男性には基本、男性保護警備員が同伴される。これは男性を監視しやすくすると共に、警備員が性的接触を行った場合における処分の度合い、対処のしやすさと抑止も兼ねてのことである。
ガチャリ、と音を立てて玄関を開ければ降り注ぐ昼間の明るさと共に、熱風の如く突き刺さるような暑さが俺の身体を犯す。熱い…汗も湧き出る…まるで興奮して腰を振る性的な行為をしているかのような沸き立つ身体に快楽は訪れない。うっと漏れ出る自身の声が少しばかり気持ちが悪い。
「…こんちは」
暑さに飲まれて気怠く挨拶をした。俺の目に映る少女とは、丁度知り合って1年と少しくらいになるだろうか…勿論表面上の関係ではあるが。
「こんにちは、いつもお世話になっています!」
「硬っ苦しいのは良いって…もう長い付き合いだってのに」
「いえ、流石に外でそのような態度は取れませんから」
「そっか…まあ入ってよ。ああ、荷物はリビングに置いてくれると助かる」
「はい、失礼します」
この暑さだ…一先ず中に入れさせる。彼女も仕事をしに、ここに来ているのだ。働いていない俺が大事に丁寧に招き入れなければ男として、というより人間として廃るってものだ。
ドサっと置かれた荷物を脇に、俺は彼女に目を光らせた。
「んじゃ、早速ではあるが…いつも通り味見と確認をしようじゃないか」
「早速ですか⁈良いですけど…もう少しゆっくりでも大丈夫なの…では?」
少し赤らんだ頬と息の荒さ…そして何よりも控えめな態度がよりそそるってものだが、この自信の無さを幾度となく裏切ってきたというのに…未だにそのでかい胸をフンスッと前に持っていけないような態度を取る理由は無いのにも関わらず、未だに崩さないとは…いや、寧ろこの場合は俺が何もかもを独り占めしているのだ。その弱気な意気込みから現れる謙虚さは実に好みである。
「いやいや、やるからには今ここで楽しまないと…勿体ないでしょ。…フヘヘ」
卑劣な声とニチャァっとした笑み…そして、訪れる静寂とお互いの心拍が脈を打って興奮を呼び起こす。この高まりは、ある種いけない麻薬だ。今か今かと待ち望んだ俺の欲が現れてゴクリっと生唾を飲む。期待の眼差しを向け渇望は今、臨界点を超えた。この燃えたぎる気持ちに間違いはない、これぞ正解なのだ。
「そんなに待ちきれないんですか?」
「言葉に出すまでもないだろうね」
ああ…早く、早く。俺は今にも快楽に身を寄せたいのだ。勿体ぶらずに早く言ってくれ、あの言葉を。
「では…」
ハッと息を呑む。ようやくだ…俺は今、ダービーに挑んでも良いくらいの希望に満ち満ちている。
「今週分のお荷物の受け渡しと廃棄物の受け取り作業、そして清掃と本日のお夕食の用意を開始させていただきます!」
「いよっ!待ってました!」
企業提携その1、代行サービスである。
「相変わらずこの部屋だけ酷いね〜」
笑いながらテキパキと散らかっている資料を、纏め上げる彼女の片付けは手際の良さといい…相変わらずである。流石というべきか、恐ろしく慣れたスピードで整えていく。その姿を見ていると賢さトレーニングを思い出してしまうが…負けじと俺も散らばったプリントを拾い上げ整理する。手伝わなくて良い、とか抜かしてるが…これは元々俺がすべき事なのだ。こっちの価値観など知らないったら知らない。
「そりゃいくら男だからって全部が全部世話になる訳にもいかないし…多少はね?」
「もう少し頼っても良いのに…」
「これ以上頼るものがあったら教えてほしいくらいだっての。ダメ男でも作る気か?」
他にも冷蔵庫の整理、ゴミ箱…部屋の隅々に至るまでの確認をされる。まあここまでされるのか…と問われれば一人暮らしということもあって必要事項なのだ。見られても困るものも無い…寧ろもっと俺の身体の頭からつま先まで隈なくチェックして欲しい、なんて冗談を胸に秘めてバレないように彼女の作業風景を見る。今はゴミ袋を丁寧に結んでいるようだが、彼女の姿はそれすら綺麗だと感じてしまうほどだ。
「ふう…っし。とりあえず散らかっているものも殆ど無かったし…綺麗に整理整頓してて偉い偉い」
「どうも…なんか舐めてない?」
