そして、それを見た施設の人はよく怒っていた。
お前がやっていることは悪いことなんだ、と。
だから、もう小動物は相手にしない。小動物に拘る理由も特にない。
だから。
どうせなら、虐めて皆が喜ぶような
木曜日の朝っぱらから、オートミールを口に頬張ってボクらは飛行訓練を前に浮かれている寮の雰囲気について話し込んでいた。
「どいつもこいつもクィディッチの話しかしやがらねぇな。信じられるか? 朝食のメニューを聞いたら、箒の名前が返ってくるんだぜ。まったくどうかしてるよな」
「その最たるのがマルフォイさ。壊れたラジオみたいに同じことを繰り返し言ってる」
朝方、スリザリンの談話室に貼られた掲示板はドラコ・マルフォイの機嫌をこれでもかというほど良くさせたらしい。
掲示の内容は、無論初めての飛行訓練のことなのだが、そこはさほど重要ではない。
彼にとって重要なのは、グリフィンドールとの合同授業という点であった。
「おーおー意気込んでるねぇ、ドラコ坊やは。自分の得意な科目が出てきてよっぽど嬉しいと見える」
「多分違うと思うよ。マルフォイの狙いはいつだってポッターさ。鼻持ちならない彼をこの教科でコテンパンにすること。それが目的だから、この有利な状況が嬉しいんじゃない?」
「歪んでるねぇ。今の今まで、マグルの親戚に育てられた飛行の初心者相手にマウントを取るつもりかよ。小物過ぎて涙が止まらねぇな」
初めての飛行訓練に高揚するマルフォイやその他大勢と違って、高所恐怖症のセオドールは今の空気に対してシニカルだ。
それもそうだろう。
付き合いの長いミリセントによれば、彼は自分の屋敷の屋根の上ですらダメだという話だった。
「今度こそはアンタも箒って苦手分野を克服出来るんじゃないかい?持ち方と乗り方から習うらしいからねぇ」
そう言ってガハハと笑うミリセントに対して、セオドールは渋い顔をするだけで、うんともすんとも言わない。
言い返さない所を見ると本当に苦手にしているようだ。
「そういやメルムは飛行の方はどうなんだい?呪文系統は結構ずば抜けているけれど、箒の方もバッチリ?」
「箒かぁ。あんまり使わないかな、ボクは」
「お前も苦手なのか!同士よ!」
ボクの返答に狂喜乱舞したのはセオドール。
案外、彼は自分が箒に乗れないことを気にしているようだった。
長らく旅をしていたせいで、ボクにはお貴族様の考えというものがよく分からないが、箒に乗れないことは大変にプライドが傷つくらしい。
まったく。ボクは使わないと言っているだけで、乗れないとは一言も言っていない筈なのだが。
「大体どいつもこいつも煩いんだよ。今どき箒なんて乗れなくたって、
「あれは発音を少しミスすると全然違うところに行っちゃうでしょ。不完全な代物だよ」
「そうさね。それに箒がありゃあ空中戦で大抵のことは出来る。そもそもそれが目的の箒さ。だから飛行
確かにミリセントの言う通りだ。
姿くらましも煙突飛行粉も移動には最適だろうが、空中に留まるという一点で箒の右に出るものはない。
マグルの飛行機と新幹線を比べるようなもので、そもそもの畑が違う。
「それにしても、さっきからマルフォイの奴が煩いねぇ。三回も同じ自慢話をされると流石に耳が腐っちまうよ」
「どうせ大した腕はないんじゃないかな? ほら、彼の自慢話はいつもマグルのヘリコプターを躱したところで終わっちゃうしさ。話のレパトリーの少なさが、そのまま経験の浅さを物語ってるよ」
ミリセントとマルフォイに対しての辛辣な意見を交わしつつ、朝食のオートミールをボクは口に運ぶ。
話は変わるが、朝食の時間はボクにとって少し憂鬱な時間だった。
その原因はふくろう便だ。
「またふくろう便か……朝食が不味くなる」
「アンタも本当にふくろうが嫌いだねぇ」
それはそうだろう。
ボクは旅先で、ずっと何十羽もの梟達に追いかけ回されていたのだ。
それも朝も夜も問わずに。
梟の鳴き声で意識が浮上し、手紙が顔に落ちて目が覚めるあの感覚は二度と味わいたくない。
「でも今回は良しとしようかな。マルフォイの自慢話が止まった」
「偉大なるパパとママからのお菓子の時間さね。奴のワシミミズクには、後で腹いっぱいミミズをご馳走してやるか」
見るからに豪華そうなお菓子をテーブルに広げて、得意満面の笑みを浮かべるマルフォイ。
ああいう所はまだお子様なのだろう。
本人に言えばどうせ気を悪くするだろうが。
「過保護な親御さんに、感謝を申し上げたいよ。貴方達が甘やかしたお陰で、お宅のドラコお坊ちゃまは自慢話をするだけのクソつまらないボンクラに育ちましたって」
「言ったって気づきっこないさね。あそこの家は筋金入りだ。皮肉に気づかないどころか、下手すれば褒め言葉としてそのまま受け取っちまうよ」
「おい。マルフォイの話はもう良いだろう。ミリセントの言う通りさ。言ったって治りっこないし、何より飽きたよ。そんなことよりもさ、見ろよ、アレ。ロングボトムの受け取った風呂敷に包まれた玉。もしかしてアレ、思い出し玉じゃねぇか?」
