独特の匂いが心地よく感じる朝。高みを目指す者や、友人との交流ついでにトレーニングをする者など、活動している者はそこそこ多い。だが、そんなトレセン学園の生徒達の足はいつもの様に動いていなかった。
「でっっっっかあああああい!! 見てよタイシン! あれ、ハヤヒデよりでっかいよ!」
「わ、私の頭は比較するほど大きくないぞ!!」
「頭じゃなくて身長の話でしょ」
「……」
皆がよく練習しているグラウンドの中心に置かれていたそれを言い表すなら、表面が布で覆われた歪な球体。だが、説明がそれだけで終わるなら皆が足を止める事は無い筈だ。
問題なのは、その球体の大きさであった。
「ちょわっ!? 一体何ですかあのボールは! これは、学級委員長として害が無いか確かめなければ!」
「っ!? 情報処理機能のエラーを検知……オペレーション、エラー修正の為の物理的情報収集を開始します」
「ば、バクシンオーさん!? ブルボンさん!? ど、どうしよう……ライスも行ったほうが良いかな……」
野次ウマ達が集まるそれは、その身長を優に超える直径三、四メートル程の巨大なものであった。
そして、そんな彼女達が巨大過ぎるオブジェと共に見つけたのは、これが丁度入るであろう特大の穴。
世界を跨ぐ大きさの象でなければ作れなさそうな巨大な足跡と、流れ星がそのまま落ちてきたかのような物体を前に、ただただその表情を驚きに歪めるのだった。
そして、そんなイかれた物をこんな所に置く輩など、誰がどう考えても一人しか居なかった。
グラウンドの中心に鎮座する球体を前にして、大中小の影三つ。そして、その小さい影と大きな影は扇子と鉄槌を携えて、野次ウマ達の目の前でふざけた言い争いをしていた。
「きょ、驚愕っ……!? 一体これは何なのだ!? 何故こんな物がここに……!?」
「ハイゼンさん? 納得のいく説明が貰えるまで帰しませんよ?」
普段の緑色の服を着て青筋を立てるたづなが、理事長と共にハイゼンベルクへと圧を向ける。微笑んでいるように見えるその表情だが、放つ圧には笑みなど無い。
悍ましい何かを感じさせるその雰囲気は、ガヤガヤとうるさい外野を一瞬で黙らせる。だが、肝心の目の前の男は涼しい顔を浮かべ、気だるげに彼女の問いに答えた。
「は? どうもこうも無えだろ。テメエが依頼してきたヤツだろうが」
「否ッ! こんなものを依頼した覚えは無い!」
ある意味当然とも言えるその反応。ただただ目立つだけで邪魔なこの物体など、自身が注文する筈が無いとその態度は断言していた。だが、否定の二文字が記された扇子を叩き落としながら彼が放った言葉に、彼女の表情は唖然としたものへと豹変した。
「いや、言ってただろうが。一人で追い込めねえヤツらの為に、複数人で協力して出来るブツを寄越せってな! だから、お望み通り作ってやったんだよ! 一人でも、二人でも、十人でも、好きな人数引き連れてやれる器具をな!」
「ハイゼンさん。本当にこれ、トレーニング器具なんですか……?」
たづなはすぐ横にある例の器具とやらを見上げる。完全な真球などでは無い、歪な形。表面を覆う継ぎ接ぎのゴム製のカバー。そして、見上げなければならない程の異常な大きさ。
確かに、トレーニングに使えなくは無いのかもしれない。だが、コレを"器具"と呼ぶ神経を持つ者は恐らくこの学園内に一人しか居ないのは確実である。
そして、そんなぶっ飛んだ器具の説明には誰しもが嘘だと分かる一言が含まれていた。
「百歩……いや、千歩譲ってコレが君の言う器具だとしても、明らかに依頼内容とは相違しているではないか! 私が依頼したのは一人でも複数でも出来るような器具だ! 断じてッ! 一人じゃ到底使えないような代物では無い!」
そう、この器具?には大きなミスがある。それは、どこからどう見ても複数人限定となる部分だ。そもそも、頭のネジを何本外せばこれをトレーニングに使うという発想が出るのだろうか。恐らく、学園に居る優秀なトレーナー達でさえそんな事を思い付きはしないだろう。
だが、彼の返した答えは理事長へ、いや学園の生徒達へ挑発するかのような、棘まみれのものだった。
