悪くねえ 大したもんだ ハルウララ   作:黒チョコボ

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驚天動地

 

意気揚々とウマ王の元へと向かおうとするエルコンドルパサー達。だが、とある問題が発生してしまった。

 

「……足手纏いだな、すまない」

 

「うーん……まあ、しょうがないデース」

 

「そうそう、無理なもんは無理だ! ゆっくり行こうぜ!」

 

この中でクリスのみ人間だ。当然、ウマ娘の走る速度についていける訳がない。最高速度もスタミナも彼女達のそれには遠く及ばない。

 

普通の人間は全力疾走を何分も続けられないのだ。

 

それ故に、勢い付いていた心境とは反対にその行軍はとてもゆっくりとしたものになっていた。しかし、走りでない歩みだからこそ出来る事もあるものだ。

 

両脇を木々に囲まれた道を進む中、グラスワンダーはこの時間を有効活用し始めた。

 

「そういえば、ゴルシ先輩はあのゾンビのような怪物について何か知っていますか?」

 

「あー、アイツらか。あれ、オマエの言う通りゾンビだぞ。ヴァーヴァーうるさいから檻にぶち込んでベジタリアン生活させたかったんだけどな〜」

 

ゴールドシップはひょうきんな口振りでグラスワンダーの質問に答える。その後に続いた言葉から察するに、あの腐り人達を解き放ったのは彼女ではなく、ウマ王のようだ。

 

そんな中、ハルウララは腰に手を当てて胸を張ると、自信満々に対ゾンビ知識をひけらかす。

 

「ふっふっふ! わたし知ってるよ! ガブってされたらダメなんだよね!」

 

「ハッハッハ! 甘いな! アタシ達は百回ぐらいまではセーフだ!」

 

「ええっ!? そうなの!?」

 

一般人なら一回噛まれれば終わりだが、ウマ娘はその限りでは無いらしい。だが、ゴールドシップの言葉のニュアンスが正しいのであれば、全く感染しないという訳では無いようだ。

 

どちらにせよ、噛まれないに越した事はない。

 

「オッサンは一発アウトだな! 噛まれないよう頑張れよ〜!」

 

まるで茶化すようにその事実を彼へと伝える黄金船。言うにしても言い方というものがあるだろうと、常識のある者達が思う中、言われた当の本人は朗らかな笑みと共に返事をした。

 

「ああ、気を付ける」

 

まるで、理不尽な事実がさも当然かのように受け入れるその様に、ゴールドシップは勿論、ウマ耳を向けていた者達全員が唖然とした表情を浮かべていた。

 

だが、彼はそんな視線に意識を向ける事なく、静かに手に持った得物を構えた。

 

「おじさん、どうしたの?」

 

「気を付けろ、何か来るぞ!」

 

注意を促すその一言に、彼女達の気は一瞬にして引き締まる。警戒体制に移行したその耳は、彼の銃口が指し示す離れた林から明確な異物の存在を察知した。

 

ただ、彼女達の優秀な聴覚はこれとは別のもう一つも同時に聞き取った。

 

 

 

 

 

先程とは反対側の林から。

 

 

 

 

 

構えると同時に現れたのは、生ける屍達の群れ。ただ一つ違うのは、その中に尻尾と長い耳を携えた者が混じっている事だった。

 

「数が多い! 走れ!」

 

断続的に放たれる閃光が、奴らが近づくよりも先にその頭数を削る。しかし、どうやって隠れていたか分からない程に膨れ上がったその数に、彼は即座に逃げろと指示を出す。

 

「やべっ!? コイツらのパワー滅茶苦茶強えぞ!?」

 

そんな中、人ではない三人の手に掴まれて、出港出来ない黄金船の姿があった。元より強いウマ娘故、たとえ腐っても常人とは比較にならないのだろう。

 

彼女の置かれている状況をすぐさま理解したクリスは、自身の周囲をある程度片付けると、強く大地を蹴りながら二発の弾丸を放つ。

 

一人目はこめかみ、二人目は後頭部、そして残る三人目には速度の乗った左フックが顎へと炸裂した。

 

顔が曲がってはいけない方向に向いているように見えるが、きっと気のせいだ。そうに違いない。

 

「無事か?」

 

「助かったぜオッサン!」

 

「よし、早く行け。ここから抜け出すぞ」

 

あまりにも早すぎるリロードを終え、周りを牽制しつつ皆と同じ方向へ足を向けるクリス。

 

しかし、この屍達が突然現れた理由の答え合わせが、彼の足首を強く捕らえた。

 

「クソっ! そういうことか!」

 

その手は地面を這いずる者から伸ばされたのではない。それよりもっと下の地面の中から伸ばされたものだった。

 

まるで、地獄で蜘蛛の糸を掴んだかのように地より出たるその者は、黄金船を止めていた者と同様の真っ直ぐ上を向いた耳を持っていた。

 

掴まれた足は硬く握られて動かない。

 

「クリスさん!」

 

「俺に構うな! 早く先に行け! 必ず後で追い掛ける!」

 