セオドールの指差す方を見ると、丁度ネビルが風呂敷から小さな玉を取り出したところだった。
あの白い煙が詰まっているような玉は確かに思い出し玉だ。
おかしな話である。ネビルはボクと一緒に汽車に乗っていた時には、既に思い出し玉を持っていた筈だったのだが。
(多分どっかに忘れてきちゃったんだろうな。勿体無い。思い出し玉も、本体が忘れられちゃうんじゃ役には立ちっこないだろうし)
ネビルのお婆さんの苦労が透けて見えるようだ。
忘れ者で食いしん坊。甘やかされて育った弊害なのだろう。
やはり人間に必要なものは、適度にスリリングな環境であるとボクはつくづく実感する。
「あ……」
そんなことをボクが思っていると、何を思ったのかマルフォイがネビル達のいるグリフィンドールの席へと向かっていく。
控えめに言って嫌な予感しかしない。
「あん? どしたよメルム」
突然、席から立ち上がるボクを訝しんだセオドールが声をあげる。
その言葉に手を振り返し、ボクはマルフォイのところへと向かう。
「やぁロングボトム。グレンジャーの本の虫が仕入れた飛行のコツにしがみついていれば、後で箒にもしがみついていられるとでも思ったのかい?」
案の定だ。マルフォイの奴め、グリフィンドールに良くない喧嘩の売り方をしている。
偏執狂になる魔法を掛けられているわけでもないのに、あそこまで一つの物事を嫌悪するのも珍しい。
彼にとってグリフィンドールとは、とことん目の上のタンコブらしい。
「マルフォイ……ッ」
「なんだい?ウスラトンカチのロングボトム君」
ネビルがギリリと歯を食いしばる。
入学式の小競り合い以来、ネビルはマルフォイに対して嫌悪を超えて憎悪すら抱くようになったのか、凄まじい形相で彼を睨んでいる。
普通は同級生からこんな顔をされたら引くものだが、そこはマルフォイ。
平然とネビルの持つ思い出し玉をひったくった。
「返せよマルフォイ、それはネビルのだぞ」
その蛮行に立ち上がったのは、同じくグリフィンドール生のポッターとウィーズリーである。
弾けるように立ち上がった彼らを見るに、二人ともマルフォイと喧嘩をする口実を探していたようだった。
ボクも参戦して場を滅茶苦茶にしてやってもいいが、席を立ってわざわざこっちまで来たのに、悪者になってもしょうがない。
「ねぇマルフォイ」
「! ……なんのようだい? ヴォーティガン、いやグリンデルバルド」
ボクが後ろから声をかけると、意外そうな顔でこっちの方を見てくるマルフォイ。
そういえば、確かマルフォイとネビルの小競り合いの時もすぐ傍に居ただけで、ボクは殆ど彼と会話をしていない。
ともなると、こうやって面と向かって話すのはマダム・マルキンの店以来ということになる。
まぁ気後れは一切しないが。
「返してあげなよ。別に君にネビルが何かしたわけじゃないでしょ?」
「嫌だね。それよりも知ってるかい?コイツはロングボトムの婆さんが送ってきたバカ玉だ。こんなモノに頼らなくちゃいけないとは、ロングボトムも馬鹿な奴だ。そうは思わないかい?」
「別に。人それぞれ欠点があるなんて普通だし気になることでもないでしょ。君だって品性下劣っていう欠点があるじゃないか」
そこでボクは一呼吸置いて、くすっと笑った。
「あぁ……でもそうだね。君が思い出し玉を使わなくちゃいけないほどに忘れっぽいなら話は別だ。もしかしたら、品性を思い出させてくれるかもよ?ほら」
ボクはマルフォイの握った思い出し玉を指差す。
なんとマルフォイの握った玉は、真っ赤に光っており彼が何かを忘れていることを教えていた。
ウィーズリーが大声で笑いだし、ポッターがマルフォイを冷やかす。
「朝食を食べることでも忘れたのかいマルフォイ。見なよ、腰巾着のゴイルもクラッブもそれだけは忘れてないと思うけどね」
ポッターの言う通り、マルフォイは朝食そっちのけでネビルにちょっかいを出したせいで、まだ朝食を食べていなかった。
ちなみに、ゴイルとクラッブはご主人様そっちのけでオートミールをどれだけ食べれるか競走している。
ポッターのジョークは大好評だったようで、他のグリフィンドール生もマルフォイを囃し立てる。大した嫌われようだ。
マルフォイの紙のように白い顔が、ロブスターみたいに真っ赤になる。
「グリンデルバルドの孫だからって調子に乗るなよ。お前なんかボクのパパに頼めば、この学校からいつでも退学に出来るんだぞ」
「おいおい子供同士の喧嘩までパパに任せるの?たまには自分で何とかするところを見せておくれよ。それもできなきゃ、その減らず口は閉じていた方が賢明じゃあないかな?」
グッと詰まるマルフォイ。
本人も分かっているのだろう。
いくらマルフォイの両親が親馬鹿でも、子供の喧嘩にまで口を出すことはないと。
貴族だから外聞もあるだろうし、何よりマルフォイ自身のプライドが許さないはずだ。
