仮面ライダー銀姫   作:春風れっさー

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一日目-1 始まりの女

「ねぇ朔月(はじめ)。『七人ミサキ』って知ってる?」

 

 下校中、そんなことを問うてくる友人に朔月は振り返った。

 

「何ソレ?」

「知らない? あのね、怪談だって」

「うぇ、私苦手なんだけど」

 

 そう言って苦い顔を浮かべる女子高生、更科(さらしな) 朔月(はじめ)はごく一般的な女子高生だった。

 胸まで伸ばした髪は少し脱色し、ちゃっちめのヘアピンで彩っている。

 薄いメイク、だが瞳に入れた緑のカラコンは結構目立つ。

 どれも校則違反だが、制服は未改造だしマニキュアも塗っていないのでそこまで口酸っぱく指摘もされない。

 美人だが、絶世という訳では無い。クラスに一人はいる、しかも三番目。その程度。

 派手すぎず、地味すぎず。どんなクラスにもいそうな、高校生になって少し洒落っ気を出したといった風の女子生徒。それが更科朔月という少女だった。

 そんな彼女は、同じような女子生徒とつるんで下校している途中だった。夕暮れ始めた川の土手は退屈で、おしゃべりくらいしかやることが無い。なので朔月は苦手な怪談でも乗っかった。

 

「アレみたいな? こっくりさんとか」

「いやいや、そんな可愛いやつじゃないよー」

「あぁ、アレでしょ?」

 

 もう一人の友人がスマホをいじりながら答える。

 

「渋谷の都市伝説。援交で身ごもった女子高生が堕ろした赤子たちが、お母さんを呪うって話」

「うわ、こっわ」

 

 思ったよりも恐ろしい話が出てきて、朔月はふるりと身震いした。特に女子高生という、自分たちの分類されるカテゴリの話であることがより恐怖を掻き立てた。自分に身に覚えがないとはいえ、怖い物は怖い。

 だが最初に話題に出した友人はチッチッチと指を振った。

 

「それが違うんだな~。いや元ネタはそっちだろうけど、今流行ってる七人ミサキはまた別モノなのよ」

「というと?」

「何でもおまじないすると、願いを叶えてくれるんだって!」

「えぇ、本当?」

 

 さっき出た七人ミサキとは真逆の話に、朔月は首を傾げた。

 

「なんでオバケが願いを叶えてくれるのよ」

「さぁ? でもなんか条件があるんだって」

「条件って?」

「それは知らな~い」

「ちょっと……」

 

 では何も知らないのとほぼ同義だ。気が抜かれてしまった朔月は呆れた表情で溜息をつく。もう一人の友人も同じく呆れたようにスマホを傾け、それを見て友人は「にしし」と笑う。

 それを見た朔月は、内心は、とても癒やされていた。

 こんな風に友人たちと他愛もないことでおしゃべりする時間。

 朔月はそれを大事に思っていた。普通の女子高生よりも、ずっと。

 

「あ、橋ついた」

 

 スマホを見ていた友人が呟く。駅の方へと続く鉄橋が、友人たちとの別れ道だった。

 幸せな時間が終わりを告げたことに朔月は落胆し、しかしそれをおくびにも出さずに二人に手を振った。

 

「じゃ、また明日」

「うん、じゃねー」

「朔月、明日日直だからね」

「分かってるってばー」

「ギターの練習は程々にしなよー」

「分かってるってばー!」

 

 名残惜しさを感じながら別れ、改めて帰路につく。そこから先は、ただただ憂鬱だった。

 川縁から離れ、住宅街を潜り、家の前に辿り着いた頃には空は紫色に暮れ始めていた。

 朔月はインターホンを押そうとして、止めた。家の中から男女の怒鳴り声が聞こえてきたからだ。溜息をつきながら朔月は鍵を取り出し、音を立てないようにドアを開いた。

 中に入ると、怒鳴り声はより鮮明に聞こえてきた。

 

