暑さもだいぶ収まり、日の長さも短くなって夏から秋へ季節が動き始める。しかし、商店街の活気は夏と比べて変わるどころか、一人のウマ娘によって更に賑わいを増していた。
そんな中、近寄り難いオーラを放ちながら一人の男が道を歩いていた。葉巻と鉄槌を持つその異様な姿は、初めてここに来た者達に思わず道を空けさせる。
しかし、この地に昔からいる店主達は彼にいつも通りの笑顔を送る。それどころか、積極的に話しかける店主もいた。
初めて彼を見る者はあの鉄槌が振り下ろされるのではないかと勘繰ってしまう。しかし、彼は話しかけられてもただただ面倒そうに首を横に振るだけで、特にスプラッタ映画の様な事は起きなかった。
逆に、彼の方が逃げる様に早足で立ち去る始末。店主はその後を笑顔で追う。そんな様子を呆然と見る観光客。
今日も商店街は平和だった。
目立たない場所にある骨董品店。活気のある表通りとは違って、紙の擦れる音以外何も響かない静かな空間だった。葉巻の紫煙が漂う中、店主によって本のページは捲られる。
しばらくの間、本に没頭していると葉巻を持つ手が反射的に跳ねる。思わず持っていたそれを床に落としてしまった。どうやら、いつの間にか手元まで火が来ていた様だ。
床に落ちた葉巻を拾うよりも先に、入り口の鈴が来客を告げる。時間通りに来たその客は、落ちて転がった葉巻を拾い上げるとカウンター上の灰皿へぶち込んだ。
「よお、まだ生きてて何よりだ」
挨拶がわりに皮肉を店主へとぶつけてくるのは、誰でもないハイゼンベルクだ。葉巻に鉄槌のセットはいつも通りだが、珍しくサングラスが胸ポケットに掛かっていた。
「ええ、まだ商いに満足しておりませんので死ぬ訳にはいきませんな。それよりもハイゼンベルク様、それはどうなさったのですか?」
彼は皮肉を華麗に受け流すと、僅かに首を傾げてそのサングラスへ指を差す。どうやら、腕利きの商人は常連客の些細な変化も見逃さないようだ。
「こんなとこでサングラスなんかしてみろ、何も見えやしねえ。外と比べて暗すぎんだよ」
彼は鼻で軽く笑うと、店主にそのギラついた目を向ける。いつも通りに見えるが、その瞳は酷く濁っていた。
「おっと、それは失礼致しました。次のご来店までに電球を替えておくことにしましょう」
勿論、店主もその様子には気付いているだろう。だが、それ以上は何も言わなかった。それは礼儀に欠けるからなのか、それともただの気遣いなのかは分からない。どちらにせよ、これが彼と取引する上で適切な距離感だということは確かだろう。
「それで、今回もコレですかな?」
笑顔を浮かべながら、いつもの木箱を取り出してカウンターへと置く。箱から漏れ出す香りは、正しく葉巻のそれだった。
彼はそれを見てニヤリと笑みを浮かべると、コートの中から取り出した封筒を店主へと手渡した。
互いに怪しい笑みを浮かべるこの状況を、もし誰かが見たとしたら闇取引の現場と勘違いする事間違いなしだろう。
そんな紛らわしい取引を終えた二人は、お互いに新たな一本を手に取って火を付けた。
「そういえば、ハルウララ様はいかがお過ごしですかな?」
「いつも工場で走り回ってやがる。はっきり言って邪魔だ」
ため息の様に紫煙を吐き出した彼はパッとしない表情を浮かべながら、ついでに文句も吐き出した。
「それはそれは、お元気そうで何よりです! 実は彼女のお陰で、この影の薄い店にも来てくれるお客様が増えてきたのですよ! このデュークが心よりの感謝をしていたと、彼女に伝えておいて下さい」
「悪いが俺は伝書鳩じゃないんでな、自分で伝えろ」
笑顔を浮かべる店主の要求を、彼は興味無さそうに突っぱねる。彼の顔は帽子のつばでよく見えないが、面倒そうな表情でも浮かべているのだろう。
「ふむ、ではそうする事に致しましょう。それで、いつも通り次回の分もご予約という形でよろしいですかな?」
店主はそう言って手帳を開くと、年季の入った万年筆を構える。