かといってマルフォイはボクを相手に喧嘩をする気もないらしい。
所詮は口だけか。
「まったく、鼻持ちならない臆病で下劣な奴だな君は」
「……ッ!」
新発見だ。
残念なことに彼、忍耐力はあるらしい。
此方を憎々し気に睨んでくるが、それ以上の事はやりそうにもない。
「一体どうしたのですか! この騒ぎは」
言い合いにいち早く気づいたマクゴナガル先生がボク達の前にサッと現れた。
いざこざを目ざとく見つけて来るのは、大体いつもこの先生だった。
「先生、マルフォイが僕の『思い出し玉』を取ったんです」
ネビルがここぞとばかりに、マクゴナガル先生に告げ口をする。
マルフォイも流石に分が悪いと思ったのだろう。
しかめっ面で素早くテーブルに玉を戻した。
「口には気をつけろよグリンデルバルド。プライドを傷つけた代償はデカいからな」
「そっちこそ二度目はないよ。少しは頭を使って、良く考えてから行動することを覚えるんだね」
捨て台詞を吐いたマルフォイは、未だに暴食を続けるゴイルとクラッブの頭を引っ叩いて朝食の席を後にする。
なんともスッキリしない終わり方となってしまった。
あれだけ煽れば手の一つや二つは出るかと思ったのだが、彼の度胸は想像以上に想像以下だった。
(ま、大広間で喧嘩をするなら口実が必要ってだけだし。どっちでもいいけど)
忠告はした。守るか守らないかは彼次第だろう。
分かりきった結果だけに、苦笑いしか出ないが。
「メルム……その、なんて言うか、ありがとう」
席に戻ろうとしたボクに、おずおずと声を掛けてきたのはネビルだった。
「気にしないでよ。寮は違っちゃったけれど汽車で一緒に旅をした仲じゃない」
「ま、まぁそうだけれど」
ネビルは、組み分け以来疎遠になった事に罪悪感でも抱いているのか気まずそうだった。
お互いの所属している寮の関係上仕方のないことだとボクは割り切っているので、別に気にしなくてもいいのだが。
「おいメルム。飯が冷めちまうぞ、早く戻ろうぜ」
肩に手を置いてそう告げたのは、セオドールだった。
いつの間にこっちに来たのだろうか。横にはミリセントもいる。
「そうだね。戻ろっか」
早く残りのご飯を食べなきゃだ。
◇◇◇◇◇◇
「ったくよー、焦らせんなよ本当に。ダンブルドアやスネイプの見てる前でおっぱじめるのかと思ったぜ俺はよ」
「冗談。流石に時と場所は選んで喧嘩するよ」
「いーや分かってないね。メルムはもうちっと静謐と安寧の意味を考えた方がいい」
その日の午後三時半、飛行訓練の時間になってもセオドールの愚痴は続いていた。
彼は教会育ちであるせいか驚くほどその手の面倒事を嫌っていた。
死喰い人の息子が平和主義とはまったく世の中も変わっている。
「別に良いじゃん。セオドールもミリセントもあれくらい離れてたら迷惑はかかんなかっただろうし」
「後の事を考えろって言ってんのさね、馬鹿たれが。マルフォイ相手じゃ分が悪い。あっという間にスリザリンで孤立しちまうよ」
「んじゃ気にすることはないな。もう孤立気味なんだから」
「……そうだな。最近誰も話しかけてこなくなったもんな」
三人分のため息がよく晴れた青空に溶けていく。
入学式から数日経ってスリザリンの同級生達は、なるべくボクと関わらずに様子見をする、という方針で固めたようだった。
ハブられているわけではないが、壁がある。
そして、そんなボクと関わっている二人も変わり者扱いされているのだ。
「まったくボクらの未来は明るいじゃないか。なあ?」
「そうだな、静かに読書できるのはいいかもだ」
少し風が強い。足元の草がサワサワと波立っているのが見なくても分かる。
そのまま傾斜のある芝生を下り、校庭を横切って平坦な芝生を歩くこと十分。
ボクらはマダム・フーチの不機嫌な顔を拝む羽目になった。
「何をボヤボヤしているんですか」
開口一番のガミガミ、女の子の日だろうか。
隣でセオドールが声を潜めて笑う。
「気にすんなよメルム。去年、先輩の誰かが飛行訓練中に禁じられた森の中に行っちまってさ。それ以来マダム・フーチはあんな感じらしいぜ」
「それ知ってるよ。ウィーズリー先輩達の事でしょ? この前、ハグリッドが言ってた」
ホグワーツでの有名人は何もボクやポッターだけというわけでは無い。
この学校には古くから根付く、悪名高い厄種ともいうべき四人がいるのだ。
まず一人目が管理人のフィルチ。
生徒を取り締まる役柄の上に、その気難しい性格も災いして生徒から蛇蝎の如く嫌われている。
その次の二人目は人と言っていいのかは分からないが、ポルターガイストのピーブズ。
これが酷い奴で、いつも城のどこかで大声を上げては騒ぎを起こし、物をひっくり返したり水浸しにしている。
かく言うボクも、セオドールやミリセントと歩いている時に教科書をバラ撒かれたり、水をぶっかけられる災難に見舞われたことがある。
噂によるとダンブルドア校長と血みどろ男爵の言うことは聞くらしい。
