月曜日の学校というものは、登校するまでは怠い。しかしいざ教室まで辿り着けば、休日でリフレッシュした元気な友人たちが待っている。だからか、学校中で響く話し声はいつもより楽しげで騒がしかった。
そんな姦しい教室へと登校した
しかし始業前の賑わいを見せる教室に、彼女の姿は無かった。
「………」
それも当然かと、爽は納得しかけて。
しかし背後から話しかけられる。
「おっはよー、爽!」
「え。……
振り返るとそこには、元気よく手を挙げ挨拶する朔月の姿があった。
「アンタ……」
「いやー、朝から先生に手伝いを言い渡されちゃってさー。けっこーあるんだよね、私ってば朝早くからいるから」
ニコニコと笑ってそんなことを話す朔月は、普段通りの様子だ。
いや……爽の前では違う。何故なら出会ってから彼女はずっと、ライダーバトルのことを憂いていたのだから。
それなのに、今は。
「それより学校生活四日目……日曜日挟んで三日目だけど、鹿毛野には慣れた? あ、そういえばこの前音楽室案内し忘れたかも。今日授業あるから、迷わないよう一緒に行こうね!」
いっそ、溌剌としているように見えた。他の生徒たちと同じく、元気に学校を楽しもうとしているように。
しかし爽はその瞳を覗き込んで、息を呑む。
「朔月……アンタ……」
「ん? どしたのー?」
瞳は、虚ろだった。
ここじゃない、どこかを見つめる遠い眼差し。あるいはどこも見ていないのか。深淵を眺めているような心地になる、吸い込まれるように暗い瞳だった。
「それ……」
「ん、あ、ごめーん! 用事あるから行くねー!」
そう言って朔月は、何か聞こうとする爽の前を離れ他の友人へと話しかけに行く。声をかけられたクラスメイトは朔月の様子に何か違和感を覚えつつも、特に気にせず朗らかに応える。そこには常通りのクラスの風景が繰り広げられていた。
だが、爽は知っている。
彼女の身に、何があったのかを。
「……朔月、アンタは……」
爽は昨日、三つ巴のバトルを生き残った。
相手は
そして終わり間際、響いたノーアンサーのアナウンス。
そこで知らされたのは、もう一方のバトルの決着。
死んだ二人の名と、語られなかった一人の名。
それは、朔月が再び人を殺めたことを意味していた。
「………」
「おーい、席に着けー」
時間ギリギリにやってきた中年の教師がそう呼びかける。朝のホームルームが始まる合図だ。
話す機会を失った爽は、慌てて席に着く朔月の背を見送ることしか出来なかった。
その後爽は、朔月へ何度もライダーバトルについて話そうとした。バトルの規定で他人の前で話す訳にはいかないので、人気のない場所へ誘おうともした。
しかしその度に朔月は、適当な訳を言ってはぐらかす。表面上は爽と楽しげに会話するが、いざライダーバトルの話をしようとするとすぐ別の話題へ移る。強引に話そうとすれば人のいるところへ逃げ出し、何事も無かったかのように今日の授業の話を再開した。
明らかに、ライダーバトルの話を避けている。
爽は押し黙るしか無かった。
放課後になって、朔月は帰路についた。
流石に友人たちと遊ぶという気分では無いらしく、一人きりだ。
爽は家族に遅くなる旨をメッセージにして送り、後をつけた。
朔月はその間、無防備だった。爽は別に探偵でも無いので尾行は素人だ。しかしそんな爽にも気付く気配は無い。それどころか何度か人にぶつかりかけたり転びかけたりと、心此処にあらずといった様子だ。まるで夢遊病者のような足取りに、爽は不安を覚える。
