ハリー・ポッターと竜魂の学徒   作:ホグワーツの点字聖書

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 そろそろ足の感覚がなくなってきた。

 いくら絨毯を敷いてあるとはいえ、石畳の上に膝を折って座らされるというのは堪えるものがある。最初は痺れていただけの足がだんだんと温度を喪失している。

 東洋ではこれを「正座」と呼び、反省の意を込めて自らに課す罰として知られているらしい。最近ジャポニズム・アートにハマっているパンジーが言うのだからそうなのだろう。

 

「あんたってやつは、本当に……」

「いや、その、迂闊だった。反省している」

 

 ぎりぎりと歯を食いしばるパンジーの顔が目に浮かぶようだった。

 怒髪天を衝くとはまさにこのことだ。比喩表現ではなく、きっと沸き立つ魔法力でパンジーの髪はさながらメデューサのようにうねっているに違いない。

 

「目を離すとすぐこれなんだから! いっそリードで繋いでおこうかってくらいよ、本当に! 一生トカゲでいなさい、飼ってあげるから!」

「わ、私にも尊厳がだな」

「うっさい! ポンコツ! 大間抜け! 自称凄腕暗殺者!」

「うぐぐ……」

 

 情けない限りだが、プロメテアに反論の余地はない。刺客として長い時を過ごしておきながらこの様だ。初見の魔法に阻まれた、その程度のことは本来なら言い訳にもならない。

 何より彼女たちの怒りを買っているのが、プロメテアの自主退院だった。

 プロメテアとしては、傷が塞がっているのにいつまでも医務室のベッドで横になっているのは時間の無駄としか思えない。しかし、世間の常識はどうやら違うらしく、一般的な感覚では1週間程度は入院して様子を見るべきらしかった。

 

「アスティ、次はそこの催眠豆を全部鞘から出して」

「お姉様、全部は流石に……」

「大丈夫よアスティ、馬鹿につける薬はないって言うけれど、飲む薬はあるかもしれないじゃない?」

 

 どうやらプロメテアの大釜を使って魔法薬を作っている様子のグリーングラス姉妹も不穏なことこの上ない。

 聞こえてくる情報から察するに生ける屍の水薬を調合しているのだろうが、この高度な魔法薬は成分が強すぎると永遠の眠りにつくことになる。プロメテアは不安に身を震わせた。

 

「貴公を見ていると本当に飽きんな。呆れはするが」

「ミリィ……口添えを」

「ふむ、前にもそのようなことを頼まれた気がするぞ? その時はどう答えたのだったか。ああ、思い出したぞ。貴公のポンコツ具合につける薬がないということを否定する根拠は拙にはなさそうだ」

 

 味方はいなかった。

 それだけ心配をかけたのだろうし、彼女たちの言葉に否を唱えるほどプロメテアも情がわからない人間ではない。とはいえ、辛いものは辛いのだ。

 

「その……あれだ」

「なによ」

「今心配すべきはドラコだろう? さすがの私でも状況はわかっているつもりだ」

 

 へえ、とパンジーが感心したような声を上げた。

 幾分皮肉のこもったものではあったが、本心も混じっていたのだろう、パンジーはようやくプロメテアに足を崩すことを許してくれた。

 ミリセントに両脇を掴んで抱き上げられ、椅子に座らされる。扱いが赤ん坊と変わらないことに文句を言える立場ではなかった。

 

「そうね、今ドラコは……遠慮なく言えば、()()()()()()状況にある」

 

 淡々と説明を始めながら、パンジーがプロメテアの小さな身体を柔らかな毛布で包んだ。傷を思いやってのことだろう。

 スリザリン生の内部に蓄積していた鬱憤が爆発した。

 表面だけを見れば、稚拙なデモ隊がやったことはグリフィンドールへの攻撃だ。いつものスリザリン、と他寮には笑って流される程度のことでしかない。

 しかし、その中核メンバーを見れば話は変わってくる。

 ルーファス・ファッジ、これは道化だ。踊らされただけの神輿に過ぎない。問題はそれを担ぎ上げた上級生、シャフィクやカローといった排外主義の旧家だった。

 

「あの幼稚な集まりを、マルフォイ派は止められなかった」

 

 力不足。

 それは決定的なまでにドラコの評価を表していた。政治的な見方をすれば、マルフォイ家の次期当主であるドラコはシャフィク、カローの連合に追いやられたのだ。

 これは本来であればありえないことだった。

 あるいは往年のブラック家に及ぶとすら評価される近年のマルフォイ家は、英国魔法省の政財界における台風の目だ。どんな存在もその暴風からは逃れられない。

 ルーファスが伯父の威光を笠に着たように、ドラコもまた家格で彼らを黙らせることができるはずだった。

 

「ま、元はと言えばあれの蒔いた種だ。仕方あるまい」

「仕方ないで済ませるわけにはいかないでしょ、あたしたちにも無関係ってわけじゃないのよ」

 

 パンジーは悪態をついたが、否定はしなかった。

 そう、ドラコには致命的な汚点がある。彼は入学以来ハリーを目の敵にし、公然と侮辱してきた。それを今年になってきっぱりとやめた。

 どちらかであればよかった。ずっと悪意を向け続けるか、あるいは一度も敵対しないか。

 今や、ドラコは一貫性のないリーダーとして不安視されている。ただ彼は己の行いを悔い改めたというだけなのに、学生の幼く小さな社会では彼は「ポッターに折れた」ことになってしまうのだ。

 人倫から見て、ドラコは正しい。それはプロメテアも認める。

 しかし、同時にドラコはマルフォイ家の次期当主として相応しい選択をしなくてはならなかった。それがただ手遅れで、敵にそこを突かれたというだけのことだ。

 

