日が落ちるのが早くなった冬の季節。肌寒さに負の記憶が嫌でも蘇ってしまうハイゼンベルクの元に、珍しく修理の依頼が来た。対象は前に作ったあの長距離用のランニングマシンだった。
彼の作る物の殆どはかなり頑丈に出来ている。その理由はともあれ、こんな短期間で壊れてしまうという事に彼は疑問を抱かざるを得なかった。
「どっかの誰かがバーベルでも落としたか?」
彼は現在の作業を中断し、工具の詰まった箱を荒々しく作業机の上に置く。そして、疑念の混じった表情を浮かべつつ、コートのポケットにトラックの鍵を突っ込んだ。
「おっと、交換じゃなくて修理だったな」
先程手放した工具箱をもう一度拾い上げ、助手席に放り込む。そのままトラックに乗り込むかと思いきや、彼は葉巻にマッチで火を付けて一服し始めた。
恐らく、学内が全面禁煙故に吸い溜めでもしているのだろう。タバコとは違い、一本吸い終わるのにそこそこの時間が掛かる為か、結局彼が工場から学園に出発したのは、準備し始めてから三十分後であった。
なお、愛用の鉄槌を忘れた事に気付いた時には、既に学園に到着した後だったそうだ。今頃、それは作業机の下にでも転がっている事だろう。
学園の校門前にて、一人のウマ娘が記者の対応に追われていた。
「申し訳ないのですが、今は理事長もご不在故、取材の方はまた後日でもよろしいでしょうか?」
そんな、複数のカメラに囲まれているのはエアグルーヴだった。どうやら、無許可の取材を断っている最中のようだ。しかし、見るからに年齢の若そうな記者達は彼女の言葉に耳を貸さず、しつこく食い下がる。
「少しだけで良いんでお願いします!」
「なら、今から許可を取れませんか!」
「せめて、写真だけでも駄目ですか!」
そんな、礼儀を知らない記者達は学園に入れない代わりと言わんばかりに副会長の彼女へそのカメラのシャッターを切り始める。
フラッシュを伴うその撮影に、彼女は思わず眩しそうにその目を腕で覆った。
「……!? フラッシュは使用しないで頂けませんか! くっ……!」
目を細めたその表情には嫌悪感が見て取れる。しかし、本気で怒鳴ったりすれば面倒事になる事は確実だ。トレーナーやその他役員がいない今、彼女はじっと耐えるしか出来なかった。
「……おい!」
必死になって写真を撮っている彼らに向かってドスの効いた一声が掛けられる。
振り返った彼らは驚いた事だろう。そこには、明らかに不機嫌な表情を浮かべ、飢えた狼のような圧を辺りに振り撒く男が立っていたのだから。
そんな、首元を締め付けるかのような圧を受けた彼らが怯んで黙る中、その男は牙のような鋭利な言葉を投げ掛けた。
「テメエら邪魔だ。どけ」
サングラス越しの視線に凍りつく彼らは今になって思い出す。先輩記者達の言っていた忠告を……
『一人だけ、気を付けた方が良い奴がいる。ハイゼンベルクという名の男だ。何故かって? それは簡単だ。怒らせたら怖えし、何するか分かったもんじゃない。俺達のような記者が、関わって得する相手じゃないって事だ』
心の臓が握り潰されるかのような寒気に、記者達は簡素な礼を副会長へとすると、脱兎の如く逃げ出した。
しかし、たった一人だけ逃げる最中に振り返り、例の男に向かってシャッターを切るなんとも根性の溢れた者がいた。
一瞬だけ眩い光に照らされた彼の表情は、間違いなくしかめっ面だっただろう。しかし、目は口ほどに物を言う。サングラスに隠された目に浮かんだ感情は、しかめっ面という表現で足りる物なのだろうか。
ただ確かな事は、サングラス越しの視線を向けられたそのカメラが、火花を散らせてその短い命を終わらせた事だけだった。
「ったく、やるなら場所考えろ」
最後の一人が煙を吹いたカメラを抱えて逃げて行く様子を見た後、彼は調子の悪そうなエアグルーヴへと向き直る。
「貴様か……今回ばかりは助かった。感謝する」
「あ? 礼なんぞ要らねえ、ちょっとした八つ当たりをしただけだ。そもそも、テメエだったら拳か何かで解決しそうだがな」
「このたわけが、暴力では何も解決などしないに決まっている! それに、今のような記者はかなりの例外だ。殆どの者はあのような注意をせずとも、初めからやらん」
彼のふざけた解決法に対し、彼女はため息混じりの言葉を返す。だが、内容とは裏腹にその声調には一切棘は無かった。きっと、心のどこかで安堵でもしていたのだろう。もし、彼が来なければより面倒な事になっていたに違いない。
彼はそんな様子を見てニヒルな笑みを浮かべると、彼女の目の前にも関わらずふざけた悪戯の構想を暴露した。
「だが、テメエがフラッシュに弱いってのは驚きだ。今度、閃光弾でも持ってきてやろうか?」
「せ、閃光弾だと!?」
「ヘッ、冗談だ」
明らかに危険な香りのするその名前に、思わず驚愕してしまうエアグルーヴ。そんな彼女を彼は鼻で笑った。
