そう提唱した魔法歴史学者のバチルダ・バグショットは、中世において魔法史に名を残す大虐殺をした2人の魔法使いを例に挙げた。
秩序型であり、高い知能を持ちながらも己の空想を現実にしようとした、”悪人”エメリック。
無秩序型であり、己の暗黒面に飲み込まれ無作為に破壊を繰り広げた、”極悪人”エグバート。
世界記録を持つこの両者の犯行は、似ているようで破壊や殺戮の様態がはっきりと違うとされている。
研究者肌の父は、愛を知らなかった。
錆びついた家柄の女と結婚したのも、単なる気まぐれだと言っていた。
簡単に言えば、メルム・グリンデルバルドという少女は、家族愛がない家庭に生まれ落ちたのだ。
研究室に篭った父は、恐ろしかった。
感情の薄い人だったが、その分興味を覚えた事柄は、探究し尽くさなければ気がすまない。
父が部屋から出てくる時、それは私に研究の成果を試す時に他ならない。
勿論、助けなんかなかった。
悲鳴を上げる私を見ても、母は耳を塞いでただやり過ごすだけ。
たまに、惨状に耐えられなくなって歯向かう事はあったが、爺様同様に口が異様に回る父の相手ではなかった。
簡単に言いくるめられ、私の拷問スケジュールに大した変更はなかった。
「……惚れた弱味ね」
そう母は嘆いていたが、私は知っている。
自分はやるべき事をやったのだ、と己の良心に言い訳をしたいだけだ。
その証拠に、父の研究に付きっきりの母は、食事もろくに用意しなかった。
家庭の味を尋ねられば、執事兼下僕の”ラット”のレパートリーしか答えようがない。
ラットは手先が不器用で、作るご飯は酷く不味い。
指が一本無いのだから、それも仕方のない話ではあるのだが。
一つ年下の妹は、私とは違って大切に育てられているように見えた。
私が覚えている限りでは、父の実験には一回も付き合った事がない。
私は魔法が上手く扱えなかったが、妹は上手に扱ってみせた。
何より私と違って感情豊かで、愛される才能があった。
(こんな風なら、さぞ人生も楽しかろうよ)
羨ましいとは思わない。
ただ、何故? という疑問が、腹の中で荒れ狂っていた。
私と妹に、何の違いがあるのだろうか。
愛嬌か? 感情か? 魔法力を正常に扱えるからか?
妹は私にも優しくしてきたが、そんなもの見せかけだと思った。
だって、私にはその感情が理解できない。
父の研究が原因らしい。
母が悲しそうに何かを言っていたが、よく思い出せない。
記憶が所々、抜けているのだ。
とにかく、覚えているのは優しかった妹。
張り倒そうが、怒鳴りつけようが、金魚のフンみたくついてきていた。
「お姉ちゃんは、”普通”がわからないからね。ボクが教えてあげるよ」
何も感じなくなった心が温かくなった事を、私は確かに覚えている。
無償の愛とやらを注ぎこんでくれるのは、この世で妹だけ。
貰ったものには、対価を返さなければならない。
それは、恩でも仇でも同じ事。
「違うんだよ、お姉ちゃん。そういう事じゃない……そういう事じゃないんだ……」
でも決まって、妹は泣きながら受け取ってくれはしなかった。
不思議だった。
一体どうして、この子は他人の為に涙を流せるんだろうか。
私は他人の為に涙を流すことを知らない。
そうしてあの日。
母も父も滅茶苦茶になって死んだ日。
全てがひっくり返った、怒りの日。
ラットの買い出しに、私が付き合っている隙に起きた惨劇だった。
微かな記憶の中で、私は長い坂道を登っている。
茹だるような暑さ。
買い出しの荷を運ぶ、重い台車。
グリンデルバルドという名のせいで、魔法族の村にすら住めない私達の家は、入り組んだ山の奥にあった。
