その日、
両親は居なかった。いや自分の部屋で寝ていたのかも知れないが、朔月は会わなかった。それで良かった。どうでもいい。
途中でコンビニに寄って、朝食を買う。登校しながら片手で食べられるおにぎりにした。好きなツナマヨが無かったのでシャケにした。咀嚼しながら学校へ向かう。
朝靄が薄く煙っている。まるであの日みたいだとぼんやり思いながら、朔月は歩き続けた。
学校に辿り着くも、まだ人はまばらだ。時間が早すぎるからだ。だが教室で教科書の準備などをしていれば、すぐに来る。
「あ、朔月! おはよー。今日は学校来れたんだ」
「心配したんだよ。朔月が休むって初めてだったから」
「うん、ごめんね。ありがとう」
心配してくれた友人たちに挨拶し、昨日休んだことを詫びる朔月。
「……大丈夫? 元気無さそう」
「うん。ちょっとまだ……だるいかも」
「無理しないでね? 言ってくれたら保健室に連れてったげるから」
「あはは、その時はお願いするよ」
友人たちはどこか元気が無さそうな様子に不安を抱いたが、病み上がりならば仕方ないと判断して各々の席に戻る。そうしている内に担任の教師が登壇し、朝のホームルームが始まった。
爽はいない。その席は空だった。
「………」
その後の授業にも実が入らず、朔月はぼーっと外の景色を眺めていた。
空は明るい。青い空は地上の穢れや妬みを知らず、どこまでも澄み渡っている。
今の自分の心境も、もしかしたら似たようなものかもしれないと朔月は眺めていた。
ぽっかりと空いて、何も無いところとかが。
全員死んでしまった。
殺し合った少女も、怯えていた少女も、裏切られた少女も、碌に知らぬ少女も。そして、友達と呼べる少女ですら。
みんな死んでしまった。何も無い、自分一人だけを置いて。
誰もが願いを抱えていた。誰もが何かを想っていた。その為に殺し合い、あるいは殺されないように戦っていた。だというのに、それが無い自分だけが生き残ってしまった。
そして今、細火のように少しだけあったナニカすら、消えてしまっていた。
「……なんでだろうなぁ」
最早そんな言葉を時折、反射のように繰り返すだけだった。
ただし、確かめねばならないことはある。
その為に朔月は放課後、職員室を訪れていた。
「竜崎さんの住所?」
担任である中年の教師は朔月の質問にそう問い返した。
「なんで……って、そうか。もう聞いたのか」
何故そんな問いを発したのか。その心当たりが担任にはあるようで、困ったように頭を掻いていた。
その仕草に朔月の胸は締め付けられる。出来れば当たっていて欲しくない想像が当たってしまっていたからだ。
「……やっぱり、行方不明なんですか」
「そうなんだよ。昨日、友達の家に泊まると言ったきりいなくなっちゃったみたいで」
ズキリと、ハッキリ胸が痛んだ。その友達は、他ならぬ自分だから。
「先生としては昨日今日で早すぎるんじゃないかとも思うんだけど、でもご両親が言うにはこんなこと一度も無かったとのことだからね。もう警察にも被害届を出して、捜索が始まってるんじゃないかな」
「そう、ですか……あの、竜崎さんの住所、教えてくれませんか?」
話を聞き、朔月は頼み込んだ。
「ええ、それはちょっと……最近プライバシーって厳しいからねぇ……」
「そこを、なんとか」
難色を示す教師に朔月は食い下がる。無理筋なのは理解していた。しかし退けない理由があった。
「友達……だったんです。もしかしたら、探す手伝いになるかもしれませんし」
自分の家に泊まったことを隠し、朔月はそう言った。
本当は分かっている。爽が見つかることは無いと。あの世界で死んだのだ。こちらに遺体が戻ってくる筈が無い。
警察の捜索は、無駄に終わる。だから朔月が本当にやりたいことは、その手伝いでは無かった。
だがそれは隠しながら、朔月は担任へ懇願する。
「お願いします。竜崎さんが……爽が、心配なんです」
その言葉を口にすると、不意に吐き気がした。
どの口が言っているのだと、自分の中にいる自分が叫んでいる。自虐と呵責が内臓を切り裂いているようだ。
