夏合宿も終わり、またいつもの日常が帰ってくる。そんな訳で、ハルウララはいつも通り遊んだり、例の友人と特訓したりする為にハイゼンベルクの工場へ向かっていた。
今日のお天道様は不機嫌な様で、昼間と夕方とを間違えそうな程の曇り空だが、彼女の機嫌はその真逆。晴々とした笑顔を浮かべて、工場へと繋がる砂利道を進んで行く。
「あれ? この道ってこんなに広かったっけ?」
普段なら草が生い茂って道が狭く見えるこの道だが、今日に限ってはそうではないようだ。
まあ、草刈りがしっかりとされているだけなのだが、彼女の思考は鳥の如く斜め上へと飛んで行く。
「もしかして、わたし小さくなっちゃった!?」
自身の両腕や足をくまなく観察しながら、彼女はフェンスの扉へと辿り着く。最近は携帯のキーホルダーと化した、工場のエンブレムを横にある機械にかざすと、蔦一つ絡まっていない扉はゆっくりと開き始める。
「うん? なんか変な音がする」
優秀な彼女のウマ耳は、余り聞き覚えのない音をキャッチしたようだ。工場へ歩みを進める度に、ブーンという低音は段々と大きくなっていく。
工場の前に着いた時には、何かガチャガチャとした音も一緒に聞こえるようになっていた。
「トレーナー! うーん、居ないのかな? たづなさんが"今日はこっちに居る"って言ってたんだけどなあ……」
彼にこの音について聞こうとしていたが、居ないのならばやる事は一つ。
この好奇心に身を任せ、自分で確かめるしかあるまい。
ピクピクと耳に神経を集中させ、気になる音の出どころを探る。工場の地下だろうと勝手に思っていた彼女だったが、なんと音の出どころは地下などではなく、工場の裏側の方面からだった。
「ふむふむ……こっちだ!」
方向が分かれば後は突き進むのみ。彼女は建物に沿って裏側へと回って行く。
本来ならば森しかない裏側。だが、そこで彼女の目に入ったのはとんでもないものであった。
大量のスクラップが集まって出来た、何物にも例えようの無い巨大な体。そこから伸びる腕の先には低い作動音を響かせる丸鋸。背中についた剥き出しの粉砕機。
ハッキリ言って御伽噺ですら出てくる事は無いであろう怪物が、全てを抉って切り刻む凶刃を振るっていた。
ブーンという低い作動音と共に木々はなす術なく倒されていく。だが、自然への暴力はこんなものでは終わらない。背中についた粉砕機によって、見るも無惨な姿にされた後に辺りへとばら撒かれるのだ。
「わわわ……!?」
ハルウララは口を大きく開け、驚愕の表情を見せる。フィクションの世界ですら存在しないような怪物が、今こうやって目の前で動いているのだ。こうなってしまうのも無理はない。
しかし、驚きを終えた彼女の目は恐怖ではなく、ワクワクとした好奇心で輝いていた。
「大っきいお化けだーっ!!!」
驚きと嬉しさの入り混じった大声が周囲一帯に響き渡る。おばけに自らの存在を気付かせるかの様なそれは、確実にその役割を果たす。
だが、当の巨大お化けはその動きをピタリと止めた。背中の粉砕機も両手の丸鋸も何もかもが停止し、先程まで騒がしかったのが嘘のように、辺りに静けさが戻ってくる。
そして、お化けの顔と思われる部分がゆっくりとハルウララへと向いた。しかし、その動きは重々しい。ギギギという効果音が鳴ってもおかしくないそれは、まるで悪戯が副会長にバレた時の誰かさんのようだ。
「シューちゃん以外にもお化けっているんだ! すごいすごーい!」
自身の友人の一人である金属質なお化けを脳裏に思い浮かべた彼女は、ピョンピョンと跳ねて大喜びだ。
一体どこに喜ぶ要素があるというのだろう。
「ねえねえ! シューちゃんはプロペラのお化けだけど、君は何のお化けなの?」
どこかの誰かが聞いたら精神病院への通院をお勧めしそうなセリフが彼女の口から飛び出した。
しかし、好意的なそれに返されたのは、二つ返事などでは無く、凶悪な右腕を地面に叩き付ける音であった。
そして、彼女の目に再び信じられないものが映り込む。
「ええっ!? 物が浮いてるっ!!」
なんと、彼女の周囲にあったスクラップ達が、重力という枷を外されたかのように宙へ浮き始めたのだ。
鉄骨、トタン、自転車、果てに車までが空へ舞う。流石の彼女もこれが夢では無いのかと、目を擦ってパチクリとさせている。
だが、これは安全なパフォーマンスでは無かったようだ。
今この瞬間に浮いた物全てが、彼女に対してその牙を向ける。各々が鋭い部分を彼女へと向けたまま、その距離を急激に詰めていく。