その事が惨めで腹立たしかったが、もはや声を上げて怒る気力もない。
ただ虫や鳥の声を背に、黙々と二人で台車を牽いていく。
「え、……」
間抜けな声。
買い出しの荷を運ぶ台車が、坂の頂上で唐突に止まる。
私が隣を見ると、台車を引いていたラットが、目の前の光景を見て立ち尽くしていた。
「おぉ……なんて、なんて事を……」
ラットはそれだけ口にして、悲嘆に蹲った。
事情の前後などわからない。
分からないが、目の前には単なる事実があった。
崩れかかった門、荒らされた庭。
打ち捨てられたゴミのように、庭に転がっていたルシア。
幼い妹は、私を助ける為に全力で戦ったのだろう。
勝利の代償に、命を失っていた。
そして……なんにもなくなった私の心中を、これまでになく一つの感情が満たしていった。
それは────“怒り”。
自分の身体がどろどろと溶け崩れて、真っ黒で恐ろしい何かへと変じていく。
「■■■■■■■■■■!!!!」
蠢く闇が、霞のように湧き立った。
──────……
妹と両親が死んだ後、頼れる親戚もなかった私は泣く泣く孤児院に逃げ込んでいた。
しかし、それが正しかったのかはよく分からない。
当時の私は身体も今より幼く力も弱い。
よく同じ年代の子供たちに囲まれ、殴られ、蹴られていた。
「おい! お前、いつになったら言うことを聞くんだよ!」
視界がぐるりと回る。
大柄な少年に投げ飛ばされたのだ。
壁に激突した私は、暫く蹲って痛みを堪えていた。
周囲では、同い年の女の子たちが嘲っていた。
「もっとやっちゃいなよ。構うことないわ。どうせ犯罪者の孫なんだから。悲しむ奴なんかいないでしょ」
「こいつの家族もそれが原因で殺されたんでしょ? 良い気味よね」
「犯罪者の血筋とか最悪。どんな引き取り手だってこいつだけは選ばないわよ。犯罪者の親になんかなりたくないだろうし」
俯いた私は歯を食いしばる。
耳を貸すな、こいつらは相手にするだけ無駄。
孤児院に連れてこられたガキ共は、皆何かを呪っている。
帰る家もなければ頼る家族もいない。
ただ単に私は、そんなストレスの捌け口に選ばれてしまっただけだ。
「ああああああああ!!」
「うわっ、何だこいつ!」
自棄糞で飛びかかっても、あっさりと殴り倒される。
直ぐさま立ち上がろうとしても、そこに寄って集って暴力を振るわれる。
いくらなんでも数が多すぎる。
「弱い奴。お前に何が出来るんだよ、犯罪者」
孤児院の纏め役である大柄な少年が、私の胸元を掴みそのまま地面に叩きつけた。
痛い、苦しい。
叩きつけられた際に額を打ち、そこから血が流れている。
とても痛かったが、力で敵わない以上今は耐えるしかない。
「クソ……ッタレ……」
新参で立場が弱かった私が、虐めの事をマザーに報告しようにも、口裏を合わせられる。
孤児院自体が、そういう子供同士の喧嘩に無関心だった事もあって効果が薄い事も理解していた。
誰も信じられない、協力してくれる仲間も皆無である。
水鏡に映る変わりきった自分の目つきを見つめる。
鋭く、濁った瞳に青い炎がゆらゆらと揺れていた。
3ヶ月に渡る孤児院の生活は、幼い少女の精神を更に歪ませるには十分。
元々尖っていた自覚はあるが、甘さが消えて凄みのようなものが出てきたと孤児院のマザーも言っていたっけか。
────隻眼の闇祓いが孤児院を訪れたのはそんな時だった。
「ようやく見つけたぞ。お前か、グリンデルバルド一家の生き残りってのは」
立ち上がれなくなるほど孤児の纏め役にボロボロにされ、地面に転がる私を見下ろし、隻眼の老人はそう言った。
