悪くねえ 大したもんだ ハルウララ   作:黒チョコボ

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忙しすぎてこれから週一更新になります


腕相撲

 

照りつける日差しが暑い今日。そんな日であるにも関わらず、さらに暑くなりそうな催しがあるらしい。

 

その名も腕相撲大会。

 

なんの捻りもないネーミング。何をやるのか一目で分かるそれは、一部のパワー自慢の者達にとって大好評であった。

 

ちなみに、優勝賞品は一万円分の商品券である。

 

そんな豪華景品のお陰で参加者は意外にも多かった。きっと、これがただのダンベルやプロテインだったら、参加者が激減していた事間違いなしだろう。

 

日差しから逃れる事が可能な学園の体育館を借りて、その催しは始まった。ちゃんと冷房はガンガンに効かせてある故に、戦いが幾らヒートアップしても問題は無い。

 

だが、そんな広範囲を冷やせる冷房などあるのだろうか。その答えは、体育館に訪れたハイゼンベルクの手元にあるだろう。

 

「ほらよ、コイツだ」

 

「ありがとうございます、ハイゼンさん! これでウマ娘の皆さんが快適に過ごせます!」

 

真夏であるにも関わらず、普段と変わらぬ格好のたづな。色々と耐性のある彼ですらコートは工場に置いてくるというのに、何故問題なく過ごせているのだろうか。

 

彼はそんな疑問を浮かべながら、例のぶっ飛んだスポットクーラーを作動させた。

 

「今回はどっかの誰かに弄られないようしっかり見とけ」

 

「はい、凍ってしまうと後始末が大変ですからね……」

 

たづなの脳裏に、以前起こった学園凍結事件の光景が浮かび上がる。ただロビーが凍り付くのは問題無かったが、氷が全て溶けて水浸しになった床の掃除は、流石に面倒極まりないものだった。

 

あの惨劇を二度と起こしてはいけない。

 

「そういえば、ハルウララさんも大会に出るみたいですよ? ハイゼンさんも出てみたらどうですか?」

 

「あ? ウマ娘ってのはバカげた力してんだろ? その中に混じれって言いてえのか?」

 

「あれ、ご存知ないんですか? この大会はウマ娘と人間側でしっかりと分けられてますよ」

 

たづなの言う通り、この大会は人間側とウマ娘側でしっかりと区別が成されている。一応、人間側がウマ娘側に混じっても問題は無いが、結果は悲惨な事になるだろう。

 

どこかのゴリラや、3m級の貴婦人なら話は別かもしれないが……

 

「悪いが、遠慮して……」

 

「あっ! トレーナー!」

 

彼の発しようとした断りの言葉は、横から吹いてきた春風によって遮られる。その正体に心当たりしかない彼は、"マジかよ"と言った顔をしながら後ろに振り向いた。

 

「おはよう! トレーナー! たづなさん!」

 

元気の良い挨拶を放つハルウララ。彼に向けられたその目には、楽しさと期待の入り混じった色が見える。

 

「おはようございます、ハルウララさん!」

 

「やっぱりテメエか……」

 

肝心のトレーナーから挨拶が返ってきてないが、そんな些細な事など気に留めずに彼女は威勢よく話し始める。

 

「ねえ、トレーナー! わたしね、今回の腕相撲大会出るんだ! それで、もし勝ったらね、商店街のおじさん達の所でいっぱいお買い物するんだ!」

 

「そうか、まあ精々頑張りな」

 

彼の第六感が何かを察知したのか、早急にこの場から離れろと告げる。本能の意思に従い、早足でどこかへ去ろうとするが、彼の手と肩を掴む二名にその意思は砕かれた。

 

「トレーナーも一緒に出ようよ!」

 

「やあ、君を待っていたよ」

 

片方は何となく予測は出来ていた。しかし、当然現れて肩を掴んだもう一方、白衣を纏った者に関しては完全に想定外であった。

 

「……そこの脳内お花畑の方はまだ分かる。だが、ここでテメエが鬱陶しく出てくるのは理解出来ねえな? イカれ科学者さんよ?」

 

「ハッハッハッハ! イカれ科学者か、完全に否定しきれないのが少々痛い所か」

 

「何言ってやがる、否定出来る部分なんてこれっぽっちもねえだろうが」

 

「そう言う君も大概だろう?」

 

彼とは似て非なる思考回路を持つアグネスタキオン。彼から彼女を見れば狂人、彼女から彼を見れば異常者。

 

思考の歯車の歯数が異なるせいで、二人は一切噛み合わない。

 

技術と閃き、思索と理論。重なり合えば文字通り山を穿ち、海を裂き、宇宙へすら飛び出していけそうなのだが……

 

