廊下が明るく照らされて、少しばかりの暑さを感じる昼間の学園。外に出て爽やかな風を受けていれば気持ちの良い昼寝が出来るであろう時間帯に、二つの激しい足音が学園内で響き渡っていた。
それを聞く者達は皆、誰かが走っているのだろうと何となく思う事だろう。
だが、今にも恐ろしい副会長がすっ飛んで来て叱りそうな行動はいつまで経っても鳴り止まない。それどころか、人数が増えたり減ったりしている気がする。
誰もが違和感を感じ始めるこの状況。そんな中、曲がり角を勢い良く通り抜けるとある二人の姿が、窓から差し込む陽光の元で露わとなった。
「ど、どうしようテイオーちゃん!」
「とりあえず逃げるしかないよ! ボクはぜっっっっっったいにアレ受けたくないもん! あんなの注射とおんなじだ!」
「わ、わたしもだよ!! ぜったい、チクッてするし痛いもん!」
姿を現したのは、ハルウララとトウカイテイオー。見たところ、何かから逃げているようだ。その発端は何やら針に関連する事象が関わっているように思われる。
そして、共通する何かの感情が二人を意気投合させているようにも見える。
「まあまあ、ちょっとぐらい良いじゃない! ほーんの先っちょだけだから!」
「「うわっ!?」」
そして、いつの間にか彼女達の間に割り込んで、首に手を回している謎の不審な人影に、彼女達は盛大に驚きの声を上げて飛び退いた。
目元を覆うド派手なサングラスに、医療関係者を連想させる服を着こなすその姿。そんな違和感溢れる服装に何とも言えないオーラ、そして妙に馴れ馴れしい言葉遣いが、彼女達の中にある不審者像のストライクゾーンを見事にぶち抜き、三アウトを叩き出す。
「なんでっ!? さっきまで一階に居たのに!?」
「そりゃあ……ちょちょいと頑張ったって訳よ!」
「えっ……エアグルーヴの追跡から逃げるって相当ヤバい奴じゃん!?」
どうやら、学園内に響いていた慌ただしい足音の中には、生徒会の者達もいるようだ。だが、優秀な彼女達でさえ目の前に居るこの不審な女性を捕らえる事は出来ていないらしい。
「そんな事より! 一発ぶっ刺してかない? 貴方達、見たところとっても良い素質がある気がするのよ! きっと、普段の倍以上は効果が出るわ!」
不敵な笑みを浮かべたその者がジリジリと歩み寄る。タチの悪い押し売りに痺れを切らしたトウカイテイオーは、ハルウララの手を取って一目散に逃げ去った。
「こういう時はさっさと逃げるのが良いって、ボク知ってるもんね!」
「て、テイオーちゃん!?」
かなり速いその走りに引っ張られ、思わず転けそうになるハルウララ。だが、ここで足を止めたらあの針の餌食になる事間違い無し。それ故に、楽しみとは真逆の感情を以て何とか体勢を立て直すのだった。
普段であれば色々と文句を言われるであろう行動を、緊急事態の特権で行使し続けた二人。そして、前にも後ろにもあの医者もどきが居ない事を確認して、ホッとその場にへたり込んだ。
「はあっ……はあっ……ここまで来たら……大丈夫だよね!」
「そうだと良いけど……」
息を切らしながら安堵の声を漏らすハルウララに、未だ不安を拭い切れないトウカイテイオー。もしかすると、過去に受けた注射という傷が彼女をここまで警戒モードにさせているのかも知れない。
だが、そんな心構えが今回は功を成した。
「よっと! さてさて、あの子達どこに行ったのかしら?」
「ぴえっ!?」
窓からスッと身を滑り込ませたその存在は、さっき上の階にいた筈の者。階段を経由しない上下移動は、何だか夜の学校に出てきた"アイツ"を思い出させる。
今はまだ他のウマ娘達の影に隠れてバレては居ないが、それもきっと時間の問題だろう。今のうちにさっさと逃げ出すべく、彼女はまだホッとしている隣人の肩を叩いた。
