ハリー・ポッターと黒い魔法使いの孫   作:あんぱんくん

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透き通るような海を見ると、吐き気がする。

まるで彼女の瞳のようだったから。



#014 愛するということ

 勝者は、極度の緊張から解き放たれたことで意識を失っている。

 失神しているだけで、命に別状はない。

 

 クィレルは、崩れ落ちたように部屋の中心に倒れ込んでいた。

 意識も視界も白い。指先が凍えるようだ。

 寒い。とにかく寒い。

 彼の半身の皮膚は、魔法によって焼かれ続けている。

 

 その結果、大部分の皮膚呼吸機能を失った事で、深刻な体温の低下を引き起こしていた。

 

「よしよし、まだ生きているね。ポッターは、あー……トドメを刺す前に力尽きたか。やっぱり詰めが甘いなあ」

 

 そんな言葉に反応した彼は、倒れたまま首をムクリと上に上げる。

 そして薄れた視力は、そこにいるはずのない人間を映し出した。

 

 ボロボロの魔法使いを見下ろすのは、魔女だ。

 黒尽くめの服装に、銀の長髪を靡かせた幼い少女。

 

「メルム……ヴォーティガン……グリン、デルバルド……」

 

「はい。お呼びになられましたか、先生?」

 

 クィレルが瀕死の重体にも関わらず、それを特に気にする様子もなく、メルムは怪し気な笑みを浮かべて頷いた。

 

「これはまあ……手酷くやられた事で」

 

 そう言うメルムの瞳には、どこまでも無機質な輝きが灯っていた。

 

 彼女の愛くるしいその大きな翡翠の瞳は、瀕死のクィレルを道端の石か何かのように観察している。

 間違っても、大人でも吐き気を催すような大火傷を負った人間を見る目では無い。

 

 ましてや、クィレルは学校の先生であった男だ。

 普通なら、事情を知っていようが動揺の一つや二つはするだろう。

 

 にも関わらずメルムは冷静に、ともすればどこか無機質な瞳でクィレルを観察するのだった。

 

「君は……何故、ここに……」

 

 当然といえば当然の疑問に、メルムは小首を傾げてクィレルを見返した。

 次いで、幼い口元をゆっくりと開く。

 

「結末を見届けに」

 

「けつ、まつ……だと?」

 

 思えばメルム・グリンデルバルドとは変わった生徒だった。

 挙手をして質問に答えるなど、積極的に授業に取り組む姿勢はある癖に、いつも退屈そうにぼんやりと周りを眺めている子供だった。

 

 自分以外の人間を、まるで別の種族でも見るかのような目で見つめる彼女に、クィレルは薄気味悪さを感じたのを覚えている。

 

「気になったんです。かつて闇の帝王と恐れられた闇の魔法使いと、それに打ち勝った男の子。両者が十年の時を経て再び相見える時、一体運命はどちらに微笑むのか」

 

 結果は見ての通り、冴えないものだったんですが。

 感慨も何もなくそう呟いたメルムの目は、酷薄で冷徹だった。

 それは奇しくも、彼を見捨てて逃げ出したヴォルデモート卿の瞳と酷く似ていた。

 

 獣にも、魔法生物にも、マグルにも、魔法族にも、平等に向けられる無機質な感情。

 恐らく、彼女にとってそれら全ての価値は等しいのだ。

 

 ────即ち、全部どうでもいい存在。

 

「無様で無意味な最期だ。霞のような魂の成れの果てに唆され、11歳の少年に戦いを挑み、敗れて醜く死んでいく。結果として、先生は何も残せなかった」

 

「……貴様に……何が、分かる……!」

 

 侮蔑に激昂したクィレルは、メルムへと手を伸ばす。

 途端にであった。

 

 彼女を掴もうとした腕から、焼け焦げた肉がこぼれ落ちる。

 既に魔法による浸食は筋肉まで達しているのか、関節の曲がり方が中途半端だ。

 

「先生は仰られてましたよね。善と悪が存在するのではなく、力と、力を求めるには弱すぎるものとが存在するだけなのだと」

 

