毎回やってくれる人がいて本当に励みになります!
以前、二着を取ったハルウララ。しかし、その後の様々なレースではそれ以上の順位は取れずにいた。良い所までは行くのだが、毎回惜しくも敗れるという形で終わる。
何かしらの一押しが足りないのだ。
それが何かも分からないまま、彼女は明日のレースに備えて、学園のグラウンドでトレーニングをしていた。
「あっ! チョウチョだ!」
しかし、友人達に教わったトレーニングでは彼女を釘付けには出来ず、右に左にうらうらと笑顔で楽しく彷徨う彼女の姿があった。
だが、それを注意する筈のトレーナーはここには居ない。いや、居たとしても注意などしないだろう。むしろ、こちらに構わず大人しく遊んでろとでも言いそうである。
「あっ! トレーナーだ!」
しかし、その桜色の目に彼は見つかってしまったようだ。
彼女の興味は蝶々から工場長へと変わる。あちらこちらに向きを変えていた筈のその足は、真っ直ぐと彼の方へと向いて動き出す。
「こんにちは、トレーナー!」
「あ? 何だテメエか。あの堅物副会長かと思ったぜ」
彼は鉄槌へとその視線を向けるとそう言った。重量がある故に没収はされないが、しつこく注意はされるらしい。現状では彼がエアグルーヴの執念に負けるのが先か、彼女が彼の頑固さに折れるのが先か、いわば根比べの状態だ。
「あのね、トレーナー! 明日レースなんだ! 見に来てくれるよね?」
「明日か……良いぜ、行ってやるよ」
最近、彼女はそこそこの頻度でレースに出ている。だが、彼はトレーナー兼工場長。用事で同行出来ない時もある。
まあ、単純に気乗りしないので行かない時もあるのだが。
「やったーっ!! 今度こそ一着取るぞー! あ、ちゃんとライブも見てね!」
「あー……そういやそんなんあったな」
彼女は手を両手に上げ、全身で喜びをアピールする。尻尾は左右に大きく揺れ、まるで犬か何かのようだ。
「そうだ、トレーナー知ってる? シューちゃん、曲がれるようになったんだよ! プロペラでブーンって止まって、歩いて曲がるんだ!」
「歩いて曲がる……か」
「でもね、曲がらない方が速いんだ! わたし、ビックリしちゃった!」
笑顔でそう言う彼女の脳裏には、良き練習相手の姿が浮かんでいる事だろう。
しかし、その者はカーブに滅法弱いようだ。速度を落として曲がるより、直線でコの字を描く方が速いとは、何とも不思議なものである。
彼はこの話を聞き、鼻で笑った。
「ヘッ、そりゃそうだ。あのポンコツからスピードを取ってみろ。戦車みてえな重量に、ナメクジみてえな加速力。一体何が残る?」
恐らく、あの見る者の殆どを震え上がらせる見た目と、瞬く間に何でもミンチに出来る高性能チェーンソーだけは、しっかりと残るだろう。
「まあ、アイツを俺が本気で曲がれるようにしたらどうなるか、今度見せてやるよ」
「わーい! じゃあ、シューちゃんはもっと速くなるんだね! わたしも頑張るぞー!」
不敵な笑みを浮かべる彼に対し、彼女はそのやる気を満ち溢れさせるかのように、元気に右手を天へと突き上げた。
「あ、そうだ! また靴直して欲しいんだ! この前、スペちゃんと走ってたら凄い音立てて、真っ二つになっちゃったんだよね!」
「ハァ……じゃあさっさと持って来い。明日には渡す」
「ええっ!? 明日はレースだよ!」
彼のため息混じりの返答に、彼女は困った顔を浮かべてその尻尾をピンッと伸ばす。察しの悪い彼女に対し、彼は呆れたような表情を浮かべると、ちゃんと彼女に分かるようにハッキリと含んだ意味を言ってやった。
「会場まで持って行ってやるって言ってんだよ!」
「あ、そっか! ありがとートレーナー! ちょっと待ってて、すぐ持ってくる!」
「……ったく、調子狂うぜ」
彼は鉄槌を地面へと置き、手頃な木に寄り掛かると、サングラス越しに傾き始めた太陽を睨む。
見えるもの全てを明るく照らす球体は、木やグラウンド、そこを走るウマ娘達に柔らかな光を与える。それは彼も例外では無い。
