【ここまでのあらすじ】
カイム・カンタベリー:おれ
レミア:魔法使い。強い。
エイミー:研究者。ヤバイ。
スペードソードさん:騎士。最強。停職になった。
ソラ・スペードソードの停職に、王都には激震が走った。
彼女に絶対の信頼を寄せていた王族は激怒し、都市管轄委員会との関係が悪化。
市民の間でも治安の悪化を懸念する声が囁かれ、いかに彼女が治安維持に大きな働きを持っていたのかが浮き彫りになる形となった。
そんな中、渦中の最強騎士ことソラ・スペードソードは──
「あ、あのっ。しょ、書類持ってきました」
「おお、ありがとうございます。ではこちらにサインを……」
「ちょっとまってくれカンタベリーさん!? ここの事務所ってスペードソード卿を事務員として雇ってるのか!?」
──いよいよ動き出した俺の事務所で、事務員として働いていた!
事務員にすることあるか?? と目を白黒させながらクライアント(闘技会の初戦で戦った相手だった)が帰っていくのを、二人並んでお辞儀をして見送る。
「ふぃー。ひとまず午前の予約は終わったので、昼休憩にしましょうか」
「は、はいっ」
手元の羊皮紙に書きつけていた午前のタスクがひと段落を迎えたのを確認し、俺は席から立ち上がる。
巨木を切り出した机と椅子は目に優しく、ギルドと比べとっつきやすいように精査した。座り心地も大変に快適だ。いい買い物をした。
「そ、そのっ、す、すみません……わ、わたしなんかを、やとっ、雇ってもらって」
「いえ、こちらとしては助かりますよ。他の二人は忙しそうですからね」
なんだかんだでもともと有名人なので、レミアかエイミーを名指ししての依頼は多い。
あくまで仲介なのでそのあたりは適度に配分したいところだが、本命の仲介業はまだ軌道に乗ってないので、二人に稼いでもらえると大変助かる。
「というわけで出前を取っておきましたよ」
「わ、わわっ……」
奥の事務スペースに二人で引っ込み、お盆に載った細い麺をとつゆを広げる。
「仕事の合間だとやっぱりこういうのががさくっと食べられますからね。これ食べて午後も頑張りましょう」
「こっ、これっ。トーラス蕎麦ですよねっ。お、お高かったのでは……」
「食べるのやめましょう」
「!?」
共食いになってしまう。
流石に教育上良くない。でもおなかはすいた……
「ぐっ……これ、なんでトーラス蕎麦っていうんですか?」
「? か、かつて……まっ、魔王軍幹部の、じょ、女性型の個体……」
「ああ、エレイン将軍?」
「そ、それですっ。そのこ、個体と……い、い……」
「い?」
「いっ! ……い、一夜を、明かした時……ずっと、どっ、同衾することもなく、そ、そ、蕎麦を打ってっ、いたと……」
「……ッ!? なんだそれ!?」
全然記憶にねえぞ!
あ、ああいや、待て……確かに一時期、死ぬほど日本が恋しくて、なんとかして蕎麦を作れないかと試行錯誤していた時期はある。あと、やむをえずエレインと洞窟で朝になるまで共に過ごしたこともある。正確に言うと焚火を挟んで朝まで行動を察知してカウンターを備えてそれにカウンターを備えてそれにカウンターを……の繰り返しをし続けてたら朝になったわけだが。
しかしそれがどうやったら女を放置して蕎麦を打つカオス状態に発展するんだよ! おかしいだろ!
「ていうか蕎麦があってトーラス蕎麦!? だめだ、発展系譜が分からねえ! え!? 蕎麦ってもともとありましたっけ??」
「?? と、トーラスが、ひっ、広めましたよね……?」
「ならもう蕎麦で良くない!? トーラスって名前つける必要ないよね! この世界における商標上のトーラスって文字、モンドセレクション金賞受賞みたいな扱いになってるんだわ!」
「ひううう……す、すみませんん……」
オアッ。スペードソードさんを怖がらせてしまった。
いかんな。どうにもトーラス絡みになると、とたんに感情のコントロールがヘタクソになる。
「し、失礼しました。取り乱しました」
「あう……ご、ごめんなさいっ……」
いや本当に別人だな。
怯えるスペードソードさんの姿を見て思う。
フェイスガードを着けてないだけで、こんなに変わるものなのか。見た目だけじゃないし、内面だけでもない。オーラというか、強者が放つ存在感がまったくないのだ。
いくら平時は温厚な性格だったとしても、武の極みに到達した達人のような存在は、ただそこにいるだけで圧迫感を与えてくるものだ。
そういった空気感が、スペードソードさんにはない。
──だからこそ、今まで出会って来た相手の中でも、ダントツで
この間チンピラに絡まれていたのがいい例だが、雰囲気が余りになさ過ぎて、素人が勘違いする。危険性を認識させてくれないのは素直に罠としか言いようがないんだよ。
今も対面で、蕎麦をちゅるちゅると、ほんの数本ずつ啜る彼女。どう見たって怖い存在ではない。だが、内実は大きく異なる。
何故だ?
