家族の仇は、娘でした 作:樫鳥
視線を通す為の兜についた穴にさえ注意すれば、たかだがライフルの銃弾や弓矢程度等オルレアン鋼の鎧には通用しない。忌々しい、オルレアンの花弁と言われた呪われた金属であったが、それでも我が故国が残してくれた最後の遺物だ。この頑強さには自然と誇りを持つこともできた。
「ふむ」
クラルスは顎に手を添えながらこちらの様子を見ていた。その顔には焦りの表情はない、これくらいは想定内というところであろう。しかし、騎馬突撃が出来たら楽ではあるが馬はやはり残して来て良かった。この銃嵐矢雨の中では私は耐えられても騎馬はそうとは言えない。
馬用のオルレアン鋼で出来た鎧があれば良いのだが、あれは王国が必要以上に秘匿事項にしていた為加工方法を見つけた者達はその利用価値にも関わらず皆殺しにされた。現状、あの鋼で試作された武具としてはこの鎧と槍だけだ。
第二陣に続く坂道は、門構えに近づくにつれて狭くなっていった。木門は閉じられていたが、先程のサイコキネシスで積み上げられた残骸で出来た壁に比べればどうということはない。この槍で門を貫通させ、向こう側にある閂をへし折ってやればいくらでも侵入できる。
「聞いても良いか?」
銃声が響き渡る戦場の中で、クラルスの声はよく通った。声を張り上げている訳でもないのに、直接隣で話しかけられているような不思議な声量をしている。
「貴様等捨て駒は、エンパスに仕えその野望を叶えた先にある世界を理解しているのか?外来人、外の世界の遺物を呼び寄せこの世界の構造と倫理を歪める行いをしてまでかなえたい世界をだ」
外来人、レント殿のことか。生憎私はその外来人という言葉にどれだけの意味が込められているかは把握していない。把握する必要もない。エンパス様の理想をレント殿が実現に動き、私はそれの一助になれば良いだけなのだから。
「私は私の納得と理解をもってその目的に殉じている。捨て駒となるならば、それも良し」
「成程、貴様はそうなのか。では、先程まで戦っているその他についてはどうだ?」
「教えられるのは私のことだけだ。他者の思考、行動原理、感情等、把握に努めることはあっても理解をすることなどごめんなのだよ。少なくとも私はうんざりだ、目先の欲望と利益に流され怠惰に走る民衆の思考と不信心者の考え等な」
グロルダール公国。小国ではあったが、信念を持つ指導者の政治と牧歌的ながら自分とその生活に誇りを持ち汗水流していた誇り高い民達の国。名産であったグロルダールの高級ワイン、ルイグランゼ。深みのある味わいと陶酔感をもたらす渋み、祖先から引き継いできた製法を守る私が好きであった故郷の味はもう二度と飲むことはできない。
帝国の指導の元、ルイグランゼは再度生産されているがあんなものは紛い物の味であった。国土や文化、風習に愛情は廃れた。なにもかもを、ダイヤモンドが産み出す利益に捧げてしまった者達の醜い末路だ。
「クラルス、貴様は人間は愚かであると考えたことはないのか?信頼をし本気で護ろうした者に欲につられて裏切られたことはあるか?いや、ないだろうな。貴様はどちらかと言えば、裏切る方の人間に見える」
「信用と信頼は違う。例えば我はエルバンネの武技や指揮は取り柄として信用をしているが、誰かを信頼したこと等ないものでな。だが他者の思考や行動の流動、それを愚かとは思わん。誰もが立場があり、その立場というものは歴史の流れで翻弄されるもの……いや、他者にとってはどうでも良いような些細なことで変化をするものだ。女々しいものである、変化による流れと立場の変換。それを裏切りというのであれば、人々の進歩はないであろう。停滞は毒である、流れのない水は沼となる。それを責める貴様は何様であるのだ?個人の感情で物事を測るものではない。ましてグロルダール公国とそれを取り囲む歴史の変換についてはな」