しかし、彼にその光は眩しすぎたようだ。睨み付けるのを止め、代わりに帽子を深く被り直す。目元に出来た影は彼の視界を暗く、闇に満ちた世界へと引き戻すだろう。
だが、依然として彼の全身は太陽に照らされていた。そんな事も知らず、彼はのんびりと彼女を待ち続けたのであった。
次の日、商店街にてハルウララは沢山の人に囲まれていた。理由は単純、彼女が今日レースに出るからだ。
「ウララちゃん、頑張ってくれよ! 応援してるからな!」
「私は今日は見に行けないけど、頑張るのよ!」
「うんっ! ありがとー! わたし頑張って一着取るから! 期待して待っててね!」
いつもお世話になっている店主達の声援を受けた彼女は、元気良く一着の宣言をする。皆がその様子を優しい笑顔で見届ける中、一部の者達はそんな元気に負けないように、声を張って対抗する。
「良しっ! じゃあウララちゃんが一着取ったら、今日の夜は俺の店で焼き鳥の食べ放題だ!」
「ええっ!? それ、ほんと!?」
「ああ本当さ! みんなで話し合って決めたからね!」
焼き鳥屋の店主は、周囲の者へ視線を向けると、食品を取り扱っている店の者達が任せろと言わんばかりにその親指を上げた。
「ウチからは最高の野菜を持って行くよ!」
「魚だったら任せといて!」
「鶏肉沢山持って行かねえとな!」
そんな、商店街の者達の期待を背負ったハルウララは、緊張する事なくその溢れる喜びを手足、尻尾、耳の全てを使って表した。
「わーいっ! ありがとーみんな! 焼き鳥の食べ放題……! えへへ……!」
応援してくれる者達に別れを告げ、彼女の足は駅へと向かう。しかし、その口元からは涎が垂れ、その顔はふにゃりとしており気が引き締まっていないように見える。
まあ、きっと走るのに支障は無いだろう。いや、むしろ一着を目指すモチベーションに繋がったのかもしれない。
そんな事もあり、彼女の足取りは重々しいものではなく、軽やかなものであった。
今回、レース場は近いのでトレーナーであるハイゼンベルクとは現地集合の予定だ。どうやら、ハルウララの方がだいぶ早く着いてしまったようだ。ウキウキ気分でスキップを刻んだせいだろうか。
とにかく、彼女は特にやる事も無いので、先に受付を済ませて控え室で座っていた。既に、いつもの体操服に着替え終わっているので、後は彼の到着を待つだけだ。
「えへへ……! 一着取ったら食べ放題……! 何食べようかな?」
頭の中で美味しい想像を膨らませている彼女。左右にゆらゆらと揺れながら、そんな事を考えていると、控え室の扉がノックも無く突然開かれる。
「あっ! トレーナー!」
当然それは係の者などでは無く、意外と大きい体躯にくたびれて薄汚れたコートを着たハイゼンべルクであった。
「狭っ苦しい場所だな」
入室してからの第一声は、部屋の大きさへの文句であった。まあ、彼と鉄槌が一緒に入るには少々狭いと感じるだろう。
「ほらよ、靴だ」
「わーいっ! ありがとー! あれ? これって……」
彼の手から渡されたピンク色の靴。割れていた蹄鉄はしっかりと交換され、靴自体もピカピカにクリーニングされている。
だが、彼女が疑問に思ったのはその部分では無い。その靴に付けられた蹄鉄が真っ黒に輝いている事だった。
見覚えのある一品に、彼女は思わず疑問の声を漏らした。
「あー……テメエのファンとか言う奴がその黒い蹄鉄を置いてった。だから、ついでにくっ付けただけだ」
「えっ!? そうなの! ねえねえ、どんな人だった?」
どうやら、彼女はそのファンを良く知りたいらしい。目を輝かせてその詳細を尋ねる彼女に、彼は視線を泳がせながらも答えた。
「あー……そうだな。まあ、帽子を被った怪しい男だ……それ以外に特徴なんて無かった」
「そうなんだ! あ、そうだ! 帽子は何色だった? 今度、探してみたいんだ!」
時折、吃りながらも放った彼の言葉は、しっかりと彼女に伝わったようだ。だが、肝心の彼女は更なる詳細を彼へ聞く。
