悪くねえ 大したもんだ ハルウララ   作:黒チョコボ

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伝説

 

優秀極まりない科学者が。

 

規格外の科学で生み出された化物が。

 

サイコパスな天才メカニックが。

 

過去に幻想世界で暴れた鋼の魔王が。

 

そして、完全たるを目指し、神の領域へ踏み込まんとした存在が。

 

どれだけ策を講じようとも、どれだけ理不尽な力を振るおうとも、止める事が叶わなかった一人の男がいた。

 

 

 

この世界において、それは誰も知らぬただの御伽噺だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝ちを確信した筈のウマ王は、非常に焦っていた。

 

ギリギリの所で勇者を例の薬品で無力化し、その御一行達にもその洗礼を浴びせて、確実に捕らえた。

 

その次に、危険そうなあの厳つい男も同様に、ポーションをぶん投げて無力化した筈なのだ。

 

だが、目に映るその光景は彼女を大いに裏切った。

 

「な、なんでだ……? ウマ王の攻撃だぞ!? ちょっとぐらい怯めよ!」

 

風切り音を鳴らす拳、刃物のような蹴り。己の放てる最高峰の一撃をどれだけ並べようと、立ち塞がるその男は倒れない。

 

ボクシングのジャブのような速度重視の軽い攻撃は何事も無かったかのように防がれ、ストレートのような全力の一撃は拳より前の関節部を抑えられ、その出鼻を挫かれる。

 

だが、仮にフルパワーのそれを放てたとしても、その天秤がひっくり返る訳では無い。

 

「今だ!」

 

伸び切った腕を抱え込まれ、お返しとばかりに放たれる裏拳。地味で映えないその一撃は、それを補って余りある程の威力を有していた。

 

「いっっってえええ!!? 何なんだオマエ!? 鉄殴る趣味でもあんのかよ!」

 

頬を痛そうに抑える彼女。本来ならば戯言と流される今の言葉だが、今回に限っては絶対にあり得ないとは言い切れない。

 

「……そんな趣味は無い」

 

変な間を置いて返される呟き。何故か躊躇いを含むように感じるその言葉からして、趣味でないが似たような経験があるのかもしれない。

 

そんな疑い深い言葉を耳に入れつつ、彼女が次に取った行動は反撃を食らった時とは違う、全身全霊での猛進だった。

 

「こうなったらウマ王流の瞬間移動見せてやるぜ! ぶっ飛ばされて壁貫通して外に落ちても知らねえからな!」

 

床が割れる程の勢いで踏み込んだ後、彼女の姿は文字通り霞となって消える。傍観者全員が一体何が起こったのか理解が追い付かない中、彼は咄嗟に右肩を後方へと反らした。

 

そして、乾いた破裂音と共に彼女は姿を現す。

 

彼の脇腹ギリギリ当たらないその場所へ突き出されたその拳。音すら一バ身差を付けて置いていった筈のそれを見て、彼女は動揺を露わにすると同時に、再度その姿を幻影と変化させる。

 

速過ぎるあまりに視認出来ないそれを前にして、彼はすぐさま身をかがめ、後方へと足払いを掛けた。

 

「うおっ!?」

 

頭上を通り過ぎる剃刀のような蹴りの直後、体を支える唯一の片足へとそれは見事に突き刺さる。

 

当然、彼女はなす術なく地面に転がった。

 

「ちくしょー……おい! なんでアタシの攻撃が避けれて、オマエの攻撃が当たるんだよ!」

 

「悪いが、似たような経験があるんでな」

 

どうやら、彼は彼女のスピードを見切った訳では無いらしい。これまでに己の目で感じ、その身体で切り抜けてきた過去の財産が、彼に力を与えているのだろう。

 

だが、その意を汲み取ってなお彼女の疑問が晴れる事は無い。

 

 

 

一体、何をどう経験すれば今のが捌けるようになるのだろうか?

 

 

 

そんな一文が、雲のようにモヤモヤとその脳裏に浮かぶ。だが、今のウマ王以上に速い存在など、現実と幻想の両方を含めた世界の何処に居るというのだ。

 

結局、何も分からず終いである。

 

そうして、この積もり積もった不満を彼にぶつける事へとその思考は巻き戻った。

 

だが、再び加速した彼女へと予想だにしなかった衝撃が襲い掛かる。

 

「ぐえっ!?」

 

「あ、あの速度に対してラリアット……!? 常人なら首が消し飛びそうデース……」

 

「相手がウマ王で良かったですね」

 

「あれ、アタシがおかしいのか……? どっからどう見てもアレにラリアットかました腕の方を本来心配すべきだろ!」

 

一応、今のウマ王の皮膚は文字通り鉄並みの硬さと質量である。そんなものが高速で移動している所に腕など出せば、普通はどっちがどうなるかなど言うまでもない。

 

……多分、きっと、恐らく、幻想世界だから大丈夫なのだろう。

 

「へっへっへ……! 今のはあんまし効かなかったぞ! やっと、ポーションの効果が出て……」

 

当たりどころが良かったのか、未だピンピンしているウマ王。もはや、口を開く余裕すらある。

 

しかし、彼女は知らなかった。

 

 

 

今の一撃が、悪夢の序章に過ぎない事を。

 

 

 

「ふんっ!」

 

「……っ!?」

 

そう、それは地獄のような連撃の開始を示すゴングであった。

 

彼のフッと息を吐く音と共に繰り出されるは、腰の乗った右フック。その直撃と同時に始まる左フック。

 

そして、それが当たれば次はボディーブロー。その次は……と言うように彼女へ拳の嵐が襲い掛かった。アッパーやフック、ジャブなど多岐にわたるそのパンチが、反撃する間も無く迫る。

 