「アイツまた来たよ!!」
「ええっ!? いっぱい走ったのになんで!?」
「あっ!? こんな所で大声出したら……」
すぐに自身の手で口を塞ぐが、もう手遅れ。先程の言葉は確かに廊下へと響き渡った。
そして、まるでどこぞの御伽噺のように人の海が真っ二つに割れ、彼女達の矮小な姿が赤いグラス越しの視線に晒される。
「見いつけた」
下手なB級ホラー映画よりも恐怖を感じる笑み。二人はリアクションする間も無く、その笑みに背中を向けて走り出す。
何だか不運に見舞われている彼女達だが、偏っているそれを釣り合わせるかのように、前方から見慣れた影がやってきた。
「あっ!!! トレーナー助けて!!!」
ハルウララのトレーナーであるその男。だが、その佇まいは人を寄せ付けさせないオーラに溢れている。それ故に、トウカイテイオーは一瞬だけ固まった。
「えっ……!? いやでも……あっちの方が怖いや!」
怖いという意味合いでは前も後ろもホラーであるが、後ろから追ってくる方がその後に待ち受ける展開を考えるともっと怖いと思ったのだろう。
結局、躊躇いを捨てた彼女はハルウララに倣うようにして、その男へと助けを求めた。
「あ? 突然何だよ」
木屑だらけのコートをギュッと掴み、大きな背中に身を隠す二人。そんな姿を見て、ハイゼンベルクは普段と同じぶっきらぼうな声調で反応を示す。
「えっとえっと、チクッとする人が追いかけて来てるの!! 助けてトレーナー!」
「ほう、テメエら健康診断でも抜け出して来たってのか? 悪いが、これから忙しいんだ。テメエらと遊んでる暇なんぞ無え」
まるでギターケースのような大きな黒い荷物を背負い直すと、彼はハルウララとトウカイテイオーの首根っこを掴み上げた。
どうやら、健康診断の責任者の元へ連行する気のようだ。
「健康診断じゃないよ! ほんとに変な人がこっち来てるんだって! というか、なんでボクまでつまみ上げられてるの!?」
「この能天気野郎をここに連れてきたテメエも同罪だ。手間増やしやがって」
「わーっ!! 待って待って違うって! ボクが連れてきたわけじゃ無いよ!! だから離して!!」
そんな、ジタバタするお荷物をどこに連行するべきか彼が考えている最中、彼にとっても予想外の者が眼前に立ち塞がった。
「えっ!?」
「あ?」
側から見ればその様は非常に形容し難いものだっただろう。片方は赤と白の派手な服装を身に纏い、その手には大きめの針。もう片方は木屑やら鉄屑やらの汚れが付いた地味なコートを着て、その両手にはジタバタと暴れるウマ娘。おまけに、怪しげな荷物もセットである。
それぞれベクトルの違うオーラを振り撒く二人。そんな二人に共通して言えるのは、どちらもヤバそうな不審者という事だった。
「な、なんか凄い不審者っぽい人! 貴方一体何者よ!?」
「ああっ!? この人だよトレーナー! さっきから変なのでチクってしようとしてくるんだよ!」
「……マジかよ。明らかに不審者みてえな奴だな」
「ボクすごい思うんだけど、どっちも鏡見て言った方が良いと思うよ!」
誰かさんの余計な一言に、何やら圧のある視線を二人から向けられたトウカイテイオーは、何とも言えない叫び声を一瞬だけ上げ、借りてきた猫のようにその口を一文字に結んで大人しくなった。
「あ、貴方トレーナーだったのね! もう、脅かさないでよ。てっきりどこかの誘拐犯かと思ったじゃない」
「誰だテメエ? 馴れ馴れしくされる覚えはねえぞ?」
相手の見た目に全く物怖じしないハイゼンベルク。そんな彼の威圧的な問いが謎の女性へと荒々しく投げかけられた。
「私? 私は……奇跡の腕を持つ伝説的笹針師! その名も安心沢刺々美よ! 分かりやすく言えば、鍼師ってヤツよ! 貴方も一発ブッ刺しとく?」
