彼はヒトではないけれど、きっと人間だった。夜と地下の王になるのだろう彼は、けれどずっと言っていた。最も陰鬱なる御方(グレートセブンの一)はもういない、神々の時代は終わったんだ、と。#嘆きの島メイド企画(https://twitter.com/yu_favor/status/1404411619040399365 )参加作品。高位吸血鬼イデア・シュラウドと別に味方と言うほどでもないけど人並みに坊ちゃんを扱って島に骨を埋めたメイドのお姉さん。※ツイステ受動喫煙※シュラウド家吸血鬼設定※シュラウド家が奴隷抱えてる

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「向こう側」なんてどこにもない

 

 マリア・トラレスは、主君エリザベート・ブラウンの嫁ぎ先に大層不満だった。エリザベート・B・シュラウドは輝石の国北部の宝石商の娘で、マリアの自慢の主だ。旦那様がエリザベートより十三も年上なのはままあることとしても、シュラウドには既にまだ言葉も話さない幼子がいて、しかも旦那様本人はまだしもその弟君などはエリザベートの胎が目当てであることを隠そうともしない。

 

 トラレスは三世紀半もエリザベートの生家(フォン・ブラウン)に仕えている従僕の家である。輝石の国は貴族制を廃して久しいが、制度が無くなろうと一朝一夕に実の部分が消え去るはずもない。ブラウン家当主が男爵位でなくなり、フォンの称号が消えた後にもトラレスが離れることはなかった。マリアも叔母同様、基幹学校を卒業してすぐに御令嬢付き(ウェイティング・メイド)の一人として働き始めた。それだから持参金やらについてシュラウドの方が随分譲ったのだとしても、マリアの主人(ミストレス)たるエリザベートを軽んじる者を彼女は心の内で決して許さなかった。

 

 そもそも輝石の国ではなく天界山の麓、それも海を隔てた孤島であることも、その中でもよりによって「人喰い」「炎の怪物」「半死人」と囁かれる「呪いの家(嘆きの島のシュラウド)」であることも不安の元でしかなかったし、それからそこで紹介された同僚──語弊があるにせよ──が実のところ使用人どころか奴隷(この時節に未だ奴隷制があるだなんて!)か、そうでなければ妖精族やゴースト(人ならぬもの)であったことも大層マリアを怖がらせた。神秘に疎い彼女にとっては嘆きの島の信仰もまた馴染みがたいものだった。ともかく二十一になる奥方付き(レディーズ・メイド)、マリア・トラレスにとっては新しい奉公先によいところなど一つも見当たらなかったのだ。

 

 おまけにマリアたちシュラウドの使用人は、毎日誰かしら順繰りに採血された。不気味な行いの理由が知れたのは、エリザベートが嫁いでから優に一年も過ぎた後のことだった。夜半に目の覚めたエリザベートのためにココアを入れに行く途中で、マリアは初めて、燃える髪の幼子──イデア・シュラウドが何かを口にするのを見た。

 

 とろみのある橙白色の果肉飲料に、鮮やかとは言い難い臙脂色(カーマイン・レッド)が垂らされるのを、扉の影でマリアは確かに見た。そのゴム栓付きの試験管は、つい三日前に見た採血用試験管(バキュテナー)に違いない。「人喰い」「半死人」──炎の髪のシュラウドは、きっと吸血鬼(ヴァンパイア)だ。

 

───***───

 

 マリアの直接の主人はエリザベートであるので、その夫や義息が吸血鬼だったからといって何か勤務内容が変わるわけではない。ただ、輝石の国の娘の常として、マリアも吸血鬼によい印象がないというだけの話だ。まあ、それが大問題なのだが。

 

「あの、旦那様やイデア様は、吸血鬼(ヴァンパイア)なのでしょうか……」

 エリザベートのドレスを洗濯場へ持って行くと、丁度ファスマという名の奴隷の娘がいたのでマリアは恐る恐るそう聞いた。

 

エリザベートの連れてきた使用人とシュラウドの奴隷たちは、互いに互いを扱い損ねているようなところがあった。

 法律上の身分の上では、輝石の国の市民(主権者)であったマリアの方がファスマよりも上である。けれどこの島には稀に主家(シュラウド)に生まれる以外のヒトの市民などまず居ない。その所為もあって、ファスマたちは単に仕事の変わった同僚(奴隷)と同等に扱うのはいかがなものかとは思えど、実際にどうしたらよいのか測りかねた。

