ハリー・ポッターと黒い魔法使いの孫   作:あんぱんくん

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あの日から、”死”という概念についてよく考えるようになった。

魂を引き抜かれた両親、冷たくなった妹。

言い方は悪いかもしれないが、家族はちゃんと死ねたのだろう。

でも、私は?心臓は動いていて、息もしていて。

なのに目に映る全てが、硝子を隔てた向こう側のようにしか感じられなくなった私。

そして、奇妙に現実感の無い世界で演技を続けるボクもまた、やはり死んでいるのだろうか?



#013 二つの顔を持つ男

 

 

 虫の知らせというか、何というか。

 不意に、居ても立っても居られなくなった私は、屋敷を抜け出し公園へと向かった。

 今思えば、幼いながらに感じていたのだろう。

 此方に近づいてくる巨大な気配に。

 

 ────其方から来るとは良い心掛けよ

 

 その少女は、夕暮れ時にひょっこりと現れた。

 涼やかな銀の髪に、宝石のような輝きを放つ紫の瞳。

 赤い陽光が、血液のように粘ついて全てを照らす公園。

 そのただ中にて、ごぉごぉごぉ……と青く、黒く、太陽よりも眩く燃えている悪魔。

 

 ────貴様には片割れがいる筈だが……まぁいい。屋敷から感じられる魔法力からして、貴様の血が一番濃いであろうしな

 

 レンズのような無機質なエメラルドで、少女は私を覗き込む。

 冷たい瞳だった。凡そ人の暖かみを何ら感じさせない、虫や地面の染みを眺めるようなそんな輝き。

 そして、悪魔の口元には微笑があった。

 

 ────精神的抑圧で心を揺さぶっている最中か。悪くはないがそれでは甘い。潜在的素質はピカイチなのだが、如何せん血が眠っておる……どれ

 

 頭へと伸ばされる手。不思議と抵抗する気が起きなかった。

 小さな掌に、視界が閉ざされる。

 途端に身体の奥底からほんのりと熱くなって、それは身を焼く業火へと変わった。

 

「……うあ……ぁぁぁぁぁ…………ぁぁっっ」

 

 まるで太陽の輝きが、身体の中の血を沸騰させているかのようだ。

 否、本当に身体が焼け爛れていっている。

 大気との断絶。凄まじい悪寒。

 皮膚は焼け焦げ、皮膚呼吸機能が失われていっているのが分かる。

 

 ────執念を保て。魔法力を練ろ。感情の赴くままに血を燃やせ

 

 怖い。無くなる。無くなってしまう。

 感覚が。視界が。私という存在が。

 じたばたと暴れ回っても、私を掴む小さな手はピクリとも動かない。

 どうして、なんで、嫌だ、怖い、死にたくない……死ね。

 

「っ……あ」

 

 殺してやる。壊してやる。潰してやる。引き裂いてやる。燃やしてやる。磔にしてやる。串刺しにしてやる。轢き殺してやる。斬り殺してやる……。

 様々な感情が一気にぶち上がって、ドス黒く染まる感覚。もはや言葉では言い表せない。

 膨れ上がった衝動に任せて、私の頭を掴む不遜な手を全力で握り込む。

 ジュゥウッッと、肉の焦げる匂いがした。

 

 ────素晴らしい……

 

 引っ込められる手。

 悪魔の白い手には、まるで鉄板を押しつけたかのように子供の掌状の焼け跡がついていた。

 見るからに痛々しい火傷、一生残るであろう傷跡。

 それはスルリと悪魔が撫でるだけで消えた。

 

 ────ハズレだった息子(・・)とは大違いだ。憤怒、憎悪、殺意、破壊衝動、どれをとっても人並み外れておる

 

 ふと、私は気がつく。

 先ほどまで、身体を覆っていた激しい悪寒が消えている。

 重度の火傷で爛れていた筈の全身は、負傷など最初から存在しなかったかのように、服も皮膚も何もかも焦げ跡一つなかった。

 しかし、先程までと違うことがある。

 

 ────ほう。素質もあったか。ますます良いな

 

 ごぉごぉごぉぉっっ……

 私の身体から青黒い焔が迸っている。

 煌々と。轟々と。私の感情をそのまま体現するかのような灼熱。

 悪魔は穏やかに語りかけてくる。

 