「さて、君に参加して欲しい理由は私の実験の検証をして欲しい。何も難しい事はない、ただ私のモル……トレーナー君と腕相撲するだけで良い」

 

彼女はそう言うと、とある一人の男性を呼ぶ。少し若いその男は、ハイゼンベルクも何度か見たことのある人物だった。

 

記憶が正しければ、全身を発光させたり、アフロになっていた者の筈だ。廊下で何度かすれ違った覚えがある。

 

「タキオン……今、モルモットって言おうとしなかった?」

 

「な、何を言っているんだねトレーナー君! 私がそんな事言う筈が無いじゃないか!」

 

男の言葉に妙に落ち着きを無くすアグネスタキオンを見て、彼は呆れた表情でたった一言声を掛けた。

 

「ご愁傷様」

 

「はははっ……」

 

目元に隈の出来たその男は苦笑いを返す。そこそこ苦労しているようだ。

 

「さて、本題に入ろう。今のトレーナー君はとある薬を飲んでいてね、力がウマ娘レベルにまで跳ね上がっている! 目安としては、私と互角かそれより少し下ぐらいだ」

 

「ええっ! じゃあ、タキオンちゃんのトレーナーは今すっごく速いの?」

 

「勿論そうさ! 脚力もそれ相応に上がっているからね。ただ……」

 

「次の日、一切動けなくなる程の筋肉痛に襲われるらしい……」

 

彼女のトレーナーは後日訪れる反動に暗い表情を浮かべる中、肝心の彼女は淀んだ瞳を輝かせていた。

 

「是非とも、トレーナー君と勝負して欲しい。安心してくれたまえ、大会のルールにはドーピング禁止とは書かれていない事は確認済みだ! と言うわけでトレーナー君! 早速、登録を済ませてきてくれ!」

 

彼女に振り回されている哀れな男は、苦笑いを浮かべながらも二つ返事で引き受けた。

 

「ドーピングねえ……バレたらあの堅物副会長からありがたい小言でも頂けそうだな」

 

「その点に関しては、恐らく問題無い筈だ。相当性能の良い検知器でも使用されない限り発覚しないように作ったからね。こう言うのも少々アレだが、要はバレなければいいのさ」

 

「ほう、そいつは同感だ」

 

お互いにニヒルな笑みを顔に出す。きっと、この光景を映画監督が見ていれば、悪の科学者役としてスカウトされるに違いない。

 

しかし、珍しいことにこの悪の組織では裏切りが多発しているようだ。

 

「おっと、言い忘れていた。君達二人の出場登録は既に済ませてある。私とトレーナー君に感謝したまえよ?」

 

「ほんとっ!? ありがとー! タキオンちゃん!」

 

「……マジかよ」

 

科学者に見事に裏切られた工場長は、困った時のお決まりのセリフを吐いて、唖然とする事しか出来なかった。

 

そして、すぐ隣で満開に咲く笑顔の桜。今更断ってその桜を散らす訳にもいかず、彼は仕方なく参加せざるを得なくなったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついに始まった腕相撲大会。だが、そのトーナメント表はかなり酷い物だ。どこかの誰かの悪運は、第一回戦から最後まで優勝候補、あるいは強豪と呼ばれる者と対決する中々ハードな道を引き寄せたらしい。

 

仮に、この運を裏返す事が出来れば、きっと宝くじでも当たるだろう。

 

まあ、実際に当たるのは隕石か雷、又はそれに準ずる物に違いない。

 

ちなみに、ハルウララ側は非常にほっこりとした戦いになりそうだ。

 

「あれっ!? ライスちゃん!」

 

「う、ウララちゃん……!?」

 

お互いに出会うと思っていなかったハルウララとライスシャワー。確かに、誰がどう見ても腕力に自信があるという者では無い。

 

「ウララちゃんは……ど、どうして参加してるの?」

 

「あのね! 優勝したら商店街で使える商品券が貰えるって聞いて参加したんだ! もし勝ったら、みんなのお店でたくさんお買い物して、たくさんおいしいもの食べて、楽しい事いっぱいするんだ!」

 

どうやら、ハルウララは商店街の人たちの所で沢山買い物をして、普段応援してくれる事に対して恩返しをしたいようだ。

 

きっと、それが出来るなら優勝賞品が他の物だとしても彼女は参加しただろう。

 

「ライスちゃんはどうして参加したの?」

 

「ら、ライスはブルボンさん出るって言うから出たんだ……! ゆ、優勝は出来ないかもしれないけど……が、頑張るんだ……!」

 