「わかった! 絶対後から来てね! 約束だよ!」

 

苦渋の決断を無駄にする訳にはいかない。仕方なく彼女達は彼の指示通り走り出す。数匹こちらに気付いて追ってくる中、顔だけ振り返り見た光景は、屍に掴まれたコートを躊躇なく脱ぎ捨てて、噛まれるのを何とか防ぐ彼の姿であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっと撒けましたね……」

 

「力も強くて走れるなんて反則デース……」

 

「ただ、足自体はそこまで速くなかったのが不幸中の幸いですね」

 

なんと、ウマ娘のゾンビ達は他の者と違って元気に走れるようだ。グラスワンダーの発言通り、走る速度は大した事はなくハルウララでも余裕を持って距離を離せる程度であった。

 

「おじさん、大丈夫かな……」

 

だが、それはウマ娘基準での話。普通の人間が逃げ切れる速度では無い。

 

仕方がないとは言え、囮となった彼の事が心配である。

 

「どっちだ……! どっちなんだ……!? 流石のゴルシ様でもこれは予測がつかねえ! こんなの、猫の背中にジャム塗ったパンを乗せた時以来だ……!」

 

心配を寄せるハルウララ達の傍で、ゴールドシップはただ一人頭を抱えながら、深刻そうな表情で独り言を喋っていた。

 

「……一体何の話デスか?」

 

「いや、"何やっても生きてそうなオッサン"vs"強すぎる死亡フラグ"のどっちが勝つか考えてた」

 

半ば呆れた表情で尋ねたエルコンドルパサーへ返されたのは、よく分からない賭け事の内容であった。

 

どちらに賭けるか迷っているようだが、ここは嘘でも彼が帰ってくる方に賭けて欲しいものだ。

 

そんな彼女がどっちに賭けるか決めた頃、道の両脇に生えていた木々は途切れ、目の前に巨大な建造物が現れた。一部の者達が見覚えがあるかのように声を漏らす中、一人だけ辛辣な感想を言い放つ。

 

「わあっ! 凄いおっきい建物だ!」

 

「なんだこの城、あんまりカッコ良くねえな。誰がデザインしたのか顔が見てみたいぜ」

 

「ゴルシ先輩……これ、前回貴方が作ってた物と同じですよ?」

 

グラスワンダーの手によって、黄金船の辛辣な砲撃はブーメランと化したようだ。その証拠に、彼女はしばらくだんまりとしていた。

 

「……お、おい、さっさと行こうぜ! 闇ゴルシを倒すんだろ?」

 

居た堪れない気持ちを誤魔化すかのように、彼女はこの城に入る事を提案する。苦しげな笑みを浮かべたその表情に少し面白みを感じかながら、彼女達は豪勢な扉を開け放ち、警戒しながら内部へと歩みを進めた。

 

しかし、そんな警戒を嘲笑うかのように、廊下も何もかもが静けさに包まれていた。静寂の中に段々と混じってくる不気味さに思わず冷や汗が落ちる。

 

そうして、緊張をただただ浪費させながら、彼女達はウマ王の鎮座する最上階まで辿り着いた。

 

「やーっと来たな! もうちょっと遅かったらドミノでも並べようかと思ってたところだ!」

 

「ああっ!? もう一人のゴルシちゃんだ!」

 

シャンデリアが映える広く豪勢な部屋。真ん中を突っ切るように広げられた赤いカーペットの終点に、その存在を世界に知らしめんとする玉座。

 

王が座るに相応しいその場所に、ゴールドシップそっくりのウマ王は禍々しい圧と共に笑いながら座っていた。

 

「出やがったな闇ゴルシ! アタシの権限さっさと返せ! ログアウト出来ねえだろうが!」

 

「フッハッハッハ! 残念だなもう一人のアタシ! このウマ王様はもう暫くここで遊ぶ予定だ! てか、こっちの事を闇とか何とか言ってるけどよ、絶対オマエは光じゃないだろ!」

 

「なんだと! どこからどう見ても光のゴルシちゃんだろ!」

 

ゴールドシップは己の服とウマ王の服を指差すと、己は光だと主張する。確かに、明るめの色が基調となっているトレセン学園の制服に対し、ウマ王の着ている服は血の色を連想させる赤を基調とした勝負服。

 

言われてみれば、ほんの少しだけウマ王の方が黒々しく感じるかもしれない。

 

そんな、同じ姿の者が同レベルの言い争いをする滑稽な状況。思わず傍観していたくなる中、二人の間に一つの勇敢な影が割り込んだ。

 

「よく分からないお喋りは終わりデース! 今すぐゴルシ先輩に色々と返さなければ、エルの拳が火を吹きます!」

 

大きく跳躍して美しい着地を見せたエルコンドルパサーは両手の拳をより固く握りしめる。そうして、威圧の意を込められて放たれた言葉はウマ王の余裕を僅かに削った。

 

「フッハッハッハ! このハイパーウマ王様を止められるもんなら止めてみな!」

 

