「本当に送って行かなくていいの?」
「別にええで、少しやらなあかん事が出来ただけやから。それに貴様も疲れたやろ。サッサと帰って休みぃや」
厚い雲に覆われた中、プレジャーボートからコンクリートの地面へと足場が変わる二人の女性。
長く続いたデータ採りも終え、とあるマリーナに戻り隣にいるヒルデガルトへと小百合は意を介すがそんなものは無用と言わんばかりに碧眼に映った漆黒の髪に目を背け、ひらひらと手を振る。拒絶ではなく単に自分のことは構うな。そういった意思表示を込めているのだろう。
「貴女がそれで良いのなら構わないけど…………」
「
ヒルデガルトの肩に担がれグーグー、と然程大きくもない寝息を立てる
来た道中と同じようになおも夢の中へ深く潜り込んでいる。
「まぁその子の自業自得だし私からは特に言及する気はないけど。貴女も無理しちゃだめよ」
「
「そうだったわね。じゃあ、その子のことお願いね」
「ああ。貴様も気を付けてな」
「ええ」
牽引車としての役目を終えたクロスカントリー車を見送ると取り出したスマホからある人物へと連絡を入れる。
「もしもし紗南さん? 今戻ったで。そうや、先にメールで伝えたS装備、それと――――
通話相手は長船女学園の代表者たる真庭 紗南。
事を運びやすくするためヒルデガルトは既に彼女へと海上で大方の用件を伝え済ませていた。
「小百合は一緒なのか?」
「あ? ちゃうちゃう、あんな状態で付き合せたら過労死させてまうわ。かと言って一人やないでオマケも一緒や……バレても問題ないバカや」
小百合以外でヒルデガルトと行動を共にする、且つ彼女のバカという発言からそれは考えるまでもない。直ぐに理解したとスピーカー越しからその当人の名が短く発せられる。
「聖か?」
「せや」
「わかった。今日は私も長船にいるから着いたら直で
「了解」
信号機が黄色から赤色に変わったタイミングで小百合が走らすクロスカントリー車が交差点を通過する。普段の彼女であれば停車するのだろうが今日ばかりはそうはいかない。睡魔が襲ってくるのもあるがそれよりも理由は別にある。
このことを『彼』、そして『彼女』に伝えなければならないがしかし、伝える為には自分が持つスマホでは連絡が取ることが出来ず、唯一の手段が美濃関学院――その施設内に構えた拠点にある。故に小百合は美濃関学院へと戻るため急ぐのだが距離も時間も節約できるインターチェンジはまだ先の先。
焦りはダッシュボードのスピードメーターの針が示している。
一分一秒でも早く戻りたい。強張った身体からハンドルを握る手に一層力が入る。
だがふと
「ふぅ……」
速度超過は後々面倒なことになる。聖で嫌という程思い知らされているではないか。徐々にアクセルペダルを緩める。
一度休憩した方がよさそうね……冬眠打破、あったかしら。
減速しつつもその速度は猛スピードと呼べるほどにまだ速い。
コンビニのサイン看板を目すと左の歩道に渡ろうとする猫を蛇行運転で避け、タイヤが歩車境界ブロックをギリギリでかすめるとパーキングブロックの数センチ手前でクロスカントリー車は急停止する。
「ウォッ!? なんだ!?」
「what!? 何ごとデス!? ……アレ? サユリン?」
車から降りると見覚えのある金髪の少女が御刀を佩刀し聞き覚えのある声と渾名で小百合の名を呼ぶ。
「古波蔵さん? それに益子さんもこんな所でどうしたの?」
ドアを閉め振り返るとつい先日あった二人の刀使の少女達。
「オレもエレンも荒魂討伐の任務に駆り出されてな」
「その帰り道デス! 決してサボりじゃありませんヨ?」
「そう、お疲れ様。何か飲む?」
そう言って小百合はおもむろに財布を取り出す。キャッシュレス決済でもよかったのだがこちらの方が意図は伝わり易いだろう。
「いいのか!?」
おかげで思いの外、薫が目を輝かせて食いつく。
「私も一仕事終えたばかりだから、その次いでよ。何がいいかしら」
「エナドリ!」
「抹茶ラテがいいデス!」
「ねねさんは何がいい?」
ねねの目線に合うよう屈む小百合。
