悪夢というものは大抵寝ている間に見るものだ。そして、起きた時には気持ち悪い感覚と微かな記憶だけが残る。
しかし、彼らにとって悪夢は体験するものらしい。
文字通り、悪夢のような存在が、炎を撒き散らしながら彼らに迫る。この体験型の悪夢の一番の特徴は、夢オチでは終わらない事だろう。
一応、その燃え盛る三枚刃に飛び込めば、ある意味これまでの人生を夢オチのように一瞬で終わらせる事が出来るが、そこに至るまでの恐怖は筆舌に尽くし難いのは確かだ。
「あ、ああ……! 来るな……来るなぁ!」
パニックに陥った彼らは手当たり次第に物を投げまくる。持っていたスタンガン、石、シャーペン、鉄屑。しかし、それは残虐な回転機構の前では全て塵と化す。
さらに、この魔物に慈悲など無い。敵とみなしたならば、生きた証すら残さない程に消し飛ばす。
それを示すかのように、魔物は煉獄の火炎を吐き出した。まるで、ドラゴンのブレスのようなそれは、前方の物体を焼き尽くす。さらに、その魔物はその頭を左右へ振るった。
扇状に地が火の色に瞬く間に染まる。そんな火炎放射器が生温く見えるこの光景は、彼らだけでは無く、後ろでじっと見ている彼女達にも恐怖を与えた。
目の前に広がる紅蓮に恐れを成し、彼らは震える足を強引に動かして逃げ出した。しかし、生まれたての子鹿のような足では満足に走る事など叶わない。結局、転倒を繰り返すせいで魔物との距離は変わることは無かった。
「はあっ、はあっ! なんでこんな目に……!」
だが、工場の入り口まで逃げてきた一人は砂利道に停めた車に乗り込むと、正気では無い血走った目で未だに燃えるその怪物を睨みつけた。
「これで……ぶっ殺してやる……!」
業務用のバンのアクセルを口の悪い彼は全力で踏み込む。もう彼の頭には怪物を排除する事しか無いのだろう。その後ろにいる罪なき者達の事など考えている訳がない。
しかし、ハルウララ達は気付かない。燃え盛る大地と煉獄の魔物に、ただただ唖然としているだけだ。きっと、視界は炎で隠され、音は別のエンジン音でかき消されているのだろう。
ゆっくりと歩くその魔物へ、猛スピードで鉄の箱が迫る。
しかし、彼に避けるという選択肢は無い。
そして、彼はその身を盾として迫り来るそれを受け止めた。
激しい衝撃と金属の軋む音に、運転手はほくそ笑みを浮かべた事だろう。
だが、考えてみて欲しい。
常軌を逸する生命体の溢れるあの地で、何のために彼はその産声を上げたのか。
その創造主たるハイゼンベルクを以ってして、何故化け物と呼ばれているのか。
幸か不幸か、一人の哀れな男はその片鱗を目の当たりにするだろう。
男が異変に気づいたのは、笑みを浮かべたすぐ後。車が一切前進せず、タイヤが地についているにも関わらず、空転を起こしている。そして、代わりに前から聞こえる謎の異音が、その自己主張を強めていく。
「は……? い、一体なんだ!?」
そして、ドリルのような振動が車全体へと伝わり、アクセル全開の車はなんと後退を始めていた。
その瞬間、男の乗る鉄の箱は便利な乗り物などでは無く、ただの棺桶と化す。
高速回転をする鎖状の刃は、瞬く間に車のエンジンを削り取り、鉄屑へと変える。それだけに収まらず、人智を超えたその力はおよそ二トンもある巨大な棺桶を、まるで発泡スチロールの如くひっくり返した。
ガッシャーンという音を立て、棺桶の天地は入れ替わる。
「ば、化け物だ……!?」
完全に戦意喪失したその男は、何とかそこから這い出て、一切後ろを振り返る事なく逃げ出した。
その後ろでは倒れたバンが、カステラのように左右に分断され、その切れ目から殺意の篭った業火が噴き出していた。
男は砂利道を転びながらも死に物狂いで走る。だが、大通りまであと少しという場所で、最悪の人物と鉢合わせてしまう。
「よお、歓迎されてるみてえだな?」
鉄槌を地面に突き立て、ニヒルな笑みを浮かべるその男は、正しくこの魔物の巣食う城の主人である、ハイゼンベルクであった。
正しくそれは、前門の虎、後門の狼……いや、前門の魔王、後門の魔物というべきだろう。
彼の足元には、男の蛮勇を見届けずに先に逃げ出した二人の記者の姿があった。だが、どちらも地面と熱いハグを交わしている事から、もう意識は無い事がよく分かる。
「ハッハッハッハ! なるほどな、アイツを怒らせたか……ご愁傷様」
「な、何言ってやがる? あの化け物に殺されそうなんだ! テメエのところのヤツだろ!? 何とかしろよ!」
彼の右手が男の首を掴み上げる。そのまま首の骨を折られるかと思うほどの力を込められ、男は冷や汗を垂らして沈黙した。
