悪くねえ 大したもんだ ハルウララ   作:黒チョコボ

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プチ復活


ロジカル

 

日が地平線の彼方へと完全に沈みきり、街灯と住宅地から漏れる光が道を照らす夜の時間。車のライトの他に、もう一つだけ動く光があった。

 

「ああクソ、何で上手くいかねェ……!」

 

小さく悪態を吐くその表情は酷く険しい。悔しそうに食いしばられた口元からチラリと覗くギザっ歯がその険しさを一層際立たせる。

 

そして、その視線はもう一つの動く光であるノートパソコンの画面へと向けられていた。

 

「今からどう足掻いたッて……勝てねェッて言うのかよ……!」

 

黒い尻尾は真っ直ぐ下へ垂れ、耳はヘタリと項垂れている。

 

明らかに精神的に参っているその様子は、言わずもがな彼女の手に持つノートパソコンの画面が原因である。

 

エアシャカールという自身の名前と事細かに記載されたステータス。そして、同様にステータスの記載のある幾つものライバルの名。きっとそれは、勘がいい者なら何を表しているか気付くだろう。

 

それは、彼女自身が保有するレース用のシミュレータ。不気味なほど良く当たる精度と、何故か消えない数字の羅列を持ち合わせた、彼女の武器である。

 

しかし、その武器は彼女自身に対して"敗北"の二文字を掲げていた。

 

「……ッ!」

 

己がこれから理想的な成長を遂げると仮定した上でのシミュレーション。言わば、己のみが能力値のかさ増しをした上での計算である。

 

そのかさ増しが己の全ての能力値に施されている事が、これまで一つの能力値を上げただけでは結果が変わらなかった事を示していた。

 

だが、全てをかさ増ししても結果は変わらなかったようだ。

 

きっと、こんな夜に門限を破って外出しているのも、その苛立ちで熱くなった頭を夜風で冷やすためか、何か他に良い方法が思い付かないか思考を巡らすためなのだろう。

 

不運にも、そのどちらも達成出来ていない彼女は、不満げに足元の石ころを蹴飛ばしていた。

 

「いや、まだ何かあるはずだ。見つけるまで今日は寝れねェ……!」

 

パソコンの画面を見ながら曲がり角を曲がる。曲がった先はトレセン学園へと続く門がある道。

 

 

 

普通なら閉じられている筈のその場所を素通りする。

 

 

 

いつもなら気付くそのおかしな点に、画面に集中している今日ばかりは気づかなかった。

 

 

 

当然、その先に偶然にも鎮座していた鉄の塊に気付く訳がなかった。

 

 

 

「うおッ!?」

 

予想だにしていなかった何かにつまづき、素っ頓狂な声を上げる。ただの石ならすぐ体勢を立て直せた筈だが、つまづいた何かは大きく重い物体でなす術なく地面に転がる。

 

「……ッ!?」

 

恐らく、それだけで済めば幸運だっただろう。

 

悲しいかな。両手でしっかりと持っていた筈の大事な代物は、転んだ後の手には無かった。

 

そうなれば、行き先は一つ。

 

焦燥が滲む見開かれた瞳は、その行き先である奥の地面へと向けられる。強引に足を前に踏み出してその場所へ駆け出そうとするが、ウマ娘の力をもってしても足元の何かは簡単には動かなかった。

 

泣きっ面に蜂とはこの事かと、自虐と諦めを含んだ気持ちが浮かぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、いつまで経っても悲しくなるような破壊の音は聞こえて来なかった。

 

代わりに聞こえてきたのは、荒々しくも落ち着いた雰囲気の足音だった。

 

「ほう、驚いた。つまらねえデータをどうこういじくり回すのはトレーナーの特権かと思ってたが、どうやらそうじゃねえ物好きがいるようだ」

 

地面スレスレの視界の右側からスッと現れる二本の足。くたびれて所々汚れや傷が目立つそれは、エアシャカールの目の前でピタリと止まる。

 

そうして聞こえてくる低い男の声に顔を上げると、印象通りの年頃の男がニヒルな笑みを浮かべて葉巻を吸っていた。

 

どっからどう見ても不審者なその男は、彼女が知らない男ではない。だが、彼の不審さと不気味さが彼女の警戒をMAXまで引き上げる。

 

「……ッ!?」

 

咄嗟に飛び起きて距離を取るエアシャカール。昼間に遠くからチラリと見た時とは、感じるものが違い過ぎたのだ。

 

