悪くねえ 大したもんだ ハルウララ   作:黒チョコボ

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現実が忙しかったり、他の小説に浮気してたりしましたが、帰ってきました。投稿頻度は落ちますが、ゆっくり更新していくつもりですのでよろしくお願いします。


明晰夢

 

トレセン学園のとある部屋。保健室という標識が掲げられているその場所にて、真昼間にも関わらず白いベッドで横になる一人のウマ娘が居た。

 

別に調子が悪いという訳ではない。

 

眠いと言う訳でもない。

 

だが、その胸に湧き上がるワクワクを満たすためには眠くなくてはいけない。

 

「駄目だああああ! ちっとも眠くならねえ! 暇な時とか一瞬で眠くなるのになんでこういう時に限って目が覚めてるんだよアタシいいいい!!」

 

三つの内、一番窓際のベッドにて奇声を上げながらのたうち回るゴールドシップ。謎の行動をしているという意味合いでは平常運転とも言える彼女だが、一応今回はちゃんと理由があった。

 

最近、トレセン学園にて興味深い噂話が流れている。

 

"保健室の端っこのベッドで寝ると変な夢を見る"

 

所詮は噂話。きっと、誰かのホラ話が誇張されただけだろうと常識的な者達は高を括っていた。だが、実際は違った。

 

事情は違えど、一部の者達が噂通りの体験をしたと言うのだ。空を飛んだり、雲を綿菓子のように食べたりなど、それぞれ違う夢の内容ではあったが、例のベッドで寝た者達だけが噂は真実だと発信した。

 

あとは、そこでゴロゴロと横になる者を見れば薄々勘付くであろうが、噂を耳にした黄金船は何の躊躇いも無くその舵を保健室へと向け、今に至る。

 

「仕方ねえ……羊でも数えるか!」

 

両目を瞑り、脳内で羊を数え始める。よくあるその行動は、残念ながら彼女の眠気を誘う事はなく、ただただ時間を浪費するだけに終わる。

 

一万匹ほど数え終わった後、飽きてきた彼女は良く知るどこぞの工場のスクラップの数を勝手に想像して数え始めた。

 

そして、スクラップの山に散らばる鉄骨、ネジ、シュツルムを数えたあたりで彼女の意識は微睡みの中に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ? どこだここ?」

 

ぼやけていた意識が覚醒し、辺りの状況が鮮明に映り始める。寝起きにも関わらず、二度寝の欲求が全く無いのは、ここがいつもの世界とは違う事の証明だろう。

 

「よっしゃ、侵入成功! これが噂の夢の世界ってヤツか! やっぱ、デモンストレーションは大事だからな! ここらで宇宙飛行士の予行練習でもしとくか!」

 

既に宇宙へ赴いていそうな者にそんな練習必要なのだろうか。だが、ここは夢の世界。きっと、見える景色もいつもと違うと想像しての事だろう。

 

そうして、意気揚々と彼女は辺りを見回した。

 

「うげ……なんだここ? 沼? 普通、夢の世界ってなんかこう……もっとメルヘンチックなもんじゃねえの?」

 

顔を顰める黄金船の目に映ったのは、宇宙とは無縁であろう光景だった。

 

ぬかるんだ地面、茶色く濁った沼、見通しを悪くする霧と木々。色々と変なものが出てきそうな雰囲気が漂う不気味な場所。恐らく、怖がりな者を連れてこれば、一歩も動けなくなる事間違いなしだろう。

 

「おっ! 第一村人はっけーん!」

 

怖いもの知らずの精神で誰かいないか探し回っていたゴールドシップは、この場所に似つかわしく無い装備をした人間を発見する。

 

映画で時折見るガスマスクとバイクのヘルメットを掛け合わせたかのようなそれに、明らかに一般的では無いであろう、戦闘を考慮した黒い服。そして、その手に持った弾の出る物騒な代物。

 

絶対に村人などでは無い。

 

「よお! 何やってんだー?」

 