「ねー!」
「…………」
返答が戻ってきても案の定、何を言っているのか分からない。表情から察するに喜んではいるのだろう、少なくとも怒ってはいないことは確かである。
自分から訊いておいてなんだけど、やっぱり何を言っているか分からないわね。
「あー、コーラがいいって」
「この子炭酸系大丈夫なの?」
「今までに何回か飲んだことあるし大丈夫だろ」
小百合の中で荒魂に対する知識が新たに更新される。
350mlだと多いだろうし
手早く目当ての商品をレジに通し、それぞれが所望するドリンクを二人に渡す。
以外にもこのコンビニでは160mlを扱っていたお陰で短く切ったストローを缶にさすとねねも破顔した顔でそれを受け取った。
「かぁー! 生き返るー! 五臓六腑に染み渡るー!」
「ねーねー!」
「そんな大袈裟に飲まなくても」
「ネネまでマネして。その言い方だとビールを飲んだ中年オジサンみたいデスヨ」
エレンの指摘したとおり薫とそのピンク色の頭髪に乗るねねはテレビCMでよく見るテイスティングの誇張表現をそっくりそのままの素振りでしてみせる。
薫とねね、それぞれが舌先と喉ごしに染み渡らせた。
「いいだろ、実際身体に浸透してるんだから。改めて、ゴチになります!」
「ね!」
「そういう事は子供が気にしないの」
そう留意すると小百合自身も50mLの小瓶からカフェインを喉へと流し込む。睡魔から覚醒させるのが目的である以上やはり舌に残る薬品染みた苦みは如何ともしがたい。
「サユリンはもう帰っちゃうんデスカ?」
「ええ、徹夜明けだったから」
「えッ!? それは引き留めてしまって申し訳アリマセン……」
太陽のような明るさはどこえやら。頭部に生えた金色のアホ毛とともに申し訳なさから見る見るうちにしゅんと意気消沈しだす。
「いいのよ休息するつもりでここに立ち寄ったのだし。それよりもこっちこそ引き留めてしまったわね。時間大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。次の授業に遅れなきゃ問題ない」
「そう、ならいいのだけれ――――」
突如として
肌だけではない。漆黒の髪に、爪先に、払っても払っても直ぐに纏わりつく……とにかく小百合にへばりついた視線を体全体で感じ取った。見知らぬ誰かではない。
アンナ……?
その名とともに脳裏に浮かぶ記憶にあった少女の像。
ゆっくりと、だけど恐る恐るではない。彼女が確かにここにいる。そう確信を持ってコンビニの敷地内から道路へと――反対側の歩道を越え――
瞬間――見開くセピア色の瞳は二年前と何一つ変わらないままでいる赤髪の修道女――『アンナ』の姿を映す。
「どうしまシタ?」
なんで、ここに……。
エレンの尋ねる声も小百合の耳には入らず彼女の意識はアンナに奪われたまま。
互いに認知したところでアンナはニヤリと口角を上げるとすぐさま駆け出してその場から立ち去ってしまう。
「――――ッ」
声をかけようにも離れ過ぎているし何よりアンナの姿は脱兎のごとく走り姿を消してしまった。
普段の小百合であれば何か企みがあるのは明白だろうとアンナの行動に疑いの目を向けるだろうがしかし、今の小百合は不眠と溜まる疲労の所為で正常な判断は無いに等しい状態。
であれば彼女の取るべき行動はただ一つ。アンナを追い駆けるべく車内から御刀――七支刀を取って佩刀し、ロングカーディガンを羽織る。
「荒魂デスカ?」
何も言わず佩刀した小百合を目し、エレンはスペクトラムファインダーを立ち上げるがその反応はない。
「いないな」
自分のスペクトラムファインダーを立ち上げるよりもすでに確認している
「ただの私用よ。それよりも貴女達は早く学園に戻りなさい」
「ワタシたちも手伝いま……ス……ヨ…………」
最後まで言いかけるも既に小百合は豆粒に見えるまで小さくその速度はまるで迅移並み。
二人の少女と一匹の
「……どーする? この前の任務の時に羽織ってたカーディガンも着てたし結構ヤバめな事か?」