「……どこで私の……事を?」
「儂ら闇祓いは耳が大きい。その中でも儂は特にそうだ、古参なもんでな。国の役人だから情報はすぐに集まってくる」
「かはは……、口が軽いのが……いたみたいだな」
私がグリンデルバルド一族だったのは孤児院だけの秘密だった。
国内は闇の魔法使いの脅威から立ち直ってまだ日が浅かった。闇の勢力によって家族を失った者も多い。
簡単に言えば、闇の魔法使いに国民全員が神経質だった時期だ。
今回、国を荒らした闇の勢力とは関係がなくとも、どんな目に合わされるか分かったものでは無かった。
引き取り手がいなくなるのは勿論、私の家族のように孤児院ごと根絶やしにされる可能性だってある。
だというのに、こうして闇祓いは私の居場所を探り当てた。
誰かが情報を売ったのだ。
その誰かは、幼い私でも大体の予想がついた。
恐らく孤児院の配膳係だ。
食事を配りながら、色々と私の事を周りのガキ共に聞いていたからすぐに分かった。
笑顔で周りの子供に近付いて、私の情報を売り払ったのだ。
「大嫌いだ……孤児院のガキ共も……お前ら大人も」
「……」
私の恨み言にも、隻眼の老人は何も言わなかった。
ただ痛ましいものを見るような目で私を見てくる。
同情しているのだろうか……否、罪悪感か?
おかしな奴だ。
私がこんな状況に陥っているのは両親のせいであって、別に老人のせいではないのだから、堂々と鼻糞でもほじっていればいい。
「それで……魔法省のお役人が……今さら何しにきた……」
「お前の妹を火葬する。一応、家族であるお前に知らせにきた。遺体引き取りの確認もだ」
なるほどね、実にお役人らしい。律儀にここまで来たってわけだ。
事実を無感情に告げ、老人が隣に腰を落ち着けるのを横目に、私は倒れたまま考える。
妹の遺体を今更見てどうするのか、
(でもまぁ……断る理由もないか)
もう考えるのは疲れた。
家族の事も、この先も、もうどうでもいい。
──────……
白い長い野外の通路を、私は老人と一緒に歩いている。
妹を乗せたストレッチャーの車輪の軋みが、含み笑いのように聞こえる。
「
1人でにドアが開き、そこに私は死体を押し込む。
部屋の中は明るく広い。
暗くてジメジメした場所を想像していた私は少しホッとした。
しかし死体を中央に置いてみると、その明るさがかえって白々しく感じられる。
「殺風景な場所だ。おまけに寒い」
「それくらいで丁度良いんだ。死者の見送りに豪華な花束も装いも必要ない」
「部屋が寒い理由は?」
「……お前の妹は惨い呪いを死ぬ前に受けた。その影響が死後の肉体にも残っている。そのせいだ」
なるほど。火葬なのはそれが原因か。
イギリスの魔法族は基本的に土葬だが、強い闇の魔法を受けた肉体を浄化する為に火葬にする場合がある、と父の本で読んだ記憶がある。
隻眼の老人が杖を振ると、シーツがめくられて真っ青な死に顔が現れた。
寒々しい部屋に、今度こそ明確な冷気が漂う。
取り出した妹の死体を見た老人は、少し顔をしかめ手を合わせた。
「……どうして手を合わせる? あんたとは縁もゆかりもないガキの遺体だろう」
「区切りを付ける為の行為だ」
老人はあっさりと返した。
思ってもみなかった事を言われ、私は老人の顔を見る。
「どういう事?」
「同情を切り捨てる。弔うのは自分の感情だ。これは普段の仕事でもそうなんだが、儂はこうする事で被害者の遺体も冷静に観察できるようになる。闇祓いを続けるには必要な儀式みたいなもんだ」
「ふーん……」
死体は死体だろう。
事故でも病気でも自殺でも、結末は一つ。
ただの物体だ。同情もクソもないと思うのだが。