憐れみを込めた言葉が向けられる。歴史上の国家滅亡において酷く滑稽な最後を遂げたグロルダール公国民に向ける視線と言葉としては妥当なものであるだろう。だがしかし、私はその言葉と視線に怯むことはない。
「それで不幸な目にあうものがいる。無残に殺されるものがいる。それを肯定してしまうことに矛盾は感じないのか?貴様の言う歴史の変換というものに磨り潰される者達の存在を考えたことはないのか?」
「ない。それは変化に対応できないものの自然淘汰だ。元来生物というものは多様な進化により発展と衰退をしてきた。そして停滞したもの、誤った進化をしたものの末路は悲惨なものである。ビックファイブという言葉は……いや、知らなくても良い話だ。さて無駄話をしている間に随分と門まで近づいたものだ。このままでは、貴様の槍で餌食となる可能性が高くなるな」
門の左右にあった、なにかが動く。それは茶色く塗装されていた布地のようなものであった。ひょっとしたらこの一連の会話は、この左右の物体に注意を向けない為の偽装であったのかもしれない。
覆われた布地の下にあったのは、巨大な大砲が二基水平に向けられていた。互いに射線を合わせないといった配慮すらされていない。道の真ん中にいる存在に、左右から砲弾を当てる為の配置だ。
これでは砲手も助かるまい、と思っていたが砲手の顔にはおおよそ知性というものを感じなかった。
ああ、成程と瞬間的に思ってしまったものだ。砲手の耳からはあの蟲の一部が、なにかの触手のようにヌルヌルと蠢きながら露出していた。こちらに銃を向けながら、恐怖におびえていた兵士達。彼等は、この惨状を見せられていたのだろうが。
逆らえば、逃げれば、捕まえて自我を奪い使い捨てにでもしてやると。
「流石の悪辣さだな」
「そうであろう。ではさよならだ」
パチンと指を鳴らす、等キザな合図もない。口を開き、少し舌を鳴らすような動作をした瞬間大砲に火種が入り二門の火砲が衝撃と共に放たれた。
さしものオルレアン鋼も、至近距離からの大砲には耐えられない可能性がある。いや、例え鎧が耐えることができても中身の肉体は衝撃に耐えられず、内部で肉塊にでもなるであろう。捨て身の、必殺の構えだ。
イメージするものは、鉄の塊。何者にも流されぬ、クラルスのいう言葉を拝借するならば歴史の流れというものか。貧富にも、政情にも、ましてその歴史にも流されぬその意思の力。加護という、手段達成の為に与えられた力を行使する。
左腕に巨大な大盾をイメージする。純白の磨かれた表面は、如何なる政治、イデオロギーにも寄らずただエンパス教の大義のみによる為に、神の意志のみを遂行する精神を現したものだ。大盾を中心に、透明な膜が張られる。
大砲の砲撃音も、振動も、まして着弾の衝撃さえも無効化される。大量の土埃があがり、爆発により視界が覆われる程の衝撃が周囲で響いていた。
「詰めが甘かったか」
クラルスの呟きと同時に、木門が吹き飛ばされる。少々強くやりすぎたか、衝撃により木門の上部までが崩れ上に乗っていたクラルスは後方に飛んで門の向こう側に着地をしていた。
射撃もやみ、シンとした空気に場が覆われる。巻き起こった粉塵の中から現れた重騎士に、誰かが生唾をゴクリと呑み込んだ。大砲二門を至近距離で打ち込まれて立っている人間を、自分達と同じ人類と考えられないといった雰囲気だ。
気のない拍手が、場違いに響く。着地に失敗したのか膝が少し土で汚れていた。
「リスムの巨人事件にて、レント=キリュウインの側近である重騎士が活躍したと聞いていた。全方位形の絶対防御か。北の田舎都市では竜を葬る為に街ごと破壊する火薬量が使われたようだが、近距離からの火砲二門。加護を持つとはいえ人類が防ぎきるとは、正直言って驚愕に値すると言えよう」
「随分と余裕だな。そこは、既に槍の間合いだ。私が重装備だから逃げ切れる、とは思わないことだ」