 揶揄するように言って、銀の少女は哀れな魔法使いを見た。

 表情こそ、相も変わらず笑みを浮かべてはいたが、先程まで無機質だった瞳には、今は嘲りの色が宿っている。

 

 それは、十代の小娘が浮かべるような表情には見えない。

 

「それは、ある種の真理を突いている。暴力、富、名声、権力。種類こそ色々とありますが、それらを突き詰めていけば”力”という言葉に帰結する」

 

 クィレルは答えない。答える気力もない。

 そんな自分に落胆するでもなく、淡々とメルムは話を続ける。

 

「身の程も知らず、昔から人は”力”を求める傾向にある。”力”は弱者を従わせられるから。特に逃れられぬ死や、大切なものを失う事を恐れる者を」

 

 その言葉に、クィレルはハッとする。

 闇の帝王に仕えることで、愚かで哀れな自分から脱却出来たと思っていた。

 

 しかし、違ったのかもしれない。

 ヴォルデモートに従った時点で、己は既に……。

 その結論に至った瞬間、クィレルは絶叫する。

 

「ぢがう! 私は……わたしは……力を、ぢがらを……もらっだ……つよい、人間になる力を!!!」

 

「ありえない。弱者は、一生弱者だ」

 

 魔女は、酷薄に嗤った。

 

「その証拠に、先生はヴォルデモートに(こうべ)を垂れたじゃないですか。自分の価値が低いから、簡単にヴォルデモートに魂を売り渡した。この有様が全てです。先生は何も為せず、この暗い部屋の中で死んでいく」

 

 クィレルは、もう殆どメルムの言葉を聞いていなかった。

 動かない体を引き摺り、芋虫が這うように彼女の方へ向かう。

 

「おお、ぉぉぉ……」

 

「1年間、先生には闇の魔術の防衛術でお世話になりました。冥土の土産と言ってはなんですが、最後の最後まで気づけなかったことを教えてあげましょう」

 

 力ある者は、無慈悲に告げる。

 

「クィリナス・クィレル。お前は力を求めるには、弱過ぎた」

 

 やがて這うことも出来なくなり、クィレルはその場に止まった。

 灰となり散りゆく肉体。

 

 やがて風に吹かれて、一人の男の理想が潰えた音が、暗い部屋に静かに響き渡ったのだった。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 いつの間にか、周囲を囲む紫の炎は消え、部屋は闇に包まれていた。

 闇に慣れた私の視界は、目の前で灰になったクィレルの残骸をじっと見つめている。

 利用され尽くした末に見捨てられた無様な末路。

 若干の憐れみを覚えたが、仕方がない。

 結局、この扱いが強い者とそうでない者の差なのかもしれない。

 

「……さて」

 

 今回の首謀者であるクィレルは死んだというのに、今も何か妙な気配が満ちている。

 そこここの闇に何かが潜んでいるような、異質な気配。

 耳が痛いような静寂の中、ざわざわと闇の中にひしめき合う気配が私の骨を震わせる。

 冷や汗で湿った手を握り締め、私は闇へと声を掛けた。

 

「そこにいるんだろう。出て来いよ」

 

 私の目の前で、暗闇が悍ましく蠢いた。

 まるで一個の生命体が呼吸しているかのように。

 暗い部屋の空間にぬうっと現れたのは、闇を纏った顔のようなものだった。

 

 ────呼んだか? 

 

「初めまして、ヴォルデモート卿。息災で何より」

 

 ゴーストのように、半透明な首が宙に浮いている様は中々に滑稽であったが、私は知っている。

 その時代をこそ生きていなかったが、断片的に語られる伝説は、当時を生きた闇祓い達の恐怖は、私に語ってくる。

 数多の対立者達を悉く鏖殺し、”死の飛翔”とまで謳われたかの闇の魔法使いの”力”がどれほどのものなのかを。

 現に魂の絞りカスである筈の彼からは、禍々しい魔法力が感じられた。

 

 ────メルム・グリンデルバルドか。お前の事は、クィリナスから聞いておった

 

