今日、熱く照りつける太陽は雲の後ろに隠れてしまい辺りはいつもより暗かった。しかし、太陽の代わりのようにこの商店街の雰囲気を明るくしている一つの姿があった。
「いらっしゃいませー! 今ならにんじんが安いよー!」
八百屋の手伝いを喜んでしているハルウララ。彼女の明るい声は確かにこの商店街に活気を与えていた。
八百屋、肉屋、魚屋など店を選ばず楽しみながら手伝いをする彼女は人気者であった。
「いやー、今日も助かったよウララちゃん」
「えへへ! どういたしましてっ!」
彼女のおかげで無事に商品を売り切れたのか、八百屋のおじさんは笑顔で彼女にお礼と言わんばかりに箱詰めされたにんじんを渡す。
「こいつはお礼だ! 貰ってくれ!」
「ええっ!? こんなに沢山貰って良いの!?」
「良いんだ良いんだ!」
「わーいっ! 後でトレーナーににんじんジュースにして貰おうっと!」
彼女は両手で箱を掲げ、全身で喜びを表現する。八百屋のおじさんもそれを見てにこやかに笑っていたが、先程の彼女の言葉を思い出し疑惑の表情を浮かべた。
「あれ? ウララちゃん、今トレーナーって言わなかったかい?」
「そうだよ! わたしにもトレーナーが付いたんだ!」
「こいつは大変だ! みんな来てくれ!」
その声に商店街の店主たちがどんどんと集まってくる。そして、皆口々に彼女にトレーナーが出来たのは本当かと尋ねてきたのだった。
「うんっ! わたしのトレーナーって凄いんだよ! 確か、こーじょーちょー?のお仕事も一緒にしてるんだって!」
「工場長……? あーあの人か!」
「あれ? おじさん、トレーナーの事知ってるの!?」
「ハイゼンさんだろ? 知ってるさ」
彼女はとても驚いた。何せ、商店街の皆が彼女のトレーナーの事を既に知っていたのだから。それどころか、彼女も知らない彼の裏の顔がどんどん彼らの口から出てきたのだ。
「見た目は怖いが良い人だよ! この前も壊れちまったウチの扇風機をチョチョイと直しちまったんだぜ!」
「私の店も似たような事があったわ。確かあの時は空調だったかしら? ドライバーだけで綺麗に直してたわ」
「俺んとこの売れ残った魚を"ただの気紛れだ"って言って買って行ってくれたなあ……」
驚くべき事に彼女のトレーナーの評価はかなり高かった。何よりも、普段のぶっきらぼうな態度はそのままで行動だけ優しさが滲み出てるらしい。それ故に素直になれない優男と裏では呼ばれ、そこそこの人気がある様だった。
「へえーっ! じゃあトレーナーって良くここに来てるんだね! 何買いに来てるのかなあ? やっぱり、食べ物買いに来てるのかな?」
「確か……前に聞いた話だと行きつけの店があるみたいでな、ウチらの所で色々と買ってくのはそのついでらしい」
「確かあの店よ、大男が店主をやってるところ。何を売ってる店だったかしら?」
「ウララちゃんも気になるなら行ってみるといいよ。多分向こうの店主の方が俺達よりも良く知ってると思うぜ?」
「わかったっ! 行ってみるね!」
商店街の店主達は丁寧にも手書きの地図を用意してくれた。暖かみのある文字で描かれたそれを見るに、どうやらこの商店街の端っこの方にその店はある様だ。
実際にそこまで足を運んでみる。しかし、いくら探しても教えてもらった店名を掲げている店は一つもなかった。
「あれ? おかしいなあ……?」
彼女がこめかみに手を当て困っていると、一人の老人がそれを見兼ねて話しかけてきた。
「そこのお嬢ちゃん、お困りかい?」
「うんっ! この店に行きたいんだけど、場所が分からなくって……えへへ」
その老人は彼女から地図を受け取ると、大きな眼鏡越しにそれを見る。目が悪いのだろうか、眉間に皺を寄せ目を凝らしている。
しばらくすると、眉間の皺は消えて表情が柔らかな物に戻った。
「この店だったら……あそこを通って行けばいい」
そうして老人が指さしたのは細い路地。明らかに怪しげな雰囲気が漂っている。しかし、彼女にとってそんな空気感など塵も同然だった。