「おい、ガキ。いい事を教えてやる、この場所はテメエの大好きな日本じゃねえんだよ」
何を言っているんだと言わんばかりの目を彼へと向ける。彼のサングラスから時折見えるその目は、表情とは裏腹に笑ってなどいない。
「ハッキリ言ってやる。この場所でテメエら三人が仲良く土の下に埋まっても、誰一人気付かねえって事だ」
男の目が大きく見開かれる。つまり、ここで死んだとしても誰も介入できないと彼は言いたいのだ。あり得ない。そう思わざるを得なかった。
「さて、遊びはここまでだ。ほら、聞こえんだろ? アイツがお待ちかねだ」
ゆっくりと首元を掴まれたまま、工場の方へと運ばれる。目の前まで迫っていた出口は、本当に手の届かない所まで遠ざかっていく。
いくらもがいても彼の万力のような手が外れる事は無く、一歩一歩その男の体は地獄の粉砕装置まで持ってかれていく。
もう、魔物の声はすぐ後ろだ。
しかし、その回転機構はゆっくりと停止した。
何事かと思い彼がシュツルムを見ると、少し泣きそうな表情を浮かべながらも、その足にしがみつくハルウララの姿があった。きっと、彼女はこの行為を良しとはしなかったのだろう。
「ったく、甘え奴だ」
彼は小さく呟くと、その右手に持った物を勢いよく地面へと叩きつける。当然のように、その男は気絶した。
彼は、ハルウララの肩にポンと手を乗せると、ため息混じりに呟いた。
「悪かったな」
「え……? トレーナーはなにも悪くないよ!」
「カメラのマイク越しに全部聞いてた。あんなクソ野郎共の侵入を許したのは、俺の対策不足みてえなもんだ。テメエこそ何も悪くねえよ」
発端は自身の対策不足だと彼は言い張った。珍しく、その表情は優しげだ。
「おい、シュツルム」
彼は自身のお気に入りの名を呼ぶと、その燃えて熱を持った機体に拳を当て、得意げに笑みを浮かべた。
「テメエにしては良くやった」
彼から褒められたシュツルムは、嬉しかったのかプロペラを勢いよく回す。未だのその体は炎に包まれているが、そこにはもう魔物の雰囲気など無い。ここに立っているのは、ただの可愛らしいポンコツだけだ。
その後、彼は工場で後片付けに勤しむハルウララの友人達の姿を発見する。それだけでは無く、ゾルダート・ジェットやパンツァーまでもその活動に参加していた。
「この工場……なんでもアリね」
「まさか、こんなにロボットがいるなんて驚きですね」
破壊されたバンを勝手にスクラップだと思い込み、手についたドリルで次々と解体していくその様子に、二人は思わず呟いた。その他にも、辺りにばら撒かれた鉄屑を回収して再び山へと戻している者や、地面の消火活動に勤しむ者、どこぞの黄金船を頭の上に乗せたままジェットで移動している者もいた。
「みんなー! トレーナー帰ってきたよ!」
笑顔で放ったその言葉を聞いた彼女達の視線は、一斉に彼へと向く。
「よお、フランケンシュタイン! あの三人組はどうした?」
「今頃、砂利のベッドで最高の悪夢を見てるだろうよ」
「流石だぜオッサン!」
ゴールドシップの表情が笑顔へと戻る。工場長が彼らへ加えた制裁に満足でもしたのだろうか。
「それで、ここを勝手に避難所代わりにしてるテメエらには悪いが、これからやる事があるんでな。出て行って貰えねえか?」
「あら、珍しいわね」
「まあ、あの三人組にお灸を据えるだけだがな」
「なるほどね〜、大賛成!」
彼女達は残りの片付けを鋼の軍団に任せ、帰りの準備をし始める。
そして、今まさに帰ろうとした時、彼は彼女達に呼びかけた。
「まあ、その……なんだ……ありがとよ。今度飯でも奢ってやる」
「……どういう風の吹き回し? 私達が色々と面倒ごと持ち込んだのよ?」
「そんな事知らねえな。あのバカ共が勝手に来て、勝手にぶっ倒れてるだけだ。それよりも、テメエらはちゃんとそこの能天気を守ってただろ? ただそれだけだ」
彼はその顔を隠すように彼女達へ背を向ける。そして、ぎこちない動きで葉巻に火をつけた。
「おい、ハルウララ」
どこか浮かない様子の彼女は彼の声掛けに反応を示す。彼女から見た彼は未だに背を向け、その横顔だけこちらに見せつけている。
「これだけは言っておく。俺は一度たりともテメエを弱えと思った事なんぞ無え」
「え……?」
彼の視線はハルウララから空へと移る。まるで昔を思い返すかのように、浮かぶ雲をじっと見ていた。
「俺は昔、ある一人の男に負けた。そいつは力は弱え、凄え技も持ってねえ、諦めが悪い事だけが取り柄のヤツだった」
「オッサンが……負けた?」
