての格の大きさは本来ならば取り込めるものではない。

 

 力を受け継いでいくだけでも奇跡のようなものだというのに、人格まではどうあっても宿らないのではないかと推測をしていた。

 

 「自分はさ」

 

 パンを食べてからも、しばらく沈黙が続いていた。だが、クーラがおもむろに口を開く。

 

 「ジークリンデを、殺そうとした」

 

 「そうみたいだな…だが、どうしてだ?」

 

 「温泉でさ、ランザとジークリンデが裸で抱き合うのを見たんだよ。まあ、悪竜からの一方的な抱擁だったみたいだけど…自分にはそれが耐えられなかった。実力差を顧みずに、殺してやりたいと思った。でも、そんなジークリンデから言われたんだ」

 

 クーラが、正面に回り込む。眼帯をとって竜眼を晒し、二つの瞳でこちらを見ていた。

 

 「泣くな…てね。ジークリンデは、殺しにきた自分の言葉を全て肯定してくれた。そのうえでさ、死ぬ間際に背中を押してくれた。ランザ、もう自分は我慢できない。どう思われても、言うしかない」

 

 身体を寄せ、胸元に抱き着く。小さな鼓動を感じながら、熱い吐息が衣服越しでも分かる程だった。身体を臭いをつけるように、こすりつけ。甘い鳴き声をあげる。こんな言い方は下品ではあるし失礼すぎるが、その姿はまるで発情した猫のようであった。

 

 そして、その口から印象に違わぬ言葉が紡がれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「自分は、ランザの愛がほしい、ランザの憎もほしい。身体がほしい、精がほしい、血がほしい、愛情がほしい、家族愛がほしい、殺意がほしい、加害がほしい、貴方のなにもかもがほしい。ねえ、首筋に手を添えて見てよ、だらしなく蕩ける顔が見れると思うよ?押し倒してみてよ、ジークリンデを亡くしたばかりのこんな夜なのに、ただの雌に堕ちる様がみられるよ。あの日、首を絞めてもらった時からもうどうしようもないくらい自分には貴方が刻まれた。もう隠せないよ、ランザ。彼女は、ジークリンデは自分にとってもそれだけ大きい存在だったんだ。もう止められない、お願いします。こんな、浅ましい猫を受け入れてください」

 

 長い、沈黙。ランザは、両肩に手を添えて優しく引き離す。それに、抵抗はしなかった。そして、決意をもって言葉を紡ぐ。

 

 「すまない。俺の妻は、アリアなんだ。もう亡くなっているが、それだけは曲げられない。お前の気持ちは嬉しいが、アリアを裏切ることはできない。お前はもっと別の…」

 

 「知ってた」

 

 あっけらかんとした返事に、ランザは間が抜けた表情を浮かべた。そう言うことは、予想はついていたからだ。

 

 僅かにあいた隙を奪い、唇を奪う。犬歯で唇に穴を開け、流れた血をすすり、舐めとった。もう、自分を隠さない、誤魔化さない。それがジークリンデとの約束で、自分がしたいことなのだから。

 

 再度離され、血が唇をつたった。それをチロリと舐めとり、熱に浮かぶ表情を浮かべてみせる。

 

 「なにを…」

 

 「フフ…ラァンザ。自分はさ、諦めないよ。明日も告白する、明後日も、三日後も五日後も、半年後も一年後も五年後も十年後も二十年後も五十年後も。何時までも何時までも愛を囁き続ける、ランザの中にあるアリアさんという最愛の人を越えるまで。性欲でも、庇護欲でも、愛情でも、なにもかもね。一生離れない、一生尽くす。逃げられると、思わないでね。悪夢の世界で自分を選んだランザには、その資格はないのだから。受け入れて選んでくれたのは、簡単な気持ちで判断した訳じゃないんでしょう?あの生活を見るのがどんなに辛かったか、でもそれを捨てて選んでくれたことがどんなに嬉しく、同時にどんなに苦しかったか想像できる?一人だけ幸せなランザを見るのも、それを捨てさせるのも、身が引き裂かれるくらい辛かったんだよ」

 

 座るランザの膝的に、跪いて頬をのせる。ゴロゴロと喉を鳴らしながらすり寄り、気づいたら指筋が自身の下腹部に向かっていた。はしたないと分かっていても、この熱は今発散しなければ収まらない。

 

 「自分はクーラ=ネレイス。貴方と同じ、悪竜ジークリンデに影響を受けたはしたない雌猫だ。貴方に全てを捧げつつ、貴方の拒絶は全てを無視する身勝手な悪い猫。さあ、何時までアリアさんへの気持ちよりも自分の存在が小さいままでいられるかな?楽しみだね、ランザ」

 

 困惑した顔。その瞳には、反射して自分の姿が映っていた。蠱惑的な笑みを浮かべる、発情した、雌猫。ただその瞳は、目の前の人物と同じく酷く暗く、濁りきっていた。嬉しいよ、ランザ。自分も、貴方と同じ瞳になれた。

 

 ジークリンデの為、そしてなによりも自分自身の為、この人の隣は誰にも渡さない。テンにも、誰にもだ。

 

 本当に、これから楽しみだね。ランザ。




 この作品が始まってから一年近く。ジークリンデ、お疲れさまでした。
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