いや、正確には、左、左、右、と単純ではなくフェイントを織り交ぜている故に、どこで反撃するべきなのか分からないのだ。

 

さらに、衝撃で揺らいだ視線の丁度死角となる場所に突き出される彼の拳が、尚更タイミングを読み辛くしていた。

 

おまけに、彼女に当たるごとにその身が大きく怯む事から、この地味なパンチ全てが見た目にそぐわない威力を秘めているらしい。

 

そんなものを前に、もう既に声など出してる余裕など無い。防げるものを防ごうとするだけで、今の彼女は手一杯である。

 

「おじさん頑張れ〜!!」

 

防戦一方となっているその姿に、直接戦闘したエルコンドルパサーを始め、何故か彼の強さを知っていたゴールドシップまでもが信じ難い光景を前にただただ唖然としていた。

 

唯一、映画感覚で応援を続けているのはハルウララだけだ。

 

「なあ、誰かこの無知で愚かなゴルシちゃんに教えてくれ……幻想世界ウマネストはアップデートが入ったんだよな? ウマ娘側が強すぎるから、人間側と平等になるように修正されたんだよな!?」

 

「そんなもの一切されてない筈ですが……でも、これは流石に目を疑うと言いますか……幻か何か見ているような……」

 

「頬っぺたつねったらちゃんと痛いデス……! これは夢なんかじゃないデース!」

 

「これが夢じゃなかったら、あのオッサン強すぎだろうが!? 今の闇ゴルシちゃんはあのマッスルお化けのライアンでも勝てねえレベルなんだぞ!?」

 

脳は真に理解出来ないものを見ると、現実逃避をし始めるように出来ているのだろうか。だが、悲しきかな、幾ら逃避しようとも目の前で繰り広げられる常軌を逸脱した戦いが、頭の中に"現実"の二文字を叩きつけてくる。

 

 

 

そして、その現実はマグナムの様な右ストレートで締め括られた。

 

 

 

「ぐふっ……オマエ、本当に……人間かよ……!? 中身絶対ゴリラだろ……!」

 

最後の一撃をモロに食らったウマ王は、丸められた紙切れの様に吹っ飛び、地面に体を擦り付ける事となった。満身創痍となって地に這いつくばる彼女が放った悪態は、労るように肩を回す彼にはこれっぽっちも届かない。

 

それに、もし相手がただのゴリラだったとしても、こんな悲惨な事にはなっていないだろう。

 

「クッソー、このゴリラ野郎……! 衰えたんじゃないのかよ!?」

 

「ああ、確かに衰えた! だから戻したんだ!」

 

「はあっ!? 戻したって……そんなのアリかよ……!?」

 

きっと、彼女の言う"衰えた"はあの不意打ちで投げ付けたアレによる効力の話をしているのだろう。

 

だが、彼の言う"衰えた"は違う。生物であれば避けられぬ一つの宿命、その事を指している。

 

そして、その後に続く言葉が真ならば、それは血の滲むような努力が成し得た一つの神秘だろう。

 

だが、忘れてはならない。

 

 

 

老いすら覆すその努力は、ある意味一つの狂気である。

 

 

 

「ワケわかんねえ……! 戻したって言ってもパワーもスピードも確実にアタシの方が上のはず……というか、こっちはウマ娘にバフ掛けてんだぞ!? なんで良い歳こいた赤ゴリラが互角に……?」

 

絶望という名の底無し沼に両足を突っ込んでしまった彼女は、自身の抱える不満をぶちまけた後にようやく気付く。これまでの戦いで感じていた違和感に。

 

 

 

単純な力だけでは反撃出来ないコンビネーションパンチ。

 

全力での攻撃を許さない抑え。

 

常軌を逸する速度への異常な慣れ。

 

 

 

そうして、脳裏に浮かび上がる一つの結論に彼女は頭を抱える事となる。皮肉な事に、ウマ王はあのゴールドシップの分身体。破天荒だが、バカでは無い。それ故に、気付いてしまったのだ。己の出した答えの異常性に。

 

 

 

まるで……まるで、彼の戦い方は"己よりも力も速度も強い者"に抗う事を前提としているではないか。いや、抗ってきたはずなのだ。そうでなくては、不可視の速度に予測で食い付いてきた説明がつかなくなる。

 

だが、今のウマ王に匹敵するスピードとパワーを持つ者など他にいない筈。もし、そうであるならば……

 

 

 

 

 

目の前の男が、今まで戦ってきた相手は一体何なのだ?

 

スピードもパワーもウマ娘、いやウマ王と同等かそれ以上。そうなれば、彼女の頭の中に残った、言葉の候補は二つしかない。

 

 

 

 

 

 

それは……ただの怪物か化物だ。

 

 

 

 

 

 

気付いてしまったウマ王の瞳は、絶望の沼に沈み切る。彼と対峙した者が漏れなく味わうであろうその感情。そんな、深く重々しいそれに押されるようにして、彼女の足は後ろへと動き始める。

 

「……っ!? こ、こっちに来んじゃねえ!」

 

彼女は自身を覆うような球状の膜を張る。ただそれだけで、この場所の空気が冷え切った事から、あまり触れて良い物では無さそうだ。

 

「絶対零度のバリアーだ! 触れたらカチンコチンだぞ!」

 

膜と地面の接点が、その言葉通りに凍り付く。近接戦闘を主とする者にとっては、天敵のような魔法である。

 

だが、鼠が猫を噛むように、天敵が捕食対象に襲われない保証など、何一つ無い。

 

「ふんっ!」

 

「はあっ!? マジか……ぐあっ!?」

 

ガラスが割れるような尖った音と共に、その左拳は彼女の顔へと叩き込まれる。何度目か分からない地面とのハグの後、耳を疑うような一言がその耳へと投げ掛けられる。

 