「構わねえ。ただ、本数を一本だけ減らしてくれ」
「ほう、珍しいですな。調子でも崩されましたか?」
「いや、中々吸えねえだけだ。どっかの誰かのお陰でな」
「なるほど! 彼女の前では吸っていないのですね! 以前の貴方を知る身としては、感慨深いものがありますな」
店主からの上品な皮肉に、彼はただただ"うるせえ"と返す事しか出来なかった。彼が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる中、店主は慣れた手つきで手帳に予約の有無と本数を書き記す。
そして、手帳を閉じると予約が完了した事を告げた。
「ありがとよ、じゃあな」
「ハイゼンベルク様、お尋ねしたい事がございます。少し時間を頂いても?」
「ったく、手短に済ませろ」
「ええ! お気遣い感謝致します!」
その瞬間、この店の空気が一変する。骨董品と古い品々によって生み出されていたレトロな雰囲気は、まるで雲に隠される太陽の如く覆い隠された。
代わりに現れたのは、部屋を埋め尽くすその巨体と同等の圧だった。詰め寄りに似たその圧に対し、依然として笑顔なその表情は不気味としか言いようがない。
もうそれは、骨董品屋の店主などではない。
かつて、あの四貴族相手に取引をしていた大商人デュークであった。
「貴方のその"力"、ハルウララ様……いえ、親しい者達にお見せになったのですか?」
その言葉と圧を受け、彼の頬に一筋の汗が光る。ただ、彼もかつては貴族の一人。ゆっくり紫煙を吐くと、瞬き一つでその瞳はドス黒い過去のものへと巻き戻る。
「おい、テメエは何が言いたい?」
「簡単にご説明致しましょう。私共はただでさえ様々な認識に齟齬がある身。些細な出来事が大ごとに発展する事もございます。そこで、私の勘はこう言っております。貴方のその"力"は早めに打ち明けるべきだと」
彼は胸元のドッグタグを握りしめる。いや、正確には握っているのは胸の中心にある歪な膨らみだろう。
そんな歪んだ生命の証から手を離すと、彼は全ての感情を抑え込んだ低い声で言った。
「どうせ、気味悪がられて終わりだ。打ち明ける利点なんざ何一つ無えんだよ」
自分への理解など要らない。抑揚のない声でそう主張する彼の表情は、笑いと悲しみが入り混じったかの様だった。
「お言葉ですがハイゼンベルク卿、今の貴方の身の振り方は、まるで群れから自ら離れる一匹の狼のようです。何故、貴方は孤独を選ぶのですか?」
「それが一番自由だからに決まってんだろ!」
波一つ無かった感情の海が、言葉の嵐によって波打ち始める。声を荒げた彼自身もその事に気付いたのか、葉巻を吸って強引に精神を落ち着かせようと図る。しかし、未だ葉巻を掴む手には過剰な力が入ったままだ。
「では何故……貴方はハルウララ様のトレーナーに再びなったのですか?」
「……っ!?」
どうしてそこまで知っているだろうか。彼のそんな疑問は、葉巻を思わず落としてしまう程の動揺によって掻き消される。
指摘された行動は、彼の言い分である孤独とは確かに矛盾していた。
「自由である条件に孤独である必要などありません。自由と孤独は似て非なる物です。貴方もそれは理解している筈」
この場所は既に、尋問室か何かの様だ。尋問官の大男は笑顔で彼へと問いただす。その笑顔の裏に真剣さを含んで。
「貴方だけではなく、私にとっても孤独という物は毒です。ですが、貴方はそれを避けようとする本能を、理性で無理矢理毒沼へと沈めている。何か理由がお有りですかな?」
少しの間、沈黙が走る。そして、ハイゼンベルクは床に落ちた葉巻を踏みつけ、紫煙の代わりに大きく息を吐くと、その瞳に最大級の憎悪を込めてデュークを見やる。
「あのクソ女からの贈り物だ! アレが俺を未だに縛り付けてやがる! 強引に休眠状態にしてやったは良いが、いつ戻るか分からねえんだよ!」
彼の目に宿るその感情は、デュークへと向けられたものでは無いだろう。激情にかられるように彼は覚悟の籠った言葉を連ねる。