 ────覚えておけ。闇の魔術にとって、最も大切なのはその黒い感情の昂りだ

 

「感情の……昂り……?」

 

 そうだ、と頷く悪魔。

 燃え盛る互いの焔に照らされて、その顔がはっきりと浮かび上がる。

 恐ろしく綺麗な顔だった。

 無機質な……それでいて非現実的な魔の美貌。

 無意識うちに深く呼吸をする。

 息を呑む、という感覚はこの時が初めてだったのかもしれない。

 何かに見惚れる、感動するというのは。

 

 ────生き残れ。ひたすらに力を求めろ。渇望こそが最もシンプルにして必要な原動力だ。力がなければ生きる価値はない

 

 日没と共に見知らぬ少女は消えていた。

 初めからいなかったかのように、私の視界から消え去った。

 

 死喰い人によって私以外の家族が皆殺しにされたのは、その翌日の事である。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 湖から戻ったハリー達は、二手に分かれる事になった。

 部屋への侵入を事前に阻止または察知出来るなら、それに越したことはないからである。

 ハーマイオニーは職員室の外でスネイプを待ち伏せし、その跡を尾行する役目になった。

 勤勉家で有名な彼女なら、職員室の外をウロウロしていても先生を待っていると答えれば、さほど不自然には思われない。

 ハリーとロンは、四階の例の廊下にて侵入者が来ないか見張る事となった。

 

 しかし、三人の計画はあっさりと破綻する。

 

 まず、ハリーとロンによる四階の見張りは、偶然居合わせたマクゴナガル先生により阻止された。

 禁じられた廊下で二人を見つけた彼女は、顔から湯気が出そうなほどに激怒していた。

 

 ────こんな愚かしいことは許しません!もし、今後貴方達がこの辺りに近づいたと私の耳に入ったら、グリフィンドールは五十点減点します!えぇ、そうですとも。自分の寮でも減点します!! 

 

 おまけにハリー達が談話室に戻ると、職員室にて見張りをしている筈のハーマイオニーが何故か先に居て、申し訳なさそうな顔で二人を出迎えた。

 

「ハリー、ごめんなさい!」

 

「スネイプが出てきて、何してるって聞かれたの。勿論、フリットウィック先生を待ってるって言ったんだけれど、スネイプったらフリットウィック先生を呼びに行っちゃったの。だから私ずっと捕まっちゃってて……スネイプがどこに行ったのかわからないわ」

 

 もはや打つ手無しの状況。

 当初の予定通りにするしかない。

 

「もうこんな不毛な足踏みはやめにしよう。僕らが直接、賢者の石を手に入れる。良いね?」

 

 ハリーは二人を見つめた。

 

「今夜、ここを抜け出して”石”を何とか先に手に入れるんだ」

 

「それしかないかぁ……」

 

 気乗りしなさそうな様子でロンは肩を落とす。

 ハーマイオニーも首を横に振ってハリーの考えを否定した。

 

「駄目よ。マクゴナガル先生にもスネイプにも言われたでしょ?退校になっちゃうわ」

 

「ならどうするのさ。わからないのかい?もしスネイプが”石”を手に入れたら、ヴォルデモートが戻ってくる。あいつが全てを征服しようとしていた時、どんな有様だったか聞いてるだろう!退校どころかホグワーツそのものがなくなってしまうんだ!それともグリフィンドールが寮対抗杯を獲得しさえしたら、奴が君たちやその家族には手出しをしないとでも思っているのかい?」

 

 どうせ”石”を盗られてしまえば、そこでゲームオーバー。

 その前に先生に見つかって退校になっても同じだ。

 ハリーはダーズリー家に戻り、そこでヴォルデモートがやってくるのをじっと待つしかない。

 変わるのは、死ぬのが少し遅くなるくらいだ。

 

「今晩、僕は仕掛け扉を開ける。君達が来なかろうが、僕は行く。いいかい?僕の両親はヴォルデモートに殺されたんだ」

 

 鬼気迫るハリーの表情に、ロンがごくりと唾を飲む。

 納得してくれたようで、ハーマイオニーも消え入るような声で謝ってくる。

 こうして、三人一緒に”石”を奪取する為の退校を賭けた夜中の冒険が決定した。

 