「それは光栄な事で。是非とも、クィレル先生にお礼を申し上げたい所だが、生憎と彼は死んでしまった」

 

 (おど)けた私が肩を竦めると、ヴォルデモートは高笑いした。

 

 ────クィリナスの死に、動揺すらしないか

 

 狂ったような笑い声に釣られて、私も思わず苦笑する。

 

「確かに、クィレル先生の死は勿体なかった。しかしそれだけだ。所詮は教師と生徒。親しくもない他人が死んだところで、人の心は動かない。3日後には忘れる。そもそもホイホイと操り人形になる奴が悪い」

 

 ────どこの国にも若くてバカな連中は多いが、この男はまた別格だった。クィリナスには、自分という人格がまるでなかった。囁くだけであっさりと自己を俺様に委ねたよ

 

 爺様はよく言っていた。

 人を従わせるのは何もそう難しいことではない、と。

 

 人間の”負”の意識につけ込むのだ。

 憎しみ、悲しみ、恨み、そんな負の部分が強ければ強いほど、自分を見失っている人間の魂は縛りやすい。

 

 ────まるで、低能な子供(ガキ)だ。欲や不満だけは山ほどある癖に、それだけの人間の抜け殻だ。心を操り、意のままに従わせるなど造作もない

 

 夢や希望、自分自身すら見失った人間は、闇に魅せられやすい。

 苛立ちや不安に戦くよりは、何かに身を委ねた方が楽だからだ。

 

 マグルでいうところの新興宗教がその手口だった。

 人の心の弱さに、魔法族も非魔法族もさしたる違いはない。

 クィレルはどこまでいっても、世の理の外へは抜け出せなかった。

 

 ────お前とてそうだぞ? グリンデルバルドの孫よ

 

「何だと?」

 

 闇の奥から響く声に、暗い愉悦が混じる。

 まるで、鼠を嬲る猫のような残酷さが、相手の感情に滲むのが分かった。

 次いで、懐かしい謎の不快感が私を襲う。

 胃をまさぐられる感覚には、嫌というほど覚えがあった。

 

 ────可哀想に。家族を喪っているのか。ほう、身寄りが亡くなった後は孤児院に? あそこでの生活は辛いものだな。俺様も経験がある。生産性も何も無い、屑共の掃き溜めだ……そうかそうか。自分は壊れた人でなし。世界は残酷で、神様は他の人々には微笑んでも、自分に微笑む事はない。そう諦めておる

 

「おい」

 

 ────自分以外の存在に期待はしないし、害を及ぼすなら叩き潰す。良いな。俺様とお前は、似た者同士のようだ。理不尽な世界を憎み、己以外の者に信を置くことも、心の底から興味を抱くことも決してない……いや、それは違うのか

 

「ちょっと待て」

 

 ヴォルデモートは冷嘲の響きを込めて嗤った。

 

 ────妹だけは、大切な存在だったと。

 

 瞬間、私の脳裏に明るい陽射しのような少女の笑顔が蘇る。

 その時、私の中に芽生えた得体の知れない感情は、最も馬鹿馬鹿しく、下らないモノだったのかもしれない。

 少なくとも、胸を締め付けるような、痛むような何かは、きっとそういうものだろう。

 嘲るような、見下すような瞳にカ──ッッと身体が熱くなる。

 

「……私の思い出に」

 

 限界まで見開かれた両の眼。視界が蒼黒に染まる。

 湧き上がる脳髄を焼くような衝動に任せて、私は声を震わした。

 

「土足で踏み入るな、この死に損ないが」

 

 華のように激した感情は、そのまま燃え上がる焔となって眼前の闇を焼き払った。

 音ではない音が大気を震わせる。空間が歪む衝撃。この世ならざる存在の咆哮。

 

 ────はははははは! 

 

 蒼と黒による浄化の炎の中、それでもヴォルデモートは大笑いした。

 狂ったような笑い声が炎に呑み込まれてゆく。

 

 ────”怒り”がお前のトリガーか! お前は理性の(たが)が及ばぬ心の底に化け物を飼うておるのか!! 