何故ここまで、ズレることがある?
俺は彼女をじっと見つめながら蕎麦をすする。
彼女はちらちらこちらを見ながら、やがて蕎麦を口にくわえたまま、首筋から額のてっぺんまでを赤く染めた。
「あ、あうあう……」
「……あ! す、すみません! 食事中の女性を見続けるなんて無礼でしたね……!」
よく考えたらものすごい勢いで礼を失していた。
俺は器をテーブルに置いて頭を下げる。
「あっ、そ、そんな……! しょ、職場の上のひ、人って、そ、そういうこと、するらしい、ですから……」
「いや流石に全員がしてるとは思いませんよ!? ていうか、え? スペードソードさんも何かこう、ハラスメント……ええと。上司に不愉快な思いをさせられたり……ああいえ。話しにくい話題でしたね、すみません」
「あ……ち、ちがっ。違うんです。わたっ、わたしは、その、すぐ、特級になっちゃった、から……」
顔を上げると、スペードソードさんは本当に申し訳なさそうな表情だった。
あー……なるほど。騎士になった瞬間からもう強かったんだ。
「だっ、だから……そういうの、知らない、まんま……」
「ああ、いいことですね」
「しゃっ、社会の荒波に、も、揉まれない、まま、だったから……! こ、こんな、ダメ人間に……!」
国内最強の騎士が自分のことをダメ人間って言ってるのウケるな。
「まあ……いいんじゃないですか。そういうの、あんまりないですよ」
「え、ええっ!? あ、あるから、覚悟、しろって、言われてたのに……」
どんな歪んだ教育だよ。
しばし、二人して無言で蕎麦を啜る。
どうでもいいけど騎士団が副業禁止の規定をきちんと制定してたから、単なるお手伝いとして日給換算でお金を渡すことになった。もうちょい法律回りは緩くしてくれ。
「とっ……トーラスは……」
「?」
俺が温めた蕎麦湯をつゆに注いでいると、まだ盛られた蕎麦の半分も食べられていないスペードソードさんが口を開く。
「こういう、風に……いっ。いろんなものを、のこし、残して……そ、そういうのはすごいって! お、思うんです」
「あ、はい……」
急になんだよ。
ていうかこういうのってまさか蕎麦のことか? 別に蕎麦を後世に残すために戦ったわけじゃないんだけど。いやでも守りたかった世界の食文化に寄与できたというのは誇るべきことではあるんだろうけど。
「だから……」
「?」
「とっ、時々、思うんです」
「はい」
「と、トーラスは、そういう、こ、ことを……したかった、んでしょう、か」
「…………」
「何がっ、何が、したかったんだろう、って……とき、と、時々、思うんです。と、トーラスは、これを、や、やりたかったのかな、って……」
張本人を前にして言ってるとは思うまい。俺も思いたくなかった。
だが、確かに、彼女の問いは核心を突いている。うん、確かに……
「別に、トーラスだって────」
「?」
そこで、言葉に詰まった。
何を言おうとしたのだろう。
「…………か、カンタベリーさん?」
不自然な沈黙に、スペードソードさんが心配そうにこちらを見てくる。
まあ、そうだよな。うん。変な黙り方をしてしまった。
「……トーラス、だって。俺が、再来と呼ばれてるから、多分なんですけど……」
目を逸らし、俺はゆっくりと唇を動かす。
「大英雄になりたかったわけじゃない」
呼ばれて押しつけられただけだ。こんな訳の分からない世界に。
なりたくてなるやつがいるもんか。
「大英雄になろうとしたわけじゃない」
旅の途中で逃げ出したかった。お目付役の女騎士さんは許してくれなかったけど。
あの時に逃げていたらきっと後で死ぬほど後悔した。だから女騎士さんは、辛そうにしながらも俺に戦いを強制してくれた。感謝してる。もうそういう時代は終わったけど、力ある者には戦う義務がある時代だった。
「大英雄をやっていたわけでもない」
強くなった後も、自分にできることを必死にやっていくだけだった。
手の中から取りこぼしてしまうものはたくさんあった。援護が間に合わなかった村。通りがかった、人が住んでいた一帯らしき廃墟。炎に包まれる昨日語り合った騎士。こちらを嗤う魔物。罪なんてないがために首を引き裂かれる市民。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。燃える街。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。空を照らす、人を燃料にした炎。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。地獄の一幕を切り取ったような光景。破壊と虐殺と凌辱で構成された光景。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。こちらを嗤う魔物。