「経験上、片腕までなら問題無い!」

 

握った状態で凍り付いた左腕を、強引に開きながら彼は確かにそう言った。残念ながら、彼の辞書の中にある"躊躇い"の言葉は、命に関わらなければ適用されないらしい。

 

流石にとち狂ったその行動に対し、ゴールドシップは思わず声を上げる。

 

「待て待て待て、オッサン! 経験上ってどういう事だよ!? 液体窒素に片腕突っ込んだりしたのか!?」

 

「なっ!? どうして知っている!」

 

「……マジかよ」

 

絶対零度とはかなり温度の差がありそうだが、彼にとっては誤差の範囲内なのかもしれない。

 

いつもの突飛な発言が偶然にも正解を引き当ててしまい、黄金船は顔を引き攣らせながらおふざけ一切無しのトーンで魔法の言葉を吐いたのだった。

 

「うっ!? もしかしてエル達のトレーナーも本気になればこうなって……!?」

 

「エ、エル! ほら、深呼吸です! 今はとにかく落ち着きましょう!」

 

「あれ? なんでみんな慌ててるんだろう?」

 

各々が謎の頭痛に苛まれる中、ハルウララはただ一人キョトンとした様子で、仲間の慌てぶりを見ていた。ある意味、目の前の光景をありのままに受け入れているのは彼女だけかもしれない。

 

そんな彼女達の慌ただしい声を聞きながら、ウマ王はゆっくりと立ち上がる。もはや、その目に映る色には闘志などこれっぽっちも無い。むしろ、真正面からの戦闘をどうやって避けるか考えているような目である。

 

「閃いた! 重量差でぶっ潰せば勝ちじゃん! おまけに避けられないようにしたら完璧だ!」

 

彼女の脳裏に浮かぶ、とある一つのプラン。どこぞのプロペラお化けを参考にした、卑劣な戦略。力が通じないならば、策を講じれば良いのだ。

 

「おらおら! コイツを食らえ! 避けたら後ろの奴らがペチャンコだぜ!」

 

彼女がそう言って呼び出したのは、頭から尻尾まで15メートル程もある一匹の巨大な飛竜。ただ一つの特徴として、全身がゾンビと同様に腐り果て、片翼が完全に無くなっている。それ故に、幾ら観察しようともその原型は浮かび上がっては来ない。

 

「うわわっ!? なんかすっごく大きいのが来たよ!?」

 

「クソっ! 新手のBOWか!」

 

「びーおー……だぶりゅー?」

 

聞き慣れない言葉にハテナを浮かべるハルウララ。だが、そんな可愛らしい彼女に意味を説明する間も無く、目の前の腐竜は美味しそうな獲物を前にその手足を動かして、晩餐場へと駆け出した。

 

まるで地を這うように突っ込んでくるその存在を前に、彼は己の背後を一瞥する。

 

そこに居るのは、ウマ王に無力化された"仲間"の姿。その表情は未だ驚きに歪んだままだ。

 

「やるしかない……!」

 

そうして彼が取った行動は、大きく開いたその顎へと向かっていく事だった。

 

正気の沙汰では無いその行動。頭のネジをどれだけ飛ばせば出来るか分からぬそれに応えるように、竜の顎は迫る。

 

「くっ!!」

 

歯噛みの音と共に竜の上顎と下顎を掴む手。まるで、大きな彼の手が子供のそれに錯覚してしまう程のサイズ感の差。だが、その重量と大きさの差を覆そうと、彼は足掻き始める。

 

無慈悲にもジリジリと押し出されていく己の足。段々と後退の速度が上がっていくそれを見て、彼は下顎を掴む右手を離す。

 

解放された顎を嬉しそうにバクバクと開け閉めする腐った竜。だが、その自由と引き換えに襲い掛かったのは、固く固く握り込まれた拳だった。

 

「ふんっ!!」

 

ファンタジーなこの世界。そこに住むお相手もまさか剣や魔法でなく、ただの拳で反撃してくるとは思わなかっただろう。なんの変哲も無い、ただの黒い手袋は防具としても武器としても役には立たない。

 

だが、起きた事だけ挙げるなら、そんな嘲笑など塵と化す。

 

 

 

何せ、歯並びの悪い下顎は上顎へと突き刺さったのだから。

 

 

 

「ふんっ!!!」

 

牙が見事に刺さり開けなくなったその場所へ、追い討ちのように打ち込まれる膝蹴り。

 

有難い事に、彼は歯並びを気にしなくて良くなっただろう。その理由は辺りに飛び散った白い破片を見れば嫌でもわかる。

 

今の衝撃か、それとも抜歯のショックか分からないが、腐竜は明らかに怯みを見せた。そんな隙を彼が見逃す筈もなく、太すぎる両腕がその首へと回される。

 

「くっ……うおおおおっ!!!」

 

絞り出すように吐いた雄叫びと共に、その左足は突進を止めるべく、砕けんばかりの勢いで床に押し付けられる。そして、ブーツがギュッと地面を噛むや否や、その支点を軸にして円を描くように大きすぎる首元を投げ飛ばした。

 

己自身の勢いが仇となって投げ飛ばされたその竜は、グラスワンダー達が居る場所のすぐ真横をレースでクラッシュした車の如き勢いで転がされ、最後には壁をブチ破って城の外へと落ちていった。

 

「はあっ……はあっ……はあっ! 良かった……! 何とか無事か!」

 

盛大に息を切らしながら、仲間の無事を安堵するクリス。

 

確かに、彼女達は肉体的には無事である。

 

だが、脳の理解を司る部分は負荷をかけ過ぎたCPUのように真っ赤に燃え上がっていた。きっと、その頭から上がる湯気は幻覚などでは無いだろう。

 