「でもどうするって言うんだ?夜中はフィルチが彷徨いてる。さっきの僕らの行動で、他の先生も4階の廊下を重点的に警備する筈だ」

 

「それなんだよ問題は。こんな時に透明マントがあればいいんだけど、いつかのドラゴンの騒動の時に失くしちゃったんだ……」

 

 天文台のところでフィルチに捕まったのを最後に、透明マントは見ていない。

 フィルチに没収されているのか、はたまた誰かに使われているのか。

 どちらにせよ困ったことになった。そうハリーが肩を落とした時、視界の端を小さな何かが横切る。

 

「ん?……なんだ?」

 

 咄嗟にその首根っこを捕まえたハリーは、まじまじとその生き物を見る。

 カモノハシのような外見だ。長く突き出た鼻とくちばし、ふわふわした黒い体毛の可愛らしい生き物。

 ハーマイオニーが声を上げた。

 

「ニフラーだわ!」

 

「ニフラーだって?なんでこんなところにいるのさ」

 

 ハリーは己の抱き抱えたニフラーにもう一度目をやる。

 キラキラした瞳を向けてくる小動物の様子は非常に愛くるしい。

 

「きっとメルムのペットね。ゴールディって名前なの」

 

 メルムは普段、このペットと一緒にはいない。

 ニフラーの習性上、人間と行動すると何かと不便だからだ。

 彼らの習性として最も知られるのが、キラキラした金属類や宝石等の光り物に惹かれるという点である。

 単純な金銀財宝に限らず、光り輝いていれば全て対象に入るので、スプーンや金貨にまで手を出してしまう。

 成金や金持ちの多いスリザリンなら尚更のこと。

 とはいえこのペットは、メルムの”躾”によってそこら辺は割としっかりしている。

 故にゴールディは、お腹の袋からモソモソと一つのマントを取り出した。

 

 ────小柄な人間なら三人は包み込める大きさの透明マントを

 

「……全部見透かされてるってワケかい」

 

 天文台で失くした透明マント。

 このタイミングで返してくるとは。

 どこかであのぼんやりとした顔が微笑んでいる気がして、ハリーは苦笑した。

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

 それからの一日にも満たない時間は、ハリーの中で最も長く感じられたものだっただろう。

 

 何処からか話を聞きつけて、ハリー達の真夜中の冒険を止めようとしたネビル・ロングボトムの勇気。

 

 真夜中に侵入した部屋の隅で眠りこける、見上げる程に巨大な三頭犬(ケルベロス)

 

 仕掛けられた巨大な悪魔の罠や鍵鳥の群れ。

 

 魔法使いのチェスで発揮されたロンの才能と機転、そしてその身を賭した献身。

 

 何度も死ぬ思いをし、最後のスネイプが仕掛けたと思われる論理パズルの試練をハーマイオニーの頭脳で突破する。

 

「ハリー?”例のあの人”がスネイプと一緒にいたらどうするの?」

 

「そうだね。僕、一度は幸運だった。そうだろう?」

 

 ハリーは額の傷を人差し指でさす。

 傷はジクジクと鋭い痛みを放ち続けている。

 それどころか、進むにつれて痛みがどんどん酷くなっている始末だ。

 そして、だからこそ痛みを振り払うようにハリーはニヤッと笑った。

 

「だから二度目も幸運かもしれない」

 

 痩せ我慢はバレていた。

 唇を震わせたハーマイオニーが、ハリーに駆け寄り、両手で抱き付く。

 

「その幸運を祈ってるわ、気をつけてね」

 

 彼女はこれから道を引き返し、ロンと合流する。

 フクロウ小屋に行って、この事態をダンブルドアに知らせる手紙を出す為だ。

 流石にハリーも、ヴォルデモートやスネイプを自分だけでどうこう出来るとは思っていない。

 目的はダンブルドアが来るまでの時間稼ぎだ。

 

「それじゃ行くわね」

 

「うん。いってらっしゃい」

 

 踵を返して、紫の炎の中をまっすぐに進んでいくハーマイオニーを見送る。

 深呼吸したハリーは、小さな瓶を取り上げた。

 黒い炎の方に顔を向けて呟く。

 