「くだらないことを聞くな。不可視の重圧を喰らい、なおかつ総重量がどんな鎧よりも重いと予測されるオルレアン鋼で作られた装備で走って見せた貴様だ。生憎我は研究畑の人間でな、人には役割分担というものがある。筋肉は、我が分野ではないのでな。ついでに言えば、庇ってもらえる程の人望もないであろう」
片や不敵な笑みを浮かべる、人道や倫理という意味では逸脱した研究者。片やどんな軍隊をぶつけようが止めることが不可能ではないかと思わせる強力な人の形をしたなにか。ただ二人の人物が放つ奇怪な圧力に、連合王国の者達は助けに入ることもできずただ見守ることしかできなかった。
可能ならば、共倒れになってくれた方が良いのではないか。誰も彼もが、そんなことを考えてしまった。
「そうだな、例えば我が今すぐ改宗するとでも言えば助かるということはあるものかね?」
「戯言を。貴様のような存在はエンパス教の教えに関わらず神というものを信じるとは思わない。いや、神の存在は肯定するだろうが信仰というものを持つとは思えない。そんな目をしている…いや、理解しきれない目の色をしている」
「興味深いな。目の色と来たか」
学術的な興味以外、クラルスという存在がおおよそ興味を惹かれないと思われた男がおおよそ論理的ではないことに興味を持つことが以外だった。その表情から、時間稼ぎ等といった小賢しいことを考えているとは思えない。
「参考程度に教えてはくれないか。我が目は、どうのような色をしているというのかね」
「これから首になる者に対して、教えたところで意味はない」
「そうか」
大きな踏み込みから、槍の一撃がクラルスの首筋を抉る。突きから大きく横に振るい、その首を跳ね飛ばす。空を飛ぶ首を空中で掴み、土につけるようなことをしない。可能であるならば、その程度の尊厳くらいは護ることもやぶさかではない。
奇怪な男であったが、死者は死者だ。最低限の礼を持ち接するべきであろう。
「地獄などという存在は信じない。だが、貴様をエンパス様が導く世界に導けなかったことを詫びよう。どうか、安らかに」
祈りを捧げた瞬間、近くに衝撃音。ハイピュリアのイリーナル=フロストが土煙に巻かれながら背中から地面に激突していた。
「うぇーいった!もうなんなのさーあのオヤジー!」
顔をあげると第三陣。本陣がある本丸からこちらを見下ろす、禿頭の偉丈夫がいた。身体や顔には斬撃の流血がついているもののいずれも致命傷とは言い難い。イリーナルの鋼鉄の翼と機動力に唯人が食らいつくどころか、優位に立っているようであった。
「ゲッ…カナリアッ!…副団長さん。なんでここに」
「苦戦しているようだなイリーナル。本物の武人との戦いは、堪えるか?」
「いやーまあははは、面目ないッス…。あのーでもまあ本陣単騎突撃だし、時間稼ぎはできたかなとねー。てありゃまあ、静かだと思ったらお姉さま方みんな死んでらっしゃるんで?マジ?ざまぁ」
イリーナル=フロスト。レント殿が組織した部隊において、元々戦闘職ではないもののその種族特性にて各地の戦いを生き延びてきた。だがしかし、半獣という立場は組織内においても肩身が狭く、同じ半獣であるクーラ=ネレイスの出奔により組織内での立場は危ういものとなっている。
「いやーこれも信仰心の欠如って奴ですかね副団長さん。神の奇跡は、どうやら不信人者にはおきないようで」
「私の目的は果たした、撤収するぞ」
「え?マジ?連合王国の総大将はまだ存命ですよ?」
「端からレント殿は貴様等だけで連合王国の総大将を倒せるとは思っていない。あくまで威力偵察の意味合いもあり、これから帝国の内務で我を通しやすくなるためのお膳立てのようなものだ。陣営の外を見ろ、問題に巻き込まれるぞ」
イリーナルはすぐさま羽ばたき、空から平原を見渡す。帝国側から押し寄せるのは、敵の防御に風穴を開ける死に番である軽装騎兵隊。その後ろにはライフル銃兵と槍兵の組み合わせの野戦部隊。即攻の為大砲隊は流石に来ていないようだが、空には飛空する鉄馬が少数ながら飛来してきていた。