そして辿り着いたのは、一つの一軒家だった。
慣れた手つきで鍵を開け中に入るのを見届けて、爽は表札を見た。
『
「……別に、普通の家ね」
特段異常のある家ではなかった。少なくとも外見上は。
しかし爽は知っている。その中身は、既に家族とは呼べないほど崩壊しきっていることを。
「……話せるかな」
つい家まで尾行してしまったが、本当はどこかで話すチャンスが無いかと思ってつけてきたのだ。それがあまりにも心配な行動ばかりする物だから、うっかり話しかけるタイミングを見失ってしまった。気付けば家まで辿り着いてしまっていたが、好都合は好都合だ。家の中ならば関係ない人へ話を聞かれるリスクを下げられる。
爽は意を決しインターホンを押そうとしたが……それより前に家の中から聞こえてきた罵声に手を止めた。
女性のがなり声だ。朔月では無い、年配の女。
普通に考えれば、母親だ。しかしその言葉の内容は、娘にかけるような物では無かった。
「……何これ……」
『不気味』『口ごたえするな』『顔も見たくない』――『お前なんて、産まなきゃよかった』。
そんな、爽は一つとして言われたことの無いような言葉の羅列が怒濤に連なっている。
それを聞いて呆然としていると、やがて扉が内側から開けられた。
「……あれ、爽?」
そこには、学校で見た時と同じように虚ろな目をした朔月が立っていた。
まるでこれからコンビニにでも行こうとしているかのように、平然と。
「なんで? あー、でも」
何故爽がここにいるのか見当が付かず首を傾げる朔月だったが、背後の廊下から怒気を漲らせた気配が近づいてくるのを察すると、爽の手を掴んで飛び出した。
「っ、朔月?」
「こっちこっち!」
そのまま手を引いて、走り出す。
何か後ろから聞こえてくる罵声は、聞こえないフリをして。
そうして辿り着いたのは河川敷だった。
傾き始めた陽射しが照らす水面はキラキラと輝いている。星空のようなそれを見下ろせる坂に二人は腰を降ろす。川を見つめながら、朔月は隣の爽へ呟いた。
「私はここで、おまじないを唱えたんだ」
「! ……そうなんだ」
つまりそれは、悲劇の始まりだ。
爽は複雑な表情で川面を眺める。そして呟き返した。
「アタシは、自分の部屋だよ。お母さんが
今にして思えば……と爽は回想する。
ノーアンサーはきっと、自発的に唱える人間のところにのみ現われたのでは無いだろうか。願いを持つ少女、あるいは何かを変えたいと思う少女の元にだけ現われ、あのおまじないを教えたのかもしれない。全てを見通すような態度と神出鬼没な能力を考えれば、そう思えてならない。
その想像は、つまり……どう足掻いても、殺し合うような人選を。
仕組まれていたということに他ならない。
「……それで、どうしてここに?」
恐ろしい想像を振り払うように、話題を変える。とはいえ、変えた先の話も決して気の晴れるような物ではないだろう。
そう想像しながらも、聞かずにはいられなかった。
「うん。……お母さんの虫の居所が悪かったからさ。何か話すのなら、ココの方がいいと思って」
朔月はやはり、虚ろな目で答えた。
「あれは……あの、言葉は、いつも?」
「ううん。顔を合わせないことも多いから。けどお母さんは私が楽しそうにしていることが許せないみたいで、笑っている時は嫌みを言われることが多いかなぁ」
楽しそう?