安心沢刺々美と名乗りを上げた謎の女性。彼女もまた一見だけで全てを判別するタイプの人間では無いらしく、棘だらけの態度に対しても馴れ馴れしい装いで言葉を返してきた。
「その子達の素質、とっても凄いわよ! きっと、普段の倍以上の効果が出る筈よ!」
自信満々のその言葉。最後に小声で"まあ、失敗しなきゃだけど"と聞こえたのは、きっと気のせいに違いない。
まさか、失敗する事を危惧している者があんな堂々と物を言えるなど無い筈である。
最後の言葉が聞こえたのか、そもそも彼女を信用していないのか、彼の興味は非常に浅かった。
「鍼治療? そもそも効果あんのかそれ? 元がゼロなら倍もクソも無えだろうが」
「フッフッフ、私にかかれば滅茶苦茶効果出るわよ! とりあえず、どんな効果があるか聞くだけ聞いてみない?」
「ほう、なら適当に話してみろ」
簡単なお誘いを掛ける彼女と、鼻で笑いつつもそれを受ける彼。何故だろう、その様子は相手を罠に嵌める狐のように見える。
しかし、当の本人はそんな違和感などこれっぽっちも抱いていないようで、話はトントン拍子に進んでいく。
「まず、よくあるのは筋力増強ね。完璧にツボをつければ、誰でもマッチョ間違いなしよ!」
「ほう、便利だな」
彼の薄かった興味が少しばかり深くなったのを感じたのか、彼女は説明を続ける。
「次によくお願いされるのは、回復のツボよ! これは凄いわよ、上手く決まれば三日三晩走り続けた体でも一瞬で復活よ!」
「栄養ドリンクみてえなもんか」
「そうそう、そんな感じ!」
普段の彼なら乱雑に突き返す筈の場面。彼と付き合いが深い者であれば、何となく予想可能である。
だが、今の返答はどうだろうか。
まるで真逆だ。
そんな違和感に気付き始めたのか、彼の両手に捕らえられた二人の囚人はその額に冷たい汗を浮かび上がらせる。
そして、相手を引き摺り込むかのような悪魔のやり取りは続く。
「後は……アレよ! 体の不調が全部治っちゃうミラクルなやつ! 寝不足やら太り気味やら、何でもござれって感じの凄いやつよ!」
「治る……おい、一つ聞いて良いか?」
会話の中に垂らされた釣り針に掛かるようにして、彼は彼女に質問を投げ掛ける。それは、彼女にとって特に珍しくもない、至って平凡な質問だった。
「テメエのそれは、"治癒力"も上がんのか?」
恐らく、軽い怪我のような物に対しての問いかけなのだろう。転倒だけでなく、ちょっとした事でも傷は負ってしまうものである。
絆創膏が貼られた膝を何となく脳裏に浮かべつつ、彼女は超自信満々に答えた。
「勿論よ! 擦り傷、切り傷、何なら打撲とかだって何とかなっちゃうわ!」
「ほう、悪くねえじゃねえか。是非とも見たいもんだな!」
何故かこの分野に関してだけ彼の食いつきは凄まじく、彼女の解答に対して軽い笑みを浮かべる程であった。
この様子だけ見れば、彼はただの気のいいおじさんである。
「是非とも見せてあげるわ! というか、貴方結構ノリ良いのね。人は見た目によらないとはよく言うけど、まさかここまでとは思ってなかったわ」
「俺も医療関係を少しだけ齧ってるからな。興味はどっちかというとある方だ」
どっからどう見ても工学一筋っぽいこの男は、なんと医療系の知識にも手を出しているらしい。今まで聞いた事のなかったその情報にハルウララは勿論、周囲の者達も驚きと違和感の入り混じった表情を浮かべた。
そして、そんな違和感を更に増長させるかのような意味不明な言葉を彼は言い放つ。
「おい、テメエの利き手はどっちだ?」
「利き手? 右だけど……鍼自体はどっちでもイケるわよ。もしかして、変な拘りでもある感じ?」
己の右手を持ち上げて彼に見せつける。何を意図した質問かは全く分からない故に、周りの者達と同じくその頭上にはクエスチョンマークが浮き上がっている事だろう。
