悪くねえ 大したもんだ ハルウララ   作:黒チョコボ

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今回かなり短めです


じーすりー

今日、工場の中でハイゼンベルクはとある資料と睨めっこしていた。

 

その資料は、いつも彼が見ている油に汚れた設計図などでは無い。行きつけの店の店主から渡された、汚れの無い綺麗な紙束である。

 

しばらくして、側に置かれたマグカップの中身を一気に飲み干すと、彼は右手で頭を掻いた。

 

「……よく分かんねえな」

 

そこに書かれていた内容は、有馬記念に出場する為に必要な最低限の実績である。だが、ご自慢の工学と違い、レースに関しては興味の"き"の字も無い彼にとって、その情報は全く頭に入らなかった。

 

いや、頭が入れたがらないと言う方が正しいのかもしれない。

 

「なんであのチビに筒抜けなんだ……? クソッタレ」

 

彼がこんなやりたくもないお勉強をしている理由は至って単純。

 

ハルウララの有馬記念出走の目標を言伝で聞いた理事長とたづなが、明らかに裏のあるニッコリとした笑顔で彼の肩をそっと叩いただけである。

 

別に"減給"だとか"クビ"だとかの脅しをかけられた訳では無い。ただ、得体の知れない何かが彼の背中を冷たくなぞった。

 

なんと形容すれば良いのか分からないその感覚は、どこぞの高級ワインの材料を知ってしまった時とそっくりだった。

 

「とりあえず下のヤツから出れば問題無えか……」

 

結局、集中力の切れた彼が丸を付けたのは、リストの一番下にあったGⅢレースであった。

 

ちなみに、レースについての思考時間はたったの三十分。現役のトレーナーだったら当然のようにこの倍以上の時間をレースの研究に費やしている事だろう。きっと、彼の所業を聞いたら驚くに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わーいっ! レースだー!」

 

キラキラと輝く太陽の様な笑顔が満ちるこの部屋は、今から行われるレースの控え室。そして、ハルウララの隣で興味無さげにライターを弄っているのは、レース場での出現率が異常に低い工場長だった。

 

「珍しいよね! トレーナーがレースに出るぞって言ってくるって!」

 

彼女は心の内に抱くその不思議な思いを露わにする。その柔らかいボールのような疑問は、トゲトゲの金属球となって目の前の男に突き刺さる。

 

「……うるせえ。黙って準備しとけ」

 

ただただ悪態を返すハイゼンベルク。きっと、その裏にある事情など口が裂けても言えないのだろう。

 

「はーいっ!」

 

純粋な彼女は彼の言葉通り、静かに準備を進めていく。

 

靴を履き替え、ゼッケンを背負い、細かい調整を終え、もう後は呼ばれるのを待つだけの状態だ。

 

「準備終わりっ!」

 

準備が終わればもう静かにする必要は無い。

 

彼女は再びうらうらと楽しく他愛のない話をし始める。

 

「ねえねえ! このレースって"じーすりー"って言うんだよね? なんか、凄く強そうな名前だよね!」

 

「強そう……?」

 

先程までしかめっ面だった彼の表情は、彼女の突飛な言葉によってポカンとしたものへ変わる。

 

「まあ、その分相手も強えって事だろ」

 

脳裏に浮かんだ"シュツルムやパンツァーの方が強そうだろ"という幼稚な言葉は彼の心の内のミンチ機にぶち込まれる。鉄槌やらプレス機やら持ち出して強引に押し込んでいるような気がするが、きっとただの気のせいだ。

 

「ほんとっ!? じゃあ、このレースで一着だったらご褒美欲しいな!」

 

「……はぁ?」

 

「だって、スペちゃんとか一着取ったら食べ放題のお店に連れて行って貰ってるって言ってたよ!」

 

「知ったこっちゃ無えな」

 

「ええ〜っ!」

 

ピョンピョンと跳ねて、彼に全身で抗議するハルウララ。当然、彼はガン無視を決める。

 

だが、いつまで経ってもしつこく言い寄ってくるその様子に段々と面倒になってきたらしく、大きなため息と共にその動き回る額に人差し指を押し当ててその弾みを封じた。

 

「ああ、クソッタレ! 分かった、一着だったら適当になんか買ってやる! だからその鬱陶しいのを止めやがれ!」

 

「わーいっ!! わたし頑張って一着取ってくるね! 何買って貰おうかな〜? うっらら〜!」

 

ワクワクした様子で天井を眺める彼女の脳裏には、今頃そのお買い上げの候補が浮かんでいる事だろう。

 

ド安定の人参に、最近気になっているお菓子。珍しい物の多い骨董品屋で面白そうなものを買って貰っても良いかもしれない。

 

そんな、自分の世界に入り浸っている彼女を現実に呼び戻したのは、レースの係員の呼び声だった。

 

「あっ! 行かなきゃ! じゃあ、わたし一着取ってくるから、待っててねトレーナー!」

 

手を振りながら彼女は控え室から急いで出て行った。

 

きっと、今回もレースをちゃんと見なければあの能天気ウマ娘だけでなく、理事長やたづなに有難いお小言を頂けるだろう。それ故に、彼はいかにも億劫といった様子で観客席の方へ足を運ぶのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

盛大な歓声と共にレースの走者達が帰ってくる。まるで、城へ騎士団が帰るかの如き盛り上がりだが、優勝者のみ許されるその場所に立っていたのはピンク色の影では無く、茶色の毛を持ったウマ娘だった。