 

 ごおおおおぉぉぉ……。 

 感情がそのまま滲み出たような激しい焔の波。

 

 烈火の先には、恐らく何も残らない。

 

 そう思わずにはいられない荒ぶる業火。

 しかし、魂だけとなった存在による薄ら寒い高笑いは止まらない。

 

 ────己の内なる感情に、歯止めすらかけられぬ下等生物め! お前はやはり何も為せやしない。何も出来やしない! 

 

 悽愴な魔法力を放散していた気配が遠のいていく。

 耳障りな残響だけを残して。

 

 ────あの日! 妹の屍を前に蹲ることしか出来なかったお前は変わらない!! 負け犬のまま死んでいくのだ!! はははははははははははははははははは!!! 

 

 怨気を纏った気配は既に遠い。

 彼岸(向こう)から此岸(こちら)へ干渉する手段がないように、また此岸(こちら)から何をやっても彼岸(向こう)には届かない。

 

 目の前で逆巻く闇の炎すら、今のヴォルデモート相手にはまったくの無意味である事に気づいて、私は歯噛みする。

 

「逃亡かよ……卑怯者が」

 

 情けない捨て台詞だ。

 ポッターとヴォルデモートの戦いはポッターの勝ちなのだろうが、私の方は惨敗だった。

 

「まったくもって忌々しい。が……まぁ良いか。本命は仕留められなかったが、慰め程度の財宝はあったわけだし」

 

 クィレルは死んだ。

 勇気ある少年も気絶している。

 様々な者が賢者の石を巡って激しく争った結果、この場に立っているのは、私ただ一人。

 緩やかな蒼の焔の中、ポッターの握り締められた掌から赤い石をそっと奪い取る。

 

「漁夫の利で悪いが、最後まで立っていた者が勝者なんでな。さして欲しくもないが、優勝賞品は戴くぞポッター」

 

 

 

「そのルールでいくと、君がその優勝賞品を受け取るのは些か性急というものじゃろう。のう? メルムよ」

 

 

 

 聞き覚えのあり過ぎる声に、ゆっくりと私は振り返った。

 振り返った先には、いっつも良い所で私を地獄へと突き落とす狸ジジイ。

 鼻の折れた老魔法使いアルバス・ダンブルドアが立っている。

 彼は、朗らかに私へと笑いかけた。

 

「こんにちは、メルム」

 

「……クソジジイ」

 

 咄嗟に舌打ちする。

 けれど、目の前に立つ老人は、私の失言をまったく意に介した様子はない。

 有難い事に子供の無礼は許してくれるらしい。

 何にせよ、これでハッキリした。

 

「やはり、全部が掌の上だったわけですか。今回の件は」

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「はて? なんの事だか分からんのう」

 

 まるで何も知らないかのように首を傾げる狸に、私は嘆息した。

 爺様が良く言っていたっけか。

 アルバス・ダンブルドアは食わせ者だ、と。

 

 いくら何でもタイミングが良すぎる。

 

 これを偶然と片付けるほど、私の脳味噌は目出度くはない。

 私やポッターですら気づけた真実なのだ。

 策謀家だった爺様と渡り合ったダンブルドアが、クィレル先生の裏切りに気づかない筈がない。

 

「怖い人だ。クィレル先生の状況を知ってて、泳がせてましたね」

 

「メルムよ。人とは誰しも愚かになる時がある。今回の件は、ハリーや君達の勇気に助けられた」

 

 穏やかに告げられる言葉の白々しさに目眩がする。

 本当に誤魔化せると思っているのだろうか。この状況で。

 狡猾な老人の戯言に付き合う気は無い。

 私は、彼に聞きたい事があった。

 

「貴方は見捨てたんですか? クィレル先生の事を」

 

「それは……」

 

 直接的な表現に、ダンブルドアは口篭る。

 言い逃れは許さない。

 私はダンブルドアのブルーアイを真っ直ぐに見つめる。

 沈黙が舞い降りた。

 少しの逡巡の後、彼は重い口を開く。

 

「確かに儂は、クィリナスの抱えている”闇”に気づいておった」

 