そんな訳がないと、爽は心の中で断じた。朔月に何があったか知っていればすぐに分かることだ。知らなくても、友人たちは違和感を覚えていた。
だが母親は、気付かなかった。何にも。
つまりそれが、二人の関係の浅さその物だ。
「そう……なの」
まるで他人のような距離感に、爽の胸は締め付けられる。しかし今、自分が何を言おうと更科家の問題を解決出来る訳がない。だから押し黙る他なかった。
だから結局、爽に出来ることは。
「……昨日のライダーバトルで、何があったの」
最初の目的を果たすことしか無かった。
さぁっと風が流れる。河川敷に吹く草の匂いを強く孕んだ風。その心地よい風が凪ぐまで、二人の間には重い沈黙が降り続けた。
やがて、朔月は膝に顔を埋めてゆっくりと言葉を紡ぎ始める。
「……ナイアが、真衣を殺した」
「!」
顔を思い返す。言葉をまともに交わしたのは始まりの一日だけ。それでもその顔は鮮明に浮かぶ。
あの子が、あの子を。
「ナイアは……愉しんでた。人を殺すことを、嗤って」
「………」
その性根を、クズだとか狂っているとか、爽は断じることはしない。
人を殺すことを選んだ時点で、結局は自分も同じ穴の狢であると分かっているから。
「真衣は、体中を滅多刺しにされて……すごく苦しそうな姿で、私の腕の中で死んだ。……顔は、安らかだったけど、どれだけ苦しんだかは、想像も出来ないような……血塗れの身体で……」
交えた言葉は微かなれど、真衣の性格は爽にもよく分かっていた。決して争いに向くような気性では無い少女。ライダーバトルという戦禍に呑まれてしまった、か細い令嬢。
だがその真実の姿は、爽の印象とは少しだけ違っていた。
「真衣は、私に遺言を言ってくれた。……戦って、ほしいって」
「! それ、は……」
最期まで戦うことを願い、そして自らの意志で戦う道を選ぶことさえ出来なかった少女は、自分の二の舞にならぬよう自分を看取ってくれる者への言葉を遺した。
『……あなたは、たたかってください……いきて、ほしいか、ら……』
それは、戦うことの出来なかった自分の代わりに、生き残ってほしいと紡いだ言葉。
しかし、それは――。
「だから……だからね」
顔を上げる、朔月。その瞳は、相変わらず光無く。
「――戦うって、決めたの」
そして、虚ろな決意で定まっていた。
「……朔月、それは」
思わず声に出そうとして、しかしその先を飲み込む。
自分は、何を言おうとした。それは、戦うことを決めた自分には言う資格のないことだ。
だが、あんなに悩んで、戦うことに苦しんでいた少女が、こんなにも――。
「もう私は、止まれない。止まっちゃいけないんだ。だから、最後まで戦わなきゃ駄目なんだ。そうじゃないと……死んじゃったみんなを、裏切るから」
決して、呪いとは言い難い。真衣の遺した言葉は。
それは確かに真衣の願い通り、朔月の背中を押し、支えてはくれている。でなければ朔月は、もっと壊れていただろう。罪悪感に押し潰され後悔し、動くことも出来ずにただの肉塊へと堕していた。
だが同時に、祝福でもあり得ない。それは悲壮な覚悟を――決めさせてしまっていた。
「私はもう、戦わなきゃいけないの」
もう、そう縋るしかなかった。
でなければ、人を殺した意味は無い。
それは人では無く、ライダーバトルの参加者としては正しい倫理だった筈だ。己の願いを叶える為に殺し合う。それは悪辣なバトルロワイヤルにおいて、もっともスタンダードな決意であった。その点で言えば、爽と朔月に差異は無い。
それでも爽は言った。
「……その先で、何を」
「え?」
だって朔月には、決定的なものが欠けていたから。
「何を――願うの?」
それは、願い。
このバトルへ参加した、各々の本当の目的。
決して己の身では不可能な望みを、叶える為の。
「朔月に……願うものはあるの?」
「私、は」
答えようとした。だが、舌先は何も紡がない。紡げない。
心の中に、その答えが無いからだ。
「私は……」
勝ち残って、その先に、何も無い。
叶えたい願いも、そして生き残る意義も無かった。何故なら、生きていたところで――。
これからの人生に、幸せなどあるのだろうか。
「わたし、は」
罵声を浴びせる両親。見えぬ将来の展望。そして何より、心を押し潰そうとする罪悪感。
戦うと決めた。故に罪の意識をその薪として前には進める。
しかしそれならば、戦いが終わった後は?
後に残った虚無に、どう立ち向かうのか?