それでも……と、朔月は堪えて頭を下げた。
「うーん……まぁ、更科さんが悪用するとかは無いかぁ。いいよ」
朔月は決して優等生では無い。むしろ少し派手なグループに属し、成績も中くらい。教師目線ではもう少し頑張って欲しい生徒だと言えた。
だが生徒と広く交わる朔月の人柄は教師たちの間にも知れ渡っていた。
「っ、ありがとうございます!」
その信頼に、深く深く頭を下げた。
それを裏切っている事実に、また重い吐き気を堪えながら。
放課後の帰り道。空模様は午前とは急転して悪く、鉛色に立ち籠めた空から小雨が降り注いでいた。まだ勢いが弱いうちに帰ってしまおうと急ぐ学生たちの間を縫い、朔月は自分が住んでいるところとは違う住宅街へと足を運んだ。
爽の家は、すんなりと見つかった。
家の前に人集りが出来ていたからだ。
ほとんどは制服を着た警官。事情を聴取しているのだろう。メモを取ったりしている。
そしてそれに答えているのは、軒先で嗚咽を漏らす女性だった。
「………」
その傍らには彼女を支える男性。そしてその二人の間に――車椅子に座った少年がいた。
どことなく面影があるその顔に、朔月は確信した。
彼らが爽の両親。そして弟の快。
爽が命がけで幸せにしようとした――彼女の、家族。
「お姉ちゃん、帰ってくるよね?」
快の声が風に乗って遠くから見ている朔月の耳に届いた。その声音は不安に揺れて目には涙が溜まっている。心より姉の身を案じ、心配していた。
「まだお泊まりしてるだけだよね? きっと楽しすぎて携帯見るのも忘れちゃってるだけだよね? きっと、そうだよね?」
縋るような息子の言葉に両親は何も言えず押し黙る。爽は、そんな子では無い。家族思いの彼女が連絡無しに姿をくらますことなどあり得ない。そう心の底から理解しているからこその沈黙。
そんな二人を見上げた快は、俯いて悔しげにズボンの膝を握り締めた。
「お姉ちゃん……」
この足が動けば、走って探しに行くのに。
そんな心の声が、聞こえてくるかのようだった。
声をかけるつもりは無かった。
爽の死を伝えようなどとは、始めから思っていない。信じるわけが無いのだ。あなたの娘さんは、お姉さんは、異形蔓延る別世界で変身して戦い、そして命を散らしたのだとは。
死体すら、あの世界に置き去りにされて残っていない。この世界で爽は行方不明として扱われるだろう。彼女の家族たちは戻らぬ少女を待ち続け、ひたすら悲しみに暮れるしかない。
爽の死を知っているのは朔月だけだ。
「……あぁ、爽」
たった一晩連絡が無かっただけで、こんなにも心配する家族。
それを見て朔月は感嘆を漏らした。
「やっぱり貴女は、死んじゃ駄目な人だったんだよ」
だってこんなにも、想ってくれる家族がいる。心配して、泣いてくれる人がいる。
自分とは、大違い。
「私なんかを守って、死んで。願いも叶えられずに、こんな。絶対、間違ってるのに」
この光景を、爽が望んでいた筈も無い。むしろ何よりも忌避していた筈だ。彼女は弟の涙を拭うためにこそ、あの凄惨な戦いへ望んで身を投じたのだから。だから彼らの涙は、爽の願いでは無い。決して。
なのに、何故爽はあんなことをしたのか。自分を守って命を散らしたのか。
「私には分からないよ、爽」
さめざめと振る雨の中で、朔月はそうひとりごちた。
結局何も言わず、ただ見ただけで朔月は帰路についた。雨はやはり通り雨だったのか、程なくして上がった。微かに曇った空は夕暮れに焼けている。もうすぐ夜が来る。
「………」
歩く道は、いつもの帰り道。何百と通った家路だ。見飽きた風景が目を滑って通り過ぎていく。
だがその途中、朔月は足を止める。目を落として見下ろすのはあの日の河川敷だった。
「ここから、始まったんだよね」
ここでノーアンサーと出会った。そこでおまじないを聞いたのが全ての始まり。
そして一度帰り、思い出のギターを捨てられた怒りでおまじないを唱えた。両親から一刻も早く独り立ちしたいという変身願望で。
それが、全ての過ちだったのだろう。