だが、ここが現実世界でないのをいいことに、彼女はまるで友人のように馴れ馴れしく声をかけた。

 

「っ!? 動くな!」

 

返されたのは優しい言葉では無く、冷たい銃口。そして、訓練された構えと共に向けられる凄まじい敵意が、彼女の余裕を一瞬にして奪い去る。

 

「なっ!? 待て待て待て! アタシは敵じゃねえ!」

 

「その耳に尻尾……新種か!」

 

夢の中で死ぬと、現実世界の自分も死ぬ。そんな、嘘か本当か分からぬ知識を蓄えていた黄金船は、両手を上に挙げ、白旗の意を示す。

 

だが、肝心の相手はその意など全く気に留めてもいないようだった。

 

「ああ、くそ!」

 

躊躇なく引き絞られるトリガー。

 

頭へ伸びる射線。

 

一般人なら思わず口に出す悪態と共に、彼女は自由な右足を相手の胸板へ繰り出した。

 

鈍い音と共に吹っ飛ぶ相手。ウマ娘の膂力はその性能を遺憾無く発揮し、肉体を奥の木へぶっ飛ばすと同時にその意識も奪い去る。

 

「あっぶね! 危うくゴルシちゃんがトマト祭り帰りの姿になるとこだったぜ……」

 

もし、ここで強引な手に出なかったらどうなっていただろうか。想像に難くない。夢ではあるが、命の危機を感じた彼女は眠る男を漁る事なく、昂ぶる心拍を抑えながら早々とその場所から逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

数分ほど歩き、靴の泥汚れと引き換えに落ち着きを取り戻したゴールドシップ。まともな奴がどこかに居ないかと思う中、彼女の頭に付いたウマ耳は一人の怒号を聞き取った。

 

「お? レーダーが反応した! 頼むぜ……アタシはこっから逃げるんだ……まともな奴であってくれ!」

 

音を頼りに向かった場所にあったのは、古ぼけた木製の小屋。今にも壊れそうなそこの前で、先程の軍人っぽい者三名と体付きの良い老人が一名、険悪な雰囲気で相対していた。

 

そして、老人から放たれた一発のパンチが全ての始まりだった。

 

「マジで!? あのオッサン、パンチであのヘンテコマスクマン気絶させやがった!? ヘルメット貫通属性でも付いてんのか!?」

 

その老人は例の軍人をヘルメットの上からぶん殴り、さも当然のようにその意識を刈り取った。

 

突然すぎるがあまり、他二名は意識の切り替えが追いついていない。

 

流れるような左フックが二人目の顎に直撃。膝から地面に崩れ落ちる仲間を前に、三人目がようやくその得物を構える。

 

だが、遅すぎたようだ。老人の剛腕は相手の右腕を砕き終え、そのままヘルメットを鷲掴みにした。

 

「ぐああああっ!!?」

 

「おい、てめえら! ここで突っ立ってるって事は、あのゾイを連れ去ったクソ野郎がどこに行ったか見てたはずだ!! 答えろ!!」

 

再び響き渡る怒号。痛みで遅れる問いへの答え。悲しきかな、この老人にはそれを待つ暇すらないようだ。

 

掴まれたバイザーに亀裂が走る。

 

「し、知らない! アンタ以外にここを通った奴は見てない!!」

 

「なんだと……!」

 

最早、用無しとでも言わんばかりに叩きつけられる軍人の肉体。なんと、最後まで立っていたのは老人の方であった。

 

どうやら人探しをしているようだが、明らかにまともそうには見えない。故に、彼女は特に姿を見せる事なくやり過ごすつもりだった。

 

だが、思わず呟いた一言がその目論見を崩壊させる。

 

「ゾイ? なんかどっかの洗剤みてえな名前だな」

 

「誰だ!!」

 

「マジで!? あのオッサン気付きやがった!」

 

このまま隠れていてもきっと良い事は起きないと思い、彼女は隠れるのをやめてその姿を曝け出す。

 