「……多分。きっと、そういうものなんだ。何のためにとか、俺も考えたことないし……」
何を美談にしようとしている。ふざけるな。
相手が、あの時代を知らないからといって、何を間抜けな肉抜きをしている。
自分の中の自分がそう叫んでいる。それを雑にねじ伏せる。うるさい。あの時代を知らないからといって、だから何だ! 知ってれば偉いみたいなことを言うな馬鹿が。つらい記憶がある方が優先される制度なんてないんだ。
「……そ、そう、ですよね」
「うん。だから、何のためにとかって……それは、スペードソードさんが悩んでいるから、出てくる言葉だ」
「!」
卑怯な話題の逸らし方をしたと自分でも思う。
だがまず、トーラスがどうだったかという話題に俺が付き合う理由はない。それらしく言葉を飾ってトーラスとしての考えを伝えることはできるかもしれないが、別に彼女にとってはカイム・カンタベリーの言葉でしかない。意味はない。
そして俺個人としても、スペードソードさんが懊悩しているのには、力になりたい。そのためには今の前置きは不要だ。
「……そ、それは……わたしは……別に」
「ごめんなさい、責めたりするつもりはなかったんです」
悩むのは誰だって持つ権利だ。誰だってすることだ。
「まあ、理由があって戦うのなら……その理由っていうのは、大事だとは、思います……」
「……そ、そう……ですね」
なんとなく気まずい雰囲気のまま、俺たちは昼休憩時間を過ごすことになった。
◇◇◇
スペードソードさんを事務員に迎えて一週間が経過した。
おおむね、業績は良好だ。予想よりよく回っている。レミアもエイミーも「は? こいつマジで前線に出る気ないじゃん……」という顔で見てくるようになった。
そりゃそうだ。出る気あんまないもん。
……むしろあいつら、出る気だと思ってたんだな。ちょっとこれから先の考え方変わるわ。
「再来君、これなんてどうだい?」
「うーん……」
俺は今、いわゆるポーション系統の商品を取り扱う商店にて、定期購入する商品を吟味している。
要するには俺を仲介としてクエストを請け負ってくれた冒険者に提供するポーションである。
あんまり試供品としての色が強くなってもあれだが、市販品を自前で買うのと差別化は図りたい。こういうところで特別感を出していくことで、ブランディングができる。要するにはこの事務所を介すれば装備がいい感じになると喧伝されるようになる。
そういう意味で決して手を抜きたくないところなのだが。
「うーーーーん…………」
何も分かんないね。
ポーション、トーラス時代は本当に粗悪品が半数だったし。回復魔法の方が信頼できるし。
ただ回復魔法を使える魔法使いを身内で抱え込めてないパーティのことを意識したいし、そもそも魔法使いに回復魔法を使わせること自体がリソースの無駄遣い感がある。
「再来君、これは?」
「うーん」
本当に分からねえ……と悩んでいる、その時だった。
「ちょちょちょ、店長さん、本当に勧めるべきはこっちでしょ?」
棚の前で唸っている俺に、真横から手が突き出された。乳白色のポーションの瓶を握っている。一目で分かる、上質なポーションだ。
ガバリと顔を上げる。茶髪を撫でつけた青年がいる。
怪盗団のアジトを地下に匿っていた、ヴィルヘルム・ヴェルトスタインがそこにいた。
「! あっ……こないだ屋敷に来てくれてた、再来って人ですね! これはこれは、どうも」
「ど、どうも……」
さわやかな笑みを浮かべて、ヴィルヘルムが手を差し出してくる。
俺の名前は再来ではない。馬鹿が。殺すぞ。笑顔の裏の気配がドス黒いんだよ。
「…………」
差し出された手を凝視してから、ヴィルヘルムに視線を上げる。
なんてことはないように、彼は微笑んでいる。
俺から警戒されているのは分かっているはずなのに。
さすがに無礼なので、手は握る。
同時、首筋を死神の鎌が撫で、視界がスパークした。
◇◇◇
光景が蘇る。
「トーラス、流石に文字は綺麗に書かないとまずいぞ?」
「それ。書簡とか全部歴史上に残るから。君は違う世界から転生したから知らないかもしれないけどこっちの世界だと……」
光景が蘇る。
「うるせえよ! 知ってるよ! 俺が元居た世界でもそうだったし! 書簡が本になったりしてたよ! ていうかこういう書類を俺がやってるの自体不本意なんですけど!」
「そりゃ責任者はトーラスだし……」
「言ってやるなよ、
「は? おいちょっと待て
「おっとこれは失礼……おい。
「はっはっは。トーラス!
