ハリー・ポッターと黒い魔法使いの孫   作:あんぱんくん

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買い物は楽しい。最高の精神安定剤だ。

物が潤うと、気持ちに余裕が出る。

そして、失ったモノを忘れられる。

一時(ひととき)の間でも、それはボクの救いだった。



#001 ダイアゴン横丁

 

 爺様との愉快痛快な面談の後、日帰りでオーストリアから麗しのドーセットへ帰ったボクを待っていたのは、スキャマンダーさんが育てる魔法動物の世話の日々だった。

 一見忙しいように見える日々だが、基本的に餌やり以外の世話はスキャマンダーさんとその助手がやる為、案外暇で時間がゆったり過ぎていく。

 それでも暇な時間の合間に、ちょこちょことイギリス観光に精を出していれば、一ヶ月などあっという間に過ぎ去るものだった。

 

「お世話になりました」

 

 出立の日の夜、ポーペンティナ夫人を散々からかったボクは、飛んでくる失神呪文をかわしつつ、スキャマンダーさんと共に家を出た。

 後は簡単だ。路上で座り、杖を掲げればいい。

 そして、バスが何処からともなく現れるのを気長に待つ。

 ここ一ヶ月、毎日のようにやった流れだ。

 

「とはいえ、待つのは苦手なんだけれど」

 

「何を言ってるんだい。僕なんて君の見送りを終えたら、チャイニーズ・ファイヤーボール種みたいに真っ赤になったティナを宥めなければならないんだよ?」

 

 後ろのベンチに行儀良く腰を掛けた老人が、うんざりとした調子で呟いた。

 

 ニュート・スキャマンダー氏である。

 

 牢屋にぶち込まれている何処かのクソ爺と違い、博識聡明で温厚な人物だ。

 ボクに世界への旅を提案して、その視野を広めてくれた人物でもある。

 

「にしても普通、電線に引っ掛かっているコートをディメンターと勘違いなんてしないと思うよ」

 

 電線に引っ掛かっているコートに驚き、ひっくり返ったポーペンティナ夫人を思い出して苦笑。

 スキャマンダーさんは、沈黙。

 普段は好奇心に満ち溢れてるキラキラとした目も、今回ばかりはこの後の惨事を考えているのか、濁っていた。

 

「子供だからしょうがない部分はある。だが、ティナをからかうのはやめて欲しい。彼女は昔から思い込みが激しくて、冗談と本当の区別つかないんだ」

 

「危ない兆候だね。ボケてきたんじゃない? あ、でも大丈夫か。スキャマンダーさん、動物の世話は慣れてるもんね」

 

 たまらない、と老人は天を仰ぐ。

 

「魔法生物の世話が一匹増えるだけだって? 素敵な話だ」

 

「ジョークだよ、ジョーク。本気にしたら負けさ」

 

「だとしたら、ジョークというのは実に下品だね」

 

 スキャマンダーさんは、たまに毒舌だ。

 その点も含め、大好きなのだけど。

 

「面白いからいいじゃん」

 

「そりゃ愉快だろうさ。やるだけやって、尻拭いはこっちに全部させるんだから。昔の僕を兄がどういう目で見ていたのか、それがようやく分かった。なぁ、君は女の子だろう? もう少しお淑やかにしてもいいと僕は思うんだ」

 

「前向きに考えておくよ……あ、来た来た」

 

 キキーっと目の前に停まった、三階建てのバス。

 ヘッドライトが顔に浴びせられ、少し眩しい。

 ボクが目を細める中、紫の制服を着た青年がバスから飛び降りてきた。

 間抜けそうな面構えの彼の名は、スタン・シャンパイク。

 このバスの車掌である。

 

「”夜の騎士《ナイト》バス”がお迎えに来ました。迷子の魔法使い、魔女達の緊急お助けバスです。杖腕を掲げれば、イギリス国内のどこでも参上いたします。ご乗車ください。そうすれば、どこなりとお望みの場所までお連れします。私は、スタン・シャンパイク。車掌として……って、またおめえさんかよ。ここんところ毎日じゃねぇか。見飽きたぜ」

 

 地面に座り込んでいるボクを視認し、スタンは顔を顰める。自然と口調もくだけたものになった。

 まぁ何度も世話になってるし、向こうもいい加減ウンザリなのかもしれない。

 

「ドーセットって聞いた時から、嫌ぁな予感はしてたんだよ。こんな夜中にふらふら歩きやがって。おめえさんぐれぇの幼女が大好きな狼男を、俺はよぅく知ってるんだがねぇ。バスの代わりに呼んできてやろうかぁ、メルム」

 

 ”人攫い”フェンリール・グレイバック。

 悪いことをしたら、フェンリールに売ってしまうよ。

 それを聞いた子供達が震え上がるぐらいには、彼の悪名は知れ渡っている。

 

「余計なお世話だよ。スタン、行先はロンドン。乗車賃はえっと11シックルだよね?」

 

「熱いココアも欲しいなら13シックル。湯たんぽと歯ブラシが欲しければ15シックルだ。もう片方のしょげた爺さんともどもとっとと払いやがれ」

 

 乗車賃は、マグルの通貨制で換算すると3ポンドとちょっと。

 安いのか高いのか分からない金額である。

 ちなみに魔法界の貨幣は、ガリオン、シックル、クヌートの三種類があり、1ガリオン(金貨)は17シックル(銀貨)、1シックル(銀貨)は29クヌート(銅貨)にあたる。

 

「はい」

 

 バスを待っている間に、すっかり体が冷えていた。早く乗りたい。

 彼にスキャマンダーさんのも含めた、合計26シックルを差し出す。

 ふんだくるように銀貨を受け取ると、スタンはへらりと笑った。

 

「今度は何しにロンドンへ? 前回は、漏れ鍋で酔っ払いどもと騒いでたよなぁ。その前は、ノクターン横丁で妙な雑草を買いに行ってた……」

 

 軽口に付き合う義理はない。耳の痛い話なら尚更だ。

 トランクをバスに引っ張り上げようとするスタンを置いて、ボクはとっととスキャマンダーさんと一緒に乗車する。

 