一応、相手はガタイが良いとはいえ丸腰の人間である。武器持ちよりかは話は聞いてくれるだろう。それに、もし何かあっても武器持ちで無ければ力にものを言わせてなんとか出来るかもしれない。

 

「てめえ……誰だ? こいつらの仲間か!」

 

「いやいやいや、違うぜオッサン! アタシはそいつらの仲間じゃねえ!」

 

「そうか……」

 

「そうそう、それでちょっと聞きたいんだけど、こっから出るにはどっちに……」

 

「てことは、あのクソ野郎の仲間だな!? 丁度良い、てめえから聞き出せば探す手間が省ける」

 

「やべえ……!? さっきのヤツより話通じねえじゃねえか!!」

 

前言撤回。

 

攻撃されるまでの間がさっきよりも少し長いだけで、残念ながらお話が通じないタイプの人間だったようだ。今にもぶん殴ってきそうな勢いでこちらに近づいてきている。

 

「あいつは何処だ! ゾイを何処に連れて行きやがった!! 答えろ!!」

 

「洗剤の場所は大体キッチンの……あっぶね!!!」

 

質問(物理)がゴールドシップに投げ掛けられる。自身のペースに持っていくことを許さないその行動。最早、答える間も存在しない。

 

老人の繰り出された右腕を咄嗟に避ける。彼女の右頬を掠って振り抜かれたその拳は、背後の木へその威力を発揮する。

 

「……マジ?」

 

まるでハンマーで叩いたかのように大きく凹む着弾点。それだけでは無い、今明らかに木が折れる時のそれと同じ音が鳴った。ふざけるのを忘れ、素のトーンで溢れる言葉。その脳裏に思い起こされるのは、名に姫を冠するウマ娘であった。

 

そして何よりこの瞬間、彼女の中で老人はゴリラへと格上げされた。

 

「やべえ! あんなの食らったらアタシの美顔が一瞬でドーナツになっちまう!」

 

想像したくも無い未来を幻視した黄金船。だが、今更ここが夢……いや、悪夢の世界という事を思い出す。

 

そうと決まれば話は早い。要は、全身全霊の拳をこのゴリラに叩き込めば良い。遠慮など必要ない。ここは夢の世界なのだから。

 

「揚げられてたまるか! ゴルシちゃんの価値は110円に収まんねえんだ!」

 

自分がウマ娘であった事に謎の感謝をしながら、彼女は持てる力をゴリラの頬へと叩き込んだ。勝手にゴリラと格付けしているが、一応相手は人間だ。無事で済むはずが無い。

 

 

 

 

 

「ぐおっ……てめえ、やってくれるじゃねえか!!」

 

 

 

 

 

……無事だった。

 

これまでのウマ生で色々あったが、きっと接触事故を起こして相手が無事だった事に、これほど絶望した事は無かっただろう。

 

相手は火力だけでなく、耐久力もしっかりとゴリラ基準。しっかりと腰の乗ったパンチにも関わらずピンピンしている。むしろ、殺気が増したような気がしなくも無い。

 

「なんでピンピンしてんだ!? アタシのトレーナーでも今のは倒れるやつだぞ!?」

 

耐久お化けの人間を引き合いに出しながら、彼女はその額に冷や汗を流し、ほぼ無意識に足を後退させる。

 

「てめえなんぞとは鍛え方が違えんだよ!!」

 

鍛えてどうにかなる範疇では無い。そんなツッコミを入れる暇も無く、再び襲いかかる剛腕。

 

「ゾイは! 何処だ! さっさと! 言いやがれ!」

 

「アタシは! 何にも! 知らねえって!」

 

一言話すごとに打ち込まれるキレの良いコンビネーションパンチを辛うじて躱すと、彼女はこの暴走マシンを止めるべく、強硬手段に出る。

 

「おらっ! これでお前は動物園のゴリラ同然よ!」

 

パンチの僅かな合間を縫い、彼女の手が相手の太い手首を捕まえる。そして、万力の如き力が両手首へとかけられた。

 