「ぐ、グラス? 当然、あの人に強化魔法掛けたんデスよね?」

 

「な、なんだ! 驚かせやがって! そうならそうと早く言ってくれれば良いのによ!」

 

「えっ!? でも、グラスちゃん杖振ってなかったよ!」

 

ハルウララの発言に凍り付く場。錆びたブリキ人形のように、彼女達の視線はゆっくりとグラスワンダーへと向けられる。

 

「私は……クリスさんに一切魔法を掛けてません……」

 

己の放つ言葉が信じられないと言った表情で、彼女は真実を語った。力を上昇させる魔法、反射神経を向上させる魔法、氷などの属性に耐性ができる魔法すら彼女は掛けていなかった。

 

そして、己の魔力は強化魔法が唱えられる程残っておらず、最後に魔法を行使したのはエルコンドルパサーがウマ王と戦う時だと言う。

 

そんな情報から導き出した答えを、ハルウララは元気良く言い放った。

 

「わかった! じゃあ、魔法も要らないくらいおじさんが強かったって事だよね! すごいすごいっ!」

 

「確かに、一言で言えばウララちゃんが言う通りなんですが……」

 

確かに彼は強い。間違いなく強いのだが、規格が違うのだ。例えるなら、自転車での"速い"と、新幹線での"速い"を比べるのと同じだろう。

 

「エルチキ……オマエは最強なんだろ? あっちで一緒に戦ってきたらどうだ? ほら……今はオマエのパワーも大人の男ぐらいに収まってるし条件は……い、一緒だぞ!」

 

「ゴルシ先輩、その言い方は卑怯極まりないデース! 今のエルは万全じゃ無いんデスよ! 真の最強を決める勝負は……お互いに万全になってからデース!」

 

なんだか最後の言葉に自信が無さげなエルコンドルパサー。だが、より自信を喪失した存在が居ることを忘れてはならない。

 

「……アタシが召喚したのは、一応腐ってたけど竜だったよな? 重いし、デカいし、強いヤツだったよな……? 嘘だろ……マジもんの化物じゃねえか……!?」

 

ウマ王は思う。

 

彼の名の赤の部分は血なのだと。

 

きっと、彼を敵に回した者達が無残な死を遂げて赤く染まった平原そのものなのだと。

 

「分かったぞ! アタシを消しに来やがったんだなこの死神野郎!」

 

そうして辿り着いた一つの結論を、彼女は容赦無く罵倒のように吐き捨てる。本来だったら気にも留めぬその言葉は、何故か鋭い刃物となって彼の大事な何かに突き刺さった。

 

「……っ!? 死神……か」

 

まるで、永久の別れを前にしたようにその瞳の色は悲哀に染まり、ただただ悔いるように握り込まれた拳と食いしばられた歯。

 

たった一瞬であるが、彼は確かに痛みに溢れたその表情を露わにした。

 

しかし、瞬き一つ。たったそれだけで、彼の纏うその圧は敵対者に恐怖を与えるそれへと戻る。

 

「悪いが、今回はそうなるつもりは無い!」

 

威勢よく放ったその言葉。だが、そんな勢いとは裏腹にその言葉を支えているのは、幾多もの悲しみと強い決意なのかもしれない。

 

何せ、彼の言葉を真とするならば、過去に相応の行いをしてしまった筈なのだ。彼女が脳裏に浮かべたその存在が意味する事と同様の行いを。

 

幸運にも、彼女は彼に気圧されて、その意味をしっかりと理解するに至らなかった。

 

「だったら、これで大人しく地面に這いつくばってろ!」

 

ウマ王が両手を天に掲げた途端、この場所だけでなく、世界そのものに異変が起きる。

 

地面やこの王の部屋を眩く照らしていた太陽が瞬く間に陰り、その代役を務める様に光り輝く幾重もの雷。まるで、この城を中心とする様に渦を巻く、白を捨てた雲たち。そんな黒々しい螺旋を後押しする暴風。

 

何か、非常に不味い事が起きようとしている。

 

勇者達の嫌な予感が現実となるかの様に、城の天井を形成するブロックが次々と空へと逃げていく。役目を放棄した彼らによってポッカリと空いた大穴を通して、彼女達は空を仰いだ。

 

そして同時に、その目は驚愕に見開かれた。

 

 

 

彼女達は見てしまったのだ。その螺旋の中心からこの城目掛けて落ちてくる物体を。

 

 

 

 

 

それは正しく、隕石以外の何物でも無かった。

 

 

 

 

 

「フッハッハッハ! 特大のつけもの石……いや、つけもの岩だ!! 全員まとめてぬか漬けになっちまえ!」

 

あんな物で何かを漬けようものなら、もれなく粉砕されて無残な結果となるか、浸かりすぎて地面の味が染み込んだ一品が出来るだけだろう。

 

漬物の真髄を間違えたウマ王は今の言葉を言い放つと、窓から勢い良く飛び降りる。あの彼女が躊躇いなく逃げるという事実は、アレがそれだけの威力を秘めているという事を暗に示していた。

 

当然、彼女達も同じように避難を試みるが、たった一つ懸念があった。

 

「た、高いデース……今のエル達が飛び降りて大丈夫な高さじゃありません!」 

 

そう、あのとんでもない薬品によって、彼女達の肉体はとてつもない弱体化を受けている。通常の状態ならまだしも、今の彼女達にとってはただの自殺行為だ。

 

どこぞの一般人でも、下に何かクッション代わりの物が無ければ死ぬだろう。

 

「私が魔法で何とかします! 恐らく地面ギリギリで発動すれば……問題ない筈です」

 