「ほんと!? ありがとー! おじいちゃん!」
「いやいや、当然の事をしたまでだよ」
彼女は花咲く様な笑顔で老人へ別れを告げると、躊躇いなくその路地を突き進んでいった。
少しすると、目的の店が見えてきた。看板の名前をちゃんと確認する。
「えーっと、ざ……なんちゃら……うんっ! ここだ!」
店名は英語だった様で殆ど読めなかったが、地図の物とスペルは確かに一致していた。
彼女はやたらと威厳のある扉をゆっくりと開けると、元気のいい挨拶と共に中に入って行った。
「こんにちはーっ!」
「ん? ああ! いらっしゃいませ、ハルウララ様。お待ちしておりましたよ」
挨拶に応じたのは文字通り大男。太っていると言う表現が正しいのかもしれないが、それを加味してもその体躯の大きさは巨大の一言に尽きた。
「ええっ!? まだ私何にも言ってないよ? 何で私のこと知ってるの!? もしかして、おじさんはちょーのーりょくしゃ?」
「いえいえ、そんな事はありません。この商店街で商いをする身としては、貴方の噂は耳にしております。ましてや、貴方はこの商店街においてマスコットの様な存在。むしろ、知らない方が失礼という物でしょう」
店主は太り過ぎ故か、その場から動かずに西洋式の礼を彼女へ行う。その言葉と態度には不思議と気品を感じさせる物があった。
「ええっ!? そうなの? わたしってマスコットだったんだ!?」
「勿論そうですとも! 数々の店を助け、その笑顔で花を咲かせ、皆々から愛される存在。この商店街の看板娘といっても過言では無いでしょう」
「わーいっ! じゃあ、おじさんの所も手伝ってあげるね!」
「ふむ、ご提案は誠に感謝致します。ですが、私の店はご覧の通り骨董品や珍しい品を扱う日用とはかけ離れた商いをしております」
店主は辺りの品々を指し示す。いかにも古そうな何かのコイン、骨董品といえば候補に上がるであろう高級そうな壺、宝石のついた首飾りなど、周りの店とはまた違った不思議な物が並んでいた。
「それ故に一般のお客様からのお買い上げは殆どありません。稀に物好きなお方が買っていく時もございますがね。ですので、そのお手はこちらの様な寂れた店ではなく、八百屋や肉屋などの活気のある店に差し出してあげて頂きたい」
要は、彼女の手伝いがあっても無くてもあまり変わらないと言うのが彼の言いたいことの様だ。しかし、彼は一言"ですが"と付け加えるとこう言った。
「貴方のそのお心遣いは有り難く受け取らせて頂きます!」
彼は再び笑顔で礼をする。そして、横の小さなバスケットから何かを取り出すとカウンターへそっと置いた。
「こちらはその心遣いに対してのお礼です。是非お受け取り下さい!」
「わーいっ! 飴さんだ!」
置かれたそれはこの店の様に無名ではなく、よく聞く大手メーカー製の棒付きの飴だった。ハルウララは封を開け、迷わずそれにパクッと口に入れる。
「パイナップル味になります。お味の方は問題無いですかな?」
「おいひいー! ありがとー! おじさん!」
完全に当初の目的を忘れ、飴の味に没頭する彼女。彼女の代わりにそれを思い出すかの様に、店内の古い振り子時計がゴーンゴーンと音を響かせた。
「おっと、そろそろですな」
「そろそろ……? 何か面白い事でもあるの?」
「いえいえ、とある常連客が来るだけですよ。恐らく、貴方も良く知っているお方でしょう」
「ええっ!? わたしも知ってるの!? 誰だろなー? 高そうな物がいっぱいあるからキングちゃんかな?」
ハルウララが例のお嬢様の姿を想像していると、扉についたベルがカランカランと鳴り響く。その音に振り返ると、そこにはいつも見ている男の姿があった。
「お待ちしておりました、ハイゼンベルク様」
「ええっ!? 何でトレーナーがいるの!? ここにスクラップは無いよ?」
「おい! テメエは俺を何だと思ってるんだ! てか、何でこの店に居んだ?」