老人の腕が込められた力で隆起しようとも、彼女の手がそれを強引に押さえ付け、動く事は叶わない。

 

 

 

 

 

普通であればの話だが。

 

 

 

 

 

「わかった……」

 

「そうそう、分かったなら殴るのはもうやめて……」

 

「てめえをぶっ殺すには両手じゃ足りねえって事がな!!!」

 

「え……?」

 

万力の抑えを貫通してきた彼の手が、黄金船の船首とも言える頭部を左右から乱暴に掴む。人であれば耳があるはずのその部位を鷲掴みされた彼女は、相手の手首を掴んだままの己の手に全力で力を込めて引き剥がそうとする。

 

「頭突きとかアリかよ!?」

 

残念ながら、手の内に万力を所持しているのは彼女だけでは無かったようだ。必死の抵抗虚しく、彼女の額へと勢いの乗った頭突きが炸裂する。

 

「痛ってえええぇぇぇ!?」

 

ボウリングの玉でも当たったかのような衝撃に、思わず両手が痛みの発生源へと当てられる。だが、反射的なその行動は真正面の視界を遮る悪手であった。

 

「こいつでトドメだ!」

 

そして、両の手を退けて視界を確保した瞬間、彼女の瞳に映ったのは最早避けることすら叶わない速度で突き出された左の拳だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だああああっ!?」

 

体に感じる浮遊感。訪れる後頭部への痛み。叫びと共に見えたのは白い天井。

 

「あれ……そっか、夢か」

 

どうやら、寝相が悪くてベッドから落ちたらしい。硬い床にぶつけた頭をさすりながら、彼女は夢の記憶を思い返す。

 

普段なら忘れる筈の夢の内容。しかし、幸か不幸かはさておき、今回はその内容はしっかりと彼女の記憶に残っていた。

 

そして、悪夢を体験した彼女は心に決める。

 

良い夢見るまで終われない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、ゴールドシップは良い夢を体験する為に、とある一人の助っ人を連れてきた。

 

「頼むぜウララ、今回の作戦は全部お前にかかってる!」

 

「うんっ! なんだかよくわかんないけど、その作戦? 頑張るよ!」

 

意気揚々と両手を掲げるその桃色の影は、面白そうだからと着いてきたハルウララである。どうやら、ゴールドシップは彼女の愛嬌による力で、なんとかまともな夢が見れるのではないかと考えたようだ。

 

なお、どこぞの神を信仰しているウマ娘の開運云々のお言葉や小物が胡散臭いからこうなったなどでは無い。断じて無い。

 

「よし、じゃあまず最初の作戦だ!」

 

「うんっ! 何すればいいの?」

 

「ここのベッドで寝るだけだ!」

 

「ええっ!? 寝るだけでいいの?」

 

何も聞かされてないハルウララは、目的が全く分からない作戦に驚きを露わにした。

 

そんなこんなで、結局何も分からないまま彼女はベッドに横になる。まだ寝る時間ではないが、昼食の後という事もあり数分後には可愛らしい寝顔をさらけ出していた。

 

「マジで!? もう寝たのかよ! これはアタシも負けてらんねえな!」

 

負けじとベッドに体を捻じ込んで目を閉じる。今回はちゃんと寝不足状態になってきたようで、前回よりは睡魔が仕事をしているようだ。

 

だが、寝る速さだけはハルウララの方が彼女よりも上だったらしい。夢の世界への期待にワクワクしすぎた結果、寝るまでに数十分ほど時間をかける事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽しい夢である事を切望していたゴールドシップ。だが、意外にも運命は非情のようだ。

 

「……はっ!? どこだここ? 洞窟?」

 

夢の世界で目を覚ました彼女はまず周辺の状況を確認する。上下左右に広がる岩肌。前後に続く道。薄暗い灯りが点々と続く、気味の悪い洞窟だ。

 

そして、彼女の第六感はなんとなく前の夢と同じ世界ではないかと告げていた。

 

「なーんか嫌な予感すんだよなぁ……」

 