「安心しろ、ただ鉄を詰めただけじゃねえ。ちゃんと重さは調整してある。どっかのイかれた人間基準にな! それでも持ち上がんねえって言うなら、テメエらウマ娘用にもう一度調整してやるよ! だが、そん時はテメエらが俺の想定よりもひ弱だったって事になるぜ? ウマ娘は人間よりも強えんだろ? だったら、やれねえ訳が無えよな!」
神経を逆撫でする様なその発言は、漏れなく野次ウマ達を含めた者達を少々イラッとさせた事だろう。
半ば敵意に近い視線を受け、彼は一人ほくそ笑む。ただの知的好奇心が浮かび上がらせるその笑みが、葉巻片手に歩き出す彼と共に消えた後、残された者達の視線は自ずと例の大きな挑戦状へと向くのであった。
「セイちゃん! キングちゃん! これやってみようよ! なんか面白そうだよ!」
授業も終わり、各々がトレーニングや自由な時間を過ごす時間帯。ハルウララは仲良しの二人を引き連れて、グラウンドの中心に鎮座する巨大な球体のオブジェへとやって来た。
現代アートにもならないであろう無骨なその品のすぐ横に、注意書きと思わしき文言が書かれた看板が立っている。
だが、一流のお嬢様の目はそんな小さな物へ向く余裕など無かった。
「何よ……これ……?」
「あれ、知らないの? ウララのトレーナーが学園に叩き付けてきたやつだよ。巷では、ウマ娘への挑戦状って何故か言われてるね」
「一体何やってるのよ! 間違いなくふざけてるじゃない!」
キングヘイローの視界の半分以上を埋め尽くすのは、歪みのある大きな大きな球体。黒っぽい色味のカバーのせいか、実際に見ているにも関わらず、映った光景はまるで出来の悪い合成写真の様に現実空間を侵食していた。
「それで、これってどうすれば良いの? 私、人づてに聞いただけで何すればクリアなのか知らないんだよね」
「あれ、どうするんだっけ……あっ! やったやった! この看板にルールみたいなのが書いてあるよ! えーっとね……」
ハルウララがゆっくりと書かれた文章を読み上げる。だが、その内容は独特な例えが使われていたせいで、彼女の理解は虫に食われた服の様に穴だらけであった。
『このゲームのルールはゴルフと同じだ。今回は初回だからな、大サービスしてやる。すぐ前を見てみな、近いだろ? 下手くそなパターでも一回で入る距離だ。外す方が難しいだろうな。まあ、精々頑張れよ。
p.s.
もし外したら俺に言え。笑ってやるよ!』
あまり彼女にとって馴染みの無いスポーツで例えられたそのルール。なんだかパンに塗ったら美味しそうな言葉が出てきたが、取り敢えずこの球体のすぐ前にある穴にこれを落とせば良いみたいだ。
お腹が少し減る感覚に思わず脳裏にバターたっぷりの焼きたてパンを思い浮かべるハルウララ。口端に涎が見えるその姿を横目に、説明を受けた二人は呆れた様な表情を浮かべていた。
「顔を思い浮かべると、腹が立ってくるわね……! というか、何よこのふざけた説明! 技術は一流の癖にこういう所は何で一流じゃないのよ!」
「わお、どっちもいつも通りって感じ」
何をやらかすか分からない男に、中途半端な一流に腹を立てるお嬢様。セイウンスカイはある意味普段と何も変わらないその様子を一瞥すると、ただの興味本位で目の前のオブジェへと近づいた。
「フッフッフ、名探偵セイちゃんの推理によれば、これはとんでもない見た目で挑戦意欲を削ぐという狙いがありますな。つまり! 見た目だけで本当は大して重くないに違いない!」
「うわわっ! セイちゃんカッコいい! 本物の探偵みたい!」
空想で出来た帽子に手をやりながら、右手の人差し指を勢いよく嘘をついていると思われる犯人へと差し向ける。なお、大きな体躯を持つその犯人が酷く寡黙である事は言うまでもない。
「というわけで、こんな感じにちょっと力を込めれば……」
たった一人の聴衆の声援を聞きながら、彼女はゆっくりと片手を球体へと添えた。
だが、出力が足りなかったのか目の前のオブジェは未だ鎮座したままである。
「……あれ、ちょっと待って……よっと!」
その調子付いた顔に曇りが見え始める。表情に青雲を取り戻すべく、今度は両手をしっかりと球体へ押し付ける。