その顔が作り出す笑みと共に、彼女は玉座の後ろへと回り込むと、まるでサッカーボールを蹴るかのように煌びやかなそれを蹴っ飛ばす。

 

回転しながら吹き飛んでくる王の椅子。常人なら直撃してゲームオーバーという所を、エルコンドルパサーは格闘士故の強烈なアッパーで迎撃した。

 

そしてそれは、彼女自身の発言通り火を纏ったものだった。

 

「ふんっ! こんなのエルには通用しないデス!」

 

「あ、あっぶねえ……助かったぜエルチキ……あっ、今はちゃんとコンドルしてるか」

 

ゴールドシップの軽口を聞き流しつつ、彼女は棒立ちのウマ王まで肉薄する。

 

そして、己自身の速度を加えた火花を散らす拳が不気味にニヤついたその顔へと叩きまれた。

 

しかし、みるみるうちに顔を青ざめさせ、大きな悲鳴を上げたのは他ならぬ拳を突き出した張本人であった。

 

「あああぁぁぁっ!!! いっっっったいデエエエェェェス!! ど、どういう事デスか!? 何でこんな鉄みたいに硬いんデス!?」

 

「フッフッフ!! アタシは度重なる戦いの末学んだ! 結局、パワーもガードも強い奴が勝つってな! というわけで、このウマ王様はバフ盛り盛りで最強になったんだ! いやー、ご教授ありがとな! ドーナツ職人!」

 

要は、強化魔法を極限まで掛けた結果、鋼鉄の皮膚と重機の如き力を得たようだ。最大限の感謝を込めて、これを思い付くきっかけとなった人物へと彼女は礼を言った。

 

「ゴルシ先輩! ウマ王の言ってるドーナツ職人って一体誰デスか!?」

 

「人の顔面にパンチでドーナツを作れる奴がいてな……」

 

「そんな事するウマ娘聞いたこと無いデスよ!」

 

「当たり前だ! 誰もウマ娘だなんて一言も言ってねえからな!」

 

人なのかウマ娘なのか分からない回答に、エルコンドルパサーはこれ以上考えるのを止め、目の前の事に集中する事にした。

 

そもそも、そんな恐ろしいパンチなど人が放てる訳がないだろう。きっと、どこかのウマ娘に違いない。

 

「エル! 相手が己を強化するならば、こちらも強化です!」

 

「エルちゃん頑張れー!!」

 

ウマ王と勇者。不敵な笑みを浮かべる相手に対し、彼女の表情は少し緊迫したものとなっている。だが、それは力関係の天秤が偏っているからこそ起きるのだ。

 

「ブエノ! さあ、覚悟して下さい! ウマ王!」

 

グラスワンダーの強化魔法とハルウララの応援が勇者に降り注いだ今、その天秤は釣り合った。

 

 

 

床を砕く踏み込みと共にウマ王へと急接近する彼女の体。

 

 

 

己の力も速度も乗ったその一撃が彼女の胸板へと叩き込まれる。

 

 

 

そして、その一撃は間違いなく傍若無人な人ならぬ魔王へ、確かに届き得た。

 

 

 

「いっっってえええ!? 冗談だろ!? こちとら鉄の皮膚だぞ! 何で貫通出来んだよ!」

 

地面に残る二本の引き摺り跡。その衝撃は彼女を地面に転がすまでは敵わなかったが、代わりにその表情から余裕を完全に消し去った。

 

打たれた所を動揺した様子で抑えながら、ウマ王は内に溜まった不満をぶち撒ける。

 

「今のエルは文字通り最強デス! 鉄なんて余裕で砕けます!」

 

「アタシの野望を砕かせてたまるか! 追い強化してぶっ飛ばしてやる!」

 

己の速度にまで強化を掛けたウマ王は、もはや傍観者には見切れぬ速度で勇者へ迫る。しかし、彼女はそれを辛うじて見切ったようだ。

 

繰り出された異常な勢いのドロップキックは、彼女の肩を掠めて空を切る。反撃の兆しかと誰もが思うが、十八番とも言えるその攻撃は掠ってなお破壊力は健在のようで、彼女の体は後方へ吹き飛ばされた。

 

「あんなのまともに食らったら三カウント取られて終わりデース……!」

 

受け身を取りつつ吐いた呟きは誰にも聞かれる間も無く消える。

 

しかし、漏れた言葉とは裏腹にその頭の中には既に対策方法が浮かび上がっていた。

 

それを実行すべく、彼女は再びウマ王へと接近する。

 

「やっぱまた来るよな! ちゃんと直撃させるんだった!」

 

もはや、ただ距離を詰めるだけで残像が見えそうなエルコンドルパサー。どうやら、彼女が良く口に出す最強という言葉は、今日に限っては笑い事では無いようだ。

 

王に相応しい力を得たウマ王が、その表情を歪めている事実が何よりの証明だろう。

 

「助走を取らせたらさっきの危険なドロップキックが飛んでくる事は分かってます! だったら、どうやっても距離を離せない超絶で最強なインファイトで勝負デス!」

 