またもや、彼の目は大いに泳いだ。
「あ、ああ……大して覚えてねえが、確か黒だったな……まあ、もしかしたら違うかもしれねえがな」
「分かった! 黒色の帽子だね! よーし、絶対見つけるぞー!」
欲しい情報を得た彼女は、得意げにそう言った。そんな様子に、彼は一つの疑問が浮かぶ。
何故、彼女はそのファンを見つけたいのだろうか。走れば走るほど増えていくその中から、たった一人を見つけたいとは中々不思議である。
「なあ、なんでテメエはそいつを見つけてえんだ? 会ったところで何にも無えだろ」
「えーとね、その人はわたしに初めてプレゼントをくれた人なんだ! だからね、お礼が言いたいの! ありがとうって!」
彼女は優しさを含んだ笑顔を浮かべてそう言った。きっと、その贈り物はただ彼女を喜ばせただけでは無いのだろう。そうでもなければ、ここまでしない。
「へッ、貰えるもん貰って終わりで良いじゃねえか?」
「ええっ!? でも、わたしは会ってみたいな!」
「まあ、精々頑張って探す事だな」
彼はそう言うなり、その足を扉へと向けた。もう、この狭い部屋からとんずらするつもりなのだろう。ハルウララはその背中を手を振りながら見送る。
だが、その扉は閉まり切る直前で止まる。少しだけ開いた隙間から、彼は言葉だけを部屋へ投げ入れる。
「"Good Luck"、ハルウララ。おっと……こんな言葉、大吉のテメエには必要無かったな。まあ精々、頑張りな」
そして、扉は強く閉められた。きっと、彼女にその意味は完全に伝わってはいないだろう。
「……うんっ!! わたし頑張るよ!」
だが、彼が何を言いたいのかはしっかりと伝わったようだ。
彼女は息を大きく吐くと、その目をやる気に満ち溢れたものへと変える。そして、その足をパドックへと向けて歩き出す。きっと、その先には彼女を応援する者達がいる筈だ。
きっと、その者達と同じようにどこかの誰かさんも"成功を祈っている"事だろう。
乾いた破裂音が響き渡るレース会場。スタートの合図であるその音と共に観客は大いに賑わい始める。
しかし、一人の男は観客席では無い場所で、のんびりと葉巻を吸っていた。
「そこは関係者以外、立ち入り禁止です!」
警備員に囲まれながら……
だが、彼はれっきとしたトレーナー。つまり、関係者である。勿論、彼はある意味名が知れている故に、警備員も彼がトレーナーである事を知っているだろう。
では何故、彼は警備員に囲まれ、色々と注意を受けているのだろうか。
「あ? 問題無え、俺は関係者だ」
「違います! そこは一着を取ったウマ娘とそのトレーナーが立てる場所なんです!」
そう、彼が突っ立っているのはウイナーズサークル。勝者のみが立てる場所。そんな所で、彼はのんびりと一服していたのだ。
しかし、そんな声掛けに動じる事なく、彼はゆっくりと紫煙を空へと吐く。そして、観客席の興奮が最高潮になるのをその耳で感じていた。
「悪いな、とある奴と待ち合わせしててね。もう数分待ってくれ」
「ですから、数分後はここに一着のウマ娘とトレーナーが来るんです!」
「ああ、知ってる」
彼は警備員の焦った顔を見て、ニヒルな笑みを浮かべる。
そして、この様子を見た記者達は、面白がって彼らをカメラへと収める。ちょっとしたゴシップにでもするのだろう。
「なら、どうして……!」
「ここに居るのかって? そりゃあ、あの能天気野郎が来るからに決まってんだろ」
「能天気野郎……?」
警備員が首を傾げたその時、大歓声が観客席から湧き上がった。どうやら向こうではレースが終わった様だ。
警備員達が更に焦り始める中、彼は葉巻の火を静かに消した。そして、その視線を通路へと向ける。
「ったく、待ちくたびれたぜ」
その暗い通路から現れたのは、彼の待ち人であるピンク色の影だった。
「あっ! トレーナー!」
「よお、遅かったな」
「あのねあのね! わたし……やったよ! 勝ったよ!」