「ふっ! ぐっ! あれ、全然……! びくともしないんだけど……!?」
かなり全力に近い力を出しているらしい彼女の状態。その証拠に、力んだその表情は青を通り越して赤に近い。
そして、両足が数回地面を空回った後、彼女はそっと目の前の障壁から手を離すと全てを悟ったかの様な達観した表情を浮かべ、抑揚の無い声で呟いた。
「キング……私、探偵向いてないかもしれないわ」
「何おバカな事言ってるのよ。元より、あのウララさんのトレーナーよ? そんな簡単にいくわけ無いわ。ただ、不可能にはされてない筈よ……多分」
「あっ! 今日確かトレーナーが"一人でも持ち上げられる人がいるから問題ないはずだ"って言ってた! わたし、何の事か全然わかんなかったんだけど、これの事だったんだね!」
耳と尻尾を元気に立てたハルウララの言葉によると、一人でも何とかなるように設計されてはいるようだ。それを聞いた一流お嬢様と呑気な青雲は不思議と全く同じ恐ろしい影を思い浮かべる。
そういえば、彼の発明品を真っ先にテストするとんでもないヤツが居たではないか。持ち上げられる"手"があるのかは不明だが、アレなら確かにこれを持ち上げそうである。
半ば重機に近いアレを一人とカウントするのは如何なものかと彼女達がぼんやりと思う中、躊躇いを知らぬ桜色のチャレンジャーが誰の手も借りずに頑張っていた。
「3、2、1、えーいっ……! ……っ!! ふうっ……これ、すっごく重くて全然持ち上がんない! うーん、どうやったら持ち上がるんだろう?」
その一輪の桜が輝く目には曇りなど一切無い。何と、このゲームに全く歯が立たないこの状況を目の前にして彼女は諦めるという言葉をどこかに置いてきたようだ。
「ウララさん、流石に一人は無理じゃないかしら? やるならせめて三人よ」
「うーん、でもおじさんはこれより大きいの一人で持ち上げてたよ!」
複数人を提案したキングヘイローに対して返されたその言葉は、彼女だけでなくセイウンスカイの表情も疑問に歪ませる。
「おじさん? トレーナーじゃなくて?」
「うんっ! すっごい強いおじさん! あのねあのね、大きいドラゴンもポーイって投げちゃうぐらい強いんだ!」
普段からハルウララに接している故、彼女達の思考は多少なりともうららん理論に適応している。だが、そんな良く回る頭脳を持ってしても、二人は彼女のウララ二進法で示された暗号を解くには至らなかった。
「スカイさん! これって一体どういう事? 説明して欲しいんだけど」
「……あー、あれじゃない? 夢と現実をゴチャゴチャにしてるやつ」
解読不可能なそれを前にして、彼女達が出した結論は全てを夢で片付けるというものだった。
「ウララさん……多分それ、夢の内容よ。もし疲れてるならあまり無理をしない方が良いわ」
「ええっ!? 夢じゃないもん! エルちゃんとグラスちゃん、あとゴルシちゃんも一緒に見てたから本当だもん!」
「じゃあ、確認するしか無いわね……」
キングヘイローはセイウンスカイに目配せをする。だが、彼女は両手を上げてその首を横に振った。
「二人とも今日休みだね。なんでも、グラウンド見てたら頭痛くなったとか。残りの一人は……まあ、勝手にその辺から生えてくるんじゃない?」
エルコンドルパサー、グラスワンダーの両名は残念ながら体調不良のようで、学園に顔を出していないらしい。
ゴールドシップに至っては今現在何処にいるか不明である。
結局、ハルウララのふわふわした発言の証拠はどこにも無かった。
「まあ、その件はまた今度聞けば良いわよ。それより、コレまだやるのかしら?」
「セイちゃんはもう……」
「やるっ! キングちゃんが言ってたみたいにみんなで転がせばクリアできるよね!」
妨げられたサボり魔の発言。花咲く笑顔の彼女の事だ、きっと偶然そうなってしまったのだろう。ただ、そんな笑顔を壊すわけにはいかなくなってしまった者達にとって、その言葉は見事に逃走経路を潰したのだった。
そうなっては仕方がない。残りの逃げ道はただ一つ。全身全霊の力を注ぎ込み、早急にこの特大サイズのゴルフボールをカップインさせるしかない。
という訳で、三人で力を合わせて押してみようとしたのだが……