「相変わらず、いい感じだ」

 

 マグルのバスと違って席はない。真鍮製の寝台が六個並んでいるだけだ。

 乗客は奥の方に寝ている小さい魔法使い以外にいない。

 多分、酔っぱらいか何かなのだろう。

 運転席のすぐ後ろのベッドに横になると、眠気がすぐに襲ってくる。

 だが、

 

「むにゃむにゃ……ばんざーい! 生き残った男の子……むにゃ……ホグワーツのダンブルドア……」

 

 寝言がうるさい。

 うとうとしていたのに、これじゃ台無しだ。

 

「うるせぇだろぉ、そいつ」

 

 遅れて入ってきたスタンが、うんざりしたように言った。

 

「彼は?」

 

「ディーダラス・ディグル。11年前の”例のあの人”が倒れた日、喜びのあまりにケント州で流れ星をどしゃ降らせたぁ。どうせあの話聞いて、ネジ吹っ切れたんだろぉな」

 

 トランクをベッドの下に叩き込んだスタンは、乱暴にココアを入れ始める。

 

(雑だなぁ。一応車掌なんだから、もう少し愛嬌を出せばいいのに)

 

 しかし、それよりも気になる単語があったので、ボクはむっくり起き上がる。

 

「あの話って?」

 

「ん、知らねぇのか? 今年、ホグワーツ魔法魔術学校に、かの”生き残った男の子”ことアリー・ポッターが入学するんだと。漏れ鍋の連中は、それ聞いて大喜びってワケさ」

 

 アリー・ポッター? 新種の蟻だろうか。

 男の子で蟻というのは初めて聞いた。

 スキャマンダーさんが、ボクの耳元でボソッと囁く。

 

「ハリー・ポッターのことだよ。そこの彼が舌ったらずなせいで、聞こえなかっただろうけれどね」

 

 聞いた事がある名前だ。

 確か、”例のあの人”を打ち倒した赤ん坊だったか。

 イギリス魔法界では半ば神格化されている存在で、ボクも十回くらい名前を聞いた。

 まさか同い年とは思わなかったけれども。

 

「ってことは、彼とボクは同級生になるのか。うわ、嫌だなぁ」

 

「あん? どうして同級生なんだよ……ってまさか、おめえさんもホグワーツに行くのか?」

 

 ボクが頷いて見せると、スタンは大爆笑をかました。

 腹がよじれんばかりの大笑いに、少しイラッとしないでもない。

 どうせボクにはダームストラングがお似合いだ。

 

「御愁傷様ぁ。きっとご学友のアリー・ポッター様は、バリバリの温室育ちだぁ。何でも思い通りにいくって素面で考えてるガキだろうぜぇ」

 

 彼の言う通りである。

 ここ十年、ハリー・ポッターの名前に対するイギリスの魔法使いの反応は、はっきり言って異常だ。

 少なくともここ十年で生まれた子供達は、ヴォルデモートとハリー・ポッターの名前を刷り込まれて育ってきている。

 ハリー・ポッターに関する本を、ボクも何冊かフローリシュ・アンド・ブロッツ書店で見かけた事があった。

 何はともあれ、幼少期からそんなにチヤホヤされていたら、マトモな人格形成はできまい。

 

「それにしてもメルム。おめえさん、もうそんな年だったかよ? おぉいアーン、聞いたか!」

 

 分厚い眼鏡をかけた年輩の魔法使いが運転席からひょっこり顔を出す。

 彼はアーニー・プラング、このお助けバスの運転手だ。

 このバスを一月使用してみて分かったが、彼の運転の腕は絶望的。

 魔法が存在していなかったら、このデカブツで軽く百人は轢き殺しているだろう。

 

「なんだよ、スタン。こっちはこれから運転だってのに」

 

「後ろ向いてても前向いてても、おめえさんの運転の腕が変わる事はあんめぇよ。それよりも聞けよ。メルムの奴ぁ、あのホグワーツに行くんだと」

 

 途端に、アーニはクスクス笑い出す。

 

「お転婆かまして、春にゃドーセット行きのバスに乗せてるビジョンが見えらぁな」

 

 殺人バスの癖に、随分な口を叩く。

 ボクの退学が早いか、彼の運転免許が剥奪される方が早いか、それを賭けてみてもいいんだぞ。

 とはいえボクも、そのビジョンは浮かぶので賭けに自信はない。

 最悪、自己紹介と同時に帰り用の列車のキップを渡される可能性もあるわけだし。

 隣でスキャマンダーさんも頷いている。

 

「良いかい、メルム? 僕はホグワーツには迎えにいかないからね。面倒臭いし」

 

 酷い言い草だ。

 まるでいらない子みたいな扱い。

 ボクは涙ぐむも、これはスキャマンダーさんなりの激励だと即座に脳内変換。

 ポジティブに生きるのは人生の秘訣だ。

 

「ハリー・ポッター! 私は貴方の事を! ……むにゃむにゃ」

 

 突然の大声に、肩をビクッと震わせたスタンが舌打ちをする。

 

「出せよ、アーン。とっとと酔っ払いを送り届けてえ。寝言はうるさくて敵わねぇ。そうだろ?」

 

 同感とばかりに、アーニーがアクセルを全力で踏み込む。

 

 バーン! 

