トレセン学園はどの教室に置いても冷暖房器具は備え付けてある。故に、コンクリートで卵料理が作れる程に暑いこんな真夏日でも問題ない筈だった。
「灼熱っ!? 何故ここまで暑いのだ!?」
しかし、理事長がそう叫んだ日は学園内は地獄となっていた。空調は片っ端から止まり、スイッチを押してもうんともすんとも言わない。明らかな異常に驚きを隠せないでいた。
「あの、理事長。どうやら空調の配電盤が故障したみたいで……」
理事長の意を汲み取ったたづなが、先にその理由を告げる。しかし、理事長はどこか納得のいかない様子であった。
「疑問っ! 我が校の配電設備はこの様な場合に置いても対応できる様、予備電源が備え付けられておる! 何故それが起動していないのだ!?」
「あのー……どうやら誰かが配電盤の配線であみだくじを作ったみたいで……予備電源も一緒に故障してしまったそうなんです」
「驚愕っ!?」
暑さとショックで理事長はソファに倒れ込む。こんな時、融通の効く便利な業者が居れば良いのだが……
「名案っ! 彼奴がいるではないか! たづなよ、早速連絡だ!」
「ハイゼンさんの事ですか……本来は余り急な連絡は避けたいんですが、今日は仕方ありませんね」
このままでは生徒であるウマ娘達のトレーニングはおろか、学業すら危ぶまれる。いくら人より頑丈だとしても、熱中症は全てに等しく襲い掛かるのだ。
それを危惧した理事長は電話でいつもの番号に電話を掛けるのだった。
『またテメエか、次は何だ? 爆速で走る芝刈り機ならもうそっちに届いてる筈だ』
「うむっ! 確かに届いた! だが、確かに速く走れる物を要求したが、芝刈り機に時速100キロ以上出るエンジンは必要ない!」
『おっと、クレームの電話だったか。誠に残念ですが、当工場はクレームを受け付けておりません。ご了承頂けますようお願い申し上げます。そんじゃ切るぞ、じゃあな』
完全な対クレーム用のテンプレ構文をぶちかました彼。ふざけ倒した対応に理事長は受話器を耳に当てたまま固まった。しかし、肝心の話は一切していない。すぐさま正気に戻るとその行動に待ったをかけた。
「制止っ! 何を勝手に切ろうとしているのだ! 今回連絡したのはこの様な話をしに来たわけではなく、依頼があるからしたのだ!」
『そいつは失礼した。そんで、要望のモンは何だ?』
「解説っ! 実は学園内の空調が全て停止してしまってな。代わりになる様な物があれば今すぐ欲しい!」
『……一個だけあるな。分かった、そいつを持って行ってやる。レンタルって事にしといてやる』
素直に了承してくれた事に、ホッと胸を撫で下ろす。しかし、一個しかない様だ。これでは焼け石に水な気がするが、無いよりマシだと彼女は判断した。
「うむ、一つだけか……突然の連絡ゆえ仕方がない」
『おいおい、俺が一個だけって言ったのは個数が無いわけじゃねえ、一個で足りるって事だ』
「一個で足りる……? まさか、お主はまたとんでもない物を!?」
熱で頭が働いていなかったのか、今になって彼女は思い出した。この男が素直に首を縦に振る時は大体何か裏があると。しかし、背に腹はかえられぬ。
『安心しろ、使い方さえ間違えなけりゃ問題ねえ代物だ』
「うぬぬぬ……りょ、了承っ! 今すぐ持ってきてくれ。頼んだぞ!」
彼は二つ返事をすると、そのまま通話を切った。しかし、最後の言葉が非常に突っかかる。裏を返せば、使い方を間違えれば問題しか生まない代物なのだ。下手に弄られない様に厳重な管理を施すと心に決めた彼女だった。
ちなみにこの後、芝刈り機についてたづなに圧を掛けられながら問いかけられ、顔面蒼白となる理事長の姿があったそうな。
珍しく元気が無さそうにとぼとぼと歩いているハルウララ。垂れ下がった尻尾と耳は今にも溶けてしまいそうだ。冷房が故障し、学園内の気温が上がっているのが彼女の元気を奪っている一番の理由だろう。
にんじんアイスでも食べて、気を紛らわせようと考えていたのか、その足は購買へと向かっていた。しかし、ロビーにていつもの後ろ姿を見つけたからか、行き先はすぐに変更された。
「おはよー……トレーナー……」
「あ? やけに大人しいと思ったら、汗だくじゃねえか。空調がぶっ壊れただけでテメエがそんなんになるなら、少しはぶっ壊れたままでいいと思っちまうな」
「ええー! ダメだよ! 授業中も暑くて暑くて、先生の話も全然入ってこないんだよ!」
「それは元からだろうが」