「もしもの時は、俺は消える……! 不本意だが、あのクソ女の思い通りになるよりかはマシだ」
胸を上下させ、息を切らす彼は踏みつけたそれを拾い上げて灰皿へ捨てる。そして、口元に新たにあてがわれたのは、先程買った新品の葉巻。
火をつけたそれを何度か味わって、今度こそ落ち着きを取り戻した彼は"悪かった"と謝罪の言葉を呟いた。
「なるほど、その様な事情が……深い所まで介入してしまった事、深くお詫び申し上げます」
「テメエの事だ、実はとっくのとうに分かってたんじゃねえのか?」
「さて、どうでしょうな? とりあえず、私の口からは"存じ上げなかった"とだけ言っておきましょう」
不敵な笑みを浮かべたデュークは、その圧を鎮めてただの骨董品屋の店主へと戻る。その様子を見た彼も同様に、ただの工場長へと戻った。
「話が逸れましたな。貴方のその"力"は、夜な夜なスクラップを動かす事だけに使うのは宝の持ち腐れというものでしょう。いずれ、それが他人のために役に立つ時が来る筈です。その為にも、理解を得ておく方が良いと思いますな!」
「テメエ……何で知ってんだよ」
「商いにおいて情報は生命線です。ここまで言えば、勘のいい貴方なら分かるでしょう?」
「最高にイカれた情報網してるぜ……ったく」
「お褒めいただき光栄です!」
何もかもお見通しな店主に対し、呆れた表情で返事をするハイゼンベルク。ため息と共に吐き出された皮肉もしっかりと褒め言葉として受け取るあたり、完全に彼を知り尽くしていると言えるだろう。
「理解を得ておくと申しましても、いきなり全てを曝け出せとは言いません。少しずつで良いのです。その為にも、身の振り方を今一度改めてみてはいかがでしょう?」
にっこりとした笑顔と共に一礼をする店主。そんな顔に対して、彼は背を向けて手を軽く振った。
「テメエの言う通りにやるかどうかは置いとくとして、礼ぐらいは言っておく。ありがとよ」
「いえいえ、顧客サービスの一環の様な物です! お気になさらず」
「そんなサービスあってたまるか」
吐き捨てる様に彼はそう返すと、"じゃあな"と店主に別れを告げる。呼び鈴と共に、その大きな背中はドアの向こう側へと消えていった。
そんな背中を見送った店主は、どこか納得するかの様に一人頷く。
「ハイゼンベルク様。貴方はあの四人の中でただ一人、私利私欲の為に人を殺めなかった。その根幹にある優しさは、あの中の誰よりも貴族に近いでしょう」
店主の知っている貴族たちは自身のために、多くの人間の血を抜き、惑わせ、得体の知れない生物を埋め込んだ。そんな中、彼は自身のテリトリーである工場へと立ち入る者以外に危害は加えなかった。
おまけに、簡単にテリトリーに立ち入れないよう、間に掛かる橋すら川底へと落とした。その時の彼の真意は分からないが、少なくとも死へと通ずる道を一つ閉じた事は確かだった。
「ですが、少しばかり不器用を拗らせておりますな!」
素直になれない彼を皮肉って、店主は一人静かに笑う。その脳裏には帰り際の彼の姿が浮かんでいる事だろう。
そこに映る彼の目は、少しばかり曇りが晴れたようだった。もしかすると、ただの気のせいかもしれない。だが、それでも店主は満足そうに紫煙を大きく吐いたのだった。
もうすぐ夕方になる頃、八百屋の店主に強引に渡されてしまった紙袋を片手に、彼は町を歩いていた。紙袋の中には、ハルウララを二位まで押し上げてくれたお礼として、野菜や日用品などが詰まっていた。
ちなみに、何度も"俺は何もしてない。アイツが勝手に頑張っただけだ"と言ったそうだが、その言葉に効果は無かったようだ。
何かしらの乗り物に乗るべきだったと後悔しながら、彼は大通りを歩いていく。裸眼だからか、夕日がいつもより眩しく感じる。
そんな中、彼の工場より煩い音を響かせる店に思わずその視線を持っていくと、見覚えのあるピンク色の影があった。
「よーし、行け行けー!」