ハルウララにとって大きく見えた扉を狭そうに通るその男は、彼女のトレーナーであるハイゼンベルクだった。なお、今日は彼の相棒である鉄槌は不在の様だ。
「おや、ご存知ないのですか? 彼女はこの商店街において看板娘と言える存在。何も可笑しくはありませんぞ?」
「んな事知るか。それよりも例のブツはあんのか?」
彼のその言葉に店主は笑顔で"勿論!"と返すと、高級そうな箱をカウンターへそっと置いた。ペンケースより一回り大きいそれを彼は開くと、その顔に笑みを浮かべる。
何が入っているか気になったハルウララは、横からその中身を横から覗く。そこにあったのは、綺麗に整列させられた茶色の棒達。すなわち、彼がよく咥えている葉巻だった。
「うわっ! タバコだー! トレーナー、タバコは体に悪いんだよっ!」
「タバコじゃねえ、葉巻だ」
彼は彼女のお節介な忠告を無視して箱の中のそれを一つ一つ吟味する。全て見終わると、満足そうな表情で店主に封筒を手渡した。
「相変わらず、良い仕事してるぜ」
「お褒め頂き誠に有難うございます。次回の分もご予約という形でよろしいですかな?」
「ああ、頼む。ここ以外じゃほとんど買えねえからな」
「確かにそうですな。この世界では、タバコすら中々見かけません。そんな中、葉巻をご要望される方など殆どいないに等しいでしょう。特に、産地まで拘る方など尚更でしょうな」
店主はすぐそばのタイプライターに紙を差し込むと、手早く何かを記入していく。そして、チーンッと音を鳴らすとその紙を取りだした。
「さて、ご予約は完了ですな。一応、こちらの紙を次回お持ち下さい」
「ヘっ、どうせ顔パスだろ?」
「確かに、次回もそうなる可能性が高いですな。ですが、彼女が代わりに買いに来たりした場合はその限りではございませんぞ?」
彼らの視線が彼女へ向けられる。肝心の彼女はこちらなど見ておらず、この店に置かれている珍しい品々に目を奪われていた。
「ねえねえ! この時計すごいよ! ハトさんが出てくるんだ!」
時計の針を12時の方向へ向け、仕掛けを作動させた彼女は目を輝かせてそう言った。ハイゼンベルクベルクはその様子を鼻で笑い、再び店主へ視線を戻した。
「いや、無えな。アイツに頼んだら何されるか分かったもんじゃねえ」
「おっと、では再び貴方様の顔そのものが予約の証明書になりそうですな」
店主は渡そうとしていた紙を折り畳み、そっと手帳に挟んだ。
「では、また今後ともご贔屓に」
「ああ、じゃあな。また来るぜ」
「じゃあね! おじさん!」
彼が出るよりも早く、彼女は扉から外へ飛び出した。もはやその程度では何も動じなくなった彼が後に続く。
「ハイゼンベルク様。最後に一つよろしいですかな?」
しかし、その歩みを店主の声が止めた。
「手短に頼むぜ?」
彼は不満な表情を一切見せずにそう言った。
「私の気のせいかも知れませんが、前よりも角が取れて丸くなりましたかな?」
「そりゃあ、復讐や自由に囚われてた昔と比べりゃあ、ちったあマシになってるだろうよ」
「いえいえ、ここ最近の話です。貴方が彼女のトレーナーになってからですよ」
その言葉に、彼は珍しく困惑した表情を見せた。逆に店主の方は不敵な笑みを浮かべている。
「何でアンタが知ってんだ? 誰にも言ってねえ筈だがな?」
「商人にとって情報は命! 後は、お分かりですかな?」
「流石だな。その点に至っては敵う気がしねえ。だが、恐らくアンタのそれは気のせいだ。俺は何にも変わっちゃいねえ」
「おや、私の勘違いだったようですな。お引き止めして申し訳ない。では、また次回」
ハイゼンベルクが"じゃあな"と一言だけ添え、この店の扉を閉める。店主は最後に深く礼をすると、マッチで自身の葉巻に火をつけてその煙を楽しみ出したのだった。
ハイゼンベルクは路地から出る前に振り返り、その看板を眺める。工場の一つ目のまともな作品であるそれは今も朽ちる事なく見事にその役目を果たしている。
