依田芳乃さんお誕生日おめでとうございます。久しぶりにおとよりを書きました

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When you wish upon a star...

「晴れてよかったですっ!」

 

 悠貴は夜風をいっぱいに吸い込むように両手を広げる。梅雨時の湿気も初夏の熱気もどこへやらという様子で、今日ばかりは心地よい。

 

「頼んでみるものですなー」

 

 芳乃も悠貴の真似をするように空を見上げる。彼女の故郷よりも幾分か星は少ないが、雨上がりのお陰か十分に澄んでいた。月明かりも今日は休業、天体観測にはぴったりだ。

 なんでも今日は流星群が見頃とかで、悠貴の希望によって普段は閉じられている寮舎の屋上が開放されたのだ。とはいえ当然二人きりとはいかず、話を聞きつけた他のアイドルもちらほらと集まってきているが。

 

「芳乃さんは流れ星を見たこととかってありますか?」

「いえー。これが初めてでしてー」

 

 悠貴は別にどちらの返事を期待していたわけでもなかったが、いざ答えを聞いてみるとうれしく思う自分が居ることに気づいて恥ずかしくなった。照れ隠しに手を置いた貯水槽の柱は少しだけ埃っぽかった。

 

「そういう悠貴はー?」

「わたしも初めてですっ」

 

 本当は昔に一度見ようとしたことはあると言うか迷ったが、隠す素振りもなくうれしそうな芳乃を見ていると終ぞ言い出せなかった。

 

「そ、そうだ。芳乃さんはお願い事とか考えてきましたか?」

「願い事、ですかー?」

「はい。流れ星が見えたら、心のなかでお願い事を三回唱えると叶うんですよっ」

「なるほどー。では考えておくことにいたしましょー」

 

 反応からして本当に知らなかったようで、ああでもないこうでもないと空を見上げながら悩んでいる様子は悠貴の目にはとても不思議に映る。それが芳乃の魅力の一つであり、恐ろしくもあった。

 一通り目が慣れてきて、時間もそろそろ程よい頃合いのはずだ。よーし、と気合を入れ直す悠貴を今度は芳乃がからかうように笑った。

 

「どっちが先に見つけるか、競争ですねっ」

「望む所でしてー」

 

 暫し無言のまま、二人は空をじっと見つめる。Tシャツの袖が触れるくらいの距離がもどかしかった。何か言おうかと考えを巡らせたその瞬間だった。

 

 きらり。というよりはチカッ、と何かが掠めたような光だった。あっ、と意味を持たない声だけが発される。

 

「芳乃さん、今のっ!」

 

 悠貴は興奮気味に芳乃の方を向く。芳乃は目を瞑り、祈りを捧げていた。

 

「芳乃さんも見ましたっ!?」

「はいー。あちらの空にー」

 

 そう言って芳乃が指した先は、悠貴が見たものとは別の方向で。

 

 途端、得も言われぬ空虚が訪れる。熱が冷める。悠貴はそれを受け入れられない理由すらもわからないまま、じゃあ同着ですねっ、と笑うことしか出来なかった。

 自分の願い事なんかどうでもよくなって、流れ星を見てしまった記憶を消してしまえたらとも思えた。

 

 

 

 結局その日は、二人が再び流星を見つけることは叶わなかった。それでも二人は夜空を見上げ楽しく語らったのだが、悠貴の感じた寂しさとも嫉妬とも違うもやもやが消えることは無かった。

 

 それから二人は寮ですらしばらく顔を合わせなかった。避けていたというわけではなく、純粋に予定が合わなかっただけだ。特に悠貴の仕事が重なっていて、それに加え臨時の代役などもあったものだから、二人のやりとりは専らスマホを介したものになっていた。

 

『それじゃあ、また明日』

『おやすみなさいませー』

 

 充電器をスマホに差し込みながら、悠貴はあの日の出来事を忘れられずにいた。

 

 

 

 眩しかった。

 

 朝焼けが。鏡が。テレビがスマホが水溜まりの反射が。

 

 眩しかった。

 

 瞼の裏まで眩しかった。だから布団を被った。それでも眩しい。

 

 なのに。

 

 夜空だけはからっぽだった。からっぽのくせに、暖かかった。

 

 どうして。

 

 夜空を眺めることしかできないのに、星は見えないのだろうか。願いは叶わないのだろうか。

 

 違う。

 

 私が、願ったのは―――

 

 

 

「ほー?」

 

 俄に信じ難い話だった。芳乃は遅めの朝食飲み込み、呼吸を整える。

 

「確かに、悠貴さんの気配はありませぬー」

 