「
「私はいいのだ。一番長い付き合いだからな。な?」
「な? じゃないが。どういう理由なのか一ミリも分からん」
光景が蘇る。
「ハァ~……分かった、分かりました。でもこれはこれで味があって良いって後世に評価されると思うので、文字の特訓の予定はないです。以上! 閉廷!」
「あ、こいつ自己完結したな」
「トーラスの得意技だもんね」
「
「えへへ……ま、まあほら。私は文字綺麗じゃないと、無声投影詠唱とかに支障出るから……」
「理由が思ってたより差し迫ったものだったな」
「まあいいんじゃねえのか、文字なんてさ。俺たちは剣振るうのが仕事だろ?」
「馬鹿。魔王との戦いが終わったらそうも言ってられないだろ。王都に戻ったらどんな仕事をするつもりだ? 簿記みたいな資格持ってんのか?」
「フフン。私は魔王討伐の暁には、騎士団の大隊長のポストが確約されているからな!」
「……なんかドヤ顔で言ってるけどよ、トーラス。
「ああ。集団行動がド下手糞過ぎて俺のお目付け役に左遷された逸材だ」
「グーで殴るぞ貴様ら」
「そういうとこだよ……!」
「
「ひうう」
「あーよしよし。ほら怖がらせんなって」
「トーラスって
「まったくだ! 一番付き合いの長い相手が誰なのか忘れているようだな」
「何でそこそんなに引っ張るの?」
「……長さしか誇るものがない、ってコト?」
「
「ひうう」
「いや今のはお前が悪いよ!? 俺を盾にしないで! どう考えてもお前が突然挑発してたから!」
光景が。
かつての光景が、蘇って。
◇◇◇
「────!!」
俺は棚を蹴り倒しかねない勢いで飛び退いた。
ヴィルヘルムはこちらの反応に、面白そうに笑みを深めた。
「おや。おやおやおや……再来? 本当に? あなたもしかして英雄本人じゃないですかあ?」
「……ッ。何を、持っている」
「ふふっ。何だと思う?」
右手を開いて閉じて、ヴィルヘルムはこちらの瞳を覗き込む。
心臓を泥まみれの手で撫でられるような不愉快さがせり上がった。
「……いや、知りたくはない、です。興味はあるけど、多分、従っちゃいけない興味だ」
「賢明ですねえ」
「よく言われます」
顔を逸らし、俺はヴィルヘルムから差し出されたポーションを棚に戻す。
「おや。オススメだったけど、お気に召さなかったかな?」
「単価が……」
「……一括購入なら確かにそれはナシですね」
◇◇◇
「怪盗団の件、手を引くべきだと思う」
四人揃っての食卓で、俺は席に座るなり、開口一番に告げる。
「……えーと?」
「二人に何件か、怪盗団関連の依頼が届いている。全部キャンセルする予定だ」
話のスピードについてこれず、レミアとスペードソードさんが目を白黒させる。
そんな中で大皿から炒め物を取り分けつつ、エイミーがせせら笑う。
「どんな風の吹きまわしなんだい? ボクらの保護者になってもらった覚えはないけど?」
「ヴィルヘルムの持ってるカードが分からない」
「……へえ。接触したのか」
偶然だ、と渋い表情を浮かべて答える。
「この間の態度もそうだったけど。ほとんどクロの状態でも余裕を崩さないのは、クロだと思われてもいいからだ。要するには多分、全部を敵に回してもひっくり返す自信があるんだと思う。騎士団総がかりで潰してもらうのが一番安全だ」
「そっ、それは……」
スペードソードさんが声を上げる。
言いたいことは分かる。騎士団で踏み込んだ結果が現状だ。
「ええ、難しいですよね。カイムさんは忘れてるかもしれないけど、この間だって、本当は追い詰めてたはずなんですよ? でも最後まで詰め切れなかった」
「そうだ。でもあれはのらりくわりとかわしてたけど、本気じゃなかったんだと思う。あいつは多分……あの場で俺たちが剣を抜いてもまったく意に介さなかった」
「推測の根拠は?」
「ない」
俺の返答に、エイミーが眉根を寄せる。
「どういうことだ? 意味が分からないぞ」
「直感だ。あれは迂闊に障らない方がいい」
「人任せにすると? 違うだろ。フン……なるほど見えてきたぞ。カイム、君は自分の手でケリをつけなければならない案件だと思ったわけだ」
ギャー!!