その看板には The Duke's Emporium と美しい文字で書かれていたのだった。
「ねえねえ! トレーナーは今日車で来たの?」
「違え、バイクだ。車だったらいつもの相棒を持って来てる」
「えっ!? バイク持ってるの!? あのね、ウオッカちゃんが言ってたんだ! バイクはろまん?が詰まってるって! 面白そうだから私も乗りたーい!」
彼女は一時的に八百屋の店主に預かって貰っていた人参の詰まった箱を元気よく掲げながら、ピョンピョンと跳ねる。何個か人参が落ちそうになるが、彼がそっと手で中に押し込んでいたので、悲惨な運命は辿らずに済んだようだ。
「ほう、そんな奴も居んのか。悪くねえセンスしてんじゃねえか!」
「ほんとっ!? じゃあ今度こーじょーに連れて来てあげるね!」
「おい待て、それだけは止めろ! こっちはテメエの世話で手一杯なんだよ!」
「ええーっ!」
そんな事を話していると、彼の言うバイクが駐車されている場所まで着いたようだ。しかし、何個かあるせいでどれか彼の物なのか彼女には分からない。
「じゃあ、さっさと乗れ」
そう言って彼が手を付けたのはその中でも一番見た目がボロいバイク。ホイールなどは汚れ、マフラーも少し錆びている。
しかし、彼女にとってそれは些細な問題なのか、特に気にする事なく後部座席へちょこんと座った。分類から言うと大型二輪に入るそれの座席は小柄な彼女にとって余裕があるようで、人参入りの箱を体の前に持っても大丈夫だった。
「これでも被っとけ」
そう言って半ば無理矢理被せられたのはヘルメット。ちゃんと耳の通る穴のあるウマ娘用のものだ。しかし、肝心の彼はヘルメットなど被らずに座席へと座っている。
「トレーナーはヘルメット被らないの?」
「俺には帽子があるからな。コイツで十分だ」
ダメである。
しかし、バイクのルールなど一切知らないハルウララは"そっか!"と一言で納得してしまった。
結局ノーヘルのまま出発し、幸運にも警察のお世話になる事なく工場までたどり着く。
「バイクってすごいねっ!! ビューンってすごいスピードが出てビックリしちゃった! ジェットコースターより速かったかも! また乗せてよトレーナー!!」
「……機会があればな」
実はハイゼンベルクが彼女をビビらせようと調子に乗ってアクセル全開で加速し、300キロまで出していた事を彼女は知らない。
彼はフェンスのゲートを開け、車庫まで一直線で突き進む。そして、以前彼女が見た謎の乗り物の奥にバイクを止めると、彼女のヘルメットを回収した。
「今回のドライブは終わりだ。さっさと帰りな」
「うん、わかった! じゃあ、これトレーナーにあげるね!」
そう言って彼女は箱一杯の人参を彼に差し出す。彼はそれの意図が全く分からず、思わず顎に手を当てる。
そして、過去に自分がした行為を思い出し額に汗を滲ませた。
「おい、まさか……!?」
「これ全部ね、にんじんジュースにして欲しいなっ!」
どうやら、彼女はあの味がお気に召したらしく、特大のおかわりの要求を彼に突きつけた。
「そんなに飲みたけりゃあ、自分でやれ!」
全てを理解してしまった彼は、ネットのレシピをコピーして彼女に叩きつけ、ミキサーや果物ナイフ、そしてまな板を目の前のテーブルへ乱雑に置いた。
その結果、ハルウララは苦戦しながらもにんじんジュースの作り方を完璧に覚えたのだった。
喜びながらにんじんジュースを飲む彼女は、シンクにある袋に大量の人参の皮が詰まっている事に気が付く。しかし、レシピと睨めっこしている彼女の元へ彼が持って来てくれた人参は元々皮がついていなかった。それ故に、何故あるのかは彼女には分からなかった。
その答えは食洗機の中にあるオレンジ色に染まったピーラーだけが知っているだろう。
ハイゼンベルクの葉巻
彼の愛用しているキューバ産の葉巻。最近、彼が仮トレーナーとなってから消費速度が減っているらしい。何故だろうか?