死んだ後、肉の塊がどうなろうと私は気にしない。
極論をいえば、墓だっていらない。
それでも私がここにいるのは、最後にもう一度だけ妹を目にしておきたかったからだ。
そんな私の心の内を見透かしたかのように、老人は話を続ける。
「葬式だってそうだぞ。死者よりも残された人間のために行うものだ」
「残された人間の?」
「大切な人が死ねば、区切りが必要なもんだ。葬式をし、死人を墓に埋める。明確な別れを形にして残すんだな。悼みや悲しみを一緒に埋め、彼らのいない新しい世界で前を向いて歩いて行く」
「……それは自分を騙しているだけじゃないのか?」
「は、自分を騙す事のどこが悪い? ネジの飛んだ場所では、例え間違った事をしでかしていても自分を騙し続ける。そんなズルさも必要なのだ」
──────……
一般客など来るはずもない葬儀は省略し、出棺の準備に移行した。
病院の一角に響く釘を打つ音。
その間、私は部屋の隅で体を丸めたまま、朝方傷をつけたばかりの唇を強く噛んでいた。
やがて病院から棺は運び出され、門の外で待っていた老人に引き渡される。
「遺体を火葬する間、暇だろう。待合室に茶菓子を用意させている。食って待っとれ」
老人はそう言ってくれたが、私は外で待つことにした。
出所の分からない意地のようなものか。
腹は減っていたはずだが、飯を食う気分でもなかった。
「はぁ……」
外は寒い。
火葬場で焼かれている妹の遺体のことを思えば、雪風に打たれているくらいなんて事もない。
出来ることなら変わってやりたい、なんて馬鹿なことを考えている自分が笑えてくる。
今さら遅い。
妹は死んだ、忌々しい両親と共に。
それに対して私は何も出来ず、だからこそこんな雪の中で妹が焼かれているのを見る羽目になっている。
「クソッタレが」
手も足もひどく悴んで感覚がない。
我ながら何を無駄な事をやっているのだろう。
ふてぶてしく暖かい部屋で、妹がこんがり骨になるのを待てばいいではないか。
そうは思ったが、それでも家に入る気は起きなかった。
とはいえ雪もいよいよ酷くなって、とりあえず私は屋根のある門の下へと避難する。
「今回は大変だったな」
待つこと二時間、ようやく処理を終えたのだろう。
火葬場から妹の骨壷を抱えた老人が、こっちに来て声をかけてくる。
彼はアラスター・ムーディと名乗っていたか。
急に私を訪ねてきて、今回の妹の葬儀の何もかもを取り仕切ってくれた変人。
話を聞けば闇祓いらしく、今回の事件を今さら調べているのだとか。
「妹さんだ、受け取れ」
飴玉模様の付いた白い小さな壺。
亡くなった妹は飴が好きだったから、私が選んだ。
こんなに外は寒いというのに、それはとても暖かかった。
「……はは。生きている時も小さかったが、まさかこんなに小さくなっちまうとはなあ」
淡々と声が漏れる。
「ルシアは外で遊ぶのが好きな子だった。家に篭もりがちな私は、よく公園まで連れ回されたよ。そのくせ他の友人達から遊ぼうと誘われても、私を置いていく事は絶対にしなかった。心配だったんだな、私の事が」
何かを悼むような顔で、老人は私の話に聞き入っている。
「思えば、あの子からは色んな物を貰ってばかりだった。大人になっちまえば、あのクソ両親も何も干渉できない。返しきれない恩をどうやって返そうか考えるの、好きだったよ」
幼い妹は、真冬の庭にぼろぼろになって転がっていた。どれほど寒い思いをしただろう。
荒くれ者にいたぶられ、どれほどの恐ろしい思いを。
ぎゅ、と骨壷を抱える。
優しかった彼女は殺され、蛆虫みたいな私や他の多くはアホ面晒して生きている。