 

 瞬間、轟音と共にスキャマンダーさんの小柄な体が、ブラッジャーみたくこっちに勢いよく飛んできた。

 それを何とかキャッチして、ボクはスタンが座っている膝掛け椅子に掴まり、衝撃に備える。

 

「こ、この運転手は……今すぐ、免許証を、魔法省に、返還すべき、だ……!」

 

 ぜぇぜぇとスキャマンダーさんが呻く。

 まったく同感だ。

 どうしたら、こんなに歩道に乗り上げることが出来るのやら。

 転げるようにバスが走るせいで、大きな音が連続で響き、車内の小物が右へ左へと滑っていく。

 運転席を覗き込めば、アーニーが滅茶苦茶にハンドルを切っているのが見え、更に心細くなる。

 

 対してこっちは慣れっこなのだろう。

 車内の惨状を気にすることなく、スタンは窓から外を愉快そうに眺めていた。

 

「アーン。ウェールズまではどれくれえだ?」

 

「1時間と60分少しだ」

 

「アーン。そりゃあ人間の常識だと、2時間って言うんだぁ。覚えとけぇ」

 

「意味が伝われば問題ねぇさ……んで、その次はアバーガブニー。ウェールズに着いたら、3階にいるマダム・マーシーを起こしといてくれ」

 

 十分もすると速度が安定してきたのか、車内の揺れが収まってきた。

 ようやく一安心。ベッドに横になったボクも、スタンに倣って外を眺める。

 

「いつ見てもクレイジーな光景だ。よくマグルに気づかれないものだよね」

 

 麻薬中毒者の如き運転だろうと、絶対に衝突しない理由がそこにあった。

 街灯、郵便ポスト、ゴミ箱、民家がバスが近づくと、勝手に向こうが飛び退いて道を空ける。

 バスが通りすぎると元の位置に戻っていくそれらを横目に、スタンがケラケラ笑った。

 

「ちゃーんと聞いてねぇし、ちゃーんと見てもいねえ。なーんもひとーっつも気づかねぇ。マグルってのは幸せだ。そうは思わねぇか、メルムよぉ」

 

 ボクは頷いた。

 確かに、こんなものが国内を毎日爆走しているのを知らないのは幸せだ。

 なんとも言えない気分になり、ボクがロリポップを咥えようとすると、スキャマンダーさんがそれをひったくる。

 

「このイカれた夜行バスで、棒つき飴をしゃぶろうなんて何を考えてるんだい?棒が喉に刺さったらどうする!」

 

 本当に、面倒みの良い人だ。

 お節介とも言えるが。

 

「────ふぁあぁ」

 

 暫くして背伸びと欠伸を一つ。

 行く手のベンチやビルが、身をよじって道を譲る光景を眺めていたものの、摩訶不思議な状況にも数分で飽きが来る。

 もしかしたら、最初から興味など無かったのかもしれない。

 ボクは寝巻きに着替えて、布団の中に潜る。

 

「スキャマンダーさん、ボクはもう寝る。ダイアゴン横丁に着いたら起こして」

 

 ベッドから飛び出たトランク。

 それらに盛大に足を掬われたスキャマンダーさんから、ウンともイイエともつかない呻き声が返ってきたのを確認して、ボクは目を閉じた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 闇の中に、私はいる。

 

『────、どうして────んだ?』

 

 目の前に何かが蹲っている。

 

『早く────お前の────も────だろうに────こうなったのは────のせいだ』

 

 嘲るような声はノイズが走っていて酷く不鮮明だ。

 

『何度も────だろう! ────ボクは────ないって!!』

 

 私自身も何を言っているか分からない。

 

『お前は──に──』

 

『────っっ!』

 

 不自然に強張る身体。

 しかし奇妙なことに、私の中身は冷めている。

 

『やめて! いやだ!!! ──どうして!?』

 

 冷たい手が私の頭を固定する。

 一切に向けられる”杖”が目の前にある。

 

 身体は必死にもがいているが意味はない。

 

 やがて放たれる、無数の閃光。

 やっぱり、何の感慨も持てずにいる私。

 

『────けれ────を恨め、────を呪え、────を憎め』

 

 最期に聴こえたのは、そんな言葉(呪詛)だった。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ……き……さい

 

 ん? 

 

 ……起き……さい

 

 どこからか声が聞こえる。うるさい……

 

「起きなさい! メルム!!」

 

 肩を揺さぶられて、羽布団の中でボクは重い目蓋を開けた。

 

「んぅ……にゃに……?」

 

「にゃに? じゃないよ。よくこんな騒々しい車内で、ぐっすり眠れるね。あと数分で”漏れ鍋”に着くぞ。ほら、もう寝巻きから着替えないと。バスから出よう」

 

 慌てて、普段着に着替え始める。

 寝巻きでの外出は、ボクも流石に嫌だ。

 

「ん?」

 

 スキャマンダーさんの白シャツが茶色く汚れている。

 ココアの香りも若干匂ってきた。

 

「スタン・シャンパイクだよ。彼のお陰で、ティナが選んでくれた洋服が台無しだ。ユニコーンみたいで、カッコイイって言ってくれていたのに……」

 

 ボクがココアを頼んでいたのを思い出したスタンは、持ってきたはいいが転んだ。

 悲惨なのは、そのココアがスキャマンダーさんにぶっかかったこと。まったく残念でならない。

 

 バーン!!! 

 

 着替えが終わると同時に、ジャスト到着。

 スキャマンダーさんが急かすので、急停車したバスから急いで降りる。

 

「服の件はすまねぇな、旦那」

 

 多少の罪悪感はあったのか、一人でトランクを引きずり出してきたスタンが謝る。

 

「……別に構わないよ。片手間で何とかなるしね」

 

 少しだけ表情を和らげたスキャマンダーさんが、腰から抜いた杖を振る。

 

 バチン! 

 

 小気味良い音と共に汚れた白シャツが、途端に新品の輝きを取り戻した。

 

「無言呪文。便利だよね、それ」

 

「君はアラスターのお陰で、呪文の覚えだけは同年代の誰よりも優れている。その使用方法は感心しないがね……その点も含めて、ホグワーツではちゃんと習いなさい。僕には出来なかったことだから」

 

 スキャマンダーさんは、最後の一言だけ遠い目をして呟く。

 そういえば、彼も彼で学生当時は不真面目だったらしく、退学処分になっていた。

 人生色々だ。こんな好々爺でも、現役時代は全盛期の爺様と渡り合ったと聞く。

 爺様自身も、ダンブルドア以外にこんなに苦しめられた魔法使いはいない、と笑っていたっけ。

 

「さて、私はここまでだ。”漏れ鍋”は泊まったことがあるね? 今まで旅ばかりしていた君は、そこら辺の勝手は分かっていると思う。心配はしてない」

 

「まぁね」

 

「それと今使っている杖は、オリバンダー老から杖を購入した際に廃棄しなさい。どうせ盗難物だろう。持ち主が探しているとも思えないが、念には念をだ」

 

「はぁい」

 

 なんとも驚いたことに、ボクの杖の入手方法までご存知だった。

 良識ある人々よ、責めないで欲しい。

 幼い少女が生きていくためには仕方ない事だったのだ。

 というか大事な杖を盗られる方が馬鹿という話で、ボクに非はないと信じる。

 

「では、ここでさよならだ。次に会えるのはクリスマスかな。君の成長を楽しみにしているよ。それじゃ、また会おう」

 

 バチン!! 