 分かっていた事だが、言葉にされるとやはり落胆するものだ。

 この老人は故意にクィレル先生を死なせたということになる。

 

「貴方は……クィレル先生の凶行を放置して、ポッターに人殺しをさせた」

 

「君が儂を非難する気持ちも分かる。今回の件は、善悪が複雑に絡み合った難しい選択じゃった。何かを選ぶという事は、何かを切り捨てるということに他ならん。後悔のない選択肢など存在はしないのじゃ。人は完璧ではないゆえに」

 

 懊悩するように表情を沈める老魔法使いに、私はもはや白けていた。

 脳裏を過ぎったのは、私が問題を起こす度に相手に対して無様に地面に額を擦り付けていた隻眼の魔法使いの姿。

 下を守るべき者がこれではクィレル先生も浮かばれない。

 

「芝居は止めてください。聡明な貴方なら、裏を暴き一人で今回の件を処理出来た筈です。ドラゴンの件にしてもそう。ポッターが関わる件にだけ、貴方は酷く迂遠な手を使う」

 

 ダンブルドアは黙って私の言葉を待っている。

 私は、静かに事実を言った。

 

「貴方は切り捨てたんです、クィリナス・クィレルを。ハリー・ポッターへの試練にする為に」

 

「……その言葉には誤りがあるの。儂は自身の責務に従い、選択を行った。彼もまた、自らの信ずる者に従事する事を選択し、お互いにその結末を迎えた。ただ、それだけの話なのじゃから」

 

 そう告げるダンブルドアの青の瞳は揺るがない。

 爺様が負けるワケである。

 正義の味方という立ち位置で、悪辣な選択を躊躇なく行える者など誰が勝てよう。

 いや、それも違うのか。

 

「考えてみれば、貴方は別に正義を掲げているわけではありませんでしたね」

 

「その通りじゃ。多くの者は勘違いするが、儂が正義の旗を掲げた事は一度としてない。正義と悪の立ち位置は、流動的で誠に難しいからのう」

 

 にっこりと微笑むダンブルドア。

 いつもは偉大な老賢者といった立ち姿だったが、今は違う。

 言うなれば、精密機械のような無機質でどこか冷たい印象を受ける。

 

「人を導く立場もまたそうじゃ。教職についてから長い年月が経ったが、未だに悩む。魔法を覚え、広い世界へと出ていく生徒達に果たしてその価値があったのか、とな。生徒達が儂や他の先生達の教えた魔法を悪用し、ヴォルデモート卿のように多くの罪を重ねたらどうすれば良いのか。儂のしている事は、過去への償いという自己満足でしかなく、寧ろそういった悪行を手助けしてしまっているのではないのか、と」

 

 偉大な伝説の魔法使いは、私が思うに臆病な老人なのだろう。

 自分の所業一つにもこれだけの言い訳を用意している。

 己は間違っていると心のどこかで理解している証拠だった。

 

 ────アルバス・ダンブルドアは聖人君子ではない、普通の人間だ。

 

 都合の悪い事からは逃げ出し、己の醜悪な部分からは目を背ける、そんな普通の人間。

 自身の呪いで、妹を死なせてしまったのではないかと慄き、その真偽が明らかになる事への恐れから、グリンデルバルドとの対決を避けていた臆病者。

 それこそが、この老人の本当の姿なのだろう。

 

「いつまで貴方は、そうやって心を閉ざして逃げ続けるつもりなのですか?」

 

「……”愛”が、人の目を曇らせ続ける限り」

 

 愛は人の目を曇らせるか。秀逸な謳い文句だ。

 私は手の中にある赤い石ころを、ダンブルドアに投げ渡す。

 

「優勝賞品は受け取って下さい。どうせ私が持っていてもしょうがないものですから」

 

 では、有難く。

 そう呟いたダンブルドアは受け取った石を懐に仕舞い込む。

 

「すまんの。ここまで来た君にとっては、完全に骨折り損になってしもうた」

 

「別に」

 

 私は掠れ声で答えた。

 