 

 

こちらを射殺すかの様な視線。

 

 

 

厳つい顔付き。

 

 

 

そして、放たれるおどろおどろしい圧力。

 

 

 

普段の余裕ある表情は、吹き抜ける冷たい風と共にどこかへと流されてしまったようだ。

 

代わりに顔に張り付いたのは、警戒心で固まった歪んだ表情だった。

 

「なんだ、要らねえのか?」

 

疑念を孕んだ視線の先。その男、ハイゼンベルクは葉巻を持たぬ左手で開いたままのノートパソコンを見せびらかすように左右へと揺らす。

 

「チッ、返せよ」

 

「ハッ! そんじゃ返すぜ。ほらよ」

 

「ッ!? オイ、バカッ!」

 

なんということか、ハイゼンベルクは何の躊躇いもなく手に持つそれをエアシャカールの方へ放り投げた。そこに、精密機械だからと言った気遣いなどは毛頭ない。

 

飛んできたそれを彼女は慌てて受け止める。その心労を考えれば、一言ぐらい荒い言葉が飛ぶのも仕方ないと言えよう。

 

「馬鹿だって? こんな夜中にほっつき歩いて、勝手に人のモン蹴っ飛ばして、勝手に転けて、おまけに本人は画面に夢中ときた! ハッ! 馬鹿はどっちだ? 理論派さんよ?」

 

「……ッ!」

 

言い方はアレだが、言ってる事は間違ってはいない。色々と考え事をしていて周りを見ていなかったのは確かだ。本来なら、大事な物が壊れないように受け止めてくれて感謝するべきなのだろう。

 

ただ、その相手が神経を逆撫でしてくるタイプだと、そんな気も失せるものだ。

 

「ハッハッハッ! おっと、悪かった。ご傷心のヤツにかける言葉じゃなかったな?」

 

訂正しよう。気が失せるどころではない。

 

絶対に謝りたくなくなった。

 

「チッ、勝手に言ってろ……!」

 

捨て台詞のように悪態を吐くと、彼女は踵を返してこの場から早急に去ろうとする。

 

だが、その足は闇の中から放たれた言葉にピタリと止まった。

 

「ついでに教えてやる、そんな嘘だらけの結果が上手くいったところで意味なんて無え。精々気を付けな」

 

嘘だらけ。

 

それが指すのは何のことだろうか。

 

トレーニングを見越してかさ増しした己のデータの事か。

 

それとも、今手の中にあるシミュレータの事を言っているのだろうか。

 

だが、照らされた先が壊れた吊り橋となっている彼女は、何か期待してしまった。この結果が覆る方法を彼は知っているのではないかと。

 

普段の彼女であればそんな煽りなど、鼻で笑って一蹴したはずだ。しかし、未来を読んでいるのでは無いかと疑う程優秀なシステムに、ことごとく負けを言い渡される焦燥と恐怖はその選択を確かに変えた。

 

「おい、嘘ってどういう事だよ! 確かにオレのデータは今この瞬間の物とはちげェ……だけどな、上昇値はトレーニングで得られる範疇に……」

 

そこまで言った後に彼女は気付く。この性格が捻じ曲がったクソ野郎が今もなおニヤついている事に。

 

「チッ……なんだよ!」

 

まるで、小さな虫が頑張ってるのを憐れむかのような見下した視線に、彼女の言葉には苛立ちが混ざり始める。

 

だが、一介の者なら怯むであろう彼女の眼光を、彼は何事も無いかのように受け続けていた。

 

「おっと、悪かったな。理論派も過ぎるとこうなるのかって思ってよ。思わず笑っちまった」

 

本当の意味での口だけ謝罪を目の当たりにしたエアシャカールの眉間には、先程よりも多くのシワが寄る。

 

だが、肝心の当人は葉巻を咥え、紫煙を夜の空へと浮かべていた。当然、その表情は随分と調子が良さそうだ。

 

「嘘って言ったか? ああ、その通りだ。だがな、嘘つきは二人いる。そのうっすいガラクタの中に入ったヤツと、それをまんまと信じちまうどこかの馬鹿な野郎だ」

 

「シミュレーションが間違ってるとでも言いてェのかよ?」

 

彼の言うガラクタは間違いなく彼女の持つパソコンの事だろう。正確には、その中に入っているソフトウェアの事だ。

 

だが、それが予測を外した事など殆どない。それは紛れもない事実である。故に、間違っていないと言い切れる。

 