「……、惨めだよなあ」
「なんだと?」
「惨めだっつったんだ。周囲の人間からは冷たい目で見られ、村八分にされて。両親も私の事なんかそっちのけで研究三昧。挙句の果てに、最愛の妹はわけ分かんない諍いに巻き込まれて死んじまった……これを惨めと言わず、何て言えばいい?」
なにもかもを、奪われたのだ。
孤児院に逃げ込んできた時ですら、こんな惨めな気持ちにはならなかった。
無力感が先行していたというのもあるが、やはり妹の遺体とちゃんと向き合うというのは、非人間的な性分の私としても感情を揺さぶられるものらしい。
「そういえば、儂が何でこの孤児院にまで……いや、メルム・グリンデルバルドまで辿り着けたのか。それを話していなかったな」
「どうせ犯人への聞き取り調査だとか、魔法省の家族名簿に目を通したとかだろう」
別に取り立てて聞く話でもなければ、気にもしなかった事だ。
そんな私に、老人は唇を釣り上げてみせた。
「魔法省の名簿にはな、グリンデルバルド一家は3人家族だと記されていた。家族構成は、父のシェーン、母のアリシア、そして一人娘のルシアとな」
驚きだ。
何と私は家族認定すらされていなかったというわけか。
これは笑える。
「それともう1つ。お前らを襲った奴はな。金髪の少女ではなく、銀髪の少女を探していた。それを殺さねば仕事は終わらない、と言っていたな」
「何、を」
「最初は虚言や妄言の類かと思った。こんな狂った真似をする輩。おまけに連中は殆ど死んでいて、生き残りの1人も何と言うかその……殆ど廃人状態だった。どうにも黒い何かに襲われたらしい」
ごほん、と咳払いをして隻眼の老魔法使いは話を戻す。
「……まぁそれは良いだろう。何が言いたいのかというとだ。グリンデルバルド一家に生き残りがいる、という結論に儂が至ったのは何故なのか。こういう事だな」
勿体ぶらずに早く言えば良い。そんな思いで老人を睨みあげる。
老人は、妹の骨壷を撫でてこう言った。
「お前の妹の遺体だよ。幼い少女の遺体が、儂に全てを教えてくれた」
「……意味が分からない。何だ、遺体検分でもしたか?」
そうだ、と老人は頷く。
何ということだ、妹は死んだ後まで辱められたのか。
このクソジジイは、哀れな私の妹の身体に再び杖を向けやがったのだ。
「お前はぁ……っ! ……ぐっ!」
無謀にも怒りに任せて飛びかかった。しかし、向こうは歴戦の闇祓い。魔法もろくに使えない私は、杖の一振で地面に叩きつけられる。
「お前の気持ちも分かる。儂だって仕事じゃなきゃ、こんな死者を辱めるような真似はせん」
「は、仕事だって? 死んだ子供の服ひん剥いたり、魔法をかけてあれこれ調べるのも役人のペイのうちかよ!!」
「そうだ。被害者がなんで死ななきゃならんかったのかを調べるのも、闇祓いの仕事のうちだ」
だから黙って聞け、と老人は静かに言った。
「死者の身体は、時に生者の言葉よりも雄弁に物事を語ってくれる。だからこそ儂ら闇祓いは、被害者に敬意を払って向き合うのだ」
「……」
「掌に爪が食いこんでいた。強く奥歯を噛み締めた痕があった。最期の最後まで、何か強い想いがあった証拠だ」
あの時、妹の遺体をちらと見たが、拷問された痕があった。それの所為だろう。別に特別な意味などありはしない。よくある生体反応だ。
「屋敷を探ってみれば、部屋の奥に隠すようにケーキが置いてあった。何か祝い事の準備でもしていたみたいにな……そこまで調べて、ようやく儂はもう1人のグリンデルバルドの存在に思い至った」
「……何が言いたい」
