今日、ハルウララは散歩に来ていた。ただ、いつもと違う部分は彼女自身も全く知らない道を通っているという事だけだ。
とある道路の横に生い茂る林。特に用も無ければ気に留めない、そんな影の薄すぎる道を曲がる。車一台通れるかどうか分からない細い道を彼女は躊躇わず突き進んでいく。
そして、彼女の目の前に現れたのは大きなフェンスの壁だった。
入り口であろう金網で出来たドア。乗り越えられない様その上に設置された有刺鉄線。もし今の時間帯が昼でなく夜であったなら、間違いなく何かが化けて出てきただろう。
彼女の友人達ならためらいなくここで引き返しただろう。それほどの圧を感じる場所だった。
しかし、当の彼女は何一つ気にせずに備え付けられたインターホンを押す。
ピンポーンと呼び鈴が鳴るが、反応は無い。数秒待ってしびれを切らした彼女は再びボタンを押した。また、ピンポーンと鳴り響く呼び鈴。そしてまた押されるインターホン……
またまた彼女がそれを押そうと思い始めた瞬間、ピッという音と共に一人の声が返ってきたのだった。
『おい、五秒ごとにボタン押す馬鹿はどこの……』
「あ! トレーナー! 遊びに来たよー!」
『は? おい待て、何でテメエがここに居る?』
「りじちょーが教えてくれたんだ! 遊びに行くぐらいなら良いよって言ってたよ!」
『あのチビ……面倒な事を』
「あっ!! あのね、りじちょーからトレーナーに渡してくれって言われた手紙も持ってきてるんだ!」
『ったく、入れざるを得ねえって事かよ。しょうがねえ、今開ける。入って……いや待て! 俺がそっちに行く、それまで勝手に動くんじゃねえぞ!』
ブツッと通信が一方的に切られる。彼の口調はかなりの焦りを含んでいたが、そんな事は一切知らない彼女はキョロキョロと物珍しそうに辺りを見回してはいるが、言いつけ通りじっとその場で待っていた。
一分も経たないうちに向かい側にハイゼンベルクが現れる。珍しいことに鉄槌は持っていない。ドライバーなどの工具が詰め込まれたポーチが腰からぶら下がっている事から、どうやら何かの作業中だった様だ。
彼は慣れた手つきで金網に付いている端末を操作すると、目の前に立ち塞がっていたドアは歓迎するかの様に開く。なお、彼の感情はそれとは真逆であった。
「ついてこい、変なとこ勝手に行くんじゃねえぞ?」
「はーいっ!」
相変わらず不機嫌そうな彼にワクワクしながらついて行くと、今まで見た事もない光景が彼女の目の前に広がっていた。
学園のグラウンドより大きい広大な大地。その至る所にそびえ立つスクラップの山々。この土地の中心に建つ小さな工場。何故かここだけ別の世界だと思ってしまう程にこの場所は不思議なオーラを放っていた。
「うわぁーっ! 山がいっぱいだあ!」
「おい、全部ただのスクラップだぞ? 面白くも何ともねえ」
「えーっ!? でも、登ったら面白そうだよ! てっぺんに立ったら何が見えるのかな?」
「そんなに死にたけりゃ、後で登れ」
「わかった! 登ってくるね!」
彼の話の一部だけを聞き取り、勝手に理解した彼女は勢いよく山の方へと走ろうとするが、その首根っこを彼に見事に掴まれた事でその夢は絶たれた。
「聞いてなかったのか? "後で"だ!」
「あれ? そうだっけ?」
「ったく、さっさと行くぞ」
彼が手を離すかと思いきや、首根っこを掴んだまま片手でハルウララを持ち上げる。そして、そのまま猫でも持つかの様にして歩きだした。
「えっ!? あれっ!? トレーナー力持ちなんだね!」
「……マジか、肝座るどころか地面に寝っ転がってやがる。大した奴だ、全くよ」
宙でブラブラと足を動かしてこの状況を楽しんでいる彼女に、彼は初めて畏敬の念を抱いたのだった。
それからすぐに、工場までたどり着くと彼女の足をちゃんと地面へと戻す。そして、適当な場所にパイプ椅子を置き、彼女を座らせた。
「そんで、確か手紙だったか?」
「はいっ! これ!」