 一方でマリアたちの方も、輝石の国(Sの字も残っていたら)旧制度の(手が後ろに回るような)奴隷とは根本的に違うのだとは分かっても、奴隷という言葉の圧だけで混乱してしまうようなところがあった。その上、例えばこのファスマの家系はトラレスの三倍は歴史があるらしいが、それでさえ永遠に停滞する死者の国と地続きの、この島では新参の類なのだとか。輝石の国どころか、その前身になる鷹鷲国家連合のうちで最も古いものでさえまだ名のなかった昔からこの島に暮らす者達を、マリアたち新参者が蔑ろにできようはずもなかった。

 

「ええと、」

 ファスマはマリアの恐れが本物であるのを見て取ると、困ったように言葉を紡いだ。

 

「氏族、種族という意味なら、ヴァンパイアでは、ないです」

 天界山の麓の一族は、ヴリコラカスと呼ばれています、と彼女は言った。

 

 彼らがほとんど御伽話になりつつある輝石の国ではともかくとして、ファスマが言うには「吸血鬼」というのは「猫科の獣人」くらいの広い言葉らしい。一番身も蓋もない表現では血を啜るもの(ブラッド・サッカー)と呼ばれるように、彼らは血を介して繁殖する不死者(ノーライフ)*1の一端だ。広義の妖精族(フェイの一つ)であり*2、有性生殖を行うものと(少量の)輸血を持って原種族の特性を変質させるものとがいる。厳密な取扱いがされることは稀だが、前者の繁殖法を主として取るグループは種・亜種、後者の場合は氏族と呼ばれる。

 

 感染対象になる種族(多くはヒト属ヒト)との混血である半吸血鬼(ダンピール)や殊更に力の強い大貴種(ノスフェラトゥ)を別にしても、天界山のヴリコラカスやカタハナデス*3、輝石の国東部が発祥のヴァンパイア、茨の谷に多いモロイとストリゴイ*4、水晶の氷原に住むユピオールなど多岐にわたる。

 

 青炎の髪持つシュラウド一族は、天界山系吸血種(ヴリコラカス)のうちでも一等原種の面影の濃い亜種族にあたる。炎髪の長さに比例するように個人の差はあるが半身種人魚(マーメイド)並みに長い寿命を持ち、天界山系吸血種(ヴリコラカス)の特徴として陽光も祝福された銀も特段の脅威とはならない。人の血液は──ここでマリアは大層驚いたのだが──必ずしも必要ではなく、けれど長期間摂取しないとやはり痩せ衰えるためこの家(シュラウド)では順繰りに使用人から供出させているらしい(言われてみれば日に一人の使用人からしか採血しないのだから旦那様方は週に一、二度しかお飲みにならないのだ、とマリアは気がついた)。

 

「中でもイデア様は、あの長い御髪は」

 ここで、ファスマは畏れるように声を潜めた。それはまるきり、この島の住人がこの地と、そして地下を統べたる王に言及するときと同じ調子だった。

「あれは大貴種(ノスフェラトゥ)の証です」

 万年を生きる夜影の王。竜と同等の陰翳の支配者。子供の寝物語に語るにすら大仰な、不死者たちの王。踝までの長さで放蕩う焔を持て余すあの幼子が()()なのだと、千年の昔から骸布の家に仕えた一族の娘子は言う。巫女の託宣にも似たその言葉に撃たれたマリアは、そこでようやくファスマの瞳を見た。火炉にて溶けた黄金と同じ色の、ヒトならぬ瞳。千年もの間、冥府の一画に居を置き続けた一族の末裔なのだ、この娘も。

 

───***───

 

 シュラウド家当主の後添い、エリザベート・シュラウドは一度の流産を経て、自身によく似た髪と、夫と同じ地下に由来する金眼の男児を産み落とした。正しく覆うもの(オルト・シュラウド)と名付けられた半吸血種(ダンピール)の幼子は、四つ離れた腹違いの兄によく懐いた。母であるエリザベートはそれをよく思わなかったが、かといって全面的に接触を断つところまでは(何分当のオルトがひどく悲しむので)できないでいる。

 

 主人(ミストレス)であるエリザベート・シュラウドが早々に寝室で床に着いたため、マリア・トラレスは自身の寝室がある別棟(とかくこの島にとって地下というのは大切な空間なので使用人宿舎は地下室ではなく別建てである)に向かっていた。