そして、最後の二人が悪名高きフレッド&ジョージのウィーズリー兄弟だ。
大の悪戯好きで教師・生徒からジョージと共に”悪戯大王”として広く認知され、日夜悪戯に励んでいる。
また、教師たちを欺くほどの高度かつ精巧な魔法具を開発するなど、類稀な才能も有しているのだとか。
その為に廊下や階段で糞爆弾が爆発したりするのは、十中八九彼らのせいだと言われている。
「みんな箒のそばに立って! さあ、早く!」
ボクは自分の箒をチラ、と見下ろす。
古ぼけた箒だ。小枝が何本かとんでもない方向に飛び出している。
恐らくだが、高い所に行くと震えだしてしまうだろう。
これなら自分で飛んだ方が、まだマシだ。
「右手を箒の上に突き出して。そして上がれ、と言う」
短く刈り込んだ銀髪を風に靡かせ、鷹のような黄色の瞳をギラつかせたマダム・フーチが掛け声をかけた。
「上がれ!」
「上がれ!」
「上がれ!」
言葉に合わせて全員が叫び、ボクの箒もフワリと手に吸い付いた。
箒の乗り方なんぞ、それこそ旅をしている頃に腐るほど経験している。
なにせ箒に乗らなければ、何時間も掛かる土地など幾らでもあったのだから。
セオドールは
ド田舎に行ってしまえば、何の役にも立ちはしないことをボクは知っている。
だというのに……
「セオドールはともかくとして……ミリセントまで何してるの?」
上手く行った者はかなりの少数だったらしい。
セオドールの箒はピクリとも動かず、本人は何処からか取り出した聖書の一節を諳んじている。
神様に頼んだところで箒は浮きはしないだろうに、彼は神への祈りをやめない。
ミリセントの箒もコロリと地面を転がるだけだった。
彼女は早々に箒を手懐けることを諦め、なんとマグルのサッカー選手がボールにするように、箒を軽く蹴り上げて手に収めていた。
「ようは箒を手に取る練習さね。箒を浮かせる訓練じゃない。そうじゃないかい?セオドール」
「確かにそれもそうだな!」
我が意を得たりとセオドールはパッと顔を輝かせた。
ミリセントの苦し紛れの言いわけもそうだが、箒を屈んでただ持ち上げただけのセオドールは、流石に魔法使いとしてどうかとボクは思う。
「はい、皆さんよく出来ましたね!出来なかった子もこれから練習すれば問題はありません。重要なのは乗り手が怖がらないことですからね!」
次に、マダム・フーチは箒の端から滑り落ちないように箒にまたがる方法をやってみせた後、生徒たちの列の間を回って箒の握り方を直した。
なんとマルフォイはずっと間違った握り方をしていたらしく、先生に指摘されていた。
「あんだけ自慢してたのにそれかよ。口だけなのは両親そっくりだな」
ボクの猿真似をして、漸くそれっぽく箒に跨ったセオドールの言葉だ。
彼は、授業中は神様よりもボクを頼ることにしたらしい。
セオドールが聖書の神様よりも、とりあえずはボクを信じてみようという気になったことにミリセントは驚いていた。
「さあ!私が笛を吹いたら地面を強く蹴ってください。箒はぐらつかないように押さえ、2メートルぐらい浮上してそれから少し前かがみになってすぐに降りてきてください、笛を吹いたらですよ!……1……2……の」
先生の唇が笛に触れるようとしたその瞬間、
「おわああああああああああ!?」
凄まじい叫び声の主は言わずもがな、ネビル・ロングボトムだった。
初めての飛行訓練での緊張感、皆に置いて行かれる恐怖。
その他諸々の要因はあるのだろうが、ともかくネビルは一足先にマグルの発射したミサイルの如く上空へと射出された。
「何をしてるのですかロングボトム!戻ってらっしゃい!」
「いったいどうやって!?それが出来たら苦労しないよ!!誰か助けてぇ!!」
未だかつてないスリルに、パニックを起こしてしまったのだろう。
マダム・フーチへの敬語も忘れたネビルは、暴れ柳の如く暴走する箒にしがみつくのが精一杯だ。
あれではとても地面に着地など出来はしまい。
それどころかネビルは四メートル、六メートル、十メートルとドンドン地表から離れていく。
「おいメルム見ろよ!彼、すごいテクニックだ。ビクトール・クラムって感じだぜ」
「馬鹿言わないでよ。どう見ても暴走してるじゃないか」
セオドールの軽口にボクは呆れて肩をすくめた。
スリザリン生とグリフィンドール生の悲鳴が綺麗な青空に木霊する。
チラリとマダム・フーチを盗み見ると、初めての飛行訓練で死人が出るかもしれない事態に、上昇し続けるネビルと同じくらい顔を真っ青にしている。
恐らくマダム・フーチのそれなりにある指導歴にも、ここまでの問題児はいなかったのだろう。
「あ、落ちた」
それを言ったのはスリザリン生かグリフィンドール生か。
ともかく気の抜けたような声の通り、とうとう箒から放り出されたネビルは凄まじい速さで地面へとキスするべく、落下を開始した。
その距離およそ二十メートル。建物七階分の高さからの落下。