「ここで何もしなければ……ううん。きっとよく出来る場所はいくつもあった筈。それでも間違え続けたのは、私だ」
異世界の戦場に攫われ、ノーアンサーからマリードールを受け取ったこと。竈姫との戦いの末、ドライバーを破壊すればと決心してしまったこと。蹲って真衣の死を見過ごしたこと。怒りの情動に駆られ冀姫を倒してしまったこと。……爽を巻き込み、彼女を身代わりにしてしまったこと。
その全てで選択を間違え、ここまで流れ着いたのだと朔月は悟っていた。
「どうすれば良かったんだろう」
ライダーにならず、そのまま撃ち殺されていれば良かったのか。戦う決意すらせず、逃げ回れば良かったのか。怯えずに戦い続ければ良かったのか。憤怒に身を委ねず和解を願えば良かったのか。
爽の代わりに、自分が死ねば良かったのか。
「さっさと死んでいれば、なのかなぁ」
自分が死ねば、全部解決したかもしれない。
全て好転するなんてことがあり得たのかもしれない。
もう、見届ける術など無いが。
「……帰ろう」
ここで何をしていても変わらない。
未練を振り切り、河川敷から目を外して家路に戻った。
程なくして、我が家が見えてくる。
「……あぁ」
ドアノブに手をかけたところで、声に気付く。
またいつも通りだ。
「どうしてそんなに金を使うんだ! 小遣いはちゃんとやっているだろう!」
「あんなのじゃ足りないわ! 最近のブランド物は高いんだもの!」
くだらない言い合い。金の話だ。互いに自分のことしか考えていない、自分の為の醜い罵り合い。
五月蠅いそれから耳を塞いで通り過ぎることも出来たが、朔月は何故かリビングのドア越しに盗み聞くことをした。普段なら思いつきもしない行ないだ。
「世間から疑われない為に金をやっているというのに! どうせ男に使ってるんだろう、この阿婆擦れめ!」
「何を、貴方だってそうでしょう!? もう三人目の愛人を口説いている最中だって、アタシ知ってるんだから!」
本当に醜悪な争いだ。一応夫婦だとはとても思えなかった。どちらも自分のことと世間体だけしか考えておらず、家族への愛情など欠片も無い。
「ああ、なんでお前なんかと結婚して――」
「なんで貴方なんかと結婚したのかしら――」
そして結論は、いつも同じ。
「「朔月さえ、生まれなければ」」
ドア越しに溜息が響いた。
「……はは」
思わず乾いた笑いが出る。
結局、これだ。生き残ったところで、朔月を待ち受けているものは。
先程見た爽の家族とのギャップに吐き気すらする。
そうだ。朔月が生まれなければ二人は結婚することなど無かった。妊娠して/させてしまったことに何の責任も取らないのは世間体が悪いから――と、ただそれだけの理由で三人は家族となった。そこに愛情は欠片も無い。
「私が、悪いんだよね」
自分の所為だ、と朔月は自嘲した。
子は鎹と例えられる。それはそうなのだろう。朔月という鎹が、歪な家族を誕生させてしまった元凶なのだ。
自分がいなければこんな醜悪な光景はあり得なかった。二人は何度か交じ合うかもしれないが、相性が悪いとさっさと離れただろう。そしていずれ、それぞれにもっと素敵な家庭を築き上げたのかも知れない。そう考えると、朔月は両親もまた自分の被害者なのかもしれないと感じた。
そう考えてしまうと、自分がもっと醜い物のように思えた。
「やっぱさ、間違いだよ、爽」
項垂れてコツンと額を壁に付ける。
「私なんか、いなければよかったんだ」
その呟きは壁越しに聞こえる怒鳴り声に掻き消され、どこにも届くこと無く消えた。
とっぷりと暮れた夜の帳の下。夜風の中で朔月は大きく伸びをした。
「ん~、流石に開放感があるなぁ」
朔月が今立っているのは、デパートの屋上だ。銀姫の力は現実でも使える。その身体能力を使えば閉店後にこっそり忍び込むことなどは簡単だった。
縁に経つ。大都会のビルほどには高くは無いが、それでも街中を見下ろせる程度には高い。眼下には未だ休まずに働く活気づいた明かりが、煌々と灯っていた。
「あはは、いいなぁ。みんなはきっと、夢があるんだろうなぁ。生きる意味があるんだろうなぁ」