ある意味ハイゼンベルクの天敵であるミホノブルボンも、この大会に出場しているようだ。

 

理由を語る彼女の瞳には憧憬の色が見える。この催しに参加したのも、その憧れに一歩でも近づくためなのだろう。

 

「そうだったんだね! よーし! ライスちゃんが相手でもわたし負けないぞー!」

 

「ライスもま、負けない!」

 

そう、第一回戦のハルウララの相手はライスシャワーだった。二人を見る観客の目は、どこか暖かなものを感じさせる。

 

例えるならば、それは公園の遊具で遊ぶ子供へ向けるものと大体同じだろう。

 

そんな緩い空気が漂う中、二人はお互いの手を握り、戦いの合図を待っていた。

 

「よーい……スタート!」

 

審判のその言葉を皮切りに、二人の腕に力が込められる。一般人とは比較にならないそのパワーが、お互いの腕を机へと倒さんと発揮されている筈だ。

 

しかし、お互いに顔を真っ赤にしているにも関わらず、二人の手の繋ぎ目はどちらにも倒れる事はなかった。

 

二人の力は完全に拮抗している。それ故に、持久力がこの勝敗を分けるだろう。

 

「〜〜〜っ! えいっ!!」

 

「うわわっ!?」

 

残念ながら、スタミナ勝負となってしまった時点で、スプリンター気質の天真爛漫ウマ娘に勝ち目は無いようだ。

 

力を使い果たしてヘロヘロとなった彼女の腕では、青薔薇の棘を受け止める事など叶わない。結局、なす術なくその手の甲はテーブルへと押し付けられてしまった。

 

「ふぅ〜……負けちゃった! ライスちゃんって腕相撲強いんだね! どうやったらわたしも強くなれるかな?」

 

「え、ええっ……! ら、ライスは何もしてないよ! えっと、あのおじさまが直したランニングマシンでトレーニングしてただけで……」

 

「そうなのっ!? じゃあ、きっとランニングマシンでトレーニングすれば、わたしも腕相撲強くなれるよね!」

 

的を射てるのか分からない解答に、ハルウララは完全に納得したらしい。どうやら、うららん理論によると、ランニングマシンでのトレーニングで腕力が鍛えられる?ようだ。

 

「た、多分違うんじゃないかな……?」

 

その理論に異を唱えたライスシャワーだったが、小さな声で放たれたその言葉は彼女の耳には入らなかった。

 

 

 

 

 

大会は順調に進んでいき、場面は遂に決勝戦へと差し掛かる。残念ながら、ハルウララに勝利したライスシャワーは二戦目で優勝候補のメジロライアンと当たってしまい、あえなく敗北。応援席へ回る事となった。

 

だが、応援対象であるミホノブルボンは準決勝にて、意外な相手に敗れる事となる。

 

「よっしゃあ! ふぅ……危ねえとこだった……!」

 

「なっ……!? 想定外のエラーです……! 原因は……不明。記録データの更新が必要だと判断……」

 

どうやら、戦った本人も負けるとは思っていなかったらしい。無表情な筈のその顔には、僅かな困惑の色が見える。

 

「このゴルシ様は日々進化してんのよ! 軌道に乗った宇宙船みてえにこのまま月まで突き進むぜ!」

 

ピースサインを作り、意気揚々と笑うゴールドシップ。それを驚いた表情で見やる観客達。そして、興味深そうに怪しい笑みを浮かべる一人の科学者。

 

「ふむ、やはりウマ娘の方が効き目は僅かに薄いか……まあ、誤差の範囲内だ。実験は成功と言える……!」

 

呟くアグネスタキオンの濁った瞳の先には、空っぽになった試験管。中身は一体どこに行ったのだろう。きっと、その答えはピースサインを浮かべる者の胃の中だろう。

 

ふと、彼女の視線がもう一方の実験対象へと移る。優勝候補であったメジロライアンのトレーナーを激闘の末に制した彼女のモルモットは、その他の強豪を面倒そうに倒してきたハイゼンベルクと、今まさに戦わんとしていた。

 

開始の合図と共に、工場長の手は赤子の手のように机ギリギリまで追いやられる。この様子には、マッドサイエンティストな彼女も思わず心からの笑みを浮かべてしまう。

 

後は、彼女のトレーナーがあの工場長の手を数センチ押し込むだけだ。

 

だが、その手の甲はいつまで経っても机にべったりと付くことは無かった。それどころか、まるでコンクリートで固めたかのように一切動かない。

 

彼女の笑みは消え、困惑のそれへと変わる。

 