「……行くぞ」

 

 小さな瓶を一気に飲み干す。

 まさに冷たい水が身体中を流れていくようだった。

 ハリーは瓶を置き、歩き始める。

 炎が身体をメラメラと舐めたが熱くはなかった。

 

「……」

 

 暫くの間、黒い炎しか見えない景色が続く。

 今のハリーは一人だ。親友のロンも心強いハーマイオニーも誰もいやしない。

 心細くて座り込みそうになるも、そんな自分をハリーは叱咤し、炎の中を突き進んでいく。

 

「……とうとう炎の向こう側に出た」

 

 そこは正真正銘、最後の部屋であった。

 また、ハリーの予想通り、既に誰かがそこにいた。

 しかし、それはスネイプではなかった────ヴォルデモートでさえなかった。

 

「貴方が……?」

 

「そう。私だ、ハリー・ポッター」

 

 そこに居たのは、ターバンに頭部を包んだ陰気な教師。

 闇の魔術の防衛術を担当するクィリナス・クィレル教授、その人だ。

 

「ポッター。君とはここで会えるかもしれないと思っていたよ」

 

 落ち着きを払った声。

 端正な顔に薄暗い笑みが浮かんでいる。

 そして、その顔はいつもと違い痙攣などしていない、堂々とした自信に満ち溢れるものだった。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 クィリナス・クィレルは落ち着いた様子で、ハリーと向き合っている。

 その大人びた様子は、普段の授業の時とまるで別人のように見えた。

 常にオドオドして、どもりが激しかった彼からは想像も出来ない。

 

「どうして……あなたが?……僕はスネイプだとばかり……」

 

「セブルスか?確かに、セブルスはまさにそんなタイプに見える。彼が育ち過ぎた蝙蝠みたいに飛び回ってくれたのが、とても役に立った」

 

 余裕のある口調でそう言うと、クィレルは笑みを浮かべてみせる。

 ハリーの目の前に立つ男は、以前見かけた時よりもずっと大きく見えた。

 向けられた笑みもどことなく冷たく無機的で、まるで精密な機械のような印象を受ける。

 

「でも、スネイプは僕を殺そうとした」

 

「いや?殺そうとしたのは私だ。あのクイディッチの試合で、君の友人の穢れた血(グレンジャー)がセブルスに火をつけようとして急いでいた時、ぶつかられてしまってね」

 

 忌々しげに細められるクィレルの瞳。

 

「それで君から目を離してしまったんだ。それさえなければもう少しで箒から落としてやれた……まぁそもそも君を救おうとして、セブルスが私の呪いを解く反対呪文を唱えてさえいなければ、もっと早く叩き落とせたんだがね」

 

「……スネイプは、僕を、救おうとしていた……?」

 

「その通り」

 

 クィレルは事も無げに答えた。

 

「彼が何故、次の試合で審判を買って出たと思うかね?私が二度と同じ事をしないようにだよ。どちらにせよ、そんな心配をする必要はなかったんだが。何せあの老獪なダンブルドアが見ている前では、私は何も出来ない……とはいえ随分と時間を無駄にしたものだよ」

 

 そこまで一息に言うと、クィレルはたまらないとばかりに笑った。

 いつもの甲高い震え声ではなく、鋭い嗤い。

 やがてピタリと笑いを止め、真顔になった彼は冷たく言い放った。

 

「どうせ今夜、私がお前を殺すのに」

 

 ハリーは戦慄にも似たおぞましさを覚え、クィレルを思わず睨みつける。

 

「貴方は、それでも生徒を預かる人間か……!」

 

「大義の為ならば仕方のない話なのだ。私の献身も、君の犠牲も。そう、古めかしく言うのなら────”より大いなる善の為に”」

 

 呪いのような謳い文句。

 パチン!とクィレルが指を鳴らす。

 縄がどこからともなく現れ、ハリーの体に固く巻きついた。

 

「ポッター、君は色んな事に首を突っ込みすぎる。生かしてはおけない。とはいえ君を始末するのは、この中々に面白い鏡を調べた後だがな」

 

 大人しくそこで待っておれ。

 そう言い捨てると、クィレルは後ろにある鏡に目を向けた。

 たった今ハリーも気づいた事だが、それは”みぞの鏡”だった。

 