瞬く間に彼女は歪なナイフの群れに囲まれる。そして、極め付けと言わんばかりに、怪物が携えた悪夢の回転機構が向けられた。
寸止めされた刃は、きっと何かの意思表示。"いつでもお前を殺せる"とでも言いたいのだろうか。しかし、殺意などこれっぽっちも感じられない。もしかすると、何か別の意図があっての事なのか。
真意は不明だ。
だが、少なくともこのメタルな怪物が放つ雰囲気は、どこかほくそ笑んでいる……ような気がする。
しかし、相手が悪かった。
「わたし知ってるよ! 確かこれって、"ぽるたーがいすと"だよね! 大きい物も浮いちゃうなんてお化けさんすごいんだね!」
ハルウララはこの不思議な現象を見て恐怖するどころか、逆に歓声をあげて大いに喜んだ。そして、浮いている物体をペタペタと触り始める始末。
この様子にこの大きなお化けは再び固まっていた。呆然としているのか、驚いているのか。それとも、何か他のことでも考えているのだろうか。
ただ、浮いていた物体が彼女を囲むのをやめ、力無く重力に従い始めたのは確かだった。
「あ、そうだ! わたしお化けの友達が居るんだ! 大きなお化けさんにも紹介してあげるよ!」
ハルウララは固まる目の前の存在にそう伝えると、工場に向かってその友人の名を大きな声で呼びかける。
すると、威勢の良いエンジン音がその呼び掛けに応じた。彼女はまだ例のお化けと一緒に外に居るにも関わらず、貨物用のエレベーターがひとりでに動き出す。
上昇してくるそれに乗ってきたのは、案の定あのプロペラお化けだった。
それにしても、最近シュツルムの賢さが高くなっているのは気のせいだろうか。誰かがこっそりと色んな事を教えてでも無い限り、彼の知能はそこまで上がらない筈なのだが……
「こっちこっちー!」
ハルウララの呼びかけに立派に答えた彼は、鈍重な動きで彼女の方へと向かう。
しかし、彼女の前に居る存在に気付いた瞬間、意気揚々と回っていたプロペラはピタリと止まる。そして、彼女の笑顔と巨大なお化けを交互に見やる。
何故だろう、とても動揺しているようだ。
「ねえねえシューちゃん! あのお化けさんの事知ってる?」
普段ならすぐ帰ってくるであろうプロペラによる返事は、錆び付いて動かなくなってしまったかと勘違いする程に遅かった。
何かおかしいと思い、ハルウララも首を傾げる。
「あれ、どうしたのシューちゃん?」
強引にプロペラにブレーキをかけているのか、金属の軋む音が響く。そして、そのすぐ後にシュツルムはその回転機構を一切動かさずに首を横へ振った。
「そっか! シューちゃんも知らないお化けなんだね!」
どうやら、彼女はぎこちない動きを考えていると受け取ったようだ。
まあ、その方が良いだろう。
まさか、彼女の背後でどこかの誰かさんが右手の回転殺戮兵器を天へ掲げて、プロペラお化けに脅しを掛けていたなんて事、ある筈も無いのだから。
「あ、あれ? シューちゃん!?」
シュツルムは彼女の問いに応えた後、まるで何かから逃げるかのように踵を返して走り去る。
彼の行く先は敷地の出口の方向。何故か今回に限って、頭のエンジンの辞書に止まるという言葉が無いようだ。
このままでは不味い事になるのは間違い無い。流石に出入り口を吹っ飛ばすのは止めなくてはいけないと思った彼女は、急いでその後を追う。
だが、肝心のシュツルムはフェンスの扉を突き破る事など無く、その手前で地面に寝っ転がっていた。
「うーん? 眠かったのかな?」
きっと、お昼寝中なのだろう。彼女はそう思った。
そうだ、お昼寝中に違いない。鉄骨が枕代わりになっているのも、寝心地が良いからなのだ。決して、金属製でクソ重い枕が飛んできたとかいう訳ではあるまい。
やたらと静かに眠っている彼を邪魔しないように、彼女は出来るだけ足音を立てないようにあの未知の存在の元へと戻る。
そして、期待が籠りすぎてキラキラとしている瞳を目の前のそれに向けていた。
「ねえねえ大きなお化けさん! さっきみたいなやつもう一回やってよ!」
どうやら、ハルウララは先程のポルターガイストをお気に召したようだ。尻尾は大きく揺らし、ワクワクとした表情を浮かべるその様子に、この怪物は何故か右手を頭部へと当てていた。
奇怪なこの存在が溜息のような空気音を響かせた後、彼女の予想の斜め上の現象が起きる。
「わわっ!? わたし浮いてる!!」
周囲の鉄屑達と同じように、彼女の体が重力を忘れ始めた。まるで、エレベーターに乗っているかのような感覚で彼女は工場の屋根近くまで上がっていく。