尻尾を振りながらクレーンゲームをじっと見やる彼女。暫くすると、いかにもがっかりしたように耳と尻尾が垂れ下がった。上手く取れなかったようだ。
そんな様子を横目に、彼は何事も無かったかのようにゲームセンターを通り過ぎる。だが、あの商人の言葉が彼の胸にチクリと突っ掛かる。
「身の振り方……か」
彼は葉巻を大きく吸う。そして、ため息のように吐き出すと、彼の足は煩い店へと向いて歩き出した。
「あと一回しか出来ないや……」
「よお、元気そうだな」
軽くなった財布を見て悲しげな表情を浮かべる彼女だったが、トレーナーである彼を見るや否や、満開の桜のような笑顔へその表情を早変わりさせた。
「あっ、トレーナー! あのね、これ取ったんだ! いつも頑張ってるトレーナーへのプレゼントだよ!」
彼女は近くに置かれていた袋の中から、U字型の何かを取り出すと、眩しい笑顔で彼にそれを差し出した。
彼が受け取ったそれは、柔らかい綿の詰まったクッションだった。
「クレーンゲームにね、蹄鉄の形のクッションがあったんだ! トレーナーの工場のえんぶれむ?とそっくりだよね! だから、頑張って取ったの!」
「ヘッ……ありがとよ」
「あっ、それでね! 今度はこのアイスクリームのぬいぐるみを取ろうと思ってるんだ!」
彼女は機体の中にあるソレを指差した。見たところ、そこそこ大きいぬいぐるみだ。彼女の身長の三分の二ほどだろうか。中々取れないのも納得の代物だった。
「じゃあ、見ててねトレーナー! わたしこれで取っちゃうから!」
彼女はそう言うなり100円を入れてゲームを開始した。張り切った様子で、ボタンを押してアームの位置を定めるが、圧倒的に力が不足しているようで、ぬいぐるみを持ち上げる事すら叶わないまま元の位置へ帰還した。
「あっ!? 失敗しちゃった……」
お小遣いを使い切っても取れなかったそれを前に、彼女は悲しげに軽く俯いたのだった。
しかし、横から出てきた一つの厳つい手が、カシャンという硬貨を入れる音と共に再びその機体に息を吹き込んだ。
「えっ!?」
「コイツの礼だ」
その張本人は笑みと共に柔らかい蹄鉄を軽く持ち上げた。
「ほんとっ!? ありがとうトレーナー! よーし、次は絶対取るぞー!」
本来無かったはずの幻のワンチャンスを貰った彼女は、再度そのボタンへ手を添えた。彼も、まるで集中するかのようにじっとその様子を見ている。
先ほどと同じように操作するが、アームの止まった位置はぬいぐるみの重心とは離れた場所。相当な力でないと持ち上げられないだろう。
「よしっ! 落としちゃダメだよ!」
しかし、運が良かったのかアームは今までにない程、ガッチリとそのぬいぐるみを掴み取る。ちょっとした異音と共にアームは無事帰還を果たすと、戦利品を彼女の元へと送り届けた。
「やったー!! やったよトレーナー! 取れたよ!」
「ほう、運が良いな。良かったじゃねえか」
「トレーナーのお陰だよ! ありがとー!!」
ハルウララは無事ゲット出来たアイスクリームのぬいぐるみを抱き締めたまま、ピョンピョンと嬉しさの余り跳ねる。そして、落ち着きを取り戻した後も、上機嫌に口癖をうらうらと呟き続けていた。
「うっらら〜!」
「引っ付くな、歩きづらい」
ハイゼンベルクは引っ付いてくる彼女を何度も引き剥がしていたが、十回を超えたあたりで諦めた。
その後、学園へ帰る彼女と別れた後、重くも暖かい荷物を持って疲れたように呟いた。
「やっぱ、慣れねえ事はするもんじゃねえな」
後日、彼のよく使っている椅子には蹄鉄を模したU字型のクッションが置かれていたという。
アイスクリームのぬいぐるみ
ハルウララがクレームゲームで取った物。
彼女は取れた時、とても嬉しかったようでその日以降、寝る時に抱きしめているらしい。
彼女にとって、トレーナーとの思い出の品の一つだろう。
しかし、彼にとっては違うだろう。なにせ、その秘めたる力を初めて他者の為に行使した、唯一の証拠品なのだから。