「この鏡が石を見つける鍵なのだ。ダンブルドアならこういうものを考え付くだろうとは思った。しかし彼は今ロンドンだ。帰ってくる頃には、私は”賢者の石”を手に入れているし、ポッターは死んでいる」

 

 ハリーは縄を解こうともがいたが、結び目が硬い。

 ならば、何とかしてクィレルの注意を鏡から逸らさなくては。

 

「スネイプは僕のことをずっと憎んでた」

 

「あぁそうだ。全くその通りだ。お前の父親と彼はホグワーツの同窓だった。知らなかったか?互いに毛嫌いしていた。だが、お前を殺そうなんて思わないさ」

 

 奇妙な自信が篭った言葉だ。

 クィレルは、自分の父とスネイプの間に何があったのか知っているような口振りだった。

 

「それならあの日、教室で貴方は”誰”に脅されていたんですか!?僕は貴方が泣いているのを聞きました。てっきりスネイプが脅していたと思っていた」

 

「誰か、だと?」

 

 ハリーの質問に思わずといった調子でクィレルが笑った。

 まったく見当違いのことを真顔で語る者がおかしくてたまらないと言わんばかりに。

 

自分の親(・・・・)を葬った者(・・・・・)の声くらい覚えておいても良いと思うのだがね」

 

 ハリーの思考が一瞬、真っ白になった。

 その言葉の示す意味を理解し、冷や汗が吹き出し膝が笑う。

 

「それじゃあ……あの教室で、貴方は”あの人”と一緒にいたんですか」

 

「私の行く所、どこにでもあの方はいらっしゃる」

 

 揶揄するように言って、クィレルはハリーを見る。

 表情こそ変わらず穏やかではあったが、その瞳は背筋が凍るほどに冷え切っていた。

 低い声は静かに、しかし昂ぶりを隠せていない調子で話を続ける。

 

「世界旅行をしている時、あの方に初めて出会った。当時、私は愚かな若輩で善悪について馬鹿げた考えしか持っていなかった────ヴォルデモート卿は、私がいかに誤っているかを教えてくださった。善と悪が存在するのではなく、力と力を求めるには弱すぎる者とが存在するだけなのだと」

 

「それ以来、私はあの方の忠実な下僕となった。勿論、あの方を何度も失望させてしまった。過ちは簡単に許してはいただけない、グリンゴッツから石を盗みだすのに失敗した時はとてもご立腹だった。私を罰した。そして私をもっと間近で見張らないといけないと決心なさった」

 

 クィレルの声が次第に小さくなっていった。

 ハリーは、ダイアゴン横丁に行った時のことを思い出す。

 なんで今まで気が付かなかったのだろうか。

 ハリーはあの日、クィレルと会っている。何なら漏れ鍋で握手までしていた。

 

「さぁ、鏡には何が映る?────あぁ、見えるぞ。賢者の石を持つ私が……だがどうやって手に入れるッ!!!」

 

 ────その子を使え

 

 クィレルの問いに答えたのは全く別の声。

 奇妙な事に、その声はクィレル自身から出てくるようだった。

 言い知れない違和感にハリーの身体が緊張する。

 

「ここへ来い、ポッター!早くッ!」

 

 鬼気迫る様子で杖を手繰ったクィレルは、縛られたままのハリーを鏡の前まで無理矢理移動させた。

 それはいつかの飛行訓練の時に、メルムがマルフォイに使った呪文に酷似していた。

 

「鏡を見て何が見えるのかを言え!」

 

 ハリーは目を瞑って必死に思考を巡らせる。

 今、何よりも欲しいのは”石”だ。

 クィレルより先に賢者の石を見つけたい。

 鏡を見れば”石”を見つけた自分の姿が映るのは間違いない。

 ”石”がどこにあるか見えるのは良いが、クィレルに悟られないようにするにはどうすれば良いのだろうか。

 

「……ッ!」

 

 思い切ってハリーは目を開け、鏡の中の自分と向き合った。

 青白く怯えた少年の姿が目に入る。

 しかし次の瞬間、驚くべき事が起きた。

 なんと鏡の中の自分が笑いかけてきたのだ。

 鏡の中のハリーは、ポケットに手を突っ込み、血のように赤い石を取り出す。

 そしてウインクすると、またその石をポケットに入れた。

 途端に現実の自分のポケットの中にも、何か重いものが落ちる感触が生じる。

 