「私は、自分の人生を狂わした元凶の本当の顔(・・・・)が見れただけで満足ですから」

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

 あれから直ぐにメルムは自寮へと帰っていった。

 ダンブルドアも、彼女との問答について考えている暇はなかった。

 

 まず負傷したハリーとロンを回収し、マダム・ポンフリーのいる医務室に運ばなければならなかったからだ。

 

 もちろんこんな真夜中に叩き起された彼女は、ダンブルドアの非常識に苦言を呈そうとしたが、ボロボロの二人を確認すると叱責の言葉を呑み込んでくれた。

 今頃は大慌てで治療に取り掛かっているだろう。

 

「職務に忠実なのは、彼女の美徳の一つじゃな」

 

 澄んだ夜空を、風が木々を揺らして渡っていった。

 現在、事後処理をひとまず終えたダンブルドアは、湖の畔で夜風に当たっている。

 

 いつも昼間なら生徒たちで賑わう夏の水場も、今は誰もいない。

 静かなものである。

 

「儂の本当の顔、か」

 

 ダンブルドアは夜風に銀の髭を戦がせながら、去り際にメルムが口にした言葉を反芻する。

 いつからだろうか。自分の悩みを打ち明けたり、相談したりすることが出来なくなったのは。

 周囲から偉大な魔法使いとして見られる事に拘り、外面の仮面でしか振る舞うことができなくなったのは。

 

「メルムよ、儂は恐ろしいのじゃよ。人と向き合うのが」

 

 ハリーの成長の為に用意した道筋だが、それを説明するならば、彼に己の暗さや冷酷さを知られてしまう。

 自分がどれだけ狡猾で危険な老人なのか、それを知った時の彼の反応を、ダンブルドアはとても恐れていた。

 

「この悩みも君になら話せたのか。のう? ゲラート」

 

 声は静かに闇の帳に消えていく。

 返事はない。一九四五年のあの日からずっとそうだ。

 思えば互いの道が違ってしまったのも自分の言葉が足りなかったからか。

 

 いつだってダンブルドアは臆病で、決定的な場面で心を閉ざした。

 

 皆は己のことを褒め讃えるが、そんな大層な存在ではない。

 見栄っ張りで、冷酷で、狡猾な、どこにでもいるちっぽけな人間だ。

 

 アリアナの事とてそうだ。

 ダンブルドアは、病気のアリアナを診る為にホグワーツを辞めようとした弟を説得し、自分が妹の面倒を見るという選択をした。

 遺された家族による自己犠牲の立派な美談。

 話を聞いた者は皆、ダンブルドアの事を賞賛した。

 しかしその選択は、”立派な家長の取るべき選択肢”だから選び取ったに過ぎず、弟が抱いていたような”家族を守りたい”という思いからでは決してなかったように思う。

 

「愚かな選択じゃった。家族はもとより儂自身の思いも無視した、歪な自己満足による行動。抑えられた欲求は爆発し、結果的にアリアナも……」

 

 最後の言葉は言うことすら憚られた。

 恐らく己が犯した最初にして、一番重い罪。

 己の身勝手さが招いた家族の崩壊。

 見えない傷は、未だに己の胸に。

 見える傷は、己の折れ曲がった鼻に。

 

「愛は目を曇らせる、か。もしかすると……儂はその意味すらも分かってはおらんのかもしれんのう」

 

 ダンブルドアは独り静かに感情に呑み込まれる。

 夜空に浮かぶ星に手を伸ばそうとするが、掴むことは出来ず。

 いつだって本当に欲しかったモノは、空に輝く星のように決して手に入りはしない。

 

 勿論、このごたごたした感情的な世界に、完全な答えなどないことは知っている。

 しかし、この瞬間だけは明確な”答え”が知りたかった。

 

「ま、望むべくもない願いじゃがの」

 

 様々な思いを振り切るように、ダンブルドアは手を下ろした。

 感傷的な時間は終わりだ。

 願いだの過去だの考えても仕方がない。

 割り切っていい話でもないが、まだやるべき事がある。

 どれだけ苦悩したところで、間違い続けたところで、人は前に進まなければならない。

 

 だから、ダンブルドアは懐から取り出す。真紅に光り輝く”賢者の石”を。

 

 一連の騒動の原因を砕くことで、ひとまずは区切りをつけるために。

 しかし。

 

 

 

 

 ────やぁ。やっと見つけたよ

 

 

「ッ!!」

 

 不意に感じられた異質な気配。

 ブンッ!! 