「ン―、ソウデスネ。これは気になりマスネ。荒魂ではないことは確かデスがああも焦っているのを見ると只事じゃないデスヨネ」
「しゃーない、じゃあ決まりだな。面倒だけど」
「ねー!」
残りを一気に飲み干す二人と一匹。そのままゴミ箱へダストシュートする。
アンナを追跡中幾つかの妨害に小百合は遭ったものの内容は至極単調で、よくある洗脳された人間による襲撃。修羅との戦闘に比べれば待ち伏せ――それも一般人が数人程度なら苦も無くあしらうなど造作もない。そうして、アンナとの距離が近付く。
「ハァ……ハァ……」
息を切らして彼女の見慣れた足跡に染みついた血の匂い、不快な空気を頼りに道中を辿ってきた。しかし、どれもがわざとらしい。この程度の情報などなくても辿り着けるがそこまでしなければならない程……それ程まで嫌悪の情を抱き下に見ていたのか。だから私達の元から去ってしまったのか。
所々空白が目立つビルのテナント看板を通り過ぎ、バリアフリー化された玄関ドアの前で止まる。彼女のやり口は今でも覚えている。その性格も。だから入って直ぐに罠に嵌められることはなく、こうやって時間をかけて呼吸を整え、ゆっくりと一歩ずつ進むことができる。
「………………答えて、何故ここにいるの」
玄関ドアがスライドするのを終えて漸く、かつてのパートナーと再会を果たす。
「――――アンナ」
エントランスホールの中央で待っていたのは赤髪の修道女。鼻歌を交じらせては飽きもせづその場で幾度もつま先立ちを繰り返しては必ず来るだろうと確信を持ち、今か今かと待ち人を気長に待っていた。その甲斐もあってか待ち人――小百合から久々に聞く一声でクルリと振り向き、不敵な笑みを見せる。
「あら、感動の再開を果たしたのに開口一番に出る言葉がソレェ? 随分と薄情な子ね。もっと気の利いた言葉はないの? え、ない? もうしょうがないなぁ~ドラマやアニメからのセリフの引用でも我慢するから玄関のところからハイ、リテイク!」
「真面目に答えてッ!!!」
弾む声をかき消したのは子供が駄々をこねるときのような大声。
発声先の小百合は整えたはずの呼吸も綺麗だった漆黒の髪とともにかき乱されている。
「まぁ、余裕ないのも仕方ないか。いいわよ、ワタシとアンタの仲だもの教えてアゲル」
無邪気さを残してはクスクスとどこか可笑しそうに忍び笑うが上がった口角は一瞬で消え去り、一転して表情は凍り付き散瞳する濁った青で小百合を凝視するとアンナの口から次いで言葉が発せされる。
「参謀として様子を見に来たのよ。もちろんアンタの今をね」
「参、謀……?」
「アレ? 言ったことに対して脳の理解が追い付いてない感じ? 珍しいわねアンタにしては。それともワタシの言葉を疑ってる? アンタと同じ位の力量なのにその地位にいるのはオカシイって」
「どういう、こと……?」
アンナは何を言っているのだろうか。ただ一つ言えるのは理解してしまえば想定していた最悪の事態が訪れるということ。
「ア~ララ、ホントに混乱しきってるわねコレ。なら脳ミソが理解できるように伝えてアゲル。立ち上げたのよ新しい流派を、その当主たる『
「間陣さんが……立ち上げた? そんな、どうして……」
「どうしてって、そんなの決まってるでしょ」
そんなことは言わなくてもわかっている。知りたいのはそこじゃない。
「ワタシたちは武芸者。戦うことが存在意義であり、存在証明のために戦う」
「戦う……?」
今さら何と?
「決まってるじゃない。奴らと、2年前アンタたち残留組が仕損じた……アイツら『天魔』どもとね」
「戦うって、今さらどうこうできるわけないでしょ。大体『人類軍』も今は立て直している最中よ。どうやって戦うつもりなのよ?」
「さぁ? そこは間陣と参謀長サマが考えること。ワタシが口を挿むことじゃないわね。まぁ、どんな状況になろうとも最後まで戦うだけよ」
何をぬけぬけと。
「戦って、戦って戦ってぐちゃぐちゃに潰して引き裂いて八つ裂きにしてやるだけ」
理由も言わず勝手に去ったくせに……。今度も勝手なこと言って……!