彼女から手紙を受け取ると彼は気怠げな様子でそれを読んでいく。その間、暇なので周囲を見回す彼女。
近くにある棚には何かよく分からない機械が沢山置いてある。奥に見える机には紙が沢山貼ってあるがどれもこれも難しそうな内容ばっかりで理解できない。
後ろを見ると、良くある業務用のトラックが停まっている。しかし、その奥にも何かがある。ウマ娘の視力を最大限に発揮して奥の暗闇にある物を見ると、そこにはバイクと何かをくっつけた様な乗り物が置かれていた。何か色々突き出ているが何に使うのかは彼女には分からなかった。
前に向き直り、手紙を読んでいる彼の背後の棚を見る。そこには彼女でも分かる機械、ドリルがあった。それも大量に。普通なら疑問に思う部分だが、彼女は全く気にしなかった。
まだ何か面白そうな物は無いかと、辺りを再び見回そうとしたが、もう彼は手紙を読み終えてしまった様だ。
「クソッ……やるじゃねえかあのチビ」
「なんて書いてあったの?」
「あー……"遊びはトレーニングじゃ無いからトレーナーじゃなくても問題なく出来る"だとよ」
「えっ!? トレーナーが遊んでくれるの?」
「んな訳……いや待て」
ハイゼンベルクは彼女を置き去りに、奥の部屋へ入って行った。ガシャガシャと何かの音が閉じたドアから響いてくる。そして、しばらくして戻ってきた時、彼はバスケットボールより一回り大きい球体を持っていた。
「さて、お望み通り遊んでやる。だが、相手は俺じゃねえ。コイツだ!」
彼は球体をその場に落とす。ボールの様な軽い音ではなく、ガンッと重たい音が鳴り響く。彼は片足をその黒い球体に乗せてこう言った。
「ルールは単純、俺が蹴ったこのボールをテメエが取ってくるだけで良い。簡単だろ? じゃあ行ってこい!」
「わかった! よーし負けないぞ……え? ええっ!?」
彼が足を離すとそのボールは勝手に転がり始めた。そのまま一直線に工場の出口へ向かっていく。予想もしてなかった動きに呆気に取られた彼女だったが、すぐさま持ち前の足で追いかける。
「見つけたっ! 待てー!」
ボールは工場を出てすぐの場所でハルウララを待っていた。まるで彼女を煽るかの様に左右にユラユラと揺れている。
彼女がスピードに乗ってボールへと近づくと、まるで意思でもあるかの様に彼女から逃げ出した。その逃げ足は意外に早い。
「さて、見物でもさせて貰うか」
ボールと彼女が同スピードで右に左に駆けていくのを見ながら、彼は葉巻を片手に一息つくと、どこかの能天気さんの来訪で中断していた作業を再開するのだった。
しばらくの間、勝負は平行線であった。ハルウララが加速すればボールも加速し、止まればボールも止まってユラユラと煽り始める。まるで一定距離を保つかの様にボールは動いていたのだった。
「ゆっくり……ゆっくり……!」
時折、ゆっくりと移動して気付かれない様に接近しようと試みては、触る直前で綺麗に逃げられたり。
「よーしっ! いくぞー!」
全力のスプリントで捕まえようとしてみては、途中で急カーブを織り交ぜられて見事に撒かれたり。
「ふぅ〜、疲れた〜」
地面が砂の部分があったので、そこに追い込んだ結果、ボールよりも自分が足を取られて疲れてしまったりと中々捕まえられずにいた。
持参の水筒で喉を潤しつつ何か良い方法は無いかと考えていると、またボールが彼女をからかうために見える位置まで移動してきていた。
「あれ? あんなのあったっけ?」
その時に見えたボールは最初の物とは少しだけ違った。猛スピードで彼女から逃げているせいもあり、表面の黒い塗装は剥げて中身の鈍い銀色が顔を出している。そして、その銀色の中に彼女の方を向く赤い点があった。
「もしかして、これって目かなあ?」
彼女がわざと右へ左へ動くと、ちゃんと赤い目も右へ左へ移動する。
「あっ! そうだ! 良いこと思いついた!」