「テメエの頭に付いてる耳は飾りか? "間違ってる"なんて一言も言ってねえ。"嘘つき"だと言ったんだ」

 

「ああ゛ッ!? 結局言いてェ事は同じじゃねェか!」

 

この男はただ己を貶したいだけなのだ。そう思わざるを得ないほど、暴言に等しい言葉を受ける。

 

この苛立ちに任せてこの手を振るえればどれだけ楽なのだろうか。

 

しかし、それをしてしまえば目の前の男以下どころか人として失格となる事実が、彼女を淵に踏み止まらせた。

 

そして、反論と言わんばかりに己の中の真理を言い放つ。

 

「機械は嘘をつかねェ! それが常識ってモンだろ!」

 

「いや違えな。"機械は間違わねえ"それが事実だ」

 

「マジで何言ってるか分からねェ……!」

 

理解の出来ぬ彼の発言に歯をギリギリを鳴らすエアシャカール。しかし、彼女はバカではない。この意見の食い違いでハッキリと分かった事だろう

 

ハイゼンベルクにとって、機械が嘘をつくのは常識なのだ。

 

「ハッハッハッハ! だろうな! 分かる訳がねえ! 俺だってまだ完全には分かってねえんだからな! おまけに、根拠なんてどこにもねえ! コイツは、俺のクソッタレな人生ってヤツから学んだ教訓みてえなモンさ!」

 

「はあ゛ッ!?」

 

どうやら、今までの話は彼の経験から導き出した結論だったようだ。当然、そんなもの彼女がすんなり分かる訳もない。というか、そんな前提があった事すら知らないのだ。理論的に考えて同じ所へ行けるはずがない。

 

何かしらの理論に沿って言ってるのかと思ってた彼女は、呆れ半分、その他半分の反応を示した。

 

「何の根拠もねェのかよ! そんなんであそこまでムカつく態度取りやがって!」

 

男の妄言に付き合っていたように思えて来た彼女は、思わずため息を吐いた。当然、何とも言えぬ倦怠感もセットである。

 

 

 

しかし、今にも呆れて帰ろうとする彼女を引き止めたのは、おふざけ無しの凍つくようなトーンで言い放たれた言葉だった。

 

 

 

「機械はな、人を相手にすると嘘をつく」

 

 

 

全身の毛が逆立つ。得体の知れぬ冷たいそれに、暑くもないのに汗が出る。何の変哲もない適当な言葉に乗せるにしては、その感情の重さは異常であった。

 

「シミュレーションなんてその代表みてえなモンだ」

 

何となく、何となくではあるが、その憎しみと言っても過言ではない感情の矛先は、彼女へは向いてはいないと分かった。何せ、彼の視線の先にエアシャカールなど居ない。あるのは特大の鉄槌だけだ。

 

 

 

「そうでなくちゃ、今まで見て来たモンの説明がつかねえんだよ……!」

 

 

 

まるで独白のような語りを終えると同時に、この場の圧がフッと消え去る。まるで敵陣のど真ん中に立っているかのような感覚は、今もなお彼女の心臓を揺らして止まない。

 

気を紛らわせようとして適当な所へ視線を流すと、学園の校章が目に入る。

 

何だか少しだけ、落ち着いた気がした。

 

「……悪かった。ちょいと思い出に耽ってた」

 

きっと、彼女の様子を見て小さな怯えを察知したのだろう。ハイゼンベルクは意外にも素直に謝った。だが、そんな意外性よりも彼女が真っ先に頭の中で思い浮かべた事は

 

『思い出に耽って出てくる感情じゃねェだろ……』

 

の一言だった。

 

「……なあ、その嘘ッてのはどうやって分かるんだ?」

 

動揺を捨て去るように汗を拭った後、平静を装いながら彼女は会話に出て来た一番聞きたい事について尋ねる。

 

この男の話は未だに半信半疑。それでも既に半分ほど信用している理由は、全てにおいて正直で嘘を付かない事と、そんなヤツがあそこまで憎悪を剥き出しにする"シミュレーションの嘘"が全てにおいて偽物だとは思えなかったからである。

 

だからこそ、この質問は己のシミュレータを更なる高みへと持ち上げ、全てを想定内に出来る怪物を生み出すための踏み台であった。

 

しかし、その返答は案外拍子抜けしたものだった。

 

「分かる訳ねえだろ。分かってたらとっくにやってる」

 