「だから、別れれば許すって言ってるじゃない!」

「許すってなんだ! そもそもお前が――」

「アタシが何よ! いつもいつもアタシの所為にして!」

 

 あぁ、いつものだ。

 朔月はリビングから聞こえてくる近所迷惑なそれを聞きながら靴をしまった。

 ここ一年、両親はずっと喧嘩している。

 元から仲の良い夫婦ではなかった。しかし父親の浮気が発覚してからは、いつものように口喧嘩が絶えない。

 別れるのならばさっさと別れればいいと思っている。だが現実は上手くいかないようだ。

 朔月は諦観しながら二人にバレないよう二階の自分の部屋へ上がろうとした。巻き込まれると億劫だからだ。

 だが、リビングの前を通りかけた時、父親が告げた言葉に足を止めた。

 

「――お前が朔月を妊娠しなければ、こんなことにはならなかったんだ!!」

「っ!!」

 

 ハンマーで頭を殴られるような衝撃が朔月を襲った。

 それは、自分の存在を否定する言葉だった。

 

「……好きで生まれた訳じゃない!」

 

 咄嗟に吠えた。それはある種の自己防衛だったかもしれない。

 リビングの両親がビクリと身体を跳ねさせた。突然の大声に、朔月の方を目を丸くして見ている。

 何ソレ。自分らはもっと大きい声で喧嘩していたのに。

 朔月は二階へ向けていた足を止め、踵を返した。靴箱の中からしまったローファーを取り出し、その勢いのまま制服で家を飛び出した。

 家にはいたくなかった。あんな両親のいる家には。

 けど――。

 

 走り去りながらチラリと玄関を振り返る。

 朔月を追いかける二人の姿は、無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 宛てがある訳じゃなかったので、自然と行き着いたのは好きな場所だった。

 即ち、さっきまで楽しい時間を過ごしていた川縁だった。

 日がとっぷりと暮れた土手は、まったく別の姿を見せていた。

 

「……せめて月が綺麗なら、よかったのに」

 

 空を見上げると、そこにあったのは大きく欠けた三日月だった。

 煌びやかな満月、せめて弓張り月なら、まだ心が晴れたというのに。

 自分の名前に入った、月。それにすら見放されたようで、朔月は失意と共に街灯の下で座り込んだ。雑草が太ももをくすぐり、夜特有のジメッとした空気が這い寄ってくる。気持ちよくもなんとも無い。それでも、あのまま家にいるよりは何倍もマシだから、しばらくはずっとそうしていた。

 

 もうずっとこうだった。

 喧嘩する程表面化したのは一年前だが、更科家はそれより前からずっとギスギスしていた。

 多分きっと、朔月が生まれた時から続いていたのだろう。手放しに仲良くしている姿を朔月は見たことがない。二人が揃っているのは、いつも近所付き合いの為のポーズだった。

 朔月も子どもじゃない。痴情のもつれというのが、二人の間にはあるのだろう。

 だがその被害を被るのはいつだって自分だった。

 

(もう、嫌だ……)

 

 学校にいる時は楽しい。友達と語らうのも、放課後一緒に遊びに行くのも大好きだ。学校の授業も悪くは無い。

 けど家に帰れば陰鬱なことしか待っていなかった。冷めた食卓、棘のような空気、寝ていても聞こえてくる怒鳴り声。軋んだ空気が心を苛み、自分のルーツを否定する言葉が胸の内を引っかき回す。お前の居場所はここなのだと、暗い牢屋に引き込まれる気分。

 

(変わりたい)

 

 それが朔月の願いだった。大抵の人間が描く祈り。今の自分からの脱却。

 変身。

 

(違う自分になれたら……いいのに)

 

 過去は変えられない。自分の生まれ、親は変えられない。

 ならせめて、自分を変えられれば……少しはマシになる気がした。

 そう願うことしか、今は出来なかった。

 

 膝に顔を埋め、どのくらい経っただろう。ただ落ち込んでいることにも飽いて、朔月は顔を上げた。

 途端、視界いっぱいに人の顔が広がった。

 