彼は葉巻を咥えたまま、目の前にある大きな箱状の何かを弄っている。普段なら何も分からない彼女であったが、今回は何を弄っているのか目星がついた様だ。
「トレーナー! もしかしてそれ、クーラーかな?」
「ああ、スポットクーラーだ。それがどうかしたか?」
「やったー!! ありがとートレーナー!! これでやっと涼しくなるんだよね! あ、でもここにあるって事は教室まで冷えないや! がーん!」
暑さから解放されると思いきや、実際はそうではない事に気づいてしまい、一人勝手に項垂れてショックを受けているハルウララ。
そんな彼女を横目に、彼はスポットクーラーから本来なら1、2本しかない筈の排気口の管を5本も引っ張り出すと、それぞれ別の方面を向く様にした。
「まあ、今の設定でも多少はそっちも涼しくなるだろ」
「ほんと! よかったー! また暑いままで勉強したら頭が溶けちゃうからね!」
「元々溶けてんだ。大して変わんねえよ」
そんな皮肉を吐きながら、彼はこのクーラーを起動する。いつもの静音性をしっかりと発揮しつつも、かなり冷えた空気が排気管から放出された。
迷わず彼女は排気管の前に顔を突き出した。
「わあああぁぁぁー! 冷たくて気持ちいい!」
「しばらくすれば、このクソ暑いビニールハウスみてえな所も冷えるだろ」
「そうだ にんじんアイス食べたら涼しくなるし、クーラーを浴びても涼しいよね! じゃあ、同時にやったらもっと涼しくなるかな? にんじんアイス買って試してみよう!」
彼女は購買へと歩き出そうとしたが、何かに気付いたかのように両手で自身の服やスカートを探る。そして、全てのポケットをひっくり返すと、その場でガクンと項垂れた。
「ああっ! お財布、寮に置いてきちゃった……」
「そんじゃ、アイスは諦めるこった」
代わりにクーラーの冷気をたくさん浴びる事にした様だ。彼女は排気管の前で、まるで扇風機にするようにだらけた声を発している。
そんな中、冷気に誘われてやって来た何者かが、ハイゼンベルクの肩を叩いた。
「よお! フランケンシュタイン!」
「あながち間違ってねえのが気に食わねえが、まあ良い。何の用だ?」
その正体はゴールドシップ。なにか面白い物を見つけたかの様な笑みを浮かべて、彼の後ろに立っている。あの、幻想世界の事はお互い根に持ってはいない様だ。
「ちょっと言いたい事があってな……」
「言いたい事?」
「ああ、やっぱりよ……」
大きく息を溜める彼女に、場は沈黙を返す。そして、意を決した様に真剣な目で言い放った。
「戦艦ゴルシの方がカッコいいよな!」
「あ? プラッツ・パンツァーに決まってんだろ!」
前言撤回、どうやらお互いにここだけは根に持っているようだ。ジャンケンか何かで既にどちらの名前か決まっていた気がするが、本人達にその覚えが無いなら、きっと決まっていないのだろう。
何回か言い合いを繰り返した末、彼らが出した結論は……
「しょうがねえな、今日のあみだくじの結果に免じて間を取ってやる! 戦艦プラッツ・シップだ! これなら文句ねえだろ?」
「まあ、テメエの最初の案よりかはマシだな。てかよ、シップはどこから来た?」
「はあ? このゴールドシップ様の名前から取ったに決まってんだろ!」
「テメエそんな名前だったのか。黄金……いや、コガネムシでも詰まってそうな船だな」
「アタシはゴールドバグシップじゃねえ! 鼻にワサビ詰めんぞ!」
常備しているのか、懐から市販のワサビのチューブを取り出すと、彼女はハイゼンベルクに襲いかかった。しかし、彼は平然とその首を掴み上げると、懐から小型の水鉄砲を取り出して彼女の顔面に放った。
それと同時に彼女はまるで虫の様に地面とハグを交わす。そして、形容し難い呻き声と共に顔面を抑え、ゴロゴロと地を転がった。
それもそのはず、彼の持つソレに入っている水は明らかにヤバそうな赤色をしていたのだから。
「トレーナー! それって何?」
「ただの水鉄砲だ。スパイスが少し効いてる事以外はな」
「ええっ!? って事は水鉄砲って食べれるの!? でも、プラスチックだよ!?」
「そういう意味じゃねえよ……」
完全に素で大ボケをかます彼女に、思わず彼はため息を吐いた。
そんなこんなしている間に、クーラーはしっかりと仕事をしている様で、灼熱状態だったロビー内はいつの間にか快適空間へと変わっていた。
「ちょっと飲み物でも買ってくるか」