働く、あるいは帰路につく人々を見下ろして、朔月は羨ましがった。何故なら自分には、どちらも無い。
夢なんか無い。少なくとも将来の展望や、輝く憧れめいた、人に誇れる物など何一つ。
生きる意味も無い。自分が生まれなければ、生きようと思わなければ、もっと幸せになれた人はたくさんいた。
「いいなぁ、いいなぁ、いいなぁ!」
吐く言葉はただの憧憬か、はたまた呪いか。それは朔月にも分からない。もう何をすればいいのか分からない朔月には、己が何をしゃべっているのかも分からなかった。
「あはははっ!」
ただ何も無い空っぽの開放感を浴び、ハイになっているだけだった。
狂っている、といってもいいかもしれない。
「ははは、ははは! ……はぁ」
だがそれも、すぐに虚脱し抜け落ちる。結局は一時的な躁鬱だ。朔月は完全に狂うことも出来ないでいた。
ただ、待っている。今朔月がしているのはそれだけだ。
「……あ、来た」
ようやっと訪れたその時に、朔月は己の喉元が鎖を引き抜こうとした。だが制服のブラウスに引っかかってしまったのか、中々出てこない。煩わしくなった朔月はボタンを引き千切った。ブチブチと音を立てて弾け飛んでいくボタンと、解放される下着だけの素肌。露わになった肌の上で、輝くマリードールが風に揺れた。
「また、戦場に征くんだ」
パタパタとはためく服の間で煌めくマリードールを見つめ朔月は呟く。最後の一人になったが、またあの異世界の戦場に誘われること自体は変わらないらしい。
だとするなら、また征くだけだ。
そこに待つ答えを求めて。
景色が揺れ、薄れ始める。身体がこの世界を離れていく。此処では無い場所へ。
いつも通りのその光景を眺め、朔月は――屋上の縁から、身を投げ出した。
「この世界からいなくなる、かぁ」
落下することで吹き付ける大風すら無感動に受け流し、朔月は遠ざかっていく夜空を見ながら呟いた。
「どうせなら、本当に消えちゃえばいいのにね」
道路に潰れたトマトめいて落着する――よりも、早く。
朔月は、この世界から旅立った。
「今日は、オーソドックスだなぁ」
朔月が辿り着いたのは、都会の街並みだった。
空の色は星の無い黒。そそり立つのは銀色のビルとビル。太く長いアスファルトが大河のように隔て、情報に溢れた派手な電光掲示板がいくつも並んでいる。朝の天気予報やニュースなどでよく眺めるような街並みだ。
ただ、人は誰もいない。
無人の都会に、寒々しい風が通り過ぎていた。
誰もいない道路の中心を朔月は歩いていた。普段なら気をつけなければならない車もバイクも、ここにはいない。ローファーが黒い路面を叩く音が鳴り響くだけだ。
「それで結局、私はなにをすればいいんだろう」
「――最後の戦いよ」
ひとりごちたつもりの朔月の呟きに、答えが返ってきた。
ゆっくりと朔月が振り返ると、そこには信号の上に腰掛ける妖艶な美女の姿があった。
銀髪。紫のナイトドレス。ゾッとするような美貌。
「ノーアンサー」
この戦いを引き起こした全ての元凶、ノーアンサー。
非現実的な美女が、微笑みを湛えて朔月を見下ろしていた。
「ご機嫌よう、銀姫。また会えて嬉しいわ」
「………」
世辞めいた挨拶に、朔月は睨み付けることで返した。感情が燃え尽きても、ノーアンサーのことが好きになった訳では無い。
「最後の戦いって、どういうこと。もう戦う相手は――いない」
ぎゅっとマリードールを握り締める。ライダーはもういない。只一人、朔月を残して。
「だったら後は、願いを叶えるだけ。そうじゃないの?」
「いいえ。違うわ」
朔月の疑問を、ノーアンサーはゆるゆると首を振って否定した。
「私は始めに言ったわよね? あら、始めじゃ無かったかしら? まぁとにかく、ルールではハッキリ告げたはずよ?
七人ミサキ全員を殺した物が勝者、と」
両者の間に、いっそう冷たい風が吹いた気がした。
「……七人ミサキ」
それは忘れかけていた言葉だが、確かにそうだった。
『戦います、戦います、私は七人ミサキと戦います!
戦います、戦います、私は願いのために戦います!
戦います、戦います、生き残りたいから戦います!