「うわ!?」

 

 驚いて腰を抜かす。朔月の目の前で覗き込んでいたのは、銀髪の少女だった。

 

「ふふっ、驚かせちゃった?」

 

 少女はクスリと微笑んだ。それは人形のように愛らしく、氷のようにヒヤリとした冷たさを感じさせる微笑だった。朔月は一瞬それに見惚れたが、よく考えれば不審者なので警戒して立ち上がる。

 

「な、なんですか……」

 

 朔月は改めて少女の身なりを確認した。

 日本人離れした銀の髪に、透き通るような白い肌をしていた。どちらも蛍光灯の灯りに曝かれ、月の表面のように照っている。身につけているのは紫のナイトドレス。蠱惑的な雰囲気を醸し出す透けた薄手の生地と、露出した少女らしい華奢な肩とのギャップがより扇状感を掻き立てる。所々には、ミスマッチなチェーンの小物を使用していた。両手に巻かれているそれは、虜囚のようにも見える。

 まるで娼婦のような装いの少女。確かに夜はよく似合っている。だが外を出歩くにしては、不適格な出で立ちだ。

 

「……あぁ、ご挨拶しなきゃね」

 

 現実感の薄い少女は、優雅にスカートを端を摘まみ、お辞儀をした。カーテシー。精練された所作だが、それが余計に作り物めいた印象を与える。深いスリットからチラリと見える太ももが気恥ずかしく、朔月は思わず目を逸らしそうになった。

 

(わたくし)、ノーアンサーというの。以後お見知りおきを」

「ノー、アンサー?」

 

 およそ人の名前とは思えない響きに朔月は首を傾げる。ノーアンサー。直訳で良いのなら無回答となるが。

 困惑する朔月を余所に、ノーアンサーと名乗った少女は再び微笑んだ。

 

「ふふっ。それで、こんなところでどうしたの、お嬢さん?」

「……関係、ないですよね?」

 

 質問に対し朔月は睨み付けて返した。不審者への警戒。そして何より、自分の家庭の事情をあまり人に言いふらしたくない。だから口を噤んだ。

 そんな朔月にノーアンサーはふふりと笑う。

 

「まぁまぁ! そうでしょうね。誰しも本当の願いは言いたくないもの。

 アイツが憎い。あの子が好き。お金が欲しい。綺麗になりたい。自分を変えたい(・・・・・・・)

 誰もが抱く、普通の願い」

「っ!?」

 

 突然自分の心の柔らかいところを射貫かれたような気がして朔月は動揺した。

 当てずっぽうかもしれない。だがその言葉は朔月の抱えた悩みを正確に言い当てていた。

 

「……だったら、何ですか」

 

 朔月は道路の方へ後ずさりする。怪しさが増したこの人物からいつでも逃げられるようにするためだ。

 だがノーアンサーはそんな朔月とは裏腹にパチリと笑顔で手を叩いた。

 

「だから、叶えて差し上げるわ!」

「……え?」

 

 クルリと、ノーアンサーは困惑する朔月の前で一回転する。バックリと開いた、白い肌が眩しい背中が見えた。

 

「叶える、そう言ったのよ」

「……そんなこと、言われたって」

 

 不可能だ。少なくとも自分の願い、変わりたいという欲求は。

 もし金欲しいと言う人ならば、ポンと大金を出せば叶えられる。綺麗になりたいという願いも、整形やら化粧品とやらで同じく解決するだろう。誰かを好きだとか嫌いだとかも、どうしたいのかハッキリしている。どんな手段を取るのかは別にして、不可能ではない。

 だが漠然と抱いた変わりたいという願いは、無理だ。何せ自分ですらどうなりたいのか分からない。分からないから願いの成就が存在せず、存在しないものを叶えることは出来ない。例え金を積まれても、朔月は自分を変えることは出来ない。この世の物質的な手段において、不可能だった。

 

「いえ? できるわよ?」

 