なんでこいつさらっと名探偵役こなせるんだよ。会話の中から他人の心理を読むのが上手すぎる。何なんだマジで。
「……ふーん」
「……へえ?」
食卓の空気が完全に冷えた。ヒエッヒエだ。
レミアが信じられないものを見る目で見てくるし、スペードソードさんはクローバーさんモードなのにマジで剣呑なまなざしを向けてくる。
「あーいやそうじゃなくて……いや……そうなんですけど」
「カイムさん、やる気になってもらえるのはうれしいですけど、それを私たちから隠すのはよくないと思います」
はい。おっしゃる通りです。
「……か、カイムさん。そのっ、えっと……や、やめた方が、いいって、おも、思ったのに……一人で、やっちゃ、やっちゃおうとするのは……」
スペードソードさんですらマジレスしてくる。
俺はうつむき、返す言葉のなさに震える。
「へえ。ソラ君は随分と、カイムを前線に出すまいと考えているようだね。だが、君とてこの間は単独行動に走ったわけだ。同僚や親御さんは心配していないのかい?」
「……さっ、探りの会話は、や、やめましょう」
声が震えまくりのクローバーさんモードではあったが、スペードソードさんはエイミーの問いに明確な攻撃的反応を示した。
俺は静かに、レミアに目配せをする。レミアはパスタをフォークにきれいに巻き取るのに必死でこちらを見ていなかった。おい、目配せぐらい察知してくれ。
「わっ、わたしに、な、仲間とか……おや、親なんて……い、いません」
「……それは」
「さっ、さ、最強の騎士だから、です」
おいどーすんだよ、これ。
俺が原因だけど、食事する空気としてマジで最悪なんだけど。
俺が作った料理、もうレミア以外誰も手を付けてないんだけど。いやこの状態で食事を続行できてるレミアが凄すぎるんだけども。
「ソラ君は、まだ手を引く気がないと言いたいわけかい?」
「は、はい。そうです……英雄の、さっ、再来の……手を、借りる、ひっ、ひつ、必要は、ありません」
スペードソードさんの言葉に、俺は腕を組む。
正直に言う。
俺は明日、ヴィルヘルムに奇襲をかけるつもりになっていた。
屋敷の構造は把握している。警備だって手厚くはない。こちらからファーストアタックで制圧する気だ。冤罪だったらもう親に土下座して牢に入る。だが冤罪じゃない。これは確実だ。結果的に証拠が出てくればいいし、出てこなくても、とにかくヴィルヘルムを再起不能にできればそれでいい。
「まあ、俺も出しゃばりたいわけではありません。騎士団の対応をまず待ちますよ」
「「………………」」
エイミーとスペードソードさんが揃って、嘘つけ、みたいな視線を向けてきた。
クソが。何か、トーラス時代から思ってたけど、俺が組むパーティのメンバーが俺の嘘に対して敏感過ぎる。
「カイムさん」
「はい」
レミアに名前を呼ばれ、思わず敬語で返事をする。
もうこれ以上の説教はさすがに勘弁してほしいと思ってると、レミアは空になった大皿を突き出してきた。
「おかわりありますか?」
こいつ大物になるわ。
◇◇◇
夕食を終えて、月明かりしか差さない夜更け。
俺は日が昇れば真正面からヴェルトスタイン家を襲撃するために準備を整えていた。
エイミーからもらった剣の改良版や、個人用に購入したポーションを挿した弾帯ベルトを点検する。
「…………」
装備を整えながら、自分の中に渦巻く不安を丁寧に紐解く。
あの時、握手をした時。
距離を取らねばならないと思った。
距離を取らねば、
奴は何を持っている。何を抱えている。何を切り札としている。
相手の思惑を読み切れずに攻めるのは危険だ。しかし、猶予はないと感じる。騎士団の対応を待つと言ったが、騎士団が奴を刺激すれば、いよいよ本番が始まってしまうと思った。
怪盗団を立ち上げたのが仮に奴だとして……聖遺物を集める理由は何だ。
聖遺物を集めて何がしたい? いや、集めるのは手段と目的、どちらだ?
