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「よぉ~新人君、初めての任務だからって緊張してんのか? すっげぇおっかねぇツラしてんぞ」
鬱蒼と生い茂る森林地帯の奥地、呼吸するだけで苛立たしさを与えてくるような高い湿度の空気の中で俺の名を呼ぶ軽薄な声を耳にした。
「緊張? いえ、むしろ早く事が始まらないかと焦れているくらいですよ」
声の元に振り返りつつ言葉を返す。視界の先で声と違わずに軽薄な笑みを浮かべる隊の指揮官が余計に笑みを強めた。
何が面白くてこの人は笑うのだろうか。これからこの隊が果たさなければならない任務は信仰上の正義のために重要な事で、悪を根絶やしにするためには決して失敗できない事とされている。それなのに、気の抜けた軽薄な笑みを浮かべ続ける指揮官には任務の遂行において精神が弛んでいるのではと胸中で渋い感情を抱いてしまう。
まぁ、それを顔に出す気も指揮官本人に指摘するつもりもないが。
俺はただ、この先に隠れ住む悪を根絶やしにできればそれでいい。
「始まる前からそんなに気張ってると事の最中にへばっちまうぞ? 周りを見てみろよ、ベテラン達はみ~んなリラックスしながら準備してらぁ」
「リラックス、ですか……」
促されるままに周囲にいる他の隊員達へ順繰りと視線を向ける。
談笑しながら防煙マスクの紐を調整する隊員、耐炎マントを丸めて枕代わりに仮眠をしている隊員、隊の備品である油を少しだけ無断使用してナイフを磨く隊員、火種に使うはずの発火石を無駄に消費して葉巻に火を点けている隊員。誰もが思い思いにリラックスしながらのんびりと任務の用意を進めていた。
「何名か隊の備品を横領してますが」
「あ~、良いんだよ別に。どうせ全部燃えて無くなる、横領の証拠なんて残らねぇって」
指揮官が更に軽薄な笑みを強めて俺の眉間へと指差した。どうやらこの弛みきった規律と弛みきった雰囲気に胸中の渋い感情を飲み込み切れず、俺は眉間を寄せて深い皺を刻んでいたようだ。
「優秀だと噂の新人騎士君は堅物だな」
「正義の聖堂騎士団がこんなにも弛んでいてもいいんですか」
「正義……正義ねぇ」
今しがたまでの軽薄な笑みから一転、感情の読み取りにくい曖昧な笑みとなった指揮官が口の中で転がすように言葉を繰り返す。
「そういや、新人君は故郷をヤツらに焼かれたんだっけか?」
「はい」
「で、その報復のために正義を掲げて異教徒のアイツらをブチ殺す我ら聖教騎士団に入団したと」
「端的に言えばそうですね、故郷の皆がされたのと同じ仕打ちでブチ殺してやりたくて正義の下にいます」
特産物は特に無し、観光の目的になるような物珍しい物も無し、いたって平凡な田舎の村だった故郷はとある夜に突然火の海に沈んだ。
父の遺体は見付からず、母はほとんど元の姿の面影が無い姿で見付かり、隣に住む老夫婦や村外れにすむ幼なじみの家族、村の誰もが皆同じく凄惨に焼き殺された。
あの日の事を思い出さない日はない。いや、一時たりとて忘れた事は無い。
『大丈夫、きっと大丈夫だから。私はお姉ちゃんだから、絶対に貴方を守るからね』
村の異変に気付き、寝惚けていた俺を連れて逃げようとした姉も焼き崩れる家の柱の下敷きになり、それでも俺を庇いながら焼け死んだ。
姉が命を落としてなお俺を抱き締めたままでいてくれたから俺は辛うじて焼け死なず、たまたま降り始めた大雨が火事を消し止めるまで命を繋ぐ事ができた。たからこそ、今俺はこうして生きている。
「何処かにひそんでいたヤツらが騎士団に追われ、苦し紛れの悪足掻きで俺の故郷に火を放ったと聞いています」
生き埋めになっていた俺を助けた当時の騎士団から聞いた話しだ。
そんな理由で争い事とは無縁だった皆が死んでしまったのかという怒りと悲しみで握り締めた拳の痛みも未だに俺は覚えている。
「ヤツらが協会の教えに背く異端だの協会がヤツらにとって昔ながらの安息の地を奪う乱暴者だというのはどうでもいいのですが、そんな争いのとばっちりに俺の故郷を焼いたヤツらは殺し尽くさなければ気が済まないんですよね」