 それなのに。

 ノーアンサーはハッキリ可能と答えた。まるで朔月の心を読んだかのように。

 

「できるわ。ちょっとした『おまじない』だけで」

「おま、じない……」

 

 そのことを思い出したのは、丁度今立っている場所で話したからだろうか。

 友人の語ったことが脳裏を過ぎった。眉根を寄せながらその名を呟く。

 

「それって、『七人ミサキ』……?」

「イエス!!」

 

 朔月の口をついて出た言葉に、ノーアンサーは再びパチリと嬉しそうに手を合わせた。

 そして続ける。

 

「貴女には、『七人ミサキ』を……殺して(・・・)ほしいの!」

 

 朔月の脳裏に、傷つけるように刻まれた言葉。

 ささやかな祈りは今、胡乱なるモノに掬い上げられた。

 

「殺して……って」

 

 少女の口から出た物騒な言葉に朔月は怯んだ。

 日常的に聞かない……ということは、ない。

 精神的に未熟な人間が口に出すことは多々ある。かくいう朔月も、友人同士の会話の中でムカついた事柄に対して言うことはあった。誰かに対して思い浮かべるだけなら、無数に。

 しかしあくまで、冗談だ。本当に殺すことなんてあり得ない。友人との文脈で使うのは敢えて激しい言葉を使った方が笑いが取れるからだし、脳裏で思い浮かべるのは煮えくりかえった腸を少しでも鎮めて冷ます為だ。軽口。方便。ほんのジョーク。

 だが、今ここで響いたその言葉は……別の空気を感じた。

 真に迫った、というべきか。

 

「そう。殺してくれたら、貴女の願いをなんでも一つ、叶えましょう」

 

 ノーアンサーはクスクス微笑みながら朔月を見つめる。まるで返答を待っているかのようだ。

 

「っ、そんなの、出来ません」

 

 急かされるようにして朔月は言葉を吐き出した。それは良識と理性から導き出した結論だった。

 銀髪を揺らしてノーアンサーは首を傾げる。

 

「あら、どうして?」

「だって、誰かを殺すなんて……そんなの、イケないことだから」

 

 朔月は常識を以てそう答えた。そこに根拠や、芯となる哲学はない。ただ漠然と信じる良心のままに、当たり前のことを答えた。

 

「それに……オバケなんて、殺しようがない」

 

 こっちの理由の方が、大きいかも知れない。

 そも七人ミサキはオバケだ。オバケというのは人の想像や子どもへの躾けの為だけに語られてきた生き物で、存在していない。存在していないものはどうしようもない。さっき抱いた願いへの諦観と同じ理屈だ。

 生きていないものは、殺せない。

 朔月はそんなロジックの下、反論した。

 

「無理なものは無理です。だから願いなんて叶わない。……これ、そういう話ですか? 無理なことを叶えるには、無理なことをしないといけない……だとしたら、説教なんて勘弁なんですけど」

「あははは! そう聞こえた? お釈迦様みたいな?」

 

 釈迦の説法の一つだ。

 子を亡くし、悲しみに暮れ何も手につかない母親の前に現われ、子どもを蘇らせる方法を教える。それは「死人を誰も出したことのない家からケシの実を貰う」ということだった。子どもを生き返らせたい一心で母親は家々を回る。だが家族を失ったことのない家庭などどこにも無かった。途方に暮れる母親は気付く。釈迦の条件は絶対に無理な仮定であり、同時に「家族を失っても人はそれを乗り越えられる」という説法であったのだ。

 朔月はそれを思い出したが、ノーアンサーは首を振った。

 

「違うよ違う。第一、お釈迦様は嘘がつけないから、蘇らせるのは本当ってことになるじゃないか……私が提案するのは、本当に出来ることだよ」

 

 ノーアンサーは胸を逸らし、天を見上げた。そして謳うように諳んじる。

 