「真面じゃない、真面じゃないわよ貴女…………!」
予期せず握られた拳からギュギュ……と音、そして血が漏れ出す。童心に帰ったように楽し気に破顔するかつての戦友を見て小百合の奥底から沸き上がるどす黒い
――――ポタ
――――ピチャ
――――ポタ
――――ピチャ
垂れた雨水のように塩ビタイルの床に血液が沈む。時折それが跳ねて靴に付着するがそんな些細なことなどどうでもいい。しかし、アンナはそんな小百合の心情など察することもなく言葉を続ける。
「何で? 何がイケないの? まぁ分からないでしょうね親もいて、住む場所もあって、食べることも困らない、今日すらどうなるかわからない…………アンタじゃワタシ
今度はアンナが握り拳を形作る。
「
「待って、別に貴女を否定なんてするつもりは――――」
――――バチッ!!!
長めのブーツで踏みつけた床に亀裂が生じ陥没させた。
「アンタの存在そのものが言ってるのよ……その、目がァッ! 声がァッ!! 子供の頃から憐れむような目で見やがってッ!!! 汚ねぇ手でアタシに触れんじゃネェ!!!!」
今まで押さえつけていたモノをここぞとばかりにグッと堪え続けた感情が怒鳴り声となり曇らせた表情の小百合に吐き出す。
「…………だから壊してアゲル。アンタの大切な物全部、壊して壊して……全部ワタシの
「アンナ……」
「ホント、無自覚が過ぎるわよね今でもそんな目をするんだから。でも安心して。お別れを言う時間ぐらいは待つから。サァ、ホラ。後ろのギャラリー達に言わなきゃ。お別れの挨拶を」
「ギャラリー……達……ッ!?」
この状況で何を言い出したのか、そう思ったのも束の間――手の先から侵入してきた三つの気配に漸く気付き、アンナのことなど失念してグルリと急旋回し背を向けて彼女達へと視線を移す。
「コレどういう状況デス?」
「ゼェ、ハァ、ゼェ、ハァ……
「古波蔵さんに益子さん!?」
感情を吐き出した相手に背を向けるのは迂闊だが当人は宣言通り今はまだ何かをする素振りはない。そのお陰で小百合はエレン達と対面を果たすことができた。
「貴女達何故来たの!?」
「先輩がァ…………気になっ、ゼェ……からにぃ、ハァ、ハァ……決まってン……だろォ」
「そちらの方はどなたデス?」
「初めましてー。ワタシはヨハンナ・ピオニー・パイエオーン。そこにいる
「元、同門?」
「その元同門がセンパイになんの用だよ。まさか久しぶりだから挨拶しに来ただけじゃないだろ……お前、なんか禍々しいぞ」
それなりの距離を走り体力も底を尽きかけた短躯だが既に肩から息を吸うのを止め、どうにか普通に喋れるようになると薫の言葉よりも先にねねが威嚇をするように唸る。
その矛先のもととなる作り笑顔から醸し出されるのはアルコール臭だけではない。それだけならねねもこうまで警戒はしない。なにか別のモノが混じっている。敵意なら幾分かマシだっただろう。ペテン師のような悪意溢れるモノでまだあればかわいい方だ。
赤髪の修道女から漏れだすモノの正体――それは鉄と腐敗した臭い、即ち……血と死臭。
香水のようにアルコール臭でどれだけ誤魔化そうとしても血生臭さ、それも別段濃い臭いともなれば
「ええ、そうよ。見に来たのよ。
「それで、もしお前の言うところの停滞してたらどうするんだ」
――ッ、これはマズい!
アルコールと血と腐敗が入り混じる中、急速に変わる空気を察知すると同時に小百合の靴底は既に床を蹴り上げていた。
「そんなの、決まっているじゃない――――」
ヨハンナ・ピオニー・パイエオーン
瞳の色……濁った青色
靴…………ブーツ
備考……24.のピオと呼ばれる血と死臭を纏う女。
小百合からはアンナ、静音達からはピオと呼ばれる。
元々は孤児だったが拾われて小百合達の下で暮らすようになるがとある理由で決別し、
今では『間陣』という武芸者が立ち上げた新流派の参謀として色々と暗中飛躍の日々を送る。
呼び方
百合園 小百合……
??? 間陣………間陣
ヒルデガルト・V・リッター
呼び方
真庭 紗南……紗南さん
真庭 紗南
呼び方
新木 聖……聖
冬眠打破
50mLの小瓶からなる薬品染みた苦みのある清涼飲料水。