「第一陣は荒らしに荒らしたから、迎撃能力も半減。でも聞いてねー、帝国軍が来るなんて聞いてねー面倒くせー!」
「我々は帝国軍の味方をしているが、帝国が完全勝利されても困る。精々エルバンネ将軍には、上手く軍をまとめ壊滅状態にはならないように指揮をとってもらわねばな」
影。高台から飛び降り、飛来したエルバンネの踵落としが、防壁に阻まれ火花を散らした。
「流石の衝撃だ。いくらオルレアン鋼でも、この衝撃を頭部に喰らえば中身は平然とはしていられまい。武人であるという言葉、本当のようだな」
「お褒めにあずかり光栄だが、これだけ暴れて五体満足で帰れると思うな」
エルバンネの視線が、クラルスの首に向かう。
「どうしようもない程に不愉快で、不吉な存在ではあったがそれでも我等の仲間だ。仇討ちをする権利、亡骸を取り戻す義務はあろう」
「仲間か。エルバンネ将軍、貴公の心意気は買うが今はそんなことをしている場合でもあるまい。今すぐ軍を建て直し、帝国軍の迎撃をしなければならないのではないか?そして気づいている筈だ、彼我の実力差という奴を」
エルバンネの動きに、ようやく現実に戻ってきた連合軍兵士達が動く。下士官の指揮で包囲網がしかれ始めるが、そんなものに意味などはないことはここにいる誰もが分かっていた。ただ、総大将が前に出たのに動かない訳にはいかない使命感が彼等を突き動かしていた。
そしてそれは、悪手だ。今すぐ帝国を迎え撃たなくてはならないのに、戦力をすり減らすのはとてもではないが良策とは言えない。
「当然私は、オルレアンの武具とこの身体能力の他にレント殿より授かった加護を使わせていただく。貴公のような武人には敬意を払うが、それゆえに使える手段はなんでも使わせてもらう。だが手を出さないのであれば、これ以上はなにもしないと約束しよう」
口笛を吹くと、陣営の外で待たせていた愛馬が駆けつけてきた。忌々しそうな顔をしてエルバンネが片腕を開けると、完全包囲が解かれ馬が近くまで走り寄る。
「一つ聞きたい」
エルバンネの口が、苦々しく開かれた。
「恐らく貴様の戦闘能力ならば、この私を討つことは容易い。そしてそれは、連合王国軍の瓦解に大きく近づき帝国に大いなる利をもたらす筈だ。何故、クラルスの首のみで帰還をするのだ」
「その問いに応じるとしたら、私は帝国の味方等ではないからだ。そして将軍、出来れば貴公のような存在にこそエンパス様の素晴らしさを知ってほしいと考えている。誰もが苦悩から解放された世界、人類は可能な限りその一員となるべきか。それは敵とて、同じこと。貴公を積極的に討つ必要が私にはない」
「悪いが子供を戦場に送り出す、エンパス様とやらにもレントにも私は共感することも信仰を捧げることもないであろう。私は連合王国に忠誠を誓うただの武人である以前に、一個人として貴様等に好意を抱くようなことはない。疾く立ち去るが良い、我等はどのような手段を駆使して貴様等を打倒してみせる。我が信条に誓ってだ」
これ以上は、言葉は無用である。馬で駆ける間、エルバンネの視線は背中に強く注がれていた。上空では先程まで戦っていたイリーナルが飛んでいたが、そちらに注意を向けることもしない。
「貴様は間違っているよ、エルバンネ将軍」
神の威光の前では、立場も能力も性別も年齢も関係ない。ただ、信仰があるかないかの違いだけだ。この世界に不信心者の居場所は、いずれ強制的にでもなくなる。そしてそれこそが、人のあるべき姿に戻す為の第一歩なのだ。
「人はみなすべからく平等だ。いずれ、貴公も知るべき時が来るであろう。そして一日も早くその日を迎えねばならん。この身が朽ち果てようがな」
連合王国軍と帝国軍が、平原にて再度激突した。レントの手先により壊滅した第一陣は放棄。第二陣にて、破られた木門には急ごしらえのバリケードをこしらえ忍耐を伴う籠城戦を余儀なくされてしまう。