 芳乃が首を横に振ると、寮内がいっそうざわつく。芳乃が起きたときには既に居なくなっていて、部屋の窓は開けっ放しだったらしい。

 悠貴は早朝に外を走りに行くことがある。最初はそれだろうと思っていたが、書き置きも無しで昼前になるまで出かけるのは不思議な話だ。そう思って確認した所、連絡は不通、挙句の果てに靴も置きっぱなしというわけだ。

 

 当然、プロデューサーへの連絡も済んでいるそうだ。そろそろ現場入りの時間らしく、まだ新米の彼はそうとうに焦っていたと聞いた。

 

「それではわたくしも捜索の手伝いを――、はてー?」

 

 身なりを整えていると、とんとんと背中をつつかれる。こずえだった。

 

「ついて……いくー?」

「手分けしたほうがよろしいかとー。別段妖異の気配はありませぬー」

「そうー……じゃあ、これー」

 

 手渡されたのは赤い短冊。芳乃にも色違いのものが一枚配られていて、七夕に向けて寮の玄関に飾るから一人一枚書くようにと言われているはずだ。

 

「こずえー? 自分の分は自分で書くべきでしてー」

「ちがうよー。これ、ゆーきのへやにおちてた」

「ふむー?」

 

 これをわざわざ部屋から持ってきたこずえの真意は掴みかねたが、こずえにも何かの思惑があるのだろう。

 

「それではこれをあるべき場所へー、まずは事務所へ向かいましてー」

 

 曇り空から身を隠すための傘を一本、傘立てから引き抜いて。芳乃は事務所へ歩く。

 

 

 

「いや。事務所に帰ってきた記録はあるね。時間的にプロデューサーが寮まで送ってる時間だろうし、やっぱり寮に居るんじゃないのか?」

「もっともでしてー。とはいえ寮内は既に捜索済みでしてー。そこでー」

「そこで、探し慣れしてるオレに聞いたってワケね。残念ながら志希だって居なくなる時に靴を置いていったことはないかな」

 

 やれやれといった様子で笑ってみせるのは志希のプロデューサー。結果は空振りに終わったが、探し物とは本来一遍に答えにたどり着くのではなく、虱潰しに行うものなので当然といえば当然のことだ。

 

「逆に言えば、靴を履かなくて良い所を探したらどうだ?」

「というとー?」

「そりゃあ……まずやっぱり寮だろ? 後は長靴みたいな普段と違う靴を履いて行く場所とか、うーん、やっぱり変だな。無しで」

 

 志希なら何かわかるのかもしれないけどなあ、と頬をかく。本人は今ごろ地方営業に居るはずなので、手伝ってもらうどころか聞くことも憚られるわけだが。

 当然寮の全員の部屋をチェックしたわけではないが、匿うもしくは誘拐することは難しい。そのくらいであれば芳乃が感知出来るはずだし、そもそもメリットがない。

 悠貴が望んで姿を消しているなら追うべきではない、というのはとうの昔に割り切っている。仕事に支障が出ているというのが建前で、悠貴の傍に居たいというのが本音だ。

 

 レッスン室、学校。思いつく限りを巡るうちに日が暮れた。もしかしたら帰ってきているのではないかと考えながら帰路についたが、当然そんなことはなかった。

 

 

 

 夕暮れが苦手だ。

 

 水面まで赤に染められていくのを見ていると、どこか急き立てられているような気持ちになる。

 芳乃は自分がおっとりしたほうだと自覚しているが、解決の糸口もないままにじっと待つことの辛さをここまで意識したのは初めてだった。

 まだ島にいた頃は門限が厳しかったことを思い出して、そのせいだと決めつけることにした。それでもどうしても沈みかけの太陽の縁に視線が吸い込まれる。

 

 その眩しさを追いやるように、目を瞑った。

 

 

 

 次に瞼を開くときには、辺りは真っ暗になっていた。いつの間にか寝てしまっていたようだ。

 

「これはー?」

 

 何故か、右手に握っていたのはあの短冊だ。少し皺をつけてしまったので、後で代えを用意する必要があるだろう。

 

 時計の針はちょうど七時を回っていた。今日は当番ではないが、夕飯の用意を手伝っておくべきだろう。芳乃は髪を結い直し、自室を出たところで異変に気がつく。

 

 静かだった。話し声どころか、物音一つ聞こえない。そもそも、人の気配が全くと言っていいほど無かった。

 

「ふむー、どこに行かれたのでしょー」

 

 上履きをぺたぺたと鳴らしながら寮を一周する。ところどころに人が居た形跡はあるものの、肝心の人間は誰一人として見当たらなかった。とりあえず手にとったテレビのリモコンは、電池が切れてしまったのかうんともすんとも言わないままだ。