 鞭を鳴らす音が聞こえ、老人の姿が夜の闇にフッと消える。

 

「行っちゃった……」

 

 恐らく、これから家の掃除洗濯食器洗いをするのだろう。

 ポーペンティナ夫人に怒鳴られながら。

 そんな状況、ボクだったら布団を被って寝る。

 一家の大黒柱の悲しい性だ。

 

「って、こっちもか」

 

 ボクが振り返ると、夜の騎士バスも闇夜に姿を消していた。

 別れの挨拶もなしとは、まったくけしからん。

 

「お久しぶりですな、メルム嬢」

 

 目の前のパブから、ランプ片手に歯の抜けた老人が現れる。

 彼はトム。この『漏れ鍋』の亭主だ。

 ダイアゴン横丁で泊まる時は、毎回彼のお世話になっている。

 

「こんばんは、トム。毎度の事ながらタイミングいいね」

 

「そりゃあもう。いつも到着のお時間を、ポーペンティナ夫人より言付かっておりますゆえ」

 

 やれびっくり、長年の謎が解けた。

 やっぱりスキャマンダー夫婦は、お人好しで良い人達だ。

 

「どうぞ、こちらへ」

 

 トランクを抱えたボクは、トムの後をついていく。

 階段を上がって直ぐの部屋をトムが開け、そのまま荷物を放り出して、寝心地良さそうなベッドにダイミング。

 ふわふわで柔らかい。どっかのバスとは大違いだ。

 

「長旅でお疲れでしょう。お早めにお休みになられますよう。何かご用がございましたら、どうぞいつでもご遠慮なく」

 

 ベッドを堪能しているボクを見て、嬉しそうに笑ったトムは一礼して出ていった。

 

「ふわぁ……このベッドは欲しいなあ」

 

 良い素材を使っている。

 素晴らしい寝心地だ。

 

「う……」

 

 やはりバスのベッドでは、良い睡眠を取れていなかったらしい。

 直ぐに眠気が襲ってくる。

 

「一眠りしたら、学用品を買いに行かなくちゃだ……」

 

 今度は、夢を見ることもない。

 ボクは安心して、日の出までぐっすり眠ったのだった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「見知らぬ者よ、入るがいい♪ 欲の報いを知るがよい♪ 奪うばかりで稼がぬものは、やがてはつけを払うべし♪」

 

 陽の光にぱちくりしながら、鼻唄混じりにロリポップを口に咥える。

 手にしたバッグは、金貨ですっかりパンパンになっていた。

 久々の大金に心も躍る。

 今、ボクが出てきたのはグリンゴッツ魔法銀行。

 魔法界における唯一の銀行であり、小鬼が所有・経営をしている。

 そして歌にある通り、銀行の堅牢さは半端ではない。

 創業以来、グリンゴッツは鉄壁の称号を欲しいままにしていた。

 

「にしても、あのトロッコは酷い。胃の中のものを全部ぶちまけそうになった」

 

 金庫は地下奥深くにある。

 そこまでトロッコで行くのだが、速度や振動が良心的ではない。

 乗った時の心境は、マグルの絶叫マシーンと酷似している。

 あれはそう、マグルの街に遊びに出かけた時に遭遇した、じぇっとこーすたーだったか。

 客は悲鳴を上げているのに、みんな楽しそうだったのを覚えている。

 

「さて、お金は手に入った。次はどこに行こうかな?」

 

 そんなことを言っているけれど、ボクの行き先は最初から決まっている。

 

「やっぱり杖でしょ」

 

 杖がなければ、魔法使いを名乗れはしない。

 今まで本当に入用な時は、そこら辺の相手から奪っていたが、どうにもしっくりこない。

 爺様に手紙で相談したところ、忠誠心というやつだそうだ。

 棒切れが使い手を選ぶとは、つくづく魔法界は不思議だ。

 忠誠心のない杖を強引に捩じ伏せていたのは、ボクにとって苦い思い出である。

 

「ようやく唯一無二の杖が手に入る。ワクワクするね」

 

 忠誠心という言葉は、ボクの心をくすぐる。

 杖に忠誠を誓われた魔法使い。最高な響きだ。

 

「寒い寒い」

 

 冷え性も考えものだ。

 こういう時は、爺様のお下がりのコートを羽織るに限る。

 背が低いので、ちんちくりんに見えるのはご愛嬌。

 まだ季節が秋にも入っていないのは、気にしないこととする。

 

「っと多分、これだよね」

 

 杖の店を探すこと十数分。

 方向音痴のボクにしては、早く見つけた方だろう。

 扉には剥がれかかった金の文字で、”オリバンダーの店”と書かれている。

 これのお陰で、思いの外見つけやすかった。

 中に入ると、奥の方でチリンチリンと鈴の音が鳴り響く。

 

「うわぁ……」

 

 掃除が行き届いていないのか、薄暗い店内は埃っぽい。

 この店は、紀元前から現代まで続いている化石ものだ。

 それよりも異様なのは、天井近くまで整然と積み重ねられた、何千という細長い箱の山。

 箱の一つ一つには、杖が仕舞ってあるのだろう。

 彼処まで積み上げて崩れないのは、もはや芸術的ですらある。

 

「いらっしゃいませ」

 

 かけられる声に、ビクッと肩が跳ねる。

 いつの間に現れたのか、店の内装に気を取られているボクの前に、一人の老人が立っていた。

 心拍数の上がった心臓を落ち着けつつ、ボクは軽くお辞儀をする。

 

「杖を買いにきた者です。中々合うの見つからないと思いますが、よろしくお願いします」

 