しかし、彼が次に放った言葉はただただそのマークを増やすだけの代物だった。
「そうか、なら"左"にしといてやる」
彼の機械仕掛けの脳みそは一体何を考えているのだろう。付き合いが長く、慣れていれば何とかなるハルウララのような思考回路とは違い、彼の思考回路は常識外れの設計故にそう簡単には推測出来ない。そして、喋りはするが肝心な部分を話さないその姿勢が、訳の分からなさに拍車をかける。
だが、どう分岐するか分からないこの流れに対し、一番理に叶う予測を立ててしまったのだろう。偶然にも彼の"左手"で首根っこを掴まれているトウカイテイオーはその顔を真っ青に染めた。
「ねえねえトレーナー、何が左なの?」
ハルウララからしたら当然とも言えるその問いに、彼はニヤリと笑う。なんだか悪意が見え隠れするその表情に周りの者達が気圧される中、どこかの帝王の予測を裏切るかのように彼は両の手で捕らえていた二人を雑に解放する。
そして、空いたその手は背負った荷物へとゆっくり向かう。
「なに、ただのテストだ!」
彼と相対する伝説的笹針師は知らなかった。
彼の乗りが良い時、饒舌な時、その裏側に潜む感情が一体どうなっているのか。
しかし、魔の工場長が取り出した"ソレ"を見て、彼女はきっと気がつく筈だ。
自身が彼を乗せていたのでは無い。
自身が彼に乗せられていたのだと。
何せ、彼が取り出したのは……
まるで二つのチェーンソーを強引にくっ付けて鋏にしたかの様な、常識から何もかもかけ離れた狂気の代物だったからだ。
目の前の者も、左右に居る者も、そして周囲にいる者達も、あらゆる者の理解を置き去りにした彼は持ち手であろう部分に備わるワイヤーを思い切り引っ張った。
「えっ……ちょっと……私が思ってた展開と違う……!? 左のコを施術するって流れじゃないの!?」
愕然とする彼女のそんな一言は、残念ながらけたたましく鳴り響くチェーンソーの駆動音によって切り刻まれたようだ。
「安心しな! テメエの左手でテストするだけだ! 死にはしねえよ!」
「そっか〜! なら、あんし〜ん! ってなる訳ないじゃない!!!!! というか、テストって何よ!!!」
野次ウマ達が顔面蒼白とする中、悲鳴にも似たその声は廊下に良く響き渡る。それをサディストな笑みを浮かべながら聞き入れた悪魔は、鎖状の刃で形作られたその鋏を開け閉めすると、正しく狂気としか形容出来ない答えを吐いた。
「決まってんだろ! 俺がテメエの手首をぶった斬ってやる! それで、テメエは例の鍼でも何でもブッ刺してから元通りにくっ付ければ良い! これで周りのヤツにも証明できるし、テメエの腕を試すテストにもなる! どうだ、完璧な算段だろ?」
イカれきった発言とその内容。どうやら、お互いに不審者と思っていたが片方は不審者ではなく異常者だったようだ。脳みその大事な部分を麻痺させたかのような彼の発言に、伝説的笹針師は思わず己の左手首へ目をやってその表情を真っ青に染め上げた。
そして、怯えに溢れたその体へ絶望の詰まった影が迫る。
「えっ……ちょっとちょっと!? マジでやる気なの……? 常識的に考えて、切り落とされたらくっ付かないわよ? というか、貴方絶対に私のこと疑ってるでしょ!」
「おい、何言ってんだ? 俺はテメエの実力を信じてるからやってるんだぜ? テメエならぶった斬っても綺麗にくっ付けてくれるってな! なに、安心しろ……」
"ちゃんとくっ付くのは実証済みだ"
紛れもなく魔王と呼んで良いその圧と笑みを前にして、彼女の汗腺は壊れたかのように冷たい涙を滴らせる。
少し調子に乗って色々と誇張してしまった事を素直に言えばこれを止めてくれるだろうか。