お互いの拳と脚が届く位置。相手の主力を潰す為、一瞬でも気を抜けば手痛い一撃を食らうであろう重い勝負を彼女は選んだ。

 

そして、会話の代わりに交わされたのは固く握り込まれた自らの拳であった。

 

元より身軽である己の特性を生かし、彼女は素早いスウェーと足捌きでウマ王の破壊力抜群の拳を次々と躱す。まるで、鳥の飛行のように鮮やかな回避の後、ガラ空きの相手の脇腹に見事な回し蹴りが突き刺さる。

 

だが、極限まで高まったウマ王の防御力の前では、それすらまだまだ浅い一撃だ。

 

そんな硬すぎる相手に重い一撃を入れるべく彼女が取った行動は、手痛い反撃を一度受け入れる事だった。

 

「よっしゃ! 直撃ぃ!」

 

下から掬い上げるかのような蹴り。腕で急所に当たるのは防いだエルコンドルパサーだが、強烈すぎるが故にその体は真上へと吹き飛ばされる。

 

「これを……待ってました!!!」

 

不穏な空気を感じ取ったウマ王が見たのは、天井に足をつく彼女の姿。

 

そして、重力と己の力の両方を以って繰り出された流星の如き飛び蹴り。

 

 

 

それは正しく、空から獲物を仕留める鷹の強襲そのものであった。

 

 

 

「よしっ! 直撃デース!」

 

先程の意趣返しのように放たれる得意気な一言。そんな言葉の先で地面を転がるウマ王。

 

だが、まだだ。まだ、目の前の敵は完全には倒れてはいない。

 

「ニワトリと思ったら……ヒクイドリじゃねーか……! どうりでこんなに強いわけだ……!」

 

悪態混じりに立ち上がるウマ王を見て、彼女は察する。ほんの少しで良い。何か後押しするものが必要だと。

 

何かないのかと思考を巡らせたその時、彼女は思い出した。ある意味賭けに近しい部分はあるが、切り札になり得るその存在を。

 

「今こそコレの使い所デス! これで一年後の体に成長すれば、より最強になれます!」

 

懐から取り出したのは一つのポーション。薄い緋色の液体が入ったそれは、ゴールドシップがもたらした強烈な力の籠った一品である。

 

「良いぞコンドル! そのまま成長して闇のアタシをぶっ飛ばしちまえ!」

 

応援もあり、勢い付いた彼女は躊躇いなくフラスコの中の液体を飲み干した。

 

 

 

否、飲み干してしまった。

 

 

 

「……っ!? あ、あれ……なんか力が抜けて……!?」

 

「エルちゃん!? ど、どうしたの!? 大丈夫?」

 

地面に力無く座り込んだ彼女の様子を見て、ハルウララが心配そうに駆けつける。そんな光景を横目に、ウマ王は高らかに笑い始めた。

 

「フッハッハッハ! 引っかかったな! オマエの持ってたそのポーション、このウマ王様が直々に面白い魔法を掛けてやったんだ! いやー、近づいてきてくれて助かったぜ!」

 

「ウマ王! 一体何をしたんですか!」

 

「性能が逆転する魔法を掛けてやっただけだぞ? 効果を倍以上にしてな! 今頃、そこのヒヨコちゃんの体は小学生と同等レベルじゃねえか? 大体十年ぐらい若返ったぞ、良かったな!」

 

「まだ、そんなのが必要な年齢じゃないデース!!」

 

一部の人にとってはとてつもなく欲しいであろうその効力。しかし、元より若さに溢れた者にとって、それは却って毒となる。

 

そんな想定外の毒に蝕まれた彼女は、基本的な行動は問題無く出来るが、行使可能な力の最大値がとてつもなく低くなっていた。

 

「ま、まさか……今アタシが持ってるのも……!?」

 

「おう! もれなくしっかり呪っといたぞ!」

 

「くそっ! 冗談じゃねえ! デバフアイテムなんているか! その顔面にくれてやる!」

 

ゴールドシップは持っていた例の薬品を遠慮無くウマ王の顔面へと投げつける。相手がある意味自分である為か、一切の容赦も無い。

 

素晴らしいフォームで投げられたそれはかなりの速球であったが、残念ながら平然とキャッチされてしまった。

 

「サンキュー! 丁度欲しかったんだよな〜! お礼に良いもん見せてやるよ!」

 

辛酸を舐めさせられたかのように表情を歪める彼女の前で、ウマ王は魔法で巨大なディスプレイを呼び出した。

 

「丁度、面白い映画が上映するんだ! お客第一号として特等席で見せてやる!」

 

「映画! ほんとっ!?」

 

「おう! 最高に面白いぞ! ネタバレすると最後はバットエンドだけどな!」

 

こんな状況にも関わらず目を輝かせるハルウララ。ある意味いつも通りのその様子に、グラスワンダー、エルコンドルパサーはともかく、あの黄金船でさえ何とも言えない溜息を吐いた。

 