「はあっ、はあっ、ふう……キングちゃんどうしよう、全然動かないよ!」
「何よこれ……夏合宿のタイヤよりよっぽど重いじゃないの!! 何が"一人で出来る"よ! あのへっぽこ工場長!」
「いや……ほんと……これなら普通にトレーニングしてた方が楽だったりして」
汗が地面に滴り落ち、過ぎ去る風が心地よく感じる程にその体が火照っても、なんと目の前の隕石もどきはこれっぽっちも動かなかった。
砂浜で巨大なタイヤを引ける膂力を持つ彼女達が三人揃ってなお突破出来ないという事実は、このボールが本当に常軌を逸する重量である事を裏付ける。
「えーっと、えーっと……勢いよくやったらできるかな?」
まだまだ諦める気のないハルウララ。あの工場長にやられっぱなしでは何だか癪に触るキングヘイロー。もうやめたいセイウンスカイ。
各々が色んな感情を胸の内に浮かべる中、遠くから猛ダッシュでこちらに向かってくる黄金の影が現れた。
「お、早速やってるじゃねえか! なんか手こずってるオマエらに朗報だ! 強力な助っ人連れてきたぜ!」
相変わらず何考えているか分からないゴールドシップは胸を張ってそう言った。どうやら、増援を呼んできてくれたようだ。そうして、彼女の背後からひょっこりと姿を見せたのは、さながら姫のような雰囲気を漂わせるウマ娘と、筋肉にものを言わせるタイプのウマ娘であった。
「キングさん! 助太刀に参りましたわ!」
「か、カワカミさん!?」
「わーいっ! ライアンちゃんだ! 手伝ってくれるの?」
「う、うん? 私、取り敢えず付いてこいって言われて来たんだけど……もしかしてコレのお手伝い?」
聳えるそのオブジェを見て苦笑いを浮かべるメジロライアン。微妙に表情が青ざめているようにも見えるが、きっと気のせいだ。
そして、威風堂々とこの場に立つのはカワカミプリンセス。目の前の物を見て全く動じていないその姿は、姫にしては些か度胸があり過ぎる。どちらかと言えば王子の方がお似合いだ。
「あのー……こんなに人数居るのに私必要なの?」
「当たり前だ!! 良いかライアン、よーく聞け? 今のアタシ達のままじゃ、この惑星がゴリラで溢れた時に速攻で御陀仏だ! 最低でも、一人でこれを持ち上げられるぐらいの鍛えておかねえと生き残れねえ……! だからこれはそれの練習だ!」
「え、ええっ!? どうしよう、全然意味が分からない……! マックイーン呼んだら今からでも来てくれるかな……?」
押しに押されて動揺しているメジロライアンの耳に、意味不明な言葉の羅列が強引に押し込まれる。もう一人のメジロに心の中で助けを求めるが、きっと彼女でも今のは解読不能である。
だが、一人の男はその意味がよく分かったようだ。
「あんなバケモンが溢れかえってたまるかよ。もし、そうなるんだったら俺が片っ端からブッ殺してやる……!」
何やら物騒な発言と共にその姿を現したのは、イカれたものづくりがお得意のハルウララのトレーナーであった。
不思議な事に、彼の額には青筋が見えている。悪夢のような光景でも思い浮かべたのだろうか。
「あっ、トレーナー!! トレーナーも手伝ってくれるの?」
「んな訳無えだろ! 遂に頭のネジが完全に取れたか?」
「取れてんのはオッサンの方じゃね?」
「ほう、なんか言ったか?」
「ナンニモイッテナイデス」
ドスの効いた声と共に向けられた瞳が何だかとても恐ろしく感じたからか、ゴールドシップの返答はまるでロボットのように固まっていた。
それを見て、放つ怒気を鞘に収めたハイゼンベルク。ほんのちょっぴりだけ話し掛けやすくなったそのタイミングに合わせて、キングヘイローはハルウララの夢かどうか分からない発言について問いかける。
「ウララのトレーナーさん、一つ聞きたいのだけれどこのふざけた代物は、本当に一人で動かせるようになってるのかしら? 私にはそうは見えないわ」
「……あのプロペラ馬鹿が全速力で突っ込んでも動かない代物だ。そんなもん、一人で動かせる訳が無えだろ!」
帰ってきた答えは何故か煮えたぎったものに溢れていた。まるで癇癪を起こすかのように言葉を荒立たせるその様子は、さながら狂犬である。