 

 通りがかりの部屋から子供の声が二種するものだから、マリアはひっそり溜息を吐いてドアを叩いて、扉を開けた。確かに吸血鬼は夜陰に紛れるものかもしれないが、半分人間の、それも三歳の幼児が遊ぶにはかなり遅い時間だ。

 

 七つになる天災児(家庭教師に言わせると誤字ではない、らしい)と彼によく懐いた三歳の弟とが揃うと往々にしてとんでもない事態に発展するが、今日のところは二人してゲーム機(「がおがおドラコーンくん」だ。マリアも甥にねだられて誕生日プレゼントに贈った)を覗き込んでいるだけで、周辺も荒れていないことにマリアは安心する。

 

「イデア様、そろそろオルト様の御就寝の時間でございます」

 こういうことは乳母の仕事だとは思うが、如何せんシュラウドの乳母はゴーストがその任を務めており、彼女はどうにも昼夜の違いに鈍感だった。

 

 イデア・シュラウドはこれ見よがしに頬を膨らまし、仕方が無いとばかりに大きく息を吐いた。それから弟の頭を撫でつつ青の唇を開く。

「……うん。わかった。オルト、部屋戻る時間だって」

 こうして見れば炎の髪の怪物も、ただ異母弟を可愛がる幼子でしかない。新参の者、あるいはシュラウドのものでない住民には口がさないものもいるけれど、マリアがイデア・シュラウドを恐れる道理はなかった。寝物語に語られた恐ろしげな吸血鬼(ヴァンパイア)と目の前のこの少年とでは、共通点を探す方が難しい。

 

「うん。おやすみ、にいちゃん」

 にぱ、と笑ったオルト・シュラウドのその笑顔に、ああこの方もヒトではないのだ、とマリアは思った。通う血の少ないためか興奮しきっているのに頬は蒼白のままで、桃色の唇がむしろ不釣り合いにさえ見えた。強いて人間に例えるのならそれは病床に伏す少年の肌だったが、それでも彼の母親よりも余程、オルト・シュラウドは健康体だ。

 それはおそらく恐怖ではなくて寂寥だったが、マリアは時折この島には生命が馴染まないことを痛感する。ヒトが百年をかけて死に近付くよりもずっと速く、自分は亡者の群れに近寄っているような気がしてならない。

 

───***───

 

 当代当主の弟夫婦が「地下に呼ばれ」たのは、オルト・シュラウドがもうすぐ五つになろうかという七月のことだった。寿命の長さに反比例するように(あるいはそれよりもなお)根付く子の少ない冥府の一族のこと、三世紀は続く吸血鬼排斥の風潮も相まって、今や「嘆きの島のシュラウド」は現当主夫妻とその子ら二人だけになっていた。

 

 嘆きの島を出た親族を呼び戻す相談が決着するよりも早くに、その日はやってきた。嘆きの島にしては珍しいことによく晴れた、夏の一番暑い盛りのことだった。

 

 初等教育を受け始めたエリザベートの息子は丁度十日前、島に一つきりの港から出る船に乗って、彼の祖父母に会うために輝石の国へ向かった。船には父母を懐かしんだエリザベートは勿論のこと、その夫の方と(主には商いの相談のためだが)、また彼らを世話するための使用人も三人ばかり同乗していた(奴隷持ちと言うと輝石の国では風聞が悪く、また妖精族もゴーストも馴染む土地を離れることは心身に良くないために、この時に同行したうち二人はエリザベートが連れてきた者で、残りの一人は島の生まれでも既に解放された者だった)。

 父が商談に連れ回すには十一の少年はいかにも幼く、またエリザベートと血が繋がらないのを知っている身で弟と行動を同じくすることはできなかった。イデア・シュラウドは、残りの使用人と共に嘆きの島の屋敷に残っていたのを、この上もなく後悔することになる。

 

 地気(アーエール)の震えを覚えて、イデアは顔を上げた。大貴種(イデア)の耳に魂たちの囁きは光がアイテール(エーテル)を伝わるのと同じ速さで届く。何かあったらしい海岸へ青い鬣の黒夢馬(ナイトメア)を駆って急いだイデアの元に走り寄ったのは弟でも、まして父でもなかった。

 