そんな彼女達とは対照的にウマ王は黒々しいほくそ笑みを浮かべると、そのディスプレイに例の"映画"を映し始める。

 

「ああっ!? おじさんが映ってる!」

 

驚愕する桜の瞳が見たものは、この城の中で自身達も確かに通った不気味な廊下を、小銃を構えながら早足で進むクリスの姿だった。彼女との約束を果たすべく、彼はちゃんと生き残り、後から追ってきたのだ。

 

「うおっ! あのヤベー死亡フラグへし折ったのかよ!? このオッサンマジで何者なんだ……!?」

 

生存を果たしたその姿に、彼女の怪訝な視線が向けられる。これまで生きてきて、フィクションの中でさえ、アレを打ち破った者を見た事がなかった。

 

そして、その気持ちはもう一人の彼女も同様だったようだ。

 

「アレを切り抜けたのは褒めてやりたい所だが、アタシはさっさとアイツを仕留めて祝杯を挙げたい気分なんだ! というわけで、出さずに取っておいた精鋭に手早く始末して貰うか〜」

 

エルコンドルパサー達が来る際に、やたらと静かだったのはそういう事らしい。

 

ウマ王が悪い笑みを浮かべ、その指をパチンと鳴らすと、画面の中の彼に異変が起きる。

 

『何っ!?』

 

驚きに歪むその表情。身構えた彼の視線の先に現れたのは、今まさに向かおうとしていた階段から押し寄せる、大勢の腐った者達の姿だった。

 

どの者も頭の上に欠けた耳を携えている事から、彼女らの素体がウマ娘だということが伺える。

 

彼に気付くや否や、彼女達は獲物を見つけた肉食獣の如く走り出す。驚きを噛み殺し、その目を細めた彼が取った行動は、手に持つ得物から閃光を放ちつつ、後方へと下がることであった。

 

撃てども撃てども減らぬ止まらぬその濁流に、彼の立ち位置はどんどん押し流されて行く。これでは埒が開かんと思ったのか、彼は今いる場所から丁度横へ伸びる通路へと駆け込んだ。

 

襲撃者達の視界から逃げるように、曲がり角を幾つも通り、彼が辿り着いた先は丁度この城の入り口であった。

 

豪勢かつ邪悪に聳える重そうな扉を見た瞬間、彼の瞳は希望で輝いた。どうやら、広い場所へ出て迎え撃つ算段らしい。

 

だが、それすらもウマ王の予測範囲内だったようだ。

 

『……っ!? まずいっ!』

 

ひとりでに開くその扉。何故か漂ってくる禍々しい雰囲気は、その期待を裏切らなかった。

 

即座に踵を返す彼が見たのは、扉の前で待ち伏せる屍の群れ。もれなく全員ウマ娘であるその者らは、例外なくその足を彼へと向ける。

 

腐り果ててなお健脚とは、何とも厄介なものだ。

 

「ハッハッハッハ! オマエらも見ろよコレ! 映画のワンシーンそっくりだぜ?」

 

逃げ惑い、T字路に追い込まれたクリス。前方と左右から迫り来る脅威に、苦い表情を浮かべるその様子。

 

それは、夢の中で彼にコテンパンにされたウマ王にとって、これ以上ないほど甘美なワンシーンであった。

 

「さらばだ赤いヤツ! オマエの墓はちゃんと赤く塗っといてやるから、安らかに眠ってくれ! あと、祟って夢に出てくるならアタシじゃなくてウマ王の方にしてくれ!!」

 

「何言ってるんデスかゴルシ先輩!? あの人だったらきっと何とかなります!」

 

「そうだよ! あのおじさんすごく強いもん! みーんなすぐやっつけちゃうはずだよ!」

 

両手を合わせるゴールドシップに、まだ彼を信じ続けている二人。そんな最中、最後の一人が出した結論は当然というべきか、最も現実的というべきか、悪く言えば残酷なものだった。

 

「あのお方が強いのは私も承知です。ですが、あの状況は……流石に……」

 

尻窄まりなその言葉。目を合わせずに伝えられたそれは、エルコンドルパサーの根拠の無い盲信を静かに取り払う。

 

負けじと応援を続ける一人の声が虚しく響く。誰もが半ば諦めを帯びた視線を向ける中、画面に映った彼の瞳はまだその色には染まっていなかった。

 

『よし……やれる!』

 

新たな弾倉を装填し、己の武器全てに一度目を通し終えると、彼はそう呟いた。狂人紛いのその発言に誰もが耳を疑う中、彼は左右の通路に目も暮れずに前方の通路へと駆けていく。

 

 

 

そして、そこから先の光景は、まさしく映画のようなフィクションの光景だった。

 

 

 

前方に立つ者共の頭を恐ろしく正確な射撃で次々と撃ち抜きながら通路を進む。そうして、左右と前の三方向からの襲撃を、前後の二方向へと変える。

 

だが、そうなった所で挟撃を受けている事には変わりない。そんな中、彼は目の前に立つ化物の顔面へと渾身の拳を打ち込んだ。

 