「………」
何も、無い。朔月の心には最初から何も無かった。強い願いもなりたい将来も添い遂げたい人も、何も。あるのはただただ何も出来ず流されるだけの、そして決定的に歪んでしまったか弱い少女の人格。先のことなど、何も考えられない。
だけど、それでも。
「……でも、戦わなきゃ、いけないんだ」
そう、答えるしか。
今の朔月に、それ以上は無かった。
「私は、そうしなきゃ。じゃなきゃ、みんな何のために死んだの?」
絞り出すように紡ぐ。汲んでも汲んでも溢れ出る悲しみという冷たい水に晒された、凍えきった言葉を。
「志那乃を殺してしまった過ち! 真衣から託された願い! ナイアを止められなかった罪! それをどうやって償えばいいの!?」
「……朔、月」
「分かんないんだよ……何も……。だからせめて、私は……変わらず、戦わなきゃ駄目なんだ……」
あまりにも痛々しいその様子に、爽の息が詰まる。変わってしまった少女の姿。そしてその運命に導いた、ライダーバトルの残酷さに。
何も言えず、再び沈黙が場を支配する。気付けば夜の帳が下りていた。川沿いの道路を照らす蛍光灯がチチチと鳴って光を灯す。
黙りこくった二人は、そのまま時間を過ごした。
そして、その時が訪れる。
「……あ」
「……来た」
二人の胸元が光を放ち始める。光源を取り出せばやはり、マリードール。バトルの時間だ。
「うん、そっか、来ちゃったか」
一人頷き、立ち上がる朔月。釣られて爽も立つ。
二人は並んで、見つめ合う。
「もしかしたら、また爽と戦うことになるのかな」
「……それは」
それは、朔月の忌避したことだ。
二日目のあの日、彼女は最後まで抵抗した。だから二人は死なずに済んだ。血姫の攻撃を耐え続け、ダムドの群れから爽を守り、そして一緒に撃破したから、今こうして二人揃って立っていられる。
朔月が、戦いを望まなかったから。
だが、今は。
「でも、だとしても」
朔月は制服のポケットに手を入れ何かを取り出した。手を開いて爽に見せたそれは、鍵だ。レリーフには、特徴的な意匠が刻まれている。
黄金で描かれた、玉座に座る騎士王。水色で刻まれた、水面の月を泳ぐ鮫。
「それ……」
見て理解する。そのレリーフに、閃くものがあったから。
「そう。これは、私の罪。私の咎」
今朝朔月が目を覚ますと、机の上に当然のように置いてあったグレイヴキーだ。しかも二つ。乖姫のキーは本来ナイアの物となる筈だったが、どうやら勝者は総取り出来るらしい。
救えなかった人。殺してしまった人。しかしどちらも、見過ごしてしまった死。自分の罪悪。
「私は……戦う」
手にした物を握り込むその顔には、悲壮な決意が浮かんでいた。そして凪いだ瞳は揺るがない。
「例え爽が相手だとしても。もう逃げられない。戦うしか……無い」
少なくとも、今は。
何を言われようと、意志は固まっていた。
「……そう、ね」
その言葉に爽は……頷くしか、無い。
他ならぬ自分こそが、戦いを望んでいるのだから。その覚悟を朔月も決めただけ。それだけの話、の筈だ。
「戦う……最初から、そういう話だものね」
それなのに何故――胸はこんなにも痛いのか。
この心に刺さる棘の正体は、一体。
「……なのに、ね」
朔月の真っ直ぐな瞳を前に、爽は己の裡の戸惑いに迷う。
奇しくもそれは、かつての逆だった。
「……爽?」
「………」
首を傾げる朔月へ、何も言えないでいる内にその姿は薄らいでいく。
転送が始まった。なら次に会うときは、戦場でか。
あるいは、終わった後か。またあるいは――もう、会えないか。
そのどれも――嫌だと思いつつ、二人は決戦の地へと飛ばされた。
朔月が目を開けると、そこは河川敷とはまったく違う場所だった。
清潔感のある白い床。走り回れる程に広いが、屋内。上を見ると吹き抜けが何階も続いている。一番上は、霞んですらいた。
ビル。それも、あの廃墟の時の物とは比べものにならないくらいに巨大な。
「ここが……今日の戦場」
呟けば反響が帰ってきそうな程に静まった空間で、朔月は一人呟く。相変わらず無人。ダムドはいるのかもしれないが、今はその気配も無かった。
しばらく周囲を見渡していた朔月は、今回の敵を探すべく歩き出す。
今残っているのは、四人。であるなら、対戦方式は二つに絞られる。
一対一か、四つ巴か。
「………」
爽と戦う可能性は高い。それでも、朔月は歩みを止めなかった。
隠れる必要も、戦わない選択もない朔月は前回とは違い堂々と歩く。ビルの中はかなり広く、普通に歩いているだけで微かな疲労を覚える。
そしてそれなりに長く探索した後、目当ての人物は向こうから現われた。
「……あら」
「!」
まるでショッピングモールを散策するような気軽さでエスカレーターを降りてきたのは、銀フレームの眼鏡を掛けた少女であった。
「貴女ね、今回の相手は……ええと」
「……更科、朔月」
「そう、更科さん。今日の相手は貴女……ということかしらね」
傲慢な仕草も隠すこと無く降り立つ。毅然とした態度は、まるでこの場の非日常性を物ともしていないかのようで。
「そちらの知能指数では忘れてしまっているでしょうから、こちらも改めて自己紹介を。私は
そして長々と話すことなく、マリードールを手に取った。
「お見知りおきは……しなくていいわ。どうせ後数時間の命だもの。――変身」
《 Intelligence 》
《 光輝なる 私!