 振り向きざまに腕を一振り、途端に暗闇を白光が照らし出す。

 強烈な白い光に照らし出された”ソレ”は、目を細めるとダンブルドアに笑いかけた。

 

「こんにちは、ダンブルドア」

 

 長い白髪から飛び出す特徴的な尖った耳、宝石のような翡翠の瞳。

 病的なほどに肌は白く、緑色の長衣がはたはたと夜風に靡く。

 端正な顔をした小柄で風変わりな少女は、ある生徒(・・・・)によく似ていた。

 

「”石”を手にするのは、リドルの方だとばかり思ってたけど……手駒が不足しているらしいね。幼い一年生にしてやられるとは」

 

 つまらなそうな顔をしているが、その声音からは得もしれない喜色が滲み出ていた。

 

「とはいえ、君にも直接会ってみたいと思っていたたんだぜ。何せ、あの”黒い魔法使い”を相手に勝利した男だ」

 

 初対面であるにも関わらず、少女は親しげに話しかけてくる。

 ダンブルドアは警戒を解かない。緩められるわけがない。

 距離はダンブルドアから少し離れているにも関わらず、小柄な少女の体から溢れ出る膨大な魔法力をヒシヒシと感じる。

 そんなダンブルドアの警戒に、少女は鼻を鳴らす。

 

「警戒しても無意味だよ。ヒト族にしては中々やる方なんだろうけどさ」

 

「君は……何者じゃ?」

 

「ゲラート・グリンデルバルドという男を覚えてる?かつて欧州を股にかけて暴れ回った男さ。あれと私は浅からぬ縁があってね。ま、弟子みたいなもんさ」

 

 ダンブルドアの質問など、まるで耳に入っていないかのように少女は独白を続ける。

 

「いかに魔法の秘奥を教えたところで、使うものが愚鈍であればどうしようもないね。ゲラート・グリンデルバルド、もう少し頭を使えなかったものかなあ」

 

 僅かな不快。

 しかし、慰め程度の成果はあった。

 そう言って少女は、城の方を眺める。

 

「妖精魔法と未来予知の瞳。何より優秀過ぎる血統ゆえの圧倒的なポテンシャル。人間とハイエルフの血が混合されることによって、初めて成されるハイブリッド(ハーフエルフ)。ここからでも見える(・・・)くらいには育ってる。リドル坊やとの接触や、奴の悪評故に血筋そのものが途絶えそうになったり。色々と予想外はあったけど、凡そ順調と言っていい」

 

「……質問に答えて貰えぬかの」

 

 会話の主導権を奪えない。

 面白くなさそうな顔をしている少女は、無機質でそして乾いているように感じた。

 

 圧倒的な退屈。何をしようがつまらないとその顔に書いてある。

 そして、ダンブルドアに対しての興味も薄過ぎる。

 

「ここで質問が来る致命的な頭の悪さに、腸が煮えくり返る思いだ。どうせ私はどこの誰で、何を目的にしているのか。どうしてホグワーツに入れたのか。そんなところだろう?」

 

 そんなものは一つの言葉で片付く、と少女の形をした災害は嗤った。

 

「ヴォーティガンだ。”プロセルピナ・ヴォーティガン”。これで理解が出来ぬようなら、端から会話の必要性を感じられない」

 

 それは知る者すらも少ない、力ある名前。

 ゆえにダンブルドアは訝しんだ。

 

「……儂の知識が間違いでなくば、それは千年前に存在した魔法使い(ハイエルフ)の名じゃ」

 

「だから、現時点で存在するのはありえないと?」

 

 ニヤニヤ笑う少女は、不思議とダンブルドアですら気圧される程の何かがある。

 

「不死身など珍しくもないわ。現に貴様の懐にある石の持ち主とて、六百年以上に渡って生き永らえている。この私が生きていても、何ら不思議ではあるまいよ」

 