 淡い色の目が、眼鏡越しに此方を探るような光を放つ。

 瞬きをしない銀色の目は、あまりボクの好みではない。

 

「では利き腕を。採寸のために、拝見致しますゆえ。杖腕はどちらかな?」

 

「両利きだけど……まぁ右でいいか」

 

 ボクが右腕を出すと、オリバンダー翁がポケットから巻尺を取り出した。

 ひとりでに動き始めた巻き尺が、蛇のようにボクの身体に絡みつく。

 肩から指先、手首から肘、膝から脇の下、頭の周り、と寸法を取っていく。

 

「芯には、ドラゴン、一角獣、不死鳥など様々な生物の部位を使っております。そして、それらは皆同じではない。それぞれ個性があるのじゃから、杖にも個性が芽生える。想いが宿る。ゆえに、オリバンダーの杖に一つとして同じ物はないのじゃ」

 

 そんな話を聞いていると、計り終った筈の巻尺が顔に近付いてくる。

 杖を振るのに、鼻の穴のサイズも関係しているとは奥深い。

 鼻の穴のサイズを測ろうとする巻き尺を、ボクは口から出したロリポップで軽く払う。

 

「……くっついちゃった」

 

 ロリポップがベッタリとくっついた巻き尺は、哀れにも地に落ちる。

 バレたらマズいと判断したボクは、巻き尺を蹴り飛ばし、店の隅に追いやる。

 幸いにも、オリバンダー翁は杖探しに没頭していた。

 棚の間を飛び回っていて、気づいていない。

 

「さ、これを振ってごらんなさい。サンザシにバジリスクの角、28センチ。良質でしなりがよい。ただし、持ち主を選びがち」

 

 戻ってきたオリバンダー翁の手には、無骨なフォルムの杖。

 杖を振った途端に、積み重なった箱が音を立てて崩れていく。

 

「あぁっ! いかんいかん……サクラに不死鳥の尾羽、35センチ。古風で華やか」

 

 確かに、古風で華やかだ。

 今度は崩れた箱に花が咲いた。

 取り出し口に生えた花のせいで、杖を取り出しにくくなる。

 オリバンダー翁の顔が渋いものになった。

 

「むぅ……これでもダメか。次にいこう。楓にヌンドゥの猛毒袋の皮、34センチ。しなりは良いが、獰猛で凶悪」

 

 なんだそれは、とボクは絶句する。

 ヌンドゥは、魔法使い殺しで有名な怪物だ。

 非常に強力なモンスターで、熟練した魔法使いでも百人以下なら接触を避ける。

 特筆すべきは、その猛毒の吐息だ。

 村一つを滅ぼした記録がある。

 

「よくもまあ、そんなのを芯にしようと思いましたね……」

 

「若気の至りじゃよ。これから、貴女もきっと経験するじゃろう。人の好奇心には、底がない」

 

 好奇心で片付けていい話でもないと思うが。

 ボクは肩を竦めた。

 

「気をつけて。持ち主を気に入らないと、毒を抽出して手を爛れさせてしまうでな」

 

「おいおい、マジか」

 

 杖に伸ばしかけていた手を、ボクは引っ込めた。

 爺さんがワクワクとする中、商品として成立してない杖を怖々と見つめる。

 

「……これ、試さなきゃダメ?」

 

「ダメじゃ」

 

 杖の前で十分思案した結果、泣く泣くボクは杖を振った。

 

「痛っ!」

 

 最悪、ヌンドゥの毒だ。手がヒリヒリする。

 オリバンダー老人は、杖の暴発で吹っ飛んでいった。

 慌てたボクは、思わず杖を巻き尺の元へと投げつける。

 

「面白い客じゃの! え? 久々に腕がなるわい……必ずピッタリ合うのをお探ししますでな」

 

 ずれ落ちた眼鏡をかけ直し、嬉々として戻ってきた老人の迫力には、凄まじいものがあった。

 無論、職人魂から来るものであることは、ボクも理解してはいるのだが、それでもドン引き不可避である。

 ギラギラ光る爺さんの目は、気味が悪い。

 やはりこの手の職人はどこかイカれてる。

 

「なんでもいいんですけど。もっと変わり種の奴ありますか? どれもしっくりこないんで」

 

 ボクの掌に軟膏を塗りながら、オリバンダー翁は思案する素振りを見せる。

 

「むぅ確かに。マトモな杖は貴女に合わないかもしれんのう」

 

「ちょっとそれどういう意味?」

 

「仕方ない。あんまり表に出すべきではないのじゃが、これしかあるまい」

 

「人の話聞いてます?」

 

 ボクの非難を全力で聞き流し、オリバンダー翁が杖を探しに奥に消えること数分。

 そうして彼が持ってきたのは、柄に黒い狼が彫られた青黒い杖だった。

 

「ギンヨウボダイジュと死神犬(グリム)の尾、25センチ。不吉で悲劇を魅せる。流れ物じゃな」

 

「素材が不吉すぎる。あと流れ物って何?」

 

「かつて偉大な魔法使いが手にしていた杖じゃよ。一昔前に、私の元に流れてきましてな」

 

「ほえぇ、これがねぇ」

 

 触るのも恐ろしいのか、投げるように寄越される杖。

 何がそこまで恐ろしいのか知らないが、そんなに恐ろしい物を客に売るな。

 そう声を大にして言いたい。

 

「クレーム対策の為、初めに言っておこうかの。こいつは私の手元にきてから、今まで三人の魔法使いを殺しておる」

 

「……それ、本当に大丈夫なの?」

 

 持ち主を殺す杖など、各国を旅してきたボクですら聞いたこともない。

 だがそう言われてみると、不思議とこの青黒い杖が不吉な何かを抱えているように見える。

 

「杖を振ると見えるらしいんじゃな、己の結末がのう。真偽は定かではないが、持ち主の最後はどれも発狂の末の自殺。そして、杖はいつもここに帰ってくる。何度も何度も。真に仕えるべき主君を探す為に」

 

 なんだ、そんな事か。

 それを聞いて、ボクは胸を撫で下ろす。

 変におどろおどろしく言うが、そう怖い話でもない。

 未来なんてものが、素敵に明るく輝いていた試しなどない。

 結末なんてものは、生き物である限り死一択なのだから、その過程に四苦八苦する方が馬鹿らしい。

 