「…………クソッ」
頭をかき、ベッドわきの水差しから、冷たい水をコップに注いで呷る。
情報が少なすぎて予想ができない。
参ったな。
『トーラス、相手の考えを読み切ろうとするのは君のよくない癖だ。深く考えるな。とにかく、切れ!』
……かつての仲間の言葉を思い出し、薄く笑う。
まあそうだよな。これはやばいぞと思ったら突撃するしかないのだ。
いや~~~~でもこれ冤罪だったらどうしようかな。本当に。ちょっと怖くなってきた。冤罪だったらどうしよう。単に怪しくて俺のセンサーに引っかかるだけだったらマジで詫びるしかなさすぎる。
うんうん唸りながら、俺は気分転換のため部屋を出た。
足音を殺しながら廊下を歩き、一階に降りる。ちょっと夜の散歩に出ようかと思った。
ダイニングを通り過ぎようとした時、夕食を食べたダイニングテーブルの上に、何かメモが置かれているのが目に入った。
何だこれ。こんなのあったか?
手に取り、書かれた内容を読む。
背筋が凍った。
◇◇◇
『カイムさん』
『わたしなどを雇っていただいて、ありがとうございました』
『王国最強の騎士として、わたしは、発生すると予期されている災いを排除せねばなりません』
『あなたの言葉を聞いて、疑念が間違っていなかったと確信を持てました』
『ヴィルヘルム・ヴェルトスタインの捕縛に向かいます』
『カイムさんは、英雄の再来と呼ばれるのには、少し相応しくないと思っていました』
『だってあなたは、普通に良い人で、優しくしてくれて、気を遣ってくれて』
『……だから、普通に幸せになるべきだと思いました』
『大丈夫です。わたしはもう、普通の幸せなんて必要ない身』
『あなたのような人々の幸福を守るためにこそわたしは存在します』
『だから』
『心配しないでください』
◇◇◇
ソラ・スペードソードはフェイスガードを装着し、魔力を編み込んだ鎧を身に纏って、月明かりの下を歩いていた。
(地下水道を用いた移動は既に種が割れている。騎士団も網を張っているだろう……しかし相手は馬鹿ではない)
歩いているのは、ヴェルトスタイン家の屋敷から少し離れた路地裏。
再開発地区に指定された、いわばスラム街だ。
(この区域ならば人の行き来や物資の搬入は感づかれにくい。もちろん長期的に続けていれば騎士団とて気づくが、短期的な備えに限ればこれ以上の条件はないだろう)
ソラは怪盗団が、地下水道とは別のルートを用いると読んでいた。
そして彼女の推測を裏付けるように、乞食や失職者の姿が、彼女の進む道には見当たらない。
(どうにかして、わたしがしっぽを掴まなければ……)
周囲の様子を窺いながら歩いていたソラの視界が開ける。
廃墟と化した集合住宅に囲まれた、子供たちがかつて遊んでいたであろう広場。
そこに踏み出たのだ。
「……もう言い逃れはできないな」
ソラの視線の先には、驚愕に凍り付く男たちと、彼らの奥でナイフを研ぐヴィルヘルムの姿があった。
「へえ? 停職中の騎士さんが、何故甲冑姿で?」
「貴公らを止めに来た」
「止める? 今俺たちが何をしているっていうんですか?」
最強の騎士の視線が、彼らのすぐそばに転がっている各種装備に向けられる。
「鍵破り用の道具……城に侵入するための道具……やはり最終的な目標は、王城の宝物庫か」
「うーん、何のことか分かりませんね」
「話は、牢に入れてから聞く」
状況証拠は既に揃っている。
確実に、ソラは最高のタイミングで現場に踏み入った。
(なのになぜだ)
彼女の背筋を、広場に入ってからずっと寒気が撫でている。
間違っていると。この行動は、この選択は、過ちだと本能が叫んでいる。
(……いいや! まずは制圧だ! ここに現れた時点でもう他に選択肢はない!)