 

 当然、何か妖魔の仕業かと疑ったが、その気配も無い。こうなっては仕方ないので、外に出てみるべく玄関へ向かう。手近なコンビニにでも向かって、それでも人が居なかった場合は――居なかった場合は、対策はともかく、何か人ならざるもののせいであると断定してしまってもいいだろう。

 自分の靴以外すべて空っぽの靴箱を不気味に思いながら、玄関の戸に手をかける。

 

「―――っ!!」

 

 自分のものでない物音がして、芳乃は背後にさっと身を引いた。背後から倒れかかってきたそれは、芳乃の眼前をかすめて倒れ、カァン、と乾いた音を立てた。

 

「偶然紐が緩んだ、とは思えませぬなー」

 

 縛りつけてあったはずの七夕笹が、突然倒れかかってきたのだ。それそのものに妖気はなかったため、元の場所に戻しておこうと手をかけて、芳乃は異変に気がついた。

 かけてある短冊はすべて、寮のみんなが願い事を書いているはずだった。それなのにこの短冊はどれも五色のどれかですらなく、真っ白のままだ。

 

 もしやと思い、懐から悠貴の短冊を取り出す。その短冊だけは真っ赤なままで、それでも書かれているはずの願い事は読めなかった。

 これが一体どのような意味を持つのか、芳乃にはわかりかねた。しかしやるべきことの見当はついた。それで十分だ。

 芳乃は靴を掴み上げ駆け出した。目指すところは一つしかなかった。

 

 

 

 奇麗な夜空だった。もしかすると島で見たものよりも鮮明かもしれないくらい煌々と輝いている。

 芳乃はあの日流星を眺めたのと同じ場所で、真っ赤な切符を取り出す。

 

「迎えに参りましたー。悠貴を返すのでしてー」

「駄目だ」

 

 低い嗄れた声が空から降ってくる。当然だと言わんばかりの傲慢さに芳乃は些か腹が立った。

 

「そちらの都合で人に干渉するとは、天の神様も堕ちたものですなー」

「神ではない。我は牽牛。ただの牛飼いよ」

「して、その牛飼い風情が、下界にいかなる御用でしょうー?」

 

 芳乃の言葉を聞き、牽牛は心底おかしそうに笑い出す。そうして、笑い疲れたように、ため息を吐いた。

 

「……務まらぬのだよ。牛飼い如きにはな」

「それで、代わりに悠貴を、とー?」

「ああ。それでいいではないか。牛飼いはあの人間に、織女は貴様にくれてやろう。時代に合わせて変容し生き永らえる。その螺旋こそが人間らしいとは思わんかね?」

 

 あまりにも傲慢な考えに辟易とする。長い年月を経て疲弊してしまったとしても、それに同情するわけにはいかなかった。

 

「そなたの苦しみには同情しても、悠貴がその苦しみを受け継ぐ理由にはなりませぬー」

「ほう、それが本人の願いだとしても?」

「そなたは幸いの意味を履き違えておりますー。仮に誰の願いであれ、そなたの願いを叶えるために用いればそれはそなたの願いに違いありませぬゆえー」

 

 そうでしょう、悠貴。

 短冊を振り翳し、貯水タンクの物陰を指差す。悠貴が今にも泣きそうな表情をして姿を表した。

 

「さあ、わたくしと一緒に帰るのでしてー」

「ハハハ、人間がひとたびここに踏み入り、無事で帰ろうなどと」

「ええ。人間だからこそ、この地からの帰還が叶いましょうー」

 

 芳乃は短冊をもう一枚取り出す。そこには何かが書かれていたが、悠貴からはよく見えなかった。端からきらきらと光が零れるそれを、ゆっくりと空に溶かしていく。

 

「在るべきことわりを、有るべき形へー。祈りを導きたまえ――」

 

 

 

 

「悠貴ー?」

 

 瞼を開けると、すぐ目の前に芳乃の顔があった。心配するというわけでもなく、隣に座って悠貴の顔を覗き込んでいる。

 

「わわっ、芳乃さん」

「もう大丈夫でしてー。あの人さらいは退治しておきましたゆえー」

「人さらいって……」

 

 こともなさげに言ってのける芳乃に手を貸され、立ち上がる。屋上から見える空は夕前だと思っていたが、陽の向きからして朝日だったとわかった。

 

「芳乃さんっ」

「なんでしょうー?」

「もし、よかったら――まだ半年くらい先ですけど、初日の出を見に行きませんかっ?」

 

 二つ返事に、悠貴の顔がほころぶ。性懲りもなく、なのかもしれなかったが、それがよかったのだ。

 

 

 



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