「ま、面白そうではあるな」

 

 投げ渡された杖を見つめる。

 未来を見せる杖。それはある意味、グリンデルバルドの杖として一番相応しいのかもしれない。

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

 その日、ふらりと店に訪れた少女。

 

 彼女の印象を一言で表すならば、現実味がない妖精。

 後ろに束ねた、透き通るような銀の長髪。

 無機質な翡翠の瞳、感情をあまり感じさせない色白の端正な顔。

 人間離れした容姿は、絵本の中から妖精が飛び出したと言われた方がしっくりとくる。

 そんな美貌の持ち主だった。

 

(変わった娘さんじゃ。今まで訪れた誰とも違う雰囲気を纏っておる)

 

 オリバンダー翁は、色々な子供を古くから見てきた。

 環境ゆえに達観した視点を持つ子供。勇敢で正義感に溢れる子供。純血の恩恵に授かり、裕福に育った子供。

 挙げればキリがない。

 

 そして、そんな観察眼ですら、目の前のニフラーを肩に乗っけている少女の事は分からなかった。

 何処か遠い所を見つめている、そんな奇妙な目力を持つ魔法使い。

 

「さぁ、どうぞ杖を試してください」

 

 だからこそ、気になる。

 今まで出会ったことのないタイプの少女と、今まで使い手を死に導いてきた杖。

 この二つの巡り合わせが、何を引き起こすのか。

 それは杖職人として、何がなんでも見たかった。

 

「んじゃ、やるか」

 

 杖の前で散々唸っていた彼女もやる気になったようである。

 運命に身を委ねるように、目を瞑って杖を一振り。

 

「……!」

 

 幸いにして、今度は爆発することも花が咲くことも、風が吹き荒れることもなかった。

 煌々と照らされる店内。黄金の煌めきは、優しく店の隅々までを照らしていく。

 神秘的な光景だった。

 杖が、彼女という主を祝福しているようにすら見えた。

 

「長年、この職に携わってきたものだが。こんなことは初めてじゃ」

 

「……という事は失敗か。ボクは気に入ったんだけど」

 

 心配そうに少女が此方を覗き込んで来る。

 否、とオリバンダー翁は首を振る。

 今までこの杖を試した人間は、そんな普通の顔はしなかった。

 まるで何かに怯えるように、顔は青ざめさせ震えていたものだ。

 

「お嬢さんには、その……何かが見えたりしましたかな?」

 

「あぁ。結末がどうこう言ってたあれ? 別にいつも通りだったけど」

 

 拍子抜けと言わんばかりの返答に、流石のオリバンダー翁も口ごもる。

 

「ふむ。その杖を手にした者達は、己の死を見たと絶望するものでな。何もなかったのなら、それで良いのじゃが」

 

「はは、悲劇は嫌だなあ。ほら、人って何かと喜劇の方が好きだし。それだけの話だと思うよ」

 

 杖を弄ぶ少女が、はぐらかすように笑った。

 なるほど、と老人は納得する。

 そういう意味でも、やはり彼女は適性があったのかもしれない。

 

「これ気に入ったよ。おいくらかな?」

 

「30ガリオンじゃな」

 

「高くない?」

 

「一級品だからの」

 

 仕方がない、と肩を落としバッグから金貨を取り出す少女を、老人は微笑みながら見つめている。

 何しろ、疫病神の杖をお払い箱に出来たのだ。

 直す時に使った素材分も無事回収、珍しいものまで見れた。

 顔が緩むのも仕方がない。

 

 チリンチリン…………

 

(しかし本当に不思議じゃ。100年越しに、元の血筋の者へと回帰するか……)

 

 ドアの向こうに消える後ろ姿を見送り、オリバンダー老はそう独りごちる。

 流れ物とはいえ、その杖がどこから来たか。そのルーツくらいは調べてある。

 今、訪れた少女が何者であるかも。ここのところ、頻繁に横丁に訪れている美少女。

 その名を聞いた時は驚いたものだが、周囲の反応にはもっと驚いた。

 

 ────爺さん、なに驚いてんだ? そこまで変な名前でもねぇだろうよ

 

 時代だった。

 かつては世界に冠した闇の魔法使いですら、時の流れには勝てない。

 未だに、革命の爪痕を深く残している欧州ならばまだしも、この国は()の魔の手から逃れている。

 イギリスで最強の闇の魔法使いといえば、10年前に最盛期を誇ったヴォルデモート卿なのだ。

 

「かの血族が安寧に過ごすには、もはやこの国を頼る以外ないのかもしれんのう」

 

 オリバンダー老は、前の持ち主を”偉大な魔法使い”と呼称した。

 やったことの善悪はともかく、確かに偉大なことだ。

 歴史上、類を見ない規模の大革命。

 その暗い偉業は、ヴォルデモート卿ですら遠く及ばないとオリバンダー老は今でも思っている。

 

 ニワトコの杖。最強の杖。宿命の杖。

 

 かの魔法使いがそれを手に入れるまで、数多の人々を血に染めてきた杖が、何を隠そうあの杖だ。

 

(最初、杖を見た時は腰を抜かすかと思ったわい)

 

 オリバンダー老は杖の造り手であり、また達人でもある。

 名刀を打つ刀鍛冶がそうであるように、彼もその杖を見れば、大抵のことは分かる。

 その杖が何をしてきたのかも。

 まるで、歴戦の兵士が使い込んだ逸品であるかのようだった。

 それまでに杖が行ってきた凄惨な時間に、背筋が凍ったのを今でも覚えている。

 僅か十数年。その短期間で、あの杖はどれほどの命を奪い、人を破滅に導いたのか。

 

「何はともあれ、時代は変わったということかの。どうか今度こそ、平和な時代に遣い手を導いてやって欲しいものじゃ」

 

 窓から見える活発な人の行き交いを眺めて、オリバンダー老はポツリと呟いたのだった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「……なんか、ぼったくられた気がしなくもないけど」

 