「神話の中で、悪しき魔法使いはグリフィンドールの剣によって穿かれ、敗北したとあるがの?」

 

 その言葉に鼻白んだ少女は、ダンブルドアの背後にあるホグワーツ城を睨んだ。

 忌々しい記憶でも思い出しているのか、その表情は険しい。

 

「確かに油断していた。傲慢なる天に、獅子の剣は突き立った。結果として私は死にこそしなかったが、力の大半を削がれ、表舞台からは降りざるを得なくなった」

 

 古い書物に記された伝承の一節が、ダンブルドアの脳裏を過ぎる。

 

 荒野の獅子(グリフィンドール)湿地の蛇(スリザリン)も……否、太古の魔法使いの誰もが思い描く魔法の頂きには、神ではなく傲慢なる天(ヴォーティガン)がいたと。

 

「仮に、お主がその神話の神様だとしよう。目的はなんじゃ。お主を穿いたとされるグリフィンドールの剣かね?」

 

「今さら、あの棒切れをどうこうしようとは思ってはおらぬわ。目的は、貴様の持っている賢者の石よ。果たしていなかった”盟約”があってな」

 

「……悪いが、それは出来ぬ相談じゃな」

 

 すぅっと目を細め、ダンブルドアは莫大な魔法力を全身から立ち昇らせる。

 

 しかし、怪物の表情は変わらなかった。

 

 油断なく構える老魔法使いを前に、少女はその細い指を動かし、ゆっくりとその掌を向ける。

 

「なぁ、一つだけ質問をよいか?」

 

「何かの?」

 

「貴様らヒト族が口にする愛とは、本当に(・・・)そこまで(・・・・)美しいものか(・・・・・・)?」

 

 じっと此方を見つめる翡翠(エメラルド)の瞳。

 それは、此方の欺瞞を見透かしているような輝きをしていて、無性に落ち着かなくなる。

 

 ダンブルドアは、ゆっくりと唾を飲み込み言い放った。

 

「愛とは至上の魔法じゃよ。ヴォーティガン」

 

「それは恋人と家族、そのどちらの愛も選べなかった貴様の優柔不断にすり潰され、死んだ妹の末路と関係しておるのか?」

 

 揶揄うような声に、ダンブルドアの顔から表情が消える。

 

 いつの間にか懐から抜き放たれた手には一本の杖が。

 それは、かつて世界で最も邪悪とされる黒い魔法使い(グリンデルバルド)を下して得た最強の杖。

 

 そんなダンブルドアの変化を非常に好ましげな目で見つめ、ふむと少女の形をした化け物は一つ頷く。

 

「やはり愛よりも、憎悪の方が美しい」

 

 

 ────直後に激突があった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 空へと舞い上がる、大量の水飛沫。

 圧倒的な魔法力の激突は、実に静かなものだったといえるだろう。

 

 湖の端から端まで伝わった魔法力の衝撃波は、その水を真上へと打ち上げるだけで済んだのだから。

 

「他者愛と自己愛は区別がつかぬ」

 

 勝者の声が鳴り響く。

 巻き上げられた水が雨となって降り注ぐ中、無傷の少女はその手の中で赤い石を弄んでいた。

 

「強いて言うのならば、誰かを愛するには強さが必要だ。誰かと真に向き合う勇気も」

 

 ダンブルドアからの返答はない。

 彼は少女から少し離れた浜辺でうつ伏せに倒れていた。

 

 如何にダンブルドアが極まった魔法使いであろうが関係はない。

 

 タイムリミットのない個である少女には届かない。

 単純に格が違い過ぎる。嵐を前に剣を振り回すような愚かさの極み。

 

「誰かを愛するということは、その先にある後悔を覚悟するということだ。即ち強さとは、その先の後悔を受け止める勇気を持つことでもある」

 

 あくまで冷徹な声色に、憐れみが滲んだ。

 空気にその身を溶かしながら、少女は呟く。

 

「だから貴様はきっと────本当の意味で誰かを愛した事などない」

 

 

 

 




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