「厄介な相手だな」

「そうよ、あんたが殺して済むわけじゃないんだから大人しくしてなさい。こっちの戦場じゃあんたは足手まといなんだから」

「返す言葉もない。……一応確認しておくが、連中につく気はないんだな?」

 

 口々に否定の言葉が返ってきて、プロメテアは安堵の息を吐いた。

 スリザリンは今、水面下で真っ二つに割れている。ドラコを筆頭とするマルフォイ派と、上級生であるカロー姉妹らを中核とした旧家連合だ。よりわかりやすく図式化するのであれば、穏健な純血主義と過激な排外主義だろうか。

 しかし、この図式には不自然な点がある。

 新興の家々や純血ということになっている、つまりマグル生まれであることを隠している生徒の一部まで敵方についているのだ。これは中核メンバーの思想を考えればありえないことだった。

 

「外側から煽られてますわね、これは」

「ダフネ、あんたもそう思う?」

()()()()()()()()方たちがあちらにつくメリットがありませんもの。真っ先に切られる尻尾ですわよ。自分から使い捨てられにいく気持ちって全然想像がつきませんわね」

「落ち着いてください、お姉様。どうか冷静に」

 

 プロメテアはほとほと嫌気が差していた。

 ただでさえ冬休みにはアズカバンで仕事があるというのに、心の潤いであるはずの学び舎がこの有様だ。どうして人間という群れは足を引っ張りあうのか。今になってプロメテアはアブラクサスの説教をもっと聞いておけばよかったと後悔した。

 学業に打ち込み、なにかひとつでも誇れるような成果を残せればそれで満足なのだ。いや、成果が残せなくともいい。実直に学んで、いっそ教師になってみてもいいとすら最近は思いはじめていた。

 

「……ミリィではないが、こう、横っ面を張るだけで解決しないものか」

「あんたまで脳筋になるの? トロールの多頭飼育って魔法法で禁止されてなかった?」

「おい、拙をメティと一緒にしないでくれるか」

「似たもんどうしよあんたらは。まあ、任せときなさい。すぐに尻尾を掴むわ。運輸部の伝手に探りを入れてもらってるから」

 

 パンジーはすでに動いている。

 驚くべきことに、旧家の跡取りたちはホグワーツの3年生ともなると自分自身の名義で魔法省の官僚とやり取りをするらしかった。プロメテアからしてみれば別世界の話だ。

 しかし、プロメテアは不安でならなかった。

 この小さな衝突と対立は、もっと大きな事件の前触れに思えてならない。占い学を選択したわけでもないのに、プロメテアの予感は警鐘を鳴らしている。

 大釜で煮立った水薬がごぽりと泡を吐いた。

 

***

 

 セドリック・ディゴリーは困惑していた。

 下級生に頼られるのは今に始まったことではない。世話焼きな気質は自覚していたし、その気質に見合った能力を身につけようと努力も重ねてきた。

 しかし、スリザリンの下級生に頼られるというのは初めての経験だった。

 

「それで……ノットくんだったね?」

 

 蒼白な顔で頷く彼――セオドール・ノットは、まるで死人のように身体を冷え切らせていた。

 事実、セドリックが見つけた時に彼は引きつけを起こしたように廊下で倒れていたのだ。飛び起きた彼を前にして悲鳴を上げなかったのは幸運だった。セドリックのポケットにチョコレートが余っていたのはもっと幸運だった。

 

「何も教えられない、他の人に相談してもいけない、だけど助けてほしいっていうのは……ちょっと無理があるよ」

「ごめんなさい。でも、どうしようもないんです」

 

 セオドールの要求はシンプルなものだった。彼が持っているおもちゃ、ぜんまい仕掛けの鳩をスリザリンのプロメテア・バークに届けてほしい。ただそれだけのことだ。

 しかし、彼自身が行かない理由も、同じスリザリン生を頼らない理由も話してくれない。

 はっきりいって不審だった。今、スリザリンはここ数年で一番きなくさい。ハッフルパフの生徒は皆、授業以外では絶対に地下牢付近を歩かないようにしている。

 この鳩がひどい罠で、セドリックやプロメテアを傷つけるものではないという保証はない。

 

「絶対に教えるわけにはいかない。特に、()()スリザリン生には僕のことを見られるわけにはいかないんです」

「君は……寮で何かつらい目に遭っているのかな?」

「いえ、その、そういうわけではなくて。ただ……ごめんなさい」

 

 信じる理由はなにもない。

 セオドールは土と埃にまみれていて湿ったにおいを漂わせている。髪はべっとりと濡れていて、身体はまだ震えているほどだ。

 

「……わかった、信じるよ」

 

 それでも、セドリックは彼を信じることにした。

 大した理由があるわけではない。ただ、本当に彼が困っているならば、ここで突き放したことで明日の自分はきっと後悔するだろうと、そう思っただけだ。

 セオドールはぱっと顔を明るくして、震える手で小さな木製の鳩を差し出した。

 

「クリスマス休暇の前日までに、必ず」

「わかった、クリスマス休暇の前日までだね」

 

 受け取った鳩は見た目に反して重かった。

 期日は迫っているが、プロメテアは目立つ生徒だ。渡す機会はきっとあるだろう。もしなくとも、セドリックなら地下牢まで出向くことができないわけではない。

 それに、セドリックにはプロメテアと話してみたいと思う理由があった。

 偉大な先祖――エルドリッチ・ディゴリーの遺したブローチが、ハッフルパフの黄色で縁取られたローブの内側で揺れている。




《ぜんまい仕掛けの鳩》
若き魔術技師、セオドールの手によるおもちゃの鳩
精巧に作られたそれは本物の命よりも重い

耳をすませばかすかに何かが聞こえる
歯車の刻む細やかな時の音
それはきっと、迫りくる運命の足音だ
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