よく戦闘面で関わりのある彼女は、その言葉が信じられないようだ。
彼は揺れる雲を見て、鼻で笑う。きっとそれは、唖然としている彼女ではなく、過去の自分へと向けたものだろう。
「俺も正直弱えと思ってた……だが、違った。そいつは誰よりも強かった。テメエはそいつと同じ、根性だけは一級品のポンコツだ」
その雲を増やすかのように、空へ向かって紫煙を吐く。
「簡単に言ってやる。テメエは強え、それだけだ。言いてえ事は言った、さっさと帰りな」
「トレーナー!!」
まるで、照れ隠しのように彼は工場へとその足を向ける。しかし、心からの笑顔を浮かべた彼女はその足へ抱きついた。
「さっき言ってた事ってほんと!? もしかして、次は一着取れるかな!」
「あ、おいテメエ! 今吸ってんだよ! さっさと離れろ!」
片足立ちになり、彼は彼女のくっついている足を振るうが、全く離れる様子がない。
仕方なく葉巻を遠ざけていると、何かの駆動音と共に彼の手に振動が走る。
「おい、シュツルム……テメエ随分と賢くなったじゃねえか……? ああ、クソッ! どいつもこいつも……!」
彼の葉巻の先端は、ちょっと賢くなったお化けのプロペラで綺麗に切り落とされていた。火のついた先端部分もご丁寧に装甲の付いた足で踏み消されている。
「えへへ……! わたし、強いんだ……! 嬉しいなー! うっらら〜!」
今まで言われた事のない言葉に彼女はニコニコとした笑顔で尻尾を振っている。勿論、彼の足に引っ付きながら。
しばらくして、やっと彼の足から離れた彼女は友人達と一緒に帰路につく。その様子は憑き物が取れたかのように晴れ晴れとしていた。
「ねえねえ! 今まで知らなかったんだけど、わたしって強いんだって! ビックリだよね!」
「いやー、あのお化けと初対面で仲良くなる時点で絶対弱くは無いでしょ……」
「しかも、一対一で会ったのよね? 正直言って、かなりとんでもない事してるわよ」
「えっ!? アレと一対一デスか……? 何か想像しただけで寒気がしてきたデース……」
「アイツすげーよな! 対面してるだけでなんか武者震いが止まんなくなるんだぜ! 多分、めちゃくちゃ強えからだな!」
「ゴルシ先輩……それ、本当に武者震いなんでしょうか?」
各々が談笑しながら大通りへ戻る。その道中には地面に倒れた例の三人の姿があった。しかし、彼女達の目の前で彼らはゾルダート・ジェットによって工場へと運ばれる。
彼らの行き先はあのニヒルな笑みを浮かべたあの男の元だろう。
「さて、そういやドナが言ってたな。強い思いがある奴に幻覚を見せると、面白い事になるそうだ。是非一度実験してみてえと思ってた! なあシュツルム、テメエもそう思うだろ?」
鳴りを潜めていたサディストが久々の獲物を前に涎を垂らす。その横では恐怖を体現した存在が、目先の贄に嵐と化した喜びを放つ。
「今のテメエらは燃えたプロペラが目に焼き付いてる状態だ。そこにコイツをぶち込んで、アレに追われたらどんな声を出してくれるんだろうな?」
彼は未だ意識の無い三人組に向かって、キラリと光る注射器を見せつける。その中身は恐らく幻覚剤か何かだろう。
彼は手早くその中身を注射すると、特別な入り口から彼らを地下へと叩き込む。かつて、一人の父親が落ちた時と同じように、彼らの行き先はあの鋼の獣の前に違いない。
「安心しろ、死にはしねえ」
彼の言う通り、殺される事だけは無いだろう。
ただ、死んだ方がマシと思う程のナニかを味わう事になるかも知れない。
そして、全てが寝静まる筈の真夜中。その工場からは、この世のものとは思えない叫び声と高らかな笑い声だけが響き渡ったという。
きっと、これを発端にあの噂は再び広まる事だろう。
彼の工場にはお化けが出ると……
誰かの新聞
トレセン学園に所属する誰かが読んでいた物。そこにはウマ娘達の活躍が特集として載っている
しかし、そんな輝かしい内容の裏側には、とある会社に鉄骨が何本も突き刺さっていたり、交番の前に何故か三人の男が廃人状態となって倒れていたり、どこか不気味さの残る事件について掲載されていた。
だが、学園で過ごす者達には関係の無い話だろう。そんな者など彼女らの中にいる筈も無いのだから。
チェーンソーのプロペラ
どこかの頭のおかしい誰かが作った一品。耐久性が非常に高く、何を切り刻もうとも壊れる事は無い。
本来、それは相手を滅する為の刃として作られた。しかし、その使い手は目の前の者を攻撃する為では無く、背後の者を守る為にこれを振るった。
最強の矛が最強の盾となるとは、何とも不思議な事だ。