そして、視線の先の彼らの手は、ゆっくりと彼女のトレーナー側へと傾き始めた。あの工場長の表情は見えないが、もう一方が必死の形相である事は確かだ。

 

「……君に対して、常識という測定器具は使ってはいけないな」

 

見開かれた瞳に映ったのは、審判の旗がハイゼンベルク側へと上がる瞬間だった。

 

人間側の優勝者が決まった頃、ウマ娘側ではゴールドシップとメジロライアンのとんでもない激闘が繰り広げられていた。

 

「ゴールドシップさん……! 良いマッスルを……お持ちですね……!」

 

「えっ……マジで……!? 今のゴルシ様とほぼ同等のパワーじゃねえか……! こっちは色々使ってんだぞ……!?」

 

どうやら、メジロライアンはどこかの誰かの影響で相当な筋トレをしたらしい。そのせいで、試験管一本分のブーストでは、黄金船の力は彼女と拮抗状態を作り出すのが限界だ。

 

「うおおおぉぉぉ! マッスル!!!」

 

彼女の掛け声と共に、全身全霊の力が込められた手は、黄金船を机へと叩き落とした。

 

科学とウマ娘の力が合わさっても、磨き上げた筋肉の前には勝てなかったようだ。

 

それもそうだろう。極限まで鍛え上げたそれは、岩をも穿つ攻撃に耐える鎧にも、人智を超えた存在に傷を与える矛にもなる。

 

相手が科学や何かで出来た化け物であろうとも、その理屈は変わらない。

 

勝者を知らせる審判の声と、喜びに溢れた明るい声。そして、一週間経った蝉のような謎の声が重なり合って、大会の熱は最高潮となった。

 

どちらの部門でも優勝者は決まり、このまま終わりを迎えると思いきや、たった一人だけその気の無い者がいるようだ。

 

「おい、フランケンシュタイン! アタシとその賞金掛けて勝負だ!」

 

怪しい科学者から受け取った二本の試験管を飲み干した彼女は、ハイゼンベルクに指を向け、声高らかにそう宣言した。

 

当たり前だが、この戦いを受けたとしても彼に得など無い。故に、彼は断る気満々でいる。

 

「今のゴルシちゃんの強さは、オッサンがよくビビってるゴリラなんか目じゃねえぜ! ブラックホールと腕相撲出来る宇宙レベルのパワーだ! まあ、断ってもいいぜ! 今日のアタシのオーラは銀河系を覆い尽くすほどヤベエからな!」

 

どうやら、これがフェアでは無い事は彼女も分かっているらしい。彼女にしては珍しく、拒否権がこちらに与えられていた。

 

これで、心置きなく断れる。

 

 

 

 

 

「……久々に聞いたな。ちょっとはマシな気分を最低にまで叩き落とす、クソみてえな御託をよ……! そんなにお望みならやってやる」

 

 

 

 

 

いつもより低くドスの効いた声。サングラス越しであるにも関わらず感じてしまう突き刺すような視線。こめかみに立っている青筋。

 

彼の浮かべるニヒルな笑みの裏側がどうなっているか、嫌でも分かってしまう今の状況。

 

彼女には既視感しか無かった。

 

「え、マジ……? というか、何で般若のお面みてえな顔してんだ……!?」

 

貼りつけたかのような笑みを浮かべるハイゼンベルクと、彼の様子に困惑するゴールドシップ。

 

二人はテーブルを挟んで、壇上に立った。

 

「あっ! トレーナーだ! あれ……? ゴルシちゃんと戦うのかな?」

 

「え、ええっ!? お、おじさま怪我しちゃわないかな……?」

 

「計算中……普段からアレを持っている彼であれば、怪我はせずに済むでしょう」

 

ゴールドシップのおふざけから、思わぬエキシビジョンマッチが始まった。しかし、観客は一部を除いてあまり興味が無さそうだ。

 

その理由など、述べるまでも無い。

 

壇上の二人に目もくれず、和気藹々と語り合うウマ娘達。その中の一人が、当然のように呟いた。

 

 

 

「人間がウマ娘に力で勝てるわけが無い」

 

 

 

それは、木になった林檎が重力に引かれ地面に落ちるのと同じように、彼女達の中に刻み込まれている常識の一つである。

 

 

 

だが、彼女達は知らなかった。

 

 

 

そのハイゼンベルクという名の林檎は鋼鉄製。一度や二度ぐらい、重力に逆らい宙を舞う事だってある事を。人間の枠組みから、とうに外れた存在である事を……

 

 

 

 

 

ただただ談笑していた彼女達の目を覚ますかのような轟音が、突然その耳に突き刺さる。

 

 

 

 

 