「分からんか? あの娘は守ったんだよ、お前さんの事を。恐らく連中が幼子を拷問してでも聞き出したかったのは、お前さんの居場所だった」
庭に倒れ、空を見上げた格好で力尽きていた妹を思い出す。
壮絶な最期とは思えない程に、その表情は微笑みで固まっていた。
まるで何かを成し遂げたとでもいうように。
奴らはなにも奪えなかった。
大切な者はすでに、危険の外にあったから。
「お前の妹は沈黙と誇りを胸に抱き、何者にも尊厳を侵されることなく天に昇った。なにも奪われなかったのだ」
奪われなかった、という言葉を老人は何度も繰り返した。
「メルム、生き残った人間はきちんと生きていくべきだ」
老人の懇願にも似た言葉。
きっと良い事を言っていたんだろう。
しかし当の私の脳裏には、妹の最後の姿がべったりと張り付いたまんまだった。
(……弱い奴は、何もかも奪われる……何故だ……何故、私はこんなにも弱い。この血は……何故、こんなにも……)
力があれば、幸せになれるのに。
力さえあれば、こんな惨めな思いをせずにいられるのに。
力さえあれば妹を助けられたし、孤児院のクズ共に殴られる事もなかったのに。
(力が……欲しい……あの時のような……いや、もっと、もっともっと強い力が……)
私は立ち上がって、妹の骨壷を老人に渡す。
骨壷を受け取った老人は、酷く驚いたように見えた。
「……もう別れの挨拶はいいのか?」
いらない、そんなものは。
もう妹はいない。死んでしまった。
ここにあるのは骨の残骸だけだ。
私は無言で首を縦に振る。
「なら儂も行くとしよう。ご両親の遺体も検分が終わり次第、連絡をする」
「いらない……
言葉こそ少なかったが、老人は何も言わずに頷いた。
もしかしたら、父の研究部屋を見たのかもしれない。
あの狂気の部屋を見れば、ボクがどういう扱いを受けていたのか簡単に察するだろう。
「何かあれば魔法省まで来い。出来る限りの事は……」
「ねぇ」
老人の別れを惜しむような言葉を遮って、ボクは言った。
「教えて欲しいことがあるんだ。闇祓い」
「……何だ?」
その老人の問いに、ボクはこう答えた
「闘う力、魔法使いの力をボクに教えて」
──────……
そうして半年が経った。
何か変わったかと言われれば、何もと言う他ない。
相変わらず正しく魔法力は使えず、あの時のような黒い魔法力の昂りも感じられない。
「……くそっ」
魔法使いの知識は有用だが、それだけでは意味がない。
魔法使いの恐ろしさとは、そういうものではない。
無尽蔵の魔法力、瞬時に敵を壊滅させる事の出来る魔法、そして膨大な魔法の知識。
それら全てが合わさって、初めて魔法使いと呼べる。
(知識を重ねた所で、それじゃ宝の持ち腐れだ。少なくともボクの求めたものは違う)
父の研究室で読んだ本の知識。
ムーディを師と仰ぎ教えを乞うたのは、記憶に焼き付いたそれらを補強し、理解する為だった。
しかし悲しいかな。
理解すればするほど、己の状況がどん底だということが分かっただけ。
「お、いたいた。まぁた杖を振り回して魔法使いごっこか?」
孤児院での生活もいつも通りだ。
孤児院のガキ共に絡まれ、逆らってはボコボコにされる。
師匠から習っている内に知った事だが、彼らは所謂スクイブという奴らしい。
スクイブ。魔法族出身の癖に、魔法を使えない者。
そういう者達は、生まれた魔法族の血筋によっては捨てられる。
思えばボクが孤児院に来た当初は、ガキ共も大人しかった。
ボクが魔法を使えるかどうか、分からなかったからだろう。
そんな彼らが威圧してくるようになった理由は単純だ。
ボクの態度を見て、魔法力がないと判断したのだ。