まるで、トラックでも通るのかと思うほど広いその場所。端に寄せて置かれている赤いドラム缶や資材の入っているのだろう木箱を横目に、とりあえず奥へと足を進めていく。

 

そんな最中、彼女は盛大に足を滑らした。

 

「どわっ!? ゴルシちゃんとしたことが……足元に鉛筆のキャップが落ちてるのを見逃してたぜ……」

 

今更ながら視線を向けた足元には、彼女の言う通り鉛筆のキャップ……いや、形状的には印鑑の方が近いであろう金属製の何かが、大量に転がっていた。

 

カラカラと心地よい音のなるそれらを、仕返しとばかりに軽く蹴っ飛ばす。

 

だが、甲高い金属音は洞窟内によく響いたようだ。

 

「おい! そこに居るのは誰だ?」

 

これから進もうと思っていた方向から現れたのは一人の厳つい男。ヘルメットやガスマスクの類は付けておらず、顔が外に晒されている。だが、その体に纏う丈夫そうな服には嫌な見覚えしかなかった。

 

「げっ……アタシの第六感は間違ってなかったのかよ」

 

前回のように問答無用で撃たれない事を祈りながら、彼女は平常心を装って返答した。

 

「誰だも何も、どっからどう見てもゴルシちゃんでしょうが! まあ、今のは少し暗かったからな! 無かったことにしてやるぜ!」

 

平常心とはどうのようなものを指すのか、彼女は復習した方が良いのかもしれない。

 

それはともかく、男から変人を見るような目を向けられたが、敵意の類が無いことはなんとか伝わったようだ。男は構えていた得物を静かに地面へと向けた。

 

「ゴルシ? 聞いた事ないが……まさか、"彼"と同じ民間人か……?」

 

「なあなあ、アタシいつの間にかここに迷い込んじまってさ、ざっとで良いから出口までの道教えてくれよ!」

 

「あ、ああ……分かった。俺も出口に向かってる途中だ。案内ならしてやれる」

 

どうやら話が通じるタイプの人間らしい。普通なら何とも思わない事だが、ゴールドシップは感激のあまり涙が出そうになっていた。

 

「うぅ……! 夢の中も捨てたもんじゃねえんだな……! 久々に感動しちまったぜ! というわけで、感動作品を手掛けたオッサンの名前、教えて貰ってもいいか?」

 

「……レッドフィールドだ」

 

「オッケ、覚えたぜ! そんじゃ、出口までよろしく頼むぜ"赤いヤツ"!」

 

「"赤いヤツ"? そんな呼び方されたのは初めてだ。行くぞ、ついて来い」

 

情緒が不安定に見える彼女を横目に、彼は出口へと歩き出す。

 

やはり、軍人なのだろう。歩いている時でも、会話の時でも、警戒を完全には解いていない。

 

砂利を踏み締める音が響く最中、レッドフィールドと名乗った男の装備から、電子音が鳴る。彼は片耳に付いたイヤホンに手を添えると、足を止めて話し始めた。

 

「俺だ。ちょうど今戻ってる」

 

チラリと男の視線がゴールドシップを一瞥する。

 

「ただ、少し話がある。戻る途中、民間人らしき者と合流した。よく分からんが、"ゴルシ"と名乗ってる」

 

何の変哲も無いただのやりとり。何も不審な部分などは無い。なのに、何故か彼女の背中にゾワリとした冷たいものが走る。

 

「意思疎通には問題は無い。少し変わり者ではあるがな。ただ、特異菌かどうかは不明だが、変異の兆候と思わしきものがある。簡潔に説明するが、ごく一部分のみ感覚器官が変異していると言えば分かるか? ああ……初めて見るタイプだ」

 

彼女に襲いかかる悪寒は段々と強くなる。まるで、本能が理性よりも先にこれから起こりうる恐怖に気付いてしまったかのように。

 

「戻り次第ゾイ達と一緒に精密検査を受けさせるつもりだ。今のうちに準備を頼む」

 

「ん? 待てよ……確か"ゾイ"って……」

 