そんな、弱気な考えを脳裏に浮かべた彼女の耳に少しだけ希望の含んだ言葉が聞こえてきた。
「おい、もし今までの発言がただの嘘ならさっさと言え。手をぶった斬るのは止めてやるよ」
なんと、この男にも慈悲の欠片は残っていたらしい。
地獄に舞い降りた蜘蛛の糸を掴むため、彼女は己の非を吐き出すべく肺へ空気を取り入れる。
だが、彼の言葉はまだ終わっていなかった。
「まあ、そうなったらコイツの行き先が首になるだけだがな」
己の内に溜まった空気が一瞬にして吐き出される。幸運にも、それは言葉を成さなかった。
垂らされた糸は蜘蛛のものでは無い。酷く冷たく、不可視の死に濡れた高圧電線のワイヤーだったのだ。
連なる刃の機構が、ブウゥンッと悪夢の音を立てる。
重なる刃の機構が、ガチャンッと希望を切り落とす。
当然、そんな絶望の序曲を前に正気を保ち、咄嗟の判断を下せる者などごく少数である。大多数の者は、ただ固まるか、錯乱するかの二択を取り、無惨な結果を遂げるのだ。
そして、彼女はその後者であった。
「えっ……ま、待って待って! 私まだ死にたくない!!!」
パニック混じりの心からの悲痛な叫びは天には届かなかったが、とある存在には届いたようだ。
「そこまでですっ!!! 学級委員長として、これ以上暴れるのは許しません!!」
誰もが恐怖に固まり動けなくなる中、たった一人の優秀な人材が凶悪な魔物の前に立ちはだかる。
煌びやかな桜色の目で相手をしっかりと見据えたその姿は、紛れもなく学級委員長のものであった。
「あの人が怖がっているではありませんか! もし止まらぬと言うのなら私が相手です!」
なんというか、サクラバクシンオーの発言は学級委員長のお仕事からは大きく逸脱した内容にも思える。だが、本人がそう言っているのだ、きっと間違ってないのだろう。
「ほう、どっかで見た顔だな。中々根性あるじゃねえか」
「はいっ! 学級委員長ですから!」
どこぞの天真爛漫ウマ娘のように、彼の振り撒く恐怖をものともしないその姿勢。少し怖いが、行く末の気になる展開に野次ウマ達の目が集まる。
だが、彼は顎に手を当てて考えるそぶりを見せると、いかにも悪役のような黒い笑みを浮かべた。
「おい、テメエが何を勘違いしてるか知らねえが、コイツはただのテストだぜ?」
「テスト? 何のですか?」
「そこで腰抜かしてる奴のテストに決まってんじゃねえか! どうやら、鍼治療の専門家みたいでな。俺が直々にその腕をテストしてやろうって考えてんだ!」
シザーチェーンソーを肩に担ぎ、片手をオーバリアクション気味に動かしながら彼は言う。
怪しげなその発言を、彼女はうんうんと相槌混じりの真面目な様子で聞き入れる。
「どこぞのポンコツじゃねえ限り、新しい蹄鉄をいきなりレースで使ったりしねえだろ? これもそれと全く同じだ。"賢い学級委員長"なら分かるだろ?」
最後の一言だけやたらと強調されていたように聞こえる言葉。どうやら、その効果は絶大だったようで、嬉しそうに目を輝かせたサクラバクシンオーは元気良く肯定の意を返した。
「はいっ!!! 勿論です!」
ニッコニコの笑みと共に彼女は廊下の端に寄り、奥で絶望を目に浮かべている鍼師への道を空けた。
きっと、追い込まれてる側からすれば、その行動はある意味、刑の執行を許可する領主のように見えた事だろう。
「賢い奴で助かるぜ。じゃあ、俺は今から重要な"テスト"をしねえといけねえからな。良い結果が出たらテメエにも教えてやるよ」
「はいっ! それでは、テスト頑張って下さい!!」
やはり、相手を地獄へと叩き落とすのを目的とした時、彼の言いくるめの技能は飛躍的に上がるようだ。相手が少し抜けているタイプなら、それは尚更効力を発揮するのだろう。