一応ジョークだと言われたが、この男の言葉はどうにも信用し切れないのか、彼女は少しの間だけ苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
彼女に一抹の不安を植え付けたハイゼンベルクは、いつものように背中を向けたまま手を振ると、学園のトレーニングルームへと向かって行ったのだった。
目的地に着くとそこには三人のウマ娘と、白い煙をあげているマシンの姿があった。一人は彼が良く言っている能天気野郎であるが、他二人は全く知らない者達だった。
「ごめんなさい……ライスのせいで……」
「いえ、先程のデータから推測するにマシンを故障させた可能性が高いのは私です。よって、ライスさんが落ち込む必要は1%もありません」
「大丈夫だよみんな! わたしのトレーナーはなんでもパパパって直しちゃうんだ! だから、きっとこれもすぐ直してくれるよ!」
「発言からウララさんのトレーナーは優秀な技師であると推測します。しかし、それではトレーナーと技師の二つの職業を持っているという事になり矛盾が生じます」
「えーとね、確かトレーナーは……こーじょーちょー?のお仕事をおまけみたいな感じでやってた気がするよ!」
「おい、逆に決まってんだろ! 勝手に俺の本業変えんじゃねえ!」
本業と副業を危うくひっくり返されそうになったハイゼンベルクは、呆れた声調でハルウララの発言を訂正した。
「あ、こんにちはトレーナー! 壊れちゃった機械を直しに来たんだよね!」
「ああ……もう一度言っとくが、俺の本業はエンジニアだ! 分かったか?」
「うん、分かった! あ、そうだ! トレーナーに紹介するね! ライスちゃんとブルボンちゃんだよ!」
「テメエ、絶対分かって無えだろ」
彼の言葉は残念ながら彼女の右耳から左耳へと抜けていったようだ。何故かそれが分かってしまった彼は、大きいため息を吐いたのだった。
その間にも、彼女は丁寧にも自身の友人を紹介している。だが、その中の一人は彼の不審者のような圧のある見た目に少し怯えていた。
「こ、怖いおじさま……私、ライスって言います……よ、よろしくお願いします」
「ええっ!? ライスちゃん、トレーナーは全然怖くないよ! いつも変な顔してるだけで、すっごく優しいよ!」
「おい、変な顔ってなんだ」
「た、確かにそうかも……! やっぱり、怖くないおじさまだね……!」
「ったく……もういい」
彼は部屋にある鏡で自分の見た目をチラリと確認した。特に違和感のない格好が映った事が分かると、彼はもう一人へとその視線を向けた。
「こんにちは、ミホノブルボンです。よろしくお願いします」
無感情な表情を浮かべ、抑揚の無い声で彼女は淡白な自己紹介をする。そんな彼女に対し彼が抱いた認識はまともそうな奴、意外にもただそれだけであった。
「そうか、まともで助かる」
「まとも……ですか。過去のメモリーを参照してもそのような評価は初めてです。殆どの者は私をサイボーグだと呼称します」
「悪いが、俺の知ってるサイボーグはそんな無表情じゃ無え。テメエ自身のメモリーとやらを改めるこった」
どうやら、彼にとってはどんなに無表情で抑揚の無い話し方だとしても、ロボットやサイボーグの内に入らないらしい。
恐らく、サイボーグとなっても話し方などは何も変わらないと知っているのだろう。今、ミホノブルボンの目の前にいる存在がその何よりの証明だ。
そして、そんな存在が返した言葉は彼女に僅かな驚きを与えた。
「それで、コイツが煙吹いたのはいつだ?」
彼は工具箱を適当に置くと、壊れたマシンの操作盤を弄りながら彼女達に尋ねた。
「データログによると、私が速度を時速50kmに設定し、走り始めてから約36秒後に何かの破裂音が鳴り、煙を噴出して停止しました」
「ブルボンちゃんの言う通りだよ! さっきまで煙がすっごく出ててね、お部屋の中なのに雲が出来ちゃうぐらいだったんだ!」
「……駆動系か」
彼女らの話から大体の目星を付けた彼は、慣れた手つきでマシンを分解し始める。彼女達は普段なら目にしないそれを、興味深く見ていた。
元よりメンテナンスのし易いように設計されていたお陰か、大した時間も掛からずに駆動系部品やその制御回路が彼女達の目に晒される。
彼は、白い煙をその身から放出し続けているモーターをその中から回収すると、新たな物へと交換してすぐに元通りに組み直した。
「す、すごいね……! ウララちゃんのトレーナー! まだ全然時間経ってないのに、もう直っちゃった……!」
「えへへ! 言った通りでしょ! トレーナーは凄いんだよ!」
「……更新完了。彼の認識をトレーナーではなくエンジニアに更新しました」
「ええっ!? 違うよブルボンちゃん! わたしのトレーナーはトレーナーだよ!?」
彼女達がそれぞれ彼を評価する中、彼は熱くなっていたモーターを見て首を傾げていた。
「初期不良品は無え事を確認した筈だがな……?」