そして途端に、ただの年下の女の子にビクビクしているのが悔しくなったのだろう。
魔法省の管理が行き届かないこの孤児院では、呪いにかかっている奴も沢山見かけた。
何のことはない。ここは魔法界のゴミ捨て場だったというだけの話だ。
(まぁボクは別に魔法力がないわけではないから、スクイブとは違うんだろうけど)
黒い感情の昂りと共に、力を暴走させる事は出来る。
しかし暴走は暴走、正常な力の近い方ではない。
寿命も減るらしい。
それに家族を失ったあの日以来、ボクはそんななけなしの魔法力すら使えなくなってしまった。
(ん? なんてこった。それじゃ今のボクは、このスクイブと丸っきり同じってわけか)
余りの無様さに、ボクは思わず笑いが零れた。
ボクの胸元を掴んでいるガキが、顔を真っ赤にする。
「くそっ……なんだよお前っ! ヘラヘラしやがって!」
「ぐっ……」
その後、ボクは十数回殴られるも何とか隙をついて全力で走り、部屋に逃げ込んだ。
「クソッタレが……」
隅のタンスから救急箱を取り出す。
額や腕についた傷を消毒し絆創膏を張ると、そのまま洗面所へ行き血で汚れた服を脱いだ。
鏡の中には、上半身裸になったみすぼらしいボクがいる。
無数のあざや細かい傷が目に映りこみ、思わず小さな笑みが口元に浮かんだ。
「くはっ……」
ふざけんな、何で私がこんな目に遭わなけりゃならない。
私は何も悪い事はしてないだろうが。
絶望の中で、タールのようにどす黒い粘着質な感情が渦巻いている。
それは己の殻を突き破り、新しいステージに到達するのに必要な黒い感情。
絶望が突き抜けた先には、いつだって不思議な感覚が待っている。
ぞわっと全身の毛が逆立ち、一瞬、私は幻視に囚われた。
人間の仮面がぱっくり割れ、その中から悪魔が顔を出す妄想。
次の瞬間、鏡に亀裂が入った。
「お?」
ジワリと私の身体から、墨汁のような黒い粒子が滲み出る。
部屋の家具がガタガタ揺れ出した。
俗に言うポルターガイスト現象。
「きた……!」
久方ぶりに湧き上がる魔法力。
言葉に出来ない感覚に全身が支配され、それを咄嗟に押さえつけようとして、私はハッと気がついた。
師匠に色々習ってきたのは、この日の為だ。
力を押さえつけるな。それでは前と同じだ。
寧ろ暴れる力の流れを、正しい方に導くようなイメージを頭に思い浮かべる。
「……燃えろ」
言葉とは力だ。
呪文の詠唱によって魔法が威力を増す事からも分かる通り、脳内のイメージは口に出すことでより詳細になる。
全身の血が燃えるようだった。脳が灼熱に覆われていく。
「……もっと燃えろ」
魔法力を練り、感情の赴くままに血を燃やす。
ごぉごぉごぉぉ……やがて全身から滲み出た黒い粒子は、青黒い炎へと形状を変えていく。
最後の言葉は、半ば無意識の内に私の口から漏れ出た。
「────
途端に、私の全身から蒼黒い焔が迸った。
この暗い感情を、そのまま体現するかのような灼熱。ドス黒い焔を纏った私は、徐ろに両手をいっぱいに広げる。
東の地平線から、陽の光がゆっくりと燃え上がるようだった。
暗い海のような光が窓を照らしていく。
「素晴らしい! 凄い、凄いぞ!」
目も眩むような恍惚感に支配される。
全身にゾクゾクと鳥肌が立つような感覚が走る。
その時、バタン、と自室のドアが開く音がした。
この異常事態に、いち早く気づいた奴がいるらしい。
目を向けると、そこには蒼白な顔をしたガキが立っている。
このタイミングで部屋を覗きに来た運の悪い奴の顔を見て、私は思わず笑った。
それは、先ほど私を殴った孤児院のガキだった。
今ほど、こいつに会いたい時もないだろう。