「夜の月、丁度今日のようなお月様を見上げて呟くの。

 『戦います、戦います、私は七人ミサキと戦います。

  戦います、戦います、私は願いのために戦います。

  戦います、戦います、生き残りたいから戦います。

  勝って、嬲って、潰して、犯して――そして七人ミサキを、殺します』

   ――って」

 

 悪趣味だ。おまじないとやらを聞いた朔月はまずそう思った。

 構成する言葉が残酷で、ナンセンスだ。人を怖がらせようとか、不気味に思わせようとしか考えられていない言葉の羅列。冗談にしても出来が悪い。こんなものを頭を捻って考えたとしたら、ソイツは相当性格がひん曲がっている――朔月は心の底からそう断じた。

 

「……そう、唱えたら、どうなるんですか」

 

 朔月は目の前の人物を狂人の類いだと判断した。まともじゃない。逃げ出すのが吉だと考え、適当に話を合わせてバレないよう後退る。

 ノーアンサーはそれに気付いていない素振りで質問に答えた。

 

「そしたら、願いを叶えるチャンス(・・・・)が与えられるのよ。ちゃんと七人ミサキを殺せば願いは叶う。一つだけなら、どんなことでも」

「どんな、ことも……ですか」

 

 チラリと後ろを振り返る。無人の道路。少し駆ければ人のいるところへは簡単に辿り着ける。逃走経路は問題ない。朔月は足の速い方では無いが、目の前の少女の走りにくそうな出で立ちを見れば逃げ切れる自信が持てた。何か凶行を及ぼさないかだけ警戒していれば、大丈夫そうだ。

 でも出来れば何事も無い方がいい。だから朔月はノーアンサーが激昂したりしないよう話を合わせ続ける。

 

「例えば、誰かを生き返らせたりも?」

「ふふ! お釈迦様みたいにね? 勿論、できるわ。生き返らせるどころか、その人が死んだことすらなかったことにできる……殺しを完遂すればね」

 

 朔月は溜息をつきたい気分だった。不可能な戯れ言もここまで述べられれば大したものだ。

 怯えていた心は冷め、話半分になり始める。

 

「あー、そうなんですか。でもオバケを殺すなんて、私には出来ませんよ。生まれてこの方、空手も習ったことがないですから」

「それなら大丈夫。ちゃんと戦える力が貰えるわ」

 

 ノーアンサーは相変わらず楽しげだ。可愛らしい笑顔で溌剌と話している。話題が蝶や花の話なら、朔月は見惚れていたかもしれない。

 

「仮面ライダーの力があれば、何とだって戦えるわ」

「仮面、ライダー?」

 

 急に毛色が変わった話に首を傾げる。聞いたことの無い単語だ。

 ノーアンサーは嬉しそうに身体を揺らす。ナイトドレスがはだけ、スリットから白い生足が零れる。朔月が照れて顔を上げると、ノーアンサーはそれを恥じる様子も無く、童女が秘密の夢を語るような愛らしい笑顔でその存在を語った。

 

「そう、仮面ライダー! 悪を挫き、怪物を討ち果たす、正義と自由の騎士! 過酷な運命と十字架を背負った彼、彼女らはそれでも立ち上がり、人々の平和の為に戦うわ。異形に『変身』し、傷ついても立ち上がり、誰かを守護(まも)り続ける。その命が、終わるその時まで!」

「……へぇ」

 

 それは、いいな。と朔月は思った。

 今までノーアンサーが語ったことは鼻白むことばかりだったが、不思議とそれだけは純粋な気持ちで耳を傾けられた。

 誰かを救うヒーロー。人々が憧れる原風景。ピンチの時に颯爽と現われる疾風の騎士。それを想像して、朔月の心はほんの少し温まる。

 何より、変身。

 それは朔月が願って止まないことだった。

 

「……そう、なれるならちょっとはいいですね」

 

 だからそう溢した。純粋な気持ちで。

 ノーアンサーはその呟きを拾い上げる。

 

「でしょう? 強大な力、不屈の闘志。それらが手に入るの。貴女の願いは……それで叶うかもね」

 