ムッとした感情は隠せなかった。というか普通に掃除を含めた家事すら碌にしないこの世界の男が悪い、俺は悪くない。まあ現に一部屋だけ汚かったのだけれども…実際のところ、ああして汚くしてないと向こうが何故か残念な表情を浮かべてくるというジレンマが生じるのだ…解せぬ。何故か綺麗に整えたまま維持していたら、悲しそうな顔を見せて溜息をつかれる何とも言えない切ないような顔持ちを見せられた俺の気持ちはどうしたら良かったのだろう…挙げ句の果てには何で綺麗にしてるの?と問いかけられたくらいだ。その分、仕事しないで給料も入るってのに…どの世界でも女心というものはよくわからないものである。
「じゃあパーッと作っちゃうから、そろそろそっちの作業の確認をお願いしても良いかな?」
「無視かい…へいへい」
「そこは、はい…でしょ?」
「おかんかよ…」
「まって、せめてそこはお姉ちゃんにして!」
この世界ではそれなりに軽口を言い合える仲でもある、数少ない人だ。それにしても今日は絶妙なタイミングで訪れたな…汗まみれの姿を見せないで良かった。いくら匂いを消したとしても、頬を伝う汗が流れているだけで反応してしまう事もあるのがあべこべというものだ。
彼女はこの部屋に入るために必要な資格、『男性保護特別監視員』を持っている。警備員とはまた違うもので、毎日警護が付くわけではない。寧ろ一人暮らしをしている男がしっかりと生活できているか、を定める人…なのだが、警備員に比べて給料はそこまで高くはない。そこで監視員の値を上げるプランとして、日常生活の一部を変わりに代理してくれるというものがあり、俺の場合は一日3時間を一週間おきに依頼されている。そう…これはある意味企業側に付いた事による誤算というべきものだ。
何せ企業側からこのプランを組まなければ、ここでの生活は許可を得ることが出来ない…と述べられてしまったのだ。いや、正確に表せば少し違うのだが、これではどちらが依頼したのだろう…とはいえ、今ではこれでも満足している。
どれもこれも逸品とも呼べる待遇である。何より彼女は声の通りの良さが非常に心地よく、正しく元気溌溂といった言葉がよく似合っており、人と会うことがほぼ無いに等しい俺にとって、彼女と会う事自体が元気の源といっても過言ではない。
長い茶髪を後ろに束ね、女性にしては身長が高めな印象を受けるが、それこそそのスタイルの良さをさらに引き立たせている。黒い作業着から少しだけ覗かせただけで分かる美しい首筋とすらっと伸びている鍛えられた足は、レース前のパドックで見なくても良い程にその身体作りの良さを表していることもあって目線がついつい移動してしまうがどれもこれも、素晴らしいの一言で尽きるだろう。…一つ残念な点だけを除いて。
そう、人間なのである。ああ…人間でなくこの子がウマ娘であれば、間違いなく掲示板に入るほどに筋肉が美しい…それほどまでに均整が取れている、と素人が見てもそれがハッキリと分かるのだ。惜しい…実に惜しい!
と、我に返れば女性をマジマジと見るわけにもいかない。内心、失礼をぶっちぎっていたので心の中で謝りながら目線を合わせてみれば、その端的な顔立ちがより一層その気持ちを強めている。
ちょっとばかしそばかすは目立つがその青い瞳は時折、厚めの帽子の影からハイライトが覗かせたときに見える緑色と相まっており、透き通った綺麗な色をしている。まるで宝石のような美しさであるが故、吸い込まれそうな美貌に今にも飲まれそうだ。この世界の美少女の容姿レベル高すぎでは…?アイドルなんてものじゃ断じてない…恐ろしい片鱗を味わっているだろう。
この世界に来てそれなりの日数が経つが、いささか心臓に悪い。顔には出さないようにしているものの、未だに慣れないのはそのせいか。誰だ?美人は3日で飽きるとか言った奴は…。こちとらウマ娘アプリ実装までに年単位で待った猛者ぞ?我、お兄さまでお兄ちゃんで魚で薙刀で人参でマスクで商店街で紙飛行機でタオルでハチミーでお土産で釣竿ぞ?飽きたことなんぞ一度も無かったんだぞ…オタクを無礼るなよ?その間女性との関係なんて作ってないに決まっているだろう…いや、出来なかったが正しい。
そんなオタクが雲泥の差でも表せない大差勝ちを証明し猛者となった…ウマ娘の美的価値の高さによって何が引き起こされたのか?明白だ。あべこべによってさらに基準値を上げてきたのだ。つまりは…世の中美少女だらけとなった。美とはなんだ?と、ある種哲学的な問いが為される程のレベルである。