 意図せずして、ハリーは賢者の石を手に入れたのだった。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「なるほどねぇ」

 

 呆れたような声が薄暗い一室に木霊する。

 そこは、うず高く積まれた本や骨董品が所狭しと犇めき合っている部屋だった。

 おどろおどろしい理由で寮には置けない曰く付きの品々。

 それらの蒐集品は、ボクが世界を旅しながら収集していたものだった。

 その量たるや想像以上で、ただの一学生が集めたとは到底信じては貰えないだろう。

 

「流石はダンブルドア校長。嫌らしい手を考えたもんだ」

 

 部屋の中央に僅かに空いたスペース。

 ポツンと座り込んだままボクは、古いオイルランプに照らされた壁を見ていた。

 オイルランプによって壁に映し出された映像には、”みぞの鏡”の前で縄に縛られたポッターが映っている。

 

「……恐らくだけど“使いたい者”ではなく、“見つけたい者”に賢者の石が渡るように仕組んでいるのかな」

 

 最後の部屋の”みぞの鏡”を用いた防衛魔法の出来に感嘆する。

 この魔法の素晴らしい所は、渡すターゲットを単純にする事で因果関係を明確にしている。

 何故なら、そういう場合の方が呪いは薄れないし、強固に働くからだ。

 

「カラクリは至極単純なんだけど、それだけに難しいんだよね。賢者の石の効能を知っていれば、誰でも欲に目が眩んで使ってみたくなる。だけどそんな人間には”石”を手に入れることは出来ない……まったく、人間の心理の裏を上手く突いているよ」

 

 ボクはランプを軽く揺らす。

 ズレる景色。壁の映像が鏡を覗き込むハリーから、その様子を見守っている人物……クィレル先生へと移り変わる。

 

「すっかり騙されたよ。まーさかクィレル先生が犯人だったとはね」

 

 いよいよターバンを解き、後頭部から第二の顔を露出させたクィレル先生。

 彼の頭の後ろに生えた第二の顔(ヴォルデモート)は凄まじい顔だった。

 蝋のように白い肌、ギラギラと血走った目、鼻腔は蛇のような裂け目になっている。

 

「本当に人間のお股から生まれてきたのか怪しいもんだ。まるでホラー映画だよ」

 

 なんとも醜い姿だ、そしてあまりにも生き汚い。

 赤ん坊に敗れ、肉体は消滅し、死喰い人共から見捨てられ、それでも哀れな凡俗を唆して復活を望む。

 自死や玉砕が美しいとは思わないが、その執着は醜いの一言に尽きる。

 

「何らかの闇の魔術で事実上の死からは逃れているのかな?これは。はぁ……赤ん坊の前に膝を着き、滅んだ事こそが運命だったのだとなんで諦め切れないのかねぇ」

 

 不老不死?くだらない。

 確かに、死とは無常だ。

 どんなに積み上げてもどんなに努力しても、時が来れば塵となる。

 しかし、だからといって終わりなき生を選ぶのは極端過ぎる。

 いつ終わるとも知れない生など、生き地獄と同じだろうに。

 

「名前を正しく呼ばないというのも考えものだよね……結局はヴォルデモートという名も正しくはなかったし。恐らく本来の発音はヴォルドゥモールかな?」

 

 それはフランス語で”死の飛翔”を意味する。

 そして、この言葉にはもう一つ意味があるのだ。

 

 ────それは……”死からの逃走”

 

 今世紀最悪と謳われた魔法使い。

 その余りにも俗な部分に呆れたボクは、ロリポップを咥えてため息を吐く。

 

「縁起担ぎもここまでくると感心するね。よほど”死”が怖いと見える」

 

 皮肉な話だ。

 恐らく誰よりも魔法の深淵に近づきながらも、その欲求は矮小。

 即ち────死にたくない。

 あれだけ人間を殺しておいて何とも身勝手な願望である。

 

「それにしてもつまんないなあ」

 