「わかった! じゃあ、いっせーのでみんなで一緒にジャンプすれば良いかな?」

 

「発想は何一つ間違ってねえけど、なんかゆるく感じるんだよな……その言い方」

 

だが、ハルウララの名案は早過ぎる隕石の到来によって、床もろとも砕け散った。

 

「うわわっ!?」

 

衝突の揺れと割れゆく足場に体勢を崩され、彼女の体は一足先に宙へと投げ出される。当然それに気付いたエルコンドルパサーとグラスワンダーが、バランスを取ろうと必死になっている手を掴むが、彼女の背負ったトレーナーリスペクトの品が文字通り重荷となった。

 

「「あっ……!」」

 

気の抜けた声と同時に、彼女達の身も桜の花びらの如く宙へと投げ出される事となる。"デエェェェス!?"とよく分からない叫び声を上げる小鳥の横で、大和撫子は可能な限り冷静さを取り戻し、元々予定に入っていたその魔法を唱えた。

 

「ふう……危ない所でした」

 

「み、ミンチにならなくて良かったデース……」

 

「ありがとうグラスちゃん! エルちゃん!」

 

安堵に似た空気が漂っているが、まだ安心には程遠い。次に飛び降りてくる者達を助けなくてはならないと、グラスワンダーは上を見上げた。

 

だが、その視界に映ったのは降下の第二陣ではなく、先程の半分程度の高さになった無残に砕けた城だけだった。

 

「そ、そんな……!? ゴルシ先輩! クリスさん! 居るなら返事をして下さい!」

 

だが、その焦りを含んだ声への応答は上からではなく、彼女達と同じ地面に立つ存在から返された。

 

「よお! 良い感じに分断されたな! 今のオマエらだったら、余裕で魚の餌……いや、ゾンビの餌にしてやれるぜ!」

 

「う、ウマ王……!」

 

何という間の悪さであろうか。主力が不在の今この瞬間に、彼女達は出会ってしまった。間違いなく魔王と呼んでも差し支えない力を持つ存在に。

 

「こ、こうなったら、やるしかないデス! ウマ娘でもないあの人が戦えたなら、今のエル達でもきっと戦えます!」

 

「わたし、頑張って応援するね! フレー! フレー! エルちゃん!」

 

「あの……もしかしてウララは、エルに一人で行かせようとしてません?」

 

「あれ? そうじゃないの?」

 

勘違いとは恐ろしいものだ。可愛らしい応援が、たちまちに鬼のような叱咤へと変わってしまうのだから。

 

ポンコツをかますハルウララ達を前に、ウマ王は好機と思ったようだ。まるで、どこかの工場長のような不敵な笑みを浮かべると、辺りに散らばった瓦礫を己の魔法によって固め、何かを形作っていく。

 

低く鈍い音が連なる中、彼女の手によって生み出されたのは五メートル程もある、人造の巨人であった。

 

「思ったよりこれ作るの大変だったな……もしかして、フランケンシュタインやべー事してたのか? あのサイズ一瞬で作るって……」

 

過去を思い返すかの様に眉を顰めながら、ウマ王は膝をつく巨人の肩へ乗る。その様はまるで、怪物を従える魔王そのものだ。

 

そうして、立ち上がって瓦礫の人形はほくそ笑む魔王の指示に従うように、その両腕を振り上げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゲホッ! ゲホッ! うわっ!? ゴルシちゃんの服が粉まみれじゃねえか! アタシは揚げ物じゃねえんだぞ!」

 

瓦礫の山から姿を現す一つの影。尻尾も服も顔も粉塵まみれとなったそれは、紛れもなくゴールドシップ本人だ。

 

「ってか、ボケっとしてる場合じゃねえ! アイツ……あのオッサンはどこ行った!? さっきのあれが最後とかアタシは許さねえぞ!」

 

全てが崩れるその瞬間、クリスは襲い来る瓦礫から彼女を庇った。そして、既に屋根が無くなった箇所へ有無を言わさずぶん投げたのだ。その結果、服と体が灰色に着色された黄金船が出来上がった。

 

だが、同じように着色されているであろうもう一人分の人影は未だ見当たらない。

 

「恩ってクーリングオフ出来んのかな? 一方的に売られたからいけるよな?」

 

借りはしっかり返したいのか、色々と呟きながら彼女は彼が最後に立っていた場所を探る。

 

だが、探るまでもなかったようだ。

 

一際大きな瓦礫がガタガタと音を立てる。少しずつ動こうとしているそれに、ゴールドシップは半ば確信を持ちながら己の力を貸した。そして、その場からズレるように動かされた瓦礫の下から、彼女の予想通りの人物がその姿を露わにした。

 

「すまない、助かった!」

 

「……今更言うのもアレだけどさ、オッサン半分人間やめてるよな。とにかく、これで借りは返したぞ!」

 

流石の彼も、建物の崩落に巻き込まれて無傷というわけでは無いようだ。筋肉質な身体を覆うただの黒いインナーは、瓦礫の直撃を受けてボロボロだ。おまけに、顔や手足に軽く血の滲んだ擦り傷が幾つか見受けられた。

 

「君達は無事か?」

 

「アタシは無事だけどアイツらがどうなのかは分かんね」

 

彼の他者を案ずる言葉に、彼女は辺りを見回した。

 

曇り空や景色が一望出来るようになった天井や壁。ぶっ飛んだ解体工事によって背の縮んだ城。床に四分の一ほどめり込んだ例の解体業者。そんな光景を何とも言えない表情で確認していると、肝心の仲間達を発見する。

 

「お、居たぞ! でも、アレやばくね?」

 

「……っ!? どういう事だ?」

 

彼はゴールドシップと同じように、身を乗り出して地面を見渡した。そこに映ったのは、瓦礫で出来た巨人と、それに襲われる仲間の姿だった。

 