 

肝心のピンクの旗が立っていたのは、ウイナーズサークルでも、間にある連絡通路でも無く、控え室のすぐ外であった。

 

「ねえねえ! すごいよ! 今回のレースね、みーんな速かったんだ!」

 

「そ、そうか……」

 

そう、今日のハルウララの結果は五着。良いのか悪いのか分からないこの順位に対して、彼女の見せた反応は彼を大いに混乱させている。

 

どうやら、その呆れた様子は彼女にも感じ取れたようで、不思議そうに彼の顔を覗き込むと、その疑問を尋ねた。

 

「あれ? トレーナーどうしたの?」

 

「おい、テメエは一着取るって言ってたが、結果は五着。悔しくねえのか?」

 

「悔しい……? う〜ん……よく分かんない!」

 

それは、彼には考えられない一言だった。

 

彼にとっての"負け"は死と等しい部分がある故に、彼女と彼の勝ち負けの価値観は同じ物とは言えない。

 

だが、それでも自身の定めた目標に敗れたなら、後悔の一つや二つあると思うのは当然だろう。

 

彼女はその感情がすっぽりと抜けていた。

 

「でもね、みんなでわーって走れてとっても楽しかったんだ!」

 

きっと、緊張や悔しいという気持ちが完全に無いわけではない。ただ、楽しみという名の感情の大海に、そんな泥水のような感情を一滴垂らしただけでは何一つ変わらないという事だろう。

 

既に終えたこのレースの高揚を未だ噛み締め、依然として笑顔で愛嬌を振りまくその姿を見て、彼はなんとなく悟った。

 

「……敗北の定義は違えって事か」

 

彼女にとっての敗北は、レースで負ける事ではない。走り終わった後に笑っているかどうかなのかもしれない。

 

「トレーナー?」

 

天井に付いた照明をじっと見続けている自身のトレーナーに、ハルウララはキョトンとした視線を向ける。

 

「ああいや、何でも無え。テメエへの奢りが無くなって安心してただけだ」

 

「ああっ!? そうだった! わたし一着じゃないや……がーんっ!」

 

彼のぶっきらぼうな言葉によって、今更ご褒美の件を思い出した彼女。そのショックで尻尾を上へピンと伸ばしたかと思いきや、次の瞬間には力無く垂れ下がっている。

 

慌ただしい事この上ない。

 

おまけに、ここはもう控え室の中では無い。そんな行動をしたならば、人々の目に留まる事は必然であった。

 

お預けを食らった子犬のような表情を浮かべた彼女には温かい視線が送られ、そのトレーナーの背中には少し冷たい視線が突き刺さる。

 

しかし、周囲の目を気にする程、この男は繊細では無い。サングラス越しの鋭い目を効かせながら、彼は子犬と化したポンコツと共に歩いていく。

 

そのまま、ヒソヒソとした話し声の響く会場から平然と出て行き、向かった先は駐車場……

 

などでは無く、一台の自販機の前だった。

 

さっさと帰る素振りを見せたはずの彼が黙々とそれに硬貨を飲み込ませ、迷う事なくボタンを押す様子を、ハルウララはただただじっと見つめている。

 

その機械仕掛けの箱に取り付けられた取り出し口からゴトンと音が二度響いた後、ボーッとしている彼女の額に何かがそっと当てられた。

 

「うわわっ!? あっつい!」

 

「何腑抜けた顔してやがる。さっさと帰るぞ」

 

己の額の熱さに手を添える間も無く、彼女に向かって放られたのは一つの缶コーヒーだった。その温度は冷えた手には熱すぎるのか、反射で幾度か地面に落としかける。

 

ブラックでは無くミルクの入ったカフェオレ、無糖と表記がある事から砂糖は入っていない。

 

しかし、彼女の脳裏に浮かんだ当然の疑問はその首を傾かせた。

 

「トレーナー! なんでくれるの?」

 

「何だ? 要らねえのか?」

 

「い、いる!」

 

その手に握られている缶コーヒーを回収せんとする厳つい手を彼女はひらりと避けた。

 

「じゃあ黙って飲んどけ。テメエ向きの苦い参加賞だ」

 

彼は彼女の目の前で、黒いラベルの缶コーヒーを飲み干すと、自身の所有する車へ足早に戻って行く。

 

彼女もそれに倣い、手に持ったその缶を開ける。香ばしい香りが広がるが、そこに甘さは一切感じられない。恐らく、この無糖のカフェオレというチョイスは彼のちょっとした嫌がらせなのだろう。

 

かと言って、彼女の頭にこれを飲まずに捨てるという選択肢など無い。

 

一呼吸置いた後、意を決して熱々のそれを少しだけ口に流し込んだ。

 

「……にがーい!」

 

当然、その無糖のカフェオレは彼女の舌に初めての苦味を叩きつける。目をギュッと瞑り、思わず舌を出すがその味が変わる訳では無い。

 

結局、その熱さも相まって今すぐに飲み干す事など出来ず、車の中でゆっくりゆっくりと中身を空にしていく事となった。

 

 

 

なお、冷えても苦い物は苦かった。

 

 

 

だが、そんな苦味の裏にほんのりとした甘さがあった。

 




ハイゼンベルクのヒミツ
実は殆ど睡眠を取っていない。
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