その威力は、哀れにも怪物の顔を少し凹ませ、周囲の者を巻き込んで吹き飛ばす。しかし、うつ伏せに倒れた彼女の肩を強引に持ち上げるその腕が、災難がまだ終わっていない事を示していた。

 

『ふんっ!!』

 

彼は今手に持っているものをライオットシールドか何かと間違えているのではないか。そう感じる程の突進を、彼はその丈夫な盾を持ったまま繰り出した。

 

襲い掛かる者達が小石のように吹き飛んでいくその様は、間違いなく車……いや、ブルドーザーか何かを幻視するだろう。

 

そうして、人口密度が最も高いその場所を越えて用済みとなったその盾は、とある者は青ざめ、また一部の者は目を輝かせる方法で後方へと投げ飛ばされた。

 

「すごいっ!! おじさん頑張れっ!!」

 

「げっ……嫌な記憶が蘇る……!」

 

「同感だな……アタシもだ……!」

 

「す、すごいデスよグラス! あの人、ボディスラムの取り方からかなりの距離を放り投げました!! と、とんでもない力デース! もしかして……正体はプロレスラーだったりするんデスか!?」

 

「エル、多分違うと思いますよ……?」

 

各々が反応を示すその光景に続くのは、投げ飛ばされて地面に横たわる体につまづく、ゾンビ達の姿であった。

 

幸運な事に、彼女達はその脚とは違い知能の方はGランクであるのだろう。つまづいた者達に連なる様に転んでいく。

 

そして、転倒した後方の者達と、残り僅かとなった残党を、銃と拳を駆使して撃破していくうちに、二本の足で立つ者は彼を残して皆地に伏せていた。

 

『よし、クリア! 危ない所だった……』

 

ひとつまみの安堵が乗ったその呟きに、ウマ王は驚愕と疑問が入り混じった表情をうかべ、納得がいかないかのようにモニターの前で叫んだ。

 

「はあああっ!? なんでだ!? どっからどう見てもあの場面はやられる所だろ!! アタシの見込みじゃ、アレを突破できる確率はマックイーンがスイーツ食べない確率と同じなんだぞ!」

 

「ふっふっふ! おじさんとっても強いでしょ! わたしも最初はびっくりしたよ!」

 

「……アレは強いの一言で説明つくもんなのか? ゴルシちゃん的にはその……あれだ。一般的な"強い"となんか大きな差がある気がすんだよなぁ……」

 

何故かハルウララが自慢げに胸を張る。微笑ましいその後ろでは、ウマ王と同様に頭を抱えた黄金船が、ヒビの入り始めた常識を前に困惑していた。

 

「きっと、プロレスで地道に体を鍛えてたからこんなに強いんデース!」

 

「確かに、塵も積もれば山となるとは言いますが……山が富士山レベルのような気が」

 

「何言ってんだ……エベレストの間違いだろ」

 

これは鍛えてどうにかなる範疇なのだろうか。なんだか、色々と規格外な気がしてならない。仮にそうだとしても、この力を身に付けるまでに掛かった時間は途方もないものであるに違いない。

 

常識に囚われた者達はその異次元を前にして、脳裏に同じ者を思い浮かべる。

 

 

 

鉄槌を当然のように持ち歩く工場長……

 

過去にあの凶悪お化け屋敷の本店をクリアしたらしい一般人……

 

ウマ娘のドロップキックを受けても平然としているトレーナー……

 

薬物耐性の高いウマ娘用の薬を飲み干してケロッとしている人型モルモット……

 

 

 

もしかすると、人間は案外強い生き物なのかもしれない。

 

 

 

「やべっ!? アイツがもうすぐ来ちまう! さっさと邪魔者は片付けとかねえと!」

 

先程の一件でウマ王の警戒対象はエルコンドルパサー達からクリスへと移ったようで、彼の到着よりも先に彼女達を無力化するべくこちらへと向かってきた。

 

その表情に浮かび上がる感情は、これまでにない程大きな焦りを孕むものであったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

荘厳な空気が漂う重そうな扉をゆっくりと開けた後、クリスはその厳つい体に似合わぬ柔軟さでスッとその王の部屋へと身を入り込ませる。

 

最小限の物音で、最大限の警戒を行う彼は入るなり左右へ小銃を向け、敵が潜んでないか確認をした。

 

一旦己の身の安全を確保した後、彼はようやく部屋をじっくりと見回した。

 

華美な装飾が為されているが、不思議と冷たい雰囲気を感じる。そして、何より不気味なのは、置かれている家具の類が空っぽの玉座だけだという事だ。

 

「俺の趣味じゃないな」

 

己の気持ちを一瞬だけ和らげる軽口を挟みながら、彼は玉座へと歩みを進める。何か仕掛けの類があるかもしれないと思っていたようだが、どうやらそれは杞憂のようだ。

 

「ドーンっ!!!」

 

彼以外の何者かの大声。すぐさま身構えた彼の元に突然飛んできたのは、何かがあると思っていた赤い玉座そのものだった。

 