あれでは助からないだろう。
「そんな時は」
既に杖は引き抜いている。
マルフォイならば放っておくが、仮にも友達を見捨てるのはボクにとっても寝覚めが悪い。
だから────
「
──────……
ネビルが落ちた瞬間、情けない話だがハリーも彼が助かるとは思わなかった。
マダム・フーチも慌てて杖を引き抜こうとはしていたが、元々杖とは無縁の飛行訓練の授業の先生。
マクゴナガル先生辺りならば、ネビルが勝手に気球のように浮き出した辺りで冷静に止められたのだろうが、それを求めるのは流石に酷な話だった。
もはや誰もネビルの窮地を救うことは出来ない。
ロンの悲鳴を聞きながら、ハリーは目を瞑った。
「
鈴のような声が響いた。
目を開ければ急降下していた筈のネビルは、地表から約一メートル位の空中で止まっており、一拍おいて地面にドサリと投げ出される。
慌ててネビルに駆け寄ったマダム・フーチは、ネビルの上にかがみ込んで脈を取った。
心配したハーマイオニーが恐る恐るその背に声をかける。
「あの……先生?ネビルは大丈夫ですか?」
「えぇ。あの高度から落ちたというのに、かすり傷一つついていません。当の本人は気絶していて、命を拾ったありがたみを噛み締めるのは当分先でしょうがね」
そう言って、重そうなネビルを背負ったマダム・フーチは他の生徒の方に向き直った。
「ヨイ、ショッ!……念の為、私がこの子を医務室に連れていきますから、その間誰も動いてはいけませんよ。箒もそのままにして置いておくように。さもないと、クィディッチの『ク』の字を言う前にホグワーツから出ていってもらいます」
言うやいなや医務室へ向かって駆け出すマダム・フーチ。
体重はかなりある筈のネビルだが、その重さを感じさせない軽やかな動きだ。
やはり体育会系の先生は一味違う。
「あ、そうそう忘れていました」
途中で一度止まると、マダム・フーチはスリザリン生達の方に向き直り、にこやかに笑った。
「見事ですミス・グリンデルバルド。貴女の魔法がなければ、ロングボトムは地面の染みになっていたでしょう。その機転にスリザリンへ二十点! 私にとっても危ない所を助けてもらいましたからね。ほんの僅かな感謝の気持ちです。それでは」
それだけ言うと、最初以上の加速でマダム・フーチは校庭の向こうへと姿を消す。
スリザリンの得点に文句を言うグリフィンドール生はいなかった。
メルムが魔法を使わなければ、マダム・フーチの言う通りネビルは地面の染みになっていたであろうことは容易に想像出来る。
マダム・フーチとしても、飛行訓練の授業中に死者を出そうものなら職を失っていたに違いない。
寧ろ点数が少ないくらいだった。
「あいつの顔を見たか?あの大マヌケめ!」
二人がもう声の届かないところまでいった途端にこれだ。
大声で笑い出したのはマルフォイだった。
一部を除いて他のスリザリンの生徒達も笑い出す。
「ロングボトムも可哀想に。このバカ玉を使えば、箒の使い方も思い出せたろうにね」
マルフォイは、草むらから拾いだしたネビルの「思い出し玉」を高々と掲げる。
今回は忘れていることがないらしく、白いままの玉はキラキラと陽に輝いた。
いきなりの狼藉にパーバティ・パチルが咎める。
「やめてよ、マルフォイ!」
「へー、ロングボトムの肩を持つの?パーバディったら、まさかあなたがチビデブの泣き虫小僧に気があるなんて知らなかったわ!」
冷やかすのはスリザリンの女の子、パンジー・パーキンソンだ。
しかし近くにいたスリザリンの猛獣ことミリセント・ブルストロードに思いっきり頭を引っぱたかれて沈黙する。
何故かミリセントは少し焦ったような顔をしていた。
「返せよ、マルフォイ!」
ハリーは静かな声を出してマルフォイを威圧する。
だがそこはマルフォイ、ニヤリと笑って箒に乗り飛び上がった。
「それじゃあ、ロングボトム自身に見つけさせようか。あの大マヌケが後で取りに来られるところに置いておくよ。そうだな……木の上なんてどうだい?」
「こっちに渡せったら!」
上手に飛べると言ったのは確かに嘘ではなかったようで、マルフォイは樫の木の梢と同じ高さまで舞い上がる。
浮いたまま挑発する彼の顔は、此処まで来られないだろうと高を括っていた。
ドクンドクンと血が騒ぐ、ハリーは箒を掴んだ。
「ダメよハリー!フーチ先生が仰ったでしょう!?動いちゃいけないって!私達みんなが迷惑するのよ?」
「知ったもんか!今最優先なのはアイツの腐りきった馬鹿ヅラを引っぱたく!そうだろう?ロン!」
「モチのロンさ!やったれハリー!!」
流石は親友。
ハリーのやることに異論はなく、何ならいけ好かないクソ野郎をぶっ飛ばせとその背を押した。
最早、ハリーを止める者はいない。
ハーマイオニーの警告を無視してハリーが箒に跨ったその時
「二度目はない。そう言ったよな?」
────嬉しそうな声がした。