 折角、睡眠時間を削ってまで彼らの闘争に時間を割いているというのに、これじゃあんまりだ。

 一人は後頭部から生えた顔に主導権を取られてずっと後ろを向いているし。

 もう一人は縄で縛られて顔が真っ青。

 ボクはこんなものを見る為に透明マントを彼に返したワケじゃない。

 

「虐殺ショーなら過去の記憶で間に合ってるんだよね。ボクが見たいのは運命の削り合いだ」

 

 スっと懐の杖を、ボクは手繰る。

 

「少し、手助けをしてやるかね?」

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 そして同じ時、ハリーをがんじ絡めに縛っていた縄が突如として解けた。

 

 ────なッ……

 

 目の前の醜悪な顔が、驚愕に揺れた。

 次いで不快気に漏れる、僅かな舌打ち。

 

 ────やはり邪魔をしてきたか、忌々しい大君の血族め

 

 クィレルは後ろを向いている。

 話によれば、ヴォルデモートは喋るだけで精一杯の筈だ。

 決然とハリーは懐から杖を抜き出した。

 顔が低く唸る。

 

 ────馬鹿な真似はよせ。命を粗末にするな。俺様の側につけ。さもないとお前も、お前の両親と同じ目に合うぞ?2人とも命乞いをしながら死んでいった

 

「黙れよ、ゲス野郎」

 

 その声は、まるで落ち着いた大人の声だった。

 この状況で、傷だらけの体で、一年生が出す声とはとても思えない深い重い声だった。

 

 ────胸を打たれることよ。恐怖に震えもしない。そうだ小僧。お前の両親は勇敢だった。俺様はまず父親を殺した、勇敢に戦ったがね。

 

 くつくつと意地の悪い笑みで、その口を歪める。

 遂に堪えきれぬといった調子でヴォルデモートは囁いていた。

 

 ────しかし、お前の母親は死ぬ必要はなかった……母親はお前を守ろうとしたんだ……母親の死を無駄にしたくなかったら、さあ!”石”をよこせッ!!! 

 

 ハリーは目の前の胸糞悪い面をまっすぐ見据え、杖を向けた。

 ヴォルデモートの顔がたちまち凶悪な犯罪者に豹変する。

 冷徹で、残忍な殺人鬼の素顔が露わになった。

 

 ────……一度命拾いしたのを忘れたか? 

 

「殺し損ねたのはそっちだろ?」

 

 ハリーは、その顔に向けて唾を吐いた。

 ペチャッと後頭部の顔に張り付く唾液。

 同時に、さして短くも無いヴォルデモートの堪忍袋の緒が、遂に切れる。

 

 ────その愚か者を殺せェェッッッッ!!!!!! 

 

 ぐるり、とクィレルがハリーの方に勢い良く振り向いた。

 暗く虚ろな双眸がハリーの緑の瞳と交差する。

 そこには、怒りや警戒心といった感情すらなかった。

 それは、およそ機械的と思えるほどの冷たい殺意。

 

息絶えよ(アバダケダブラ)!」

 

 極限状況の中の一瞬は、ハリーの世界を限りなくスローにした。

 緑色の閃光が駆け抜けてくる。自分の命を奪う確実な一撃が。

 しかし、それは酷くゆっくりとしたものだ。

 首を傾け、それを避ける。

 そして、次はハリーの番だった。

 

鼻呪い(ファーナンキュラス)!」

 

 杖から放たれた光が、”死の呪い”を避けられ驚愕に歪んだクィレルの顔に直撃する。

 腫れ物で鼻が肥大化したクィレルは鬼のような形相で怒り狂った。

 

 ────殺せ!殺せ!愚か者め!始末してしまえッッ!!! 

 

「このガキ!殺してやる、殺してやるぞ!!身体中、呪いで切り刻んでやる!!!」

 

 火を吹くような呪いの言葉が、前の顔と後ろの顔から吐かれる。

 ハリーはぐるりと体を回し、次の呪いを放つ。

 それは飛行訓練の時、メルムがマルフォイを箒から叩き落とした呪文だった。

 

縛れ(インカーセラス)!」

 

解け(エマンシパレ)!」

 

 自身の体を縛るべく迫る縄の呪いを、クィレルは反対呪文で相殺する。

 腐っても教師、考えてみればクィレルは大人の魔法使いだ。

 知っている呪いの数がハリーとは桁違いなのである。

 