彼の疑念の呟きは特に響く事はなく、ただただ自身の耳に入って消えただけだった。彼はこれ以上深く考える事はせず、試運転をするべく彼女達の中からテストプレイヤーを指名するのであった。
「おい、そこの黒いの。一回試しに走ってみろ」
「わ、分かった……! ライス、走ってみるね」
彼の気分で指名されたライスシャワーは恐る恐る、そのマシンを操作する。突然の爆発に怯えていた彼女だが、そんな事が起こる筈もなく、至って普通にマシンはその役目を全うする。完全復活したその様子に、彼女はホッと息をついた。
「も、問題無かったよ……! おじさま……!」
「そうか、ありがとよ」
「では、ライスさん。私も使用して良いでしょうか? 先程はマシンのエラーによって、十分なトレーニング結果を得られなかったので」
「そ、そっか! じゃあどうぞ! ブルボンさん……!」
ライスシャワーが快くマシンを空ける。ミホノブルボンは先ほどと同じ様な設定にするべく、操作盤のボタンを押した。
だが、押したのは自爆スイッチか何かだった様だ。
今度は火花を散らして操作盤が黙り込む。彼女はまたしてもマシンを壊してしまった事が、ちょっとした負い目となってしまった様で、その落ち込みが耳や尻尾に現れていた。
勿論、その様子を彼はしっかりと確認しており、そのぶっ飛んだ壊れ方に頭を悩ませていた。
「テメエは手から電磁波でも出てんのか?」
「いえ、私の身体にそのような機能はありません」
「だったらコレ持ってみろ」
彼は自身の携帯を彼女に手渡した。指示通り、彼女は携帯のボタンを押すが画面はずっと暗闇しか映さない。どうやら、電磁波対策のしてある端末でも彼女の前では無力のようだ。
彼は眉をひそめながらこう思った事だろう。
絶対に工場に入れてはならないタイプの奴だと。
「ああ、確かに出てねえな。きっと出てんのは別の何かだ……一体何食ったらそうなる?」
「今日の昼食は、ソーセージを使用したランチプレートと炒飯セットの大盛りです」
「ったく……とりあえずテメエがどっかの誰かみてえに会話が下手くそだって事は分かった」
どうやら、皮肉の翻訳機能は彼女に付いていなかったようだ。呆れ返った彼が彼女をマシンから下ろし、スパークを起こして命を散らした操作盤に触れる。
しかし、不思議な事に彼がボタンに触れた瞬間、死んでいた筈のそれは息を吹き返した。そして、何事も無かったかのようにメニューを表示させている。
「どういう事だ……? 壊れてねえ」
「ブルボンちゃん、良かったね! 壊れないってさ!」
「……私には理解出来ません。確実に先程のスパークでこの機械は停止した筈」
「き、きっと偶然だよ……! もう一回やれば……大丈夫……!」
そんなライスシャワーの言葉もあり、彼女は再度そのマシンへ手を付けた。しかし、結果が変わる事はなく、再び操作盤は破裂音と共にブラックアウトした。
その様子に納得のいかない彼は久々に真剣な顔付きで彼女へある提案をする。
「おい、明日また同じ時間にここに来い」
「はい、問題ありません。ですが、どうしてでしょうか?」
「簡単だ、気に入らねえんだよ。テメエが触っただけでぶっ壊れるのがな。だから、いくら触っても絶対に壊れねえよう、徹底的に直してやる! 文句あるか?」
「いえ、私のメモリー内の修理業者にそのような発言をした者はいませんでした。簡単にまとめますと、"期待しています"」
彼女の無表情だった顔に、僅かに笑みが生じた。しかし、そんな些細な表情の変化を彼が気にする筈もなく、ただただニヒルな笑みを浮かべながら考えるかのように窓の外へ視線を向けた。
「ねえ、トレーナー! 明日直すってことはこれから暇だよね!」
「悪いが暇じゃねえ、工場で色々と部品を作らなきゃいけねえからな」
「ええっ!? じゃあ、今からダンスの練習やるのに見に来ないの!?」
「見れる訳ねえし、見る気もねえ」
ウイニングライブを一切見ない彼にダンスを披露する場は殆ど無いに等しい。それ故に、ハルウララは何としても彼をダンスホールまで連れて行きたいようだ。
そこで、彼女はとっておきの秘策を繰り出した。
「じゃあトレーナー! ジャンケンで決めようよ!」
「……マジかよ」
まるで、自分が勝つと分かっているかのような、自信に満ち溢れた瞳を向けて彼女はそう宣言する。やらねば引き下がらないと分かっている彼は、嫌々ながらそれに応じた。
その結果がどうなったのかは分からない。しかし、ただ一つの事実として、彼の帰りが少し遅くなった事だけは確かだった。
そして後日、ミホノブルボンの使用にも耐えうる改良がしっかりとされ、彼女はその使用感に満足そうであった。しかし、それと引き換えに見た目が少し犠牲になったようで、少し綺麗だったそれは追加の配線や訳のわからぬ装甲が追加され、見事にいつも通りのボロボロマシンに変わっていたそうだ。
ハイゼンベルクのヒミツ
実はとんでもなく運が悪い