障害を切り抜けた彼は、今度こそ"テスト"を開始するべく、得物の咆哮をより一層唸らせた。
「ハッハッハ、鍼は構えなくて良いのか? もし落としちまったなら言いな! 代わりのブツを貸してやるからよ!」
彼女の返事も待たずに目の前にガチャンと放り出される何か。先程の発言内容と相違しかない代物を前に、彼女は呆然と呟いた。
「は、鍼……?」
「ああ、鍼だ。ちゃんと先端尖ってんだろ? 腕が良けりゃ使えんだろ」
螺旋状の溝があり、回転機構を有することを除けば、それは確かに鍼である。きっと、機械の類に良い感じの施術を行う事が出来るだろう。
なお、人体に対して使えるかの保証は無い。
「そんじゃ、"テスト"の開始だ!」
意気揚々とそう言い放ったハイゼンベルク。しかし、階段から降りて来た緑色の存在が今にも始まろうとしているソレの全てを遮った。
「あっ!? 見つけましたよ!」
「た、助けて下さいいいぃぃぃ!! お願いしますうううぅぅぅ!!!」
「えっ……?」
理事長の秘書であるたづなへと伝説的笹針師は情けなく泣きついた。これまで逃げていた存在が、涙と共に助けを求めて来たのだ。当然、その表情は困惑一色に満たされた。
そして、その答えを探るかのように彼女の視線は何やら物騒な代物を携えた工場長へと向けられる。
「ハイゼンさん……?」
「まだ何もやってねえ」
「"まだ"?」
楽しい時間にお預けを食らったせいか、それとも野次ウマ達が青ざめる程の圧のある視線を食らったせいか。彼はため息混じりにその得物達を仕舞い始める。
だが、たづなも不審者への対応で忙しいからか、その後の追及は何一つ無かった。
そして、彼が地面に落ちた手持ちの工業用ドリルを拾い上げ、片付けを終えようとした時、ピンクの影が目の前へと現れる。
「トレーナー!」
「なんだ」
「助けてくれてありがとう!!」
眩い笑顔と感謝の言葉。真っ白で裏の無いそれが真っ黒で裏だらけの彼へと投げかけられる。だが、返ってきたのは無愛想で暖かみの無い良い加減な言葉だった。
「ハッ、何言ってんだ? 俺はあの訳分かんねえイカれ女が気に入らなかっただけだ。テメエらが何されようがどうでも良かったんだぜ? 感謝なら、俺をムカつかせたソイツにでもしてな」
背負った荷物をガチャガチャと鳴らしながら、ハイゼンベルクは廊下を進む。先の一件で警戒している野次ウマ達に冷たい視線を浴びせ、強引に人混みを真っ二つに裂くその姿は恐れられる王のようである。
そんな彼が通り過ぎた後、見事に裂けていた人混みは再び結合して大きな塊へと戻っていった。
「はあ……なんかすごい疲れた……良くウララはあんな怖い人と仲良くやれるよね」
「ええっ!? そんな怖くないよ! いっつも変な顔してるだけで、すっごく優しくて面白いよ!」
二つの恐怖に板挟みされていたトウカイテイオー。どこかげっそりとした彼女の気怠げな言葉に対し、ハルウララはそんな事は無いと必死に弁明する。
だが、悲しきかな、それは彼女と同等の驚異的なメンタルか、長い付き合いの二択が無ければ理解のされようが無いのだ。
そうして、何とかしてトレーナーは怖くない人だと認識して貰いたいハルウララの明るく拙い言葉が廊下に響く中、どこかの誰かは一瞬だけ振り返り、その様子を鼻で笑っていたのだった。
鋏型チェーンソー
削り切ると挟むを同時に行えるぶっ飛んだ機械。比較的大きな木であろうとも簡単に切れる便利な代物らしい。
おまけに、頑丈で"木以外"でも難なく切れるそうだ。
製作者曰く、遠いどこかでこれを使った決闘ごっこがあったらしく、それを参考にしたとの事。
危険極まりなさそうに思えるが、実際に行われた結果、特に死人は出なかったようで意外と安全性のある物だそうだ。
なお、それが真実である保証はどこにも無い。