偉大なる 私! 》
輪花の肢体が黄色い光に包まれる。問答無用の変身に、朔月もマリードールを手にし、出現させたドライバーへと装填した。
「変身!」
《 Silver 》
《 戦いは止まらない 何故?
運命は変わらない 何故? 》
もう何度目になるのか、この音声を聞くのは。そして後、何回聞くことになるのか。
そんな思いを振り払って、朔月は銀の光を身に纏う。
光が晴れた時、そこには二人の戦士が対峙していた。
一人は黄色の機械装甲に包まれた戦士。輪花扮する仮面ライダー才姫。
一人は銀色の甲冑を身に纏いし戦士。朔月の変身する仮面ライダー銀姫。
吹き抜けに面した廊下で両者は相対し、それぞれの仮面についた複眼を妖しく光らせた。
「ふふふ。準備万端ね。話が早くて助かるわ」
「いいから、やるなら始めようよ」
対話を切り捨てた銀姫は迷いなく剣を手に取る。銀色の刀身が明かりを反射しその鋭さを彷彿とさせた。一方で才姫は無手だ。
「……武器は使わないの?」
「ふふっ、気が引けるかしら? でも構わないわ、だって――」
訝しむ銀姫へそう答えながら。
才姫は数メートルの距離を一瞬で縮め、銀姫の眼前へと迫っていた。
「っ!?」
「必要ないもの」
突き出される拳。躱しきれず銀姫は胸を打たれる。胸甲に硬質な音が響き、衝撃で肺の中の空気が押し出された。
「かはっ!?」
「ふっ、はっ!」
動きの止まった隙を逃さず、才姫は連撃を加えていく。スピード重視のジャブに、鋭いハイキック。どれも打撃は軽いがとにかく速い。文字通り息もつかせぬ猛連打に、銀姫は翻弄される。
「――っはぁ!」
それでも身を固めて耐え、息を大きく吸い込む。今まで何度もライダーの攻撃には晒されてきた。竈姫の銃弾に、血姫の斬撃に、冀姫の突きに。才姫は確かにその中では一番速いが、打撃力は左程では無い。痛みはあれど充分堪えきれた。
息を取り戻した銀姫はお返しと言わんばかりに細剣を横薙ぎに振るう。範囲の広い、避けにくい一撃。だが才姫は反応し、バックステップで刃圏から逃れていた。
「ふぅん。防御力があるのは厄介ね」
そしてそう呟いた次の瞬間には、再び銀姫へと肉迫している。
「っぅ!」
突き出された拳を見て、咄嗟に腕を盾にしてガードを固める銀姫。しかし才姫はそれを見てから軌道を変え、ガードを躱す抉るようなサイドブローを脇腹へ叩き込んだ。
「がはっ!」
ノーガード、かつ装甲の薄い部分を的確に叩かれ膝を突く銀姫。痛痒を見せる獲物に対し才姫は容赦無く追撃をする。
拳が、蹴りが、手刀が銀姫を嵐の如く襲う。
才姫の、特に厄介な点だった。
動きの全てが高速である為に、攻撃も回避も速い。その上反応も鋭敏であり、不意を突かない攻撃は容易く避けられてしまう。そして逆に、相手に出来た隙へ素早い連打を叩き込む。