「イデア様!皆様、旦那様と奥様が……オルト様、も」

 そう言って駆け寄るマリア・トラレスでさえも、左の腕に添え木をしていた。見覚えのない、おそらく緊急脱出用だろうスクリュー付きの小型ボート。言われてみれば蒼穹の高さとは裏腹に海原は妙に荒れていたような気がする。「呼ばれた」のだろう父は即死、我が子を庇ったエリザベート・シュラウドも既に冷たく、オルト・シュラウドの呼気は辛うじてまだ続いているものの、常よりもずっと微かだった。それでも遍く人が最後には地下に降りるように、彼らはこの島に帰り着いた。地下のもの(シュラウド)は海には還らない。

 

屋敷とお医者さんに伝令(Σ Τ Ε Λ Ν Ω Γ Ρ Α Μ Μ Α)あと、おばあさまにも(ΤΡΙΑΚΥΝΗΓΟΣΚΥΛΑΠΡΟΧΩΡΗΣΤΕ)!」

 イデアは、状況がさっぱり分からなかった。彼は確かに天才だったが同時に、心が理解を拒むことについてすっかり見ない振りをする能力も非常に高かった。それでもなんとか血中の魔力を燃やしながら呪文を唱えれば屋敷に詰めている使用人頭と、島の北側の森に住む木精(ドリュアス)の医師と、それから冥精(ランパス)高祖母(おばあさま)の三方へ、イデアの言葉を乗せた狩猟犬を模る青い焔が駆けた。

 

 この時ほど医学の道に進まなかったのを後悔したことはない。その時海岸にいた魔法の使い手はイデアただ一人だったのに、苦しむ弟に対して何もできなかった。

 

 イデア・シュラウドは、ただの子どもではないにせよ工学者だった。身体強化術でさえ、生来備わった再生力に飽かせて運用している。魔力の性質からして内向的で攻撃的で他者を癒やすにはこれっぽっちも向いていなかったし、それができるような相手を喚んで助力を乞うこともできない。主人(ミストレス)の化粧や宝飾品の管理を仕事とするマリアが、簡単な切り傷の手当程度しかできないように。

 

 既に半千年紀を生きる冥府の妖精族(ニュムペー)は、自分のほんの何%かしか生きていない子孫からの報せを受け取って、まっすぐにシュラウドの屋敷に向かった。いずれにせよそこに幼子たちは戻ってくるし、死にかけの少年のために彼女ができることは何もない。ベッド脇で手を握ってやることと、かつて当主夫人(ミストレス)だった経験からやらねばならないことを教えてやることの他には、何も。

 

 使用人頭はこの冥府の島に生まれ、そしてここの墓地に身を埋めるはずの男だ。この島の自由民(エレウテロス)の例に漏れずヒトではない彼は幼い主人の魔力によって遣わされた獣を一撫ですると目を伏せた。三人の部下の内誰が生き延びていてまた誰の体が戻ってきたにせよ、これから忙しくなる。

 

 月桂樹をルーツとするその木精(ドリュアス)がこの島でただ一人の医師であることは、彼の伴侶である柘榴の同族が助産師であることと合わせて、マリア・トラレスが島に来て一番初めに教わったことの一つだった。彼らは妖精のことほどには人の体には詳しくないが、それでも何百年と生きているだけあってマリアが頼るに十分と思えるだけの知識があった。その彼が言うには、けれどオルト・シュラウドの容体は既にどうしようもないところまで来ているという。

 

「どうしても?」

 その双眸、地下に眠る富の色を皓々と光らせてイデアが言った。年経るごとにいや増すという妖精(フェイ)の魔力は、けれど十年程度でもヒトを圧倒するには十分だ。幼げな言葉の響きさえ、恐怖を一層引き立てるだけのものだった。

 

「……貴方の血を流して眷属にすれば、あるいは」

 酷い流感にかかって胸骨の奥が軋むときのような、逆流する汽水の大河を目にしたような。生木が斧で切り倒される映像から逃げたくなるような、そんな情動に追われて、医師はそう言った。マリアは何も分からないまま、望みは濃くないのだろうと直感した。そればかりかきっと、失敗すれば余程酷いことになるのだろう、とも。それが分からないはずもないだろうに、幼い不死者は頷いた。