記憶を掘り起こすと同時に走る衝撃。その名前は彼女が一番会いたくない人物が発していたものである。そして、今の会話通りに事が進むのであれば、あの老人と出会う確率は限りなく高くなるだろう。

 

それだけは……それだけは勘弁だ。話の通じないゴリラに二度も襲われたくは無い。

 

「わ、わりい! ちょっと急用思い出しちまった! お前との散歩も終わりだ終わり!」

 

「おい! 待て、どこに行く!? クソ、なんて速さだ……」

 

黄金船はその舵を大きく切り、全速力で走り去る。逃げ出した彼女へ掛けられる制止の声ですら、追いつく事は叶わない。

 

「聞いてるか? さっき説明した民間人が逃げ出した。理由は……分からない。とにかく、着くのに少し遅れる。そっちは任せた」

 

男は持っていた拳銃から弾倉を取り出すと、中身を見て溜息混じりに呟いた。

 

「脅しぐらいにはなれば良いが……」

 

指でそれを弾くと中身の詰まってない音が響く。どうやら、彼女と出会う前から弾切れだったようだ。そんな、見た目だけの玩具と化した武器を構え、彼女を追うべく"出口とは反対側"へと進み始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どけどけどけーい! ゴルシ様のお通りだっ! ってマジかよ! 行き止まりじゃねえか!」

 

彼女の目の前に立ち塞がったのは巨大なシャッター。侵入者を拒む為に作られたであろうそれは、彼女の力を以ってしてもびくともしない。

 

なんというか、この防壁は人間相手には些か過剰にも思えるが、きっと気のせいだろう。

 

「待てよ、そもそも出口あっちじゃね?」

 

目の前の防壁に2、3個ほど拳の型を作った後、彼女は今更ながら出口と真逆に進んでいたことに気が付いた。

 

もし、この防御力が限界突破している壁が無ければ、そのまま文字通り帰らぬ人となった可能性がある。そう考えれば、ここにシャッターがある事は幸運だったと言える。

 

「そんじゃ戻るかー……あ、赤いヤツ」

 

童話では兎が幾ら速くとも、立ち止まっていれば亀でも追いつく。

 

勿論、それは彼女でも例外では無い。だが、追い付いたのが亀のように遅い者でない事だけが、少し違うと言えるだろう。

 

「追い付いたぞ。いきなり逃げるとはどういうつもりだ?」

 

「どういうつもりかって? まあ、簡単に言えばアタシはまたドーナツになる気はねえって事だな!」

 

「……意味が分からん」

 

当然である。

 

「とりあえずアタシは帰る! そこ退かなくてぶっ飛ばされても知らねえかんな!」

 

彼女は再び、非現実であるからこそできる強引な手段に出るようだ。男の背後に続く道を辿れば着くであろう出口へと狙いを定め、クラウチングスタートの体勢を取る。

 

残念だが、彼に退く気はないようだ。

 

「そんじゃあな! 赤いヤツ!」

 

地面を強く踏みしめ、全身全霊の力を己の足に注ぎ込む。スタミナの減ったレース中では無く、満タンである今の状態でラストスパートと同様の出力を発揮すればどうなるか。

 

きっと、イカれた速さが手に入る。

 

そして、前に聳える障害物を吹き飛ばす程のスピードで彼女はここから脱出するのだ。

 

 

 

その理想を実現するべく、彼女はギリギリまで張り詰めた力の弦を解放した。

 

 

 

ブレーキの外れた思考から生み出される超加速。止められるものなら止めてみろ。不思議とそんな思考に至ってしまう程に今の状態は心地良かった。仮に止めるとするならば、重機か何かを持ってきた方が良いだろう。

 

速度の乗ったタックルで男を吹き飛ばし、そのまま出口へと向か……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐっ……!? 想像以上の力だ……!」

 

「は? え? ……マジで?」

 

 

 

 

 

ウマ娘の走行速度は車並み。そしてもし、車に突撃されたらどうなるか。誰でも分かるこの問題。だが、そんな模範解答をどこかの誰かは力で捩じ伏せたようだ。

 