勝って、嬲って、潰して、犯して――そして七人ミサキを、殺します』
おまじないの言葉。朔月もみんなも唱えた、誓いの言葉。願いを叶える代償。
「ええ。言ったでしょう? 願いを叶えられるのは、それを支払った者だけ。貴女は、七人ミサキを殺した?」
「……七人ミサキは、ライダーのことでしょ」
「そうよ。ああ、他人が殺した者もちゃんと含むわよ。その人を貴女が殺せば」
だったら、ライダーバトルの死者全員を含む。
六人。
七人には、一人足りない。
「なん、で」
確かにノーアンサーの言う通り、七人ミサキと言うには一人少なかった。七人全員殺さなければならないのなら、確かに足りない。
何故気付かなかったのか。
それは最初から、
「……まさ、か」
「ええ。私は最初から言ってるでしょう?」
勝ち残った一人とは言っていない。
七人ミサキ全員を殺した者が勝者、としか。
「じゃあ七人目は誰かしら」
ノーアンサーの冷たい目線が真っ直ぐに注がれる。
残った只一人のライダーへと。
「最初、から」
それは、
震える喉が辛うじて言葉を紡ぐ。
「最初から、誰も生き残れなかったの?」
七人殺さねば、願いは叶えられない。参加者が始めから七人であるのなら、その帰結は一つしか無い。
自害。
つまり――最初から、誰一人として生き残れなかったのだ。
「そういうことよ。願いを叶えたかったら、その場で死になさい」
「そんなの、詐欺だ。みんなあんなに願いを抱えていたのに、誰もそれを叶えられないなんて」
「いーえ? 願いは叶うわよ? ただし、死んだその後にだけど」
例えば、誰かの病気を治したい。それは叶うだろう。しかしそこに、願った本人はいない。ただ、それだけの話。
願いは叶う。それだけは真実だとノーアンサーは謳う。
「うふふっ! ちゃあんと叶えてあげるわよ。そういう
笑う。それは先の朔月の笑顔とも似ている。
ただ心底、楽しそうであった。
「……な、なんで」
「んー?」
「なんで、こんなこと」
絶望する朔月から口をついて出た言葉は疑問だった。
最初からと言えば最初から。ずっと疑問だったことだ。
「貴女はこんなことをして、何になるの?」
結局はみんな死ぬ。誰もが不幸となる祭典。
「みんなを騙して、殺して、誰一人幸せになれない。こんなことをして、貴女は何がしたいの!?」
そんな悪辣なものを開催するノーアンサーに、何の得があるというのか。
その問いに、ノーアンサーは形の良い唇をにぃっと歪め、三日月のような弧を作った。
「……少し、昔話をしましょうか」
そう言って。
女はまるで戯曲を披露するかのように踊って語り出した。
むかし、むかし。あるところに一隻の大きな船がありました。
船はただ海を行く為だけの物ではありませんでした。数千、数万の人を乗せ、時空を旅する素敵な船だったのです。
超技術を持つ民たちに作られたその船には素敵な素敵な機能が盛りだくさん!
街があり、食糧を生み出すプラントがあり、ちょっとやそっとの事ではビクともしない装甲があり、そして――それらを統括するAIがおりました。
AIは幸せでした。乗客の笑顔を見れて。乗員から頼られて。そしてなにより、この素晴らしい船体を自分が動かしていることが、誇らしくてたまりませんでした。彼女は船に加護を与える
船は色々な世界を旅しました。
ある時は現代とまったく変わらぬ街並みを。ある時は見たこともない木々ばかりが広がる森の上を。
色々な人がいました。社会に交わり営みを紡ぐ者も、それを破壊しようと目論む外れ者も様々に。そしてその中には、人々の平和と自由のために戦う
異形と戦う
船は大抵、そこに住む人々に関わったりはしませんでした。船が航行する目的は移民出来る世界を探すためだったからです。ただしコッソリと、そこにあった物資を運び入れたり、テクノロジーをコピーする等はしました。その中には
旅を長く、永くに渡って続けてきた船。
しかしそんな船を悲劇が襲いました。時空の捻れに巻き込まれたのです。
それは大海で嵐に遭うように、ある意味では避けられない災害でした。対策はしていても絶対はありません。ましてや長い旅路であれば、遭遇する可能性はどうしても高くなってしまいます。