歯呪い(デンソージオ)!!!」

 

(ぬる)いわッ!!」

 

 ハリーの呪いを唱えることもなく、クィレルは杖を振って打ち消す。

 最初のクリーンヒットが奇跡なだけで、元々不利な戦いだった。

 あっという間にハリーは追い詰められる。

 

「手こずらせやがってこのガキッ!ガキッ!!ガキィッッ!!!死ねェッッッ!!!!」

 

「うあああ……ッッ!」

 

 興奮したままクィレルは、倒れるハリーの左腕を何度も何度も蹴り上げる。

 ボキリ!と生々しい音と共に、ハリーの腕が灼熱のように熱くなった。

 

「おや……左腕が折れたね?」

 

 途端に、クィレルの表情は穏やかで優しげな顔になる。

 普段ならばともかく、殺し合いの場でその顔はただただ不気味だ。

 そのままクィレルは、じりじりと身体を引きずって逃げようとするハリーへと歩を進める。

 

「観念しようか。怖いかね?なぁに心配はいらんよ。一人では寂しいだろうから、あの穢れた血や血を裏切る者の息子もすぐ後から行かせよう。そしたら地獄でも三人一緒だ。ふふふふふふふふふふ」

 

 クィレルの瞳は、嬉しそうにキラキラと輝いていた。

 その底知れぬ悍ましさ。身の毛もよだつ残酷さ。

 人はこうも容易く人を殺す悪鬼と成り果てる。

 

「さぁもう終わりにしようか。ポッター、君もお優しい御両親の元へと送ってやろう!」

 

 伸ばされる手。

 ハリーは、その手が自分の首を掴むのを感じた。

 途端に、針で刺すような鋭い痛みが額の傷痕を貫く。

 頭が二つに割れるかと思う程の激痛に、ハリーは悲鳴を上げて力を振り絞ってもがいた。

 

「あああああああああああぁぁぁぁぁッッッッ!!!!」

 

 情けない悲鳴と共に、額の痛みが和らぐ。

 驚いたことに、クィレルはハリーの首から手を離していた。

 その手には、見る見るうちに火膨れで包まれる。

 後頭部のヴォルデモートが甲高く叫んだ。

 

 ────何をしているこの愚か者!早く殺せ! 

 

 クィレルは再び飛びかかり、ハリーの上にのしかかった。

 今度は両手をハリーの首にかけ、なりふり構わず殺そうとする。

 しかし結局、激しい苦痛で唸り声を上げるのはクィレルだった。

 

「ご主人様……奴を抑えていられません……手が……私の手が……」

 

 クィレルは、膝でハリーを地面に押さえつけてはいたが、真っ赤に焼けただれ皮がべろりと剥がれた掌に気を取られていて、力がまったく手に入っていない。

 訳が分からないが、転がり込んできた好機を逃す手はない。

 体を捻ったハリーは、クィレルの体勢を崩し、今度はその顔を全力で掴んだ。

 

「ッッぅううぐあああああああああぁぁぁッッッッ!!!!」

 

 どんどん焼けただれていくクィレルの顔。

 ハリーは悟った。

 クィレルは、自分の皮膚に触れることは出来ない。

 触れれば、酷い痛みに責め苛まれる。

 クィレルにしがみつき、痛みのあまり呪いをかけることが出来ない状態にする。それしか道はない。

 

「うぉぉぉッッ!!!!」

 

 獣のように咆哮しながら、ハリーは飛び起きてクィレルの腕を捕まえた。

 握り潰す気持ちで、力の限り強くクィレルの腕にしがみつく。

 額の痛みはますます酷くなった。

 でもその分の成果もあった。

 なんと固く握っていたクィレルの腕がもぎ取られていったのだ。

 

 でも、ハリーに出来たのはそこまでだった。

 

 全身から力が抜ける。

 クィレルの恐ろしい悲鳴も、ヴォルデモートの叫びも、徐々に遠くなっていく。

 そんな薄れゆくハリーの視界に最後に映ったのは、一匹のニフラーと────その腹から取り出される一つの旅行鞄だった。

 

 

 

 

 

 

 

 




メルムの登場部分やクィレルの口調の部分に違和感を感じたために修正しました!
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