目が点になりながらも、とりあえず彼女は前傾姿勢を維持してその足を力強く踏み込む。だが、まるで建物の壁を押しているかのようにその体は止まったまま。

 

計算外の座礁に理解の追いつかない黄金船。そして、現状を解する為にフル回転している脳みその隅っこで、静かに目の前の存在の定義が書き換えられた。

 

"赤いヤツ"から"赤いゴリラ"へと。

 

「アタシの行く場所にはゴリラしかいねえのか……? いやでも、最初にあったアイツは普通に……まあ、とにかく! こんな動物園にいる場合じゃねえ!!」

 

「また逃げる気か! そうはさせん!」

 

まさか相撲勝負で分が悪くなるとは思わなかった彼女は咄嗟に男との距離を離そうとする。しかし、相手もみすみすそれを許す者では無かったようで、先程とは逆に男のショルダータックルが彼女の顎へ突き刺さる。

 

姿勢の崩れたその瞬間、胸ぐらと足を掴まれて黄金船は宙に浮く。人ひとりを軽々と持ち上げるその膂力に驚く間もなく、彼女は端に積まれた木箱へと頭から叩き込まれた。

 

きっと、行き先が岩肌では無かったのは少しばかりの彼の情なのかもしれない。

 

「痛ってぇ……」

 

偶然にも木箱は空っぽだったようで、それぞれが弾け飛ぶように壊れる事で彼女への衝撃を僅かに緩和した。だが、それでも一人の意識を持っていくには十分な衝撃だったようで、彼女の視界は段々と暗闇に包まれていく。

 

そして、意識の消える直前に聞こえたのは、半分怪物な男の少し哀しげで耳を疑う呟きだった。

 

 

 

 

 

「少し……衰えたな」

 

 

 

 

 

その後、ゴールドシップが二度目の最悪な目覚めを迎えたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえねえ、トレーナー! 今日ね! すっごい夢見たんだ!」

 

「夢?」

 

「そう! えっとね……わたし、夢の中でね全然知らない泥だらけの場所にいたんだ! それで、どうしようって困ってたら、優しいおじさんとおばさんが助けてくれたんだ!」

 

「そうか、良かったじゃねえか」

 

「それでそれで! そのおじさんすっごい優しくてね! みんしゅく?ってのを開くのが夢だって言って、わたしのことお家に入れてくれたんだ! その後は、おばさんのおいしい料理たくさん食べて、ゾイってお姉ちゃんにいっぱい遊んでもらったんだ! すっごい楽しい夢だったよ!!」

 

「そうか、頭の中まで花畑とは大したもんだな」

 

「ただ、ゴルシちゃんはイヤな夢見ちゃったんだって! "赤いゴリラ"さんが出てきて大変な目にあったって言ってた!」

 

「……」

 

「よくわかんないけど、すっごく強かったみたいで……」

 

「おい、待て。こいつで好きなモンでも買わせてやる。だから金輪際その話はすんな」

 

「えっ!? いいの? わーいっ! じゃあ今からにんじんジュース買ってくるね! トレーナーもいる?」

 

「要らねえ。とにかく、もうその話は……」

 

「わかった! すぐ戻ってくるから待っててね!」

 

「アイツ行きやがった。ったく、本当に分かってんのか……?」

 

 

 

「どうせ、あのイカれ野郎の戯言だと思うが、まさかな……?」

 

 

 




ゴリラA
話の通じない方のゴリラ。左利きのようで、そのストレートパンチはもはや人とは思えない火力である。
ゴルシ曰く、"棺桶に詰めて池に沈めてもピンピンしてそう"とのこと。

ゴリラB
話の通じる方のゴリラ。どうやら、最盛期よりは衰えているらしい。それでも、息をするかのように人を担いで投げ飛ばせるようだ。
ゴルシ曰く、"あれを止めるには巨大な岩でも持ってこないとダメだ"とのこと。
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