ハイゼンベルクはハルウララにそう告げると、この場から離れて行ってしまう。なんとなく、このクーラーの仕事ぶりの観察でもしていようかと思っていると、スパイスで見事に味付けされたゴールドシップが復帰する。
「ぎゃあああああ! 顔面があちーし辛え!」
彼女は暑さの余り排気管の前に立ち、設定温度を勝手に最低まで弄った。ここで言える事は、その選択は間違いだったという事だろう。
その瞬間、クーラーは静かだった可動音の自己主張を強め、尋常では無い冷気を吐き出した。それは、瞬く間に排気管の前に立っていた者の顔に霜を降らせる。
「あわわっ! 髪の毛が凍っちゃってる!?」
ハルウララは排気管の前には偶然立っていなかったが、ゴールドシップは違かった。顔面には雪が積もり、髪はなびいた状態のまま凍りついていた。
とりあえず、彼女は半ば氷像と化したそれを引っ張って吹雪の発生源から遠ざけた。一応日差しは暑いので、すぐ溶けた事が幸いか。
「ぷっはあー! 助かったぜウララ! あのままだったら確実に札幌の雪祭りに展示されてたな!」
「ゴルシちゃん! 早く止めないと大変なことになっちゃうよ!」
ぴょんぴょんと跳ねながらそう主張する彼女の裏では、ロビー内の手すりや階段、椅子などが次々と凍りつき始めるほど気温が下がっていた。もはや真夏ではなく真冬だ。
「やっべ! 氷河期の魔の手がこんなとこまで来やがったか。じゃ、後は頼んだぞ!」
凍てつく世界から一足先に逃げ出したゴールドシップ。操作方法も分からないハルウララだけが、ポツンと残されてしまった。
「はわわっ!? ど、どうしよう!」
不用意に弄るわけにもいかず、ただただ慌てながらロビーが冷え切っていくのを見ている事しか出来ない。
寒さのあまりその場にうずくまる。吐く息はとっくのとうに白くなっており、唯一の救いである太陽の光は凍りついたガラスで屈折を起こし、彼女に射し込む事はなかった。もはやここは、先ほどとはまた別の地獄だ。
だが、地獄の閻魔大王に鉄槌片手に喧嘩を売るであろう人物が彼女の元に戻ってくる。
「ちょっと目を放した隙にこれかよ」
「と、トレーナー……! 止めかた分かんないよ……!」
「電源のスイッチ押せば良いじゃねえか。もしくはコンセント引っこ抜け」
彼は止める方法を彼女に言いながら、氷河期の元凶を停止させた。やっちまったと言わんばかりの表情を浮かべながら周囲を見回す。
窓ガラスには厚い氷が出来ており、太陽の熱を持った光を捻じ曲げる。床や手すりには霜。充満する空気は完全に真冬のそれだ。
「どこのどいつだ? こんな面倒事起こしやがったのは?」
「わ、わたしじゃないよ!」
「見りゃ分かる。どうせあのコガネムシだろ? ったく、アイツ専用の防御装置でも作ってもいいかもな」
「うう……寒い! わたし、購買で暖かい飲み物買ってくる! あっ! 財布無いんだった……」
少し走った先でその事実に気付き、尻尾も耳も垂らして項垂れる彼女。そんな彼女に、彼はため息混じりに声を掛けた。
「おい、落としもんだ」
心地よい金属音と共に弾かれた一枚のコインが彼女の手のひらに収まった。鈍い金色のそれは彼の持っているコインなどでは無く、500円の価値がある硬貨であった。
「地面に落ちてたぜ。大方、ポケットをひっくり返した時にでも落としたんだろ」
「え、ほんと!? ありがとートレーナー! じゃあ、わたし行くね!」
少し不思議に感じつつも、拾ってもらった礼を彼へとする。そして、彼女は急いで購買へと駆けて行った。そんな後ろ姿を見送った後、彼は懐から冷えた缶コーヒーを取り出した。
「あー……今じゃなくて良いか」
気が変わったのか、封を開ける事なく再びコーヒーは懐へ。そして、クーラーを再起動し、設定温度を戻すと彼は氷漬けのドアを無理矢理開け、灼熱の外へ出ていったのだった。
その日、ロビーの惨状と引き換えに学園全体は暑さから解放されたようで、その後の授業は快適に受ける事が出来たらしい。
なお、氷河期の開始地点を見てしまった理事長は恐る恐る彼の持ってきた説明書を隅々まで読んだ。
そこに設定温度範囲は-30〜40度と明記されており、彼女は目の前が真っ暗になったそうだ。
缶コーヒー
ただのぬるくなったブラックコーヒー。最低限の味は保証されているが、冷えている時と比べればだいぶ落ちるだろう。
長い間、彼の懐に入っていた故にぬるくなったようだ。飲む気が無いのにわざわざお札まで出して買ったのは何か理由があったのだろうか?