回転しながら飛来するその物体。受け止めるのは得策ではないと判断したのか、彼は真横へと飛び出すように身を転がした。

 

手慣れた回避行動により、己の体を玉座の着色料に変えられずに済んだ彼だったが、もう一つの赤い影が急接近してきた事により、その安堵は打ち砕かれる。

 

「ぐっ!!?」

 

深紅の残滓しか見えないその速度。回避すら間に合わず、彼の身体に強烈な殴打が襲いかかる。その威力は否応無しに重たいその身体を宙に浮かせ、嫌な音と共に後方の壁へと吹っ飛ばした。

 

「おじさんっ!!」

 

その光景を見ていたとある者が心配そうにその声を上げる。なんと、のこのこと部屋に入ってきた者には見えないであろう、玉座の真後ろだった位置に手を縛られたハルウララ達が隠されていたようだ。

 

捕らわれた各々が不安げな表情を浮かべる中、奇襲を掛けた不届き者の顔にあったのは確信した不敵な笑みではなく、ただただ得体の知れないものへと送る驚愕だった。

 

「な、なんでだよ……? 今、完全に不意打ちだったじゃねーか!」

 

そんなウマ王の驚きが向く先には、壁に叩きつけられて地面に落ちる彼の姿が。普通ならあんなものを食らえば立ち上がる事など出来はしない。

 

だが、真ん中から"く"の字に変形した小銃が、彼がまだ戦闘可能である事を示唆していた。

 

「くそっ! まさか、銃が駄目になるとはな!」

 

叩きつけられた衝撃を、まるで受けていないかのように立ち上がると、己の腰に付いている拳銃を躊躇いなく構える。

 

しかし、その引き金には間違いなく躊躇いが生じた。

 

「ゴールドシップ?」

 

服は違えど、その顔は確かに己の知る者だったのだから。

 

「やべっ!? オッサン! そいつはアタシじゃねえ!」

 

彼の一言で全てを察したゴールドシップは、すぐさま真実を伝えようとするが、それよりも先に襲い掛かったウマ王にその言葉は遮られた。

 

「おい! ゴールドシップ! 俺だ、クリスだ!」

 

「おう! ちゃんと分かってるぜ! 赤いヤツ!!」

 

人など平気で吹き飛ばせる、強烈な膂力による一方的な戦い。それもそうだ、勘違いとは言え、片方の視点からすれば元々味方にしか見えていないのだ。それに加えて、もう片方の脳内には半ば仕返しの意が混じっている。

 

当然、まともな戦いになる筈がないだろう。

 

「あれっ、なんかもっと強かった気がすんだけど? 人違いだったか?」

 

「何を言ってるんだ!」

 

「前にオマエに会った時の話に決まってんじゃん」

 

我流であろうその拳や蹴りは、生半可な防御は貫通する。膂力の違いによるものか、戦闘への意欲の違いによるものなのか。

 

どちらにせよ、起こった事実を述べるならば、ウマ王の攻撃はクリスのガードをものともせず、その体ごと吹っ飛ばしてダメージを与えていた。

 

そして、彼の腕を強引に掴み、振り払われるよりも早く力任せにその体をぶん投げる。何の技術も用いていない乱暴な投げ技であるが、その単純さ故にかなり受けづらいようだ。

 

彼は何とか受け身で地面に色々とぶち撒けるのは回避したのだが、誤魔化しきれなかったその勢いに地面を引き摺り回される。おまけに、まだ動く唯一の武器は彼の手を離れて部屋の隅へと転がってしまう。

 

絶望的な状況の中、彼の体が止まった場所は捕らわれた仲間達の真横であった。

 

「っ!? 無事か!? まさか、捕らえられているとはな……気付けなくてすまない……!」

 

今更になって捕虜と化した彼女達に気付いた彼は、懐から見た事もない形状のナイフを取り出して手前のグラスワンダーを縛る縄を切った。

 

だが、当然ながら彼女から飛んできたのは己の状態に関してではなく、様々な動揺を含んだオウム返しのような質問だった。

 

「それはこっちのセリフです! あんなにも攻撃を受けているのに、クリスさんこそ大丈夫なんですか!?」

 

「ああ、問題無い。慣れてるからな。それよりも、これで全員助けてやってくれ」

 

本当なのか、強がりなのか、全く分からないその返答。そんな安心できない言葉と共に彼女の手に渡されたのは、彼が使っていた特徴的なナイフであった。

 

だが、彼がウマ王へ視線を向けようとした時、ハルウララ達と同じように縛られた存在に驚きを露わにする。

 

「どういう事だ……? ゴールドシップが二人……?」

 

当然、クリスは大きく困惑する。何かの装備による変装、整形による変装、それともただのクローンか。

 

この世界に似合わない物騒な思考が脳裏を流れる中、すぐ横から、気ままな春風が吹いてきた。

 

「えーっとね、今赤い服を着てるゴルシちゃんは偽物なんだって!」

 

「そうなのか!?」

 