「や、やる。やります」

 悪魔の誘いに乗る人間のようだと思った。イデアの同種(ヴリコラカス)の遺伝によらない増殖の経路は、そのほとんどが()()()だ。異境の狩人を押し留めて蹂躙するための身体機能、外敵を染め上げて支配するための防衛機構。他氏族ならばいざ知らずシュラウドの眷属化は少なからず失敗することを、イデアは生得的に知っている。不死者が不死者に血を分けるのは更に危険な行いだと言うことも、自分の血が弟に対してさえも濃すぎるのも、大貴種(ノスフェラトゥ)たるイデア・シュラウドは知っている。

 

 万に一つの祈りが実るほど、(モイラ)はイデアを愛さなかった。あるいはかの女神らの憐れみよりも一層強く、かの地の王(ヒズ・モスト・ラグブリアスネス)は彼を愛したもうた。それだけの話だった。イデアの弟は、身の内からすっかり燃えてしまった。後には灰のひとひらも残らないまま、冥府の青い火に巻かれて彼の魂が消えていくのを、イデアは見ていた。マリアも見ていた。その場の三人が三人とも、見ていることしかできないでいた。

 

───***───

 

「ねえ」

 マリア・トラレスはきっと、配置換えになったあの日からずっとこの日を恐れていた。何かを振り切るようにして書庫に潜る黄金の瞳の主人が、誰の呼び声もすっかり無視して工学に打ち込む炎髪の少年が、樹脂に封入された一握りの灰をもう一度その手にする夜が来ることを、マリアは二年前からずっと、恐れていた。

 

「用意してほしいものがあるんだ」

 

 この島の中央に聳える憤怒の山の岩肌に露出する硫黄。遙か北の氷原の、そのまた向こうでだけ採掘される透明度の高い水晶。よほど大がかりで特殊な手術でもなければ使わないような沢山の医療器具。新品の超高清浄度錬成用の大釜(コールドロン)*5。ロット番号まで指定された魔導機器の部品が山のように。

 

 マリアは主人が何を望んでいるのか分からないなりに止めようと思って──思い直した。結局のところこの年若い主人は諦めるつもりなど始めから無いのだから、マリアでなければ誰かがやるのだ。

 

 この決断が正しかったのかどうか、マリアには終ぞ分からないままだった。この日のことを忘れることも、死ぬ間際になってさえ敵わなかった。それでも、正しくなくても、イデア・シュラウドがもう一度、笑うようになったことだけは確かだった。

 

 マリア・トラレスは魔法士ではない。錬金術師でもなければ魔女でもない。だから方々駆け回って集めたその機材でイデア・シュラウドが実際何をしたのか知っているわけではない。

 

 ただ。マリアはただ、まことしやかに囁かれる伝承を知っているだけだ。輝石の国で囁かれる、錬金術の秘奥の噂。それに目が眩んだ術士たちの起こした事件。今もなお狩られる吸血鬼の命。高位吸血鬼(ヴァンパイア・ロード)の生命力の源、血液とその根幹──心臓と脊髄こそが賢者の水銀(永遠の生命の大元)だ、という噂を。

 

 力を封じるための純粋な水晶、地下の王の膝元で採れる硫黄、複数本の骨髄生検針。鬼気迫る表情の主人に叩き出された奴隷の見たという、いかにも大切そうに扱われる爪先大の深緋の石。それでも、マリアは何も知らない。魔法士ではないから何も気がついていないのだと、そう言うこと以外にマリアには、ここに留まる方法が浮かばなかった。

 

 だけれど当然のことながら、誰も彼もがイデアの行いを肯定したわけではなかった。密やかと言うには露骨な囁き声は最早屋敷の外だけの話ではなくなり、あるいはそれがイデアのためだと面と向かって苦言を呈するものもいた。

 

「イデア様、誠に申し上げにくいのですがオルト様は、」

 その壁一枚向こうので発せられた言葉を聞いたとき、マリアは心底からその場を離れたくなった。イデア・シュラウドが「オルト」と呼んで連れ回す人型実体(ヒューマノイド)がその言葉を気に留めないとしても、だ。

 

 イデア・シュラウドがオルト・シュラウドの死を認識していない、などとどうして言うことができるのか、マリアには分からない。彼はその人型機械(アンドロイド)を「弟」と呼びこそすれ、一度だって「人間」だとは言わなかった。人魚も獣人も妖精も、時にはゴーストでさえ、あらゆる知的存在を等しく人類(ひと)と称するような彼の、ただ一つの例外だというのに。あの赤い石の置き場は機械の器(オルト)の胸元でなくイデアの自室の金庫の中だというのが、その証でなくてなんなのだろう。