速い。故に、強い。
「ふっ、ふっ、ふっ!」
「く……ああぁぁ……っ!」
「ふっ! あはは、どうしたのかしら。手も足も出ないとは正にこのことね!」
叩き込まれる乱打。装甲は貫けずとも、その下の肉体まで衝撃は届く。敵対者を追い詰めていく確かな手応えに才姫は微笑を浮かべた。
だが銀姫は才姫の気が緩んだ一瞬を捉えた。打たれる痛みを気合いで堪え、低くなっている自分の姿勢を活かす。手を伸ばし、蹴り上げた隙を狙い軸足を掴んだ。
「何っ!?」
不意を突かれ驚愕する才姫の脚を引き倒し、そして膂力を振り絞って――ぶん投げる。
「はあああぁぁっ!!」
ぶぉんと音を立て、宙を舞う才姫。投げ飛ばされた先は吹き抜け。このままでは階下まで真っ逆さまに落ちてしまう。
「お、お、おおぉぉ!?」
如何に才姫が高速移動出来ると言っても、空までは飛べない。落下死の予想という冷たい悪寒に背筋を震わせた才姫は、その優れた頭脳を必死に回転させた。落下速度、軌道、周囲の障害物などに素早く目を巡らせ、打開策を見いだす。短い時間の内に計算を終えた才姫はすぐさま行動に移った。
「く、おおおぉぉ!!」
まず才姫というライダーの性能を活かし、高速移動で空中の姿勢を変える。そして必死に脚を、限界までピンと伸ばす。まるでアイススケーターの如く限界まで引き延ばした爪先は辛うじて階下の手すりに届く。だが引き上げられる程には引っかからない。だから足首のバネを使った。小さな蹴り。だがライダーの身体能力によってまるでピンホールのように跳ね、才姫の身体は対岸の廊下へと……どうにか届いた。
間一髪で滑り込む。助かったことで、才姫はホッと息をついた。
「っ、はあああぁぁ……! まさか、この私が死にかけるとは……!」
優勢の油断を突かれたとはいえ、なんたる無様。才気溢れる自分がこんなことで死ぬなどあってはならない。才姫はそう自戒し、気を引き締めて上階に残った銀姫を睨み付ける。
そして悟った。自分の機転によってどうにか助かったことすら、銀姫の打ち立てた戦いの組み立ての一幕だったと。既に殺し合いの中で培った銀姫の戦闘勘は、自分を超えていたのだと。
「! それは!」
「………」
銀姫が真に欲しかったのは――時間。
手にした青い鍵を、己のドライバーに差し込む瞬間だった。
カシャンと奥まで届いた感触。回して流れ込むのは、白い空間のイメージ。
前と同じような空間に浮かんでいたのは、予想通りナイアだった。
やはり一糸纏わぬ透けた姿で在るナイアは、しかし志那乃と違って微笑を浮かべていた。
まるで友人を眺めるような微笑み。だがその眼差しは、嗜虐の色を湛えている。
――殺し合いは楽しい?