 オリバンダー翁に、馬鹿高い杖を売りつけられたボク。

 しかし悲しいかな。

 残念ながら、それに拘泥していられるほどの猶予はない。

 この後も予定は山積みなのだ。

 学校に必要な物を買い終えるべく、ボクは一人寂しく店を回っていく。

 

 フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店では教科書を。

 薬問屋では必要な材料を。

 高級箒店では、ニンバス2000が売っていたので買おうとするも、私生活でそれほど箒を使わない事に気がつき、断念。

 無駄な買い物をしないのは、長らく旅を続けてきた貧乏性のせいだ。

 まぁ一年生は箒の所持自体許されていないし、これで良かったのだろう。

 

「それにしても平穏だなぁ」

 

 教科書を買い求める先々では、名前を書く必要のある場所が多々あった。

 石の一つでも投げられるかと思ったが、結果は意外にもノーリアクション。

 グリンデルバルドの名を見て、動揺する者はあまりいなかった。

 その傾向は若い者に顕著で、今までも外国で少なからずそういうことはあったが、大体十人に五人は顔を顰めていた。

 

 ボクの故郷である片田舎では差別が未だに残っていたが、イギリスの中心街はそうでもないらしい。

 国の中心に近づくにつれて、老若男女全てが他の人間と接するように対応してくれる。

 この名一つで迫害されてきたボクにとって、初めての出来事だった。

 

「本当にいい国だよ。最初からイギリスを出ず、ひっそり過ごしておけば良かったとさえ思う」

 

 とはいえ、ひっそり影のように過ごしている自分を想像出来ないのも事実。

 各国を回る旅は、大変ではあったが楽しい思いもさせて貰った。

 悪い事ばかりではない。

 

「やあ、君もホグワーツかい?」

 

 そんなボクの和やかな気分は、長く続かなかった。

 ぶち壊しにしたのは、マダム・マルキンの洋装店で声をかけてきた男の子。

 

「そうだけど、何か用?」

 

 同い年だと推測出来る背格好と童顔。

 金髪に貴族用のローブを纏って、見るからに偉そうな男の子だ。

 

「いや? なんか妙な害獣が肩に乗っかってるから、教えてあげようと思ってね」

 

 人のペットを害獣扱いとは。まったく不愉快極まる。

 ナンパのつもりなのだとしたら、センスがないにも程があろう。

 

「ご親切にどうも。こいつはペットなんだよね」

 

「ペット!」

 

 耳障りな甲高い声で、そう一言。

 此方の神経を疑ってます、と顔にありありと浮かんでいる。

 

「ニフラーをペットにするなんて聞いたことがないけれど。まぁ君がそう言うなら、そうなんだろうね」

 

 鼻で笑われた。

 この金髪を嫌な奴として、即座に自分の脳味噌に叩き込む。

 

「服装を見るに中々の家の出だろ、君。パーキンソン家?」

 

「さぁね。高貴な家柄でないのだけは確かだけど」

 

 気取った言い方が、一々癇に障る。

 他人の家柄には興味がないボクは、金髪を軽口で適当にあしらうと、ずんぐり魔女が用意した踏み台の上に立った。

 眼鏡をかけた男の子が、隣で居心地悪そうに丈を合わせて貰っている。

 

「そういえば君の両親はどうしたんだい? 見かけないけど」

 

 ボクと話しても無駄だと思ったのだろう。

 金髪は、元々話していたらしい眼鏡の彼に矛先を変えた。

 

「……死んだよ」

 

 詳しく話す気になれないらしく、ぽつりと眼鏡の彼はそれだけ言った。

 唐突に飛び出てくる、特大級の地雷。

 聞かれたのが彼で良かった。

 きっとボクは、そこまであっさりとは言えないだろうから。

 そして、金髪は強者だった。

 

「おや、ごめんなさい」

 

 申しわけなさそうな気配は、微塵も感じられない。

 その無神経さは、ある意味大物だ。

 

「じゃあ君は、自分が純血かどうか分からないワケだ」

 

「じゅ、純血?」

 

 目を白黒させている所を見るに、眼鏡の彼はマグルの出身だろうか。

 血の問題は、魔法界とは切っても切れない問題である。

 マグル出身者でもなければ、純血という単語を知らずに育つのは難しい。

 ふと親切心が沸き、ボクは説明を入れる。

 

「家系の中にマグル、もしくはマグル生まれが一人もいないことだね。殆どの家系にはマグルの血が入っている。聖28一族でもない限り。だから気にすることないよ」

 

「は、マグル!」

 

 金髪は大げさに鼻を鳴らし、ぺらぺらと話し始める。

 

「連中は入学させるべきじゃないと僕は思うよ。そう思わないか? 連中は、僕らと同じじゃないんだ。僕らのやり方がわかるような育ち方をしていない。手紙をもらうまで、ホグワーツの事を聞いたこともなかった。そんな奴もいるんだ。考えられないことだよ。入学は、昔から魔法使いだけに限ると思うね」

 

 ふむ。いわゆる純血思想というやつだな。

 外国を回っている時も、度々こういう類の人間がいた。

 彼らの共通点は、一族の血の濃さへの異常なまでの拘り。

 古臭い上に、この上なく馬鹿らしい。

 金髪の場合は、純血思想の親から刷り込まれたのだろう。

 中身がない、借り物の思想だ。

 

「穢れた血や半純血には反吐が出るね。連中は、己の血に誇りを持っていないのさ。そうだろう? 僕だったら恥ずかしくて外に出られないね。君、家族の姓は?」

 

「……」

 

 採寸が終わった眼鏡の彼は、答えることなくフェードアウトしていく。

 ボクも金髪に名前を聞かれたが、言っても面白い事になりそうもない。

 外行き用のヴォーティガンの名を使った。

 その結果、再び鼻で笑われる事になったのはご愛嬌だ。

 

 

 

 ──────……

 

 

「やれやれ、参ったよ。自分の家系が、純血かどうかなんて気にしたこともなかった」

 

 ”漏れ鍋”に帰ってきたボクは、採寸であった不愉快な話を最近知り合った森番の大男にしていた。

 