怒号や銃声、槍が撃ち合う音に矢が風を切る音が響くなか、奇妙な一団が戦闘に参加することもなく蠢いていた。革製の厚いエプロンと、鳥の嘴のような奇怪な形状をしたマスクを被る一団が首を飛ばされたクラルスの胴体を担架に乗せて運んでいく。
運ばれた先はクラルスが受け持つ研究局の仮説テント。異形の生物兵器や新兵器である毒ガスを操る為に派遣された、技術顧問といえる存在達が寝泊まりをしながら兵器の調整や現地でしか分からないことをまとめ、研究をするところであった。
胴体が運ばれた先には、猿轡をかまされた一人の少女が拘束されていた。少女の名前はクルー=イリジット=レイデン。東方二十八ヵ国と呼ばれた、主に高山地帯に住まう民族の出身の槍兵。退屈な故郷を飛び出した先で、とある騒動をきっかけにレント=キリュウインに見いだされその部隊に加わった経緯をもっていた。
レントと出会うまでは傭兵のような仕事をしていたこともあり、素の戦闘能力では部隊の中では高い方である。先の戦いでも混乱の中生き延び、一足先に生存者を連れて離脱をしている筈であった。
それが何故こうして捕らえられているのか。迂闊であったのは、寄生虫により脳を汚染された者は正気を失い暴走すると信じ込んでいたということ。理性を保てないと、誤解しきっていたこと。カナリアでさえもそれには気づいておらず、初見で見抜くことは困難であった。
あのような惨状を見て、誤解するなと言う方がもしかしたら不可能かもしれない。だがしかし、理性を保ち『洗脳されていないふり』をするという狡猾な手段も、寄生虫は行うことができた。
問題ないと思っていた、仲間二人。クルーを拘束しながら笑顔を浮かべていたが、その耳からは線虫のような触手がにょろりと這い出ていた。もう取り繕う必要もないということか。
運ばれて来た死体が、まるで内部から爆発したかのようにビクンと動く。首筋の断面から白い糸のような、線虫のような存在が這い出てきた。
「ん゛ー!んん゛ー!」
猿轡をされていたが、恐怖のあまり声にもならない悲鳴をあげる。大量に這い出て来た白い蟲達が、足足首から這い上がり、高山種族の中で時折現れる病的に白い肌を絡まりながら昇ってくる。助けを求めるように辺りを見て、可能な限り暴れながら拘束している左右の元仲間達を見上げる。
しかし、彼女等は陶酔するような虚ろな表情と視線をこちらに向けるだけだった。周囲のマスク姿の研究者達もその様子を見て声一つあげない。
「んあ゛!ん゛んんー!」
民族衣装である短いズボンの裾から寄生虫質が大量に侵入する。それは服の袖から、胸元から、破けた布地の隙間から、くすぐったい感触と共に無遠慮に入ってきた。
恐怖であった。自らの肌を触ったのは、軽いボディタッチや動物との触れ合いを除き、両親以外にはレントくらいしかいなかったのに、こうして得体のしれない蟲達に柔肌の上をはい回られている。恐怖でしかない、尊厳を踏みにじられるような吐き気をもよおす行いに涙までが絶え間なくあふれ出した。
だがしかし、下る涙とは対照的に複数の蟲が首筋から頬を昇ってくる。一匹の蟲が、耳の中に侵入した。ゴソゴソという音がしたと思ったら、なにかが破れた音と共に聴覚が破壊される。両の耳孔、ほぼ同時にそれは起こった。
聴覚は壊れたというのに、奇妙なことに頭の中でまさぐるような音が響いているようであった。まず感じたのは、前進の弛緩。意識していた訳ではないのに口があんぐりと開き、股間から湯気と共に水たまりが広がっていく。
指先一本すら動かない脱力感。そんな無防備な身体の穴という穴、その種類問わず身体中に寄生虫は殺到していく。身体は大きく痙攣していたが、頭の中は奇妙な多幸感がチカチカと輝いていた。自分という存在が貪り喰われていく。人生が、経験が、尊厳が、歯抜けとなっていった。
陶酔した顔で前進が痙攣しながら、クルーは両腕を解放されへたり込む。頬が地面に激突するがそれに気にせず、笑みとも痙攣といえない無意味な声を喉から漏らしながら前進から涙や鼻水等全身から様々な液体を垂れ流していた。