 再びヒヤリとした。心中を見透かされているかのような感覚。錯覚だと撥ね除けようとしても、悪寒は泥土のようにへばり付いてくる。嫌な気分だ。

 裏腹に楽しそうなノーアンサーは、笑顔のまま、その場でタタンとステップを踏んだ。跳ねるようにして少女は数歩離れる。

 

「ま、気が向いたら唱えてね。出来れば今日中がいいわ」

「……分かりました。どうしてもそうしたくなったら、そうします」

 

 朔月は少女が帰るのだと思った。これでやっと解放される。ホッと内心でだけ息をつく。

 そんな朔月を見て口端の弧を深くする。

 

「今、ここで話したことによって貴女の運命は確定した。後はどう転んでも、この儀式に参加する……だから憶えておいてね」

「え?」

「貴女は、王者よ」

 

 ノーアンサーは、消えた。

 

「……え?」

 

 目を離した隙にとか、そんなこともない。パッと、いきなりいなくなった。目の前には夜風に揺れる草土しかない。まるで去るシーンを切り抜かれた映画のように、唐突にいなくなった。

 

「……っ!!」

 

 恐怖がぶり返すのには、十分な怪現象だった。

 朔月は夢中でその場から走り出す。

 

 訳が分からない。

 変なことを言われて、それに合わせて、そして消える? ただの女子高生が混乱するのにはあまりに充足した恐怖だった。必死に駆ける。息を切らしながら家まで戻る。

 だが別にアスリートでもない朔月はそんなに走れない。すぐに息が切れ、すると冷静になる。

 

(……あんなの、あり得ない)

 

 いきなり消えてビックリしたが、冷静に考えればそんなことが起こるわけがない。この世に不可思議なんてあり得ない。魔法や奇跡なんてものはファンタジーの被造物だと、朔月はそう思い込もうとする。

 だから家の前に辿り着く頃には、あれは瞬きしている内にどっかに行って、自分がそれを見逃したのだと結論づけていた。

 

 随分時間を過ごしてしまった。周囲の家には既に灯りをつけていない家もある。更科家もまた、そうだった。朔月は夕暮れ時と同じように音を立てずに扉の鍵を開ける。

 寝静まった家族を起こさないように、なんて気遣いではない。先と同じ、気付かれて煩わしい思いをしたくないからだ。

 開いた玄関。そして続く廊下は真っ暗だった。

 玄関の靴を見る。父親の革靴だけがない。どうやら口喧嘩に辟易した父は夜の街へ繰り出したようだ。どこかのビジネスホテルに一人で泊まるなんて惨めな真似はしないだろう。きっと愛人の下へ駆け込むに違いない。

 溜息を噛み殺し、朔月は二階の自分の部屋へ向かう。

 

「……あれ」

 

 そしてやっと辿り着いた我が聖域の電気をつけた時、朔月は違和感を覚えた。

 目を覚ませば必ず目撃する、自分の部屋。今日も変わりない筈のそこに、何かが足りない。

 しばし考え、そして気付く。

 ギターがない。

 

「なん、で」

 

 部屋の奥、窓の下にはギターが飾ってあった筈だ。アコースティックギター。三万程度の中古の安物。だがそれには値段以上の価値があった。

 自分の数少ない趣味。数少ない家での癒やし。そして何より、友人たちと一緒に選んだ、大切な思い出の品。

 

「なんで、なんで!?」

 

 火がついたように必死で探す。クローゼットを開き、ベッドを捲り、積んであった雑誌を崩す。だがどこにも見当たらない。

 

「なんで……!」

 

 ドタバタという騒ぎに目を覚ましたのか、開けたままのドアから母親が顔を出す。それに気付いた朔月は振り返る。目と目が合う。扉の枠にもたれ掛かりながら朔月を見つめていたのは、愛情など欠片も籠もっていない、冷たい眼差し。

 

「捨てたよ」

 

 母親から告げられた言葉に、朔月はしばし呆然となった。

 