スリザリン生の群れが自然と左右に分かれ、中からロリポップを咥えた銀髪の少女がゆるりと歩み出てくる。
彼女の後ろにいたノッポの男の子が、やれやれと肩を竦めているのが見えた。
「何をする気か知らんけど、どうせやるなら面白く頼むぜ?」
「任せろ。マーリンも墓から飛び起きるとびっきりのを見せてやるよ」
あのスリザリン生は、確かメルムといつも連んでいる男の子で名前はセオドール・ノットだったか。
彼は憐れむような目で空を飛ぶマルフォイを眺めている。
「やぁグリンデルバルド。ご機嫌は如何かな?何か文句があるなら、此処まで取りに来いよ!」
「その必要は無い」
ガリリッと口の中の飴を乱暴に噛み砕いて、彼女は笑った。
歯を剥き出しにした獰猛な笑み。
不吉な予感がしたハリーが声を上げようとしたが、もう遅かった。
「
驚くべき早さで振り抜かれた杖。
高らかに唱えられた呪文は、正しくその姿を現した。
射出されたのは、何の変哲もないロープ。
本来なら、相手の身体を拘束するだけの何てことのない呪い。
だが、それは地上での話だ。
空中で箒に跨る人間にとってそれは、何よりも脅威となる。
「あぁ!?」
空を飛ぶマルフォイに絡みついた縄はその身体の自由を奪い、箒から持ち主を吹き飛ばした。
四メートル位の高さから受け身もなしに落ちたマルフォイだが、樫の木の近くで飛んでいたお陰か、木の枝々がクッション代わりにその衝撃を殺す。
そして、木の枝や葉っぱを散々に散らして地面に叩きつけられたマルフォイは、草地にこぶが出来たように突っ伏した。
箒の方を見れば、さらに高度を上げて「禁じられた森」の方へとゆらゆらと向かっていっている。
メルムはというと、その間に呼び出し呪文を使い、マルフォイから思い出し玉を取り上げていた。
「これでネビルと同じだな。飛んでっちまった箒は後で取りに行けよ?マダム・フーチが怒る」
見物人の何人かが笑った。
マルフォイは起き上がろうとするものの、まだ呪いが効いているのか藻掻くだけだ。
追い討ちをかけるように、メルムは杖をもう一振りする。
「まだ終わりじゃないぞ。興奮して漏らすなよ?
二度目の閃光が走る。
見えない釣り鉤でくるぶしを引っ掛けられたように、マルフォイが縛られたまま逆さまに宙吊りになった。
ローブが顔におおいかぶさり、痩せこけた青白い両足と白の綺麗なブリーフが剥き出しになる。
「こ、こ、こんな事をして……ち、父上がこのままだと黙っちゃいないぞ!!」
「それはもう聞き飽きた。せいぜい父上がここに助けに来てくれるのを祈ってな。そらよっと!」
唇の端を残忍につり上げて、メルムは杖をクイッと下に振った。
箒のように逆さまのマルフォイが地面から離れていく。
「おーい
ケラケラと笑っているその顔は、相手の命を弄ぶ側の顔だった。
唐突に起きた事態に混乱していた生徒達の何人かがそろそろと近づいてくる。
この事態を面白がっているグリフィンドール生達だった。
「良いぞ、やっちまえグリンデルバルド!」
「そこの馬鹿には、僕のパパをマグルで能無しって貶されたんだ!」
「俺もだ。母親がマグル生まれだってのを馬鹿にされた!コイツの血がどれだけ高潔なものか、そいつのパンツの中身を晒してやれ!」
上からロン、シェーマス、ディーンの順に声が上がる。
マルフォイはグリフィンドール生から既に蛇蝎の如く嫌われていた。
流石にスリザリン生からは囃し立てる声は出なかったものの、止める様子は無い。
それどころか何人かは、マルフォイの無様な様子を意地悪く笑いながら見ている。
どうやら彼は、どの寮も関係なしに純血以外の生徒から表で裏で散々に嫌われていたらしい。
そしてなんとなくだが、ハリーはこの銀髪の少女がマルフォイなんか目じゃないほど、周到で残酷なことに気づいた。
彼女は先生がいなくなった、この瞬間を待っていたのだ。
マルフォイの取り巻きからの咎める声も、パフォーマンスとしてマルフォイをいたぶることで、他の沸き立ったグリフィンドール生達によって押さえ込まれている。
ハーマイオニーですら、この異様な空気に呑み込まれて言葉を失っている様子だった。
「やめろよ。やり過ぎだ」
「ドラコを離せ」
杖を操ってマルフォイを逆さ吊りにするメルム。
彼女を中心にした輪から勇気ある一歩を踏み出し、吠えたのは意外にもクラッブとゴイルだった。
「おや。誰かと思えば、食いしん坊のお二人さんじゃないか。頭は悪いとは思っていたが、空気も読めなかったのか?」
「いいから離せよ。さもないと……」
握り拳をポキポキッとを鳴らしながらクラッブが前に出る、メルムはクスリと笑った。
「さもないと、何だ?教科書も読めないウスノロに何が出来る?」
「このアマッ!ボコボコにしてやる!」
短気は損気。少なくとも彼女は冷静さを欠いてどうにかなる相手ではない。
だというのにクラッブは、拳を振り翳してメルムに向かって走り出した。
「そんなに返して欲しければ、返してやるよ。ほら!