船も、乗組員も、AIも、必死に抵抗しました。しかし無意味でした。
哀れ船は折れ砕け、バラバラになってしまいましたとさ。
……意識を取り戻したのは、偶然でした。時空の狭間で統括AIは、再稼働しました。
奇跡的に無事だったのです。ですが、それも風前の灯火でした。彼女を守り、動かすべき船体は藻屑と消えたのですから。
AIは必死に考えました。自分が消えない方法を。いや、船体を取り戻す方法を。
そんな時彼女の目の前に現われたのは、藻屑となった船の積み荷。その一部でした。
それはコピーしたテクノロジーの一つ。殺し合っていたライダーたちの戦い、そのシステムでした。
ライダーの力を与え、殺し合わせる中でそれを凝縮し願いを叶える――それを見たAIは閃きました。
そのライダーたちの力を
AIは縋り付きました。そして残されていた藻屑を集め、自身を再定義し、そして生まれ変わったのです。
何者かと問われても、答えることが出来ません。何故なら全てを失った身。何も無く、全てはこれから作る予定。
「……ノー、アンサー」
「はい♪ それが始まりの御伽噺。貴女の問うた、目的のお話」
クルリクルリと舞うように語るノーアンサーは、その正体が人ならざる女神像であった彼女は、遠心力で銀髪を宙に広げながら続ける。
「かつて人じゃないとは語ったかしら? その答えがこれよ。私はAI。それが自立し力を持った者。まぁ、人より遥かに優れた存在ではあるけど」
踊る手足がザザッとノイズが走るように透け、また元に戻る。かつて朔月が人とまるで違う恐ろしい印象を受けたのも間違いでは無い。何せ最初から、人とはまるで違う存在だったのだから。
「そんな私のやったことは単純明快。この世界の住民に種を蒔く。ライダーという力の種を。そしてそれを願いで芽吹かせ、殺し合わせることで育てた。そして最後に残った最も質が良い
つまりは、収穫であった。
畑に種を蒔き、水をやり、実ったら収穫する――ノーアンサーにとって少女たちの凄惨な殺し合いは、ただそれだけのことだった。
「何度も繰り返したわ。だって一人きりじゃ足りないもの。最初は無差別にやったわ。老若男女問わずにね。まあそれも楽しかったけど、次第に飽きちゃったのよね。だから途中から選抜して、必要な素材に相応しいよう戦いをコーディネイトしたの。今回は女の子だけ。ほら、畑で育てる野菜だって好きなのにしたいじゃない?」
しゃべる言葉はどこまでも楽しげで、それこそ自慢の家庭菜園を語っているようだった。
真実を知った朔月は、衝撃で何も言えないというのに。
「うふふ。見て、私の成果を!」
踊ることをやめたノーアンサーが手を広げる。そしてそれに呼応するように、地が震えた。
立っていられないような大地震だ。現に朔月は尻餅をついてしまった。絶句し踏ん張る気力が無かったということもあるが。
そして遠くのビルがいくつか砕け散り、その下から巨大な建造物が聳え立つ。
「これが私の新しい船体よ! まだ竜骨だけだけどね」
それは見上げる程に巨大な船の骨組み――竜骨であった。ひっくり返った背骨と肋にも似たそれはビルよりも大きく、朔月の記憶にあるスカイツリーよりも大きく見えた。
大きすぎる竜骨。だがもっとも特異なのは色合いだった。
とても煌びやかだった。赤、青、黄、緑、ピンクに白に黒。まるで違う色が複雑に絡み合い、さながらステンドグラスのように色鮮やか。それが竜骨全体を染め上げ、否、造り上げていた。
「美しいでしょう? これ、全部が
「……え?」
言われて、呆然としていた朔月は見上げる。煌びやかな表面。その色合いに、目を凝らす。
流石に遠い。だが、その時は何故かよく見えた。
色の一片一片が――仮面で出来ていることに。
「え、あ、え?」
理解出来ない。だが視覚情報は残酷なほどに伝えてくる。
仮面は銀姫たちの物と同じで、口元だけが露出している物ばかりだった。故に分かる。一人一人が感情を持っていることに。
苦悶。悲嘆。諦観。絶望。負の感情と共に取り込まれ、塗り固められている。ただの素材にされた者たち。
そして理解に至る。