こんな美少女に耐性が生まれるわけないだろう…あべこべならば尚のこと慣れる機会なんて生まれないに決まってる。
だが俺は葛藤していた。あぁ、あの神々しい筋肉を触りたい…と。馬を撫でるようにじっくり、と触れたい。あのスペシャルウィークの太腿に果敢に挑んだ沖野トレーナーよ。人間相手でも邪な気持ちが多少は生まれるってものなのにあんた…本当に最高のトレーナーだよ、尊敬する。
「なんか私に付いてます?そんなに見られると…流石に資格持ちでも堪えるっていうか」
視姦は良くない…それはどの世界でも同じだ。それを言及するならばウマ娘の世界でのパドックは一体全体なんなのだろうか…という声も上がりそうだが、あべこべ世界では健全となっている。いや、寧ろ積極的に行っても咎められないという点では前世の競馬、ウマ娘をも超えた点であろう。あべこべ世界となったことで筋肉のつき方もより牡馬のような、芯のある美しさがある。それはウマ娘ではない女性も身体作りに力を注いでいる。だからといって誰に対してもジロジロ見ていいだなんて事はない。
「ああ、いや…いつ見ても手際良いなって。俺だとどうしても手を抜いたりテキトーに済ませちゃうからさ」
上手く誤魔化せるかどうか…、まあ何はともあれ結果オーライになりやすいが、油断は出来ない。向こうの性格上9割方平気である事は把握しているとはいえ…俺としても今更他の人に変えられてしまっては困る。この子だからこうして素顔を晒せられるのだ。
「あははっ!あたしは慣れてるだけなの!…っと料理の最中に話しかけないでくださいよ。危ない危ない」
「いやごめんごめん。そんなことよりも帽子を付けたまま料理するのもどうかと思うんだけど…。それ先外せば?」
「あれ?外してなかった?あっ…」
「おっちょこちょいかっ!」
だから、こうした隙を見逃さなければ良い。
彼女は恥ずかしかったのかおどおどとしながらも、帽子を外す。綺麗に整えられた髪の毛が軽く靡く。頭上を確認して見るものの、がっくり来る事この上ない…ひょこひょこと動く耳は無く、普通の人間の耳をしている。勝手に残念に思うこの性格はどうかとも思うが、いかんせん生まれてからというものウマ娘に対しての執着はより強くなってしまった…これはその代償なのではないだろうか?最早危険人物である。やれやれ…笑えない。
「それにしても珍しいですね」
その声に意識が現実へと戻ってくる。割と危ないところまで堕ちていた気がするが、気にしたら負けだ。
「何が?」
「いや、ウマ娘のトレーニング本だとか筋肉、栄養素に関する論文とか男の人って基本見ないと思うし…何なら毛嫌いしている人も居ますよ?それをあんな…部屋中に溢れさせてまで調べるなんて」
ああ、その事か…と少しだけ安堵する。今更感が強いが、ここ最近になってより資料の量も質も増えた事に対して疑問に思ったのだろう。
「まぁね。競バが好きな変わり者だし?筋肉とか駆け引きとか見放題」
ここじゃあ競バを話す相手もいないからなぁ…。どちらかといえばウマ娘が好きなんだが…そんなことを言えば変わり者からバカにランクが上がるだろうし、口が裂けても言えない。あの資料の山があった時点で隠し通す事は不可能ではあるが…ウマ娘が好きなのか、競バが好きなのかではやはり意味が変わってくる。
「ふーん…じゃあ、あたしの身体がどんな具合か見ることって出来るかな?」
「うわぁ…。そういうこと言っちゃいます?」
無茶振りとも呼べる要求…時偶にからかい上手をしてくる。こんな異性が現実に存在するんだな、なんて考えはもう捨てた。明らかに故意だと感じるくらいにタイミングが良い。火を止め、手の動きを抑え、完全に聞く気満々といった様子である。うわぁ…だなんて自身が実際に言うとは思わなんだ。ツインターボの実況でしか言っているのを見た事がないのに自然と発していたっていう事は、それと同レベルな反応だということを知る。
「あたしだってそれなりに筋肉には自信があるっての!ほらほら、物は試しっていうじゃん?それにウマ娘と人間って見た目的にそこまで変わらないし…うんうん、イケるって」
「いや、割とで表せられないほどに違うし、簡単じゃないんだけれども…。全く違う生き物の構造に対して同じように見抜けられるなら、トレーナーも苦労はしな…あ?」