反射的にその発生源へと向くその瞳に映ったのは、粉砕された机、床に突き刺さる黄金船。そして、とんでもない圧を放つ狼のような男だった。

 

「おっと……どうやら、テメエと俺ではゴリラの定義が違かったみてえだ。つい、俺の知ってる方と殺りあう勢いでやっちまった。悪かったな」

 

「オッサン……化けもんかよ……!? ぐはぁ……!」

 

彼がニヒルな笑みを浮かべ、"かもな"と呟くと同時に、地に伏した彼女の天に向けられた手は、翼をもがれた鳥のように地へ落ちた。

 

きっと、その一部始終を見た者達は、ほぼ全員が等しくその目を見開いて、脳みそという電子回路をショートさせているに違いない。

 

なにせ、科学者とそのトレーナーがそうなっているのだ。ならない筈が無い。

 

この予想外の戦いを見ていなかった者達は、そんな彼女達の様子から、何が起きたか想像するしかなかった。当たり前だが、自分の身でそれを確かめに行くものなど、一人もいない。

 

「すごいすごい! トレーナーって腕相撲強いんだね! よーし、じゃあわたしもゴルシちゃんみたいに勝負するぞー!」

 

いや、一人だけいた。

 

恐怖を司るネジが完全に取れかかっているそのウマ娘は、彼の圧に一切臆す事なく向かって行っている。

 

「なんだ、テメエもやるのか?」

 

「うんっ! トレーナーと練習して、ランニングマシンに乗れば、わたしも腕相撲強くなると思うんだ!」

 

"自分のトレーナーと友情トレーニングする輩がどこにいる"と、どこかの誰かさんならツッコミたくなる言い分に、彼の表情は面倒と呆れが入り混じったものとなっていた。

 

しかし、ここで断れば工場までずっとうらうらとくっ付いてくる事間違い無しだ。

 

「しょうがねえ……やってやるか」

 

彼は渋々といった様子でその誘いを受ける。

 

「じゃあいっくよー! よーい、ドンッ!」

 

ハルウララの元気な掛け声と共に、お互いの腕に力が籠る。だが、戦いは平行線。両者の腕はピクリとも動かない。

 

だが、平然とした表情を浮かべた彼が、この様子にため息をついた時だった……

 

 

 

 

 

「ヘックシ……!!」

 

 

 

 

 

気の抜けるようなくしゃみの音が、ハルウララと相対する男から響き渡る。

 

目を丸くする観客、一気に傾く腕。そして、彼女が踏ん張るために閉じていた目を開けると、ハイゼンベルクの手の甲はしっかりと卓上に押し付けられていた。

 

「わーいっ! 勝った勝ったー!」

 

「ああ、クソッ……確かにテメエの勝ちだ。コイツはくれてやる」

 

「ええっ!? でも、これってトレーナーが優勝したから貰ったやつだよ!」

 

「あそこにぶっ倒れてる奴と同じルールでやるって、テメエがさっき言っただろ? 勝ったらくれてやるって約束だ。何も問題無え」

 

「じゃ、じゃあほんとに良いんだよね? わーいっ! これでみんなの所でいっぱいお買い物できるぞ! うっらら〜!」

 

ハイゼンベルクは両手を上げて喜ぶ彼女の目の前に、乱雑に優勝賞品であるその券を叩きつけると、久々に酷使したその腕を回しながらどこかへと去って行った。

 

きっと、この後ハルウララはライスシャワー達と一緒に商店街へと赴いて、食べ歩きでもするのだろう。商品券という物は基本的にお釣りは出ない筈だが、まあそこは店主達が融通を利かせてくれるに違いない。

 

ちなみに、薬の反動で全身筋肉痛に現在進行形で襲われている彼女も、死にかけの体に鞭を打ってついて行ったそうだ。

 

 

 

 

それにしても、相変わらず不運な男である。風もなく、花粉も飛んでおらず、鼻をくすぐる物など無いに等しい日であるにも関わらず、変なくしゃみをしてしまうとは。

 

きっと、今日に限って風邪でも引いたのだろう。

 

 




一万円の商品券
商店街や大型ショッピングモールなどで使える商品券。腕相撲大会の優勝賞品でもある。

力は感情の抑揚と密接な関係がある。激しい感情は、力という炎に対し燃焼剤の役割を果たすだろう。

いくら怪力とはいえ、工場長が科学で強化されたウマ娘に力で勝つ事は叶わない。しかし、幸運にも彼の中で煮えたぎる一つの感情がその結果をひっくり返した。

そして、この現象は彼以外にも通ずる部分があるだろう。きっと、その身に沁みている筈だ。
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