メルムが杖を振ると、その動きに倣って逆さ吊りのままクラッブに向かってマルフォイが振り回される。
前屈みになって突進していたクラッブは、突然のことに対応出来ずにマルフォイごと吹き飛ばされた。
「ちゃんと受け止めないとダメじゃないか。マルフォイが怪我をしたら、お前の責任だぞ?まったく大した家来達だ。ゴイルもそう思うだろう?」
ゴイルといえば、クラッブとマルフォイの方を見向きもしなかった。
顔をストーブのように真っ赤にして激怒した彼は、懐から取り出した杖をメルムへと向けている。
周囲の生徒達から悲鳴が上がった。
「おや?杖のマズイ側がこっちを向いているが。これは一体全体どういうつもりかな」
「今の言葉、取り消せよグリンデルバルド。俺達はドラコの家来じゃない」
「嫌だと言ったら?」
いつになく攻撃的な彼女。挑発的に微笑む口元。
今のメルムは危険だ。無表情な彼女が珍しく感情を表に出している。
ゴイルは顔を真っ赤にして杖を振り抜いた。
「
杖から発射される呪い。
それを首を傾けるだけで避けたメルムは、そのまま駆け寄りゴイルの顔に肘鉄を喰らわした。
「ぐっ……」
よろけたゴイルは、鼻から血が吹き出る顔を片手で押さえながら、それでも杖を掲げて振り回した。
無造作に振り回される杖、呪いが乱射されれば関係ない生徒に被害が出るだろう。かなり危険な行為だった。
しかし、落ち着いた様子でメルムはその杖を持っている腕を掴むと
「大人しく、しろ」
メリリッ!と人の身体から聞こえてはいけない音が発され、あまりの痛みにゴイルは腕を抱えて蹲る。
彼女は、なんとゴイルの腕を関節の可動域とまったく逆の方向に捻りあげたのだ。
「グズッ……痛えッ……痛えよッ……!俺の腕が……ッ!」
「折ったわけでもあるまいし、ギャーギャー泣き喚くなよ。みっともない。男の子だろう?」
周囲の生徒が目を背け、悲鳴を上げた。
メルムの細い腕が、ゴイルの背後からヌルリと彼の首に絡みついたのだ。
「ぐっ……が……ぁ」
背後からゴイルの首を左腕で締め上げたメルムは恐ろしく静かな声で呟く。
「よく聞け坊や。お前みたいなウスノロは、私がその気になれば杖の一振りで月まで吹っ飛ばせる。調子に乗るな」
彼女はどこまでも徹底的だった。
空いた右手に握られた杖の先端が、ゴイルの顎に食い込む。
ゴイルがガクガクと震えた。
彼特製のデカいズボンが、恐怖と酸欠から来る失禁であっという間にビショビショになる。
「おや、お漏らしかい。ちょっと興奮し過ぎたのかな?」
ゴイルの首から腕を離したメルムは、その背中に蹴りを入れる。
ドサリ……とそのまま前のめりに倒れたゴイルは、うつ伏せになったままピクリとも動かない。
どうやら気絶してしまったようだった。
「凄いや、見てよハリー!彼女、杖も無しにゴイルに喧嘩で勝っちゃったぜ!」
そんなメルムにロンは口笛を鳴らして喜んだが、ハリーはそこまで純粋に喜べはしなかった。
確かにマルフォイ達がボコボコにされるのを見るのは楽しい。最高だ。
ハリーはそれを躊躇なく実行するメルムが少し恐ろしかった。
◇◇◇◇◇◇
飛行訓練の帰りは一人だった。
ケラケラ笑っていたセオドールは、ムスッとしたミリセントに引っ張られていった。
しょうがない。何せマルフォイをボコボコにした後だ。
すぐに仲良しこよしをしている所を見られたくないのだろう。
何やかんやで彼女もスリザリン的だ。
「あーあ。はしゃぎ過ぎちゃったなぁ」
ボクにしては随分甘い対応だったのだが、温室育ちの皆の前で公開処刑はやり過ぎたかもしれない。
「参ったなあ。興奮すると直ぐやり過ぎちゃう。悪い癖だね」
「そうじゃな。子供の喧嘩にしては、少しばかり度が過ぎておったかもしれんのう。ミス・グリンデルバルド」
「そうかなあ」
「そうじゃよ」
やり過ぎだったのだろうか。
歯向かってくる連中や難癖をつけてくる連中は、徹底的にやらないと後が痛い。
何度もそれで酷い目に会ってきた。
生温いやり方だと尾を引く。ああいう手合いはそれこそ蛇のようにしつこいのだ。
そして、よりによってというタイミングで邪魔をしてくる。
「まぁでもあそこまでやれば十分かな。もうボクやネビルには突っかかって来ないでしょ」