彼女は不敵な笑みを浮かべると、スクラップの山へ走って行った。当然、一定距離を維持しようとボールも追いかけて来たのだが、そこに彼女の姿はなく、あるのは錆びた鉄屑だけで明るいピンク色なぞ何処にも見当たらなかった。
「捕まえたっ!」
その音に反応し、その目を真上へ向けるとそこには大の字になってスクラップの山からボールへと飛びつく彼女の姿があった。
それを見て焦りでもしたのか、ボールは出力最大で急加速。空転させながら彼女の作る影から脱出を果たした。もちろん、彼女はボールに触ることすら叶わず、地面に大の字のまま落ちた。
「いてて……でも惜しかったぞ! やっぱりあれで見てるんだ!」
彼女は再びボールを追いかけ始める。だが、さっきまでとは違う。真っ直ぐではなく、ボールの視界を避ける様にわざと軸をずらして追いかけていた。本当に視界から外れているかは分からない。ただ、先ほどとは違い彼女を撒くようなカーブをしていない事は確かだった。
「よーし、いくぞー! 3、2、1……うわっ!」
直線勝負のみであれば彼女の方が少し早い。故に差は段々と縮まり、あとは飛びついて捕まえるだけのはずだった。しかし、偶然にも彼女の前方に砂地が広がっていた。ボールは砂地に入るギリギリを走っていたため、問題なく通り過ぎて行った。対して、ハルウララは足を思い切り取られてしまい失速。狙いは惜しくも阻まれた。
「ふぅ……よしっ! ボールだけじゃ無くて前も見れば完璧だよね! 次こそは捕まえるぞー!」
再びボールを追いかける。思い切り走ってボールの斜め後ろにつく。先ほどと同じ状況だ。今度は反省を生かし、視野を広げると彼女の通る軌道上にまた砂地が広がっていた。だが、ここまでは予想通り。今度はちゃんと準備万端にして突っ込んでいった。
「よーし! いくぞー!」
砂埃をばら撒いて僅かに失速はしたが、どうにか砂地はスピードとパワーで切り抜けた。あとは、あの逃げまくるボールを捕まえるだけだ。
「隙あり! もらったー!!」
速度、角度ともに完璧な飛び込みだった。これがビーチフラッグだったらきっと彼女の勝利だっただろう。だが思い出してほしい、このボールの製作者の事を。あの性格の悪い彼が作る物が一芸だけで終わるのか、その答えはハルウララの前にあった。
「え? ええっ!?」
彼女の手がボールに触れそうになった瞬間、そのボールはひとりでに大きく跳ねた。ガシャンッといかにもメカメカしい音を立てながら着地すると、そのまま真っ直ぐハイゼンベルクの元へ戻って行った。
結局、彼女の手が捕まえたのは砂埃の舞う空気だけだった。
「残念だが、テメエの負けだ」
彼女の愉快な追いかけっこ相手を片手で掴み上げ、すぐそこの棚に適当に突っ込みながら彼はそう言った。
「ええーっ!? もう終わりなの? わたしまだ元気だよ!」
「テメエが元気かどうかなんて関係ねえんだよ。もう夕方だ、さっさと帰れ」
彼は壁に掛かっている古い時計を指さす。確かに時刻は夕方。日も既に傾き、空は赤から黒へと移り変わっていく最中だった。
「ええっ!? もうこんな時間!? 早く帰らなきゃ!」
「じゃあな、もう来んじゃねえぞ」
「じゃあね、トレーナー! また来るね!」
「あ、おい! ハァ……この感じじゃまた来んだろうな」
彼が念押しをしようと振り向いた時、既に彼女の姿はスクラップの影に消えた後だった。ため息一つ吐きつつも、行ってしまったものは仕方ないと割り切って、作業を再開する。
「あー、奥に置きっぱじゃねえか」
少しだけ時間が経った後、彼は口元へ葉巻を持ってくるが、手に持っていたのは葉巻では無くドライバー。どうやら、奥の部屋に置いてきてしまったのを忘れてしまっていたようだ。彼は悪態を吐きつつも、換気扇の真下に置かれた火のついたままのそれを咥える。そして、どこかのお偉いさんに頼まれた芝整備用の専用機械を作るため、作業を再開させるのであった。
ハイゼンベルクの工場
いつからあるのか分からない古びた工場。実はお化けが出るという噂がある。