「メルムはそれでええ。純血思想を声高に口にする奴は、どいつもこいつも頭が腐っちょる。おまえさんの思想が歪むところは見たくねえ」

 

「安心してよ。旅先のアメリカでも差別問題はあったから。白人と黒人問題さ。実に下らないと思ってるよ」

 

 ボクと話している大男は、名をハグリッドという。

 ”漏れ鍋”でよく酔っ払っており、その介抱を何回かしたことで仲良くなった。

 巨人の血が入っているらしく、身長が2メートルを有に超えている。

 強面な顔だが、優しくてとても性格の良い人である。

 

「穢れた血、血を裏切る者。どうしてマグル生まれっちゅうだけで、そこまで同族を差別出来る? 魔法族なんぞ、マグルの血を受け入れなければ、とっくの昔に絶滅危惧種だ。寧ろ、マグルの血が入ってない魔法使いの方が希少だろうが。ええ加減、自分達がマイノリティだっちゅうことに、奴らは気づいた方がええ!」

 

「純血。要は近親相姦を繰り返して、無理矢理一族を存続させただけ。血が濃くなって、先天的異常を持つ子供が生まれる可能性が高い。今の魔法界で、純血を存続させる事自体がかなりリスキーだもんね」

 

「そういう直接的な表現はあんま好かんが。概ねその通りだ。まぁバカでもキチガイでも血が尊ければ、それなりに良い生活が望めるっちゅうのは、羨ましい話だがな」

 

「ボクより明け透けに言うじゃんか……あ、頼んでたバタービールとファイア・ウィスキー来たよ」

 

 ”漏れ鍋”の主人から渡されたバタービールは、割りと好きな味つけだ。

 口の中で蕩けだす甘味。

 若干アルコールが効いているのか、ほどよく酸っぱくて美味しい。

 

「これ当たりだね。美味しい」

 

「……メルムよう。酒はやめてくれるとありがたいんだが。俺は、ダンブルドアの使いで来とる。これからウチの生徒になる未成年と飲酒した。そんな事がバレたら、あのお方になんて言われるか分からん」

 

「大丈夫。これノンアルコールだから」

 

「お。なら心配いらんか」

 

 笑ったハグリッドが、運ばれてきたファイア・ウィスキーを乾杯もなしに、ガブガブ飲み干す。

 本当は少量のアルコールが入っているのだが、誤差の範囲内だ。

 少なくとも、これでは酔っ払わない。

 

「ぷはぁ……純血純血と煩かった子供は、恐らくマルフォイ家のモンだろうな。俺も窓越しに見ちょったが、あの気取った面構えには見覚えがある」

 

「聖28一族じゃん。もしかしてレア物だったり?」

 

「価値観っちゅうのによるな」

 

 確かにそうだ。

 純血をありがたがる彼のような魔法使いもいれば、ボクのように興味すらない魔法使いもいる。

 人間というのは複雑だ。

 そう言えば、とハグリッドが顎に手をやる。

 

「話に出てきた眼鏡の少年の事だがな。ありゃあハリー・ポッターだぞ。外でお目付け役をしていたのが俺だから間違いねぇ」

 

「普通の子だったね。普通過ぎる。ちょっと雰囲気が暗いくらかったし。もっとこう……偉そうなの想像してた」

 

「マルフォイ家のようにか?」

 

「まぁ」

 

 あの純真無垢そうな顔を、ボクは思い出す。

 もし爺様があの子を見たら、カモがネギしょって鍋まで抱えてきた、と笑うことだろう。

 

「生まれが特殊だからな。誤解されるのも仕方ねぇが……小さい頃のハリーは、そりゃあちっちゃくて可愛くてな……それを、あの最悪の大マグルのダーズリーどもめ。ダンブルドアもダンブルドアだ。一体全体、どうしてあんな最低のマグル一家なんぞに……そもそも話がこんがらがっちまったのは、10年前のあの日から……」

 

 鼻の穴をデカくしながら喋り続けようとする森番を、ボクは手で制する。

 

「待った。その話は長くなりそうだ。遠慮しとこうかな」

 

「なんだ。聞きたくねぇんか?」

 

 うん、とボクは頷く。

 長い話は御免だし、それは本人から聞くべき内容だろう。

 

「……そうだな。こりゃあハリー個人の話だ。ハリーのおらん所で、これから同じ寮になるかもしれん子に言うべき話じゃねぇわな」

 

 それに、酒が不味くなる。

 新たに運ばれてきたファイア・ウィスキーの蓋を開けて、ハグリッドはそう吐き捨てた。

 

「……まぁ話はかなり戻るけど、根強いものだね。差別ってやつは」

 

「人間である以上、差別する奴はどうしても一定数おる。重要なのは、それに負けんっちゅうこった」

 

「それもそうだね」

 

 今まで出会ってきた魔法使いの中には、差別主義者も多かった。

 人を見るだけで怒声を上げたり、石を投げてくる。

 向こうに悪いことなんざ、ボクはこれっぽっちもしてないのに。

 

「……」

 

 ジョッキに注がれるファイア・ウィスキー。

 縁まで満たされたそれを飲み干すハグリッドを眺めていたら、ふと彼がポツリと呟いた。

 

「なぁメルムよ。あんたは良い魔女になる」

 

「急にどうしたの?」

 

「世の中にゃ、どうしょうもない悪党っちゅうのがおる。環境が原因にせよ。人間関係から来る歪みにせよ。悪の道に走ってしまった魔法使いを、俺ぁごまんと見てきた。だから、これだけは言わせてくれ」

 

 ────グリンデルバルドの名に負けるなよ

 

 その言葉は、不思議と温かった。

 やはり、彼は良い魔法使いである。

 

「おお。気づいたら、もうジョッキが空っぽだわい」

 

 最後の一滴は、ボトルのまま飲み干された。

 カラカラと笑ったハグリッドは、これでおしまい、と席を立ち上がる。

 

「メルム、ホグワーツで待っとるぞ」

 

 ボクをまっすぐに見下ろし、ハグリッドはにこやかにそう言った。

 

 

 




ハグリッドとオリバンダーの言葉に違和感が生じた為、修正しました!
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