 

「だ、黙って、」

 悲鳴だ、とマリアは思った。壁越しに聞こえてくるのは、動揺で声量の制御ができなくなっているからだろうか。それとも古い魔道の呪文のように、その言葉が大気以外のもの(アストラル)を震わせるからだろうか。

「黙、黙れよ!」

 叫びと同時に爆発した魔力の波動に、マリアは思わず磨いていた燭台を放り出して身を伏せた。魔力に鈍感なマリアが体勢を崩したのだから、人によっては津波か爆撃のようにすら感じるだろう。立ち上がって燭台を拾い上げる。壁の向こうの使用人(フットマン)は無事だろうか。反論の声が全く聞こえないから、気絶くらいはしていておかしくない。

 

「……イデア様」

 扉が開いても、そこの者の回収に参りました、と言ったマリア・トラレスを見上げても、まだイデアは落ち着かないようだった。自身とそう変わらぬ大きさの機械人形にぎゅっと抱きついたまま、異端なるもの、現代(魔導工学)におけるヒトの創り主(プロメテウス)と囁かれる少年は呟いた。

「この子は、歪みなきもの(オルト・シュラウド)だ」

 正しくヒトでなかったとしてもこのまっすぐなもの(オルト・シュラウド)はイデアの弟で、それが土台理解されなくても、結局のところ。

「僕が造ったものになんて付けようが僕の勝手、それでいいでしょ」

 正しいもの(オルト・シュラウド)でなかったとしてもこの弟はイデアの届きうる限りの傑作なのだ。それだけの話でいい。(オルト)が排斥さえされないのならそれで十分で、自分に対する理解など要らない。そう言う主人に、マリアは掛ける言葉を持たなかった。ふたりのオルトが別のものだということ、ダンピールの少年(エリザベートの息子)がもうどこにもいないこと、炎の髪の機械(目の前の少年)が全くのゼロから組み上げられたのだということを世界で一番よく知っているのが、他ならぬイデアなのだと彼女は理解していた。

 

───***───

 

 イデア・シュラウドは自身が長命種なのをいいことに全く妻帯しようとしなかったし、当主として全権を振るえるのをいいことに紙の書類はその一切を受け付けようとしなかった。農業から家事まで便利な機械をこれでもかと島に導入(正確にはイデア自身が開発)し、それで浮いた労働力は残らず市民籍を与えて島の外の学校に出した。神殿の管理こそ続けていたものの、火山(憤怒の山)の観測は魔導機に任せたし、碌々小麦の育たない農地は魔法薬向けの毒草にほとんど切替えさせ、それも大半は散水と照明の自動化された温室にして整然と並べさせた。足りないエネルギーは重力制御工学*6に基づく地上原子核融合炉*7を建設して補った。初めは地熱発電所の予定だったのを憤怒の山に余計な手出しをするなと言われたので譲ってやったのだ、とイデアは本気で思っている。

 

 嘆きの島はこの十年で、島中を覆う神秘のくらがりを急速に消し去っていた。ゴーストや妖精にはイデアの行いを公然と非難する住民もいたものの、「嫌なら出てけば?」と言いながら茨の谷の知己*8にメールを送られ、島を離れる気のない大半は黙らざるを得なかった。

 

「……マリア」

 実体モニタを二つ、ホロモニタを三つ並べた*9イデア・シュラウドが、顔を上げないままに呼びかけた。相手は、温室の散水機に不調が出たと対象に向かった今日のようにオルト・シュラウドが不在の時には殆ど個人付きのように連れ回されている侍女(メイド)の一人だ。

「はい、イデア様」

 マリア・トラレスは主人の保温マグカップ*10の中身がそろそろ空になるところなので折を見て次の一杯を用意するかなどと考えていたところだった。

 

「辞めたくなったらいつでも言ってね。ミストレス付きのメイド(君みたいなの)の出番はもうないんだし」

 イデアは似たようなことを大半の使用人に言っていて、特に奴隷は市民籍を与えられた上シュラウド家の負担で学校教育を受けられるとあって半数近くがその提案を受け入れていた。マリアは、最後ではないにせよ殆どそれに近い順序で回ってきた理由がおおよそ予想が付いている。