「チッ……なら意味ねェじゃねェか」

 

当然と言えば当然である。シミュレーションが間違ってるなど、実際にそれを行ってみなければ分かる訳がない。そこに薄々勘付いてはいたが、この男はそこをどうにかする術を持っているのではないかと期待して思わず聞いてしまった。

 

ため息と共に落胆するエアシャカール。目の前に餌があったと思ったら無くなったような感覚に、どことなくドッと疲れが湧いてくる。

 

しかし、葉巻の煙を吐く音と共にハイゼンベルクは何かに気が付いたかのように呟きを漏らした。

 

「いや……今なら一応分かるか……」

 

ウマ娘の耳は人よりは良い。きっと、今の呟きも問題なく聞こえているだろう。しかし、エアシャカールがその意味を理解するよりも先に、彼の手が彼女のパソコンをその手から奪い取った。

 

「ッ!? オイッ! なに勝手に……!」

 

「ちょっと黙ってろ。今からコイツが嘘つきかどうか確かめてやる」

 

どこからともなく取り出したUSBメモリを勝手にパソコンに接続し、カタカタとキーを操作し始める。当然、許可も無しに自分の物を使われているのを黙って見てるはずもなく、彼女は強引にでも止めに行こうとしていた。

 

ただ、不運にも彼女たちの間に入り込む……いや、元々地面に置かれていた一つの影が彼女の足を躓かせた。

 

なお、エアシャカールがコレに転けるのは二度目である。

 

「ああ! クソッ!」

 

彼女が地面の大きな鉄屑に二回目のハグをしている間に、意地悪な男はデータの入力を終えたようだ。

 

「ハッ……ハッハッハッハ! やっぱりな! よく出来たヤツほど大体こうなる!」

 

「さっさと返せッ!」

 

「そうか、ほらよ」

 

彼はUSBを抜き取ると、今度は投げずに直接手渡した。情報を抜かれたり、ウイルスでも仕込まれたんじゃないかと思い、彼女は慌てた様子で閉じられていたパソコンを開く。

 

しかし、どこにも弄ったような痕跡は見当たらず、あったのはデータの入力されたシミュレータの画面だけだった。

 

画面にはLOSEの文字が表示されている。

 

「良かったな、そいつはちゃんと嘘つきだった」

 

「ああ゛ッ!? ンな証拠どこにあんだよ」

 

「見て分かんねえのか? その結果が何よりの証拠だ」

 

「はあ゛ッ!?」

 

この負けた結果が証拠だという彼の言葉に、彼女は頭を働かせる。シミュレーションの吐く嘘を判別するには、実際にそれを行ってみないと分からない。だが、逆に答えがわかっているのであれば、それ通りになるかどうかで判別が出来ると理解する。

 

きっと、彼は本当の結果を知っていて、わざとシミュレーションを実行したに違いない。

 

まあ、彼の知る"本当の結果"とやらを証明する方法は無いのだが。一応、今回ばかりは多めに見ることにした。

 

そこで、ふと彼女は思い出す。シミュレーションに現れぬ一つの要素を。あの科学者気取りのウマ娘が研究している一つの要素を。

 

「なあ、もしかしてシミュレーションの結果が合わねェのは感情の有無だとか言わねェよな? オレはそう言うロジカルじゃねェもんは省いてる」

 

感情やメンタルを考慮しない彼女の考え方はある意味正しいのだろう。そう言う不確定な物は計算に入れようもないし、入れたところで答えが莫大になるのがオチだ。

 

しかし、彼の答えはそんな考えすら凌駕した。

 

「ハッ、感情? んなモンとっくのとうに考慮してる! 大半の奴らはそれで……いや、そんなモン考慮しなくても十分だったさ! だが、その中の数人……いやがったんだ」

 

「何がだよ?」

 

「テメエの大好きな論理とやらをぶっ壊す奴らがよ!!」

 

一体何の検証でシミュレーションしていたかは定かでは無いが、どうやら余計な雑音すら入る感情という概念を彼はシミュレーションにぶちこんでいたらしい。

 

それだけでも彼女を大いに驚かせたのだが、大袈裟な身振りでその時の不満を露わにした彼は、そんな超高度な予測でさえも裏切ったヤツらがいたそうだ。

 

感情に任せて吐き出されたその答えに彼女は呆然としていた。

 

「ついでに教えてやる。この計算泣かせのクソ野郎共にはある共通点があった。何だと思う?」

 

突然の問いに彼女の視線は下へと向けられた。高度なシミュレーションの予測範囲から外れる事など、どうやれば出来るのだろう?