「……っ」
三十分もの間そんな調子であっただろうか。すっかり身体も痙攣しなくなったころ、クルーは静かに呼吸を整え立ち上がった。
「まったく、毎度のことながら内核を移動するのは難儀なものだ。身体中汚物まみれになるのも、考えものだな」
液体まみれとなった、異臭を放つ民族衣装を破り捨てる。全裸になったところで研究者の一人が恭しく差し出す毛布を手に取り身体にまとう、クルーは……元クルーであった存在はテントから外にでた。
「こうも帝国軍が来てしまえば、頭部の奪還は難しいか。我の一部が頭に取り残されたままだ、正体が割れてしまったかもしれんな……むぅ、視線が低い。よく戦場の様子が見えんではないか」
差し出された木箱に足をかける。少し高くなった視線から周囲を見ると、第二陣において迎撃の指揮をとるエルバンネの姿が見えた。
「生き延びたか、上々。これからも大多数の兵士達をまとめてもらわねば困るからな、少々手助けをしてやらねばなるまいか」
舌を鳴らすと、操られた二人の加護持ちが前に出る。武装をしていると同時に、その腹部には大量の爆薬が巻きつけてあった。もう一度舌を鳴らすと、爆薬に火をつけたまま敵軍勢に突撃していく。先の大戦で捕縛した、研究局に引き渡される予定の帝国軍捕虜達の牢獄も解放され、その身体には同じように爆弾がまかれ導火線に火がつけられていた。誰も彼もが疑問すら持たず、特攻をしていく。
「絶対防御か。火砲二門では揺るぎすらしないとは、その耐久性能は驚嘆に値する。だが出力はあくまで人、そして地形の問題、弱点は二つ程といったとこか。しかし甘くみられたものだ、首をもがれた程度でこのクラルスを討ち取った気でいるとは。エンパスめ、どういう教育をしているのやら」
戦線に人間爆弾が投入され、帝国軍の一部が崩れた。あれならばエルバンネならば返り討ちにできるであろう、あとは任せても問題はない。
「ここまで傷がついたら、今勝とうがこの陣営は引き払うことになるだろう。必要なものは今のうちにまとめておけ、撤収準備だ……ん…ん……」
背伸びをしてなんとか、棚に置かれていたこのテントでは珍しい嗜好品の瓶に手を伸ばす。こればかりは我の手で取りたいのに、この身長がもどかしい。背が高かった前の身体が早くも懐かしくなってきた。
ようやく手が届いた瓶の蓋を開けると、安酒特有のなんの遠慮もない強い酒精が鼻をくすぐる。何時ものように呑もうとしたら、思わずむせてしまった。瓶が落ちて内容物が床に広がる。
「グッ…クソ。味覚が変わることは分かってはいたが、この舌ではこんなに合わんのか!加護とやらが我にも使えるかどうか、確かめる為に身体をもらい受けたが早くも後悔したい気分だ!おのれエンパスにカナリアめ!我の楽しみを奪った代償は高くつくぞ!」
変わり果てた代表を見ても、研究者達に動揺はない。なにせその仮面の下、内部には外部に露出した寄生虫が蠢いているのだから。
マスクの下は、半獣に南大陸の奴隷、東方国家に帝国人と様々な人種がいた。どれが最適な宿主になるかの研究として、過去に犠牲になった者達であった。人の心等残ってはいない者達は、ただ核となる存在の怒りという感情を無表情に受けとっていた。
「そうだ…エンパスだ。全ては奴のせいだ」
空になってしまった、安酒の瓶を拾う。故郷の味に何故か似ていると、好んで飲んでいたアレの姿を思い出す。
「世界を荒らし、他者の宿命を捻じ曲げる所業。同じ業を持つ者しか抗うことなどできぬだろう。我がが背負う、毒には毒をもち貴様の業を踏み越える」
瓶を撫でるクルー、いやクラルスの顔はひどく穏やかなものであった。それは、寄生虫に侵されていない者には、誰にも見せることはないものであった。そしてその顔は、すぐに激しい怒りに侵される。
「首を洗って待っていろ。貴様が役に立たぬと排除した者が、貴様を必ずくびり殺す」