そして、そんな狂犬の言葉に含まれた意は彼女の疑問に対して"不可能"の三文字を返すものであった。
「じゃ、じゃあ貴方は出来ない物を出来るって言ってたわけ!? はあ……流石に呆れるわ」
あの嘘を現実にする工場長が、逆に現実を嘘で偽っていた事実は彼女を大きく落胆させる。だが、彼は弁解の様に言葉を付け足した。
「ああ、出来ねえ筈だ。理論上はこんなもん持ち上げんのは人間には不可能に決まってる……! だが……持ち上げやがった馬鹿野郎が一人居るんだよ!!!」
まるで自身でも言いたくなさそうな躊躇いの混ざった一言に彼女は愕然とする。あの機械仕掛けのテストプレイヤーが敵わないバカげた品を持ち上げたなど、到底信じられる事ではない。
だが、彼の表情を波立たせるその苛立ちは、その存在を確かに肯定するものだ。
そして、その様子を見た一人が姿無きその者を想像し、勝手にやる気へと変換していた。
「そ、そんな凄いマッスルを持つ人がいるなんて……! わ、私も負けないように頑張らないと!」
己を鼓舞するメジロライアンの脳裏には今三人の想像上の人物が立っている。
過去にハイゼンベルクが言っていた200kgを殴り飛ばした人。
夢で出会ったウマ娘顔負けの力を持つ人。
そして、たった今追加された巨大なこの球体を動かした人。
全員素晴らしいマッスルの持ち主であり、彼女のちょっとした目標の一つである。いつかどこかで会えるなら、その時は是非とも語り合いたいものだ。そして、大きなやる気をくれた事を感謝したいものである。
そんな事に思いを馳せるマッスラーの傍らで、一人の姫は初対面の工場長に挨拶と質問を投げかけていた。
「貴方がウララさんのトレーナーをしているハイゼンベルクさんですね! 私、カワカミプリンセスですわ! 早速ですが、このボールを動かす方法を知っていたら教えて頂きたいですわ!」
そんな至極まともな発言を受けた彼はそれを嘲笑うかのように鼻で笑うと、ふざけた口調でその意に応えてやった。
「ほう、なら教えてやるよ。その硬えブツを全力で殴ってみれば良いのさ。威力が足りてれば動くぜ?」
確実に相手を陥れる意のある言葉。誰が聞いても嘘だと分かるであろうそれを、ピンと立った耳に入れたカワカミプリンセスは元気良く答えた。
想定外の中身を添えて。
「わかりましたわ! パンチすれば良いんですわね!」
「は? おい待て、馬鹿かテメエ」
からかう目的であったその言葉を間に受けて、彼女は右手を引き絞る。そんな背中を呆れ返った視線が見据えた。無理に決まってる、そう思いながら。
「せいっ!!」
だが、現実は彼に対して非情らしい。
ドゴッ!と本来であれば鳴るはずの無い音を立て、彼女の拳は球体へと突き刺さる。表面を覆うゴム質のカバーをブチ破り、本来見えぬ灰色の中身へと尋常でないその力が叩き込まれた。
口を開き、その驚愕を露わにするハイゼンベルク。
そして、同様の表情をした周囲の目が一瞬にして向く中、彼女は振り返って残念そうに呟いた。
「駄目でしたわ……」
尻尾を垂らし、ガッカリするその背後には依然変わらぬ様子の球体が鎮座する。どうやら、彼の想定外の一撃にも関わらず、灰色の創作物はその立ち位置を守ったようだ。
だが、大きいショックから彼を守る事は無かった。
脳裏にウマ娘の"ウマ"の部分を
「クソ、この馬鹿アレを凹ませやがった……中空とは言え鉄だぞ……どうなってやがる!?」
そうして、珍しく常識をぶっ壊された彼は一人ブツブツと呟くしか出来なかった。
その後、調子が一気に崩れ落ちたその者の横で彼女達は戻ってきた勇者を迎え、全員で今まさにこの試練を乗り越えんとしていた。メジロライアンとカワカミプリンセスを主軸に、他の者達が左右に回るような陣形で各々が両手をこの球体へと添える。
「みんないっくよー! せーのっ!!」
いつもと変わらない元気一杯の掛け声と共に、各々は持てる力を全て動員して目の前の代物へと注ぎ込む。
そして、彼女達の意に沿うようにそれはゆっくりと動き出した。
「今がチャンスですわ!!」
「うおおおおっ! 今こそ普段の筋トレの成果を見せる時!!!」
「か、カワカミさん? ライアンさん? い、今は止すべきよ!」