 

感情という不確定要素が始めに頭へと浮かんだが、彼の持っていた代物はそれすらも考慮の内に入れてしまう。

 

いつもとは違う本来ノイズとなる物を探す作業。しかし、感情を超える不確定要素などそう簡単には思い付かなかった。

 

「……分っかンねェ。普通、一番ノイズになるモンが感情だろ」

 

腰に手を当て、溜め息混じりに彼女はそう返した。

 

そんな様子を見て、彼はニヒルな笑みを浮かべ、狂気的で不気味な目で彼女を突き刺しながら答える。

 

 

 

「ハッ! じゃあ教えてやる」

 

 

 

 

 

「全員、イカれてたんだよ……!」

 

 

 

 

 

「どいつもこいつも頭のネジがブッ飛んでたり、折れたりしてんのさ!」

 

 

 

その答えは、彼女の頭の中へすんなりと入っていかなかった。何度も脳内で反芻し、ようやく飲み込めたものの、それはそれで簡単に理解出来るものではなかった。

 

そもそも、何を基準にしてイカれてると言ってるのだろう。それすらも分かってないままなのだ。

 

「い、イカれてる……? ちょっと待て、イカれてるってどういう事だよ! 時々いるおかしなヤツの事言ってんのか? 意味分かンねェ……!」

 

人が狂気に焼かれた姿など、普通に生活していて見れる訳がない。平和な環境であれば尚更だ。

 

この世界は、人の本性を露わにするほど、追い詰める何かは存在していない。

 

「ハッ、いいか? 元々おかしいヤツは俺からしたらイカれてなんかねえ! ……何があっても意思が変わらねえ、根っこの部分が壊れねえ、おまけに止まらねえバケモンが本当の意味でイカれてるって言うんだよ!」

 

「ンなもん、ただ意思が固いだけ……」

 

「じゃあテメエ、レースにでる度にどっかの臓器ぶっこ抜かれるって言われてもまだ続けんのか?」

 

「……ッ!?」

 

この男は一体何を言っているのだろうか。流石にそう思わざるを得ないネジの外れた質問。

 

ハッキリ言って失って良い臓器などありはしない。出れたとしても数回が限度だろう。

 

というより、この状況での行き着く先は紛れもない死である。勝利と命のどちらに天秤が傾くかなど、もはや比べるまでもない。

 

だが、走れなくなるのは今の己にとっては死と同義。

 

 

 

それ故に、彼女は答えを出せなかった。

 

 

 

「おっと、意地の悪い質問だったな。まあ、本当にイカれてるのは今の質問をされても突き進むような奴の事だ。そんで、ぶっこ抜かれた臓器をどっかで移植してくっ付けて、その繰り返しで死ぬまでアクセル踏み続けるんだろうよ」

 

「まともな考えじゃねェ……」

 

「そりゃどうも」

 

常軌を逸した物事の考え方に、思わず顔を顰めるエアシャカール。それにぶっきらぼうな返事したハイゼンベルクは地面に転がっていた鉄の塊……ゾルダートパンツァーを肩に抱えるように持ち上げると、色々と荷物を纏めて歩き始める。

 

「悪いがお喋りは終わりだ。じゃあな、ロジカル野郎」

 

何とも腹立たしい別れの挨拶と共に、空へ登る一筋の煙は段々と遠ざかる。

 

今更ながら、学園の敷地内でそれにウマ娘の前で堂々とアレを吸っていた事実に気付く彼女だったが、あの意地の悪い性格の持ち主のことだ、きっと"バレなきゃルール違反じゃねえ"とでも言い張るだろう。

 

少し気張っていたせいか、それともこの時間のせいなのか、眠気が主張が少しずつ大きくなり始めた。明日に思いっきり響くであろうこの夜更かしで得たのは、面倒なヤツとの会話と訳の分からぬデータのみ。

 

データの確認また明日にするかと思いつつ彼女は早足で寮へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な……何だよ……コレ……!」

 

あの夜から数日後、授業やら何やらで忙しく、ようやく時間が取れた頃。エアシャカールはパソコンと向き合いながら、その表情を歪めた。それは、驚きというよりかは得体の知れないものへ向ける恐怖に近かった。

 