 マリアが、イデアをさして恐れないからだ。イデアの魔力を恐れないものはこの島が魔導工学に染められることを恐れ、発展を歓迎するものは年々強まる不死者の魔法力を恐れる。そして島の民でないものは頭上の青炎を不気味だと囁き、オルト・シュラウドの製作を冒涜だと詰った。

 

 辞めるつもりがあるのなら、エリザベートの死後すぐにでも伝えていただろう。そもそもマリアは遠回しにとはいえ少なくとも三回はその気がないと伝えていた。なにせ、そうでないと要らぬ気を回して馘首しかねないところがこの主人にはある。

「今更ですよ。それで、本音はなんでしょうか?」

 そう聞かれたイデアは、元々からして不死者らしく不健康な顔色を更に蒼白にして言葉に詰まった。一通り言っているだけだと即答できなかったのが、それ自体ほとんど答えのようなものだとマリアは思う。

 

 イデアからすれば、この島は螺旋を描いてすらいない。捻れて閉じた輪(メビウス・ループ)だ。幽魂(ゴースト)妖精族(アールヴ)吸血鬼(シュラウド)。ともすれば寿命千年を数える人外(フェイ)ばかり住まうこの島は、ヒトの住むものではないとイデアは思っている。それをどうにかしたくて色々してきはしたものの、神秘の島を切り開くにはまだ足りない。

 

「できれば、出ていってほしい」

「お断りします」

 

 大切なものになってしまう前に、僕の前からいなくなってほしい。そう続けようとしたイデアは、話を遮って一刀両断されたことに戸惑って、うっかりそのまま承認してしまった。

 

「そ、そっか」

「はい」

 

 愛や恋ではないのだ。部下への情でも、まだない。人ならぬもの(ノスフェラトゥ)の情はこんなものではない。いかな手段をもってしても、気に入りには万年を共に過ごさせるのが吸血鬼(ノーライフ)というものだ。朽ちない赤に封じられた一握りの灰のように、二人の思い出を覚え込ませた人工知能のように、年々増え続ける各種の(ギア)のように。

 

 マリアだって、そうだ。ミストレス(エリザベート)の義息は、仕えるべき主人ではある。兄が今もブラウンに仕えていることよりずっと単純に、マリアの雇い主はシュラウドになってそれきりだからでしかない。それだけのことができない者が多すぎる、というだけのこと。それに、たぶんそれくらいがこの主人には丁度いい。数十年の内にマリアも、彼が万年の生の中で幾度となく直面するだろう永遠の断絶の一つになるのだから。ただ、敵でないというくらいが、きっと。

 

*1
吸血鬼以外でよく名の知れた不死者(ノーライフ)にはゴーストが挙げられる。動屍体(アンデッド)と混同されることがあるが、ワイトやレイスに代表される動屍体(アンデッド)は魔術によって生成される擬似生命体であって、独立した種ではないとされるため、不死者(ノーライフ)と違い人類と認めらない。不死者(ノーライフ)の多くは動屍体(アンデッド)と混同されることを強烈な侮蔑と解釈するため注意が必要

*2
妖精科不死者属吸血亜属の総称が吸血鬼である。妖精族の分類は便宜的なものが多いことに留意

*3
ヴリコラカスの亜種であり、犬狼系の獣人でのみ発症する

*4
モロイの亜種とされるが、モロイ本来の原種族でない妖精族(アールヴ)にも爬虫類系に限り発症するため、近縁の別種と見做すこともある

*5
例え形状がビーカーでも電気炉でも、錬金術で調合器として用いられる機材は全てこう呼ばれる

*6
きっかけとなる論文はイデアが発表した

*7
一からではないが三と八~十くらいをイデアが設計した

*8
幸いにしてと言うべきか相手は近衛隊に入った一つ下の同窓生、シルバーだった。いくらプライベートのアドレスだからといって近衛・国境守備隊特別顧問(リリア・ヴァンルージュ)王太子(マレウス・ドラコニア)に連絡すると事が大きくなりすぎる

*9
五つの内二つがオルト・シュラウドの開発に関わり、一つはブラウザゲームとネット掲示板のウィンドウが二窓で並んでいることはこの際置いておく

*10
カップ内側の底側面に温度指定の魔法陣をプリントしておくことで一定の温度を保つもの。取っ手に触れていると自動的に魔力を吸い上げて発動するが、それゆえに使用者登録をした本人しか使えない


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