先程動かせなくて少し悔やみがあったのだろうか。転がり始めたそれを後押しするように、カワカミプリンセスはその拳を再び振るう。
そして、メジロライアンは練習の時にしか出せない桁違いの全力を以て、それを後押しする。
だが、考えてみて欲しい。
力を入れ過ぎたパターがどんな結果をもたらすのかを。
「あっ! オマエらちょっと待て! ストップ! ストップだ!」
「あ〜……これはもう手遅れだね」
予想外の方向へとその舵を切ってしまった球体は、ゴールである巨大なカップから少し右に逸れるように転がっていく。最早、そうなってしまえばどこかの岩殴り男でも無い限り軌道修正など不可能だ。
そうして、皆が全てに気付いた時にはもうゴールは前には無く、彼女達の真左にて空っぽで虚しさ溢れるその姿を見せつけていた。
「ああっ!? わ、私、もしかして押しすぎちゃいましたか!? ご、ごめんなさい!!」
「私もやり過ぎましたわ……」
ちょっとした落胆が彼女達の間に走る。結構頑張った結果がコレとは、ウマ生中々上手くいかないものだ。
疲労とミスでテンションの下がった彼女達へ、ある意味約束通りの嘲笑が一人の男から向けられる中、たった一人だけこの空気をぶっ壊すかのように喜んでいた。
「やったやったー! ボール動かせたよ! みんなありがとう!! トレーナーも見てたよね?」
「動いたのは見てたが、ゴールに入ってねえぞ」
「えっ!? ほ、ほんとだ……! がーんっ!」
褒めて欲しげなその視線に対し、彼は平然と冷たげな指摘を返す。血も涙も無いそんな一言に、耳も尻尾もダランと垂れるハルウララ。
だが、持ち前のオーバー過ぎる前向き思考は、そんなガッカリを一瞬で終わらせる。
「よーしっ! 一回できたんだからもう一回できるよね! やっるぞー!」
まだまだ元気一杯でやる気溢れる彼女だが、アンコールの一言と同時に鳴り響いたのは皆の賛同でも彼女の腹の音でも無く、学園の重々しいチャイムの音だった。
「嘘、もうこんな時間!? 不味いわ……一流に遅刻は厳禁よ! ウララさん、悪いけれどまた今度ね!」
「あー……セイちゃんはこれから夕間詰めのお時間ですね。そんな訳でまた今度〜」
「あ、やべっ! バミューダトライアングルにトレーナー置きっぱなしだったの忘れてた! 船で回収しに行かねえと!」
一人は会議、一人は釣り、一人は人命救助と、これからそれぞれ予定があるようだ。流石のハルウララも予定を崩してまで協力して欲しいとは言えないようで、残念そうな表情を浮かべながら己の我儘を静かに飲み込んだ。
「ウララさん! 私はまだ時間がありますわ! 是非ともご一緒にこのゲームを突破しましょう!」
「私も今日は予定無いのでまだまだいけますよ! 皆さんのマッスルを再び一つにすれば、人数が減ってもきっと大丈夫です!」
「カワカミちゃん、ライアンちゃん? ほんとにいいの? わーいっ! ありがとー!!」
不幸中の幸いと言うべきか、黄金船に乗せられてやってきた仲間はまだ戦う時間があるようだ。そんな嬉しい言葉に背中を押され、ハルウララは喜びのあまり二人へ飛び付くのだった。
その後、先程の一回で少しコツを掴んだ彼女達は、なんとたったの三人でこれを動かしてゴールに入れる事に成功し、ハイゼンベルクに珍しい愕然を味わわせる事になったと言う。
そんな彼が最後に呟いた言葉は、酷く不可解なものであった。
「クソッ……分かんなくなっちまった。ウマ娘三人でゴリラ一匹分になるのが可笑しいのか? ゴリラ一匹でウマ娘三人分なのが可笑しいのか? どっちだ……どっちなんだ……?」
鉄球型トレーニング器具?
世にも奇妙なイかれた発想によって生み出された一品。鉄球をただただゴールに入れれば良いのだが、その重さは想像を絶する。それ故に、これは複数人で使用するものだ。
なお、普段とはベクトルの違うトレーニング器具であるが、見栄えもやる事もバラエティ番組のようであるためか意外と好評だったようだ。
製作者曰く、"一人でも出来る"らしいが、その真相は定かでは無い。そのためか、その一人とは彼の器具に名前だけ出てくる例のテストプレイヤーなのではないかと噂されている。