「堅物だと思ってたが実はバイオレンス野郎だったか。一応この隊にも信心深い隊員はいるから教えがどうでもいいとかって言っちゃうのはほどほどにな」
大袈裟に肩をすくめ、またも軽薄に笑う指揮官。
何が面白いくてそんなにも笑えるのだろうか。報復ばかりを考えて今まで生きてきたからなのか、何かに対して心底面白いと感じる事が無くなってしまった俺にはやはりわからなかった。
「まぁそれはそれとして、もう少しで開始だからちょっとは休んどけや。途中でへばってヤツらに反撃されたら痛い目見るのは新人君なんだからよ」
「はい」
了承の返事を返したものの、報復への思いが猛り狂って休む気にはなれなかった。
だってそうだろう、俺の全てを奪っていった憎い相手達にこの手で報復できる時がすぐ目の前に迫ってきているのだ。身体中が軋むほどに肉体を鍛え上げ、血豆が潰れて血液を散らしながらも剣を振り続け、俺にとって欠片の救いにもならない聖書の全てを暗記してまでヤツらを殺すためだけに設立された騎士団に入団したのはこの時のためなのだ。
『守、るから……おね……ちゃ、が……』
報復のためだけに生きてきた。
身を捨てて、命を捨てて、俺を守ってくれた優しい姉を奪ってのうのうと生き延びた血も涙もないヤツらの同族を根絶やしにするために俺は生きてきた。
いつまでも耳に残り続ける姉の声が俺を報復に駆り立てる。
任務開始、火を放て。
その一言を合図に、俺達の隊はヤツらの隠れ住む森に火を放つ。
あぁ、かつて俺の故郷もこんな光景だったのだろうな。と、夜闇を赤く塗り潰して燃える炎に包まれる木々や家々を見て思う。
あぁ、こんな悲鳴を姉と共に倒壊した家屋の下で耳にしたな。と、ヤツらの内一人が軽薄な笑みを浮かべたままの指揮官に斬られた苦痛に喘ぐ絶叫を聞いて思う。
あぁ、なんで報復に燃えているはずだった俺の心はこんなにも虚しい気持ちに満ちているのだろうか。と、黒い煙に遮られた星空を仰いで思う。
『神、さま……ど……うか、おとうと……だ……け……は』
そこかしこから聞こえてきていた悲鳴も聞こえなくなり、ただ燃え盛る木々の弾ける乾いた音と炎に煽られた熱風の轟だけが耳を打つ。
相変わらず俺の心は虚しいまま、耳に残る姉の声が悲しい音色で何度もこだまする。
「よぉ~し、反撃も無くなったし粗方片付いたな。でもまだもう一仕事残ってるからな、油断すんなよ」
ヤツらは家の裏に穴を掘って地下に倉を造る、そこに隠れてるのも全て仕留めろ。と、隊の全員に通達された。
反撃するだけの力が無かった者や恐怖に混乱した者が逃げ込んでいるだろうからくまなく探索しなければならない。その逃げ隠れした者達には女子供も多くいるだろう、それすらも殺し尽くすのが正義なのだと、正義の執行に一切の容赦は必要無いと改めて指示される。
正直なところ、俺も正義と口にはするが協会の掲げる正義とやらにあまり興味が無い。俺はただ、故郷が焼けた日から消えずに残っている怒りと悲しみによって生じる報復への欲求を満たせればそれでいいと思っている。──思っていた。
虚しい。
怒りはある、悲しみもある、耳に残る姉の声もこだまし続けている。故郷を焼いた顔も知らないヤツとその同族を許せない思いもある。
それなのに、報復を行っている今がただただ虚しい。
なぜこんなにも虚しいのか、俺はこの報復を成し遂げるために今まで生きてきたのではないのかと、自分の事がわからなくなりながらも指示に従ってヤツらの残党を探す。
何処かから疎らに聞こえる悲鳴、隊員の多くはヤツらの作った地下の倉を探索しているのか赤い景色の中に動く人影はほとんど無い。
そんな赤ばかりの景色の中、崩れて半分ほど焼けた家屋の影から小さな人影が飛び出したのを目撃した。
ヤツらの子供か。敢えて焼ける家屋の中に身を隠して逃げる隙を伺っていたのだろうか。もう少し隠れていたのならば騎士団の目から隠れきれたのかもしれないが、炎の熱と煙の苦しさに耐えかねて逃走を決めたのだろうと推測しつつ無感情に追いかける。