「クソっ! 何か手は無いのか……!」

 

しかし、幾ら彼がその目を凝らし、必死に考えようとも、銃も何も役立つような物は見つからないままだ。策など何一つ思い浮かばない。

 

手をこまねいている間にも、下の状況は悪くなっていく。そして、二名の仲間が膝をついた。

 

「て、手強いデース……一体どうやって勝てば良いのかわかりません!!」

 

「くっ! どうすれば良いんでしょうか……?」

 

そこにゆっくりと近づいていく、巨人の前に小さなピンクの影が立ち塞がる。

 

「だ、ダメだよ! もうひとりのゴルシちゃん!」

 

身を挺して二人を守るその英雄的行動。そんな勇気を感じさせる光景は、一人のちっぽけな存在の心を酷く、無残に抉り、その狂気を露わにさせた。

 

「……っ!!! そうだ、この岩をアイツに落とせれば……!」

 

「お、オッサン? 今なんて言った……?」

 

あの彼女が己の耳を疑ってしまう、頭のネジが全て取れたかのような発言。誰もが、彼の思考回路が壊れてしまったと思わざるを得ない程のイカれたその呟きを口にしてなお、彼の目は至って真剣だ。

 

一体、その姿に何を幻視したのだろう。ただ一つだけ確かな事は、それが人を狂わせる程の何かを秘めているという事だ。

 

正気ではないその思考に背中を蹴っ飛ばされるかのように、彼はその直径四メートルを超える大岩に手をかける。

 

「ふんっ!!!」

 

もはや、呆れたようにただただその様子を眺めるゴールドシップ。そんな彼女の目の前で、彼は必死に岩を押す。しかし、当然その岩はびくともせずに鎮座したままだ。

 

 

 

「させるか……! させるものか!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、伝説と呼ぶには余りにも泥臭かった。

 

聖剣を抜いた勇者のような派手さも無く、魔法のような華やかさも無く、美しさとは無縁な血と汗にただただ濡れていた。

 

だが、その行動が為し得た事を見るのであれば、それは正しく伝説だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで何かを悔やむかのように彼は吠える。そして、その意思を込めて出されたのはたった一つの拳。

 

 

 

一発目の強烈なフック。

 

 

 

それは、重く鈍い音を立て、岩へと突き立てられる。

 

岩は一切動かない。

 

 

 

二発目の猛烈なフック。

 

 

 

余りの威力にグローブは裂け、その内に赤いものが垣間見える。

 

そして、微かに岩が動いた。

 

 

 

三発目の激烈なフック。

 

 

 

もはや、人の限界点など優に超えた、己の身すら厭わぬ一撃。

 

それは、確かに岩を動かした。

 

 

 

僅かに浮いたその岩を持ち上げるように、彼は歯を割れるほどに食い縛り、両手に尋常からかけ離れた力を込める。

 

「くっ!!! うおおおおおおっ!!!」

 

それは、誰しもが目を疑う光景だった。

 

たった一人の男が、己の力のみで、身の丈を遥かに超える大岩をゆっくりと持ち上げ始めたのだから。

 

そして、持ち上げた岩を抑えるように肩を当て、全身の筋力を振り絞りながら、彼は再び右手を大きく引き絞る。

 

「ふんっ! ふんっ!! ふんっ!!!」

 

まるで、それしか出来ないと言わんばかりに繰り出されるアッパー。

 

一発目は戻ろうとする岩を止め、二発目は追いやるように岩を押す。

 

そして、三発目はその硬い硬い表皮が拳に負け、浅い亀裂が入り始めた。

 

「ふんっ!!!!」

 

トドメの四発目。それは確かにその表皮を砕き、大岩を重力から解き放つ。

 

そうして、不安定になったその状態へ繰り出されたのは、全身全霊を乗せたタックルだった。

 

 

 

 

 

さながらバスケットボールのような、その大きさからは到底信じられない軌道で飛んでいく大岩。まるで、幻覚にしか見えないそれは、頑丈な床で一度だけ弾むと、下に立つ巨人へと真っ直ぐ落ちていく。

 

雲の切れ目から覗いた太陽光を遮るように飛来するその様は、もはや隕石では無かった。

 

 

 

それは、紛れもなく天から落ちゆく一つの星そのものだった。。

 

 

 

「はあっ、はあっ……間に合ったか……!」

 

息も絶え絶えと言った様子で、下を覗く一つの影。そこに向けられた視線に、もう呆れの意は無く、あるのは極まった愕然だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ! グラス、あの人達が戻って来ました! これで全員無事デース!」

 

喜ぶエルコンドルパサーの視線の先には、疲れた様子のクリスと、壊れた人形のように口をポカンと開けたゴールドシップの姿があった。

 

グラスワンダーはそんな自分達の身を助けてくれた存在に、深い礼と共に感謝を述べる。

 

「ありがとうございますゴルシ先輩。お陰でウマ王にやられずに済みました」

 

だが、言葉の矛先に立つ者はゆっくりと首を横に振った。

 

「アタシは……何もしてねえ……何もしてねえんだ……」

 

「ええっ!? でも、グラスちゃん達はゴルシちゃんが復活して、魔法でおっきな石を落としたはずだって言ってたよ!」

 

半ば自失しているかのような黄金船の手が、崩れた城の最頂部を指し示す。

 

「城に突き刺さってた岩。アレは今どこにあると思う……?」

 

「……? 魔法で新しく隕石を落としたなら、初めのやつはそのままデース! つまり、まだ城の上に刺さってます!」

 

エルコンドルパサーが自信満々にあの隕石は鎮座しているであろう場所へその指を向ける。だが、その指の延長線上にあったのは瓦礫だけ。余りの大きさに見ないほうが難しい筈のそれは、不可解にも彼女の目には映っていなかった。

