屈腱炎治療の望みをかけコールドスリープに入ったタキオンと残って研究を続けるトレーナー。可能性がそこにあるからこその選択だった。
登場人物
アグネスタキオン:ウマ娘。”ウマ娘の可能性の果て”を追い続ける。※多少とはいえ屈腱炎発症の描写があるため注意。
トレーナー(現代):ともに可能性の果てを見ることを望みアグネスタキオンを支えるトレーナー。
野崎まど『第五の地平』に出てくる宇宙草に可能性の果てを幻視したモルモットです。
ネタ設定ですが、お楽しみいただけたら幸いです。
地球史上初となる宇宙空間でのダービー馬が決まる瞬間を少しでも近くで目に収めようと、宇宙港には500万人もの人々が押し寄せていた。
これから始まるレースへの純粋な興奮を隠しきれない紳士淑女、共同出資で買った勝ち馬投票券を握りしめる中流階級の代表者、宇宙芝の育成を行った生産者やコースの整備スタッフまでもがスタートの時を今か今かと待ちわびていた。
まなざしの先には宇宙の闇ときらめく星々が広がっており、恒星の光を反射しきらきらと光るターフが天女の羽衣のように月へと伸びている。
真空中でシート状に成長していく宇宙芝の開発により、ターフは宇宙へと広がっていった。
地球上最速の、頂点となるウマ娘を決めるレースが間もなく始まることを告げる実況が放送される。
≪コースは宇宙芝2万KM、月左回り。良バ場の発表となっています。コースは馬蹄のような形状でU字の曲がった部分が月の周りを半周回るような形になっています。出走は間もなくです!≫
宇宙環境にも耐えうる気密性を持つ勝負服に身を包み、アグネスタキオンはゲートへ向かっていた。
ウマ娘の可能性の果てを見たい。限界と思われている最高速度を超えたい。
その望みをかなえるために、常識から外れた研究を続けてきた。活動を支えていたのはレースのトレーナーであり、同時に研究を支えるパートナーでもあった。
しかし、儚く脆い脚の不安が現実のものとなり、可能性が閉じられたのが日本ダービー後の夏合宿のことだった。
当時不治の病であった屈腱炎を発症し、アグネスタキオンの肉体で最高速度を目指すことは絶望的となった。
……だが、トレーナーはあきらめなかった。
コールドスリープで治療可能な未来へタキオンを送る。
しかし、このプランには問題があった。コールドスリープは実用化されていたが屈腱炎の治療法はいまだ進んでおらず、未来であったとして必ず完治できるとは限らない。なぜなら、症例が少なく、研究し甲斐のあるものとは考えられておらず研究者も少なく、研究資金もほとんど出されていないのが現実だ。
私が残り、治療法を研究する!とトレーナーは言い切った。
一緒に”果て”を見ることはかなわない。それでも、タキオンの、ウマ娘の肉体の限界の、さらにその先へと希望をつなげるプランだった。
そして宇宙芝という途方もない技術の可能性も提案されていた。さらなる速さを追い求めるならば無視できないが、途方もない研究が必要だろう。
狂気としか言いようのない、常軌を逸した考えだ。だが、その可能性に賭けた。
屈腱炎治療と宇宙芝の研究を続けるトレーナーと、治療の望みをかけコールドスリープに入ったアグネスタキオン。
可能性がそこにあるからこそ別れを選択した。
恒星の光をエネルギーに変換しガスを加速させることで人口的に発生させられた風がターフを吹き抜け彼女の白衣をはためかせる。
勝負服と素材も製法も変わってしまったが、そこに込めた思いは変わっていない。むしろ、500年前のデビューから皐月賞までのレースの思い出が詰まった大切なものだ。今では他のウマ娘たちが勝負服にかける並々ならぬ思いも共感をもって理解する事が出来た。
≪各バ、ゲートインしました≫
≪一斉にいまスタート!≫
好スタートを切ったアグネスタキオン。
軽やかに中団につけ、初の宇宙芝のレースも物ともしない走りを見せる。
その意識は遠く夏合宿の日を思い出していた……。
夏合宿の夜。屈腱炎の事を打ち明ける日のことだ。
まだケガの事を知らないトレーナー君は無邪気に想いを語る。
いて座のすぐ南の月桂冠にゆかりのある星座、みなみの冠座を見上げながら『アポロンとダプネ』の話を知っているかな?と。
なんだい、トレーナー君。ギリシャ神話かな?興味深い、聞かせてくれよ。
アポロンとダプネは互いに思いあっていたけど、アポロンには相手を恋する呪いを、ダプネには相手を拒む呪いをかけられてしまうんだ。
ダプネはひたすらアポロンから距離を取り続けるけど最後には追い詰められて、結局は自ら月桂樹に姿を変えてもらうことを望み、その通りに身を変じた。アポロンは月桂樹に変身したダプネを見て悲しんだ……。
ふぅン、木に変身するとはどういう原理なのか研究が必要だね。
ふふっと笑いながらそうじゃないよとトレーナー君は言った。
再び神妙な面持ちになって続ける。月桂樹の花言葉は「勝利」、「栄光」。でも、一緒にいられないなんて、勝利を見られないなんてつらいよ……。私は一緒に”果て”が見たい!
こんな風に言われた後にケガを告白するのは苦痛だった。だが、すべてを打ち明けると約束した以上ウソをつくことはできなかった。
――一緒に”果て”を見るという希望を捨ててでも、2人は別々の時を過ごす事を決めた。
≪コーナーを曲がり直線に差し掛かってきました!≫
宇宙のターフを駆ける1つの粒子があった。
もっと、もっと速くだ。
宇宙に浮かぶターフはゴールにまっすぐ向かって細くなっていき、点となって消失している。
超高速で後ろに流れていく芝、真っ暗な宇宙に浮かぶ星のきらめき。
「さあ、果てまで!」
いまだ見果てぬウマ娘の可能性の果ては、見通せないほど遠くにあるのだから。
≪一着が今ゴール!!≫
月桂樹の葉の冠を戴冠した宇宙一のダービーウマ娘が誕生した。頭上の星々が祝福するかのようにそこにあった。
インタビューで感想を求められ、そのウマ娘が答えた内容は、勝利の歓喜でも、栄光への敬意でもなかった。
ただ一言、こう言った。
「実験に終わりはないよ、モルモット君」
月桂樹の葉の花言葉は『私は死ぬまで変わりません』
まさに君にピッタリじゃないか。