「……え」

「だから捨てた。今朝」

 

 母親は何ということはないように告げる。

 

「カレンダー見てたら粗大ゴミの日だって気付いてね。何か無いかって考えてたら、アンタのギターが浮かんだ。丁度良いから、出しといた」

 

 感慨無く、平然と語る。いや少しは感情が含まれている。だがそれは悪意だ。

 まるでざまあ見ろとでも言っているかのような、優越感。それが垣間見える感情の正体。

 

「なんで……なんで!」

 

 朔月は激昂し詰め寄った。母親は煩わしそうに顔を顰め、吐き捨てるように答えた。

 

「誰のおかげで生活出来てると思ってるの。あんな余計な『おもちゃ』、いらないでしょ」

「……どう、して」

 

 なんで、から、どうして、に変わる。

 理解が出来ない。何故そうまでするのか。どうしてわざわざ朔月(むすめ)を追い詰めようとするのか。

 母親は鼻を鳴らして答えた。

 

「アンタだけが楽しそうにしてるの、ムカつくのよ」

 

 頭が真っ白に弾けた。

 感情の奔流が爆発した。捨てられた事への怒りや、無くなったことが事実という悲しみ。けどそれ以上に、信じられない気持ち。

 実の親が、そんな理由で娘の大切な物を捨てるなんて。

 魂の抜けた娘の顔を眺め、母親はつまらなそうに言う。

 

「アタシが苦労してるってのに、呑気におもちゃで遊ぶアンタの気概が気にくわなかったの。おかげで朝は少し清々したわ」

 

 分からない。分からない。……分かりたく、ない。

 

 純粋な悪意を以てそう嘯く母親が分からなかった。そこに娘に対する愛など無い。ただただ、気にくわないモノを追い詰める、猫がネズミをいたぶるような悪意だけがあった。

 

「……なんで、なの」

 

 言葉が勝手に零れる。

 

「なんで……分かんないよ」

「? 何がよ」

「私には、お母さんが分からないよ!!」

 

 突き飛ばす。母親が痛みで顔を顰め文句を言うよりも早く、朔月は廊下へ駆け出す。

 見たくない。声も聞きたくない。朔月はあんな母親がいるという事実を全部否定したかった。

 自分がその娘であるという事実を、自覚したくなかった。

 

 

 

 

 

 

 衝動的に駆け出したのなら、辿り着く場所は結局同じだ。

 朔月は三度、同じ川辺へ戻ってきていた。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 息が尽きる。感情のままに迸った脚は恐怖に呑まれた時より長持ちした。おかげでほとんど止まらずにここまで来てしまった。

 

「はぁ、はぁ!」

 

 肺が苦しい。けどそれ以上に、心が苦しい。

 嫌悪があった。喪失感があった。ただただ深い、悲しみがあった。

 少女の身に詰め込まれるにしては不相応な情動は、そのまま願いへの強い衝動となる。

 

「――七人ミサキ、七人ミサキ、七人ミサキ!」

 

 とにかく変わりたかった。こんな生活から。こんな生活を耐えられる自分へと。

 それに縋ったのは、記憶に新しかっただけでしかない。

 

「『戦います、戦います、私は七人ミサキと戦います!

  戦います、戦います、私は願いのために戦います!

  戦います、戦います、生き残りたいから戦います!

  勝って、嬲って、潰して、犯して――そして七人ミサキを、殺します!』

 

  ……だから、私を!」

 

 ――変えて欲しい。

 

 少女の願いは天には届かない。

 ただし、もっと別のものが掬い上げる。

 

「……え」

 

 弧を描く三日月が輝いたかと思うと、朔月の視界は光に包まれる。

 眩しさに目を瞑ると、次に訪れたのは一瞬の浮遊感。

 

「――痛っ」

 

 尻餅。鈍痛に目を開けた朔月が見たのは――

 

「……ここ、どこ?」

 

 緑の蔦が這う、廃墟だった。

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