 

「……あれ? お、おかしいデス! エル達が城から落ちた時は確かに見えてましたよ!」

 

「ま、まさか……!? いや、でも……そんな事、人に……いえ、"生き物"に出来るはずは……!?」

 

何かを察してしまったグラスワンダーが、問いへの答え合わせのようにその視線を城から大地へと動かす。隣の者がその視線を追うと、行き着く先はウマ王が漬けられているあの大岩だった。

 

そして今、盛大にヒビの入った彼女達の常識をぶっ壊すかの如き無慈悲な発言がハルウララから飛び出した。

 

「ああっ! わたし、わかったよ! おじさんがあのおっきな岩を持ち上げて落としたんだ!!」

 

残念ながら、その言葉をゴールドシップは否定しなかった。

 

その事実は、彼女達の理解と常識の範疇を完全に超えており、その思考回路をショートさせ、考えるという行為を放棄させたのだった。

 

そんな中、常識破壊のプロフェッショナル本人がゆっくりと彼女達に歩み寄るとホッとした雰囲気でその無事を喜んだ。

 

「全員無事みたいだな。本当に良かった……!」

 

「ありがとう、おじさん! あのねあのね、テレビとかに出てくるヒーローみたいでカッコ良かったよ!」

 

彼女の言う通り、彼の活躍はそう言っても過言では無い。周りの思考が止まりかけた者達もそれを肯定する。

 

「その通りデス! エル達が今こうやって五体満足なのはクリスさんが頑張ってくれたお陰デース! まあ、色々と信じられない部分が多すぎますが……」

 

言葉の最後の方だけ少し顔を背けてはいるが、それは間違いなく彼を讃えるものである。

 

しかし、彼はゆっくりとその首を横に振った。

 

そして、その行為に疑問を浮かべる彼女達へ、褒め称えるかのような微笑みと、彼しか納得しないであろう答えを返した。

 

「俺は……ヒーローなんかじゃない(Not a hero)。俺はただ、君達の行動に乗っかっただけだ。こちらから言わせて貰えば、あれに臆す事なく立ち向かう判断をした君達こそが本当のヒーローだ!」

 

「わたし、ヒーロー!? で、でもわたし、なんにもしてないよ!」

 

彼は、確かに言った。彼女達こそが真の英雄だと。だが、そんな立派な行動などした記憶のないハルウララは、その言葉に異を唱えた。

 

そして彼は、その異すら否定した。

 

「君は最後に守ったじゃないか。自分の大切な者を自分の身を投げ出してまで。カッコ良かったぞ?」

 

彼女の肩に手をやり、その目を合わせて彼は勇気ある行動を称賛した。

 

「本物の英雄は……俺なんかとは違う。自分の守りたい者を全部守る……! 君みたいにな」

 

その言葉を発した時、彼の微笑みは酷く悲しげに見えた。

 

まるで……幾万を救い、たった一人を失う。悲壮に満ちた後悔の顔。

 

そんな英雄を見つめる彼の双眸は、彼女達と同時に左右で別の影を映し出す。瞳の奥に焼き付いて離れない、深く残った傷跡のようなその影こそが彼にとっての英雄達なのだろう。

 

「クリスさん……貴方も私達の事を守ったじゃないですか。先程のと、一体何が違うんでしょうか?」

 

その言葉通り、グラスワンダー達からすれば彼は全員守った筈なのだ。それなのに、己を卑下し、英雄という言葉を忌避している彼の態度は些か不可解であった。

 

だが、彼の返した言葉は、不可解を不可解のまま煙に巻く。

 

「いや、俺はただ……自分の身を守るのが得意なだけさ。勇敢な英雄じゃなく、ただ臆病に立ち回ってるだけに過ぎない。"彼ら"と違ってな……」

 

辿々しく吐き出されたそれは、己を臆病者だと蔑む自虐に聞こえる。しかし、何故だろうか。捉え方を変えると、英雄は自分の身を守るのが下手かのような言い草に変化した。

 

きっと、彼にしか分からない何かがあるのだろう。

 

そうして、この場が静まり返ってしまった事にようやく気づいた彼は、己を取り戻すかのように目を瞑って頭を振ると、この会話を不器用に断ち切った。

 

「辛気臭い話は終わりにしよう。俺はこの後、少しこの辺りを調べるつもりだ。君達はもう帰るのか?」

 

「おう、そうだな! さっさと帰って、アイツに言ってやらねえと! オマエのマッスル理論は間違って無かったってな!」

 

「エル達もトレーナーが心配しちゃうので、戻ります!」

 

各々が彼の言葉に帰るという返答をする中、桜色の英雄がその身を小さく弾ませながら、彼へと近づいた。

 

「ねえねえ、おじさん!」

 

「ん、どうした?」

 

「わたしもおじさんみたいになれるかな?」

 

力か、技術か、精神力か。

 

ハルウララが放ったその一言がどのような意味合いなのかは分からない。だが、彼の返した言葉はどれにおいても重要な、ある一つのピースを押さえたものだった。

 

「ああ、なれるさ! 諦めなければ……いや、たとえ疲れてよそ見をしても、最後に前を向いてれば、何とでもなる! 俺が出来たんだ、若くて勇敢な君達なら絶対出来る筈だ!」

 

表に浮かべた軽い笑みとは裏腹に、往年の経験と教訓に則ったであろうその言葉は具体的な助言では無いただの応援にも関わらず、ベテラントレーナーのそれのようにズッシリと重みのあるものだった。

 