まるでそう問いかけるような愉快げな視線と共に、流れ込んできた。彼女の、追憶が。
――ウチは、自由だった。
恵まれた生活だった。両親は一族経営の大会社を運営していて、しかも朗らかな放任主義。その上跡継ぎの兄はいて、将来はコネでどうにでもなる。つまり、自由だ。
自由だったら、少しぐらい好き放題していいだろう。
興味の赴くようにしたかった。どこからか突き上がる知識欲を満たしたかった。
タブーを、犯したかった。
欲望のまま。
最初は犬だった。
『ふふっ。良い子良い子』
多頭飼いで、近所迷惑になっている家から一匹連れ出して、山奥へ。その飼い主の家から犬が逃げ出すのはしょっちゅうで、飼い主含めて誰も気にしない。
よしよしと撫でてやり、懐いてくるその子の喉元へ、家から持ち出した鋏を滑らせる。
『――ひんっ……』
喉を搔っ切ったから、断末魔は静かだった。倒れ伏した身体に手を当てれば分かる。失われていく体温。消えていく鼓動。命が去って行く、抜け殻の身体。
『……あはっ♪』
震えた。この上ない快楽だと思った。
大事なものを、手の中で壊す瞬間。その時感じるエクスタシーは、どんな行為より勝る。少なくとも自分にとってはそうだった。
どうしてそう思うようになったのかは、分からない。歪んでしまうような何かがあったのか、それとも生まれついてそうだったのか、自分でも分からない。
けれどどうでも良かった。
こんなに気持ちいいこと、止められる訳がない。
――だから、もっとやりたかった。
それからは人目を忍びながら何度も何度も繰り返した。
虫はつまらない。手慰みにしかならない。魚や蜥蜴も同様だ。やはり、哺乳類がいい。
その中でも犬猫は最高だ。やはり感情や愛嬌がある方が、命を汚している実感があって素敵だ。消えていく魂が、ハッキリと分かるから。
ならその最上位は。
行き着くのは必然だった。
『おにーさんっ』
街中で所在なさげにしていた若年男性の腕に絡みつく。男は驚いて見下ろし、そして柔らかい感覚を感じて目線は一点に吸い込まれた。
胸元を大きく開けた服装をした少女は、それを男に擦り付けながら耳元で囁く。
『今ならこれだけでいいですよ』
そう言って指を三本立てる。それだけで男は鼻の下を伸ばし乗り気になった。
ホテルへの近道だと言って暗い路地へ誘う。
『どこからいらっしゃったんですかー?』
『誰かと一緒だったりしないんですかー?』
質問を繰り返し、男のプロフィールを紐解いていく。遊ぶところの無い地元から遠出してきたこと。急な仕事が入って一緒に遊んでいた友人とは別れたこと。一人暮らしなので、いなくなってもしばらくは気付かれないこと。
十分だと判断した瞬間、人気のまったく無い場所で隠していた二本のナイフを取り出した。心臓を一突き。男は何が起きたか分からず、胸元を見下ろしている。
その後もう一本のナイフで喉を突き叫ばないよう黙らせて。しばらくは生きられるようナイフを刺したまま。それでももう助からないという状況を理解させ。絶望しながら光を失っていく顔を優しく乳房で抱きしめる。
徐々に冷たくなっていくその体温を感じ、少女は艶やかな溜息をついた。
『あはぁっ……』
どんな官能より勝ると、本気で信じていた。
『んふっ……楽しいな♪』
――だから止められない。止めようとも、思わない。
繰り返そう、何度も。
だって自分には、それが許されている。自由なのだから。
ならばもっともっと、欲望の赴くままにしてもいいだろう。
そうしていつも通り楽しみ終えた肉塊を薬品で溶かして排水溝へ流していると、彼女は現われた。
銀髪を揺らす少女の語る言葉にも、面白そうだったからというだけの理由で頷く。
何故なら願いは、いつだって一つ。
――もっと、殺したい。
それが、彼女の願い。
《 Gallows Desire 》
《 満腹になぁれ 誰の?
一杯になぁれ 誰の? 》
「があ゛あ゛あぁぁ……っ!」
割れるような頭の痛みを抑えて、銀姫は立つ。流れ込んできた不快な感覚と記憶を振り払い手を伸ばした。
今度は左腕だった。青い光が纏わって、鎧の形を変えていく。
流線型の装甲。三日月のような意匠。映える青色は、深海を覗き込むが如き不安な感覚を呼び起こす。
最後に左頬へ亀裂めいた紋様が奔り、変化は終わる。
「はああぁぁぁ……」
堪えた嘔吐感の代わりに、生温かい息を蒸気のように吐き出して。
そこにいたのは、新たな罪科を背負いし騎士の姿。
仮面ライダー銀姫・デザイアフォーム。
己の殺した相手の力を取り込んで、銀姫は階下の
「戦う……私にはそれしか、許されていないんだから!」
手にした青き力の主とは正反対の、苦しげな決意を叫んで。