眼前に並ぶヴィルヘルム率いる軍勢は、既に臨戦態勢を整えている。
まなじりをつり上げ、ソラは起動言語を発する。
「『
ソラの固有魔法が開放される。
自身を起点として、周囲に絶対零度の冷気を展開するソラ。
逆らえる者などいない。
──はずだった。
「『
ヴィルヘルムが冷酷に告げる。
凍り付いたはずの世界での発声。尋常ならざる事態。
ソラが目を剥くと同時、凍り付いたはずの世界が、音を立てて砕け散る。
「な……!?」
「失礼でしょう、スペードソード卿」
嘲笑を浮かべてヴィルヘルムが右手をかざす。
「あまり殺しはしたくないのですが……流石に、王国最強の騎士が相手となると、出し惜しみはしていられませんね」
「……! 出し惜しみしなければ、わたしをやれるとでも!?」
ソラの問いに、ヴィルヘルムは嘲笑を浮かべる。
「あなたが試してみればいい」
「ほざいたな────!」
ソラの周囲で空気中の水分が凍結し、次々に氷の刃と化す。
腕を振るうと同時に無数の刃が飛び、しかし魔力の光に迎撃される。
(……ッ。実力は拮抗しているとでも!?)
展開した氷の刃が、魔力の光弾と撃ち合う。
互いの砲撃を叩き落とし、砕き潰す。
「何だ!? 貴公、何をしている!」
明らかに、ソラと渡り合える技量ではない。
だというのに確かにヴィルヘルムは、正面から王国最強の騎士と渡り合っている。
問いかけに対して、彼は酷薄な笑みを浮かべる。
「魔王の右腕だよ」
「……ッ!?」
そこでソラは気づく。
正面での彼との迎撃には、自分の全身全霊を費やす必要があった。
だから、彼の部下がすぐそばに迫っているなど気づかなかった。
「……貴公は囮か」
「いえ。囮ですが、本命でもあります。意味は分かりますよね?」
砲撃のやり取りが止んだ。
ソラの首筋には十に迫るほどの刃が突き付けられている。平時なら問題ないが、目の前にヴィルヘルムを控えていると──片方に意識を振った瞬間に、片方によって殺害されるだろう。
「……だが!」
絶死の窮地に追い詰められて尚、ソラの表情に陰りはない。
「わたしは最強の騎士だ! そのために存在する! 市民の安寧を守り、未来の平穏を守る! そのためならば、わが命など惜しくはない!!」
「ヘェ……つまんない方の人だ。じゃあここで死んでおきな」
ヴィルヘルムは右手を伸ばすと、親指を真下に突き立て、攻撃用の魔法陣を展開した。
それを合図として、ソラを包囲する軍勢、四方八方から魔力砲撃が放たれる。
「さよなら、最強の騎士さん」
放たれた魔力光がソラの視界を白く染め上げた。
◇◇◇
圧縮し、収束し、指向性を持たされた魔力光たち。
それらは放たれた後、ぐいんと大空めがけて軌道を変えた。
月の周囲に浮かんでいた夜の雲が吹き飛ばされる。莫大な魔力反応に王都のあちこちで光が灯され、騎士団が動き出す。
「なんで」
「ここにいるのか、って?」
俺はソラさんを包囲してた部隊を地面に転がせた後、ヴィルヘルムの手を魔法陣ごと真上に撥ね上げた。
両足を地面に噛みとめる。
思い切り右の拳を彼の鼻っ面に叩き込んだ。
「ご……ッ!?」
ごろごろと転がっていくヴィルヘルム。
俺は拳を胸の前に掲げる。
「決まってんだろ馬鹿が……! ウチの事務員を相手に何してます? 殺すぞお前」
跳ね起きるヴィルヘルムと視線を重ねながら、俺は凄絶に告げた。