彼女は嬉しさで頭が一杯のようで、言葉が上手く出てきていない。代わりに、手やその表情で何とか言いたい事を彼に伝えようとしている。
「ああ、知ってる」
彼はその様子を横目に、警備員達へ向けてニヤリとした笑みを浮かべた。彼らもこのやり取りを見て全てを察したようだ。祝いの拍手を彼女へと送り、彼には一礼だけしてそれぞれの担当の場所へと戻って行った。
「わわっ! わたしウイナーズサークルに立ってる……!」
「一着取ったんだろ? なら良いじゃねえか」
「そっか、そうだよね! わーいっ! 初めての一着だー! うっらら〜!」
彼女は初めて立ったこの場所をキョロキョロと見回している。きっと、この後も彼女は初めての一着を噛み締めるかのように、ウイナーズサークルで両手を上げて喜ぶだろう。
この後、記者達から沢山のインタビューを受けるのだが、その時には彼の姿はこの場所から消えていた。しかし、彼女はその事実に気付かずに満開の笑顔で沢山の質問に答え、その魅力を大勢へと見せつけたのだった。
喜びに溢れた今日一日を締め括るのは、商店街にある焼き鳥屋。約束通り食べ放題となった焼き鳥を、彼女は舌鼓を打ちながら頬張っていた。
「んんっ〜! おいひい〜!」
だが、肝心の彼の姿はそこには無い。彼は席に座らずに店の出口付近で、いつも関わりのある店主達から感謝の言葉を貰っていた。
しかし、ハイゼンベルクは掛ける相手を間違えてると彼らに伝えると、そのまま外へと出て行ってしまう。
どうしてだろうか。そんな疑問を頭に浮かべた者達は、離れていく彼の背中を不思議そうに見ていた。
外に出た彼を出迎えたのは、冷たい空気。春故に身を刺すような冷たさでは無く、普通に涼しいと感じられる程度のものだ。そんな空気を浴びた彼は、一人静かに呟いた。
「……勝ったのはアイツだ、俺じゃねえ」
彼は今日の彼女の頑張りを脳裏に思い浮かべる。
ライブを退屈な顔で見終えた後、彼は今回のレースの記録を見た。その結果は、5バ身差で一着であった。まるで、車か何かと見間違う程の加速をもって、追い上げをしたらしい。
彼女が何をイメージして走ったのか、きっと分かるのは彼だけだろう。
しかし、そんな優秀な結果も全ては彼女が諦めずに努力をしたからなのだ。その努力の過程にあのお化けは含まれていても、自身は含まれていないと彼は考えていた。
そんな事を考えながら、彼は葉巻を咥え、夜の商店街へ歩き出そうとする。
だが、そのコートの裾を掴んでその歩みを止めた者がいた。
「トレーナー! 帰っちゃうの……?」
「ああ……ちょっと用事があるんでな」
ハルウララは彼の言葉を聞き、少し残念そうな表情を浮かべる。しかし、すぐに元の笑顔に戻ると、彼女は彼へ何かを差し出した。
「じゃあ、これあげる!」
彼が受け取ったのは焼き鳥が一杯入ったプラスチックのパック。どうやら、早めに帰ってしまう彼のために彼女が詰めてくれたらしい。なお、その中身は彼女の好きな物だらけだ。
「今日はありがとー! トレーナー! わたしこれからもいっぱい一着取るからね!」
「……そうか、まあ精々頑張るこった。まあ、なんだ……ありがとよ」
彼は彼女に別れを告げ、夜の商店街へ再びその足を向ける。
葉巻を吸いながら帰ろうと考えていた彼だったが、手に持った暖かな贈り物を見て気が変わる。葉巻は静かに胸ポケットへ仕舞い込まれ、代わりに口に当てがわれたのは、未だに熱を持つ美味しそうな焼き鳥だった。
彼はそれを頬張りながら、雲一つない満月の浮かぶ空を見上げる。
しかし、視線の先のそれとは違い、太陽のような温もりを手の中に感じながら彼はゆっくりと呟いた。
「悪くねえ、大したもんだ、ハルウララ」
パック詰めされた焼き鳥
ハルウララからハイゼンベルクに渡された物。その中身には偏りがある。きっと、彼女の好物ばかりが詰まっているのだろう。
これを受け取った彼はその暖かさに、複雑な表情を浮かべた。その熱が焼き鳥のものか彼女の心のものかは分からない。
だが、悪く思っていないのは確かだ。