彼女のパソコンが映す画面は、ステータスの記録画面。さまざまな事象が想定されているこのソフトは、当然入力の履歴が残るようになっている。

 

故に、彼女はあの時あの男がどんなデータを入力して結果を出したのか、調べようとしていた。

 

それ自体は特に苦労せず抜き取れた。

 

だが、問題はそのデータそのものだった。

 

「こんなヤツ……存在するワケねェ……」

 

名前の入力欄に"M"とだけ書かれたそのデータ。性別は女性である為、ウマ娘なのだろうが、明らかにおかしいのだ。あらゆる能力値がウマ娘どころではない、地球上の生物のいいとこ取りをしてもまだ足りないぐらいの異常値だったのだ。

 

更に彼女を驚かせたのは、その対戦相手。二人分のデータが用意されており、そのどちらとも戦っている。だが、その者たちはウマ娘では無かった。

 

 

 

ただの成人男性だったのだ。

 

 

 

"E"と"C"の一文字の名前が付けられたそれらは、ウマ娘ではなくただの男。片方は異様にパワーの値が高いがただそれだけだ。それ以外に特筆すべき点など無い。要するに、ちゃんとした人間だと思われる値が詰まっている。

 

怪物と人。その勝敗はもはやシミュレーションを使うまでもなく明らかだ。

 

案の定、彼らは二戦とも負けていた。

 

「ふざけンな……! こんなバカげた差……何やっても埋まるわけねェだろ……!」

 

きっと、ウマ娘がバイクと競争して勝つ方がまだ可能性がある。それ程までにコレは圧倒的な差だった。

 

ただの嘘。偽装されたデータ。そんな言葉で一蹴出来たら、気分としては楽になっただろう。しかし、彼女の脳裏にはあのいけ好かない男の顔が浮かぶ。

 

わずかな時間ではあるが、彼と接した彼女の頭は囁いた。ドブを掬った方がマシな程、ムカつくヤツではあるが、あれは嘘を付かないタイプだ。

 

自身を全く飾らず、偽らない。

 

良くも悪くも正直者だ。

 

そんな彼への評価が、目の前の情報を嘘だと言い切ることの出来ない理由である。

 

「……仮定の話だ。もし、もし、この結果が嘘だとしたら……ひっくり返せる要因は……何なンだ……?」

 

感情がどうこうという差では無い。例え障害物のハンデがあったとしても、この差は覆らない。

 

人が乗り物に乗ったとしても、きっと負ける。

 

もはや戦いにすらならないだろう。

 

そして、考えはどこぞの工場長と同じものへと帰結する。

 

「結局、あるって事かよ……シミュレーションじゃどうにもならねェ所が……!」

 

あくまでこれは仮定した上での結論。物理的なデータから導き出した理論上での結論とはまた違ったものだ。普段ならノイズの一言で蹴飛ばす筈の不明瞭な点が多すぎる結果である。

 

だが、悔しそうな言葉の裏で、彼女の口角は僅かに上がっていた。

 

「なら、暴いてやる……! 今に見てろよあのクソ野郎!」

 

誰もいない寮の共有スペースでカタカタとキーを打つ音が響く。普段と同様に響く無機質なその音は、今までの焦燥を感じさせぬ、熱意に溢れたものだった。

 

きっとそれは誰かに止められるまで続くだろう。

 

 

 

 

 

なお、止まったきっかけがキーボードの上へと強引に置かれたカップラーメンだったのは言うまでも無い。

 

 

 

 




謎のデータ
M
女性
全てのパラメータが異常値。地球上に存在するのを怪しむレベル。間違いなく人間のデータでは無い。だが、ウマ娘だとしてもおかしい事には変わりない。

C
男性
成人した男性のデータ。殆ど常識内のパラメータなのだが、パワーの項目だけ凄まじく高い。エアシャカールが見た時、一瞬ウマ娘のデータと間違えた。

E
男性
成人した男性のデータ。特筆すべき点のない、The一般人。正直、何故これが入力されているか分からない程には場違い。



どこぞの工場長曰く、M vs Eの戦いではEが勝ったらしい。エアシャカールはその話を聞いて未だに納得出来ずにいるが、それも仕方ない事だ。

互いの言っている"戦い"の意味は同じでは無い。つまりこれは、齟齬だらけの落語のような話である。

だが、もしかすると二つの"戦い"に共通する何かがあるかもしれない。

全てが無関係と決めつけるにはまだ早い。
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