よく見たら何となくだがどこかを庇う動きをしている。特に腰の下…腰椎の4番目を中心にして痛みを庇っているのか?そのせいか下半身の筋肉に少しだけ負担がかかっているように見える…若干ではあるが筋肉の動きが普段と比べてぎこちない。ここは素直に思ったことを言って見よう…特別何かがある、なんて事はない筈だ。俺の言葉は、ただの戯言に過ぎん。
「腰の筋肉でも痛めた?なんというか足に疲労が残ってるように見えるんだけど」
見たままに、自然な口調から発せられたその答えは意外にも不意をつかれたようだった。彼女の趣が少しばかり硬くなったように察する事が出来た。そしてそんな表情を向けたのが意外だった。
「なんでそう思ったの?」
「いや、なんとなく…だけど」
「…すごい」
ボソッと呟かれたその言葉に俺はどう反応すれば良いのか分からずにいた。目線は下へ下へと向かい、手は口へと向かわせている。その瞳は何処か悲しげであった。
「いやいや、真に受けてどうすんの」
何年ぶりだろうか。いや、生まれて初めてだろう。こんな作り笑いをしたのは前世以来だ。何かと気まずい空気が醸し出され、部屋全体が暗く、重くなる…こんな時、どうしたらいいものか随分と経験していないから、わからずに俺自身の心もソワソワと嫌な胸騒ぎを覚えていた。そんな時だ…震えながら肩を揺らしている彼女の口元を微かに覗く事が出来た。
「やっぱり君を揶揄うのは楽しいな…ヒヒっ」
久々にキレそうになった。年上のくせに俺の純粋な気持ちを弄びやがって…。
「来週から他の人に来てもらうように手配しとく。別に料理は君からの要望によるものだしな」
その発言に不味いと思ったのか、焦りの表情を浮かべてこちらに懇願してきた…そこまで迫らなくてもいいだろうに。
「わかった、わかりましたから。腰回りが少しばかり痛いというのは本当だったから、それを見抜かれないように嘘をついただけなんです。この後は数日間しっかりと休めるし…だからそのスマホをしまって欲しいの!上に連絡だけはしないで欲しいの!」
「…腰が痛いのは本当なのかよ。何で言わなかったのさ」
偶然にも当たったみたいだが、こんなものが当たるくらいなら馬券を当てたい…馬券なんてものすらないけれども、あべこべ世界ならあるかもって期待していたんだが、そうはなっていなかった。あと仕草が妙にあざといってのもなぁ…ウィンクしながら手を合わせてごめん、なんてポーズする人居るんだな。
「あ、そ…そうだ。ウマ娘が好きなら今季1番注目している選手は誰かな?」
話を変えてきた…そこまで慌てるようなことでも無いのに、大袈裟な反応。気にしてほしく無いのだろうか…無闇に深掘りしてはいけない予感もあって聞かない事にした。別に聞いたら聞いたで面倒だし。
今季…今季ねえ、とふと考える仕草を取る。脳内に焼き付けるかの如く記憶に残っているウマ娘のレースを、一瞬で処理し答えを導き出す。俺の中にあったのは二人だけだった。
「客観視すれば圧倒的にメジロマックイーン。個人的には…アイネスフウジンかなぁ」
その言葉に嘘偽りはない。
「…んで…何でその二人なの?」
「何でって…何がよ?」
なんというか…意外というより動揺の方が大きいって感じの聞き方だ。何故彼女がそのような反応を見せるのか、俺には理解出来なかった。
「いや…さ?メジロマックイーンってデビュー戦…確か3位で負けてなかった?アイネスフウジンも2着だし、今年だったらそれこそメジロライアンとかゴッドクレッシェンドにイクノディクタス…シラホシ、ヴァイスストーンに…ロイヤルフローラとかじゃない?彼女らが出る幕って無いような気がするんだけど」
やけに詳しいな…君もオタクかい?
「だったらダイタクヘリオス、メジロパーマー…ラブセカイ、キタウィリハフ、レッドルビーも捨てがたいよ。それでも…特に中距離から先は、あの2人には敵わない」
「何で?」
俺は見逃さなかった。ここにある展開を加味すると、自然とこの2人にしか絞れない。何より負けたからといってデビュー戦の時点で決定的な差がある。
「まだ時間があるし嫌じゃなければ一緒に見る?運良く選抜レースとデビュー戦の動画を入手出来たんだけどさ」
「…へ?」
見逃さなかったのは、何も俺1人だけとは限らないだろうが…仮令(たとえ)勝利の女神が見逃していたとしても、誰かがちゃんと見ているものなのだ。
むんっ!むんっ!!