摩訶不思議な現象に、彼女は思わずその場にしゃがみ込んで、靴の裏辺りを手で仰ぐように行ったり来たりさせている。だが、触れられる物は靴以外に何も無かった。
「わーいっ! 見て見て! わたし空走ってるよ! もしかして、雲と競争出来るかな?」
空気の床を踏み付けて、彼女は文字通り空を走っていた。過去に夢で見た事のある光景だ。だが、夢の中ではこんなに心地の良いそよ風も不思議なお化けいる事も無かった。もし、暖かな日差しがあったならより素晴らしい物になったかもしれない。
暫く経った頃だろうか。普段なら逃げられて終わってしまう筈のトンボと並走して遊んでいる最中、この夢は終わりを迎える。
突如として、周囲のスクラップが怪物の前へと集まっていく。そして、それぞれがぶつかり、大きな音を立てながら何かを形作っていく。
「うわっ!?」
そして、それはハルウララ自身も例外では無い。足自体を引っ張られるかのように、彼女は鉄屑の集まりの中へと放り込まれ。それに続き、驚く間も無く世界は黒一色で染まる。
だが、潰されてしまったという訳では無い。
成人男性一人分の空間がある事から、卵のような何かに閉じ込められてしまっただけのようだ。
現状が飲み込めていない彼女に追い討ちをかけるように、浮遊感が襲い掛かる。まるで下に落ちるかのような感覚を味わっていると、今度は大きな衝撃が全身を揺さぶった。
それから数秒したのち、光すら殆ど通さなかった鋼鉄の殻は、まるでどこかのお菓子のようにボロボロと崩れ始める。
外の眩しさに目が眩む。
周囲にガシャガシャと金属音が響く。
光に慣れた目をゆっくりと開けた時、目の前にいる筈の存在は幻だったかのように消え、周囲の浮いていた物達はその舞を止めていた。
不思議そうに落ちていた歯車を拾う。
先程まで紙切れのように軽かったそれは、ずっしりとした重さと共に魔法が解けた事を告げる。
だが、彼女が受け取った意味合いは少し違ったようだ。
「たぶん、夢じゃないよね!」
彼女が感じた重みも、心地よいそよ風も、先程までの出来事が夢ではない事の証明。
そう、夢でないのならまた体験出来るに違いない。
そんな、希望に満ち溢れた気持ちを胸に抱きつつ、彼女はステップを刻みながら未だ寝ている友人の元へと戻っていくのだった。
「あっ! トレーナー!」
ハルウララが寝っ転がっている友人の真似をして、鉄骨の枕の寝心地を確認している時に彼女のトレーナーは現れた。
工具だらけのベルトを巻き、普段と変わらぬ愛想の欠片もない表情を浮かべている。
「何してんだ?」
「シューちゃんがずっとお昼寝したままだから、そんなに気持ちいいのかなって思って一緒に寝っ転がってたんだ! でも、全然良くなかった……なんでここで寝てるんだろ?」
「さあな」
ハイゼンベルクは大きな溜息を吐くと、首筋を伸ばしながら工場へと踵を返す。
やたらと重たい足取りからして、少し疲れているようだ。
「あれ? トレーナーってさっきまで何してたの?」
先程、工場の中を探してもその姿は見当たらなかった。それなのにも関わらず、彼は工場から何事もなく現れたのだ。彼女にとって当然の疑問だろう。
「まあ、あれだ……奥の方で色々と作業してたんだ……"慣れねえ作業"をな」
彼は目を左上から右上へと泳がせながら、そう答えた。
確かに、彼の工場の地下は入り口近く以外は謎に包まれたままだ。きっと、彼女の知らない奥底でいつものように面白おかしい物でも作っていたのだろう。
「そっか! だからさっき探した時居なかったんだね! あのね、トレーナーが居なかった時、すごい事があったんだよ!!」
工場へと戻る彼の背中を追いかけながら、彼女は今日の出来事を次から次へと言葉に出していく。
休憩がてらゆっくりと紅茶でも飲もうと思っていた彼だったが、どうやら今日に限ってはそれは許されないらしい。口止め料代わりの甘ったるい飲み物も効果無しだ。
"次から気を付けねえとな……"
お化けの話題を聞きすぎてうんざりしてきた彼がポツリと溢したそんな呟きは、彼女のうらうらと続く話にかき消され、跡形も無く消えたのだった。
大きなお化け
ハルウララが工場にて出会った不思議で大きなお化け。何のお化けかは分からない。
いかなる生物とも似つかないその存在は、一瞬でその姿を消した。周囲を探しても、体を構成していた鉄屑が転がっているだけだったようだ。
どうやら、そのお化けはポルターガイストを引き起こす事が出来るらしく、彼女は物が浮いている所を確かに見たと言う。
だが……浮いている物が金属類ばかりなのは気のせいだろうか?