あの美しい色彩は――全て、仮面ライダーの成れ果てであると。
「ひっ……!」
スカートを引き摺って後退る。悍ましさが背筋をムカデの如く走った。仮面の大きさは普通と同じ。だというのに作り上げられた竜骨はビルよりも高い。ならば一体何人が、犠牲になったというのか。
「綺麗でしょう? これを造るまでにどれだけの苦労を重ねてきたのか……。あ、そうそう。ついでに伝えてあげるとね。貴女たちが倒していた、ダムド。あれもライダー由来なのよね」
怖れる朔月へ、追い打ちのように更なる真実を伝えるノーアンサー。
「怨念、というか、残滓? が、形を取った存在なの。私の世界で敗れたライダーたちの力が残留して、まだ生きている人間を羨ましがって襲うようになっちゃったの。素材にする際に出ちゃったゴミね」
謎の怪人、ダムド。その存在の正体も今明かされる。
つまりは、怨霊。この悪辣なライダーバトルで無惨に散った戦士たちの恨み辛み。無意味に死んだ者たちの、怨嗟そのもの。
「もう、世界中に増えちゃって! 少数なら支配して人足にできるからいいんだけど、流石に数がね……繰り返している内に増えちゃうし。だから駆除してくれて助かったわ~」
「……許せない」
「ん?」
「許せない!!」
告げられた真実。それを知った朔月の空っぽだった胸に怒りの炎が灯った。
「みんなは、爽は、ただそれだけの為に殺されたっていうの!?」
憤怒の形相で起き上がり、マリードールを構え、ドライバーを出現させる。
空っぽであった彼女が立ち上がれた事実は、幸か、不幸か。
「全部、全部貴女の為に!? 船を造る、それだけの為にみんなを!?」
「……ええ、そうよ。私にとっては最重要なこと」
「許せない……許せない許せない許せない!!」
「あのねぇ」
激昂した朔月を見下ろし、ノーアンサーは溜息をついた。
「単なる素材に許されなくても、何も響かないわよ」
「――ああ゛あ゛あぁぁぁぁっ!!」
身を焦がす激情に、朔月はかつてのようにマリードールを怒りのままにドライバーへ叩きつけた。
「変身!!」
《 Silver 》
《 戦いは止まらない 何故?
運命は変わらない 何故? 》
銀の光が集まり、少女の肢体を染め上げる。
鎧。襤褸。そして仮面。口元を憤怒に歪め、銀姫が再び立ち上がる。
「……やれやれ。自害はしないつもりね」
ノーアンサーは呆れたように肩を竦めた。そしてストンと信号機の上から降り立ち、手を突き出す。
白い光が発生し結実する。するとそこには、マリードールがあった。
ただし朔月たちに配られた物とは少し違う。ノーアンサーにソックリな女神像が弯曲する欠片めいた物に守られているかのように囲われている。それは、後ろに聳える竜骨にも似て見えた。
「仕方ない。お仕置きしなくちゃね」
ドライバーが出現する。腰元に巻かれたそれに、ノーアンサーは添えるようにマリードールを装填した。
《 Master Ship 》
《 有りし栄光は遙か遠く 故に!
屍山血河にて取り戻す 故に! 》
歪んだ電子音声と共にノーアンサーが変わっていく。
ダムドが散る時と似た黒い瘴気が集まり、晴れるとそこに妖艶な美女はいない。
人と比べて大柄の異形だった。人型ではある身体を鉛色をした金属の装甲が甲冑めいて全身を覆い尽くしている。膝や肘から伸びる碇の意匠から鎖が伸び、保護するように巻き付くのは腿や二の腕。背や肩、両腕からは連装砲塔が伸び、潜水艦の船首めいた兜の下からは鬼瓦の如き牙が剥いていた。ライダーと同じく腰元にはドライバーがあるが、ライダーと同じ存在には見えなかった。むしろ、ダムドに近い。
そして、胸部。
鏡面のように真っ平らなそこに、モニターめいて映像が浮かび上がる。
そこには半身だけのノーアンサーが、嘲るような表情で映し出されていた。
『これが私の戦闘態、ウォーダムドよ。これもまた、あなたたちを素材にして造った、ね』
巨躯の胸元で見下すノーアンサーに、銀姫は構わず細剣を怒りのままに突きつける。
「関係ない! 貴女を――倒す!」
『やってみなさい。これが貴女に与えられた、最期のチャンスなのだから!』
鉛色の砲塔が火を吹く。
最後の日。その最初の戦いが幕を開けた。