ただ火を放って焼き殺すのではなく、この手に握る剣で直接斬り殺せばこの虚しさも晴れるのだろうか。そんな思考の元、走る小さな人影の行く手を自身の身体で遮って抜剣。
全力の一閃で斬り殺してやろうと上段に大きく振りかぶる。
小さな人影にとって俺は突然現れたような状態だったのか、それは俺の胸に顔を強かに打ち付けてからその衝撃で跳ね返って尻餅をつく。
「アッ……」
混乱したように目を丸くした小さな人影が次の瞬間には俺を見上げて顔を絶望に染める。
そして、小さな体躯で胸に抱いていた更に小さな塊、ヤツら幼子を庇うように強く抱き締め、そのまま覆い被さるようにして俺へと背を向けた。
何故なのか、振り下ろそうとした剣を振り下ろせない。
「コッ、コロサナイデ……」
長く細い耳、絹糸のような細く美しい金の髪、日焼けを知らないかのような白い肌。
なにも似通う所なんて無いのに、豊かな黒髪と日々の野良仕事で薄く日焼けしていた姉と面影が重なってしまった。
「ドウカ、オトウトダケハ、ミノガシテクダサイ」
ヤツらの、エルフの姉弟なのだろう。
種族も、見た目も、なにもかもが違うのに、燃える家屋に隠れてたせいでそうなってしまったのであろう姉の火傷が見える背中と、身と命を捨てて幼い弟を守ろうとする姿があの日の俺と姉を想起させたのか。
「オネガイシマス、オトウトヲタスケテ……アァ、カミサマ……」
『神、さま……ど……うか、おとうと……だ……け……は』
耳に残る姉の声が、目の前の小さな姉な嘆願と重なった。
怒りもまだある、悲しみもまだある、報復の思いは未だに滾っている。それなのに、心に満ちていた虚しさが暴発して溢れた。
俺にはもう、この剣を振り下ろせない。
「お? どうした新人君、若いのに腰でもやらかして剣を振れなくなったか? オレが代わりにやってやろうか」
剣を振り上げたまま静止してしまっていた俺に近寄ってきた指揮官が軽薄な声を放ちながら腰の剣を抜く。
そこでようやく動き始めた俺の腕は指揮官の手元を掬い上げて剣を赤く燃える景色の何処かへと弾き飛ばした。
「あっ」
「あ、あぁ~~……うん、なるほどな」
思考の元にそうした訳ではない、反射的に身体がそう動いていたのだ。
俺と指揮官が互いに驚きがら顔を見合わせ、幾許の沈黙の後にエルフの姉弟を見た指揮官が納得したように頷いた。
「その姉弟をどうにかしようとしたら隊員が何人かおっ死ぬ訳か、優秀だと噂の新人君は剣の強さも噂になってたからな。そんなら今日ここで新人君は殉職した事にして消えて貰った方が得だな」
「……え?」
「どうせ全部燃えて証拠なんて無くなる、さっさとそのチビ供を連れて消えちまえ。わかってるだろうがもう人の街には帰らない方がいいからな?」
指揮官が大袈裟に肩をすくめて軽薄に笑う。
「ほら、隊員のほとんどが穴に潜って目の無い内に行った方が俺にとっても楽なんだ、さっさと行け」
「……すいません、ありがとうございます」
殉職した死人の謝罪も礼も聞こえねぇよ。と、いう軽薄な声を背中に投げつけられつつ鞘に剣を納め、焼けた背中を俺に向けて震える小さなエルフの姉と更に小さな弟をまとめて抱え上げる。
痛ましく焼け爛れた背中の負担にならないように、そっと。
「……タスケテクレル、デスカ?」
助けを懇願していたのは自分のはずなのに、助けられるとはまるで思っていなかったのだろう。腕の中から俺を茫然と見上げた小さな姉が訛りの強い口調で弱々しく問い掛けてきた。
俺はその問いに答える言葉を何一つ持ち合わせておらず、ただ無言で走り出すしかできなかった。
だってそうだろう、この姉弟から全てを奪ったのは俺と俺が所属していた隊なのだから。ここまでやっておいて今更感何が
「……アリガトウ、ゴザイマス」
熱と煙で体力の限界だったのだろう。たった一言、弱々しい礼の言葉を俺に与えた小さな姉が目蓋を落とす。
怒りと、悲しみと、報復の思いと、出逢ってしまった小さな姉弟を抱え、抱えきれない虚しさを溢れさせながら赤い景色に背を向けてひたすらに走り続ける。
走り続けた先でどうなるのかなんてわからない。
それでも俺は、この出逢ってしまったかつての俺と姉のもしもの可能性を見届けたいと思った。