己の知らぬその情報に彼の顔は驚愕の一色に染まる。そして、援護射撃と言わんばかりに黄金船の言葉が発射された。

 

「おう、そうだぞ! アタシが本物のゴールドシップだ!」

 

「はあ〜!? 何言ってんだ! こっちが本物のゴールドシップに決まってんだろ!」

 

当然、その言葉にすぐさま反論するウマ王。しかし、次の一言に彼女は沈黙を余儀なくされる。

 

「ほーう? だったら、オッサンの名前をフルネームで言えるよな? キチンと自己紹介してたもんな〜?」

 

たった数個の文字の差が、ここに来て凄まじい信用の差を生み出した。この場に漂う静けさそのものが、自らは偽物だという事の証明だ。

 

もはや、隠す気も無くなったのか、わざとらしく悔しそうな表情を浮かべると、ウマ王は腹いせと言わんばかりに赤い液体の詰まったフラスコを投げつけてきた。

 

彼の太い腕に当たり、砕け散るフラスコ。中身は当然、防御した張本人に降り注ぐ。

 

「よーし、流石アタシ! 命中率100%だ! これでオマエは筋トレ前のへなちょこ野郎だ! まあ、ここまでする必要なかったかもだけど、念には念をってヤツだな!」

 

言葉の意味がよく分かってないクリスと全てを理解して顔を青ざめるその他大勢。

 

「ま、まずいデス! これじゃ、折角のパワーが意味を成さないデース!!」

 

力を無くした張本人であるエルコンドルパサーの言葉はどこか悲痛に溢れていた。だが、その喪失こそがウマ王の狙いである。

 

「そんじゃ、お片づけのお時間だ! オマエをぶっ潰した後、残りのお仲間をどう料理するか、考えるだけで楽しみだぜ!」

 

勝ち誇った笑みと共に、彼女の体は加速する。魔法と薬品によって大幅強化されたその脚力は、文字通り残像が見えるスピードを彼女に与え、数メートル離れた男の元へ一瞬で辿り着く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、真っ直ぐ突き出したその拳が殴った物は、誰かの腹部などではなく、ただただ宙を舞うホコリだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

強化された知覚はスローモーションのように作用する。勇者達御一行が未だに彼女が元いた場所へ目を向けている事や、窓枠に止まる黒い鳥が今まさに飛び立とうとしている所など、様々な情報を認識する事が可能となるのだ。

 

しかし、皮肉にもその覚醒した感覚器官により、彼女は知ってしまった。

 

 

 

半身となって躱された己の拳を。

 

 

 

確かに彼女を見据えるその瞳を。

 

 

 

そして、額へ今にも突き出されんとする右腕の反撃を。

 

 

 

 

「いっっっっっっ!?」

 

知ったとしても避けられない一撃は、ウマ王の体を地面へと叩きつけ、幾度となく跳ねさせた。

 

そうした後に襲い掛かる額への痛みに、彼女は声無き声を上げ、打ち上げられた魚の如くのたうち回る。

 

「痛ってえ……攻撃の瞬間に防御魔法切れるなんて聞いてねえぞ! さっさと掛け直し……あれ?」

 

それを見た瞬間、彼女の思考も何もかもが一瞬だけ凍りつく。脳が理解を拒否する状況とはこの事を言うのだろう。だが、たとえ理解出来たとしても、恐らく彼女はその理解を疑い始めるはずだ。

 

 

 

何せ、今見ているステータス画面が真実ならば、彼は"ただの黒いグローブだけで鉄の塊を平然と殴った"事になるのだから。

 

 

 

砕け散る頭の中の常識。自身の中の常識は一般的な物と比べ、かなり逸脱している筈だと思っていた。それでもなお、今起こっている出来事は彼女のそれでは受け止めきれない。

 

半ば放心状態となっているウマ王に、真の常識破りが右肩を回しながら眉を顰めて静かにこう言った。

 

「悪いが、そうはさせない……!」

 

何故だか先程よりも大きく見えるその体。

 

顔の見た目よりも若くなったように感じるその瞳。

 

放たれる圧は常人の比ではなく、もはや彼女の向けるその視線は、得体の知れないナニカへと送るものとなっていた。

 

だが、不思議と彼の目に彼女は映っていなかった。いや、正確には瞳孔に反射するその姿は間違いなく彼女であるにも関わらず、その反射像は見知らぬ影を幻視させたのだ。

 

 

 

 

 

それは、金の頭髪と赤い瞳を携えた、不気味で異様な男の姿だった。

 

 

 

 

 

 




ウマ王のフラスコ
中に薄い赤色の液体の入ったフラスコ。その正体は、使用者の肉体年齢を一年分成長させる規格外の薬品である。なお、飲んでも浴びても有効だ。

だが、ウマ王自身が服用する為に生み出したこのポーションには、彼女自身も知らぬただ一つの注意文があった。





"これはウマ娘にしか効果が無い"





きっとそれは、性能を弄られようとも変わらぬ絶対のルールだろう。
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