「それは分からんぞ?ミスター・マルフォイにはお父上のルシウスがおるからの。アレが黙ってはおるまいて」
「ルシウス・マルフォイ?冗談でしょ。聖マンゴ送りにしたのならまだしも……っていつから隣にいました? 校長先生」
「少しばかり前からじゃよ」
隣を見れば、慈愛に溢れたキラキラと輝くブルーの眼がボクを見つめている。
いつの間に現れたのだろうか。
爺様の天敵、アルバス・ダンブルドアその人がボクの隣を何食わぬ顔で歩いていた。
「ちょっとした散歩じゃよ。さすればその途中で面白いものが見れたものだから、ちょっとした寄り道をしたい気分になってしもうた。それに前々から君とは、少しばかり話をしてみたいと思っておったしのう」
「それはそれは……ボクは退学ですかね?」
そこら辺は気になったのでボクが問うと、ダンブルドア校長は笑って首を横に振った。
「儂の散歩は秘密なのじゃよメルム。バレたらマクゴナガル先生が沸騰したヤカンのようになってしまうでな。じゃが、ああいう事はこれっきりにするのじゃよ。よいな?」
なんと校長先生は、ボクの仕出かしたことを見て見ぬふりをしてくれるらしい。
とはいえ釘を刺されてしまったので、渋々ながらもボクは頷くしかない。
「よろしい。人間、間違う事は悪いことではない。改めることが重要なのじゃ」
ニッコリと笑ったダンブルドア校長からは、ボクの爺様に対する嫌悪も確執も感じられなかった。
だからだろうか、ボクも少しばかり爺様の話を彼にしてみたくなった。
「爺様は言っていましたよ。アルバス・ダンブルドアは気のいい奴だった。そして悪巧みを何度もやったと」
「……それは耳の痛い話じゃな。奴とは色々あったからの」
「それでも後悔はしていないらしいです。今でも好きな魔法や好きな食べ物を覚えているくらいには」
その言葉にダンブルドアは少しの間、黙り込む。
風の音だけが支配する静かな野原を二人で歩き続ける。
本当に今日は良い天気だ。夕焼けが眩しい。
「……過ぎ去った日々じゃよメルム。もう元には戻らん」
「そうですね。爺様もそう言っていました。そしてそれが辛いと」
ダンブルドアは遠い目をして雲が疎らに散らばる空を見上げた。
「友と決別するのは悲しいことじゃ。そこにどんな理由があったとしても。真の友とは得難き故に」
「それでも切っても切れない縁がある。違いますか?」
「そうじゃな。こうして儂が君と話しているということは、そうなのじゃろう」
言葉短く同意するダンブルドア校長が何を考えているかまではボクには分からない。
きっと色々思い出しているのだろう。その全てが宝物であった青年時代を。
結末はどうしようもなく捻れてしまった二人だが、それだけに言葉に出来ない何かが老人達にはあるのだろう。
そうこうしている内に校舎の入口に辿り着く。
「そういえば、前からダンブルドアに会ったら伝えて欲しいとしつこく頼まれていた爺様からの伝言があります。今、思い出しました。聞きますか?」
「……」
ダンブルドアは何も言わない。
決定的となる己の決断を口に出すのが恐ろしいのだろうか。
何歳になってもヒトとは過去から逃げられないらしい。
だからボクが一押しすることにする。
その為に、向こうもボクに声を掛けてきたのだろうから。
「アバーフォースの事で短気を起こして悪かった。私とお前では背負っているモノも違っただろうに、私の我儘に付き合わせてしまった。それとアリアナのことについては
ハッとした表情でボクを見つめるダンブルドア。
キラキラと輝くブルーの瞳を細めた老人は、そうかとだけ呟くと何かを堪えるように俯いてしまった。
「あ、それとこれは差し出がましい要求なんですけど、たまには爺様に会いに行ってやって下さい。百味ビーンズでも持って行ってやれば喜ぶと思います。ゲロ味を引き当てた時の校長先生の顔は見物だったらしいですから」
「……そうじゃな。お互い積もる話もあろう。どれ、今度機会を作って会いに行ってやるの良いかもしれんの」
久々に耳クソ味を引き当てた奴の顔を見てみるのも悪くはない。
そう言って前を向いたダンブルドア校長先生の顔は、今や雲一つない夕暮れの空のように清々しかった。
メルムの口調を一部改変しました。
設定忘れてたんですねこの時