「わかった! いっぱい頑張れば良いんだよね! じゃあ、帰ったらスペちゃんみたいにいっぱい頑張って食べて、キングちゃんみたいにいっぱい頑張る! そしたら、すぐにおじさんを抜かしちゃうかも!」

 

「フッ……そうだな。俺も負けないように頑張らないとな」

 

うらうらと可愛さを無意識に振り撒くその姿に、彼は朗らかな笑みを浮かべて応じる。

 

そうして彼女的に納得のいく答えを得たハルウララは、この世界から帰るべくその足を仲間の方へと向けた。

 

「じゃあね、おじさん元気でね! ばいばーい!」

 

「ああ、そっちこそ元気でな!」

 

彼は軽く会釈をした後、離れていく彼女達に背を向けてゆっくりと歩き始める。

 

何となく、ただの気まぐれに過ぎない衝動に駆られ、彼女達はそっと後ろを振り返る。各々の瞳に映り込む大きなその背中。

 

傷だらけになってなお、重たい何かを背負い続けるその姿は、紛れもなく歴戦の英雄そのものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

崩壊した城の中、瓦礫の山の麓に転がる拳銃。それを拾い上げてホルスターに収めた男は、息を大きく吐きながら、やるせなさに溢れた呟きを一人小さく溢した。

 

「ふう……後はナイフだけだな。それにしても、筋力は何とかなったが、やはり反射神経と体力は厳しいか……アレを持ち上げた後でも昔は動けたんだがな……」

 

彼は己を振り返るように、瓦礫だらけの地面を見つめる。攻撃は通じていたが、相手の素早い行動は殆ど見えていなかった。それでも戦えていたのは、年季と経験による高度な予測の賜物だ。おまけに、最後の方は動けなくなってしまい、芦毛の彼女の手を借りる事となった。

 

やはり、老いを完全に覆すのは難しい。だが、たとえ力の面だけだとしても、それを強引に叶えた根性は認められるべきである。

 

自虐のように己の言葉を鼻で笑いながら、彼は部屋の隅に転がったナイフを発見する。

 

刃こぼれ無くまだまだ使えるそれを太陽にかざすと、ノスタルジアに浸るような遠い目付きを浮かべて、ポツリと呟いた。

 

 

 

「いつぶりだろうな、誰も欠けずに終わったのは……」

 

 

 

風の音で掻き消えそうなその言葉は、どこか満足気にこの廃墟に響いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ、もう帰ってきたのか。もう少し遊んでても良かったんだがな」

 

廊下を歩くハルウララ達を出迎えた不審者の第一声はそれだった。

 

「あ、相変わらず慈悲の欠片もないデース……」

 

「あっ! そうだトレーナー! りじちょーって今どこにいるか知ってる?」

 

「ああ、あのチビなら今頃ゲームで遊んでる。丁度、どこかのイカれ科学者が良い性能のVR機器を持ってたからそいつを使ってな。まあ、地下室付きのモデルハウスを見学するだけのつまんねえゲームだ。暫くしたら顔出すだろ」

 

珍しく、理事長はゲームで席を外しているようだ。数名は不思議そうに首を傾げ、数名は何故か顔を真っ青にしている。

 

そんな顔色を横目に、彼はハルウララにこう問いかけた。

 

「どうだ? アイツは……あの男は強かったか?」

 

「うんっ! おじさん、すっごい強かったよ! あれっ? ああっ!! なんでトレーナーその事知ってるの!?」

 

本来なら知らない筈のその内容。しかし、彼女の疑問への回答として相応しくない、適当な言葉を彼は吐く。

 

「あー……まあ、ちょっとした知り合いだ」

 

"知り合い"という言葉の前に幾つか装飾語を付けたがっているように感じるが、きっと気のせいだろう。

 

「ウララちゃんのトレーナーはあの人が誰なのか知ってるんですか?」

 

「教えて下さい! あ、あの人は一体何者なんデスか!」

 

「アタシも聞きてえ! あのオッサンの正体!」

 

「わたしも聞きたい!」

 

名前以外、何も分かっていないあの男。色々な意味で規格外のあの者の正体を知ろうと、彼女達はハイゼンベルクへ詰め寄った。

 

だが、彼の口から放たれた言葉は、至って真面目な声調にも関わらず、とても滑稽なものであった。

 

 

 

 

 

「……パンチが趣味のゴリラ野郎。ただそれだけだ」

 

 

 

 

 

こうして、この事件は幕を閉じる。

 

この数奇な出来事は、実はとても貴重な体験である。

 

凄まじい鍛錬と経験、そして強い意志によって辿り着く人間の境地を、極限を、彼女達は垣間見たのだ。それは、全盛期を過ぎて弱まった炎であったが、それでも人はあの領域に立てるのだ。

 

そして、彼の言っていた通り、それは人が辿り着く事の出来る場所。

 

人より秀でるウマ娘に、辿り着けない場所では無い。

 

ただ、気を付ける事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の立つその場所は、それでも遠い。

 

 

 




クリス・レッドフィールド
幻想世界にて彼女達を助けた不思議な男。その正体は最後まで不明のままだったが、戦い慣れているところを見るにきっとどこかの軍人なのだろう。

純粋な力では確実に劣っていたにも関わらず彼の力は、ウマ娘を超えた存在へと確かに届き得た。それは、語るには余りにも大袈裟で、誰も信じないであろう、言わば御伽噺だ。





その力は、勝つ為のものでは無い。

数え切れない後悔が、心の折れた数が、倒れた仲間の数が、託された遺志が、己の信念が、血溜まりの中で叩き上げた、失わない為に抗う力なのだ。

それ故に、平和な世界の者達が、この力を真に理解する事は叶わない。

だが、それで良いのだ。






その力の裏側……源でもあり、発端でもある感情など、年頃の少女達が知るべきではないのだから。



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