散々嬲ってくれたお礼をしたかったのだ。
そんな熱烈に所望する彼はというと、私が纏う炎を見てブルブル震えている。
「お……おま……お前がこれを……」
「あぁ。綺麗だろう?」
「く、くる……くるな!」
両手を広げたまま近づく私に対し、ガキは首を横に何度も振り、なだめるように両手を前に出す。
彼が私を見る目には、紛れもない恐れがあった。
「ご、ごめん! さ、さ、さっきは悪かった。ゆ、許してくれ……」
あの偉そうな態度はどこに行ったのだろうか。
命乞いをするガキの様子に、私は噴き出した。
「あぁ良いよ、許してやる。お前と違って私は寛容だからな」
「ほ、本当か? ありがとう! なら……」
「そうだな。仲直りの握手でもするか」
ギュウ、と私は彼の手を握り締める。
それだけで充分だった。
手を無理やり繋いだ途端、ガキは火達磨になった。
「あっ……あづっ! あづい! あづいあづい! あづいあづいあづいあづいあづいあづい……っっ!」
「こらこら、暴れちゃダメだぞ。泣くのも禁止だ。私達の別れに涙なんて必要ないだろう?」
好きなように暴れるが良い。どうせ結末は同じなんだ。
最期くらい好きにさせてやろうじゃないか。
「それにしても凄いな。皮膚が炭化してる。何度あるんだ、この炎」
「あぁ……がが……がああぁ、あぁ……」
喉を掻き毟るようにして、人の形をした灰が廊下に倒れるように崩れていく。
そして、その断末魔が鈍感な獲物を新たに引き寄せる。
騒ぎを聞きつけたのだろう。
私が自室を出るのと、廊下の奥の部屋からマザーが慌てて出て来たのは同時だった。
「何の騒ぎです! うるさいですよ、静かになさ……」
「お前がうるさいよ」
私が目を細めると、たちまちマザーは風船のように破裂した。
まるで果物を握り潰した時みたいに、果汁が辺り一帯に飛び散る。
私は炎に護られて無事だったが、遅れて他の部屋からゾロゾロ出てきたガキ共には、それがモロにぶちまけられた。
「ぐっ……グリンデルバルド……」
「んー? あ、そっかそっか。お前らもいたっけなあ」
安心しろよ。みーんな同じ目に合わせてやる。
炎を次々に持ち上げて、横薙ぎに叩きつける。
イメージするのは、壁に扁平になって張り付いてしまうくらいの勢い。
あっという間だった。
私のイメージ通りの焼肉が何個も出来上がる。
「いひっ……」
そうだ、これだ。これがやりたかったんだ。
この無敵感、正しく恍惚で肩が震える。
「ひっひひひひひ……」
天から与えられた力が戻ってきた。
この際だ、醜いものは全部焼き尽くそう。
今なら何でも出来る気がするんだ。
「なぁに、生き残りがいなけりゃどうとでもなるさ」
◇◇◇◇◇◇
「お嬢、起きてくださいよ。お目覚めの時間です」
「……起きてるよ、グリムソン。そんでもう少し静かにして。朝は静かな方が良い」
昔の夢を見た日は特に。
「魘されてましたぞ。何か嫌な夢でも?」
「……そうね。そんなところかな」
随分長い夢だった。
ここまで色々と夢を見たのは久しぶりだ。
疲れているのだろうか。最近、身体の不調が顕著だ。
今年度に入ってから機能しなくなった未来視。
謎の声が聞こえるようになった耳。
そして、これまでの人生を辿るような悪夢。
「本日はお屋敷に帰る予定でしたな。覚えておりますか?」
「……勿論だ」
ぼんやり夢心地なボクの耳に、セブルス・スネイプの言葉が鮮やかに蘇る。
────シェーン・グリンデルバルド。父君の墓参りに、君は一回くらい行ってみるべきだな
やはり、行かねばならないのだろう。
運命が呼んでいる気がする。
この感覚に、今まで間違いはない。